戦火の勇気 3

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 『基地』のメンツというものは、くせもの揃いだった。それが、『リン』が『基地』のメンバーから『メグ』と呼ばれるようになるさらに前、いっぴきの野生のヒメグマだったときに抱いた感想だった。
 そしてこの評価だけは、リングマに進化し、外見も性格も自他ともに変わったと認めている今でさえ、正しいと胸を張れてしまうことだった。

 当時、野生の彼は残酷だった。
 残酷、という態度にもそれにはいくつかの種類があって、人間で言うと幼子が小さな生き物を躊躇なくもてあそぶ類のものから、大人が結果こうなると判っていて下す利己的な行為に類するものまで、動機としては意外と多岐にわたっている。
 あえてくくるなら、イブたちの前に立ちはだかったドサイドンは後者、彼、メグは前者だった。
 それは幸いなことだった、と言えるかもしれない。ただ彼は幼く、己のする行為の善悪が分けられなかった、というのがひとつの原因だったから。
 しかし、動機がどうであれ、残酷さを示された側はそのような事情をくみ取ることなどできはしない。メグから受け取った体と心の傷に対する代償はもちろん、被害をこうむった者からもれなく彼自身に返される、はずだった。
 彼が歪んでしまったのは、『そうはなされなかった』ためだった。このことがまた、もうひとつの原因として数えられた。
 単純に、メグは強かった。暴力をふるうことに対してメグは天性のものを持っており、相手に有無をいわさず屈辱の貸し付けをしたままにできる実力が、メグの行為に拍車をかけ、悪循環となってしまっていた。
 他のポケモンをむやみに傷つけて喜ぶことは自分を守る手段なのではなく。
 他のポケモンから必要以上の食べ物をうばい、余ったものを目の前で踏みつぶして楽しむことは生存競争を勝ちぬく手段なのではなく。
 それは本能を超えた残虐行為だと。生きるために必要なことではけっしてないと。
 誰も教えなかった。教えられる者がいなかった。
 多くのポケモンから疎まれ、恨まれる路を直進しようとしていたメグが現在の彼へと舵を切ったきっかけは、とある地から出向いてきた、赤いスカーフをしたカイリューからもたらされた。
 たまたまそばを横切ろうとしたカイリューに襲いかかったメグは、一瞬のうちに叩きのめされた。これまで一途で哀れな残虐性をふるってきたメグに対する怒りがどうとか、慈愛がどうとかの次元ではなく、その大きなドラゴンポケモンは、メグをただの障害として払い飛ばした。いや、障害とすら認識されていなかった、と錯覚してしかるべきかもしれなかった。それだけの差を見せつけられたのだった。
 当然、メグは驚いた。そして生まれて初めて感じたくやしさという感情を、さらにそのカイリューへと向けようとした。
 そこでやっとそのカイリューは、見知らぬちいさな暴君の異変を悟り、言った。
「なんだか元気があり余ってるみたいだし、うちでちょっと暴れていかない?」
 きょとん、としているメグに対してカイリューが嫌にてらてらとかがやくバッジを向けたと思った瞬間、メグはあっという間に飛ばされた。
 一寸にも満たない刻時のあと、目の前にあらわれたのは見たことのない大きな湖と、大きなカイリューの背のさらに何倍もある『基地』と呼ばれる建造物。
 そこからカイリューに呼ばれて出てきたポケモンたちはまず、傷ついたメグを治療しようとした。
 メグはカイナの提案どおり、暴れることとなった。が、『基地』側の被害はひとつも出なかった。手始めに狙ったブイゼルが、その傍にいたピチューと気持ちわるい動きをしたかと思った直後に、身動きがとれなくなっていた。
 メグがメグとして、一匹のポケモンでヒメグマ種として己を認識したのはこのときからだったな、と後になってリンは思い返す。『他のポケモンをいたぶる者としての自分』で在ればよかったヒメグマは、ようやく『他の強者』と『他の弱者』の関係を意識して立つことを覚えさせられたのだった。
