この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください
前回の異変の川に登場した死鎌(カブトプス)視点の話です。
時系列は過去に遡ります。
古い教会の壁に飾られた十字架の前に膝をついて、私は祈りを捧げていた。ただし、その相手は神ではなく、亡くなった主に対してだ。
私の主は、敬虔な神の信仰者であった。毎日十字架に祈りを捧げる主の姿に習い、私も見よう見まねで行った。そうすることで少しでも主の心に近づこうとを思ったからだ。
祈れば主は喜んでくれた。それが嬉しくて毎日真似をした。だから、主が亡くなった今も身に染みた習慣が抜けることはなかった。その行為が無意味であること知っていながらも、やめることができなかったのだ。
私が祈りを終えて立ち上がると、青年が足音を立てずにやってきた。
銀色の髪を短く切り揃えた青年――名はラーゼンと言う。人間たちが言うにはくっきりとした顔立ちをしており、水色の瞳は冷血さを帯びている、らしい。きっちりとした教団の白い制服を着こなして、腰には飾り剣を差している。
彼は私の目の前まで来ると、うやうやしく跪いた。
「我が使徒……」
私を呼ぶ彼の様子がおかしい。いつもなら背筋が震えるような甘い声を出すのだが、今日は声が震えている。
頭を下げている姿もどこか小さく見える。何かあったのだろうか。
私は右腕の鎌を横に傾けて、彼の頭を撫でた。この行為は、頭を上げていいという合図であり、触れる許可を示すものである。私の方から触れなければ、彼は私に触らない。その理由は、彼が自分を罪人であると決めつけているからだ。
汚れた存在である咎人は、神の使いであるポケモン――教会の人間たちが使徒と言っているものに触れてはいけない。そういった宗教上の決まりを、彼は律儀に守っているのだ。すでに所属していた教会から、破門されているのにだ。
とてもくだらない話だ。彼は、咎人ではない。彼は何一つ罪を犯していない。教会の使徒に――ポケモンに嫌われただけだ。それもポケモンたちが彼を嫌うように教会の人間たちが仕向けたからの話。周りに罪人と罵られ、彼自身が思い込んでしまったから、罪人になってしまった。
今は同じように破門された信徒が作った宗派に身を寄せていることで、昔よりはその考えが薄くなっていると思う。
鎌を下げると、彼は怯えながら顔を上げた。深刻そうな表情に私も緊張する。話し始めるのを待っていると、彼は意を決して喋り始めた。
「誠に申し訳ございません。今日の禊ぎの際に、誤って氷タイプ用のタオルを使用してしまいました」
だから、今日のタオルは冷たかったのか。そうかそうか―――気にしてないから深刻そうに言わないでくれ。
顔面蒼白で私の様子を伺っている彼に、ため息をつきたい。だが、ここでため息をつくと彼は顔面蒼白になるだろう。私の一挙一動にとても敏感であり、勘違いを起こしやすい子だ。
そうか、と頷いて鳴いてから頭を撫でるしか対処のしようがない。案の定私に泣きついて何度も謝り始めた。
彼の行動は大げさすぎるし、異様に見えるだろうが、仕方がないことでもある。教会という狭い空間でしか生きてこなかった彼は、ポケモンに嫌われ、教会の人間どもに罵られ、誰にも認められずに生きてきた。
自分を認めてくれた初めての存在を、失いたくないという気持ちから来る行動なのだろう。
苦労も多いが、彼には悪気がないのだ。彼が犯すミスなんて些細なことだと声をかけたい。
しばらくして落ち着いたのか、彼は私から離れた。
「お見苦しい姿をお見せして申し訳ございません。今後はしっかり表記を見てからお使いします」
そうしてくれるとありがたい。夏場以外で使われると厳しいタオルだと思う。
「もう一つご報告があります。本日、月の使徒が遊ばれる時刻に、堕天使を作る悪魔を払いに行きます」
今日はピッピが遊ぶ時間帯に、ダークポケモンを作るシャドーを捕まえに行くらしい。
普通の人間が聞いたら意味不明だろうなと思う。彼が出るなら、私も行く事になる。しかし、ポケモンバトルをするにはかなり不安がある。私は手加減が苦手だからだ。致命傷をあたえないようにどこを攻撃するか今から考えていると、彼から待機の言葉をもらった。
「我が使徒はご参加せず、教会でお待ちいただきます」
