第3話 「ポケモンバトル」 (2)

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2011.08.30.投稿


◇3


 ポケモンジム。ポケモントレーナーが腕を磨くために集う場所であると同時に、ポケモンリーグ大会への出場を狙うトレーナーたちの実力を試す場でもある。その情報に間違いはなかったようで、建物の外にいても、中から勇ましい声が重なって聞こえてくるのがわかった。
 建物の外観は、ちょっとした体育館という印象だった。アーチ状に湾曲した屋根。木でできた重そうな看板以外は飾り気のないシンプルな外装で、その看板には「ウミベシティポケモンジム」と、筆で描いたような力強い文字が躍っている。まるで武道場のような門構えの建物だった。

 ここに、ジムリーダーのホクトなる人物がいるのだ。格闘の専門家というからには、いかつい顔をした大男なのだろうか。優しい人だとポケモンセンターの看護士さんは言っていたが、それでも格闘家だ。きっと厳格な人物に違いない。ツバキは緊張した面持ちで胸に手を当てると、一度大きく深呼吸をする。それからツバキとクゥは並んでつかつかと扉の前まで来ると、

「たっのもぉーっ!」

 と、大声を上げながら、勢いよく扉を開いた。
 とたんに、中にいた全員の視線が入り口に集中する。ツバキたちよりも年下らしい子どもから、いかつい顔をした大男まで、さまざまな年齢の男女と多くのポケモンたちが一斉にツバキに注目していて、ツバキは思わずたじろいだ。

「うあ……えーっと、あのう……。どうしよう、ユウト」

 がくっ。ユウトは思わず肩から力が抜けてしまう。あれだけ元気よく飛び込んでおいて、かっこ悪いことこの上ない。多くの人間の冷ややかな視線を浴びてツバキがおろおろしていると、建物の奥の方から、聞き覚えのある声が聞こえた。

「ん? きみたちは、さっきの」

 その声の方を見て、ツバキもユウトもあっと声を上げた。そこにいたのは、線の細いながらも体育会系の精悍な顔立ちをした、車椅子に座った青年。

「あーっ、さっき、財布を取り戻してくれた人!」

 ツバキが思わず、指をさして叫んだ。ユウトがすぐにツバキの頭を小突いて、指さすのをやめさせる。

「ホクトさん、お知り合いですか?」
「ああ。さっき、街中でね」
「ホクトさん!?」

 ツバキがまた、大声を上げる。ホクトという名前には、はっきりと聞き覚えがある。ついさっき、ポケモンセンターの看護士さんの口から出た名前だ。

「ん? ああ、そうか。さっきは名乗っていなかったね。おれはガモウ・ホクト。このウミベシティポケモンジムの、ジムリーダーだ」

 その青年は、軽く微笑みながらそう言った。
 青年の言葉を疑うわけではないが、すぐには次の言葉が出てこなかった。てっきりゴーリキーのような人物が出てくると思っていたのだ。
 ふたりのそんな様子を見て青年、ホクトは苦笑する。

「はは、初めて会った人は、よく同じ反応をするよ。まあ我ながら、ジムリーダーって柄じゃない」

 その言葉には自嘲的な響きは含まれていない。あくまで爽やかに、ホクトは人懐っこい笑みで頭をかく。

「でも、心配はいらないよ。これでもひとつのポケモンジムを背負う身、実力はそれなりのつもりだ。遠慮せずに、思いっきりぶつかってくるといいよ」
「ふえ? あ、えっと……」
「ん? ジム戦への挑戦じゃないのかい? たのもうと言っていたから、てっきり挑戦者だと思っていたんだけど」
「あ、はいっ! えっと、よろしくおねがいします!」
「ああ、よろしく」

 まだ少し緊張しているツバキに、ホクトは優しく微笑みかける。

 このジムでは、入って最初の部屋が訓練場、そのひとつ奥に試合場があるらしい。案内された試合場は、ポケモンたちが存分に動き回れるようにだろう、天井もかなりの高さがあった。床は地肌がむき出しの造りになっていて、少し埃っぽい。激しい試合が頻繁に行われるために、床板などあっても傷んでしまうだけなのだろう。白いラインで長方形が描かれ、その両端には畳一枚程の小さな長方形が隣接していた。おそらくバトルのスペースと、トレーナーの立つ場所を示しているのだろう。こういうのは、島のテレビでも見たことがある。

