第17話 ふたご島・中編

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 海底に向けて、少女の体が沈みつつあった。髪を結ぶ紐が外れ、長い髪が幽鬼のように揺らめく。その口からはもはや気泡さえも出ず、青い顔には生気が感じられない。
 彼女を見守るように、岩のような大きな体のポケモン————ナッツクッキーが、少女をじっと見つめていた。助けるわけでもなく、何かを待つように、ただただ見守るのみ。

 少女の腰のモンスターボールから、一条の光が走った。海中に飛び出したメロンパンは、一瞬ナッツクッキーを困惑の眼差しで見たが、すぐに少女の手を取って海上に向けて泳ぎ始めた。

『!』

 メロンパンの行く手を阻む様に、ナッツクッキーが海中で角を突くを繰り出した。慌てて避けるメロンパンだが、その顔は恐怖と混乱で一杯になる。彼には訳が分からなかった。何故ナッツクッキーがユズルを助けないどころか、自らを攻撃してくるのか。

 避けられたことを理解すると同時に、今度は乱れ突きをメロンパンに繰り出すナッツクッキー。だがバトルに対する恐怖はあるとはいえ、メロンパンに分があった。乱れ突きを反射的に避ける。だが逸れた乱れ突きは掴んでいたユズルの腕に当り、ゆらゆらと赤い色が海中に立ち上った。

『……………ゆ…………ゆず、る』

 その赤い色に怯えを示し、とたんに鈍る動き。その隙を逃さず、またも乱れ突きを繰り出してくるナッツクッキーに、メロンパンはまともに反応すらできず、まともに攻撃を受けた。その目は苦悶の表情に染まり、大きな目からは幾滴もの涙が海水に溶けていく。何故、とその目はナッツクッキーに強く問いかけていた。

『……見定めねば、ならんのだよ』

 ナッツクッキーが、感情を押し殺したような声音で吐いた。メロンパンにはその言葉の意味が全く分からない。分からないけれど、ナッツクッキーがユズルを殺そうとしているのではないかとは思った。

『沈んでから1・2分は経っている。早くしなければ死ぬぞ』


 メロンパンの目が驚愕に見開かれた。先程の乱れ突きをまた数回受けてしまっているユズルの体からは、数本の赤い線が立ち上っている。ピクリともしない冷たい体と、揺れる髪。その姿に“死”という未来を容易く想像してしまったメロンパンは、真っ青になってナッツクッキーを見た。

『此処まで来てなお反撃はおろか、睨みつける事さえ出来んとは』

 ナッツクッキーは僅かに失望の色を覗かせた。その言葉にメロンパンの体が揺れる。状況的に見れば、ナッツクッキーは明らかにメロンパンに敵対していた。だと言うのに、メロンパンは未だ反撃すらできず、あろうことかまだ相手が自ら剣を収める事を、何処かで期待していた。
 
『手遅れになるぞ、お前のせいで』
『……………ぼ………く………は………』

 メロンパンは言葉の重さに泣きそうだった。海中だからコーヒープリンは助けに来れない。ナッツクッキーは明らかに助ける気がない。ユズル本人は死の淵に瀕して意識がない今、ユズルを守れるのは自分しかいなかった。
 体が震えて力が出ない。目の前のナッツクッキーは自分よりも一回りも大きくて、百戦錬磨の威圧感に押しつぶされそうになった。

 ————ダメだ。勝てる相手じゃない。

 メロンパンはそう思った。自分が勝っている様子など、欠片も想像できない。いつもそばでユズルが助けてくれた。けどそのユズルは今助けられないから、自分の力しか頼れるものはない。

 ————ユズルがいてくれたから勝てた。ぼくなんかが、一人で何か出来るはずない。

 『助けて』と、無意識のうちにユズルの顔をメロンパンは見た。揺れる白い顔のユズルは答えるはずもない。刻一刻と迫る命のカウントダウンに、メロンパンは心臓を握りしめられたような感じがした。息が苦しくなって、頭がぐちゃぐちゃにかき混ぜられていくようだ。逃げたい、助けたい、無理だ、ユズルが死んじゃう、勝てない、まだ間に合う————




