17話 闇の綻び

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「ワルビアルEXで攻撃。メガトンファング」
 ダークナイトの右手が、最後の相手のポケモンを指さす。それが合図となり、赤い巨体が強靭な顎で相手を噛み砕く。
 膝の力が抜け、その場で崩れ落ちる相手を厭わず、ダークナイトが持つ大剣「デザイアソード」の刀身が怪しく光る。その光に吸い寄せられるように、相手のデッキからAfがするりと抜け落ちる。磁力でも働いているのか、デザイアソードを目がけ、やや不自然な軌道を描いて空中を漂うAfをダークナイトが掴み取り、ステルスモードをONにしてその場を立ち去る。
 数分程歩き、工場の裏手でステルスモードを解除。ダークナイトが鎧を外そうとすると、背後に気配を感じる。手にした剣を構え、振り返れば斑模様の仮面の女。見知った顔に安堵したダークナイトは、構えた剣を鞘に納める。
 体にピッチリ貼り付いた、藍色のボディスーツ。長い髪をシニヨンにして纏め、面妖な仮面で顔を隠した女。そして時代錯誤の黒い甲冑に大剣を携えたダークナイト。極めて珍妙な組み合わせだが、始まるのはハロウィンパーティではない。ビジネスの話だ。
「何の用だ」
 問いかけるダークナイトに対し、仮面の女が答える。
「Afはもう集約しつつある。今のように雑魚を潰すのももうそろそろ終わりだ。いい加減どちらかに攻め入ってもらいたい」
「どちらか、だと?」
「とぼけるな。風見雄大や奥村翔達の陣営。雨野宮陽太郎。そしてダークナイト。今この三つの陣営がほぼすべてのAfを手にしている。いい加減どちらかを殲滅するべきだ。この前は風見雄大の陣営の人間と遭遇したようだが、戦わずに退いただろう」
「とぼけるな、というのはこちらのセリフだ。これだけAfを集めているにもかかわらず、貴様はまだ何も報酬を出していない。これ以上働かせるならば、誠意を見せるべきだ」
 仮面の女は答えない。静寂が両者の間を包む中、ダークナイトは鞘に納めた大剣の柄を右手で握る。
 この大剣と鎧はAf狩りのために、仮面の女から与えられたものだ。大剣を振りかぶったところで、この女に通用するかは分からない。どういうわけかこの女にはダークナイトが持つ力が通用しないのだ。だが、本気を示すにはこれくらいは必要だ。
 流石にそれを察したか、仮面の女は見慣れぬ情報端末を取り出して、何やら操作をし始める。
「いいでしょう。モチベーションが上がらなければこちらの思惑にも支障が出る。私が『情報』を握っているという証拠を示そう」
 仮面の女は情報端末から一枚の画像ファイルを開き、ダークナイトに見せる。端末に映っているのは一枚の写真。画質は粗く、写真の角度も悪い。右下には印字されたように四日前の日付が書かれている。防犯カメラの映像から切り出されたような、そんな写真だ。
 写真の中では少し古臭そうな印象の建物の中、一人の女性が歩いている。粗い画質だが、顔はかろうじて認識できる。ダークナイトは記憶とその女性を照らし合わせる。もう何年も会ってないが、面影を感じる。
 食い入るように写真を眺めるダークナイトが、情報端末に手を伸ばそうとすると仮面の女が遮る。
「これで確信してもらえたか? そちらが仕事を果たせば、我々はいつでも彼女の所在を伝える。その準備は既に出来ている」
「分かった、信じよう。こちらも責務は果たす。その代わり約束は守ってもらう」
「ならば近日中、どちらかと決着をつけてもらおう。我々はいつでも動向を見守っている」
