少女は思念の森で(サリー視点)

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読了時間目安:14分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 檻の中でティナさんに注射器のようなもので「何か」を入れられてから、ボクは不思議な森の中を彷徨っていた。森の木々は白くて、でも時々水色に光っていて、見ているだけで何だか幻想的な雰囲気を感じ取れる。
 でも、どうしてだろう。ここに長くいてはいけない。すぐに出ないといけない。そんな気がして、ボクはずっと出口を求めて歩き続けていた。それほど広い森じゃなさそうなのに、どこをどう歩いても出口に近づいている気がしない。
 最初は歩いている方向が間違っているのかもしれない、わかりにくいだけで近づいているのかもしれない。そう思っていた。
 だけど、ある程度進んでも出口が見えないと方向を変えたり、見えなくても「もしかしたら」と少しだけ距離を伸ばしたりしてみても、一向に出口らしきものは見えてこない。ここまでやっても見つからないと、まるでボクをここから出したくないように思えてくる。
 少し歩き疲れて座り込んでいると、ずっと森の中を漂っている薄紫色のモヤのようなものがボクにまとわりついてきた。
 まさかモヤにまとわりつかれるとは思わなかったから、ボクは驚いてそのままモヤに覆われて視界を薄紫色に染められる。薄紫色のそれは意志があるかのように動いて、手で払おうとしてもすぐにまた視界を覆い隠してしまう。
 一回凍らせることも考えたけど、凍ったモヤがそのまま顔を覆ってしまった時を思うとそれもできなかった。いくらボクが氷タイプだったとしても、顔を覆われてしまえば危険なことには変わりない。
 モヤのせいで何も見えない。耳を澄ましても、ボクの鼓動以外には不気味なまでに何も聞こえてこない。ボクは不安などの感情からこの場にはいない彼らの姿を思い浮かべた。