 ————役立たず。




 メロンパンの脳裏に、言葉と同時に蘇る自分の姿。生まれたときから戦い続け、傷だらけで横たわる同類の数々を冷淡に見下ろす、背の高い男。男は何の興味も示さず、戦い続けたメロンパンを見て、ただ一言だけ言った。


 ————ハズレか。廃棄しろ、次だ。


 ゆら、と水が揺れた。固まっているメロンパンに何かを諦めたようで、ナッツクッキーが角を回転させ始めた。角の回転に従って水流が発生する。小規模の渦潮を纏った角ドリルは、容赦なくメロンパンに襲いかかって来た。焦点の合わない目をしたメロンパンの視界に、一瞬だけオレンジ色の巨体が走る。

『何故、邪魔をする!』

 ナッツクッキーの鋭い声に、メロンパンの意識が返ってくる。角ドリルは横合いから放たれた、海水を揺らす衝撃波によって弾かれていた。ナッツクッキーの問いかけには答えず、再び現れた巨体が間に立ちはだかって叫んだ。

『さっさと行きなさい腰抜け! それくらいできるでしょ!!』
『……!』

 その声に背中を押される形で、メロンパンはユズルを引っ張って海上へと浮上していく。メロンパンの背後では、2匹が火花を散らさん勢いで睨みあっている。

『何のつもりだ、カイリュー』
『馬鹿なことは止めろっていってんのよ!』

 ナッツクッキーが角ドリルを繰り出し、カイリューがひらりと避けて尻尾で叩きつける。しかしその尻尾を掴みナッツクッキーはカイリューを振り回そうとした。カイリューが吹っ飛んでナッツクッキーはメロンパンを追いかけようとしたが、またも放たれた衝撃波に、海中の岩を砕きながら吹っ飛んだ。

『何人トレーナーを試したところで、合格なんて出来るはずないじゃない』
『黙れ』

 ナッツクッキーがカイリューを睨みつける。カイリューは頭が痛いとばかりに横に振ると、ナッツクッキーに向けて凄まじい勢いで海中を飛来した。

『メグルの代わりなんて、何処にもいないのよ!』
『黙れぇぇぇぇぇぇっ!!』

 海上を目指すメロンパンの背後で、2匹のポケモンがぶつかり合う音がした。音に震えながらも、メロンパンはただ上を目指す。

 ————自分の弱さに、吐き気さえ覚えながら。






 温かい。唇に柔らかくてぬるい感触。流れ込んでくる空気と胸を押す痛さに、私の意識は浮上した。

「う……が……っ、げほげほげほッガほッげほ……は、はぁ……は……っ」

 酸素を求めて激しく呼吸をする。私が意識を取り戻したことで、唇の感触は離れていた。鼻の奥がツンとする感じがして、肺が圧迫されているようだ。浅い呼吸を繰り返した後に口元に垂れる海水とか唾液を袖で拭った。

「まさかこんなとこであんたに会うとはね……」

 かけられた声に、ぼんやりとしていた脳内が一気にクリアになる。この声は、聞いたことがある。私は顔をあげた。
 茶色の長い髪、両耳のピアス、黒が中心の服装、年齢に見合わない大人びた顔つき。その人は困ったように、それでいて安心した顔で笑っていた。

「ま、無事息を吹き返したようで良かったわ」
「ブルーさん!」

 私は久しぶりに見たブルーさんに飛びつこうとしたが、自分の服を顧みて止めた。私の服は海水を含んでぐっしょりと濡れており、とても人にくっついたりする気にはなれない。

「ポケモン達は!?」

 まず気になったことを叫んでから、慌てて自分の周りを見渡す。腰のモンスターボールを確認するが、全部空になっていて真っ青になった。誰もいない。何処にもいない!

