戦火の勇気 2

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 イブ、ミロト、リンは『基地』の裏手に出た。
 『基地』の裏には湖が広がっているが、両者の間にはちょっとしたスペースが設けられている。そこには基地の活動にかかせない薪や藁が屋根つきの置き場にきれいに収まっているほかは、予備品の水瓶がいくつか裏返しに置かれているだけだった。だが、基地と湖の間に広がる二十間ほどの空き地はリンの体重でも足跡がつかないほどにしっかりと踏み固められ、草も生えていない。つまり、ポケモンによる手が入れられた場所だった。その目的は他でもない、基地メンバーの鍛錬だった。
 その場所の過去を知りうる痕跡はいくつもあった。枯れ草の焼け焦げ。楕円形にえぐれた湖の岸。いくつもの土色の違う地面。真横にそびえる基地の壁にまで、まるでそこに吸い込まれたポケモンがいたかのような螺旋状の傷がうっすらとついていた。
 力の跡だった。ポケモンがポケモンとして生まれて身につける、脅威を相手取った場合に行使する容赦ない力の余韻。そしてそれは、この場所を設けたリーダー達によって向けるべきものを断固断然として限定した、意思のある使い手につづくわだちだった。
 三匹は、誰かが使用するたびにえぐれてしまっていたのだろう地面が丁寧に舗装、整備された、鍛錬所の中央に集まった。
「ここでいいか?」
 リンがミロトに向かって確認した。その顔にはこの状況を楽しんでいるような温度があった。
「うん、ここなら誰にも迷惑かけないしね。取りあえず、基地のみんなの他には」
 ミロトはリンの表情には目を向けていなかった。ただ、自分が誘ったこのポケモンをどう試してみようか、いたずら心が頭の中で先行していたのだった。
「そうでもないけどな。よく謝りに行かされたぜ、俺は」
「? 行かされたって、どこに?」
 リンはミロトの問いかけを無視して、待ちきれない様子で言った。
「さぁさぁ。俺からでいいのか? それとも」
 そして、ミロトの正面を切った。のしりと、二本で立つ足が鍛錬場の土をさらに押し固め、丸太よりもよほどしっかりとした印象を与える脚はその太さを増した。
「お前から来るのか」
 ミロトが、湖のほとりを穏やかに通りすぎようとしていた風を揺らした。『入隊試験』などフリ以外の何でもない、という他事のような態度を取ったかに見えたミロトは、リンの戦意を敏感に受けとめていた。
 音もなく跳ねたミロトがリンに突き動かされたのか、それともはじめから狙ってそうしたのかは、傍らにいたイブには判断がつかなかった。
 無音の間を補うよう、「ドゴン」という分厚い木の板を丈夫な棒で突きこんだような音が鳴った。ミロトは早くもリンの背中に『とびげり』を仕掛けていた。
「……ッ」
 リンは口の端からわずかに肺の空気をにじませつつも、それに耐えた。振り向くことはしない。そうしても遅きに失していることを理解していた。ミロトはすでにそこにはいないから。
 リンへ、つづく二の腕への衝撃。ミロトはその動きと攻撃をゆるめない。さらにもう一撃、こんどは逆側のひざへ。
 ミロトからの攻撃をこのまま許し続けるように見えたリンは、まるでふと散歩の途中で見つけたどうぐを拾うかのよう、一歩、右足を踏み出した。
 そのすぐ隣で、地面を思い切りけずりとる音がした。
 リンは口元を吊り上げた。その動きを中断する。表情には、リングマというポケモンが普段見せる厳然さを差引いてなお、不敵と驚喜をよく混ぜ合わせて作り上げた感情があらわれていた。
 ミロトがリンの左手、自身の攻撃間合いからやや距離を置いた位置で急停止したのだった。
(いま……正面に回ってたら)
 やられていた。ミロトの中に驚くほど素直なイメージが浮かび上がった。ふいに、動悸の速さを自覚する。もし急停止せずに正面に回りきっていた場合、リンの『力』を主張するたくましい右腕がオレをとらえて――その先まで素直になりたくはなかった。それほどまでにリンが示した一歩はタイミングが合っていた。
 身に覚えのある悪寒を感じかけたミロトは、それをごまかすように叫んだ。
「イブ、何やってるんだよ! イブも動けよ!」
「えぇー……ボクはいいよう」
 気の抜けた返事が返る。二匹からニ十歩以上離れた場所に落ちついたイブは、なおも所在無さげに耳としっぽを垂らしていた。
