第二節 仮縫いスパイダーネット
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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください
ここは人生のどん詰まりも袋小路、地獄三丁目が道の奥、鴉天狗も真っ青の大捕物の真っ最中。
追う側は姉さん達で、追われる側はアタシ。主に財力的に不平等すぎる、子供なら一度は考えたであろう都市型おにごっこだった。
「ったく、それでうちのバーガー屋にくるのはバカなんじゃねえのか?フキちゃんが行きそうなところなんてそんな無いだろうに」
「るせぇ。ライダースーツでそこら歩き回る方が目立つってんだ。分かったらエプロンの一つでも貸しやがれ」
アタシが勤めて小声でそう告げるのはいつものハンバーガー屋、その店側カウンター下からだ。身を乗り出そうものならどこにいるか分からない姉さんの手のものに見つかりかねない。
そんな不幸な人間を憐れんだ目で見てくる店主に、普段は文句の二つや三つ垂れるところだが、生憎大声だって出せやしない。
「残念だがうちのエプロンはジャンクなメシ食ってるメタボ専用エプロンだ。あと30年は脂肪蓄えてから出直しな」
「何いい笑顔で言ってんだテメエは痩せろ……!」
パティを焼く際に跳ねる油で少しヌルついた床から、完全にアタシの苦しむ姿で楽しんでるオッサンに恨みがましく視線を向ける。
しかし毛ほども気にしていない様子で、オッサンは大口を開けてガハハと笑う。
「そう言えばだがよ、いつものエイパムはどこ行ったんだ?ただでさえ客がいねえのに、アンタの極道顔しか見えねえってんなら、こりゃいよいよ客が居付かなくて破産だな」
「ああ、そいつは問題ねえな。今まさに客引きというか、商談を遂行中なんだよ、あいつは」
そう言ったのも束の間のこと。アタシの耳は、あの悪戯好きな小憎たらしいエイパムの声をしっかりと拾い上げる。
この荒みきった心では、あのエイパムでも多少の慰めにはなるから戯れてやろうと思い、雑多にソースの入ったディスペンサーの置かれているカウンターの上へ、なんの疑問も持たずに体を持ち上げる。
そうして見えたのは、エイパムの後ろに並んだ白と黒の格調高い仕事服。エイパムのやつはアタシの姿が見えた途端、分かったような顔で悪戯な笑みを浮かべた。
「えぱっ!」
「謀ったなテメエこのデブ店主!」
「おいおい、フキちゃんの居場所を教えたら、フキちゃん捜索隊の飯選びに贔屓してくれるって言うんだぜ? そりゃあ誰を大事にするか決まってるだろ?」
「お前なんか常連客全員離れて破産すればいいんだよこのど畜生がっ!」
「それにお前、ウユリさんつったら、随分な別嬪さんじゃんえか。俺ぁどこぞの暴力女よりは優しい人の方に力を貸すね」
やはり信じられるのは自分のみ、そう再認識しながらカウンターを乗り越えるように大きく跳躍。「毎度あり」と言葉をかけてくる店主と、楽しげに尻尾を降ってくるエイパムがますます小憎たらしい。。
「あっ待ってくださいフキさん!お嬢様のため、大人しく捕まってくださいっ!」
「待てと言われて待ったらアタシの人生姉さんなしじゃ生きられなくなるんだよこん畜生!」
魂からの叫びが虚しく天井の剥き出しパイプに吸われる午後3時。再びの鬼ごっこが始まった。
「随分追い詰められてるフキちゃんが見れたと思ったら、やっぱりウユリさんだったのか。納得納得」
「会う人みんながみんな他人事だと思いやがってよこのちびっ子委員長め……」
「へー、そんなこと言うんだ。休日なのに書類が終わらず家に持ち帰って、しかも電話の向こうからの攻撃で書類をわざわざ整え直すことになったこのボクに!」
両手を握りしめてふんす、と頬を膨らませる姿はとても成人済みとは思えないが、そんなことを言って怒りを買うほど馬鹿じゃない。
「悪かった、悪かったって! 今度アイス奢るから!」