「他のポケモンはともかく、カメールならそこよ」

 ブルーさんが示した方を見ると、そこにはいつも通りからにこもったメロンパンがいた。とりあえずメロンパンだけでもいたことに、胸を撫で下ろす。私はメロンパンを抱きしめて、深く息をついた。

「良かった……」
「あんた他にはどんなポケモン連れてたの? もしかしたら見かけたかもしれないし……」
「他には……スピアーとサイドンを連れてました」

 ブルーさんは思い返すように眉を寄せたが、数秒考えて首を横に振った。

「……残念ながらアタシは見てないわ。でもスピアーなら空中に逃げる事が出来るし、サイドンはなみのりが使えるから、何とかなるわよ。心配しても仕方ないわ」
「……はい」

 ブルーさんの言葉はもっともだ。心配しても仕方ない。

「よし!」

 私は頬を強くたたいた。彼等も私達を探しているだろうし、私がここで立ち止まっていても進展はない。なんでもいいから歩きださないと。私は軽く服を脱いで絞るとまた着て、立ち上がった。

「メロンパン、戻ってね」

 メロンパンに声をかけて、ボールに戻そうとする。しかし、メロンパンは素早くからから手足だけ出すと、ささっと横に移動して赤い光線を避けた。

「メロンパン? どうしたの?」
「……」

 黙ったまま、動かないメロンパン。こんなこと初めてで、私は困惑しながらメロンパンの横に膝をついた。

「ボールに、戻りたくないの? 何かあったの」
「……」

 メロンパンはすぽっと顔を出して立ち上がった。じっとメロンパンを見て返答を待つ私を、大きな瞳で見つめ返してくる。何のリアクションも返してくれないメロンパンに、私は何となく微笑んでみた。

「……ッ!」
「ええっ!?」

 メロンパンは大粒の涙を流して泣きだした。次から次へと溢れてくる涙に驚いた私は、おろおろしながらブルーさんにアイコンタクトを送った。

『ど、どうしたらいいんでしょうか!?』
『アタシには、どうしようもないわ』

 ブルーさーん!!

 ブルーさんに投げられた私が慌てていると、メロンパンがよたよたと近づいてきて、私の服の裾を掴んだ。掴んだまま顔をふせて泣き続けるメロンパンに、私はとりあえずその頭をそっと撫でてみる。メロンパンは一瞬びくっと震えたが、大人しく撫でられ続ける。撫でることに成功したのは良いが、ここからどうしたらいいのかが全く分からない。

 私が何をしたというのだ。誰か教えてください。






 メロンパンが落ち着いた後、ブルーさんにくっついていくことになった。うずしおで下の階への海中直線コースを進んだため、ここはふたご島の最深階近くになっている。地上の道を進んできた訳ではない私は迷う可能性が高かったし、メロンパンはなみのりが使えない。でも他のポケモン達も探したい。私が無理と迷惑を承知でブルーさんに仲間の探索協力を土下座で頼み込むと、ブルーさんは苦笑いして了承してくれた。
 それはそれとして纏まったのだが————
 
「メロンパン、大丈夫? 戻りたくなったらすぐに言うんだよ?」
「……」

 心配そうに問いかける私に向かって、メロンパンは無言で頷いて少し前を歩く。
 マサラタウンにいたころは、二人きりなら時偶に出てきてくれていた。だが今はブルーさんという他の人間がいるのに、こうやって自らの意思でメロンパンが歩いている。どういった心境の変化か、心の成長か。私が気を失っている間にどんなドラマがあったのか詳しく語って欲しい。確かに嬉しいけど、そんなにすぐに成長されても私は困っちゃうよ!

「ポケモンだってあんたの知らないところで、いつの間にか成長してるもんよ。温かく見守ってあげなさい、ユズル」
「そんなこと言っても……ブルーさぁぁぁん」

 先行して歩いているブルーさんはざっくり言うが、私は付き合いが長かった分、どうしたらいいのか逆に分からない。それに、少し前を歩くメロンパンの揺れる尻尾を見て、どうにも私はどこか強い不安を感じていた。
 メロンパンのひきこもりは一見治ったように見えるが、果たして本当にそうなのだろうか? 私が溺れて気を失っている間に、確実に何かがあったことは間違いない。そもそも一緒に渦潮に巻き込まれたはずのナッツクッキーは何故いないのか。メロンパンが一鳴きすらもせず、無言を貫くのは何で? いつもだったらもう少しくらい返事があってもいいはずなのに。
 疑問が脳内を堂々めぐりして、答が見つからない。あぁ頭が爆発しそうだ。私は元々考えるのがそんな得意な方ではなくて、むしろ感覚で動くタイプだ。こういった頭脳戦はカスムの方が得意なのに、そのカスムはいない。キリは私寄りの人間だからいても役に立たない。いや少なくとも私よりは頭が良いから、もしかしたら分かるかもしれないが、キリもいないからやっぱり意味ない。

