異変の川

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読了時間目安:21分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

良い子の皆、悪い人には絶対近づかないこと。
特に腕に自身があるからと言って、ポケモンで撃退するとか考えないように。
これ、お兄さんとの約束だぞ。
――とある警察官の言葉――
 夜も更けた山間の空に、真っ赤な三日月が登っていた。赤い月光を地上へと降り注ぎ、それを目にした人間たちは、空の不気味さに思わずカーテンを閉める。夜に活動するポケモンたちも嫌な気配を感じてか、今日だけは静かに過ごしていた。その中で、岩場の穴から外に出て月を見上げる一匹のポケモンの姿があった。
 全身が赤みを帯びた白い毛で覆われ、頭には天に浮かぶ赤い三日月の如く弧を描いた角が生えている。顔はクラボの実のような赤い色。反対に瞳の色はカゴの実のように深い青色をしていた。見上げている顔は張り詰めており、じっと赤い三日月を見つめている。

 何かが来る。

 危険感知能力が高いアブソルは、本能的にそう思った。安全な場所へと逃げるために勢いよく岩場から飛び出した。小さな涸れ谷へ着地すると、すぐさま草木を掻き分けて走り出す。
 暗い山をスピードも緩めずに走り抜ける中で、視界の端に光を捉えて心臓が飛び跳ねた。
 思わず足を止めて辺りを見渡すと、人間の匂いが鼻を通り抜ける。アブソルは自分が人間たちの領域に入り込んだことに気づいて狼狽した。

 このまま引き返すべきか迷っていると、角が痺れだして危険を警告する本能がアブソルを責め立てる。人間に対する恐怖よりも、迫り来る正体不明の恐怖のほうが危険と判断して村へと向かった。
 ただし正面入口ではなく村の裏を目指した。できるだけ人気が少ない場所を目指し人間との衝突を避けたかったからだ。なるべく足音を消して移動するも、赤みがかった白い毛並みは森の中ではよく目立つ。目ざとくアブソルを見つけた村の守衛たちが、口々に怒声をあげた。


「悪魔が来たぞ!」
「寝ている奴らを起こせ!」
「今度こそ捕まえてやる!」
「いつでも避難できる準備をしろ!」

 殺気立つ人間たちを横目に、アブソルは走り続けた。そして、ふいに角がじわりと熱くなり歯を食い縛る。

 ――来た。

 その瞬間、動くはずのない大地がぐらりと動いた。木々がざわめき、岩が踊り始める。
 外にいる人間たちは足を取られ、混乱の声をあげてた。傾く家から飛び出す人々や、倒れる木々から急いで逃げ出す人々。

 アブソルは足を踏ん張って揺れに耐えた。所々崩壊した村をわずかに一瞥する。地震で混乱している中、遠目でありながら明らかに自分を捉えている人間がいた。村のはずれに立っている長身の人間は、闇夜に近い黒の服を着ていて布に包まれた長い荷物を背負っていた。この状況でさえ自分から目を逸らさない人間がいることに身震いし、冷や汗が流れる。
 揺れが収まるか収まらない内に、アブソルは森へと姿を眩ませた。その場に留まっていたら、きっと殺されてしまう。

 別の危険に恐怖しながら、住処にしている岩場に猛スピードで戻った。しかし到着早々、アブソルは失意に陥った。地震の影響で岩場が崩れ住処が壊れていたのだ。逃げ出していなければ、今頃生き埋めになっていた。だが長年愛用していた無残な住処の姿に、アブソルはショックを隠せなかった。しばらくその場に佇んだ後、ようやく新しい住処を探すため岩場を後にした。


 涸れ谷を歩いていると、遠くから人間たちの声が聞こえて肝を冷やす。安全のためにと光が少なく、人が入りにくい獣道さえない道を進んでいくことにした。また、他のポケモンの縄張りに侵入していないかと気を配りながら歩いていく。かなり精神力を用いた新しい住処探しは、アブソルの体力を確実に削っていった。

 探索中に水の匂いを嗅ぎつけて、誘われるように川原へと向かった。流れる川を見ると喉が渇きを訴えてきた。いつもならば周りを警戒してから水を飲むのだが、今回ばかりは無配慮に川へと駆け寄った。喉を潤してから改めて周りを見渡すと、斜めの後ろが妙に明るいことに気づく。