 仮面の女はそう言うと、突如姿が消えてなくなる。仮面の女にもダークナイトの鎧と同様のステルス機能が備わっているのは知っている。そしてわざわざあんな言葉を告げた上で目の前で消えて見せたということは、ダークナイト自身も監視されている。というような警告のようにも受け取れる。
 天を仰げば高い建物に囲まれた狭い空。その空も深い雲に包まれている。これが悪魔の取引だということは分かっている。だがもう後には引けない。あの日失った「彼女」の行方を掴むまで。



 Af事件で始まった激動の夏。気付けば、暦はもう九月の二週目に変わっていた。大学生の長い夏休みももう残り一か月を切りそうな、そんな至って普通の平日。
 いや、至って普通とは言えないか。さして気温が落ち込んでいないにも関わらず、昼を過ぎても霧が晴れない。雲は今にも街を濡らしそうなのに、すんでのところで我慢をしている。
 去年も観測史上五番目の速さで台風一号が発生したり、今年は桜の開花時期が少し遅れたり。異常気象の話題にはネタが尽きなくなってきたから、不可解な転機を受け入れる事には誰も彼もが慣れただろう。
 ただし霧となれば話は別だ。長岡恭介は不必要に無理をしない。バイクに乗ってもホログラムマップで迷うことは無いが、視界が悪いのはとにかく宜しくない。
 視認して人が反応するには約二百ミリ秒かかるという。突然人が霧の中から姿を現して、反応してからブレーキをかけてもバイクはすぐには止まれない。速度が出ていれば尚のこと制動距離は伸びる。加えて雨が降れば路面状況は悪化し、地面とタイヤ間での摩擦力の低下に伴い制動距離はさらに伸びる。要は事故の確率が増えるから、こういう日は愛車であるバイクに跨るのを避ける。
 運の総量、という言葉がある。人によって運の総量こそ違うが、良いことや悪いこと。それを総じて「運」というものは総量が決まっている。ある良いことが起きれば、他に充てられる良いことの総量が減ってしまうのだ。迷信以外の何者でもないが、多くの人は一度くらい考えたことがあるだろう。
 長岡恭介もそれを割と信じている。こんな天気の悪い日に、バイクに乗って無事故でいられる。そんな運を使うのであれば、もっと然るべき時に運を使いたい。能動的に運を操作できないが、運というのは然るべきことをした人に対して良き方向に誘ってくれる確率が上がる、と考える。人事を尽くしてなんとやら。
 だからこそ長岡恭介は無理をしない。無理というのはして然るべき時にするものだ。
 たとえその結果、今日はバイクじゃなくて電車だなんて珍しいね。と友人である生元亮太に言われたとしても。
「『アドバンテージを得る為に必要な事は、利得(ゲイン)を貪りに行くことではない。いかに損失(ロス)を抑えるか、だ』って風見が言っててな。だから万が一のリスクを考えるわけよ。リスクマネジメントつって」
「ふーん。随分と薫陶を受けてるんだね」
「まあな」
 恭介にとって、風見は端的に言えば憧れの存在だ。昔はただ技術だけしかない偏屈者であったが、ここ数年でメキメキと人間らしさとリーダーシップを磨き上げた。今では自分自身の哲学をしっかりと持っていて、周りのどんな大人よりも大人だった。
 もちろんそこに至るまでに、想像を絶するような艱難辛苦の連続を乗り越えてきたのだろう。話に聞くだけでは推し量ることすら思い憚る。そんな幼少期を経て、今の風見になったのだろう。
 だが、もし自分が風見と同じ状況下にいたとして、今のような風見になることが出来たか? と問われれば、答えはおそらく否だ。
 負けん気、粘り強さ、学の良さ、胆力、誇り高さ、エトセトラ。風見は自分に無いものをたくさん持っている。近くにいるからこそ、その輝きはより眩く、歴然とした差を見せつけられた果てに憧れと尊敬を抱く。風見という人間を知れば知るほど、光に誘われるように恭介はそんな風見に強く惹かれていった。