「……なーに、考え込んでんのよ」
「うわたッ!?」

 頭から湯気が出そうな勢いで悩んでいると、ブルーさんがいつの間にか目の前にいて、額を突っついた。ため息をついて私に指を突きつける。

「何度も言ったでしょ。考えても仕方ない事なら考えないでいいの! それ以上にアンタは、考えて動くような人間じゃないでしょうが!!」

 ぽかんとした顔で目をパチパチさせていると、ブルーさんが真っ直ぐに私を見据えた。疑問が頭から一気に抜けて、シンプルな解答だけが残る。


 私は今、どうしたい?


 みんなを見つけて、また旅を続けたい。一匹も欠けることなく、みんな一緒に。


「ごめんなさい、難しく考えすぎてたみたいです」

 照れながら笑うと、ブルーさんは突きつけてた指を下ろして同じように笑った。

「そうそう。“馬鹿の考え休むに似たり”って言うでしょ」
「ブルーさんそれは酷いです」
「あーら。“うたう”って技を知らなくて、ぷりりの歌で眠ったら悪いからって必死で眠い目を擦っていたのは、どこの誰かしら?」
「う゛」

 言葉に詰まった私に、ブルーさんは「オホホ」とニヤついて手を口元に当てた。
 くっ!「馬鹿って言う方が馬鹿なんですよ!」とか言いたいけど、本当に頭の良いひとだからそんなこと言えない! むしろポケモン関連の問題を出されてコテンパンにされる気がする……!
 
「でも、少しは私だって……」

 響く攻撃音が遠くで聞こえ、地面を揺らした。

「まさか……走るわよ!」
「え!? はい! ごめんメロンパン、一度戻って!」
「!」

 ブルーさんが焦りも露わに、私とメロンパンに叫ぶ。メロンパンには悪いが、走るのが苦手なメロンパンにはボールに戻ってもらった。メロンパンがこちらを一瞬振り返った気がしたが、顔を見ないうちにメロンパンは赤い光線に包まれて戻って行った。
 揺れは時折起こり、元に向かって走っているとだんだんと大きく、人の声も聞こえてくる。
 
「ギヤーオオオオオオオオォォォォォォ…………」
「今の声……!」

 今までにこんな鳴き声、聞いたことがない。貫禄があって、聞く者すべてに威怖の感情を抱かせるような、身体の芯まで響く声。声はどうも怒っているようで、私は少しだけ足を止めかけた。だが、すぐに怯えを振り払ってブルーさんの後を追いかける。

「冗談じゃない、フリーザーは私に協力してもらわなきゃいけないんだから!」

 ブルーさんは苦々しく言うと、足を更に速めた。その言葉に私は驚いて問いかける。

「この先に、フリーザーがいるんですか!?」

 三年前、ロケット団事件で実験目的に捕らえられたという三体の伝説のポケモン。そのうちの一体が、この奥にいると言うのだろうか。

「そう! ここまで来たら後戻りできないから、覚悟しなさい!」

 ブルーさんが肩越しに一瞬振り返ると、私に向かって叫んだ。私はブルーさんに即座に叫び返す。

「了解!」

 フリーザーがいると聞いて、戻る気なんてさらさらない。話でしか聞けなかったあの伝説の鳥ポケモンをこの目で見れると言うのに、誰が帰るものか!
ブルーさんと一緒に駆け抜けている、ふたご島内部の通路の終わりが近い。強い光が漏れているのが分かる。トレーナーらしき人の声と、攻撃の音と、フリーザーの鳴き声が鼓膜を叩く。

「でるわよ!」

 ブルーさんが言うと同時に、通路が終わって開けた場所に出る。続く私だったが、ふと一つだけ疑問が頭をかすめた。


 そう言えばフリーザーはともかくとして、フリーザってなんだったんだろう?


 答えの出ない問いは一瞬だけで、私の頭を悩ますことなくすぐに消えていった。





 To be continue......?




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