「――へぇ、色違いのアブソルか。野生でいるなんて珍しいな」

 物珍しそうな声が聞こえてきて、アブソルは飛び上がった。そのまま一目散に逃げだそうとした時、本能が警告する。今ここから動いたらまずい、と。
 逃げ出したい気持ちを抑え、アブソルは体をその場に縫い止めた。それからゆっくりと後ろを振り返る。
 そこにはサングラスをした赤髪の男が一人でキャンプをしていた。片腕を白衣のポケットに手を入れて、もう片腕には焼けたマシュマロが掴まれていた。

「なんだ、逃げないのか?」

 てっきりアブソルが逃げ出すと思っていた男は、意外そうに首をかしげた。その時、遠くない場所で爆発音が鳴り響き、地面が揺れた。
 アブソルは驚いて爆発音がした場所を振り向いた。そこは先ほどいた村の方角であった。
 反対に男は驚きもせず、爆煙を確認して口笛を吹いた。

「始まったか」

 何が――とアブソルが思ったその時、黒い雷が地上に降り注いだ。その後に続く人間たちの悲鳴。破壊の音が耳を突き抜けては通り過ぎていく。

「シャドーの実験場に選ばれるとは、運のない村だよな。あの様子だと、終わった後は更地になっていそうな勢いだ。けど、限界集落だからいずれ国に消されていたことだし、どちらにせよ消える運命に変わりはなかったかもな」

 白衣の男は暴力の対象となった村に、哀れみを帯びた目を向けていた。しかしそれもつかの間、同情を宿していた目はすぐに好奇心な光を表し、アブソルを観察する。

「で、逃げない理由はシャドーが原因か?」

 未だにアブソルが逃げない理由が知りたいのか、男は推察を口にする。しかし、アブソルは心の内で否定した。角は熱く、心臓は激しく鼓動している。続けざまに起きる警告にアブソルは困惑する。何が来るのか全くわからない。わかるのは、動かないことが賢明であることだけだった。

「おいおい、何をそんなに怯えているんだ。安心しろ。俺は何もしないぞ」

 アブソルに怯えられていると勘違いした男は、両手を晒して自分が無害であることを示した。しかしそれは上手くいかなかった。手のひらの動きに驚いて後ろに飛び退かれたからだ。

「怯えすぎだろ……餌でもやれば安心するか?」

 男はマシュマロを口の中に放り投げると、足元に置いてあるカバンの中身を探り出した。底を漁ってようやく取り出したのは、くたびれたオレンの実であった。男のカバンから現れた木の実に、アブソルのお腹が反応する。森を走り回ったためいつの間にかお腹が空いていたのだ。

 これ幸いと、男は嬉しそうにアブソルに木の実を見せつける。

「お腹空いているんだろ? やるから、こっちに来な」

 怯えさせないように落ち着いた柔らかい口調で語りかける。察知している危険の元凶がこの男ではないと思い始めていたのもあり、アブソルは恐る恐る近づいていった。

 近くに来たのを見計らい、男はオレンの実を地面に置いた。アブソルは木の実を咥えると、体一つ分距離を取ってから食べ始めた。
 木の実を貪るアブソルを眺めて、男はふとつぶやいた。

「お前、野生にしては怪我が多くないか? 村の人間どもの仕業か?」
 村の人間という言葉に、アブソルの体がびくりとはねた。その反応に男は愉快そうに口の端を釣り上げる。

「――なるほど。俺と一緒で人間に嫌われているんだな」

 アブソルは思わず顔をあげた。この男は人間なのに、自分と一緒で嫌われているのだろうか。
 疑心暗鬼なのは変わらずだが、少しだけこの男を信用し始めていた。今まで出くわした人間はアブソルを見かけたら血相を変えて攻撃してくるか、逃げるかの二択であった。逃げもせず、攻撃もしない男の反応は新鮮であった。ただ、角の痺れは今も続いており危険は去っていない。アブソルはいつ来るかわからない危機に警戒しながらその場に座り込んだ。

 爆発音は絶えず響き渡り、悲鳴や怒声が共鳴している。時折黒い炎や衝撃波が空に上がっていた。あの村を襲っている暴力よりも怖いものとは一体なんだろうか。聞こえてくる騒音に耳を傾けながら考えていた。