はっきりと告げた彼の目には、どこか不安や苦しみが見え隠れしている。泣きそうにも見える。
私と行動できない不安か。
いや、彼は私が教会にいた方が安心するタイプだ。
シャドーと戦う不安か。
むしろ戦闘意欲があがっているだろう。
ダークポケモンと戦う不安か。
確かに彼はポケモンと戦うことに強い抵抗がある。しかしほかの仲間が援護したり、ポケモン同士の戦いとなるから問題はないはずだ。
彼みたくポケモンを使うことに嫌悪を抱く信徒はいる。だが協力して戦うような相棒的立場でさえ嫌がるものは少ない。彼だけが極端にポケモンが傷つくことが嫌いなようだが、悪の組織と戦う際は割り切れている様子だ。ともかく、ポケモンはポケモン同士で、人間は人間同士が戦う。その図解のはずだ。強い不安はあるまい。
では本当の不安はなにか。不思議に思いながら小さく頷いてわかったことを示した。
「ありがとうございます」
安堵の表情を浮かべながら、やはり不安が残っている。
「それでは、私は悪魔祓いのため、準備にかかります。その間、主はお休みください」
頭を下げて、彼はその場から素早く立ち去った。
今、私のことを“主”と言った。
何か隠し事をしているようだ。彼は後ろめたいことがあると私の呼び方が変わるのだ。胸にかけてある十字架に触れながら考える。主ならこの後どうするだろうか。
しばし考え込んで、十字架の前から踵を返して外へと出る。今日も天気が良いようだ。明るい太陽の日差しが差し込んでおり、日陰でポケモンが休んでいる。誰に話しかけようかと迷っていると、隣から明るい声がした。
『よぉシガマ。今日はやけに長いお祈りだったナ』
話しかけてきたのは黒ずきんをかぶった骸骨のポケモン。赤い目で私の覗きこんで愉快そうに笑っている。彼の名はケイビ。教会の周りを回っているポケモンだ。夜を好むというゴーストタイプなのに朝が好きな奴だ。
『ラーゼンと話していた。最近彼は挙動不審になっていないか?』
『さぁ、お前以外のポケモンの前ではいつも挙動不審だからナ。そういえば久々に、あのかわいこちゃん連れた人間が訪ねてたナ』
『かわいこちゃん?』
『おう、ムウマージだよ。めちゃくちゃ美人だったナ。ヨマワルには興味ないって振られちまった』
ムウマージと言えばあの科学者だ。頭のおかしい人間であったと記憶している。彼を訪れたということは、当然なにか頼んだはずだ。それが不安の原因というわけか。
『ありがとう。助かった』
『よくわからないけど、どういたしまして。そういえば、お前今日の夜参加するん?』
『ラーゼンに秘密で参加する』
『マジかよ。ならガイドに伝えておくわ。案内人の仕事ができるって喜ぶぞ』
ガイドというのは、ケイビの兄で、ヨノワールというポケモンだ。死者を出す前提の話をされて、イラつく。思わず声を尖らせる。
『私は人もポケモンも殺さん。それにガイドが実際に案内してるところなんて、見たこともないぞ』
『あーまずは手加減覚えてからそう言いナ。死刑執行人の仕事をしてたせいで、技の出力100のお前が戦ったら結果なんて見えてるって。俺をトラウマにさせたフレア団の戦闘、忘れたとは言わせないぜ』
ケイビは笑いを潜め、真剣な顔で私に言った。あれは、ラーゼンがフレア団に捕まった時のことだ。ケイビたちと他の人間たちと一緒に、ラーゼンを救うためにフレア団のアジトに向かった。
そして、彼が拷問を受けている姿を見つけて私は――。
『お前の鎌は、技は、殺しに特化してんだよ。その気があろうがなかろうが、最大出力がでるようにできちまってる』
『――そうだな。そのつもりがなくとも、結果が全てだ。否定しない』
『ポケモンバトルという遊びを、したことがないからのもあるだろうナ。0か100の世界だ。けど、今は50でもいいんだ』
確かに0か100の世界だった。手加減すれば、死刑者に苦痛を感じさせてしまう。せめて苦痛は一瞬に、死刑執行人ながらの慈悲の考えだ。主はその思いで仕事をしていた。私も、主の代わりを始めた時、その心で行っていた。そのせいか、技を全力で繰り出すことが身に染み付いていた。
『その通りだ。――今日は絶対案内させない。ガイドにそう伝えておいてくれ』
胸にかけてある十字架に触れて、私は誓いを立てるようにケイビに言った。