 その後の記憶は、メグの頭により鮮明に残った。『基地』の活動に、ポケモンとしての鍛錬に、そして『基地』のサブリーダー、カイリューのカイナとこなす『探険』に没頭し、日々を過ごす。それらは確実にメグの暴力――もとい、戦闘の非凡な才能をさらに開花させる糧となり、彼は『基地』の重要なメンバーとして数えられるようになった。
 基地のメンバーも気のいい奴らばかりだったし、メグとの鍛錬で負けを見ても、素直に賞賛してくれるポケモンたちのために働くことも厭わなくなっていった。
 鍛錬中、いつもメグにとって嫌な動きばかりするブイゼルのルイやピチューだったユウとは二度と戦いたくないな、とも思っていたりする自分に、可笑しさや不思議さすら感じることもあった。
 今や、残虐だったメグの面影は、リングマに進化したリンからは欠片ほども見られなかった。ただ残酷だった自分から、いろんな感情が生まれ出てくることに楽しみを見る成熟したポケモンになっている、と思えるようになっていた。
 ちなみに、カイナがメグと最初に出会ったときに行っていた『探険の目的』は、『いっしょに探険をしてくれそうな仲間を探すこと』、だった。

 大自然の驚異として、『溶炎の山河』の火山活動がより身近に感じられるまでの熱気が『PLUCKS』を襲う。それは、火山に穿たれた洞穴から内部に入った後も変わらなかった。
 しかしイブ、ミロト、リンの三匹は洞窟の奥にあるはずの『峰炎の間』へ、確実に歩を進めていた。
 ここ火山帯に生息するポケモンたちの気性は、穏やかではなかった。
 それもそのはずだった。自然の厳しさをこれほどわかりやすく体感できる地でかれらの餌は豊富とはいえず、常に日々の必要量をわずかに上回る程度しか確保ができない。外の世界からの訪問者へそのわずかな恵みを分け与える余裕はない。
 そのためか、ここに住むポケモンたちは意外な団結力を持っていた。縄張り意識の強さを見せつけ、それはイブたちも例外に無かった。
 もっとも高温の環境を好むほのおポケモン以外でこの地にいることは苦痛でしかなく、『未開の地』と呼ぶにふさわしくはある。そしてここで加熱される彼らの強さは、穏やかに暮らしているポケモンとは比べ物にならない。
 だが、すでにイブとミロトは『そうではなかった』。
 『PLUCKS』の戦闘における能力は、野生のポケモンと渡りあうには充分以上になっていた。
 救助活動で踏み入ったさまざまな自然、探険活動で分け入ったさまざまな環境が二匹をそこまで高めていたのだった。
 『PLUCKS』の持つ経験は、部外者を排除しようとする『溶炎の山河』のポケモンたちを退け、ようやく彼らは『峰炎の間』にたどり着いた。
(こいつら探険についちゃあてんで初心者かと思ってたが、もうコツをつかんだみたいだな……といっても――)
 無事に目的の場所に到着したことで安堵の表情をうかべたリンだったが、イブとミロトの体力は相当量を消耗していた。木筒の水をイブが自分で持ってきた皿に注いでやる。
 イブ、ミロトともに息を切らせている。イブのほうは顔色も悪かった。
 のどを潤しながら一息ついている『PLUCKS』をその巨体で見下ろしながら、リンは思った。
(今回はちとハードだったか……いや、こいつらの救助の経験がなかったらここまで来るのも難しかったかもな)
 イブが、ここまで同行してもらったリンを見上げた。さすがというべきか、探険慣れしているリンは、火山の熱気にやられそうになっているイブたちのようにへばってはいないようだった。
「リンさん、ありがとうございました……なんとか、着けました」
「ああ、よくがんばったな。初めての火山地区でこれは大したもんだぜ」
 リンは『峰炎の間』を見渡した。これまでの経験からすれば、この場所にもイブたちが求める『石碑』があるはずだ。
「早いところ『石碑』の文言を記録して、帰還するか。イブの顔の具合からしてこれ以上長居はしないほうがいい。ミロトはどうだ?」
