戦火の勇気 5

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 ブラムの悲しい叫びは、ギャロップとの攻防に神経を削っているリンの耳にも、はっきりと届いた。
 誰が望んで『そんなこと』になったのだろう。もちろん、誰のせいでもなく、それは天災そのもの。ただし、その規模は史上まれにみるほどに驚異的だった。リンの中にも、何かに八つ当たりしたくなるような大災害の悲惨な情景が浮かび上がるようだった。
「噂にしか聞いたことがなかったが……ひどいもんだ」
 思わず漏れたリンの言葉に、ギャロップは他のポケモンの縄張りに平然と踏みこむ泥棒を見るような目つきになった。
「よくそんな台詞が吐けたものだな」
 ギャロップが『とっしん』する。
 『とっしん』は並ならない攻撃力をもつわざだが、その勢いゆえに相手にヒットすれば自らにもダメージが跳ね返ってくる。そう何度も使えるわざではない。
 当然、ギャロップにも疲れは見えはじめていた。が、リンに向けるその威力は体力の消耗を感じさせない。
 リンは力を振り絞ってギャロップの角をつかみ、再度うけとめた。
「貴様らのリーダーは『竜翼の山海』の住民を攻撃し、子供を生きながらえさせようとするブラムとフィリムの母を間接的にとはいえ、その死に深く関わっている。悲しみにくれ、生きる気力を失っていたあの兄妹に出会っていなかったらどうなっていたか」
 ギャロップの蹄がごり、と足元の火山岩を屑のような小石に変えた。
「それでも――そのような悲劇を生んだ現実があっても、貴様らは自分たちの行いがすべて正しいと思えるのか」
 リンは両手の中でぎりぎりと音をたてるギャロップの角をひねり、前足を払った。
 ギャロップは攻撃対象の軸をずらされ崩れそうになるが、かろうじてバランスを立てなおす。
 ふたたび二匹の間が開いた。
「別に思ってねーよ」
 リンが赤くなった掌を揉んだ。指の先でするどく尖っていた凶器も、この戦いで何本かが欠けていた。
「……何だと?」
 予想外の返答に、ギャロップが眉をひそめた。
 リンは相手からの視線をうけながし、ちらりと後ろに目をやった。ミロトがブラムのわざで飛ばされ、イブはその傍らで放心している。
「イブ、ミロト!!」
 リンは叫んだ。少なくとも、あいつらがしてきたことだけは、誰にも文句はつけさせねぇ。
「ごちゃごちゃ考えるな! 俺が保証してやるよ! お前らがやってきたことは、山のてっぺんで、胸張って、笑いながら叫んだって何恥じることねェことなんだよ!!」
 ギャロップが『かえんほうしゃ』を放った。その高熱は彼の腹の内そのものをあらわしているようだった。
 リンは腕をおおきくなぎ払い、己の毛を焼く熱を散らした。熱風が直撃した部分に『やけど』の痛みがはしる。
「よほどの自信があるようだな、貴様らの『活動』に」
 ギャロップが言った。
「だからそうじゃねーよ。ただルカを非難する気もまったく起きねぇ。地震も津波も気の毒だった。誰しも不幸のなか生きることに必死だったんだろう」
 リンはじりじりと痛む腕をいとおしそうになめた。ふー、と息を吹きかける。もちろん、気分以上の効果などのぞめなかった。
「被災してないポケモンだって、程度は違えどある意味じゃ変わらない。ふつう、自分が生きることで精一杯だと思ってるはずだ」
 リンは再度イブとミロトの様子をうかがった。
「だが奴は違った。他を救う気力を持って、危険を冒して援助しようとする者のなかの一匹だった」
 二匹とも、ブラムとフィリムに向かいしっかりと、立ち上がっている。そうだ、それでいい。
「俺だって探険とか、ほんのたまには救助もするが、その理由のほとんどは正直なとこ俺自身の欲望だろうな。だが『竜翼の山海』で協力してくれた仲間もろとも攻撃を受け、危機におちいったリーダーの決断は理解できる。一方的に非難する奴の気は知れねぇ。それだけだ」
 わかっている。わかっているのだ。ギャロップは心の中で繰りかえした。このリングマの言うことも理が無いわけではない。
 だがどうするのだ。間違いじゃない行動の結果起こった間違いは、誰がどのように正せるというのだ。
 イーブイ、ミミロルと最後の交戦となるだろう兄妹に目をやる。
 愛情をもっとも注がれていた時期に母を亡くし、寄り添いあってうずくまるブラムとフィリムの姿が、ふいに思い出された。そのとき二匹はまだ進化前のイーブイだった。かれらはとても親代わりとは呼べなかったであろう自分の言うことを聞き、自分たちに起こった真実に向き合い、進むべき道を決めた。たとえその動機が幼かった兄妹が抱くにはえげつないものだったとしても、自分はできる限りのことをしてやった。
「どうしても納得がいかないってんならかかってこい。気が晴れるまで相手してやる。ぐだぐだ言い合うよりも、そっちのほうがよっぽど性に合ってる」
 ギャロップはかまえ直した目の前のリングマに視線を戻した。そして静かに、大きく、息を吸い込んだ。体内に残るわざのエネルギーをほのおタイプが持つ燃焼プロセスに組み込む。発生した熱で、自身の血液が激流する。
 ギャロップの、『だいもんじ』のかまえ。
 この戦いで、ブラムとフィリムは新しい何かを得るのだろうか。ギャロップは兄妹を立ち直らせた『神』に敬意を払っている。が、兄妹の岐路を選択させてやるためにはその命令でさえ違背しても構わないと思っていた。