『オッケー。今の様子なら、大丈夫そうだナ』
『気を使わせて悪かった』
『別に。本音は巻き添えを食いたくないからって話。俺たちは効かないけど、ヴォルドには効くからさ』
ケイビの顔から真剣な雰囲気が消えて、いつもの愉快そうな笑みが戻った。
『それでも言ってくれるのはありがたい。こうして話ができるポケモンは少ないからな』
『まぁ、お前の経歴もあるけど、実際壊れている奴も多いからナ』
確かに壊れているポケモンはいるが、言い方が悪い。
ポケモンは神が人間に与えた使いであり、人間のために存在する。故に好きに支配し使用して良いという考えを持つ宗派が少なからず存在する。そうした考えのもと教会に酷使されたポケモンを見て、それを快く思わない信徒が破門されることがあるのだ。
破門された信徒が集まるこの教会では、そういった心がボロボロになっているポケモンを連れていることがたびたびある。そのため心を閉ざしたポケモンを治療することが教会の仕事となりつつある。
信徒でなくとも、一般からの相談も引き受け始めているようだ。
『そもそも、一番壊れていいお前が、壊れてないのが怖いけどな。ぶっ飛んじまってるってわけか?』
『なぜ壊れないといけない?』
『手遅れってやつか。いや。なんでもない。お前がいいならそれでいいんだろ』
とても失礼なことを言われた。酷い奴だ。
『まぁいい。話がだいぶ飛んだが、ラーゼンが会ったムウマージを連れた男、帰り際も見たか?』
『見たよ。その際ガイドがアタックしてたけど振られてたナ。ヨノワールに興味ないって。――そう言えば、誰に興味あるのかと聞いたら、ダークポケモンに興味があるとか言ってたかナ。ダークポケモンになったら考えてあげるとか』
最近のかわいこちゃんはすごいこと言うぜ、とケイビは肩をすくませた。
――おかしい。あのムウマージは、トレーナーが大好きで、ポケモンには興味がないはずだ。それを考えると、彼女の言葉はあの科学者が今欲しいているものに通じていそうだ。
『ダークポケモンか。自分もダークポケモンだからそう言ったのかもしれない』
『へぇ、そうなん――ってはぁ? あの子ダークポケモンなの?』
『ダークポケモンだった、が正しいか。今はわからない』
『そんな風には見えなかったけどナ。そっか。あの子も大変な思いをしたんだナ』
それからケイビは少し考え込んでから、拳を握り締めた。なぜかやる気に満ちている。
『俺、今日の夜頑張るわ。シャドーを倒す!』
『そうか。よくわからないが、頑張れ』
『お前も頑張るんだよ! いや、ダメだ。本気にならないで頑張れ!』
矛盾した言葉をかけられ、私は困惑する。とりあえず適当に頷いてケイビと別れた。
あの科学者がダークポケモンが欲しくて彼に掛け合ったというなら大変だ。ラーゼンのことだから、ポケモンを渡すぐらいなら身売りを考えるだろう。だが、身売りすると決めていたら不安を抱く必要はない。きっと科学者になにか脅しをされている――例えば私に危害が及ぶとか。
ダークポケモンを渡すのも嫌だが、私に迷惑をかけるのも嫌だ。そんな板挟みで苦しんでいる。そう考えれば、納得がいく。
科学者と戦う事になるなら、シャドーと戦うよりも真剣に臨む必要がある。依頼ができないと、いつまでも付きまとい彼を追い詰める。下手をするとポケモンを使って、トラウマを刺激する。本当に嫌な奴だ。
どうやってラーゼンに気づかれずついていくか。持ち物として、十字架のアクセサリーの中に入れる道具を何にするか。ダークポケモンをどうやって手に入れるか。あの科学者と彼の待ち合わせ場所がどこなのか。
問題は多いが、一つ一つ潰していこう。
――主。貴方の言うとおりラーゼンはいつも私を困らせる。本当に困った人間だ。だけど、彼がいるおかげで貴方ががいない世界でも、生きようと思えた。最初は主の命令で彼のそばにいたが、いつのまにか大切な存在になった。当然、主よりは下だけど。
だから、私は彼の使徒で有り続けるかぎり、守ると決めた。彼が私を必要としなくなり、一人で歩くことができるその日まで、守り続けよう。例え何があろうとも、彼の手は汚させはしない。
汚れ役は、私だけで十分だ。
前回登場した科学者さんがシガマを要注意の枠組みに入れているのは、一度ガチ切れされて大変な目にあったから。