 そう、ポケモンバトルなんて画面越しに見たことがあるだけだ。外からの来訪者など滅多に来ない故郷では、本物を直に見たことは一度もない。
 そんな程度にしか知らない「ポケモンバトル」という競技を、これから実際にやろうとしている。しかも相手はジムリーダー。実はとんでもないことをしでかしているのではないかと、ユウトは緊張と後悔で頭を抱えたくなった。ツバキはわかっているのだろうか。

「さあ、準備はいいかな」

 バトル場の端にある白線の枠の中に車椅子を進め、ジムリーダーのホクトがツバキに声をかけた。反対側の枠、トレーナースポットに案内されたツバキは、あからさまに緊張した顔で、こくこくとうなずく。
 バトルスペースの白線の周りには、ジムリーダーのバトルを見学するためだろう、ユウトの他にも十名以上の訓練生が集まっていた。ふたりが暮らしていた島では、こんなふうに大勢の人の前に立つなんてことはまずなかった。
 慣れない人の視線。初めてのバトル。人見知りなんて言葉は辞書の片隅にも載ってなさそうなツバキでも、さすがに緊張するのは無理もない。

「そういえば、まだ名前を聞いていなかったね」
「あ、え、っと。あたし、ツバキっていいます!」
「そうか、ツバキ、よろしくね。ところで君のポケモンたちはあっちの彼のところにいるようだけれど、他に手持ちがいるのかい? あのポケモンたちは参加しないということでいいのかな」
「ふえ? あっ、あー、そういえば!」

 ツバキが、今まで全く気付いていなかったという様子で、大声を上げる。ユウトも、今の今まですっかり忘れていた。そう、今トレーナースポットに立っているのはツバキのみで、シロもクロもクゥもユウトの傍らだ。三匹はおそらくあの白線の意味なんてよくわかっていないのだろうから無理もないが、これから「ポケモンバトル」をしようというのに、ポケモンを連れていないでどうしようというのか。周りで見ていた訓練生たちの中からくすくすという笑い声が聞こえ、ツバキは顔を真っ赤にする。ユウトも慌ててクロを起こし、シロ、クゥとともにツバキの元へ行くよう声をかける。すぐに三匹はツバキのところへ駆けよった。

「そんなに緊張しなくていいよ。ジム戦は初めてかい?」

 苦笑しながら、ツバキの緊張をなだめるようにホクトが尋ねる。

「あっ、は、はい! これが初めてのバトルです!」

 ツバキがそう、おろおろしたまま答えた途端。一瞬、その場の時間が止まったように、しん、と静かになった。そしてその直後、ざわっ、と訓練生たちがささやき始める。

(え? あの子今、初めてのバトルって言った?)
(ウソだろ。初バトルでジム戦に来るバカなんているかよ)
(っていうか、ジム戦前に手持ち全部丸出しにしてるし。余裕見せてんのかと思ってたけど、もしかしてただのシロート?)
(あんな珍しいポケモン連れてるのに? もったいなーい)

 そんなささやき声がざわざわと聞こえてきて、ユウトは眉をひそめた。確かにツバキはポケモンバトルに関してはてんでド素人で、ホンモノの競技としてのバトルなんてやったこともない。それは確かな事実だが、それでもこんなふうに他人から言われるのを聞くと、なんだか胸がもやもやと苛立つ。

「みんな、騒ぐのであれば見学はナシだ。訓練場に戻っていいよ」

 とたんに、訓練生たちが、しん、と静まり返る。ホクトは一度目を閉じると、重たくなった空気を払拭するように、真剣な、しかし明るい声で言った。

「誰にだって初めてはあるし、みんな最初は初心者だ。気にすることはないよ。むしろ、よく来た。その勇気を、おれは買おうと思う」

 そして、モンスターボールをひとつ手に取り、それをバトル場の中へと勢いよく投げた。出てきたのは、先ほど町であった時に彼と共にいたポケモン、キノガッサだ。

「バトルは、二対二の勝ち抜き戦だ。バトル中の交代は自由。場外に出ても負けにはならない。戦闘不能の判断は、挑戦者側のギブアップか、審判の判定で決める。そんなところかな。あとのルールは大丈夫かい?」
「は、はい!」
「よし、じゃあ、はじめよう」

