戦火の勇気 6

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 皮肉だった。
 救助活動を行うにあたって、自身らの名前を広める必要はないと信じ、救助中いつでも「ピカチュウ」、「ブイゼル」と呼び合うかれらは、要救助者にその存在をわかりやすく、あいまいに記憶させた。
 かれらにとって誤算だったのは、わかりやすさは真実の味方で、あいまいさは噂のお供だということ。
 要救助者たちが持ったその二匹組の救助隊への好意的な経験談は、感動や興奮とともにポケモンからポケモンへと伝わっていく。
 ある者が面白半分か、本当に尊敬の念をもってか、はたまたそれらとはまったく別の感情を抱いてか、かれらに二つ名までつけてしまうほどに。
 こうして『波濤のブイゼル』と『瞬雷のピカチュウ』は、意図しない名声をその身にたずさえることになってしまった。
 のちの時代に、お話好きなポケモンたちが、かれらについて無責任で得意に語る二種類の前置きも、この二つ名がもとになっている。
 「栄光の始まり」と、「悲劇の前触れ」。
 かれらの信念は、皮肉に例えられるもののひとつとなってしまう。

 『基地』の活動に必要な物資を調達するため、『基地』メンバーのポケモンたちと出掛けていたルイは、めずらしいこともあるもんだな、と思っていた。
 いつもなら基地の仲間が戻ってくるタイミングを見計らってまっさきに出迎えるユウが、今日に限って現れなかったからだ。
 彼女はおつかい程度の依頼からであっても、危険な場所におもむく遠征からであっても、帰ってきた者への弾けるような笑顔と労いを忘れなかった。そういうポケモンだった。
 そんな彼女に『基地』メンバーのポケモンは、それまでどんなに神経を尖らせていたとしてもその気分を和らげ、表情を和ませる。
 みんなはこの思いやりにあふれる彼女が大好きだったし、彼女も『基地』のメンバーが大好きで、要救助者と同じくらい大切に思っていた。
 そのユウが基地内のどこにもいないことにルイが気付き、さすがに違和感を強めていたとき、町の方から悲鳴と爆発音が聞こえてきた。
 急いで二階の窓から様子を確かめたルイは、町の入口方面から火柱が上がるのを目にする。
 続く爆発音。そしてまた火柱が、一本、三本、さらに三本――一匹のポケモンのしわざではない。
 何者かに、この町が襲われている――!?
 ルイは二階の窓から外へと飛び降り、増え続ける悲鳴のもとへと駆け出した。

 燃えさかる町を見、呆然としたくなる誘惑をすぐさま払いのけ、リンはイブとミロトに叫んだ。
「水タイプのポケモンを見つけて消火を手伝ってもらえ! 優先するのは建物が密集してるところだ! 見つからなかったら基地裏の湖に来い!」
 手短に指示を出し、自らが先に湖に走る。
 二匹は戸惑いながらも返事をし、町の中心部に向かって駆け出した。
 いちどだけ、混乱する頭で自分たちの拠点の様子をたしかめるため振りかえると、妙なことに気付く。不思議なことに基地は煙を上げてはいるが、これ自身は燃えていない。
 そのことに安堵し、その理由を考える余裕はあるはずもなく、イブたちはふたたび全力で走り出す。
 リンは自らも混乱していることに気付きながら、基地の裏手に向かう。
 イブらに出した命令はあまりにも不充分だったが、あいつらはその命令にしっかりと機転を利かせるだけの経験を積んでいる。くそが。何が先輩だ。カイナの苦労が知れるな。
 それよりもまずこの火をどうにか――いやちげェ、中の奴らを助け出さねェと――
 自嘲を織り交ぜた思考が右往左往するなか、リンは取りあえず正しい判断をし続けた。
 湖に向かいそのまま水の中へ飛び込み、すぐさま上がって基地の入口に向かう。
