第8話 “追放された守護者” (1)

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 『セクション51』。
 プロメテウスの地下深くには極秘の研究施設が隠されていて、人目に晒せないような酷い生体実験を繰り返していると、世間の間でよく都市伝説のように語られていた。まともな常識人はそれを笑い飛ばし、「ポケモンGメンの調査機関にそんなものあるか」と言って信じることはなかった。
 もちろん、噂の真偽をプロメテウスの局員に問い合わせれば、それは嘘だと断言する。

 だが、火のないところに煙は立たない。一般人に見える煙は、まるで極秘研究施設に見えたのだろうが、実際の火元は別であった。
 世界唯一のポケモン刑務所という形で、火は確かに燃え上がっていた。

「止まるな」

 どの壁も強固な合金に覆われた薄暗く冷たい通路を、そのリザードンは手錠やら首輪やらの拘束具に自由を奪われながら、ジャラジャラと鎖が擦れる音を立てて歩く。時折後ろから冷淡な感情なき声がせっついて、肩越しに睨みを飛ばしてみても、まるで相手にもされない。

「歩け」

 機械的に繰り返す声の主は、その輪郭がぼんやりと青白く輝いているボスゴドラだった。ボスゴドラだけでない、その輝きの特徴を有する者は『セクション51』のそこら中に点在している。
 彼ら、ミラージュ・ポケモンは、この監獄で唯一囚人に接近できる看守なのだ。

 ミラージュ・ポケモンはタイプも、特性も、技でさえもプログラムで自由に書き換える事ができる。故にその殆どはポケモンに対して無敵の強さを誇っており、だからこそ危険なポケモンが集うこの場所の看守役に任命されていた。
 リザードンもここに収監されてもう長い。何度かミラージュ・ポケモンに食ってかかったこともあるが、結果は全て惨敗であった。おまけに反抗的な態度であると烙印を押され、何度半殺しの目に遭ったか分からない。

 今日も逆らってやろうか。
 いや、今日だからこそ歯向かってやろう。

 足を止め、くるりと振り返ったリザードンに、ミラージュ・ボスゴドラはプログラムに従い、拳を振り上げた。

「ある、け」

 け、と言った途端に、ミラージュ・ボスゴドラはその名の通り、幻影のように揺れて姿が消えた。
 リザードンはニヤリと笑んだ。ついに始まった、と。

 同時に、そこかしこからけたたましい警報のサイレンが鳴り出して、通路や監獄を照らす明りは赤い刺激色に変わった。
 一方でセクション51の中で唯一人間が出入りできる監視モニターの部屋は、先ほどまでの平穏から一転して大声が飛び交う騒然とした状況に陥った。監視官たちは皆、大慌てで事態把握にかかり始める。

「セクション51のミラージュ・システムに異常、投影装置が再起動しています!」
「そんな馬鹿な、起動までの所要時間は!?」
「5分です!」

 それを聞いて、監視官たちを束ねる責任者らしい黒い制服の男は戦慄した。監視室と囚人たちのエリアは厳重に隔離されている、とは言っても相手は外のポケモン自然保護区で更生することを諦められたポケモン達である。
 そんな連中が5分間も野放しになる、この上なく恐ろしい事だった。

「全ての檻をレベル10のバリアーで封鎖だ! 自由エリアは多重再生式バリアーを張り、それから全通路には隔壁を下ろせ!」

 世界最高レベルの厳戒態勢を強いることを、彼は次々と命令していく。しかし彼を含めて、監視官達の表情に安堵の色が浮かぶ気配はまったくなかった。

 彼らの懸念は的中していた。
 たとえば、ちょうど都合よく通路に出ていたこのリザードンにとって、超合金の隔壁など意味を成さない。その口から吐き出される《火炎放射》、いやむしろレーザーのようなそれは、並のリザードンを遥かに凌ぐ超高温で隔壁をゼリーのように溶かした。
 それからもう1匹、ドロドロと崩れた隔壁の向こう側に悠然と浮かぶトゲキッスは、《天の恵み》を特性として持っている。通常それは幸運をもたらすものであるが、このトゲキッス、彼女の《天の恵み》はまったく別格、異常な幸運をもたらすのだ。運良く彼女の周りの隔壁を動かす装置が故障していたのも、そのお陰である。