 薪をいじっていた白衣の男が急に体ごと後ろに振り返った。アブソルも釣られて視線だけ向けると、そこには白衣の男とは対照的に、黒衣に身を包んだ一人の男が立っていた。手には大きな鎌を携えており、赤い月光に照らされて鈍い光を放っていた。
 見たことがある装いに、アブソルは既視感に襲われた。

「探したぞ」
「こんな所に油売ってくるとはどうした神兵。俺の頼んだものはまだ捕まえていないだろう?」

 白衣の男は、笑みを崩さずに黒衣の男と対峙した。その肩ごしから、ふらりと紫色のポケモンが姿を現した。鍔の広い三角帽子をかぶったような頭をしたポケモン――ムウマージだ。ぼてっとした襟袖に似た手で口元を隠して、訪れた部外者を()めつけていた。

「……そのことで話がある」

 黒衣の男からは抑揚のない言葉が帰ってきた。それから服の内ポケットから何かを取り出すと、手荒く放り投げた。それをムウマージがサイコキネシスで捉えて、トレーナーの掌にゆっくりと下ろした。渡されたUSBをかざして、白衣の男は笑い声をあげる。

「なるほど、そういうわけか。データで我慢しろと? 俺はダークポケモンを頼んだはずだ」
「堕天使は教会が保護する決まりだ」
「一匹も流せないのか?」
「データだけでは不十分か?」
「不十分だね。実物が欲しい」
「……堕天使は速やかに浄化しなければならない。お前のような科学者の手に渡せば、浄化などせずに研究するのだろう?」

 黒衣の男は苦々しく言い捨てると、白衣の男は当然とばかりに言い放つ。

「当たり前だ。それがオレの目的さ」
「だからこそ、断る。堕天させられた使徒を、お前の手に渡すぐらいなら、お前と敵対したほうがいい」
「……本気で言っているのか?」

 白衣の男から笑みが消え、サングラス越しからでもわかるほど冷たい視線が黒衣の男に突き刺さった。トレーナーに同調してか、ムウマージも目元を釣り上げている。
 剣呑な空気を感じとって、アブソルは白衣の男からさらに体一つ分距離を取った。人間同士の争いに巻き込まれたくなかったからだ。

「俺を怒らせるということは、マウムを怒らせるのと同じだぞ」
「お前の使徒が怒るのも承知の上だ。データで納得しないというなら、使徒の代わりに私の体をいじればいい」

 自分の体を差し出すと言われ、男はぽかんと口を開ける。それから腹を抱えて大笑いしだした。膝を叩いての大笑い。しまいにはむせ込みはじめて、ムウマージに背中をさすられていた。
 黒衣の男は、無言で白衣の男の笑いが収まるのを待った。

「はははっ! なんとも魅力的な話をしてくれる! 俺にとっては嬉しい提案だよ。 とある馬鹿野郎のせいで、研究を潰されちまったから被検体がいなくて困ってたんだ!!」

 ひとしきり笑い終えて落ち着いた白衣の男は、ずれたサングラスをかけ直して言った。

「お前をいじるのに、頭の固い協会の理事長共や、イカれた狂信者共が難癖を付けてくるかもしれないが、そんなのはどうでもいい。問題は、奴がそれを許してくれるかだ」

 無表情で話をしていた黒衣の男が、始めてたじろいだ。同時に、極力いないふりをしていたアブソルの背筋に、悪寒が走る。ずっと感じていた危険が、今現れようとしていた。しかし、地震が来る気配もなければ、川が爆発する様子もない。何が来るのだろうかと身構えていると、それ(・・)は川の中からやってきた。

 水しぶきを散らして、川原に上がってきたそれは、アブソルと白衣の男の間に割って入ってきた。幽鬼のように佇むそれを、アブソルは唖然として見上げた。見てくれは茶色い体をしたポケモン。胸には錆びれた十字架が下げられている。背中には複数の突起物が伸びており、腕の先は鎌の形状をしていた。鼻の良いアブソルだけがわかったことだが、それの周りにはハーブの香りがした。特に十字架から香りが漂ってきていた。

 至極、当然のように隣に現れたそれに、白衣の男は極めて楽しそうに声をあげた。

「噂をすればなんとやら。死鎌(しがま)のご降臨だ!」
「我が使徒! なぜここに!」

 黒衣の男は目を見開き、自らの獲物を捨てて、茶色いポケモンに駆け寄ろうとした。しかし、ムウマージのサイコキネシスで動きを拘束される。紫色のオーラに動きを封じられて、黒衣の男はもがいた。それはムウマージを睥睨(へいげい)すると、白衣の男に向き直り躊躇(ちゅうちょ)せず刃を首に当てた。

