第26話 無人発電所・前編

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 赤が爆ぜる。長く伸びた影が、岩壁に揺れた。
 少年が、火を前にして座っている。洞窟の中は日光が差し込まないため、夜は特に冷える。灰色のマントを身体に巻き付け、携帯燃料の火をぼんやりと見つめていた。火の上には小鍋が乗っており、小さな水泡が上がっていた。

 PPPP…….PPPP……..PP

「はい」

 懐のポケナビからの呼出音。呼びかけに少年は短く応答した。

『キリやな? カスムやk』

 キリは即座にポケナビを切った。場に再び静寂が満ちる。

 PP……PPPPPPP……

 呼出音がしつこく鳴り響く。小鍋の水からは水泡が僅かに上がり始めて来ていた。

 PPPPPPPP……..PPPPPPPP…….PPP

「……はい」

 キリは若干低くなった声で、しぶしぶ応じる。ポケナビの向こうから、カスムの文句が飛んできた。

『いきなり切るとは何考えとんねん! えらい焦ったわ!』
「用がないなら切るぞ」

 返答するキリの声はどこまでもでも冷たかった。けれど、一応通話は続けているので、本気で切るつもりはなさそうだった。
 カスムが少しだけ掠れ気味の声で話を切りだす。

『待ちや。ケホ……ッ用ならある。――――ユズルの事や』
「馬鹿がどうしたって? 」
『様子がおかしい』
「あいつはいつもおかしいだろ」
『それは言ったらあか――――エ゛ホッげほ……ッそうやなくて、真面目におかしい』

 キリは眉を寄せた。キリの脳裏にユズルの馬鹿に明るい顔が浮かぶ。落ち込んでいる、なら分かる。だが様子がおかしいと言うのは、どういった事なのだろう。キリが事情を訊くべく口を開こうとしたが、カスムが苦しそうに言葉を放つ方が速かった。

『ユズルが……ゲホッ、メロンパンを野生に戻した』
「――――は?」

 キリは思わず、呆けた声を出した。カスムの言葉が理解できない。キリの中では、彼等は完全なるセットになっており、ユズルのいるところにはメロンパンがいて、メロンパンのいるところにユズルがいるのは当たり前のことだった。
 だからこそ、キリには全く理解できない。その行動はユズルらしくないどころか、ユズルならばあり得ないとまで言える。

「冗談はよせ。あいつらがバラバラになるなんてあり得ない」
『……俺は本気や』
「もう一度言うぞ。あり得ない。冗談は嫌いだ」

 キリがいらつきながら繰り返す。だが、心のどこかでは「本当だ」と思っている自分がいた。信じられない話だったが、カスムがここまで真剣に嘘をつくとは思えない。カスムは確かにふざける事も多々あるが、ユズル関連でこんなに悪趣味な冗談を言うような人間じゃない。そのことはキリが一番よく知っていた。

『それで、キリに――――ゲホッヒュー……ゲホゲホゴホッ!は……っ』

 ポケナビから聞こえるカスムの声は、勢いよく咳きこんでいた。浅く聞こえる呼吸音と、苦しそうな声に、キリは流石に心配げに問いかける。

「おい、生きてるか。用件は聞いてやるから、さっさと言って、さっさと切って寝ろ。死なれたら寝覚めが悪い」
『はは……ッゲホ。それやったら頼みたいんやけど、俺はちょっと行けそうにな……ゼヒュー……ッ、キリに、ユズルを、頼みたい。多分、シオンタウン付近や』

 カスムは少しだけ笑って、キリになんとか言いきった。キリは咳の様子から、大分参ってるようだと判断し、出来るだけ手短に切りあげる。

「分かった。寝ろ。切るぞ」

 カスムの返事も聞かずに、キリはポケナビを切った。すぐに立ち上がると、荷物を手に持つ。と、その時。取った荷物を鍋にぶつけてしまい、お湯が飛び散ってしまった。

「熱っ!」

 飛散したお湯が少しかかり、キリは顔を顰める。お湯はすぐに地面に吸い込まれ、僅かな湯気が立ち上っていた。

「……動揺、してるのか? 僕は」

 キリはぼそりと自問した。倒れた携帯コンロを手早く片付け、熱くなった小鍋を布でくるむ。


 ――――ユズルが、メロンパンを野生に戻した。


 カスムの言葉を反芻し、キリは無意識に呟く。

「……あり得ない」

 全て片付け終わると、腰のモンスターボールを手に取る。ボールからフーディンを出すと、その手を取った。

「シオンタウンまで、テレポートだ」

 フーディンが頷くと、ぐにゃりとその空間だけが歪んだ。一瞬後には、キリとフーディンの姿は消える。
 濡れた地面からは、もう湯気は上がっていなかった。





 ――――何処をどう歩いたかなんて、覚えていない。

 私はふらふらとおぼつかない足取りで、その場所を訪れた。
 崖に近い場所、多くの木々に囲まれて、ひっそりとそれは建っている。薄汚れた硝子張りの壁の向こう、たくさんの機材と絡みあうコードが見えた。