 当然だった。もともとカイナからの提案どおりリンの協力をお願いしようとしていたイブに、わざわざリンと『こと』を構える図々しさなど微塵もなかった。いまの状況はいつも通り、パートナーのミロトに振りまわされた結果なのだから。
「うははは。裏切られたな」
 リンは楽しそうに笑うと、ふたたびミロトに向き直った。
「ミミロルってのは素早いもんだな。だが、俺を倒すにはまだまだかかる」
「うん、でも近寄りたくない」
 ミロトは正直に吐き捨てた。
 リンは両の腕を腰椎の高さにかまえた。
「そうだ、近寄ると恐いぞ。なんたってこの体になった俺もそう思うからな!」
 すがすがしいほどの脅威。ミロトはリンのこの迫力を無意識のうちにそう評した。
 ミロトが攻撃を加えるには、リンの間合いに踏み込まなければいけない(ぶつり攻撃しか持たないミロトは、どこまでも典型的なノーマルタイプだった)。そしてその手がミロトに届いてしまうなら、そこは終わりを意味するキルゾーンだ。
 イブとの連携が取れないとなれば、慎重に一撃を重ねていくしかない。ミロトは思った。慎重。戦いでこんな言葉が浮かぶなんて、初めてだ。いつもは勢いで戦ってたのに。考えて戦わないと、リンさんみたいなポケモンにはこのさき勝っていけないんだろうな。あのドサイドン戦での敗因は、これだったのかもしれない。いや、きっとそうだ。
「ミロトくん!!」
 イブのさけび声が耳を打った。ミロトははっとし、いつのまにか外れていた視点をリンに結ぶと、その目の前には巨大な――とっさにはそうとしか表しえない――エネルギーの塊が辺りを震わせていた。
 たちまち肥大化しきったそのエネルギーが殻をつき破るかのよう、ミロトの元へ一直線に弾けた。と同時に、ミロトの両耳の上を激しい熱量が通りすぎる。
「うわっちーー!!」
 ややあって耳の先にちくりとした痛みを感じ、さらに焦げ臭いにおいを嗅ぎとったミロトはあわてて飛びのいた。見ると、ミミロルの耳にあるふっくらとした毛皮が、ぶすぶすと細い煙を立ち上らせていた。
 ――しまった、それよりもリンさんからまた目を、とミロトは自らの浅はかさを呪いつつ、あわてて対戦相手に視線を戻した。
 そこにはエネルギーわざの反動を冷ますよう息を吐き続けているリンと、いつの間に移動したのか、その前にこてんと横たわるイブの姿があった。
「イブ……お前まさか……」
 リンがすぐには動きださないことを願って、ミロトが駆け寄った。イブはというと、その目を見開きながらこわごわとした様子でゆっくりとミロトに顔を向けた。そして見ていて申し訳なるほどの引きつった笑みをつくった。
「だいじょうぶ……びっくりしたぁ」
 よかった無事か、とミロトはほっと息をついた。
 リンの声が頭の上から降ってくる。
「イブよう、お前、いい勘してるぜ」
 『でんこうせっか』を守りに使うなんてな、そう続けた。ミロトはぎくりと身をすくませた。おそるおそる後ろに振りかえるが、リンはすでに攻撃態勢を解いていた。
 イブはリンの放った『はかいこうせん』の切っ先を、自分の離れた立ち位置を一瞬にして吸収する『でんこうせっか』をぶつけることによって逸らしたのだった。
 大技の直撃をまぬがれたミロトは驚かなかった。イブの危険察知能力はすでにこれまでの救助活動で嫌というほど目にし、『PLUCKS』への危機を前もって取り除いてくれていた。その感度と勘度は異常というほどだった。ミロトの無茶は、イブのこういったフォローを期待し、遠慮なく甘えている部分がある。もちろん、それは個々の長所を発揮するためのチーム連携、と捉えれば悪いことではない。
 それにしても、『慎重さ』を心の隅に取り置こうと決めたなりにまたイブに助けられるなんて。イブのこの勇気と行動は、いったいどこから来てるんだ。そう考えていたミロトを、イブは心配そうに気遣った。
「ねぇ、もういいんじゃないかなぁ……」
 イブの言葉を受けて、ミロトはリンを見た。イブがなにを言おうとしているのか、理解したのだった。
「どうだ、合格したか」
 リンがミロトとイブに向けて、もとの厳つい表情で問いかけた。だが、その声からは先ほどまでみなぎっていた気迫は乗っておらず、穏やかささえ感じられた。白々しさはない。
「もちろん。リンさん強いね」
 ミロトからの答えは、観念した響きがあった。ミロトは、リンが強いことなどは実はカイナの部屋で目にしたときから解っていた。一匹で探険を(そのうえ遠征を)こなせるポケモンなのだから、その実力は折り紙つきのはずだった。それだけで、格上と見るには十分だった。そして、そんなポケモンとの差を確かめてみたくなった。ドサイドンにこっぴどくやられた後ともなれば、なおさらだった。
