第92話 偽りの平和

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 王とヒトカゲがいなくなったラゼングロードの広場。日は暮れかけ、地面には長い影がいくつも伸びている。その陰はどれも動く気配を見せず、折り重なって大きな黒を形成しているだけだ。
 そんな中、元気な声で場の空気をガラッと変えた者がいた。呼び出されるまでずっと昼寝をしていた、サイクスだ。クリムガンに向かってフランクに話しかける。

「よぉ~初めましてだなクリムガン! 噂には聞いてたけど、けっこう強面なんだな」

 いきなり失礼な奴だ。クリムガンのその率直な感想が口から出そうになったが、一応挨拶してきているため、ここはぐっと堪えて彼の方を見ていた。

「サイクス、どいてろ。俺が話してやる」

 ここで前に出てきたのはカメックスだ。サイクスを手で払うと、ずいっとクリムガンの眼前に現れる。彼の方が年齢的には上なのだが、2人が並ぶと同年代に見えるようだ。もちろん、老けている方に。

(うわっ、完全に『同士』じゃねぇかこれ!)

 彼らを見たルカリオが、やはりそっち方面の想像をしてしまう。それを見透かしたかのように、ラティアスは彼の隣までわざわざ移動して声をかけてきた。

「ルカリオさん、クリムガンさんもカメックスさんと同類だと思ってるんですか?」
「ばっ、おまっ……!」

 だが時すでに遅し。気づいた時にはカメックスとクリムガンがルカリオを睨んでいた。カメックスに至っては「後5分やるから辞世の句でも書いてろ」と言ってくるほどの怒りっぷりだ。
 こんなこともあってか、クリムガンが言葉を発するにはさほど時間を要さなかった。とはいえ、べらべらと身の上話をするわけではなく、相槌程度の返しである。
 ずっとそれで話が進むわけもなく、彼は本音をいつ切り出そうかと迷っていた。全てを話すから、協力してほしい。ただそれだけが言えずにもやもやしている。

「それで、わけがわからないままこうなっちまったわけだが」

 こう切り出したのはバンギラスだ。今のクリムガンにとっては救いの一言だろう。彼のおかげで、流れは完全にクリムガンのものになったのだ。

「まずはよ、俺らに話してくれねぇか? お前が盗みをした理由をよ」

 今まで沈黙を貫き通していたが、とうとうそれを破る時が来た。クリムガンはゆっくりと頷くと、その決心した表情をみんなに見せ、もう1度強く頷いた。

「わかった。ついてきてくれ」


 一方で、ヒトカゲはゼクロムに連れられ、とある場所にある大きな岩穴の前に辿り着いた。「入れ」と言われて中を進んでいくと,外見よりも広く感じる部屋があった。
 中を覗くと、図書室を思わせるほどの大量の本がきれいに整頓されて置かれていた。そして木製の大きめの机が1つ、入口近くに構えている。

「ここ、図書室か何か?」
「俺の部屋だ」

 驚いたことに、この図書室を思わせる部屋はゼクロムの部屋であった。見た目だけで判断すれば本を読むようなポケモンではないと誰もが思うはずだ。もちろんヒトカゲもその1人。

「王たる者、博学才穎(さいえい)を目指すのは合理的であろう。幸い、俺は勉学が好きなのでな」
「へぇ~。何の本読むの?」
「地理や歴史、物理や倫理など、特に決まった分野はない。興味を持てば何でも読む」

 意外だなぁと思いつつ、ヒトカゲは部屋に入って辺りを見回す。確かに、様々なジャンルの本が棚に立ててある。どれも彼にとって読むのには少々難易度が高いものだ。

「ところで、どうして僕をゼクロムの部屋に?」
「もちろん、目の前で逃げないよう見張るためという理由だ。だがそれだけではない」

 そう言うと、ゼクロムはヒトカゲの目線まで首を下げた。互いに目が合った状態で、彼は緊張気味だ。先に沈黙を破ったのはゼクロムだ。

「俺とお前だけで、話がしたくてな」

 本来なら、何か秘密裏にするような重大な話なのだと予想するだろう。しかし何を思ったか、ヒトカゲは全然違うものを想像していた。そして青ざめた顔で怒鳴った。

「僕に恋心でもあるの!? ……へ、変態!」
「なっ……なに馬鹿なことを! この俺がそんなことあるわけないだろうが!」

 囚われの身にしては楽しそうである。


 テューダーから少し離れた、名前もない小さな村。クリムガンに連れられたみんなが見たのは、木造でできたボロ屋と、その周りを広めに囲む垣根だった。
 そのボロ屋から出てきたのは、カメックスとは少し違ったカメのようなポケモン・アバゴーラ、彼におんぶされながら日傘をさしている小さい蛇に似たポケモン・ツタージャ、そして沢山の子供のポケモン達だ。