「皆……、どこにいるの……?」



 じっとしているのも何だか不安で、ひとまず動こうにもモヤのせいでどう進めば安全なのかもわからず結局留まるしか方法がない。このモヤは一体何なのだろう。今のところ危険性は感じられないけど、ずっとこういう状態だと自分が自分でなくなってしまうような、そんな予感がした。
 ダメだとわかっていてもモヤを払おうと片手を上げた時、突然頭に痛みが走る。
「な、何!?」
 途切れることなく襲ってくる痛みはとても耐えられるようなものではなくて、ボクは思わず頭を押さえてその場にうずくまってしまった。
『くすくす……くすくす……』
 どうせ何も見えないのだから、と目をきつく閉じて痛みが去るのをじっと待っていると、どこからか笑い声のようなものが聞こえてくる。一体誰を笑っているのかはわからないけれど、何だか自分のことを笑われているようで嫌な気分になった。
 この森といい、頭痛といい、笑い声といい、一体ボクが何をしたというの!? そう叫びかけた声も、頭痛のせいで形にならずに消えていく。
 こうしている間にも、頭痛は治まるどころか段々とその激しさを増していく。このまま意識を手放した方が楽になるんじゃないのだろうか。頭の片隅ではそういう考えが浮かぶものの、意識はボクに反抗的で遠のくどころか逆にクリアになっていく。
 遠くの方でパチン、と何かが弾けたような、壊れたような音がした直後。
「…………え!?」
 今までのものが嘘のように痛みが引いていき、あれだけ払っても戻って来たモヤが消えていく感覚がした。あれだけボクを苦しめておいて、突然どうしたんだろう? 不思議に思って目を開けると、そこは先ほどまでいた森の中じゃなかった。
「あ、お花畑のサリーが目を覚ました!」
「今日は一体どんなお話を聞かせてくれるの? くすくす……」
 目の前にいる二匹のイーブイはジュリーとパフィ。周囲に見えるのは森でも村でもなくて、小さな町の外れにある公園。間違いない。ここはボクが皆に会うより前に住んでいたところだ。
 でも、どうしてこの場所に? 記憶を辿ってみるけれど、テレポートを使われた時にある独特の感覚は来なかったように思える。足元の感覚も変わった覚えがない。それに、ボクを見て笑っている二匹は既に進化していて、イーブイではなくなっているはずだ。
 もしかして、とボクは自分の足元を見てみる。視界に映ったものの色はいつものボク――グレイシアの水色ではなく、イーブイだった頃の茶色だった。視線を戻して今度は視線の高さを意識してみると、明らかに低くなっている。それがわかると、ボクの中での「もしも」が事実へと変わった。
 間違いない。これはあの森が見せている、一種の幻影だ。それにしては当たる日の暖かさや吹く風の心地よさ、耳に入る笑い声の不快さがかなりリアルだ。幻影だと思っていなかったら、きっと過去にタイムスリップしたと勘違いしてしまうだろう。
 ボクのことをお花畑と言った方のイーブイ、ジュリーはこっちの反応がないのを見て何を思ったのか、更に不快な言葉を重ねてくる。
「あんな色違いや改造なんかと仲良く暮らせる世界を望むなんて、本当に頭がお花畑なのね? 進化したらリーフィアになって、本当にお花畑で暮らすつもりなのかしら?」
「いや、ニンフィアになって妄想を語り続けるつもりなんじゃないの?」
 悪意しかない声に、ボクは幻影だとわかっていても唇を噛んでしまう。あの頃もこういう感じだった。ボクはあの町ではただ一匹の「変わり者」で、他のポケモン達からよくいじめられていた。
 ボクは人間とポケモン達が再び仲良く暮らせる世界を望んでいた。そのためには、まずポケモン達から仲良くならないといけない。そう思ったから。でも、それを口にして実際に彼らと仲良くなろうとした途端、周りのポケモンからはもちろん親からも「普通じゃない」レッテルを貼られてボクは孤独になった。
 ……いや、違う。実際は孤独じゃなかった。唯一ボクの考えに理解をしてくれたポケモンがいた。同じ種族だったこともあって、彼女とはよく話をした。ボクが仲良くしているせいで疑いをかけられたこともあったけど、彼女はそれに構わずボクと「友達」でいてくれた。
 ボクが町に居づらくなっていっそのこと村に住めばいいのでは、という考えから町を出て行ってからは会っていないけど、彼女は元気にしているのかな……。昔の思い出と共に彼女のことを思い出していると、突然二匹が消えた。例えでも何でもなく、本当に消えたのだ。まるで影に溶けるように。
「……え?」
 あまりにも突然の出来事に固まっていると、今度は周りの景色が飴細工のように溶けては暗闇に吸い込まれていく。その光景はあまりにも異様で、早くこの幻影から抜け出さないとボクも一緒に溶けてしまうのではないか。そんな不安に駆られた。
 でも一体、どうやって幻影を振り払えばいいのだろう。頬をつねってみても目を凝らしてみても、溶けていく街並みと迫る暗闇は変わらない。むしろ何とかしようとするほどそのスピードを上げているようで、無駄な抵抗はするなとこちらに告げているようだった。
「――う、うわああぁぁぁぁぁ!!!!!」
 幻影だったとしても凍らせてしまえばあるは、という思いから氷技をでたらめに放ちまくった。いや、放ったつもりだった、と言った方が正しかったかもしれない。
 いくら凍らせたつもりでも周囲には冷気の一つも漂わず、ボク自身も技を使用しているという感じが全くしなかった。暗闇に包まれた時にボクの口から出たのは、自分でも現実から逃げているとしか思えない言葉だった。

「――ああ、そういえばボク今、イーブイだったね」

*****

 ぼんやりと意識を覚醒させると、そこは幻影を見せられる前にボクがいたあの森だった。周囲がはっきりと見渡せることから、モヤはどこかに消えてしまったようだ。アレは一体何だったのだろう。ボクに何を見せたかったのだろう。
 様々な疑問が頭の上に降ってはぶつかるけど、今はわかりもしない答えを探す前に森から出ないといけない。時計がないから、どのくらいの間幻影を見ていたのかは知りようがない。体感としては数分も経っていなかったように思えるけど、実際もそうだとは思えない。
 時間の経過が体感とは最悪の意味でズレているとしたら。あり得ないと思いたいけど、絶対にないとは言い切れない。
 頭に思い浮かぶ限りの「悪い結果」を考えて、ボクは焦りを覚え始めた。また出口を探したとしても見つかるとは思えない。ボクが出られない原因が森にあると仮定すると、森の仕掛けを暴けば出口が見つかる可能性はある。
 でも、仕掛けの手がかりすら掴めていない今の状況を思うと到底間に合わない。何に間に合わないのかはわからないけど、それに間に合わないと大変なことになる。そう本能が告げていた。
 だったら一体どうすればいいのだろう。皆に助けを求めるという手もあるけど、そもそもここがどこなのか、どうやって来たのかがわからない。ティナさんに注射された何かの力で強制的に別の場所に飛ばされたのだとしたら、助けは絶望的と考えるしかない。
 そうだとしたら、一体――。終わりのない思考に囚われかけた時、前方から聞き覚えのある声が響いた。