 自身が燃えてしまわないように全身の毛皮を濡らせたリンだったが、正面から改めて基地を見たとき、イブたちと同じことに気付いた。
 基地は燃えていない。いや、鍛錬所脇の薪置場はすでに炭と化しているが、基地自体は煙を出しつつも燃えていないのだ。
 リンは疑問を抱きつつ基地に飛びこみ、声を上げる。
「おい、誰かいる――」
 リンは目を見張った。基地内にポケモンが取り残されていたからからではない。基地の内部がすべて、氷づけにされていたからだった。
 壁、とびら、寝台、処置室、処置具、水瓶――あらゆるものが一切の動きを許されていないかのように、その場に固定されている。
 そしてその中央にポケモンが一匹、静かに立っている。 
 目を閉じ、ゆるやかな呼吸を維持しながら集中している彼女は微動だにせず、しかしリンの声を聞くと、ゆっくりと目を開けた。途端、その場に崩れ落ちる。
 リンはすぐさま駆け寄り、彼女が倒れこむ前にからだを支えた。
「リン……ちゃんさぁ、遅いってば……」
 薄目をかろうじて開けられる状態ながらもリンをからかおうとするニューラを、リンは鼻で笑いながら抱え上げた。
「フン、黙ってろリュナ」
 間近で見てはじめて判ったが、リュナの全身は脂汗に濡れていた。よほどの体力と集中力を使ったに違いない。
 当然だ。この状況を見ればわかる。おそらく町に火が上がりだしてからいままで、この基地に燃え移らないように壁一面、いやその外側まで凍らせようと全力を使ったのだ。
 リンが煙だと思っていたものは、周りの熱量によって氷が空気中に溶け出すことによってそう見えたものだったようだ。
 リュナを仮眠室に寝かせ、リンが尋ねる。
「ほかのポケモンは? 避難したのか?」
「うん、だいじょうぶ。外部のポケモンはみんな避難してもらったよ」
 リュナはそれよりも、といった顔で続ける。
「ほかの『基地』のみんなは……?」
「俺らもたったいま帰還したところだからわからん。いいからそっちは任せろ、とにかくお前は休むんだ」
「お願い、あたしは弱いし、なんにもできなかったから、みんなを、町を――」
 リュナはやっとといったふうに呼吸を繫いで懇願した。リンはリュナの額に手の甲をやさしく置いた。
「うはは、お前がやってくれたことは大勲章もんだろ。よく基地を護ってくれたな。起きたらあとで思いっきりハグしてやるぞ」
「あはは……勘弁して、それってもうハグじゃ――……」
 リンの冗談にちからなく応えて、リュナは穏やかに目を閉じた。寝息を立て始めたことを確認すると、リンは入口に向かって歩きだした。
「勲章、ちょうだいな」
 ふと、頭上から透き通った声が降ってきた。
「んがっ、帰ってきてたのかよ」
「それはあんまりな言い草ですこと。あなたが遠征から帰ってくる前からいたのですよ」
 すう、と空間が揺れたかと思った瞬間、リンの目の前にそのポケモンは現れた。
 白を基調とした振袖を身にまとったような姿をしているが足はなく、彼女はそのからだを宙に浮かせ、リンの目の前を冷ややかな空気を浴びせながら横切る。帯の赤色と、仮面のような顔に彩られる青紫色が特徴と言えるゴーストポケモン、ユキメノコだ。
 彼女はこの『基地』で、リンと同じく探検活動を主としているポケモンだった。リンが記憶していた限り、かれとは別の地へ遠征していたため、しばらく『基地』を離れていたはずだった。
「それにユキメもがんばっていたのですから。主に二階より上で」
「そうだな、リュナだけじゃ『基地』全部は無理だな……」
 基地は三階建てだ。そのすべてを凍らせ、凍結した状態を維持するためにはポケモン一匹だけではどうしても無理がでてしまう。つまり、リュナには協力者がいたということになる。
 『ユキメ』と自らを名乗る彼女は、艶めかしくリンを見つめた。