 ブラムが動いた。
 ミロトの前に立ちはだかるイブに突っ込む。
 イブがかまえた。
 しかし、ブラムのそれはフェイントだった。
 イブの目の前にせまったブラムはいちど横に跳ねると、イブの陰に位置するミロトに切り返した。
 させない、イブはブラムを追って『でんこうせっか』を繰り出す。
 ブラムがにやりとした。ひと呼吸のうちに迫ったイブに、『カウンター』を重ねる。さらに、フィリムはブラムを『てだすけ』していた。
 兄妹の攻撃は一撃必殺と評しうるほど、容赦がなかった。
 二匹分のパワーが込められた攻撃で、イブは一時的に意識を飛ばす。
 隙を狙っていたフィリムが、ブラムによって身を押さえられたイブに向かう。
 ミロトがすかさずカバーに入った。フィリムに『ピヨピヨパンチ』をしかける。
 ヒット。
 ミロトは的中した、と確信するほどの手ごたえを確認した。
 フィリムの能力の高さを知っているブラムは意外そうに目をむいた。しかし喜ばしいことに、それは杞憂だった。
 ミロトがうめいた。腕が、抜けない。フィリムが体を丸め、ミロトの腕を包みこんでいる。
 間合いを維持された。ミロトの本能が危険を知らせるシグナルを発した。
 ミロトの身体が光り、それに何かの狙いを感じ取ったフィリムがすかさず『スピードスター』をくり出した。ミロトの全身に流星の光弾が襲いかかる。
 至近からまともに受けてしまったミロトがついにその場にくずれた。
「残念だったな、フィリムはおいらよりバトルが強いんだ。フィリム、仕上げだ、一気に――」
 フィリムがあらぬ方向に、たん、と跳ねた。
「フィリム!?」

(な、フィリ――)
 ギャロップは吃驚した。
 フィリムが無意識のうちに飛び出したのは、リンに最後の力を乗せた『だいもんじ』を放たんと――いや、放った直後のギャロップの目前だった。
「へへ、チーム戦なんだ……負けるかよ……」
 ミロトが『スピードスター』を受ける直前にフィリムにかけた効果は、『みがわり』だった。このわざを受けたポケモンは、敵味方の区別が自他ともにつきにくくなってしまう。ギャロップの認識がおくれたのは当然といえた。
「フィリム!!」
 ブラムの叫声すらかき消すほどの猛火が巻き起こった。
 フィリムは動けなかった。紙一重で戦術のおくれを取った報いが、その身に迫る。