「それに追加して、前の事件の事情聴取にも私の代わりに出てもらうからね。大体あと3時間後くらいの」
「そっちの方が助かるわ。姉さんも流石に踏み入っては来ねえだろうし」
最終的に逃げ込んだ先は、今日は休日なリリーの部屋。
相変わらずの半ば形骸化した顔パスセキュリティを突破し、迷わずの最上階突貫だった。
デカデカと置かれた天蓋付きのベットが置かれても、なおスペースの余ってる無駄に広い最上階の部屋は、流石のウユリ姉さんといえども簡単には入って来れないはずだ。
家主の許可を得る前にシャワーを浴びて、ようやく追われていた気疲れが出てきたのか、ドッと高級ベッドに倒れ込む。
「まったく昔からウユリさんに弱いのは変わってないなぁ。あ、アイスは一番高いカップのやつ三つで許す。それと、私と一緒にこの前の事件の事情聴取にも顔出してもらうからね」
「了解、その程度なら安いもんだ。姉さんだけは力でも勝てねえし、本人にこれっぽっちも悪気もねえからさ、どうにも相手がしづらいんだよ」
「暴力じゃ全部が解決できるってわけじゃないんだよ、フ・キ・ちゃん?」
頭に一本青筋が立ちそうになるが、今着てる和服だっていつもコイツの家に置いて勝手にクリーニングに出してもらってるものだ。そう思うとぐうの音も出せない。
ベッドに倒れ込んだアタシを撫でりこ撫でりこと上から目線で髪を梳くリリーも、姉さんと会ってきた今では可愛らしいものに思える。
「まあウユリさんは大分、愛情表現がダイナミックになってきてるよねぇ。最近どんどんボクたち二人への距離感は近くなってるし」
「アタシは力有り余ってるから受け止められると踏んで飛び込んでくるし、お前は大きめの人形かって感じに抱き上げられてるもんな」
「ホント、悪気はないんだけどねあの人……」
二人でウユリ姉さんの甘やかし度合いが加速していることを再確認していると、不意にピンポーン、とリリーの家のインターホンが鳴った。
リリーが住んでいるマンションは成り上がってもお嬢様というか、それなりに高級なマンション。部屋前の他に、来客なら普通部屋前のインターフォンの他に、フロントでまず顔を通さないといけない。
ただのマンションの同居人だろう。そのはずなのに、なんだか嫌な予感が芽を出してくる。
「……なあ、通販なんか頼んでたか?」
「いや……受け取りも下のホテルマンに頼んでいるから、家の前のインターフォンがなることはないね」
二人で顔を見合わせると、リリーが来訪者の応対に向かい、そして驚いたような顔でこっちを見てきた。
それだけで何を言いたいか即座に理解。書類の積まれた机と、無駄にデカい天蓋付きのベッド以外は最低限のものしか置かれていない殺風景な部屋を見回し、すぐさまベッドの布団を被って息を潜める。
それとほぼ同時、扉が開いて一番聞きたくない声が聞こえてきた。
「リリーちゃん! 相変わらずキュートで可愛らしいわ。一緒にいるだけで新しい服のアイデアが湧いてきそうね」
「そ、れはどうも……あの、そろそろ下ろしてくれると助かるんですが……」
「あら御免なさい、ついね。最近じゃあ私に気安い人も減ってしまったし、昔からの知り合いに会うと嬉しくなっちゃって」
その直後トン、と床に何かが置かれた音。多分リリーが床に下ろされた音だろうか。
息を殺して布団の中にて息を潜め、できる限り気取られないように気配を薄める。
「それにしてもウユリさん、どうしていきなりボクの家に来たんですか?それもロビーのじゃなくて、扉の前のインターフォンに」
「ふふ、ここのマンションの一室、私の家で買い取ってあるの。もし何かあった時に、リーグに近い家が必要だってお父さまがね。私の部屋、リリーちゃんの一個下の階なのよ」
「えっそうなんですか?今まで暮らしてるのに全然知らなかったですよ」
これからは姉さんから逃げるときにはもうリリーの家は使えないな、と安息の地が一つ潰れたことに危機感を覚える。が、今はそんなことよりも、だ。