「ねぇ、そういえばミルク切れたんだけど、あとで買いに行ってくれない?」
「えー、ゴーラさん子供達の面倒見たいんですが……」
「買・い・に・行・っ・て・?」
「ひいぃっ!」

 体の大きさとは裏腹に、権力的にはツタージャの方が上なようだ。アバゴーラは汗だくだくになりながら急いでミルクを買いに街の方まで走り出した。のろいが。

「ここって……」
「そうだ。孤児院だ」

 ベイリーフがしかけた質問にクリムガンは素早く反応した。彼曰く、10匹程の子供のポケモン達が暮らしているらしい。ちなみにアバゴーラとツタージャはただの同居人で夫婦ではないとか。

「それで、この孤児院がどうしたんだ?」

 珍しくジュプトルから質問が飛んだ。何か思うところでもあったのだろうか、そうメンバーは考えようとしたが、考える間もなくクリムガンの口が開いた。

「あの子達の大半は、なくなく親に捨てられたんだ」
『えっ……?』

 一同、息をのんだ。彼らが知っている孤児院にいる子供達は、親が事故死などによっていない子の集まりがほとんどであったため、“捨てられた”ということがショックでたまらない。
 なくなく、と付け加えていることを考えると、何かしらの事情でもあるのだろうと誰もが思いつく。経緯を聞こうとする前に、クリムガンからその理由が語られた。

「この国は、死刑一択しかない。だが生きるためには陰で、下劣で卑怯な方法を使ってしまう奴がそこそこいる。そういう奴は何の罪もない者から汚い手を使って金銭面や精神面で追い詰めていく。それが横行した結果がこれだ!」

 興奮してきたのか、だんだんクリムガンの声が荒げはじめる。目も血走り、両手は無意識に握り拳を作っていた。彼は押し殺してきた気持ちをここでぶつける。

「王は断固として法律を変えなかった。だが俺は、子供達の未来がバッドエンドに染まっていくのを黙って見ているなんてできなかった! だから、汚いやり方で手に入れた物を俺が奪い返し、子供達に分け与えてやったんだ!」
「ってことはお前……義賊ってことか?」

 ルカリオの言う義賊とは、金持ちから奪ったものを貧民に分け与える、盗賊の一種のこと。そう、このクリムガン、悪いことだとはわかっていても、子供達のために窃盗を繰り返したのだ。
 もちろん、クリムガンが利益を得たわけではない。ただ、この国の現状を、被害にあった子供達を哀れに思い、行動せずにいられなかったのだ。未来への光が届くと信じて。

「義賊でも何でもいい! 俺の命くらいどうなったって構いはしねぇ! だがなぁ、この法律のせいで子供達が苦しむのだけは……許せねーんだよぉ――!」

 天を仰ぎ、絶叫しながら大粒の涙を零す――内に秘めてきたものを全て出し切るように。それはとても形容できるほどの感情ではない。怒り、悲しみ、哀れみ、複数の感情が詰まっているのだから。


 クリムガンの様子が少し落ち着いた頃、彼らの存在に気付いた子供達が柵によじ登り始めた。クリムガンの姿を見つけると、大きく手を振って存在を知らせている。

「おじちゃーん! 遊びにきてくれたんだー!」

 声を聞いたクリムガンは涙を拭いて顔を上げる。笑顔にはならなかったが、右手をそっと上げて合図する。他のメンバーも子供達の方を見て、手を振ったりしている。

「なぁ、少しの間、あの子らと遊んでやってくれねぇか?」

 どう見ても、クリムガンは子供達のことを優先して考えているようだ。そんな彼を見て、もう疑問を抱く者も否定する者もいない。快くOKの返事を出し、院の敷地へと足を運んで行った。



「それで、僕と話したい事って?」

 とりあえず誤解が解けたようで、落ち着いた物腰でヒトカゲはゼクロムに尋ねる。お気に入りの腰掛けにどっかと座りこむと、ゼクロムが話を始めた。

「そろそろ、謎解きの時期(とき)かと思ってな。今、何が起こっているかということについて」

 随分意味深な言い方をするなと、頬を掻きながらヒトカゲは心で呟いた。だが、彼もずっと考えていたことだけに、これはいい機会になると確信していた。

「まだ謎が多い部分があるが……これだけは確実に言えることが1つある」
「それって……?」

 ゼクロムは改めて姿勢を正し、ヒトカゲと目を合わせる。目を見て、彼が“子供でない”ということを再認識すると、意を決したような面持ちで口を開いた。


「お前達は、この世界の歴史上で最も厄介な事件に巻き込まれている――」

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