「……置いていくんですの? リュナちゃん」
「おんぶして連れてくのかよ、寝てんのに」
 リンは居心地が悪そうにため息をついた。対してくすくすという冷やかしがリンの耳にかかる。
「……おい、俺はもう行くぞ。リュナをみてろよ」
「ユキメへの勲章ハグはどうなるんですの?」
(うるせぇぇぇ……)
 リンは、うざったいという態度を隠そうともしないまま『基地』を出た。
 ユキメは口調こそ丁寧に仕立てているが、ゴーストタイプらしくほかのポケモンをひらひらとおちょくることが好きな性格をしていた。
 さらにこおりタイプも併せ持っているためリュナとも気が合うのか、よくいっしょにいるところをリンも見ている。
 今も、リンがばつが悪いだろうということを解ってそうしているのだった。
 彼女も『基地』の正式メンバーであり長い間顔を合わせてはいるはずだが、いまだにつかみどころがないユキメの振る舞いをリンは苦手としていた。
「……ほかの皆さんは町の消火と、この火災の元凶に対応しているはず。お気をつけて」
 急に態度を変え、ユキメが言った。
「ああ、お互いにな。こっちは頼んだ」
 ユキメが再びすう、姿を消す。そして『基地』の上方から聞こえる、ばきばきと大量の水分が硬く凍える音。階段から、いまの肌寒さを上塗りするほどの冷気がゆっくりと落ちてきている。
 リンはその様子を一瞥すると、熱風渦まく喧噪のもとへと走り出した。

「ミロトくん、うしろ!」
「オッケー!」
 町の入り口付近では、『てきしばりだま』により身動きが取れなくなったほのおポケモン――ブーバーン三匹を相手に、イブとミロトが各個撃破をはかっていた。
 『てきしばりだま』は辺りの敵対ポケモンを硬直させる効果を持つが、いちどイブらが攻撃を加えてしまえばそのポケモンは解放されてしまう。また、いつまでも硬直してくれているというわけでもなく、個体によってはすばやくその縛りを破ってしまうポケモンもいる。のんびりできる時間はなかった。
 一匹めのブーバーンを倒したミロトは、雄叫びとともに再度わざの構えを取りはじめた二匹目のブーバーンへとふり返り、『ピヨピヨパンチ』を腹部に突き当てる。ブーバーン側も黙ってやられるほど愚鈍なわけではなかったが、この時ばかりは相手が――相手したチームが悪かった。
 イブたちは二匹だけで戦っているわけでは、なかった。
 かれらの周囲で、水柱が渦を巻いて天に昇った。やがてその水柱はハリケーンのようにその勢いと大きさを膨れあがらせ、はじけた。瞬間的な豪雨があたりの建物をうち、暴れ狂う炎をしずめていく。
 この『うずしお』の主はルイだった。かれにとって、町を襲う謎の一団と遭遇し、最優先すべき消火よりも戦闘に入らざるを得ない状況になりかけたところで、帰還していたイブたちと合流できたことは何よりも救いだった。
 ルイはさらに別の建物へと狙いを定め、つぎの消火にあたる。
 『うずしお』はあくまでも消火のためのものだったが、目の前であまりにも膨大な水量をあやつるルイにブーバーンはひるんだ。それをイブは見逃さなかった。
 一瞬そらした意識をもどすことすらできずに『でんこうせっか』を繰り出された三匹目のブーバーンは、懐を正確に射抜かれ、気を失いその場に倒れた。
(……『でんこうせっか』を、ここまで使いこなすなんて)
 絶え間ない消火にあたりながら、ルイはイブたちの状況を掴みつづけることも忘れていなかった。
 その中でルイが目にしたものは、いまだ成長を続ける『PLUCKS』の姿。
 ミロトはルイがわざわざ分析するまでもなく、強くなっていた。やんちゃなミロトらしく、そのすばやさを活かして縦横無尽に跳びまわることで相手をかく乱し、死角に踏み込むと同時に確実な一撃を与えている。
 そしてそのような派手な動きをするミロトに隠れがちだが、ルイにそれ以上の成長を感じさせるのがイブだった。