 翔はなぜ戦っているか、ということで拗らせていたようだ、という話を恭介は後になってから聞いた。そして自分はどうなのだろう、と少し自問自答をした。
 唯々諾々とするつもりはない。糾すべきところは糾す。その上で、恭介は風見が言う「光の覇道」の先を見たかった。俺が尊敬する風見雄大が信じ抜く、光ある未来とは。そしてまた、もし万が一に風見が道を違えれば。そのときこそずっと傍にいた俺たちの出番だ。と、恭介は帰着した。もっと簡単に言うと、恭介は風見雄大の望む未来を共に見たいのだ。
 とはいえ、恭介は自分を風見の下位互換だとは全く思っていない。風見雄大、奥村翔、長岡恭介。俺たちは誰一人として同じではない。道徳の教科書が言う、「みんなちがってみんないい」の精神だ。
 俺たちはチームだ。チームというのは出る杭を打って規格化した集団ではない。各々の才覚を最大限に発揮し、足りないところを他の誰かが補う。そういう集団だ。
 風見は態度で語るに固執しすぎて言葉不足だ。誤解も生むだろう。だからこそ、俺が言葉で補う。
 翔も能力やオーバーズなど、特殊技能に秀でている。だが、時折以上に熱くなりすぎる。だからこそ、俺が諫める。
 美咲や希さんも、俺にはない長所があるが、短所もある。俺はその短所をフォローする。俺がいるからこそ、チームがうまく回るんだ。軸受やベアリングのように、様々な部品をつないで大きな一つの機構を為す。点を結んで線にする。それ故に俺は出来ない事こそ多いが、引け目を感じたことは無い。むしろ人と人を繋ぐこと、それが俺の最大の技能であり誇りだ。
「危ないって!」
 突如亮太に腕を引っ張られる。どうやら少しぼうっとしていたようで、手押し車を押すお婆さんと接触しそうになっていた。亮太から率先してすみません、と謝るのにつられて恭介も頭を軽く下げる。
「どうしたのさ」
「いやあ、すまん。ちょっと考え事してた」
「謝るなら僕じゃなくてさっきのお婆さんにしてよね」
「ご指摘通りだわこりゃ」
 亮太はよく出来た人間だ。普段一緒にいる人間が少しこじらせてたり常人離れしているだけかもしれないが、亮太は普通の人らしい気遣いが出来る。翔のように濃すぎず、かといって風見のように薄すぎない。そんなちょうどいい人間臭さが、コイツと一緒にツルんでいて楽しいところかもしれない。
「それよか早く餃子行くか!」
「慌ててまた誰かとぶつかったりしないでよね」
「おうおうさ」
 昼飯はちょうど都心でやってる、全国の餃子を集めたイベントで済ます。屋外イベントなだけあって、ギリギリ雨が降らない天候で助かるばかりだ。
 醤油で食うもよし、ポン酢で食うもよし、オリジナルソースもよし。挙げたり洋風したてだったり、様々なバリュエーションの餃子を、二人でオススメしあってから食べる。自身の直感で選んだ餃子も美味だが、友人の勧める餃子も美味だ。SNSが発達して久しく、食選びも「情報を食う」と揶揄されて長いが、それでも間近の、隣の人間から得られる情報を食うのが舌と心を唸らせる。シェア食なんて単語が雑誌に出ていたが、やはり食事は誰かと食べてこそだと痛感する。
 向こう二か月分程の餃子をたらふく食べ、ニンニク臭いゲップをかまして笑いあった後。食べた分のカロリーを消費するぜと意気込んでポルタリング。二度目の亮太はまだ不慣れながらも、持ち前のセンスで中級は簡単に登って見せる。馴染みのクライミングジムなので、俺はサクサクと上級コースを登りながらそんな亮太の様子を見守った。
