Box.8 朱の襲撃

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読了時間目安:12分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 飛んでくる火の粉と、悲鳴と、逃げてくる人々と。人だかりの外から見たポケモンセンターから、高く炎が上がっていた。怒号。水ポケモン達が必死に消火活動をしている。

「オ――オニキス!」

 人だかりをかき分け前に出る。皮膚がチリチリと焼けた。消火中のトレーナーがぎょっとした顔で手を伸ばしてきた。

「君、危ないから下がって!」
「オニキス! オニキス!」

 引き留める手を振り払い、狂ったように名を叫んだ。いまだ衰えの見えない炎が喉を焼く。人だかりから数人の手が、リクの腕を、服を掴み引っ張った。彼等の目には、リクは炎の中に飛び込みかねないように見えた。そしてそれは、確かに時間の問題だった。人だかりを藍色の三つ編みが駆け抜ける。伸ばされた手がリクの首根っこを引っ張った。

「リク!」
「うぐっ!?」
「落ち着け! オニキスは中にいない!」
「うぐー! むぐー!」
「あ、悪い」

 パッと手が離れ、呼吸が楽になった。ひゅう、と息を吸い込む。振り返り、見覚えのある顔に拳を振り上げた。

「首、を、つ か む な !!!!」
「待て待て待て緊急事態だ不可抗力だ許せ」

 首ねっこをつかんだ相手――ソラが冷汗を流して両手を上げた。前といい今回といい、毎度毎度首を絞められては死んでしまう。ヒナタを助けた? 時も首が絞まった。この地方の人間は人の首を絞める習性でもあるのか。リクは喚いた。

「どうしてお前は首ばっかり掴んでくるんだ!」
「まだ2回目だから許して」

 ソラがへらへらと笑い、リクは気の抜けた顔に脱力した。この、切迫した、状況下で! よくもそんな顔が出来たものだ! だが芯から冷えていた指先に、温度が戻ったような気がした。脱力したせいで落ち着いたリクから、引きとめる手が離れていく。消火中のトレーナーが二人を押した。

「下がって下がって!」

 二人は押し流されるように人だかりの外に出た。かなりの人が集まっているが、火の勢いは弱まりそうもない。延焼を防ぐので精一杯だ。

「オニキスは――」
「ここだ」

 周囲を窺い、ソラはポケットからモンスターボールを取り出した。サザンドラはまだ眠っていた。

「ただ、オレも必死だったから……お前の荷物とかまでは」
「大したものは持ってないからいいよ。それより、お前の荷物は?」

 リクの荷物は全て、すでにトラックごと谷底に落ちた。ヒナタから預かった荷物はポケモン警察が回収していった。
 リクが心配すると、ソラは背中の荷物を見せた。そこは抜かりないようだ。

「ちょうどお前待ちだったからな」
「なん――」

 リクの問い返す言葉は爆発音にかき消された。悲鳴。強い風が人々をなぎ倒した。火の粉混じりの熱風に押し出され、人だかりの黒い波が、鈍く蠢きながら逃げていく。黒い顔の人々が逃げていく。振り返った人々の、赤く照らし出されたその顔。
 不愉快な、だが聞き覚えのある哄笑が鼓膜を貫いた。

「ひゃはははははははははははははははは!」

 ナギサの夜空にオレンジ色の巨躯が身を躍らせる。その背に乗る男は朱色の外套を着ていた。地を這う人々を嗤い、見下し、芝居がかった口上を述べる。

「レディース&ジェントルメン! あほ面の皆様に今宵、一世一代のショーをお見せしましょう!」

 突然のノロシの登場に人々はポカンとした顔をしていた。リクも、ソラも、目が離せない。モンスターボールの中、耳触りな声にサザンドラは目を覚ました。
 ノロシが指したのは水路だ。封鎖の影響で今は一匹も水ポケモンがいない。これがなんだというのか。静まり返った観客の耳に何かが聞こえてきた。それは耳を指で塞いだ時のような、くぐもった音に似ていた。だが耳奥ではなく、遠く、港の方から聞こえてくるのだ。目の前の水路はせんえんとして次第に強く、連想される事態もまた、観客の足もとからじわじわと沁み渡っていく。