 そして、それに応じたリンはミロトの活発な性格を、同じタイミングで見抜いていた。ミロトの挑発から、間違いなく強さへのあこがれを持っている、ということを感じ取った。カイナの懸念を制してその証明に乗り出したのは、そのためだ。リンはそういう性格のポケモンが、嫌いではない。
「いいチームだよ、お前ら……『PLUCKS』は」
 ミロトの悔しさを汲み取ったかのよう、リンは言った。
「ありがとうございます!」
 ミロトが何かを言おうとするよりもはやく、イブがリンに応えた。相変わらず、ほめられたときのうれしそうな表情を見せて。
「……リンさん、イブとオレを手伝ってくれないかな」
「迷惑でなければ、お願いします」
 ミロトとイブは、並んでリンにあたまを下げた。
 ようやくのこと『基地』のルーキーたちから『許可』をもらったリンは、こんどはひどく読み取りにくい表情をつくって言った。
「ああ、いいぜ。大事な用を済ませたあとになるが」
「用って?」
 どうにもまだリンの表情の変化についていけないイブとミロトが、不思議そうに聞き返した。
「まずは」
 リンは湖の対岸を指差した。何やらその先から喧騒が聞こえる。
「謝りに行ってくる」
 湖の向こうでは、リンの『はかいこうせん』になぎ倒された木の周りでポケモンたちが大騒ぎしていたのだった。

 リンの『PLUCKS』への協力は、その戦力と探索効率をいちじるしく底上げしてくれた。その役割はただのメンバーというよりも、イブの記憶を探す手がかりとなる『石碑』探索をするためのアドバイザー的なものとなっていた。もちろん、そのノウハウの根底にあるものは、リンがいままで培ってきた『探険』の経験だった。
 リンが知っている、そしてカイナから補足された『石碑』の情報によると、『基地』として把握している範囲で、それは五ヶ所に存在している。そのすべてが置かれているのは『未開の地』であり、またキュウコンが巫女として訪れることのある『霊場』だった。ただし、ミロトが母であるキュウコンと行動をともにしていた時分にはこれらの場所に踏み入れたことは無かったことから、結果これらの『石碑』にまつわる『伝説』というものもミロトは知らなかったことになる。
 それらははるか昔から、リンやカイナ、キュウコンたちが生まれるよりもずっとずっと前からそこにあった。いつからあった、ということは誰にもわからない。
 イブの記憶を探る第一の手がかりとして向かった『憂いのほら穴』が、ミロトにとって、そしてもちろんイブにとってその『石碑』のひとつとの、『伝説』のかけらとの初めての遭遇だった。
「三つ目の手がかりも、この先の『石碑』にあるってか? なんだかえらいスケールがでかい話だぞ、イブ。ええ?」
 リンが、列の最後方から悩ましげな声をイブに向けた。表情は傍から見ればいつもどおり憮然としたものだった。上腕には、赤いスカーフが巻かれている。
「えっと……ごめんなさい」
「いや、謝る意味がわからん」
 先頭のイブが、ちょっとだけ肩を落とした。イブの言葉に反応しながらつづくミロトと共に、リンと同じく赤いスカーフを首に巻いていた。その色は、『基地』内での通例として探検中をしめすしるしとして用いていた。
 かれらは今、『石碑』のある霊場、『峰炎の間』に向かっていた。そこは『憂いのほら穴』から数えて三つ目の『石碑』がある。
 二つ目があった『海風の断崖』はリンの『入隊試験』をした翌日に向かい、既にその文言を記録していた。これまでイブ達が発見した『石碑』の文言の解析は、カイナが引き受けている。
「俺は『未開の地』へもよく出向いてたが、『石碑』のある霊場ってのには行ったことが無かったからな」
 リンは変わらない表情で言った。ただ、声の調子は励ますようだった。
 イブもミロトも、リンの感情は表情からじゃなくてその声色から判断するのがいいのかも、という結論を出してからは、この大型ポケモンとの会話で戸惑うことが無くなった。そして、感情豊かなポケモンだということに気付いた。それからのミロトは、とくに楽しそうにリンと会話するのだった(イブもリンと会話をするのが苦なわけではないが、ひとつの『道』の練達者に対する畏敬の念が先にあるため、ミロトほどくだけることはなかった)。
「どうして?」
 ミロトが雲がさっぱり見当たらない空から雨が降るのを目にしたときのような顔でたずねた。