 数瞬ののち意識を取りもどしたイブは、ブラムの前足に押さえつけられながら、ギャロップが吐き出した猛火を瞳にうつしていた。ふいに、フィリムの言葉が脳裏にひびいた。
『お母さんが――』
『ギャロップさんの深い善意は――』
 何かを考える前に、イブは自身のからだが光っているのをかろうじて把握した。
 そして目をつむり、ぐっ、とできるかぎり身をかたくした。

 全員の視点が交雑する。
 つぎの瞬間、イブが『だいもんじ』の直撃を受けた。
 固まるフィリムは、イブの真正面からそれを目にした。 
「ぐ、う、う……!」
 大の字に燃え上がった地面の中心で耐えるイブ。
 イブの後ろに移動したミロトは悲鳴をあげた。
「お、お、オマエ何やってんだーーー!!」
 満身創痍だったことも忘れ、あわてて自前の綿毛をひろげてイブに覆いかぶさる。
「なに……? なんで……」
 フィリムは茫然自失していた。ミロトのわざにかかり、ギャロップの大技を利用しての同士討ちを狙われたはずだった。
「あーあー、あいつらしいよ……」
 踏みつけていた相手が遠くで師匠の大技をうけている。同じく頭の回転が追いつかないブラムの真後ろで声がした。
 ブラムはあわてて振り向いた。
「く、くそ――」
 最後まで言い終えないうちに、リンの太い腕がその漆黒の体をがっちりと抱えあげ、ロックする。
「あいにく、体の調子が悪いときはがむしゃらに動くようにしてるんだよ。『はやあし』なタチでね」
「ぐ、やけどまでしてるあんたの攻撃なんて――」
 効くもんか、そう言い切ろうとしたブラムはそれが強がり以上のなにものにもならない、とすぐに後悔した。
(ぜ……全然動けない……!)
 精一杯もがきながら、リンの腕にかみつく。が、わざとして磨き上げていないただのかみつきなど、リンに通用するはずもなかった。 
(しかも、この力の抜けるニオイは……『あまいかおり』だ……)
 いつ発動していたのか、『あまいかおり』は広範囲にわたってポケモンの動きにぶらせる香りを発散させるわざだった。徐々に拡散させれば、仲間として嗅ぎ慣れていないかぎりそれに耐えることも、気付くこともできないだろう。
 どうりで。先ほどミロトのわざがフィリムへとたやすくヒットした訳を知った。ダメージを負ったポケモンの攻撃ほど、兄よりも戦闘能力の高い、ましてや無傷であったフィリムにとって避けるのにたやすいものはないのに。ブラムはリンの腕の中でくやしそうに身をよじった。
「……ふぅ」
 『だいもんじ』をこらえ切ったイブが、ぺたんとしりもちをついた。倒れる寸前まで体力を削った影響だろう。
「ふぅ、じゃねーー!! おま、『こらえる』ってこういう使い方するためのもんじゃないんだぞ!? 『バトンタッチ』もだ! 死ぬ気か!!」
 必死の消火を終えたミロトが、戦闘中だということも忘れ、じだんだを踏む。
「だ、だいじょうぶだよ……こらえたし」
「…………殴っていいか?」
 きりきりと締めつける腹部を押さえ、ミロトが諦めたようにこぼした。
 二匹のやりとりを眺めるフィリム。相手はまさに隙だらけだったが、何もできなかった。戦意が霧散していくのを感じていた。
 フィリムは、イブの『バトンタッチ』が自身を救った、という事実を認識しはじめていた。『バトンタッチ』は部屋中のポケモンの位置を入れ替えるわざだった。
 しかし、意図がわからない。何のために。
「ご自慢の『だいもんじ』でもイブは倒せなかったようだな、ギャロップ。その程度ならもうこいつと二匹まとめて――」
 同じくブラムとリンの目の前に移動させられていたギャロップが、リンの悪罵をさえぎるよう、首を横に振った。
「『ちょうはつ』しなくともいい。我々の負けだ。ブラムをはなしてやってくれ」
「!?」
「あいよ」
 リンは迷いなくブラムを固めていた腕をといた。
「最後まで抜け目ないやつだ。倒れる寸前のイーブイたちを守るためでもあろう」
 『ちょうはつ』は相手の怒りを引きだし、それを利用して思考能力をうばうわざだった。ありていにいえば、『こんらん』状態に陥れる。もっとも、怒りに身を任せた相手の攻撃力をも引き出してしまうリスクがあるゆえ、多用はできない。
 ぶらぶらと手を振りギャロップの苦い顔をかわしたリンは、イブとミロトのもとへと向かっていった。
「なんで、師匠!!」
 リンの太い腕による緊縛から解かれ、激しい呼吸をつきながらブラムがギャロップを問いただした。
「この者たちが正しい、とは私もまだ思えない。だがこの者たちに牙を向けるのはこれまでだ」
「駄目です、師匠!! こいつらは、こいつらは……おいらたちのかーちゃんを……! それに、アルセウス様の指令は……!!」
 戦意を尖らせつづけるブラムに、ギャロップの声はどこまでも冷静だった。
「頭数では『神』が勝っているのだ。石碑を『神』のもとへ送り届けることは別の機会でもできるだろう。この者たちの『基地』には『石碑』自体を守りきる動機も力もない」
「でも、でも……!」
 ぐっと息を飲むブラムは納得していない。
「ブラム、ここでの勝敗を受け入れろ。今回は失敗だ」
「い、いやだ……!」
 ブラムは納得しなかった。したくなかった。これじゃ、何のために強くなったのかわからない。おいらたちのしてきたことがわからなくなるなんて――
 ブラムがフィリムに向かって、叫んだ。
「フィリム、そこのどくばりだ、それを踏め!」
 フィリムはびくりと肩をすくませ、ブラムの視線をたどった。その先には、これまでの戦闘でむき出しとなった『どくばりスイッチ』があった。 
「! こいつ、道連れにする気か!」
 リンは目を見開いた。ブラムの言葉の意味を即座に理解した。
 リーフィアとブラッキーが持つとくせいは、『シンクロ』。己の状態異常を、敵のポケモンへと同調させることができる。
 それは倒れる寸前のイブやミロトにとっては致命的だった。どくで受けるほんの少しのダメージも許されない。
 フィリムは震えている。弱っているイブを見やり、次に兄を見つめ、それらをまぶたの裏へと押しやり――一歩、どくばりの上へと踏み出した。
 リンが、ミロトが残りわずかな力を振りしぼって地を蹴った。しかしかれらとフィリムの距離は離れすぎていた。
(おかあ、さん……)
 