 紅白二本の旗を持った審判役の男性が、バトル場外側のラインの、中心地点へと向かう。その間、ツバキは後ろに控える三匹のポケモンたちを見た。勝負は二対二。まず最初に誰を出すのかを決めなくてはならない。
 シロは戦うのが好きではない。しかし長く一緒に生活してることもあって、ツバキにとっては一番組みやすい相棒だ。クロは眠そうな上に興味もなさそうで、対照的にクゥは気が高ぶっているようで、やる気満々といった様子だ。

「シロ、お願い」

 とたんに、クゥが虚を突かれたような、驚いた顔をする。一方名前を呼ばれたシロは、きゅん、と返事をすると、バトル場の中へと駆けて行った。その背中をクゥは不満そうに見ていたが、ツバキはもうバトル場とシロのほうを見ていて、クゥの表情には気が付かない。

「では、これより、ウミベシティポケモンジムのジム戦を開始します。使用ポケモンは二体。どちらかのポケモンが二体とも戦闘不能になったらバトル終了です。それでは……」

 じっ、とツバキがキノガッサとホクトのほうを見て、ホクトも真剣な表情を返す。緊迫した空気が流れる中、審判の声だけがはっきりと響く。

「試合開始!」
「シロ! いっけえ!」

 ツバキの声に応え、シロが勢いよく駆け出す。まずこちらから速攻をかける。相手のポケモンがどんな戦い方をするのかはわからないが、勝つためには、とにかくこちらから攻撃していかなくては始まらない。

「“でんこうせっか”!」

 ツバキの指示で、シロがさらに加速する。その勢いのまま、キノガッサに向けて一直線に体当たりする。はずだった。

「さがれ、キノガッサ」

 シロの攻撃がキノガッサに届く、まさにその瞬間。ホクトの指示で、キノガッサはとんと一歩後ろへバックステップし、腕をクロスして防御の体制をとる。体当たりが決まると思っていたシロはとっさに対応できず、そのまま一歩下がったキノガッサにぶつかるが、半減した勢いではキノガッサはびくともせず、防御していた腕に逆にはじき返されてしまう。
 かわすのでも、反撃するのでもない、なめらかでしなやかな防御。予想していなかった相手の反応にツバキは一瞬戸惑い、しかしここで攻撃を止めてはいけないと、すぐに次の指示を飛ばす。

「シロ、もっかい“でんこうせっか”!」

 ツバキの指示でシロはかっと目を開き、着地した直後、再び勢いよく地面を蹴った。今回は至近距離からの攻撃。これなら決まる。そう思っていたツバキだったが、

「もう一度防御だ」

 またも同じ方法で防がれ、はじき返される。そして今度は、それだけにとどまらない。キノガッサが防御した腕にはじかれたシロがまだ空中にいる間に、次の指示が飛ぶ。

「キノガッサ、“スカイアッパー”!」

 直後キノガッサは左腕をぐっと縮め、大きな足で力強く地面を蹴る。そしてまだ滞空しているシロの懐へともぐりこみ、縮めた左腕を、上方へ勢いよく振り抜く。

「きゅうっ!」

 シロの悲鳴は一瞬で途切れ、高々と打ち上げられたシロの体は、為す術なくそのまま落下する。そして、そのままシロは目を回して動かなくなった。

「エーフィ、戦闘不能!」

 審判がそう言い放ち、ホクト側の手に持った旗を掲げた。

「シロ!」

 ツバキがシロのもとへと駆けより、その体を抱き上げる。幸い目を回しているがまだ意識はあるようで、けほけほっと小さく咳をした後、シロは残念そうな、申し訳なさそうな顔をする。

「いいんだよ、ごめんね、シロ」

 そう言って立ち上がったツバキの耳に、またもざわざわと訓練生の声が聞こえてきた。

(ねえ、エーフィって初めて見たけど、確かエスパーのポケモンよね?)
(そういや、エスパーの技、まったく使ってなかったな。使う間もなくやられちまったんだろうけど)
(いや、もしかしたら、エスパーの技が格闘のポケモンに有利だってことも知らないんじゃないか)