「それで一つリリーちゃんに聞きたいことがあるのだけれど、フキちゃん、いまどこに居るか知らないかしら?」
「フキちゃんですか……?ウユリさんの家に行くように伝えたっきりですが」
息を吸うようにシラを切るリリーに感謝の念を送りながら、どうにか息を深く吐く。これで姉さんも行ってくれるだろう。
しかしそんなアタシの考えとは反対に、ベッドがギィと深く軋む。リリーだったらこうも深く沈まないため、多分腰掛けたのは姉さんのはずだ。
「そう、フキちゃんは今ここには居ないのね。それでも一応聞いておくわ。このベッドの膨らみってなんなのかしら?」
その言葉に思わず背筋がビクリ、と震えそうになるのをどうにか気力で抑え込む。ここで動けば姉さんの思う壺だ。
額から脂汗が滴り落ちる中、最悪のことを想定しながらも、努めて冷静に息を殺す。
「そこに居るのはミミちゃんですよ。仕事を手伝って貰っていたので、疲れて眠っちゃったんですよ」
「そうなの? リリーちゃんのポケモンはみんな素直で可愛いし頑張り屋さんね」
やはり姉さんは素直なので、布団の中にはミミロップが居るというリリーの言うことを信じてくれたようだ。あとは帰ってくれるまでバレないように潜んでいれば大丈夫。
しかし一向にベットから動こうとする気配はなく、なぜかベッドに座ったまま。
「でもリリーちゃん、休日にお仕事なんて大変でしょ。少しくらい休まないと疲れて倒れちゃうわ」
「う……でも終わらないものは終わらないんですよ。お爺ちゃんみたいにたくさんの書類を捌き切れないですし」
「でもずっとやりっぱなしじゃ疲れちゃうわよ? それにお客さまが来たなら、家主は歓待しなくてはいけなくてよ?」
「わかりましたよ、休みますよぅ」
姉さんは基本優しい人だが、今回みたいに休ませたりだとか、他人を慮ったときは結構強情なのだ。
主に書類仕事に掛かりきりなリリーに対してその優しさが発揮されることは多いが、今回に置いてはまずい。非常にまずい。
時間をかければいつバレてもおかしくない。少し身を丸めてしまう。不幸中の幸いか、姉さんに気取られた様子はない。
だがこうなってしまうと、アタシがどこまでバレないように我慢できるかの勝負となる。
「ウユリさんの家ほどの茶葉はないんですけど大丈夫ですか? 本当に粗茶になっちゃいますけど」
「リリーちゃんが飲みたいもので構わないわよ? あ、でもエナジードリンクはダメよ? お肌に悪いわ」
「流石の私も修羅場じゃなければカフェイン漬けなんてしませんよ。あれするとしばらく寝れないんですから」
そう言うと、トットッ、と軽い足取りで足音が一人分離れていく。
そうしてこの場に残されたのはアタシと姉さんの二人きり。誰も喋っていない分、自分の心臓の音が嫌にドクドクと大きく聞こえた。
しかも、姉さんの方は布団越しとは言えなんだかソワソワとした空気感を感じる。多分、いや絶対に布団の中にいるミミロップをお目に掛かりたいのだろう。
彼女は無類の可愛い物好きで、少しそのラインが分からねえことが多々あるが、ミミロップは確実にその範疇に入っているだろう。
「ミミロップちゃん、寝顔はどんな表情なのかしら。呑気な表情かしら、それとも幸せそうな表情かしら」
――まずい、まずい、極めてまずい。
この通り、すぐさま布団の塊へ興味を向けてきた。布団が捲られればバレるのは勿論のこと、触れられるだけでも中にいるのがポケモンじゃないとすぐに気付かれるはずだ。
自分の吐く息さえ気になり、強く唇を噛んで少しでも漏れ出る息を少なくしようとする。
「でも、起こしちゃったら悪いよねぇ。でも、あの元気なミミロップちゃんが静かな姿って一度見てみたいものよねぇ」
その言葉とともに、姉さんの服の衣擦れの音、そして肌とシーツが擦れる音が聞こえてくる。
次いで布団が少し引っ張られ、自分の体に押し当てられる感覚。おそらく姉さんが布団を掴んだのだろう。
