閑話 闇の中で・そのさん
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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください
「……あれ?」
私は、目を覚ました。闇。目を覚ましたはずなのに、広がる闇。
無音の空間。先の見えない闇に、立っていた。
「何処だろう……」
彼等は何処だろう。青年の姿のコーヒープリン、フル装備のおじさんのナッツクッキー。それから――――
「……?」
もう一人、いたような気がするのだが。
「誰、だっけ」
白かったような気がする。それに、震えていたような気がする。記憶に近づこうとするたび、ぼんやりと輪郭を失い、ゆらゆらと闇に溶ける。誰だろう、分からない。
足元に、何かがぶつかった。波紋だ。振り返る。闇色の水面が、波紋を描いてぶつかる。跳ね返って、響く波紋。その先を眼で追いかけた。続く、続く、続く、ぶつかる。
ぶつかった相手への視線を、足元から上へと。深い青と水色の、二色の長いローブの裾。少年だ。フードは被らず、青い髪が肩口で揺れている。長い前髪の奥から、澄んだ水色の瞳がこちらを捉えた。
「……ユ」
「ユ?」
少年が、何かを言いかけて止まった。私は首を傾げながら問い返す。少年は何度か口をパクパクさせるが、肝心の声が出ない。
「……大丈夫?」
心配になった私は、少年に近づいて行った。良く分からないが、話すにはちょっと距離が遠い。一歩踏み出した私に、少年は一歩後ずさった。
「え゛」
「あ、う、えと……」
困惑しながら、もう一歩踏み出す。
少年が、一歩後ずさる。
「えっと……離れたままの方がいいの、かな」
「……っ」
少年があまりにも泣きそうな顔をしているので、私は提案した。だが、少年はひゅっと短く息を止める。彼は数秒ほど固まっていた。そして、躊躇いながらこちらに足を踏み出した。
じり、じり、と慎重に近づいてくる。その目は戦いに赴く戦士さながらであり、こちらまで緊張してきた。少年から目を離せず、髪の毛一筋も動かす事ができない。ちょっとでも刺激を与えたら、全力で逃げて行きそうだった。距離が近づく。手を伸ばして届く距離。足を伸ばして触れる距離。額を近づけてぶつかる距離――――って、
「近ッ!?」
「わぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
少年が驚いて尻餅をついた。驚いたのはこっちの方だ。だんだん近づいてくるなと思ってたら、物凄い距離まで近づいてきていた。近づきすぎだよ! 物には限度があるよ!
「ごめんね、大丈夫?」
「う、うん」
尻餅をついた少年の横に座って、声をかける。少年は冷や汗をかいていたけれど、特に問題はなさそうだ。並んで座ってその顔を改めて見る。少年もじっと私を見ている。少年の手が私の顔に触れた。両手で頬を触り、髪を触り、額を触り、挙句の果てには引っ張り始めた。
「いひゃいよ……」
「ご、ごめん!」
小さく抗議の声を挙げると、少年は慌てて止める。その顔は何処か嬉しそうで、さっきまでとは違い、安心しているように見えた。
「ユ……」
「ユ?」
さっきと同じ言葉を言い出した。私も同じように繰り返す。
「ユ……ユユユユユユユ……!」
「ユッユッユゥゥゥゥゥー……?」
ユを繰り返している。なんだか不気味だ。少年は深呼吸を何度も繰り返すと、キッと私を睨みつけん勢いで見すえた。
「ユ……ユー……ユズ、ルッ!」
「うわっ! はいぃ!?」
突然名前を呼ばれて、私はびくっと肩を揺らした。というか、めちゃくちゃ驚いた。どうやら少年は名前を呼びたかったようだが、呼んだだけで疲れきっている。そのまま昇天しそうなほど疲れきっている。大丈夫だろうか。
少年は再び深呼吸を繰り返して息を整えると、真剣な顔になる。
「お腹、痛くない?」
「は?」
お腹? お腹は別に痛くない。君の行く末を心配して胃が痛いだけだからお腹は痛くないよ!