「あ、えっと……」

 それらの声に、ツバキはおろおろしながらも答えようとする。

「あ、あの、シロは、超能力の技が使えないんだよ。練習しても、うまくいかなくて。あ、でも! まだこれからもっと練習すれば使えるようになるかもしれないし。ね、シロ」

 おそらくツバキは、練習生たちから悪気のようなものは感じていなかった。単純に疑問に答えただけのつもりだったのだろう。だが。

「え、ウソ、エスパーポケモンのくせに、超能力が使えない?」
「そんなことってあるの? っていうか、そんなんでジム戦に来てたの?」

 そんな声が返ってきて、ツバキはまたもおろおろとし始めた。

「あ、えーと、シロが悪いわけじゃなくて、えっと、なんでなのかはわかんないけど、でも、えーと……」

 訓練生たちは、またもざわざわと騒ぎ始める。無理もないのだろう。おそらく、彼らに悪気はないのだ。ただ自分たちの常識とは異なるものをみて、困惑しているだけ。自分たちのジムがバカにされているのではという、憤りもあるのかもしれない。先ほどからひそひそ話している訓練生は、ユウトとそう年も変わらないくらいの少年少女たちだ。もし自分が彼らの立場なら、自分だって同じことを思ってしまうのかもしれない。だが、しかし。
 ツバキは悪くない。シロは全く悪くない。今度こそユウトは、抗議の声をあげそうになった。そのとき。

「騒ぐなら見学はナシだ、と言ったはずだよ」

 と、ホクトの厳しい声が聞こえ、ぴたり、と訓練生たちのおしゃべりが止まった。

「技が使えないからどうした? 見てくれ。おれも足の動かない武術家だが、文句があるなら聞こうか」

 その言葉に、しん、と空気が静まりかえる。だれも、それ以上口を開こうとはしなかった。少しの間、沈黙が続く。
 ふう、とホクトは小さくため息をつくと、ツバキに向かって頭を下げた。

「すなまい。うちの者たちが、失礼なことを言ったね。彼らにも悪気はないんだ。許してやってほしい」

 そんなことはわかっている、とユウトは思った。ユウトの中では、まだもやもやと憤りが渦を巻いている。しかしツバキは、

「ううん、いいよ。あたしたちがちゃんとバトルできないのにここに来ちゃったのは、ホントのことだし。ほら、シロも気にしてないって」

 そういって、屈託なく微笑む。シロも同様に、きゅんと一声鳴いた。それで、その場の空気が少し和らいだ。

「さあ、中断してしまったが、試合を続けよう。かまわないかな」
「はい! よろしくお願いします!」

 ツバキは元気よく返事をすると、シロを抱えたまま、一度ユウトのところに駆けてきた。

「ごめん、シロをお願い、ユウト」
「ああ。……大丈夫か、ツバキ」
「ん? 全然! まだ終わったわけじゃないもん。こっから逆転しちゃうから、見ててよね!」

 ユウトと彼の腕の中のシロに向けてツバキはそう言うと、自分のトレーナースポットへ駆け戻っていく。
 ユウトは、そんなツバキの表情が、さっきよりも少しだけ堅くなっているのを見逃さない。しかし、それを指摘することはしなかった。ツバキがあくまで明るく振舞おうとしているならそれに水を差すつもりはないし、ツバキの言う通り、まだ試合は終わっていない。

 ツバキは、クゥとクロの前にしゃがんだ。勝負は二対二。シロが敗れ、バトルに出られるのはもう一体。ツバキにとっては、やはりクゥよりもクロの方が共にいた時間が長いだけあって組みやすい。しかし、これはクゥのためのバトル。クゥ自身だって、戦いたくてうずうずしているはずだ。

「よしっ、次はクゥの番だよ! よろしく!」

 ツバキがそう言うと、クゥはようやくかといった様子で肩を回し、両手の拳を打ち合う。そしてすたすたとツバキの隣を横切ると、対戦相手であるキノガッサをまっすぐに見つめながら、バトルスペースへと入っていった。
 ホクトが審判に目で合図を送り、審判が小さく頷く。

「それでは、試合再開!」

 ツバキは、バトル場に立つクゥの後姿を見た。クゥのやる気は十分だ。待たせてしまった分、思いっきり活躍させてやろう。このときツバキは、何の悪気もなく、無邪気にそう思っていた。