 ザキュッ……

 ……
 踏めない。まえあしが、進まない。
 フィリムは立ちふさがった壁に温もりを感じ、目を開けた。
 ギャロップのひづめが針を砕き、スイッチを破壊していた。
「ここまでの復讐心を育ててしまったのは私の責任だ。フィリム、お前は優しいポケモンだ」
 弱弱しく、いまにも消えてしまいそうなフィリムを、そっと、頭で抱き寄せる。
「ブラム、お前は勇敢なポケモンだ」
 そしてブラムを、その黒々とした力強く、優しげな瞳で包みこんだ。
「師匠として、もっとそれを伝えてやるべきだった」
 兄妹は、ギャロップを見上げた。
「私に免じて、戦意をおさめてくれ。二匹とも、よくやった」
 鈴のように澄んだ音が、ガラス細工のように澄んだ雫が、フィリムからあふれだした。それは彼女が生まれ持った神秘性をたたえたまま、静かに、激戦地だった『峰炎の間』に響いた。己に課した正義感と復讐心に押しつぶされそうになっていた、フィリムの苦しみそのものだったのかもしれなかった。
 ブラムはもう何も言えなかった。兄として、妹からにじみ出る苦しみに気づけなかったことをようやく自覚した。妹を抱くギャロップが、ブラムへと父親のように優しくうなずくのを見、とっさに顔を伏せたものの、遅かった。ちいさく、ほんのちいさく震えるブラムの金色の模様は、『げっこうポケモン』と呼ばれるゆえんを主張し、それは夜の世界へ道しるべをわけあたえる月にも似て、やはり神秘的だった。
 かれらはまぎれもなく、同じ母から生まれ出でた縁深き兄妹なのだった。
 ギャロップはフィリムの額を頬で撫で、少しばかりの感傷をいだく時間を、己に許した。  
 二匹は私と出会う前からずっと、助け合って、励まし合って生きてきた。これからもそうなのだろう。すこしずつ、行く先を変えながら。
 私はまだ力になれるだろうか。あの頃とは見違えるほどたくましく、大きく育った弟子たちの。