 ここは、無人発電所。今も近隣の町に電力を供給し続けているが、滅多に人は来ない。その為、電気タイプのポケモン達のねぐらとなっていた。

「ここに、最後のポケモンがいるんだね……。彼が、待ってるんだね」
「スピ」

 隣のコーヒープリンに向かって問うと、肯定される。私は無人発電所に入っていく。中は案外綺麗だった。無人と言っても、定期的に整備や掃除はされているのかも知れない。

「……なんだかぼんやりしてるなぁ」

 私はぷるぷると頭を振った。人の手が入ってるとはいえ、此処は電気タイプの巣窟。特にビリリダマやマルマインが多い、危険な場所だ。油断はできない。
 それにしてもビリリダマやマルマインが良く爆発しているというのに、壊れたりしない此処の強度は相当なものだ。何か特殊な金属か何かで出来ているのだろうか。

「よし」

 靴音を響かせて無人発電所の中を歩く。暗かった所内に電灯がひとりでについた。それと同時に、そこかしこで蠢くポケモン達の影や物音。ずっと暗かったせいか、ひんやりとした空気が居座っており、私は露になっている両腕を擦った。

「うぅっ! 寒い……」

 上半身が、肌着に袖なしハイネックだけだから、ちょっとキツイ。確か上着を着ていたはずだが、どうやら何処かに置き忘れたみたいだ。ハイネックや肌着は何着か代えがあるが、上着はかさばるからあれ一枚しかもっていなかったのに。次の町についたら新しいのを買おう。
 配線を避けながら、目的の相手を探す。相手は此処の最奥にいることは分かるが、中が迷路のようになっているから非常に分かりにくい。というか、迷路になっているんじゃなくて、同じような通路が続いているから問題なのだ。

「もっと分かりやすい目印つければいいのに……それか通路を色で塗っちゃうとか」

 ぶつぶつと文句を言い、同意を求めるようにコーヒープリンに振りかえる。

「青とか黄色とか! ピンクも可愛いと思うけど、どうかな?」

 コーヒープリンは否定も肯定もしない。相手にされていないのだ。

「返事くらいしてくれてもいいのに。……あ、この扉かな」

 大分奥まったところにある扉を見つけて、私はすぐに駆け寄った。この扉の向こうに、彼女の最後のポケモンがいる。正確には違うけれど、六匹目は千年間のお休みタイム中だから捕獲は無理だ。

「お邪魔しま~す……とぉっ!?」

 ドアノブを掴もうとした瞬間、静電気が走って私は慌てて手を離した。一歩ひいて扉を見据える。扉全体を微かな電流が駆け巡っており、弾けるような音が繰り返し私を威嚇する。


 〝入るな〟


 扉の向こうにいる主は、そう語りかけているようだ。

「……どうしよう?」

 私は、“彼女”に話しかける。返事はすぐに来た。

『どうしたもこうしたもないわ。いつまで拗ねてるのかしら』
「拗ねる?」
『……聞いてみる?』

 彼女がそう言った途端、ざわりと全身が総毛だった。

「え?」


 ――――音。


「あ、ああ゛、あぁぁ゛ぁぁああ゛あっ?」

 音。音。音、おと、オト。

 増えていく、音。声、囁き、ざわめき、重なる、声。

「く……っ、あッ!」


 ――――ヒトだよ。いったい何の用だろう。

 ――――さぁ、知らない。


 ヒトの、声。ここには、私以外にヒトはいないはずなのに。

「だ……れ……っ!」


 ――――爆発したい爆発したい爆発したい。

 ――――ハァハァすんなよ。あとむやみに爆発すんな。危ないだろ。


 ぎゅっと目を瞑り、その場にしゃがみ込む。ポケモン達の鳴き声と、誰だか分からない沢山の人達の声が二重音声で脳内に響いてくる。頭が割れそうに痛かった。ぐちゃぐちゃにかき乱されていく脳内に、容赦なく囁き続ける声。気持ち悪くて吐きそうだ。

『落ち着きなさい』

 凛とした声が、私に囁きかける。私は喉元までせり上がってくる熱い塊に、口元を必死で抑えていた。涙目になりながら、無言でこくこく頷く。

『吐きたかったら吐いても良いけど、耐えなさい。すぐに慣れる』
「――――ッ!」

 すぐ近くの窓まで全力で走り、窓を全開にして吐いた。何度も何度も、胃の内容物が無くなって、胃酸が出てくるまで吐き続けた。その間も声は静まる事無く、私の脳を揺さぶり続ける。


 ――――あのコ、吐いてるね。

 ――――うわぁ……。きったね。

 ――――あそこら辺、ナゾノクサとかいなかったっけ?