『崩落で水路の流れが変わったんだ。水ポケモンたちを保護しないといけない』

 リクの脳裏にホトリの言葉が蘇る。封鎖された水路の出入り口。巨大な岩と氷。ノロシの得意そうな顔。サッとノロシの手が挙がった。

「さぁ、ショーの始まりだ!」

 それが合図かのように、突然の激流が水路を食らい尽くした。
 沈黙の魔法が解け、群衆は一斉に混迷の最中に叩き落とされた。混乱は水路を媒体に伝染する。街中に喚き散らす狂瀾怒濤に、ノロシの嗤い声が重なった。
 全ての事が同時に動き出した。ぴく、とタマザラシが反応した。ころころと水路へと転がった刹那、激流を誰かが矢のように走り抜けた。それを見たタマザラシは大きく息を吸い込んだ。ソラの手の中でモンスターボールがガタガタと暴れ出した。抑え込む隙を与えず、ボールが勝手に開く。白い煙。一瞬後、黒い翼が視界を開いた。

「オニキス!?」
「グルオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」

 サザンドラが上空に躍り出る。爛々とした目にノロシが映り込んだ。先手必勝。黒い波動弾が放たれた。ノロシがとっさに反応する。

「っ!? 避けろっ!」
「オオォン!」

 リザードンが慌てて右に飛ぶ。紙一重で翼をわずかに掠った。体勢が崩れ、ノロシがサザンドラを睨みつける。

「てめ……ッ」
「――凍ビーム!」

 遠く、声がした。ノロシはハッと目を見開く。

「この声――」
「たまー!」

 街中のポケモン達が呼応する。大空洞方面から水路が瞬く間に凍りついた。それに応え、タマザラシも冷凍ビームを放つ。流れが止まった。

『水路再封鎖! 動ける奴は全員維持に回れ! 一つでもボールを取り逃がすな!』

 拡声器からホトリの怒号が響き渡った。力強い声が混乱を無理やりにねじふせ、トレーナーたちが正気を取り戻す。凍った水路に、数十個のモンスターボールが囚われていた。水路の決壊とともに流された水ポケモンたちだ。人々の顔色が変わった。怒りと共に十数個のモンスターボールが空中へと放り投げられた。

「でてこいオクタン!」「おいで!ゴン!」「キング!」「やるぞアリゲイツ!」「お願いラプラス!」「ヒトヒト! いって!」「スターミー!」

 飛び出したポケモンたちが水路へと殺到する。

『冷凍ビーム!』『岩石封じ!』

 ポケモンたちが咆哮した。彼らもまた、怒りを禁じ得ないのだ。放たれた岩石と冷凍ビームが、瓦解しかかっていた水路をより強固に凍結した。

『主犯! ぶっ殺す! 待ってろ!』

 ブチ切れたホトリの声を最後に、放送が切れる。ノロシが舌打ちした。

「ちっ! 思ったより早いじゃねぇか小娘!」
「グルォ!」
「おっと!」

 「お前はこっちだ」とサザンドラが突進したが、リザードンは悠々と攻撃をかわす。

「グォ!」
「飼い主不在のポケモンなんざ、野生と同じだバァカ!」
「グガオオオオオオオオオオオオオオオオ!」

 リザードンは更に上空へと逃れた。サザンドラの目が怒りに赤く染まる。リザードンを追って、こちらもまた上空へと飛んだ。

「3人ここに残れ!」「4番水路の封鎖がまだよ!」「大空洞付近だ! 人回せ!」「主犯を押さえろ!」「朱色だ! 朱色のクソ野郎を探せ!!」
「ソラ! クロバット貸してくれ!」
「ヘァ!?」

 それぞれが、今出来ることを。四方に駆け出した人々の最中、リクは危機迫る顔でソラの肩を掴んだ。

「オニキスを助けないと――早く!」
「たまー!」

 いつのまにか戻ってきたタマザラシも同じく声をあげた。気合い十分。状況が分かっているのかは謎だが。

「馬鹿お前あんな高速飛行バトルしてるやつらに追いつけるかァ!」

 ソラは上空を仰ぎ見て悲鳴のように叫んだ。リザードンとサザンドラが戦闘を続行している。2匹の攻撃がせめぎ合っているが、ややサザンドラの分が悪い。誰も手助けはしない。
 いや、出来ない。その意味をソラは知っていた。