「はじめ!」
「よおっし、クゥ、いっけえ!」

 ツバキが元気よく掛け声をかけると、クゥはまっすぐキノガッサへ向けて駆け出した。クゥとキノガッサには倍くらいの身長差がある。ただ突っ込んで拳を出してもあしらわれるだけだ。クゥはとっさにそう判断し、キノガッサの手前で身長差を補うようにジャンプすると、その勢いのまま拳を突き出す。
 キノガッサはシロの時と同様、軽快なバックステップで直撃を回避。しかしそうなることは予想済み、クゥはシロのように空振りで姿勢を崩すことはなく、キノガッサの正面にすとんと着地すると、今度はその足に向けて次の拳を繰り出した。バックステップの直後ではかわしきれないだろうと踏んでの攻撃だったが、それをまたキノガッサは、トントンと軽いフットワークでかわしてしまう。
 どうやらやはり相手の方が、動きも読みもクゥより上だ。しかしクゥはそこで攻撃を止めることなくさらに拳を繰り出し、やはりキノガッサはそれをかわす。パンチとフットワークの追いかけっこが続く。そこへ、

「クゥ、もっかいジャンプしてパンチだっ!」

 ツバキの指示が聞こえた。クゥの頭の触角のようなものがぴくりと動く。ここでもう一度ジャンプすることは、自分の動きのリズムに合わない。クゥは一瞬迷うが、しかし指示の通り行動に移る。
 クゥの足が地面を蹴って身長を稼ぎ、その勢いで拳を繰り出す。しかし。タイミングを合わせたように、キノガッサは腕をクロスさせた防御の姿勢でパンチを受け止め、足のバネをつかって勢いを殺す。そしてその反動を利用し、バネを伸ばしてクゥを弾き飛ばす。さらに、

「キノガッサ、“スカイアッパー”!」

 キノガッサの動きとぴったり息の合った、完璧なタイミングの指示。滞空しているクゥの懐へ、キノガッサの左拳が振り抜かれる。クゥの体は打ち上げられ、放物線を描いて落下した。
 さっきの、シロが敗れた流れと全く同じだ。アッパーの衝撃でぐらぐらする体をどうにか起こしながら、クゥは思った。自分はこの程度でやられはしない。しかし、このままでは。

 クゥは無理やり深呼吸をして呼吸を整えると、すぐにキノガッサへ向けて突進する。まだツバキの指示はなかったが、構わない。クゥは隙を与えまいと連続して拳を繰り出し、しかしキノガッサはそのすべてを軽やかなフットワークでかわしていく。このままでは先の繰り返しだ。しかも、ダメージが思ったよりも大きい。予想以上に体力は削られていて、思うように体のこなしがついてこない。しかしクゥは諦めることなく、拳を繰り出し続ける。

 クゥが苦戦している。ここで一石を投じて流れを変えなければ。そう思ったツバキが、再び叫ぶ。

「クゥ、しっかり! 今度こそ決めよう! ジャンプしてパンチ!」

 その声に、クゥは一瞬動きを止めた。また、同じ指示だと? クゥの中で苛立ちが募る。
 あいつは、本当に闘いのことをわかっているのだろうか。ちゃんと考えたうえで指示を出してきているのだろうか。

 正直なところ、はじめからためらいはあったのだ。これまで、ひとりで闘ってきた。人間と組んで戦うポケモンがいることは知っていたが、自分がそうなるなんて考えたこともなかった。
 先ほどの、敵方の人間の指示はよかった。キノガッサの動きのリズム。戦いの状況。それらを正しく認識したうえでの、完璧なタイミング。ああいうのであれば、なるほど、人間と共に闘う意味もあるかもと思いはした。
 しかし。自分の後ろに立つあの少女は、そういったことがわかっているとは思えない。仕方がないのかもしれない。あの少女は、敵方の人間よりもどう見ても幼い。
 昨日今日とで、あの少女に、他の人間とは違う何かを感じたのは確かだ。だが。
 結局、自分にとって大切なのは闘いだ。人間と組んで足を引っ張られるくらいなら、いっそ。
 ひとりで闘った方が、マシなんじゃないのか?