 その洞察は沈着冷静、のひとことに尽きた。一歩引いた位置で戦況をつかみつつ、必要と感じれば即前へ転じる。行動力、決断力、それらを支える勇気。これらが備わり、出会った当初のイブからは考えられないような動きをしている。
 『でんこうせっか』も、ある程度彼我の距離が離れていても繰り出せるという長所こそあるが、わざの威力それ自体はあまり強くはない。戦闘経験が豊富でないポケモンでも覚えやすい技のためか、成長し、戦い方が熟練するにつれてその繰り出し方を忘れてしまう者も多い。
 しかし、イブはみずからの戦闘スタイルにこのわざを取り入れつづけた。
 攻撃、防御、自分の役目のすべてを勘案したうえでの選択にちがいなかった。イブがそういう思慮深さを持っていることに、ルイも気付いていた。
 だからこそ、迷いがない攻撃だからこそ、その威力は確かなものとなる。現に、ブーバーンは的中したイブの『でんこうせっか』一撃で沈む羽目となった。
 負けてられないな。ルイは少しでも消火の時間を短縮できるよう、扱う水量を倍増させる。
 避難中の町のポケモンたちから、悲鳴が上がった。
 町の外、森の向こうからさらに多数――十数匹あまりのほのおポケモンが現れる。すべてが大型のようだ。
 ルイは思考をこれまで以上に回転させる。
 消火はまだ十分とはいえない。この付近の火はおさまりつつあるが、ほかに激しく燃えている区画はまだ何か所もある。その火は確実に延焼する。
 そこへ向かい、奴らをこのままこちらに通せばどうなるか。もちろんイブくんたちは阻止にかかる。善戦する。だけど止められはしない。あの数と質量はどうがんばっても二匹じゃ無理がある。その敗北の先には明確な答えがある。
 それならば、僕がイブくんたちへの援護に入る? いや、中心部に向け後退して戦線を縮小するべきかもしれない。ほかでも仲間ががんばってくれてはいるはずだけど、イブくんたちともども前線を下げないと、こちらの勢力じゃあいくらももたない。町への放火と戦闘を同時に行われでもしたならなおさらだ。
 (捨てることになるのか、この町の一部を――)
 ルイの目の前に、カイナと、ルカとはじめて出会ったころの光景が一瞬だけ、よみがえった。
 しかしその懐かしく幸せに感じていたはずの光景は、殺気をたずさえた一団が迫る現実にすぐに上書きされる。
「イブくん、ミロトくん、下がるよ! うしろに全力で走――」
 ルイが後退の決断をし、その援護のため自身のエネルギーを水の合成へと振分けようとしたとき、一団の隊列が乱れた。
 ルイたちの視界を真横一文字に強烈な光線が横切る。一団は色めき立ったが、光線の主を探し当てるよりも早く、巨体ポケモンがさらにその身ごと突っ込んだ。
「リンさん!」
 イブとミロトが叫び、巨体ポケモンの正体、リンのもとへと走る。最初の『はかいこうせん』で、増援部隊の半数以上が倒されていた。
 強力な加勢。あの三匹なら、新たな敵にも対応できる。
 そうルイが安堵することは許されなかった。
 目を見開いたルイが見たものは、さらにその向こう、五十はいるであろう第三波のポケモンの集団だった。
 神が下した命令を携え、忠実に実行せんとするしもべたち。
 そのはずだった。そういったポケモンたちのはず。こんな統制のとれた大隊列を組んで行動するポケモンの集団なんて、ほかにいるわけがない。
 リンの怒声が聞こえる。イブたちが隊形を広げるが、交戦する前から結果が見えている勢力差だった。
 やはり後退しかない。
 ルイは退路を確認するため、後ろを振り返る。
 そこにも、ポケモンの集団がいた。イブたちの目の前にいるほのおポケモンと、ほぼ同数。
 挟撃。
 数を用意し、自身の被害を最小限に抑えながら相手をひねりつぶす、理想的な蹂躙。