 イブの横で同じく木筒の中身を飲干しているミロトに、リンが問いかけた。
「ちょっとキモチ悪い……オレここ嫌いかも」
 ミロトもイブほどではないが、ここの環境にうんざりしているような仕草を見せた。
「よし、もうひと踏ん張りだ。『石碑』はどこに――」
 リンが、ひしりと全身の筋肉を緊張させた。
 視線を感じたほうをふり向くと、『峰炎の間』の入り口にポケモンが三匹、立っていた。
(……気付かなかったな。いつの間に入ってきた)
 イブとミロトも気付いたようだった。急いで休憩どうぐをしまい、入り口の三匹に注目した。
「間に合った、ようだ」
 一匹が口を開いた。そのポケモンは薄暗い『峰炎の間』の中でさえ、その馬のような月毛と紅蓮色の炎によって異様な存在感を放っていた。リングマのリンにも引けを取らない体格からくる精悍さが、辺りに熱風となり渦巻いているような錯覚にさえ陥る。この火山に在ってしかるべきポケモンと言ってよかった。
「師匠、こいつらが……!?」
「……」
 そして師匠と呼ばれたポケモンの両脇から、二匹のポケモンが顔を見せた。
 どちらも体格はイブやミロトより一回り大きい程度だが、神秘的な雰囲気を放っている。
 片方は、漆黒の四肢、耳、尾を持ち、さらに金色の輪をその毛皮に描いている。深紅の眼はこちらをまっすぐに捉えている。
 もう片方は全身がローズダストの毛並に覆われ、先で二股になっている細い尾が一度だけ、静かに揺れた。小さな額の赤球と藤色の眼は、どこか物憂げだった。
 三匹は順に、ギャロップ、ブラッキー、エーフィという種として知られている。
「ここのポケモンか?」
 リンが、突然出くわした三匹のポケモンに向かって問いかけた。
「そうじゃあなさそうだよな。そこのギャロップはいま『間に合った』っつった。それとも、ここが今日開かれる火山ポケモンのパーティー会場だったか?」
 ぴくりとギャロップが眉を動かしたのを確認し、リンはさらに続ける。
「それに両脇のそいつらも、ここに住んでるようなナリでも雰囲気でもねーな」
「……まさか」
「ここにも、『神』の……?」
 ミロトとイブが、リンに応えた。以前『憂いのほら穴』での経験が脳裏をよぎる。
「警戒されているようだな。無理もないが」
 ギャロップがひとつ吐き捨てた。何もかもが嫌になっているような表情だった。
「まぁな、こいつらが前に色々とあったみたいでな。俺らとしては、あんたらはそこで黙って見てるだけにしてもらえたら嬉しいが――」
「うるせー、茶色組が!」
 じっとリンとギャロップのやりとりを聞いていたブラッキーが、割り込んだ。
「だぁれが!」
「茶色組だ!」
 即座にリンとミロトが応戦する。
 ブラッキーの言葉を不思議そうに受けとめていたイブはというと、はっとした後ミロトに耳打ちした。
「ボクたちのことじゃない?」
「わかってるよ!!」
「ご、ごめんね……」
 気を利かせたはずのイブは、逆にミロトから苦い顔を向けられてしまう。
 一匹『PLUCKS』に気を吐いたブラッキーは、そんなことにはおかまいなしだった。
「お前らが悪いことするから、おいら達が懲らしめに来てやったんだよ! バーカ!」
「なっ! 何だよ悪いことって!」
 ミロトはブラッキーから放たれた心外な物言いに、かちんときたようだった。すでに姿勢がブラッキーへの臨戦に備わっている。
「アルセウス様はお前らが危険だって言ってる! 悪いことしてるに決まってるだろ!!」
「悪いこと……?」
 イブがブラッキーの言葉を反芻する。ずきずきと、頭が痛んだ。先ほどミロトが「ここ嫌いかも」、と言った感想にも遅れて同意できそうだった。
「ブラム、私たちは言い争いのために来たのではない」
「は、はい。師匠」
 ブラッキーのことを『ブラム』と呼んだギャロップは、諌めるように言った。
「だが、気迫も姿勢もそれでいい。あの者たちには後悔が必要だ。フィリムも気を入れなさい」
「はい」