「え? あれ、クゥ?」

 クゥは、ツバキの指示には従わなかった。キノガッサのフットワークを追い、連続で拳を繰り出し続ける。
 どうしたのだろう。聞こえなかったわけではないはずだ。なら、なぜクゥは指示を無視して同じ攻撃を続けるのか。

(そうか、さっき同じ攻撃をしてシロと同じ反撃をされちゃったから、また同じ攻撃じゃだめだと思ってるんだ)

 ツバキは考える。なら、どんな攻撃をすればいい? どうすればこの流れを変えられる? クゥの拳は届いていない。なら、ここで自分が、何か作戦を与えてやらなくてはならないはずだ。
 そのとき、クゥの頭でゆれる、大きな角が目に留まった。そうだあの巨大な角を武器にすれば、攻撃を当てられるかもしれない。わかっている。クゥはだまし討ちは好まない。でも、堂々と角を武器として使うのなら、構わないんじゃないか。
 ツバキは早速、思いついた作戦を声に出す。

「クゥ、角だ! 角をたたきつけて攻撃!」

 ぴくん。

 クゥの動きが、止まった。少しの間、クゥはそのまま動かない。どうしたのかと疑問符を浮かべ、キノガッサも立ち止まる。
 クゥの拳が、少し震えているのが見えた。そして、クゥは頭だけを動かして、ツバキのほうを振り向く。
 その表情を見て、ツバキは、何か冷たいものが全身を突き抜けるのを感じた。

 目を見開いて。睨んでいるような。失望したような。そんな表情だった。

 それからクゥはふっと目を伏せると、再び前を向いて、まっすぐにキノガッサを睨みつけた。その姿はまるで、あの山道で、ひとりぼっちで戦っていた時と同じ。誰も信じていないようで、しかしどこか寂しさを感じさせる、そんな姿。
 その時になって、ツバキは理解する。自分が何か、決定的に、間違ってしまったことを。

 それきりクゥは振り返らない。さっきよりも一層激しく、キノガッサを追って拳を繰り出し続ける。ただ、まっすぐに。届かない拳を繰り出し続ける。

「クゥ……? 待ってよ、クゥ!」

 ツバキは叫ぶ。わかっていなかった。クゥの抱えているもの。その誇り。ツバキはそれを傷つけた。もう遅い。やってしまったことは元には戻らない。それでも、ツバキはクゥに向けて声を上げる。
 しかしクゥは、その声が聞こえていないかのように、否、聞こえているのをあえて振り払うかのように、ただまっすぐに前だけを見続ける。

 声を上げるツバキと、聞き入れずに敵だけを見ているクゥ。その姿に、ホクトの目が細められた。そして彼は一度目を閉じると、自分の相棒へ向けて、指示を出す。

「キノガッサ、後ろへ跳んで距離をとれ!」

 その声に応え、キノガッサはとーんと地面を蹴り、大きく後ろへ跳ぶ。そして次の攻撃に備え、ぐっと腕を縮め腰を下とす。自分の意図を正確に受け取っている相棒へ、ホクトは、告げる。

「“ばくれつパンチ”!」

 どっ。キノガッサが、勢いよく地面を蹴った。縮めた左拳に、力が集まっていく。
 クゥは、みていた。その自信に満ちた動きを。拳に込められてゆく力を。あれは、自分にはない力。そして、自分が欲している力。このタイミングでは、かわすのは無理だ。ならばせめて、それを正面から受け止めるため、クゥは腕を下げてガードを解き、歯を食いしばる。

「クゥっ!!」

 ツバキが叫ぶが、そのあとは告げられず。ぎりぎりまで距離を詰めたキノガッサの左拳が、炸裂する!

 それはまさに、爆発だった。拳が敵の体に触れる、そのインパクトの瞬間に、拳に集中したエネルギーが解放される。その強烈な一撃は爆音と爆風を伴って、クゥの体を吹き飛ばした。
 体が空中に投げ出され、地面に落ち、ごろごろと転がる。そしてツバキの眼の前まで来てようやく止まると、そのままクゥは動かなくなった。

「クゥっ! 大丈夫!? しっかりして!」
「クチート、戦闘不能! よってこの試合、ジムリーダーホクトの勝ちとします!」

 審判の判定が告げられる。ツバキはそれを聞き終わる前にクゥに駆け寄り、その体を抱き起そうとした。
しかし。自分に向けてのばされたその手を、クゥはぱしんと払った。

「え、ク、クゥ?」

 それからクゥは、朦朧とする意識のまま、どうにか自力で立ち上がる。そして呼吸を整えながら、クゥは自分に勝利した相手の姿を、刻み込むようにまっすぐみつめた。その相手も、そしてその相棒たる人間も、自分のことをみつめている。
 クゥは、ぐっと歯を食いしばる。恥ずかしかった。情けなかった。なぜ、自分はこんなにも弱い?