 さすがのルイも絶望を覚えかけ、さらにこちらをたたみかけるよう、よく通った声が、響いた。
「防護隊、敵前方入口付近、かかれぇ!」
 堰を切ったように、そのポケモンたちは町の入口へとなだれ込んだ。ルイは身構えるも、すべてが自分の横を駆けていく。
(しまった、狙いはイブくんたち――)
 迷いがないポケモンたちの突撃に、ルイは濡れた毛皮が逆立つほど全身を緊張させた。
 イブくんたちは、これ以上ぜったいに傷付けさせない。
「待ちなさい」
 ルイの最大エネルギーが口腔内に集中し、みずタイプの攻撃わざとしてまさに空気中に解放されようとしたとき、やさしげな柔毛が目の前の視界をおおった。
 よくよく見ると、それが何者かの尾だということにルイは気付く。
 緊迫したこの場において、それはあまりにも場違いな雰囲気を醸していた。尾の主をたしかめるルイ。
 そこにいたのは、すらりとした長身をたたずませ、突撃部隊の様子を監督しているミロトの母、キュウコンだった。
「!?」
 ルイの頭は混乱した。
 なぜここにミロトくんのお母さんが。
 従えているポケモンたちは、町を襲う集団へと猛然と立ち向かっていた。
 キュウコンがさらなる指示をとばす。その口調にはルイも感じたことがない、覇気がこもっている。
 違和感と疑問に圧倒されるルイだったが、目の前にいるのは間違いなくミロトの母、キュウコンだ。
 はじめてミロトと出会ったときに覚えた美麗な印象そのままが目の前にあれば、間違うはずもない。
 ルイとキュウコンのさらに後方から、控えていたのであろうみずポケモンが隊列をしいていく。
「消火隊、かかれぇ!」
 キュウコンがふたたび号令を下すと、みずポケモンたちが一斉に周囲の建物へと放水をはじめた。
 かれらを中心とした放射状の水流は、みるみるうちに炎をかき消していった。
 イブたち周辺の戦闘も、流れが変わっている。
 同数程度がぶつかり合った戦場は大乱戦に陥っていたが、消火隊のはたらきは襲撃者たちの士気にまで影響した。
 目的の達成――町の破壊が不可能になる予想外の敵の出現は、襲撃者たちにとって衝撃的だったのであろう。
 及び腰になり、しだいに後方を気にし始め、視線がせわしなく動きはじめる。
 撤退の予兆。『PLUCKS』、とくにリンはこの腹の底から楽しくなる瞬間を完璧につかみ、全力で周囲のほのおポケモンたちを蹴散らした。
 全体からみればさほどの勢力差が生まれたわけではないリンの極局地的な圧倒は、動揺し敗北に敏感となっていた襲撃者たちをさらに弱気にさせた。
 一匹が背を向け下がれば、それを見たほかの者も何の疑問もなくそれについていく。その動作はすぐにほかの者へと伝播する。
 二匹、五匹、十匹、二十匹と町の入口から足を引き、最後まで神の下令に忠実であろうとしたポケモンもくやしそうな顔を翻し、撤退――いや、『敗走』の列に加わった。
 喧々としていた町の入口に、静けさが訪れる。他の場所で響いていたはずの爆発音も今は聞こえない。代わりに、水しぶきと炎が混ざり合い蒸気が生まれる音があちこちで聞こえはじめた。

 ルイたちは町を襲撃した一団をなんとか退けたものの、被害は甚大だった。
 町を形成していた建物はほとんどが火をつけられ、全焼してしまったものもいくつかあった。
 しかし、町のポケモンはほとんどが無事だった。
 『基地』のメンバーが総出で住人の避難を手助けしたこと、それにキュウコンが引き連れたポケモンの集団がそれを援護した結果だった。
 こういった避難、そして町に先行して侵入していた襲撃者たちのほとんどを相手する戦闘、基地メンバーによる消火を中心で指揮していたのがカイナだった。
 リュナやユキメを基地に残し、炎上を食い止めさせたのもかれの判断によるものだった。