「その様子だと、黙って一人で来たのか? どうりで、ご立腹なわけだ」
 鋭利な灰色の鎌は、白衣の男の首元に触れて皮膚を切り裂く。白衣が血で汚れても、男は慌てることなく言葉を発した。
「短気な奴だな……。もう首を落とす気でいる。俺の首を落としたら、あの男も道連れになるが、それでもいいのか?」
 ムウマージは、黒衣の男を空中に浮かせて強く締め上げた。しかし信者の呻き声を聞いても、茶色いポケモンは見向きもしなかった。背筋も凍るほど冷たい目で、目の前の獲物をじっと見ていた。

「仕方がない。そんなに俺を殺したいなら、どうぞ。警察官のワイダって奴に首を届けてくれたらとっても嬉しいなあ」
 白衣の男は諦めたのか、体を前に動かして自ら刃を首に喰い込ませた。茶色いポケモン――カブトプスは眉間にしわを寄せ、鎌を引いて下ろした。

「なんだ、切らないのか?」
 挑発した態度をされても、カブトプスは表情を変えずに相手を見下ろしていた。それから、鎌に付いた血を振り払う。
 振った鎌から斬撃が飛びだし、直線上にいたムウマージの体を貫通する。斬撃はすり抜けただけだが、無防備の状態で放たれた技に驚いたせいで、サイコキネシスが解けてしまった。そのままムウマージは、空中で硬直した。白衣の男は血相変えて、手持ちへ駆け寄った。

 拘束が解けたことで、黒衣の男は動けるようになった。おもむろにカブトプスはそばに近づいた。

「ごほっ……我が使徒……なぜ……」
 敬愛する使徒が、ここにいる理由が理解できず、黒衣の男は混乱していた。
 カブトプスは目を細めて、鎌で男の首を触った。その行為が意味することを理解して、表情を青くさせる。死鎌と言われたカブトプスは、滅多なことがない限り、首に触れてこない。それは、怒りを意味するからである。
 首元から鎌が離れると、黒衣の男は腕を掴んですがりついた。

「お許しを……お許しを……! 我が使徒……!」
 嗚咽を漏らして、カブトプスに懇願する黒衣の男。硬直から、まだ回復していないムウマージをあやしていた白衣の男は、その光景に顔を引きつらせた。

「気持ちわりぃー」

 思わず鳥肌が立って腕をさすると、その横を斬撃が通りぬける。遅れて指の皮膚が削ぎ落ちた。血が流れ出るトレーナーの指を見て、ムウマージは口元を抑える。

「……痛ぇじゃねーか」
 肉が露らになった指を掲げて、カブトプスを睨んだ。衝撃から立ち直ったムウマージは、急いでカバンの中から救護道具を探し始めた。中のものを次々と放り出しては、外に投げていく。

 カブトプスは白衣の男を無視して、自身に跪いている信徒に向き直った。黒衣の男は頭を垂れたまま、震えている。カブトプスはじっとその姿を見下ろすと、頭の上に鎌を添えた。それからポンポンと叩くと、一声鳴く。黒衣の男は顔を上げて、カブトプスを伺った。

「我が使徒……お許し下さるのですか」
 カブトプスは小さく頷くと、爆発音が響く村の方角を鎌で指し示した。その姿で答えを導いた黒衣の男は、地面に投げ出された鎌を拾い上げる。

「わかりました。これから聖戦に参加致します」
「はあ? ちょっと待てよ」

 儀式の行いを傍観(ぼうかん)していた白衣の男は、突然の展開に突っ込んだ。救急道具を見つけたムウマージに指を手当してもらいながら、片方の手で力強く指す。

「取引の話は終わってないぞ! 今からシャドー共と戯れに行くつもりか?」
「戯れるだと? バカが、私はこれから、堕天使を作り出す悪魔の組織を、滅ぼす戦いに行くんだぞ。ふざけるのも大概にしろ!」
「ふざけてないし、取引をないがしろにしているお前が一番ふざけてっ!」