そうすれば次に起こされる行動はただ一つだ。
徐々に布団が持ち上げられ、ベットとの隙間から外の光が差し込んでくる。
「ふふふ、さてとそれではお顔をご拝見しましょうかしら」
自身の運命を告げる最後通告が、ついぞ布地越しに聞こえてきた。
覚悟を決め、最後の僅かな可能性に賭けて逃げ出す準備をする。勝負は姉さんが驚いたその一瞬だ。
「ウユリさーん、お茶入りましたけど、お菓子は何がいいですかー?」
「あら、わたしも見ていいかしら? こういうお家のお菓子ってどういう物か気になっていたのよね」
「いいですけど……ウユリさんの普段食べてるものの方が美味しいんじゃないですか?」
「美味しいと食べたいは別物なの」
その言葉に、体からどっと力が抜ける。
ベッドの軋みが元に戻り、姉さんの足音も遠ざかっていく。リリーは全く知らないだろうが、びっくりする程のファインプレーだった。
今自分が横たわっているのがベッドなのが何よりありがたい。
なんとか、危機は脱せられたようだ。
それからというもの、二人はお茶会に勤しみアタシが隠れているところにはついぞ近づいてこない。
流石の姉さんも長らくリリーの部屋にいる訳にはいかないので、あくまで体感だが1時間程度でお開きとなった。
二人とも他愛ない話やリーグの話、他にはアタシの小さい頃の小っ恥ずかしい話までしていやがる。アタシが手を出せないからって、リリーは言いたい放題だ。
「それじゃあわたし、そろそろお暇させて頂くわね。お茶までご馳走になちゃったし、今度はこっちから招待するわ」
「それは楽しみにしておきますね。リリーさんのお屋敷のお菓子、とっても美味しいですから」
「ええ、腕によりをかけて貰ってたくさん用意しておくわ。リリーちゃんとフキちゃん、二人分ね」
「え……?」
最後の“二人分”という言葉に反応する間も無く、直後に体が無理やり上に引っ張り上げられる感覚。
布団越しに縛り上げられる感覚に目を白黒させながら周囲を見回すと、天蓋付きベッドの柱に張り巡らされた糸で、見事に簀巻きの宙吊りにされていた。
糸の出所を手繰っていくと最終的に糸は全て一箇所、ウユリ姉さんの背後へと向かっていく。
そこに居たのは姉さんの1番の腹心、ハハコモリだった。
ハハコモリは主人同様優しそうな笑みを浮かべながら優雅に一礼すると、一歩下がって姉さんに場所を譲る。
「ふふふ、フキちゃん捕まえちゃった。追いかけっこはフキちゃんの方が上手だけど、かくれんぼはわたしの方が得意なのよ?」
「……姉さん、いつ気付いたんだ?」
「ふふっ、ベッドにいるお寝坊さんが教えてくれたのよ」
言われて首だけを動かし下を見ると、そこには目を瞑りすやすやと眠るユキハミの姿があった。
「はみ……はみ……」と寝息を立てながら気持ちよさそうなその姿は、100点満点な熟睡である。
「あの子、お尻のとげとげがお布団から出てたの、だからすぐにフキちゃんが居るってわかったわ。あとはこっそりベッドの周りに糸を張っておくだけよ」
「おいリリー! 見えてたなら言ってくれよ!」
「ふふ、リリーちゃんの身長じゃお布団の影になって見えなかったのでしょうね」
そう言って姉さんはわたしに近づいてくると、そっとアタシの頬に手を添える。
せめてもの可能性に賭けてリリーの方を見てみるが、彼女も姉さんの第二の簀巻きにされたくないため首を振った。
「でもね、アタシはフキちゃんに楽しく服を来て欲しいんだ。だから、フキちゃんにも納得してもらえるよう、一つ話し合いの場所が必要だと思ったのよ」
「話し合いの場所?」
「ええ。ポケモンバトルで、わたしが勝ったらお家で採寸から完成まで一緒に過ごしてもらうかしら」
そう告げるウユリ姉さんの瞳はいつものように優しい垂れ目だが、その奥に獰猛な捕食者の光を湛えている。
だが、どっちみちアタシに選択肢はない。こくりと首を縦に振るしかできなかった。