「えと、じゃあ、頭は? 痛いところはない? 何処も平気?」
「まぁ……特にはなんともないよ」
そう告げると、少年はホッとしたように息をついた。だが、ふと気になったことがあるので、疑問を口にした。
「ところで――――君、誰?」
息をついていた少年は、動きを止めた。そして、緩慢な動作で私に顔を向ける。ギギギギギ。そんな効果音が聞こえそうだ。
「僕は……」
少年は一瞬絶望の眼差しをしたが、目を閉じて首を何度か横に振る。もう一度目を開いて、私を見る。彼は一縷の望みでも賭けるかのように、恐る恐る名乗った。
「僕は、メロンパンって言うんだ」
「美味しそうな名前だね」
何だかお腹が空いてきた。それにしても、名付け親の顔がみたい名前だ。由来がどうにも気になるところだった。
「もう知ってるみたいだけど……私はユズルって言うんだよ。よろしくね!」
元気よく名乗り返す。彼はもうすでに私の名前を知っているみたいだが、一応という奴である。しかし彼は何故か、一度は引っ込んだ絶望をまた覗かせた。
「……そう、だね。よ、ろし……く……」
「う、うん……?」
掠れた声で、弱弱しく言葉が帰ってきた。私はひどく驚いて、困惑した。一体何が悲しかったのだろう。無意識のうちに、何か傷つけてしまったのだろうか。
「ご、ごめんね! 何か気に障ったのなら本当にごめん!」
慌ててメロンパンに謝るが、彼はふるふると首を横に振った。小さな声で、「違う」と何度も繰り返す。原因は私のように思ったのだが、それも違うらしい。何とかできないかと、私は口を開く。
「話すと良いと思うよ!」
「……?」
メロンパンは、不思議そうに首を傾げた。私はしどろもどろになりながら言葉を何とか続ける。
「辛い事とか、悲しい事とか、話してもどうにもならない事も多いけど……話したらスッキリするよ。それに、私もできるだけ頑張って考えるから……えっと、そう言う事だから……話せばいいと、思うよ」
メロンパンは私の言葉をじっと聞いていた。そして、頷く。彼はぽつりぽつりと、彼の方の事情らしきものを語り始めた。
「僕はね、ひきこもりだったんだよ」
最初からえらくぶっちゃけた事を言われてしまった。どうしよう、私にはどうにもならない相談かも知れない。
しかし、「話を聞く」と言ったのだ。とりあえず最後まで聞いてから何とかならないか考えてみよう。一瞬で複雑になってしまった私の心中に気づくことなく、彼は続けて語る。
「本当に駄目で、情けなくて、外に出る事が怖くて、ユズ……ある人に頼ってばっかりだった」
名前のようなものを言いかけて、メロンパンは途中で言い換えた。聞かれると困る名前なのだろうか。
それにしても、メロンパンは恐ろしくネガティブな出だしで話し始めた。本気でそう思っているようで、語りながらみるみるうちに負のオーラを増していく。どんよりとし始めた。
「凄く優しくて、強くて、格好良くて……それでいて、何処か脆い人だったよ」
メロンパンの言葉からは、信頼と敬愛が溢れていた。疑いようも無く、真っ直ぐに好意を感じることができる。あまりの真っ直ぐぶりに、少しだけ羨ましいな、と私は思った。
「情けない自分が誰よりも嫌いだったのに、その人は大好きだと言ってくれた。必要としてくれた。僕もその人の事が大好きだったけど、それでも外に出る勇気は持てなかった。……僕はその人が一番大変な時に、助ける事ができなかった。その人は僕が大変な時、いつも助けてくれたのに」
「その人は、もしかして……」
語り口から嫌な予感がした。まさか死んだのだろうか。だがメロンパンは苦笑しながら否定した。
「死んじゃいないよ。そんな事になったら、僕は後悔するだけじゃ済まないだろうね」
その言葉に、酷く重い物を私は感じた。〝後悔するだけじゃ済まない〟とは、どういう意味か訊いてみたい気もした。結局予想できる答を聞くのが怖かった私は、ただ話の先を促す。
「その人は、心が壊れてしまった。いや、壊れたとは違うかも……凄く悲しいことがあって、別人のようになってしまったんだ。今までのその人からは考えられないような事を、するようになってしまった」
メロンパンは唇を噛み締めた。どうやら彼の悩みは、一朝一夕で解決できるような代物ではなかったようだ。苦しそうに顔を歪めて沈痛な面持ちをしている。
「だから僕は、何に換えてもあの人を助けなきゃいけないんだ。助けたいんだよ。帰ってきて欲しいんだよ。――――大事な、人なんだよ」
本当に苦しそうだった。強い決意が感じられる言葉。でもそれ以上に、メロンパンは不安なようだった。本当に助けられるのか、もしかしたら助けられないんじゃないかという暗い影が、彼につき纏っていた。