 もちろん、基地へ襲撃者たちが辿り着かないようメンバーの戦闘配置に気を配るのもかれの仕事だった。
 その結果、リュナたちの防衛から『解凍』された基地はやけどなどを負ってしまったり、すみかが焼かれてしまったポケモンたちへと解放することができている。

「ユウが、『うつしよの神域』へと向かっている……!?」
 ルイの目の前にいるポケモン――キュウコンは、戦慄的な事実を口にした。
 『うつしよの神域』は、その名の通り『神』、すなわちアルセウスが眠る場所として、ポケモンからポケモンへと口伝されてきた地だ。
 どこにあるかというのは誰も知らない。知ろうとする者もいなかった。
 その原因のひとつは、アルセウスが眠りについたとされたのが、この時代のポケモンが生まれるよりはるか前だったことにあった。
 ただの神話として判断され、現実味が薄れている真実など、だれも興味を示さないのはふつうのことだった。
 そして興味を示した者がいたとしても、それを確認しようとする意思を阻んでしまうものがある。
 それは正当な理由なくそこに行けばなにか良くないことが起こってしまう、そういった考えのもとになる、ポケモンたちからの神への『信仰心』だった。
「『神人(じにん)』の一匹が、目撃しています。以前、ユウさん方にお世話になったことがあるから、見間違うはずはないと申し述べております」
 『神人』とは、平たく言えば武闘派の神職である。
 アルセウスを『神』として祀る風習があれば、それを体系づける役割はどうしても必要になる。それがキュウコンのような神職であり、細かくいえば巫女や神人である。
 キュウコンが引き連れている神人が、なぜ直接信仰の対象としているアルセウス側についていないのか。それは、どのポケモンも一度は『基地』に恩義を感じたことがあったからだった。
 その『基地』が破壊対象となった事実は、神人たちの良心を揺れ動かした。そして、仲間割れになる恐れを振り払い、神に次ぐ位にある『巫女』へと集結したのだった。
 やわらかな発音は、ルイが抱いていた彼女のイメージそのものに戻っている。落ち着きを取り戻したというより、己の中の切り替えをこなしている、そう見えるキュウコンに対してルイは強いまなざしを向けた。
「……止めるべきだった、のですね」
 キュウコンは申し訳がない、といったふうに頭を垂れた。
「……いえ、すみません。そうではないんです。ユウにはユウの――そして『LUCKS』としての考えあっての行動なはずです」
 ユウとの付き合いは長い。それこそ、お互いが生まれてからずっといっしょに過ごしてきたようなものだった。
 彼女がピチューだったころからの無邪気な表情を知ってもいれば、『基地』の救助隊員として何に対してもまっすぐ立ち向かう電雷のようなまなざしも知っている。
 そしてそれこそが、ルイの不安をより黒く、焦げつかせようとしているものだった。
 ユウが、ただ自分の好奇心だけでアルセウス、そしてリーダーのルカがいるであろう地に赴くとは到底思えない。
 ユウの行動から読み取れる思い。理解はできるが、受け入れ難いもの。ルイはいったんその焦燥を心にしまいこんだ。
「そうとも、言い切れないのかもしれません」
「……?」
 キュウコンが、表情はそのままに続ける。
「ユウさんのそばには、パッチールが一匹、いたそうです」
「……パッチール、さんが……」
 パッチール。神に付き従うドサイドンによって虐げられ、負傷したポケモン。
 『神』にしたがっていたというから、『うつしよの神域』に向かうユウの案内役にうってつけではある。
 と、すると。
 ユウまたはパッチール、もしかしたらその両方が、何者かに操られているのか。