「うぇ……は、うぷ……え゛ほッ……は、はぁ」

 口の中が酸っぱくて気持ち悪いが、多少気分は良くなった。リュックサックから取り出したハンカチで口元を拭い、水筒のお茶でうがいをする。一息をつくころには、この声の正体がなんとなく掴めていた。

「……これ、ポケモンの声?」
『そうよ。貴方の脳をちょっといじくって、人間の声として理解できるようにしたのよ。たださっきみたいに無差別に聞いてると危ないから、人の声の方に集中して聞く様にしなさい』
「う、うん」

 耳を澄ます。ポケモンの声は聞かないように、人の声にのみ耳を傾ける。

 ――――さっきから何してるんだろうね、あのコ。

 ――――マジウザーイ。チョベリバッて感じー?わけわかんなーい。

 ――――訳分かんないのはお前の使ってる言葉だよ。

 ――――爆発したい爆発したい爆発したい。

 ――――いい加減黙って下さい、マルマインさん。

 ――――爆発しろ爆発しろ爆発しろ。

 ――――だから爆発すんなって……って、爆発させる方かよ!

 ――――おうオメーら!何してんの。

 ――――コイルさんじゃあないですか!


「……なんか、平和」

 思わず苦笑いを浮かべる。彼女もクスクスと笑って、同意した。

『えぇ。何年、何十年、何百年たっても、ポケモンは変わらない。――――変わったのは、人の方だわ』
「人?」
『そうよ、昔はモンスターボールなんてものも、ポケモンバトルにルールもなかったのに』

 私は驚いた。彼女が自分の事を話すのも初めてだが、語った内容も内容だった。ポケモンボールで捕獲するのも、バトルにルールがあるのも当たり前の私にとって、それは考えた事もない世界だったのだ。

『ポケモンバトルは、人とポケモンが肩を並べて行うものよ。フィールドで区切って、トレーナーが指示だけ行うものじゃないわ』

 苦々しく言った彼女は、珍しく苛立っているようだった。語気を荒げて、言葉を続ける。

『それが何? ポケモンが目の前で命賭けてるって言うのに、自分は応援だけ? ふざけんじゃないわよ!!』

 彼女のあまりの勢いに、私はびくっと思わず肩を震わせた。
 彼女は、弱いポケモンが嫌いだ。弱いトレーナーも嫌いだ。勝利を絶対の物とし、敗北を許さない。私はそれは、彼女のプライドから来るものだと思っていた。

 けれど、それは、もしかしたら。

「……ねぇ」
『何かしら』

 彼女が応える。いつも通りの凛とした声。正しく彼女の存在を理解したのは最近だけれど、この声は私が気づかなかっただけで、本当はずっと語りかけてきていた。
 強く、誇り高く、弱さなど知らないようにふるまう彼女を、ただ信じていれば良いと思っていた。知る必要など無い。強いという事実だけ受け止めていれば充分だと考えていた。

 だけど、だけど。

「本当に、弱いポケモンや、トレーナーが、嫌いなの?」

 彼女の気配が、微かに動揺したのを感じる。それはすぐに消えてしまうほどに些細な変化だったけれど、私にははっきりと伝わってしまった。彼女は暫し黙り込んだ後、私の問いに応えた。


『嫌い、大嫌いよ。ついて来れないのなら、初めからついて来なければ良いのに』


 彼女はきっぱりと言い切った。

「……そう」

 私は一言だけ返したが、本当はもう一度問いかけたくてたまらなかった。彼女は本当に、嫌いなのだろうか。なら、どうして――――。

 どうしてあんなにも、寂しげに応えたのだろう。

 私は初めて、彼女自身に興味が沸いた。それはもしかしたら、私の中で抗う、小さな“私”が、彼女に対抗するために、弱点を求めての無意識の行動だったのかもしれない。


 しかし、私は確かにこの時、彼女を“知りたい”と思ったのだ。





To be continued......?






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