 五時を越えたが晩飯にはまだ早いなということで、今度はゲームセンター。亮太は本当に何をやらせてもゲームは天才的で、レースゲームに音ゲーや対戦型アーケードゲームは勿論。メダル落としやクレーンゲームまでも一切勝てないし手加減もしてくれない。
 亮太曰く、どのゲームも運が介在しないならテクニックだけでいい。テクニックはどんなゲームにおいてもある程度の共通性がある。と、常人にはまるで理解出来ない一言だけ残し、筐体ハイスコアを軽々と叩きだす。こいつにゲーセンで勝てるゲームがあるというなら、体を使ったゲームくらいだ。特に中高でバスケをやってただけあって、フリースローを決めるゲームには負けられない。
 そろそろ夕飯時だ、という時だった。突如来た電話で、亮太が帰ると言い出した。
 これは今に始まった訳じゃない。俺たちがAf事件で駆り出されるようになって少ししてから、こうして遊んだり果ては食事の最中でも急用だ、と言って帰ることがある。ニ、三度ほど何の用かと聞いたが、バイトのヘルプだという。
 亮太のバイトは予備校のチューターで、持ち場に座ってるだけの暇な仕事なはず。なのになぜ、食事の真っ最中であろうと急いで抜け出したりするのだろうか。何度か詮索はしたが、口外してくれることは無かった。仲が良い、と個人的に思っているだけあって、話してくれないのは少しショックだったりする。
 断片的な情報だが、亮太の両親は亮太が中学生になるかならないかの頃に離婚していて母親一人に育てられてきたらしい。奨学金を借りているとは聞いていたが、そのバイトとやらもそれに関係するのだろうか。
 亮太にわかったよ、気をつけてな。と言って見送るが、今日の恭介は少し違う。何せバイクじゃないのだ。
 普段ならバイクをほったらかしてどこぞほっつき歩くだなんて、考えようもしない。だが、中途半端な天候のために徒歩と電車で来た恭介は、ふと亮太を尾行しようと思った。バイクならどうしても音が目立つし、車両が入れない所を通られると追いかけられないからこその判断だ。決して亮太を疑うつもりはない。疑うつもりはないが、万が一。聡明な亮太の事だから犯罪に絡むことはないだろうが、危険なことに手を突っ込んでいたら。割と自分の事を能天気な方だと思う恭介でも、そんな考えに至るくらい亮太の動向はあまりにも不自然なのだ。
 人ごみに紛れながら恭介は亮太を追う。亮太の歩幅はいつもより五割り増しで、時折駆け足にならないと見失いそうだ。しかし思いの外、亮太が振り返る素振りは見せなかった。
 私鉄に乗り込む際も隣の車両から亮太の様子を見ていたが、どこか遠くを見ているようで追いかけられているとはまるで思っていないのだろう。
 気付いて降りれば菊名駅。随分と遠くまで来たものだ。陽も沈み、街に光が灯る頃。駅から歩いて十二分。ホテルの地下駐車場に亮太は徒歩で向かっていく。もう壁になるような人もいない。もし見つかったらその時はその時だ。おなかが鳴らないように、と願って意を決して進んでく。
 地下駐車場の車を壁にして、亮太の動向を見守る。突如歩みを止めたかと思うと、亮太は右手で指を鳴らす。音に応じてどこから現れたのか、大剣が亮太の前に浮いている。
 続けて亮太は大剣を手にし、その柄をトントンと左手で軽くなぞると黒い靄が亮太を包む。あの大剣、まさか。自分の心臓の鼓動が聞こえる。動悸だ。重たくなる空気、募る不安。これが夢であってくれ。頬をつねるがもはや痛さも感じない。黒い靄は風に煽られるように消えると、一度この目に焼き付けたから忘れない。ダークナイトがそこに立っていた。
 なぜだ? どうする? ちょっと待てよ、嘘だろ? どうすればいいんだ? アイツがダークナイト?