 それとも、さらわれたのか。いや、ユウに限ってこれらの可能性は恐ろしく低いことも、ルイはわかっている。神人がパッチールとユウを見た状況からしても、それはなさそうだった。
 わからない。何が起ころうとしているのか。僕は一体、どうすればいいのか。
(――どうすればいい、か)
 ルイは大きく、ゆったりと深呼吸をして、目を開けた。
 これは決心が必要なピンチが訪れたときや、大きな目標に決死の意気込みで向かうときにする、ルイなりのスイッチングだった。
 するべきことなんて、決まってる。
「ルイさん」
 イブとミロトが、ルイの後ろから声をかけた。
「イブくん、ミロトくん。帰還したなりに大変でした。イブくんたちのおかげで『基地』も町も、被害は最小限に抑えられたよ」
 ルイはいつもの、イブたちに対する笑顔で先の戦闘を労った。言うまでもなく、それは心の底からの感謝だった。
「『溶炎の山河』の探検は、どうだった?」
「はい、アルセウス側のポケモンと戦闘になりましたけど、『石碑』を読み取ることができました。あと、これも――」
 イブはみずからのかばんの中から、三つの石を地面に取り出してみせた。
 ギャロップたちから託された、イブにかかわる『進化』のためのいし。
「! そうか、ついにイブくんも進化するときが来たんだね」
 ルイは『ほのおのいし』、『みずのいし』、『かみなりのいし』それぞれに、まるでこの世にふたつとない芸術品を取り扱うよう、やさしく触れた。
「イブくん。イブくんなら、どのタイプのポケモンに進化してもきっと、その能力を活かしきることができるよ。今のイブくんを見ていたら、それは約束できる」
「ありがとうございます」
 イブはいつもかれがルイとユウにほめられたときと同じように、ぺこりと頭を下げた。しかし、その表情のちがいに、ルイは気付いていない。
「あとはじっくり、自分の理想のタイプとか、その先のイメージに合わせて選ぶといいと思う。それぞれのタイプわざについて検討するなら付き合うよ。そういえば、イーブイ種の進化はこの石によるもの以外にも――」
 嬉しそうに、まるで自分が進化することへの喜びを振りまくように、イブへの協力を申し出るルイ。
 あの、とイブがそれを遮った。そして、申し訳なさそうにルイを見る。
「ルイさん、ごめんなさい。ボクは自分の理想のタイプって、持ってなくて……」
 ルイはきょとんとしたが、すぐにふふ、と自分の弁に熱が入ってしまっていたことに気付いて照れ笑いをした。
「そっか。それなら、やっぱり焦ることはないよ。イブくんたちはリンさんと休養を取って、そのあとにでも考えるようにするといいよ」
「……ルイ兄は、どうするの?」
 ミロトがもどかしさをにじませつつ、ルイにたずねた。
「僕は……ちょっとのあいだ、出かけてくるよ。気になることがあってさ。すぐもどるから、イブくんたちは休んでて」
 ルイはやや間をおいて、用事を思い出したかのように答える。ルイ自身としては、それは『勘付かれない』ための仕草としてはとても自然なものだと思っていた。
 つまり、ルイは侮っていた。
「……いやです」
「いやだ」
 イブとミロトが、はじめて、ルイに毅然として反抗した。
 意外な返答に驚くルイが見たのは、二匹そろってまったく同じ目をして表す、そのまっすぐな思い。
 イブが、一歩前に進み出た。
 その一歩は、一瞬ルイが見惚れてしまうほどの力強さを持っていた。
「ルイさん、ボクたちには、進化することよりも、もっとだいじなことがあるんです」
「……? 進化、しないってこと?」
 いえ、とイブは頭を横に振った。
「お話は、聞きました」
「ユウねぇが、いなくなったって話だよ」
 イブとミロトが、そろってルイを見つめる。
 ルイは動揺して周りが見えていなかったがゆえの、自分の短慮さを後悔した。キュウコンさんとの会話で、ふたりに余計な心配をさせちゃったのか。