 『フィリム』と呼ばれたエーフィはゆらめくようにそれだけ答え、ブラムの横についた。
 ギャロップはリンに向き直り、威嚇とも取れる調子で嘶いた。
「争いを避けるつもりはない。もっとも、ここから去るのなら止めもしない。『神』はそれを望んでいる」
「……やっぱり『神』ってのはアルセウスか。何故だ。何でアルセウス程のポケモンが、俺らを目の敵にする?」
 リンにも退く気はない。昔より丸くなっているとはいえ、理不尽な要求にはいそうですか、と譲るほど穏やかにはなっていなかった。なれるはずもなかった。リンはカイナがその性格ごと認めて仲間にしてくれた日を忘れていなかった。
「『言い争う』気はないと言った。それに――私は自分たちの『活動』を善と盲信している者どもに教え込むほど努力家でもない。ただ『神』のご意思と知れ」
「わかんねーな。こっちの事情も知らずにそこまで『神』に入れ込むのも」
「それは貴様らが口にしていい台詞ではない!!」
 ギャロップが、『峰炎の間』を崩落させかねない勢いを見せた。彼から放たれる熱気は今すぐにでも『PLUCKS』を飲み込もうとしている。
「……俺らを無事に帰すつもりがないってことだけは、わかった」
 リンの憮然とした表情に、覚悟の色が刻まれる。同時に、イブとミロトの姿勢も、深く沈みこんだ。
「ミロトくん、体調はどう?」
「イブこそ。良くはねーけど、負けるのはもっと良くねーだろ?」
「そうだね――リンさん」
「オーケーリーダー。気張ろうぜ」
 リンは一歩、前へ出た。両翼をイブとミロトが支える。
「来いよ。カワイイ後輩どもがいるんだ。お前らをダシにかっこつけさせてもらうぜ」
 ギャロップが小さく、ブラムとフィリムに何かを伝えた。二匹はうなずいた。
「――後悔しろ」
 ギャロップが火山岩を強く、蹴りつけた。ブラムとフィリムが後へつづく。
 はらはらと、自然とポケモンが呼び寄せる戦火が、舞い始めようとしていた。

 ユウは迷っていた。
 『基地』の一階、ポケモンの治療や看護を行う広間の一角で、彼女はランプの手伝いをしながらどうやっても頭から引き剥がすことのできない考えに悩まされていた。
 今日はルイと話し合い、先日のドサイドンに関する事件について反省と頭を冷やす意味を込めて、基地の仕事をこなすことにした。
 ルイは基地の活動にかかせない物資を調達しに、基地のメンバーと共に出かけている。
 カイナたちからはそこまで気にしなくてもいいのに、と言われてはいたが、どうにもユウは罪悪感が残ってしまい、それを汲み取ってくれたルイにも救助活動のお休みに付き合ってもらうことになってしまったのだった。
 ただ当のユウは、この罪悪感自体が、自分の中に巣食っている迷いをごまかす隠れみのになっているのかもしれない、と思うようになっていた。
 ユウがもっとも気にしているのは、この『基地』リーダーのルカについて。
 ドサイドンと『憂いのほら穴』で向かい合ったあの日、フライゴンは言った。『彼』に、よろしく伝えておきますよ、と。それを思い出したとき、心を鷲づかみにされたような不安が、ユウを襲った。
 パッチールが言っていた『神のお側についていたルカリオ』がルカであるという疑いは、捨てきれなくなってしまっていたのだ。
 ルイは、『ルカさんがドサイドンと手を組んでることなんてありえない。気にしてもしょうがないよ』と言っていた。
 他のポケモンを踏みにじることを何とも思わないドサイドンなんかとルカさんが、仲間になるなんて言われても信じられない。ユウもそれは同感だった。
 ルイちゃんといっしょにこの『基地』に迎え入れてくれて、ここまで他のポケモンの役に立てるように育ててくれたルカさんが。いくら『神』からでも、見境なしにポケモン同士を傷つけさせるような命令を聞くなんてことも、絶対にない。その確信があった。
 しかしユウには、そのルカに絶対の信頼を寄せているからこその疑問が浮かび上がってしまった。
(もし……ルカさんにそうしなきゃいけない理由があったら……?)