 ギャロップ、ブラム、フィリムは不思議なプレートを使って帰っていった。
 そのプレートは以前、『憂いのほら穴』でドサイドン・フライゴンのコンビが携えていたものと同じものだった。
 三匹はいちどだけ『PLUCKS』に振りかえり、数刻前にお互いの真価をかけて相対したそのときと変わらぬ、まっすぐな眼差しを向けると、何も言わずにプレートの光に身をつつんだ。
 『峰炎の間』を満たし、出口へと尾をひいて消えたその光は、やはりイブたちに支給されている『バッジ』に宿っている『はどう』の力そのものだった。
「さて。ハッピーエンドだな」
 光の筋が消えたことを見届けると、リンが言った。
 イブもミロトも、リンをとがめようとはしなかった。リンの表情はその言葉とまったく一致していないからだった。
 もちろん、二匹ともハッピーエンドなどと言うにはほど遠い気分ではあった。とはいえ、あの兄妹の境遇と心境、行く末を案じた結果、こうも思えてしまう。
 自分たちが倒れ、かれらの復讐の達成を結末として迎えても、『PLUCKS』の任務失敗という事がらを差引いたとて誰も幸せになれなかったんじゃないか、と。
「戦おうとする奴は何かしらに対して決着を求める。あいつらが求めた決着もついたはずだぜ」
 後輩たちよりもまず自分に言いきかせるよう、リンは彼らしくぶっきらぼうに続けた。そしてここへ来たそもそもの目的である『石碑』を見上げる。
「だからお前らも、いつまでもそんな顔をするな」
 イブとミロトは、ギャロップたちが去っていった方向を、惜別した友を送るよう、無言で見つめていた。いや、もしかしたら、そうすることで悲劇を背負ってきたギャロップたちへの敬意を示しているのか、とリンは思い直した。
 イブの前には、三種類の『いし』が置かれていた。

 『峰炎の間』での決戦後、ブラムとフィリムが落ちついたのを見計らったギャロップは、イブたちに向き直った。
「この場でお前たちを連れることはできなかったが……いずれは『神』のもとへと向かわざるを得なくなるはずだ。お前たちが答えを導き出したいのなら」
 ギャロップはこの場所でイブたちと相対したときの厳然とした表情のまま、しかし聞いている誰もが己を慈愛の対象とされている、と感じる声で言った。
「あの……神さまの……アルセウスさんはなぜ、ボクたちを?」
 イブは当然の疑問を口にした。敵意が感じられなくなったギャロップへ話しかけるのに、少しの恐れも抱かなくなっているのが不思議だった。
 ただ、戦いの途中で明かされたギャロップたちの真の目的が何のために行われているのか、知っておく必要があると感じていた。記憶喪失という立場からも、そしてパートナーともども危険に晒されることとなった身からも。
 ギャロップはそれを受け、フィリムに目を向けた。
 フィリムはうなずいた。
 イブに向き合ったフィリムの藤色の瞳はいまや儚げで、『峰炎の間』の力強い熱気につつまれた中にあってはひどく対照的ではあった。しかし、この瞳の奥でかすかに灯る神秘的な光こそフィリムが持つ本質なのだと、イブは意識せずとも心から信じざるを得なかった。
「……わたしたちが知っているのは、まずイーブイであるあなたとそこのミミロルが、この世界に現れつつある歪みを正すために重要な存在、ということ」
 いきなり話題に持ちだされたミロトは、めずらしく「お、オレ?」とたじろいでいた。ミロトは戦闘中のイブとフィリムのやり取りを知らない。
 ごめんね、あとで話すからと、イブはミロトに申し訳なさそうにわびた。さらに訊ねる。
「もしかして、ブラムさんが言ってた『危険なこと』って、ボクたちが原因なんですか?」
「そう聞いてる。ようするに、原因とその対策、両方のカギを握っているってことだろ? お前らを連れようとしたのはそういう事情だよ」
 戦いの前、あふれる戦意と敵意を向けていたブラムは、ややばつが悪そうに答えた。しかしあらためてイブを見据えた深紅の瞳はことさらそのまっすぐな光をはなっている。屈折したところのない、素直な色だった。
「その、単純なギモンなんですけど、ボクたちを使ってどうやって歪みを正すんですか?」
「……さあな、そこまでは知らない」
 ブラムのため息といっしょに、そばにいたフィリムも首を横に振った。
「わたしたちには計り知れないことだけれど、このポケモンが住む世界というものは、ごくまれに歪みをきたすらしいの。文字通り、時空を――わたしたちが乗っている時間軸や空間の理をかき乱してしまうことがある」
 それを止めることが、アルセウスに付き従うポケモンの使命だと、フィリムは説明した。少なくとも、アルセウスはそう信じるようにかれの周りのポケモンたちを鼓舞しているようだった。
 フィリムは顔を上に向けた。つられるよう、その場にいる全員が、『峰炎の間』にそびえる『石碑』に目をやった。