 消毒液をかけられた痛みで、白衣の男は苦痛に顔を歪める。ムウマージは目に涙を溜めながら、手早く治療を行い、包帯を巻く作業に入った。
 白衣の男が苦しんでいるその隙に、黒衣の男は忽然と姿を消していた。

「あのくそったれ。テレポートで逃げやがった」

 舌打ちして、まだ残っているカブトプスを見遣る。
 信徒が居なくなったのを見計らうかのように、カブトプスは顔を歪めて咳き込み始めた。白衣の男が怪訝に思っていると、一際大きく咳き込んで、何か丸いものを吐き出した。
 それは、モンスターボールであった。中にはきちんとポケモンが入っている。白衣の男が唖然としていると、カブトプスはボールを蹴って足元に転がしてきた。唾液に濡れたそれを拾い上げて、中身を確認すると、自然と口元がほころぶ。

「――流石、死鎌様だ。全てお見通しってわけか?」

 中に入っていたのは、瀕死のマグカルゴであった。かけている首輪にシャドーの印が記されており、ダークポケモンであるとわかる。取引の品物が手に入り、白衣の男は満足げに頷いた。

「信徒の尻拭いをするとは、できた主じゃねぇーか。お前さんと商談したほうが、よっぽど有益そうだ。そうは思わないか?」

 白衣の男は、カブトプスに向かって取引を持ちかけた。この場を誰かが目撃したら、男のことを狂っていると言うだろう。しかし、彼はふざけていない。大真面目に話をしているのだ。

 カブトプスは呆れた視線を送り、鎌を横に振った。小石が飛び散り、川原に横線が引かれる。拒絶の意味であった。

「そっ。残念だな」

 ムウマージによって包帯巻きにされた指をさすり、動きを確かめる。

「なら、もう用はない。あんたのおかげで俺の用事が終わったから、石頭にちょっかいを出す理由もなくなった」

 やっぱり痛むなと、指の怪我の具合が思ったより重いことを知り眉間にしわを寄せた。切られた首もヒリヒリ痛み出し、襟元が真っ赤なのも気になった。涼しい風が吹いてきて、風が出てきたと考えていると、アブソルが先程よりもかなり遠くにいることに気づいた。

「おい。もう大丈夫だからこっち来な」

 しかしアブソルは、全力で首を振っていた。なんだと思っていると、無言を貫くカブトプスの周りで風が巻き起こっていることに気づいた。砂が舞い、少しずつ風が刃へと変化している。

「あら嫌だ。何か知らないけど、地雷踏んじゃった? マウムよろしく」
 対処を頼まれたムウマージは、赤い目を黒く光らせて、逃げていたアブソルにサイコキネシスをかける。

「ガウッ?!」
 蚊帳の外でいたアブソルは、突然自分に襲いかかった技に反応できず捕まってしまった。黒衣の男にかけた紫色のオーラではなく、禍々しい黒いオーラによって、動きを封じられる。振り解くために、身をよじるが体は浮いたまま、白衣の男の前に移動する。

「よお、色違い。道連れにしちゃって悪いな」

 そう思うなら開放しろ、とアブソルは吠えた。もしかしたらこれが察知していた危機のことだったのだろうか。それならここにいないほうがよかった。危険が起きすぎて自危機察知能力がおかしくなっていたのか、と自分の本能に疑問を抱き始める。

 吹き荒れる風が、鋭い刃へと変化した頃になって、カブトプスは鎌を地面へと叩きつけた。風の刃が川原を襲い、小石や砂が風圧で飛ばされて川に落ちていく。砂塵が立ち込んで、アブソルはむせ返った。しばらくして煙が晴れると、カブトプスの姿は忽然と消えていた。

「人質作戦が功を成したようだな」

 砂利まみれになった白衣の男、もとい灰色の男はその場から立ち上がると汚れたサングラスを外した。その目は、アブソルが今まで見たことがないほど、奇妙な形をしていた。目の中に、二つの瞳があったのだ。
 唖然と自分の顔を見つめるアブソルに気づいて、男はにやりと笑う。

「死鎌には誘いを断られちまったし、今日はお前をお持ち帰りするわ」
「ガー!!!」
 絶対嫌だー!!!

 アブソルは吠えまくるも、わきわきと両手を怪しく動かして、近づいてくる男から逃れる術はなかった。
 深夜の空に登る赤い月は、哀れなポケモンを静かに照らしているのだった。
狂人さんと狂信者さんのお話でした。
8/15一部加筆

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