「……そっか。だったらなおさら解ると思う。僕が向かうのは危険により近い方角。イブくんたちにはまず休んでもらわないと」
 ルイはけっしてイブたちを邪険にしているわけではなかった。
 現実問題として、遠征と言って差し支えのない『溶炎の山河』から戦闘を経て帰還し、さらに町の襲撃に対応したイブたちの消耗を正確に推し量っていたのだった。
 だがイブたちのまなざしは変わらない。
「ルイにぃ、オレらももっと、せめて困ったときくらいはルイにぃたちの役に立ちたいんだ」
 ミロトが、素直にわき出たであろう気持ちをルイにぶつけてくる。
 おかしい。
 僕は、僕たちは、イブくんたちのお手本じゃないといけない。イブくんたちが、無事に目的を果たせるように、サポートしていかなきゃいけない。
 それなのに、これじゃあ――
「イブくん、ミロトくん、気持ちはありがたいよ、けど――」
「ルイ、無駄だ無駄。こいつら意外と頑固だぞ」
 今度はいつの間にかそばに来ていたリンが、割って入った。
「お前ももう見透かされちまってるよ。こいつらに対して、今度はお前が素直になってみたらどうだ?」
 ルイはリンを見た。
 呆れたように肩をすくめてはいるが、リンも、イブたちが言いたいことを理解しているようだった。
「ルイさん、お願いします。ボクたちにとっても、ユウさんはいなくちゃいけないたいせつなポケモンなんです」
 ルイははっとした。
 そして、イブとミロトに対して、自分がどれだけひとりよがりなことをのたまっていたか、ようやく心付いた。
「さっき、ボクは理想のタイプはないって言いました。ただ、理想の――憧れの、ポケモンたちはいます」
 イブはルイに、そしてこの場にいないルイのパートナーに、最大限の敬意を表すよう、地面に置かれた『いし』たちの前へと進み出て、身を低くした。
「ボクを救助してくれたのは、ルイさんとユウさんです。それはこれからもぜったいに忘れません。ユウさんがいないなら、その『穴』は少しでもボクが埋めます」
 イブが、いしのひとつに額を寄せた。
「ですから、いっしょに行きましょう」
 そして、ゆっくり、目を閉じた瞬間――
「え……」
 はるか古代、この星がポケモンたちへの進化のメッセージとしてそのエネルギーを封じ込めた、自然色に輝く鉱石。これが、イブの決意に反応する。
「そんな、待ってイブく――」
 あまりにも突然の決断に驚いたルイを、ミロトが制した。
 ルイを見るミロトは何も言わない。が、その目が全てを伝えていた。ルイにぃお願いだ、あいつは、こうすることがいちばん嬉しいんだ、とでも訴えるように。
 イブの体が力強い白光に包まれる。
 ――ユウ。何やってるんだ。見てよ。イブくん、いつの間にかこんなに立派に成長してたんだよ。ユウのこともこんなに心配してくれてる。僕たちに恩返しまでしてくれようとしてる。
 バカだ。バカだよ。すぐに、連れ戻すから。

 ぜったいに、『一匹』にはさせない。

 イーブイ種に秘められた可能性が、解き放たれる。ひとつの形となり、ひとつの未来となり、皆の目の前に現れる。
 ひとまわり大きくなった体から伸びる体毛は、雷光の鋭さを象徴していた。全身の彩りはカナリアイエロー、首周りにはパールホワイトが配されている。決意と、自信と、感謝の意思が、かれのゆるぎない強さとして表れ、そこに立たせている。誰の目にも、そう映った。かれの面影は、色は違えど大きいままの耳と、面長になりつつもそこに残る、優しいマルーンの瞳だった。
「おめでとう……ありがとう――」
 ルイはそう一言だけ、『サンダース』へと進化したイブに伝えることで精一杯だった。

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