「お前らがカイナから『憂いのほら穴』について聞いた事情ってのと同じようなもんだ。いくら探険とはいえ、バチが当たるっていう噂があるところに行くポケモンはそういねぇ。実際にその『バチ』とやらにあたってるポケモンがいるんなら尚更だ。でもま、これもいい機会っつーことだな」
 リンはイブを見た。その足どりは軽快、とも鈍重、ともいえない、なんとも複雑なものだった。まるでそのこころをそのまま写しているかのようなリズムを刻んで進んで行く。
「……イブ、やっぱり気になるか、『石碑』の言葉が」
「……はい」
 考えごとを見透かされた問いに、イブはすこし驚いた表情でふり向き、首肯した。
 注意ぶかく視線をもどしたイブを見ながら、無理はないのかもしれん、とリンは思った。
 記憶を失い倒れ、何もわからないところへ示された手がかりの『石碑』。それに書かれた不思議な文言。
 『海風の断崖』にあった石碑には、次のように書かれていた。

 世界の外から来たりし来訪者、それは人なり。
 世界の外から人来たりしとき、人にあらざるもの現るることあり。
 その者現われしとき、世界の歪みが表れしとき。

 これまでの二つの石碑に共通するキーワード。『世界』、『歪み』、『人』。これらの文字は、イブとミロトがドサイドンとかち合った『憂いのほら穴』の石碑にもあったということは、リンも聞いていた。
 イブの想像がいちだんと膨らんだのは間違いがなかった。
 人間だったんじゃ。ボクは。もしかして。そしてこの地でポケモンになった原因が、記憶を失った原因が『世界』の『歪み』だったとしたら。
 石碑がイブにつながるヒントだとすれば、こういう考えが出てきてもおかしくはない。いや、出てきて然るべきだ、とリンは考えた。
 イブが『人』であった可能性。
 しかしそもそも。そもそも、だ。リンはイブ達を手伝うことに決めた当初からの疑問を口にした。
「どうしてカイナは、『石碑』をイブに教えたんだろうな?」
「どういうことですか?」
 リンのこの一言に、こんどはイブがミロトにつづいて耳と尻尾の向きをかえた。
「こう言っちゃ悪いが、カイナがたかがイーブイの記憶喪失の手がかりとして『石碑』に目をつけた、ってのが腑におちねェんだよ、俺は」
 そうだ。そうなんだ。こうやって『石碑』を求めてまわっている発端がカイナの提案ならば、カイナはどうやってそのアタリをつけた。いくら『基地』のサブリーダーをつとめるほど『探険』の経験が深いからといって、それだけでいわくつきの場所にイブを遣るのは不自然じゃあないのか。
 リンはみずからの言葉で考えをまとめながら、続けた。
「お前はどう見てもイーブイ、ポケモンだ。偶然の事故にあった影響で記憶を失っているだけかもしれん。だのにどうも、そこに『世界』だの、『人』だの書いてある『伝説』につながるよう仕向けて――」
 そこまで口にして、リンは声を詰まらせた。『人』という言葉を、イブはどう考えているのか。それを、まだイブ自身から聞いてはいなかったことに気付いたからだった。
 リンの沈黙の意味を感じとったのか、イブは戸惑うリンを見上げて微笑んだ。
「ボクの正体がもともとただのポケモンでも、『石碑』に書いてあった『人』――『ニンゲン』だったとしても……こうやって探し歩いてると、なんだか安心できるんです。自分ですこしずつ進めてる気がするっていうのと、そうしてるあいだは『基地』のみんなの一員だって思えるのもあって……」
 イブが言葉を切ったとき、みずからの首もとに巻かれた赤いスカーフにちらりと目を遣ったのを、リンは見逃さなかった。
「カイナさんたちが考えているようなむずかしいことは解らないんですけど……進んでいるあいだに少しでもみんなの役に立ててたら、ボクにはそれがいちばんうれしいです――あれっごめんなさい、そういう話じゃなかったですよね……えへへ」
 イブが、どうぐをかばんに詰め込む順番を間違えたときのような苦笑いをしながら、また視線を前にもどした。ミロトのほうは無言のままだ。以前にイブと交わした会話を思い出したのかもしれなかった。
「あっそういえば――いま思い出したんですけど」
 リンがイブの中の複雑な想いに意識を向けるより早く、ふたたびイブがうしろに振り返って言った。
「前に『憂いのほら穴』の任務をうけて部屋を出たあと、すこしだけカイナさんとルイさんの会話が耳に入ったんです。そのとき、『キュウコンさん』ってカイナさんが言ってたように聞こえて……」
 キュウコン、という言葉に、リンと、そしてミロトがぴくりと耳をふれた。
「ほう、キュウコンだって?」