 この異常事態は、立ちどころに監視室のモニターを通じて監視官達の知るところとなった。

「通路に2匹逃げられました、登録番号11301と09438、リザードンとトゲキッスです」
「捕捉しろ! 転送で檻に連れ戻してやる」

 監視責任者の男が命じると、監視官の1人が2匹を映すモニターに触れた。ロックした事を示すカーソルの照準が2匹に定まり、画面端のアイコンを押す。それは本来ならば囚人を檻に戻すための《テレポート》を遠隔操作で発動するための機能であった。
 画面上の2匹が光に包まれ、そこから姿を消して、初めて監視官に安堵の色が見えた。あくまでそれは一瞬だけの話であるが。

「そんな……」

 絶望の声を漏らす監視官のお陰で、責任者の男も異変に気付いた。
 リザードンとトゲキッスの檻を映すモニターに、2匹は映っていなかった。

「どうした、転送したんじゃないのか!?」
「別のプログラムが組み込まれています、転送先が書き換えられた……リザードンとトゲキッスがセクション51から脱走! 転送先は不明です!」

 その瞬間、彼らが想定していた最悪の事態が、現実になった。

「緊急警報、全区画で非常事態勢を! すぐケインズ長官に知らせるんだ!」

 大慌てで事に対処する彼らは、目前のヒントを見逃した。しかし、それは平常時であっても認識するには困難なほど小さいものであろう。
 多くの囚人の中でも最も危険な部類に入る監獄のモニター、そのひとつに映るニンフィアに常に注意を傾けていれば、簡素な寝床に丸まって眠っている彼女の口角が僅かに吊り上がったことに、気付けたかもしれない。




 プロメテウス中央棟、6階。
 あらゆる空間や状況をシミュレートできるホログラム訓練施設があるこの階、規則的に並ぶ丸窓から外の景色を望める通路の真ん中に、頑固なツタージャはそっぽを向いて座っていた。まるでテコでも動いてやらないと言った風である。
 もちろんここにも警報は届いていたし、脱走の報告は放送を通じて知っていたが、ミオとツタージャはそれどころではなかった。

「もー、動いてよー! 早くレノードのところに行かないと、きっと何かあったんだよ!」
「タジャ」

 超能力で浮かせちゃうよ、と脅しをかけてもツタージャは動かない。
 元々ミオとツタージャは訓練の目的で来ていたが、直前になってツタージャが駄々をこねた。正確には、計画的に訓練を邪魔してダメにしてやろうというツタージャの考えあっての行動だった。それに、強引に引っ張っていけるものか、という確信もあった。そんな事をしたらポケモンに嫌われる、とミオが考えているのを知っていたからだ。

 さて、そろそろミオも諦めて僕を置いて行ってくれるかな。ツタージャが心の中でほくそ笑んで、チラリとミオに視線をやった。

「な、何……?」

 彼女は屈するでもなく、諦めるでもなく、ツタージャの向こうに立つ者に対して恐怖の余りにたじろいでいた。
 背中から骨まで焦げそうな熱気。そして「グルルル」と何か獣の唸り声のようなものが耳に届く。
 ツタージャはおそるおそる振り返って、そして……。

 そのあとの事は、ミオもツタージャもよく覚えていない。
 ミオが固まったツタージャの前に飛び出して、超能力を使って、何か必死に抵抗していた……ような気がする。
 そしてミオと一緒に身体が浮いて、視界が炎に包まれた次の瞬間、世界は真っ暗になった。

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