「でも、僕は、僕は……僕なんかが、本当にあの人を助けられるのか。分からないんだよ。分からないけど、助けたい。どうしたらいいのか分からなくて、なんとかしたいのに、何をすればいいのか分からない自分に腹が立って……僕は、どうしたらいいんだ。どうすればあの人を助けられるんだ。助けるためだったら何でもできるのに、何をすれば助かるのか分からない」
メロンパンは顔を歪ませて、頭を抱え込んだ。その様子に、心が痛む。
私は、足りない頭をフル回転させて、考える。心が壊れた人というのは会ったことが無いから、想像するしかない。
「あの……」
小さく声をかけると、メロンパンは頭を抱えるのを止めて私を見た。私は慎重に言葉を選びながら、自分の考えを語る。
「何か、凄く嬉しい事が起きればいいんじゃないかな」
「嬉しい、こと?」
メロンパンが一言も漏らすまいと、真剣な眼差しで私を見た。少したじろいたが、一度出た言葉は帰って来ない。続きをゆっくりと語りだす。
「うん。その人は、凄く悲しい事が起こったから変になっちゃったんだよね。だったら逆に、その人にとって、悲しい事を超えるくらいに衝撃的に嬉しい事が起こったら、元に戻ってくれるんじゃないかな……と……はい」
メロンパンがあんまりにも真剣な顔をしているもんだから、だんだん言葉が尻すぼみになっていってしまった。メロンパンは暫く考え込むと、不意に顔を上げる。
「今までで一番嬉しかった事は?」
「はい?」
「良いから答えて!」
突然の質問に思わず聞き返す。メロンパンは混乱している私の両肩をがしっと掴むと、鬼気迫る勢いで訊ねてきた。
「ひぃっ! 分かった答える! 答えるからちょっと待って! えっと、嬉しかった事嬉しかった事……」
必死に思い出す。誕生日を祝ってもらった事、友達と花火をした事、喧嘩していた子と仲直りしたこと……色々あるけど、どれもピンとこない。嬉しかった事か……あ。
「初めてポケモンをもらった事、かな」
「――――え?」
本当に嬉しかった。これでやっと、レッドさんやイエローさんなどの人達と同じ、ポケモントレーナーになれたんだと思うと、本当に嬉しくて堪らなかった。
「でもね、そのポケモンがちょっと大変で、なんとひきこもりだったんだよ」
目の前のメロンパンが、呆けた顔をしている。その様子がおかしくて、ちょっと笑いながら続けた。
「楽しかったなぁ。一緒に旅して、色んなポケモンやトレーナーと会って、ジムに挑んだりして」
本当に楽しかった。大変な目に遭う事もあったし、ひきこもりってことでバトルも中々まともには出来なかった。でもそれ以上に、楽しかった。飄々としたカスムと、ちょっと辛辣なキリとも一緒に旅したこともあった。
「そうだ。一番嬉しかったのはやっぱり、ジム戦で初めて外に出て戦ってくれた時だよ。タマムシシティで、ウツボットが怖くて、でもなんとか戦って、――――が初めて出てくれたことにびっくりして……、あ、あれ?」
頬を何かが伝った。温かい雫が、次々と流れ落ちていく。視界が歪み、ぼんやりとして見えた。
「あれ、え、嘘、なんで? へ?」
私はびっくりした。涙が止まらない。嬉しかった出来事を思い出していたはずなのに。思い出すたびに、酷く懐かしく感じてしまい、泣きたくなった。
私は話し続ける。止まらない涙の理由も分からず、ただ〝あの子〟との思い出を語り続ける。
「それで、――――は水タイプなんだけど、ひきこもってるからとてもじゃないけど……」
私が何処か変だ。
「それでね、いきなり――――が成長しちゃったからびっくりしちゃって」
一つだけ、思い出せない。語っている私自身が、変な事は一番分かっている。分かってるんだけど、何故だかそこだけ聞こえない。自分で喋っているはずなのに、なんと言ったのか分からない。
「グレンタウンで出て行っちゃった時は、心臓が止まるかと思ったよ。――――はちゃんと帰ってきて……」
どうして、思い出せないんだろう。
とても大切なことだったはずなのに。
「うぇ?」
突然、メロンパンが服の袖でぐいぐいと顔を拭い始めた。戸惑いながらもおとなしくする。メロンパンはあらかた吹き終わると、涙の止まった私をみて、満足げに頷いた。
「助けるよ、必ず」
メロンパンが、笑った。最初に会ったときから見て、初めての笑顔だった。言葉の意味が分からず、私はただ首を傾げる。
「だから、待ってて」
そっと私の手を取る。温かい手だ。手が冷えていた私は、その温かさに何処か安心する。瞼が異様に重くなってきた。ともすれば緩みそうになる手の繋がりを、私は睡魔に襲われながらも必死に掴み直した。
「待っててね」
To be continued……?