 ルカの独創性と独走性はそこらのポケモンには真似ができない。『基地』の存在が、すでにそれを証明して余りある。
 ルカさんはもしかして、何かを守るために仕方なく『神』に仕えているのかもしれない。それは自分には到底はかり知れないような、大きな考えを巡らせた、はるか先を見据えた決断なのかもしれない。
 ユウはランプに頼まれた仕事に気を配りながらも、どうしても雑念を払うことができなかった。
 二階に上がったユウは、パッチールが休んでいる小部屋に向かうとドアをノックした。
「パッチールさん。具合はどう?」
 その小さな手で押したドアのちょうつがいが、きき、と音を鳴らした。
 このドアももう古くなってきたし、背の高いポケモンに手伝ってもらって、潤滑油を足しておいたほうがいいかも。そんなことを考えながら、藁のベッドに横たわるパッチールに話しかける。
「ユウさん~。おかげさまで、もうだいぶ良くなりました~」
 パッチールは体を起こし、ユウに応えた。
 ここに運び込まれたときには幾重にも巻かれていた包帯はすっかり取れ、傷自体もほとんど目立たなくなっている。
 カイナのはどうによる自己治癒力の促進と、リュナのきのみレシピによるものだろう。
 残るのは、ドサイドンとフライゴンの二匹に執拗に追いつめられ、攻撃され、負わされた心の方の傷跡のみだった。
「無理しないでねー? いくらでも休んでっていいんだから!」
 ユウはにっこり笑うと、きのみのジュースを手渡した。
「ありがとう、ございます~」
 笑顔のままうなずいたユウは、形がくずれた寝床の藁をせっせとまとめなおし(ふかふかになりますように)、窓の桟に飛びのって換気をした。いい風がそよそよと吹き込んでくることを目を細めて確認すると、つぎに部屋の水の量のチェックをするために、下りる。
「……いっしょうけんめい、ですね~」
 パッチールは甘い香りのする、木筒に溜まる紫色に視線を落としながら、つぶやいた。
「え?」
 水瓶のふたを開けたユウは、パッチールにふり返った。
「見ず知らずのポケモンまで、こんなに熱心にお世話を~……いやに、なりませんか~?」
 ユウは一瞬目を丸くしたが、パッチールの前まで行くと、両手を取ってじっと見つめた。
「あの~……?」
「……ぜーんぜん! パッチールさんが無事だったからこそ、ここに来られて、出会えたんだから! こう言うのもヘンだけど、むしろ嬉しいくらいなんだよ!」
 そしてまたにっこりと笑う。
 今度はパッチールが目を奪われる番だった。ユウのそれは、本当に屈託のない笑顔だった。
「一階の様子、見てると思うけど……いちど知り合ったポケモンがね、また遊びに来てくれたり手伝ったりしてくれることも多いの」
「……そう、なんですか~」
「うん、だからパッチールさんも元気になったら、また基地に遊びに来てくれるとうれしいな~」
 パッチールは視線を落とした。
「……でも、ボクの住んでるところはもう『神』に従っているようなポケモンばっかりで~……戻れないかもしれません~……」
 ユウは、自分の笑顔が強張るのを感じた。今日、パッチールさんの部屋に来た『第二の目的』を、果たさなきゃいけない。ユウのこころが、そうしなきゃ、と強く訴えた。
「その、パッチールさん。『神』って、アルセウスのこと、だよね……? ドサイドンみたいな悪いポケモンばっかりを従えてるわけじゃ、ないよね……」
 急に変わったユウの声色に、パッチールがいぶかしんだ。まるで、気持ちよく遊びまわっていた子どもが夕立によって帰らざるを得なくなったような、そんな落ち込みようだった。
「ユウ、さん~?」
「えっと、ごめんなさい……私、パッチールさんが言ってた『ルカリオ』が、本当に私たち……この『基地』のみんなが知ってるルカリオのことなのか、どうしても気になっちゃうの……」
 パッチールは得心したようだった。それまで不安げだった表情に、何か強くこもっている感情をにじませる。