 思考がまとまらない。屈んだ膝が震えだす。やめろ、やめろ。一番マズいのは、ここで尾行してることに気付かれることだ。もしここで見つかったらどうなる。だが体の自制は効かない。脈打つ心臓、震える体、体温を奪う汗。自分の体が自分の物と認識できない。状況には客観的になれないが、自身の肉体に関してだけは嫌に客観的だった。
 しかし恭介の戸惑いを、誰かがどうにかしてくれるわけでもない。そしてダークナイトと化した亮太が待つわけでもない。そんな恭介の様子はいざ知らず。ダークナイト、もとい亮太は大剣を鞘に納める。続いて鞘にあるボタンを押せば、亮太の姿はまるごと消えた。
 その姿が見えなくなったことで、刹那、恭介の脳裏に風見の言葉が思い浮かぶ。
『完璧なステルス機能は存在しない。状況的に全身を鏡のようなモノで覆っているわけでもない。おそらく闇に溶け込んでいるのだろう。すなわち、ある程度の暗さが無ければダークナイトのステルス機能は働かない』
 先ほどまでまるで硬直していた体が動き出す。しかし心はそれに追いついていない。本能が、惑う恭介の体を動かす。
 恭介はデッキポケットを音をたてないように左腕に装着し、電源をつける。風見が改造したデッキポケットに、万が一ダークナイトと出会った時用に、という触れ込みでサーモグラフィー機能をカメラに取り付けていたのだ。
 カメラ、というよりはビデオだろう。デッキポケットのレンズで捉えた風景を、デッキポケットが風見家の中心サーバーに送信する。その後サーモグラフィーとして表示された映像が返ってくる。その時間、約七秒。風見の思惑通り、七秒前の地下駐車場風景に、ダークナイトの輪郭が赤及び黄色で表示される。ストロボ写真のように時々刻々と映る風景を、恭介の体が追いかけていた。
 依然動悸や汗は止まらない。それなのに、脚は動く。追いかけていく最中、徐々に恭介の内に勇気が湧いてきた。
 あいつみたいな優しい人間が、ダークナイトのような暴力的な事を果たしてするのか? 絶対に快楽でやっているわけではないはずだ。……というのは願望だが、いずれにせよ何故お前がやっているのだ。と聞いてやりたい。俺は亮太のことを友人だと思っている。だからこそ俺が止めてやらなくちゃならない。
 一度火が点けば迷いは消える。気付かぬうちに呼吸も整い、頭も澄んでいた。選択肢としては、ダークナイトの正体を翔や風見に伝えてあとは任せたと言うことだって出来た。でもそうしなかった。脳が、心がそう思う前に自分の体が既に答えを出していた。共に体を動かして遊んだ記憶、些細なことで笑い合ったその声、いつか交わしたハイタッチの感覚。もう迷わない。翔や風見が亮太を止めても意味はない。何が何でも俺がやるんだ。俺がやるからこそ、意味がそこに生まれるんだ。
 とはいえ七秒遅れの風景で追いかけるのは思いの外困難だ。十字路でどちらに進んだのか、それを判断するために三方向をチェックしなくてはならない。それが更に亮太との差をつけていく。
 時間間隔が溶け、どれだけの時間どれだけの距離を歩いたのかわからない。気付けば見知らぬ大学のキャンパス内に立っていた。そしてそこで恭介は完全に亮太を見失う。
 サーモグラフィーと自らの目、そして音を頼りに静かに歩く。まるで暗中模索だ、と過る直後に、見知らぬ大学キャンパスで抜き足差し足で歩く自分が、外から見れば単なる不審者だということをなんとなく感じる。
 大学内に潜入してからどれだけたったか。突如右方向から激しい音が聞こえる。走って音の元に向かえば、暗くて分からないがサッカーグラウンドらしき場所に一人の男が仰向けで倒れている。その向かいにはやはり、ダークナイト。
 以前見た時と同じように、男が持っていたAfがダークナイトの剣に向かって吸い込まれていく。一手遅かった。だが、逆に好都合でもある。このタイミングであれば、ダークナイトは逃げられないはずだ。
「よう! ツレの約束ほっぽり出したかと思ったら、こんなとこで偶然会ったな」
 今日の悪天候から、全てはまるでこの瞬間のためだったように思える。ダークナイトの正体をこの目で見た「運」は、恭介がバイクに乗ってこなかったからこそ舞い降りてきたものだ。まるで何かに導かれるように、恭介はダークナイトに立ち向かう。もう覚悟は決めている。
 今が「無理」をするときだ。無理というのはして然るべき時にするもの。その然るべき時は来た。
 こっからはもう一歩も引かねえ。あいつの思いを聞くまでは。俺の想いを伝えるまでは!