「サザンドラにはトレーナーがいない以上、手出しが邪魔になるリスクが高すぎる! 分かってんのかお前!」

 だがリクはひかない。完全に目の色が変わっていた。

「リザードン100!」
「は!?」
「サザンドラの素早さは……たぶんわずかに低い! クロバット130だ! 理論上は追いつける!」
「何の話――まて、種族値か?」

 ポケモンは種族ごとにステータスの基礎値が決まっている。その後の努力によって変化はするが、基本的には進化しないかぎりこの値は変化しない。優秀なトレーナーほど、あらゆるポケモンの数値・特徴・技が頭に叩き込まれているが、リクがそれを知っていた事がソラには意外だった。リクが畳みかける。

「お前、キルリアもいたよな!?」

 ソラは言外の意味を察した。理屈上はあの2匹に追いつける。問題はタイミングだが、キルリアには“近い未来を見通す力”がある。条件は揃っている。上手くいけばサザンドラを助けられるかもしれない。

「オニキスを助けないと。でも、オレだけじゃ駄目だ!」

 リクは必死に懇願した。怖くないわけではない。ソラの肩を掴む手は震えていた。でもそれ以上に――

「あいつ、このままじゃ死んじゃうよ!」
「グルオオオオオオオ!」

 サザンドラの咆哮。ハッとして2人は上空を仰ぎ見た。炎にまかれたサザンドラが、振り払うようにがむしゃらに飛んでいた。

「……くそっ! やってやるさ!」
「ああ!」
「たまー!」

 足元では、タマザラシも短い拳を構えていた。





 ナギサタウン、港―― 

「なぁんで、ボクがヤンキーと組まなきゃいけないんッスかね~遺憾ッスよ~」

 黒い煙が上がっていた。船を包む炎が、海面を夕陽のように染める。愚痴りながらも、少女はぼんやりと炎を鑑賞していた。青い瞳が夜の闇と炎を映して輝く。美しい庭園を味わうように、少女は燃える船を眺めていた。

「キュイイ?」

 少女を乗せたギャロップが顔を向けた。負のオーラを撒き散らす主を、健気にも心配しているのだ。

「ぽに子慰めてくれるッスか! 流石お前は優しいッス!」
「キュイ~」

 少女は頬を染めてギャロップに頬ずりした。ギャロップも嬉しそうだ。それに対し、抗議の鳴き声が別の場所から上がった。

「びゅい! びゅいびゅい!」

 大きな火柱があがる。完全に崩壊した水路に一気に海水が流れこむ。ついでと言わんばかりに追加で火炎放射が放たれ、倒れていたものが炎上した。ほとんど炭と化したソレを軽快な足取りで踏みつけると、ブースターは少女のもとへ駆け寄った。

「びゅい!」
「ぶい助も頑張ったッスよ! ちゃんと忘れてないッス!」
「びゅい~?」
「なんスかその疑わしそうな眼差し!」

 半眼のブースターに、冷汗を流して少女は弁解した。

『水路再封鎖! 動ける奴は全員維持に回れ!! 一つでもボールを取り逃がすな!!』

 突然の大音声に少女は耳がキーンとした。文句を垂れ、耳に指を突っ込む。

「ばかでかい声ッスね~耳がぶっ壊れるかと思ったッス。心臓に悪いッスよ!」

 朱色のフードが滑り落ち、金髪のツインテールが顔を出した。

『主犯! ぶっ殺す! 待ってろ!』

 ぶつ。
 拡声器からの声が切れた。

「超キレてるじゃないっスか。再封鎖か~ちゃんとお仕事終えないと怒られそうッス」

 少女はうんうんと唸った。面倒くさい、と顔に書いてある。脳裏にボスの顔も浮かんだ。数秒の後、嫌々ではあるが両頬を叩いて気合いを入れる。

「仕方ない。イミビは良い子だから、しっかり働くッス」

 少女――イミビは顔を引き締める。ギャロップにブースターも飛び乗った。轟々と赤く染まる港を後にして、1人と2匹が街へと駆け出した。

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