 キュウコン。リンはカイナと旧くからやり取りがあると聞いていた、『伝説』の伝承者を記憶から引き出した。
 たしか、みずからを『巫女』と名乗りつつ、各地の霊場をめぐっているポケモン。そうか。ミロトを連れて『基地』に来た、と聞いた時点で『石碑』の情報源がそこだと気付くべきだったか。
 リンはイブについてまんなかを歩くミロトを問う。
「お前のかーちゃん、何か知ってるぞ。いまはどうしてるんだ」
「……わかんない。オレには『どんなことも受け止められるように強くなりなさい』って言ったきり、基地には来てないから」
 リンにとってはこれも意外だったが、母親と各地を廻っていたミロトですらその意図をつかみかねているらしい。リンからの問いかけに、困惑気味だった。
 『石碑』に関することは、息子であるミロトには伝えていない。それは何故か。ミロトの成長を促すために、イブに同行させる理由としたか。それとも、他に理由が? わからんな。
 キュウコンとカイナの企みについて頭を回転させようとしたリンだったが、もともとそういう謀略めいた考えが得意ではなかった。そしてその途中でもっともリンらしい答えに行き着いた。俺はいつだってそうしてきたじゃないか。
「その、なんだ……イブの言うとおり、今はただ進んでみるしかないのかもしれん」
 イブの正体に、石碑の文言。何だかんだ考える前に、リンにはこの二つに単純な興味があった。これも探検。探険だな。そうだ。今はこいつらと一緒に進んでみようじゃないか。
「はい……そうですね。ありがとうございます」
「いいこと言うね、リンさん!」
 イブがにこりと、ミロトがにやりと笑う。ミロトはイブの背中をばしばし叩いた。一瞬にしてイブの笑顔が苦さの奥に消される。
「ここはひとつ元気よく進むためにおおきいリンゴくれ!」
「だめ」
 せき込みながらミロトの冗談半分本気半分の要求のみをばっさり切り捨てるイブに、リンは楽しげにのどを震わせる。
(ありがとうございます、ねぇ)
 あくまでも自分のわがままに同行してもらっている、という意識を捨てないつもりなんだな、とリンはイブの口調から判断した。謙虚なのはいいが、気を遣いすぎる向きがあるな。その点、ミロトの陽気さは『PLUCKS』にとって貴重なのかもしれん。
 リンは二匹を見ながら、どこか安心できるような――安らぎを覚える温かさに心のどこかで嬉しさを感じていた。こいつらの進む先は、どちらが欠けることなくたどり着かせてやりたくなってくる。ん、まったく、親でもない俺が親心か。
「リンさん、どうしたの?」
 ミロトが一匹で笑いをこらえている(めずらしくそう見えた)リンに、不審そうにたずねた。
「なんでもねェよ」
 まったくそうは取れない口調で、リンが答える。
「うそだ!」
「じゃあ言ってやる。ミロト、『みきりハチマキ』は耳じゃなくてひたいに巻くもんだ」
「え、マジで!?」
「それじゃ今まで効果なかったんじゃないか?」
 イガグリスイッチを踏んだかのように慌てるミロトの耳で、『嘆きの森』で拾った『みきりハチマキ』がひどくいい加減に結ばれていた。いや、結ばれているというより絡めてある、というほうがしっくりくるかもしれなかった。
「足はすばしっこいくせに手先はぶきようなんだな」
 ま、それであの回避力ならたいしたもんだけどな、と、ミロトがそれを聞いたら舞い上がりかねないリンの言葉は、これから進むたびにけわしさを増す地形と敵ポケモンを思い測ったために続くことは無かった。そこはまさに、困難が徒党を組んでリンたちを待ちかまえているような場所だった。
 まだ陽光が低くはない時間においてもその空は噴煙に薄められて煤を散らし、独特のガスによる臭いがしばしば訪れる者の鼻を焼く。地表には草木の息吹など許すことは無く、ただこの地に巡りあったことを奇貨とした自然のエネルギーそのものが溶岩として終わることなく噴き出でている。溶岩は大気によりやがて冷やされ、絶えず新たな地形を形成する。代わりに熱を受けとった風は、そこに在るものに分け隔てなく百火の苦を捧げていく。
 『PLUCKS』は目的地にたどり着くには避けて通ることのできない、ところどころでマグマが足元を縫う『溶炎の山河』、その中腹を過ぎようとしていた。この地の『石碑』を目にするのも、間もなくと言っていい。
 そして『峰炎の間』に向かうポケモンは、かれらを含めると六匹、となる。

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