「あなた、一体どうしてここに!?」

 声の主も驚いているようだったけど、ボクも同じ、いやそれ以上の驚きを覚えていた。この声、忘れるわけがない。ボクは声が震えるのを感じながらも、そのポケモンの名前を紡いだ。
「……アンナ?」
 ボクが紡いだ名前にピクリと耳と動かしたイーブイはあの頃と同じ顔で、でもあの頃とは違う視線をボクに向けた。まるでこの世の恨みを全て自分に流されたかのような視線に、ボクは自然と後ずさりをする。
 アンナは距離を取り始めるボクに合わせて距離を詰めるでもなく、ただ恨みの目でボクを捉えている。あの頃とはまるで真逆の視線だった。アンナはあれから一体どうしたというのだろう?
 記憶と同じ彼女だったら、ボクは何のためらいもなく尋ねたに違いない。今は、何も聞けない。聞いたら、記憶の中にあった彼女が完全にどこかに行ってしまう。そんな気がしてならなかったから。
 ただただ距離を取り続けるボクに対し、アンナは黙っていても埒が明かないと思ったのか何なのか、小さく口を開くとまるで呪詛のように言葉を吐き出し始めた。
「ここは思念の森。……まあ、今は場所なんてどうでもいいわね。ねえ、サリー。町を出て行ったあなたというターゲットを失った町のポケモン達は、すぐにわたしをターゲットにし始めたの。『変わり者』と仲良くしていた『変わり者』だってね。
町のポケモン達にされたことを一つ一つ挙げていってもいいけど、そうしたらあなたが耐えられないだろうから言わないでおくわ。ただ、これだけは言いたいの」
 そこで一旦言葉を切ると、アンナは歪んだ笑みを浮かべる。ぞくり、と悪寒が背中を走り抜けた。

「わたしは、あなたのせいでこの世からいなくなることになってしまった。わたしはあなたを一生許さない」

 闇夜を溶かしたような黒い目から恨みが流れ落ち、言葉にできない恐怖がボクを襲う。アンナはもう、この世にはいない? それはつまり、ボクがいなくなったことで、いや、ボクがアンナと友達だったばかりに、彼女は――。
「う、嘘だ」
 今、ボクの前にいるアンナは「何」なのだろう。ボクはどうしてここにいるのだろう。もしかして、アンナと同じことになってしまったからここに来たのだろうか。この森はボク達のような者が来る場所で、定められたところに行くための中間地点だとしたら。
 ああ。そう考えるとボクがこの森から出られないのも納得がいく。行先が決まっている者が勝手に抜け出すことなんて、天と地がひっくり返らない限り無理なことなのだろう。アンナがずっとここにいたのは、ボクに恨みをぶつけるため。
 ボクは友達がどうなったのかも知らないまま、理想を描き続けていたんだ。ボクが友達だったばかりに、「変わり者」ではなく「普通」だったアンナは。何も悪くないアンナは。アンナは――。
 ぐるぐると天と地が入れ替わるような、視界が左右にぶれるような感覚が続き、視界の中でアンナの表情もぐるぐると回る。紡がれていないはずの言葉が耳の中に入り込み、呪いのようにあなたが悪いと責め続ける。
 今立っているのか座っているのかもわからない状態のまま、ぐるぐると景色が遠くなっていく。ボクはここで罰を受けろということなのかもしれない。アンナがこうなった原因を考えると、それはとても当たり前の結末に思える。
 景色も声も認識できなくなり、このまま意識を手放して森に溶けてしまおうかと思い始めた時。
「!?」
 体に少なくない大きな衝撃が走った。体が浮かび、地面を転がっていく感覚が伝わる。自分の状態を確かめることはできないけど、転がった時間を考えると土にまみれている可能性は高い。
 誰がボクにこんなことをしたのだろう。アンナかな。アンナだろうな。ボクに恨みを持っているのだから、攻撃の一つや二つはしたいだろう。逆に今まで視線と言葉だけなのが不思議だったんだ。
 今喰らったのが体当たりだとすると、次には何が来るんだろう。スピードスターかな。それとも噛みつく? イーブイが覚える技で攻撃が可能なものを思い浮かべていると、アンナではない、でも聞き覚えがある声が鼓膜を震わせた。

「戻ってこい、サリー!!」

 この状況にも関わらずハッキリと耳に入ってきた声は、イツキさんのものだ。そう脳が判断した途端、ボクの意識はぷっつりと途切れたのだった。

 続く

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