 我が子よ、結託せよ。理を見つめよ。
 世界はひとつに在らず。世界はひとつに非ず。
 
 ミロトがたどたどしく読み上げたこの『石碑』の一文は、アルセウスが(ギャロップたちを例外としない)ポケモンたちへ唱えている行動原理と、明らかに一致していた。
 最後の一文は――リンはイブを見た。これから起こるであろう何事にも動じないよう、すべての覚悟を決めているかのような表情をしていた。何をか言わんや、ってやつだな。
「もうひとつ教えておいてやろう。お前たちのリーダーだったルカリオが、『神』の御傍につきながら活発に動いている」
 ギャロップはどうでもいいことだが、と言わんばかりの無関心さを意図的に出し、言った。
 その情報は現在の『基地』の主要メンバーがもっとも気にしていた疑いだった。
「……そのルカリオが、お前らの仲間の誰かに操られている、それか脅されてるっつー可能性は?」
 リンは努めて無表情に問いかけた。幸い、元来の顔のつくりからそれは難しくはなかった。こいつ、こんなすました顔して負けた腹いせにこの話を持ち出したんじゃねーだろうな、と思っていた。
「操られている? まったくそうは思えない。私は一度だけ目にしたが、奴からはそのような虚ろさを微塵も感じなかった。むしろ強い意志を持って『神』に仕えているように見えたが。『神』も信用しておられるご様子だった」
 ギャロップはリンの視線に気づいたようだったが、やはり表情は変わらなかった。
「それに、奴は仮にも『生ける伝説』であるあの救助のスペシャリスト、ルカリオだろう? それとも、戦いに関してはまったくの素人なのか」
 リンは舌打ちしそうになった。
 その通りなのだった。救助『基地』のルカリオといえば、この世界の裏側にでもいないかぎり、耳にしないポケモンはいないと思われるほどの名声で聞こえている。救助の技術はもとより、その活動を邪魔させないだけの戦闘技術の卓越さで畏敬すら勝ち得ている存在だった。神に仕えている精鋭(と呼ぶほどの実力をもつ、ともかく、そういったポケモンたち)でも容易に挑むことができないはずだった。そしてリン自体、鍛錬の場で何度も手を合わせている。
 リンは深くため息をつき、今度はひどく素直な抑揚で、問う。
「なぜここまで話してくれる? こういうふうに白状するのはお前たちの側にとって面白くない態度だと思ってたんだが。それにルカリオは、お前たちの――」
 最後まで言い終わらないうちに、ギャロップはそれをさえぎった。
「面白くない。そうだ。面白くはない、が」
 そして意外にもすこし傷ついたような顔を浮かべ、言った。
「そのような感情だけで私たちが動いていると思うのは、あまりにも低く見られている証拠だな。貴様ほどの実力を持っているポケモンの言動にしては愚劣極まりない。私からはそう返してやるとしよう」
 かたわらにいるフィリムはややうつむきがちな、ブラムはふんと鼻息が鳴りそうな態度で同意していた。
 リンは驚いたように目を見張ったが、すぐに、リンという難しい表情をしたポケモンとしてはとても判りやすく、うれしそうにしてみせた。
「ああ。ありがとうよ」