 どうにか正常な呼吸を戻したクゥは、もう一度自分を倒した敵を目に焼き付けると、くるりと、その相手に背中を向ける。そして何かを振り払うように、出口のほうへと駆けだした。

「え……、クゥ!? ちょっと、待ってよ!」

 ツバキはすぐに追いかけようとする。しかしユウトがその手をつかんで、ツバキを止める。

「おい、待てよ、お前までどこに」

 止まっている場合ではない。だって、だって、クゥが。
 ツバキは、たまらなくなって叫んだ。

「はなして! クゥが、“相手に背中を向けた”んだよ! あたしのせいだ、あたしの……っ! だから、追いかけなくちゃ!」

 そう。まだ出会って間もないが、わかる。それは、クゥが、何よりも嫌っていることのはずだ。
 ツバキはユウトの手を振り払い、クゥの後を追って駆け出した。
 残されたユウトは、シロを片腕で抱いたまま、呆然とその後ろ姿を見送った。



◆4


「ああ、やっとみつけた」

 ユウトは海岸にツバキの姿を見つけると、防波堤の階段を駆け降りた。
 ツバキは砂浜に座り込んで、しかし海を見ているわけでもなく、じっと俯いていた。その膝の上には、クゥが横たわっている。
 もう日が暮れかけていて、夕焼け空を映して海は真っ赤に染まっている。この風景だけでここがリゾート地であることが納得できる幻想的な景色だが、今のツバキの目に、そんなものは少しも映っていない。

「探したぞ。ホクトさんに挨拶もしないで飛び出していくなんて。……まあ、仕方なかったとは思うけどさ」

 ツバキは、何も言わない。
 ユウトはツバキの後ろから、クゥの様子を覗き込む。ダメージが大きかったせいだろう。今は目を閉じて、眠りに落ちているようだった。しかしその表情は、あまり安らかとは言い難い。

「クゥは、しばらく休ませといたほうがいいと思う。シロもダメージ負ってるし、今日はポケモンセンターに戻って休もう」

 ツバキは答えない。ツバキが落ち込んだ時、無口になるのはいつものことだ。普段があれだけやかましくて、しかもめったに落ち込むことなんてない分、いざ落ち込むとぐっと口数が少なくなる。
 しかし。

「……っ。ユウ、ト」

 ツバキが、ポツンと言葉を紡ぐ。必死に声を押し出しているような、ぐずった声。

「クゥは、さ、戦いたかったんだよ。正々堂々と。まっすぐ戦って、強く、なりたかったんだよ」

 その静かになった口から再び言葉が紡がれた時、今度は、止まらなくなる。それも、いつものことで。

「なのに、あたしはっ! あたしは、わかって、あげられなかったっ、クゥの、足、引っ張るだけでっ」

 止まらない言葉は、大粒の涙と一緒に零れ落ちてくる。ぽろぽろとこぼれて、言葉も涙も止まらない。

「あたしっ、わかって、ないっ。なん、にもっ、バトルなんて、やったこと、ないくせに……っ」

 ぼたぼたと、零れ落ちた大粒の涙が、ツバキの膝を濡らす。その涙は、クゥの体にも、降っている。

「調子に、乗ってっ、ううっ、ばっ、ばかでっ、なんにも、わかって、ないっ! バトルのことも、クゥの、ことも、なんにもっ!」

 ツバキは、まっすぐだから。悲しいときは、その悲しみも、まっすぐ受け止めてしまうから。

「うぐっ、ふぅっ、うううっ! あたし、あた、じっ、クゥのこと、うぐっ、うう~っ!」

 そのまっすぐな悲しみが、そのまま涙になって、流れていくから。

「うっ、うううっ、ふぐっ、う、うううう~っ!」

 だから、ユウトは、止めない。ユウトは、無理にツバキを泣き止ませようとは、しない。ただ。

「ぐっ、ううっ、うううっ! うあ、うあああ~~っ!!」

 ただ、そばにいる。全部流れてしまうまで。ツバキが、安心して泣けるように。
 ただ、隣にいる。



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