「カイナさんも、それを心配していました~。『パッチールさんが見たルカリオについて、あとで聞かせてください』、と~」
「そう……」
 ユウには、そう言ったカイナの気持ちが痛いほどにわかった。
 カイナとは、『神』の傍にいたというルカリオはルカかもしれない、という推測を雑務室での話し合いで共有している。
 ただ、カイナは要救助者のパッチールへの負担を考え、協力を頼むにしても回復後と決めていた。それはルイやユウたちにも足並みを揃えるようお願いされたことだった。
 『LUCKS』は、ルカの助けから発足したチームだといっても過言ではない。つながりが深いルイとユウに、ルカについてパッチールへ詰め寄ることを抑えさせたカイナは、よく仲間の心情を把握していたといえる。
 いちばん気が気じゃないのは、ルカさんのパートナーの、カイナさん自身のはず。ユウは何とかカイナの負担を減らすため、パッチールにわずかな話でも聞けないかと、看護を買って出たのだった。もっとも、それはユウ自身の納得のためとも言えた。
(……私、何してるんだろ……パッチールさんだって戻る場所が無くて不安だって言ってるのに・・・・・・)
 しかし、葛藤というずしりと重い熱が、じわじわとユウの中に広がった。『要救助者の回復を優先しなきゃいけない』という信念から来る別の罪悪感が、遅れてやってくる。
 うん、ダメダメ。ルイちゃんもカイナさんもガマンしてるんだし、今だって反省中の身なんだから。勝手な行動はつつしまなきゃ!
「……急にごめんなさい! 今はパッチールさんが元気になることが大事! おうちに帰れるようになるまで、しばらくここにいてもらっても――」
「ユウさん、聞いてください~」
 ユウが話題を変えようとしたとき、パッチールがそれをさえぎった。
「なになにっ?」
 パッチールの表情は、変わっていない。ひと呼吸をおき、続けた。
「まだカイナさんにも話していませんが~……ボクを『神』――アルセウスから逃がしてくれたのは、そのルカリオなんです~」
「え……逃がした……パッチールさんを?」
 新しい情報だった。そしてこれは、ユウの迷いを吹きとばしてくれるほどの情報かもしれなかった。危険な目に合いそうなパッチールさんを逃がそうとするルカリオなんて、私たちが知っているのはルカさん一匹しかいない。
「はい~。逃げようとしたボクがアルセウスに従うポケモンたちの攻撃をうけたとき~、そのルカリオはこっそりと、ボクの傷をふしぎな光で治してくれたんです~……」
 ユウは確信した。間違いない。やっぱり、ルカさんだ。すぐにでもカイナに報告しようと、ユウは尻尾と耳をいつも以上に緊張させて、立ち上がった。
「ありがとっパッチールさん! 私、ちょっとカイナさんの所に――」
「あ、ユウさん!!」
 パッチールの声が驚いたユウの足を止めた。ふだんの口調からは想像できないほどの通った声で鳴いたパッチールは、自分でも戸惑っているかのように、ぎこちなく言葉をつなげた。
「ご、ごめんなさい~……実は……ルカリオから、『救助・探険基地のピカチュウ』に伝言を頼まれたんです~」
「私、に……? カイナさんにじゃなくって?」
 扉の前で自分を見つめるユウに、パッチールはいつものようにゆっくりと、しかしいつも以上にはっきりとそれを口にした。
「はい。こう、言っていました~。『力を借りたい、災いが迫っている。だが、カイナやルイには伝えるな』」
「……災い、って?」
「わかりません、聞く余裕がありませんでした~……ただ、ボクには気にかかることがあります~。これはあなただけの心に秘めておいてください~」
 ユウが思いがけないところで繋がったルカとのコンタクトに逡巡したが、パッチールは追い討ちをかけるように、さらにつけ加えた。
「この基地にいるイーブイ……彼には、気をつけてください~」

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