 去り際、ギャロップは言った。
「イーブイよ。お前は自らの正体を、いずれ突き止めることになるのだろう」
 そして、携えていた小ぶりの背のうから、イブの顔ほどの大きさの石を三つ、取り出した。
「これを持っていけ。力が必要になったとき、自分に合っていると思えるものを使うがいい」
 それはそれぞれ、違う色彩を放っていた。
「『ほのおのいし』、『みずのいし』、『かみなりのいし』という。新たな力のみなもととなるだろう」
 あかいろ、あおいろ、きいろ。
 シンプルかつ強く輝くその石たちは、まるで太古の昔から変わらぬ性質を湛えているよう、何かしらの力にあふれていた。
「ありがとうございます。いいんですか?」
「置き土産なのだ。『竜翼の山海』を飲みこんだ、この星の力の」
 石の放つ光に見とれていたイブとミロトは、にわかに動揺した。
 その様子を意に介さず、ギャロップは続ける。
「ブラムとフィリムに使わせるため取っておいたが、かれらを見た通りもう必要ないものだ。なぜ、いらなくなったときに捨てなかったのかは、私にもわからない」
 ギャロップの声色はあくまでも優しげであった。しかし、その言葉がつむぎだす内容は『PLUCKS』に少なからず衝撃を与え続けている。
 けして『竜翼の山海』で起こった惨劇と、それにともなった悲劇を忘れてはならない。そう言っているのかもしれなかった。
 最後まで、ギャロップたちはアルセウスの側につく『神』を信じるポケモンとしての立場を明確にしていた。
 だが、こちらに振り返った三匹に「達者で暮らせよ」と、リンがそう手向けたとき、一瞬、ほんの一瞬だけ光につつまれた全員の口元が上がったように見えたのは、誰の気のせいでもなかったのだろう。

「ボクたちは、正しかったんでしょうか」
 再び静寂の戻った『峰炎の間』で、イブは『石碑』を見上げているリンにすがるような声を向けた。
「言ったろ。お前らはお前らのやってきたことに何恥じることねェ」
 イブの傍らでその背中をぽん、と叩いたミロトは『石碑』に目を向けつつ、その表情はすでに切り替わっていた。少なくともそう努力しているように見えた。
「決着を『救助』って置きかえてもかまわねェ。この場合はな」
 イブはひとつおもいきり深呼吸し、リンの言葉を信じることにした。

 『峰炎の間』の石碑を読み取った『PLUCKS』は、こうして任務を達成した。
 手がかりがあるとされる『石碑』の数は五ヶ所。『憂いのほら穴』、『海風の断崖』、『峰炎の間』を踏破し、残りは二ヶ所。その全貌が明らかになれば、イブの正体もわかってくる。少なくとも、イブ自身はそう信じて行動していた。
 目的を達した一行はバッジを使い、『基地』に帰還した。いつものように光に包まれ、本拠地のある町はずれにたどりつきほっと一息をつく。
 カイナに今回の任務の報告をし、ひとときの休息をとったのちにつぎの目的地に向け、行動計画を練らなければならない。
 『PLUCKS』の二匹とアドバイザーとして就いているリングマの、だれもがそう考えていた。
 木々にかこまれた小路を抜け、目のまえにあらわれた『基地』は喧騒に包まれていて、やはりいつものように活発な活動を続けているようだった。
 三匹は誤解していた。
 かれらの安息の地は、かれらの期待をとても申し訳なさそうに、かつ猛然と、裏切っていたのだった。
 『基地』とそれを取り囲む建物は、そこに住むポケモンたちが成した町という区画ごと、炎に包まれていた。 

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