 恭介の呼びかけに、Afを手にしたダークナイトの動きが止まる。顔を兜で覆っているからこそ見えないが、動揺しているに違いない。今俺がここにいる。それそのものが、ダークナイトのステルス機能を看破してここにいることを示しているからだ。……厳密には完全に看破出来ているわけではないが。
「アンタ、動けるなら早くどっか行った方が良い。今からちょっとしたドンパチやるもんでな」
 仰向けに倒れた男に向かってそう言うと、彼はすくっと立ち上がり、怯えた表情をしながら足早に去っていく。
「さあ厄介払い出来たぜ。じっくりと遊ぼうじゃねえか。なあ、亮太(・・)
 ダークナイトが持っていた大剣をその場に落とす。決定的だ。恭介はこの言葉でダークナイトの正体を当てた以上に、その面を出せ、と暗に言っている。
 僅かな沈黙の後、ダークナイトもとい亮太は大剣を拾い直して地面に突き刺す。先ほどチラと見たように、大剣の柄をトントンと叩けば、鎧と兜が消え去って亮太本人が姿を見せる。怨めしそうに、それでいて敵意の眼差しで恭介を見つめる。
「まさか君に見つかるとは思っていなかったよ。……どうしてここにいるのかは分からないけど、今から引き返して帰ってくれないか」
 ドスを効かせるような、普段の亮太らしくない低い声。思いもよらぬ声音に、恭介は少しだけたじろぐ。が、顔には出さない。心で負けちゃダメなんだ。
「悪いがそいつは出来ないな! なんせ、今日はお前と遊ぶ約束なんだからよ」
 右ポケットからバトルデバイスを取り出して、眼前に放り投げる。デバイスはテーブルへと変形し、恭介は左腕のデッキポケットにデッキを差し込み、構える。更に恭介は亮太には見えない角度で携帯端末を操作し、翔に位置情報を送る。転ばぬ先の杖だ。
「前回『この僕』と会った時は怯えていたのに、何故そうも強気でいられるんだい?」
「馬鹿言え。ダチに怯えるタチじゃねえんだ。ダチと分かれば怯える必要はねえだろ」
「……友達、か。これ以上何を言った所で君は絶対に引き下がらなさそうだね。正直君たちと戦うことになっても、出来れば風見雄大や奥村翔君とだけぶつかりたかった。いずれ正体が分かるとなっても、君にだけは見破られたくなかった。こうなるくらいならいっそ、君と友達にならない方が良かったくらいだ」
 地面に突き刺さった大剣の柄が広がり、テーブル状となる。これがログで見たダークナイトのバトルデバイスか。亮太もデッキポケットにカードを差し込み構える。
「もう一度聞くよ。帰ってくれないかな」
「聞こえてねーなら何度でも言うぜ! 帰るつもりは全く無いってよ」
 亮太はそうか、と小さく呟く。恭介が亮太を知っているように、亮太も恭介を知っている。彼は引き下がらないだろう、初めから分かっていた。だが、こうなった以上仕方がない。
『ペアリング完了。対戦可能なバトルデバイスをサーチ。パーミッション。ハーフデッキ』
 亮太のバトルテーブルは大剣のままだが、その装いはダークナイトの鎧ではなく普段の姿だ。そして闇に溶けるような、真っ黒のデッキポケットを亮太は左手に構える。
 今思えば。亮太には不可思議な点がいくつかある。今亮太が構えたデッキポケット。あの色は昨年度の一時期だけ発売された限定カラーだ。恭介が亮太に出会い、ポケモンカードを勧めた時亮太はポケモンカードはしたことがないと言っていたが、ネットオークションで買った訳でもなければあのデッキポケットは手に入らない。
 そして恭介自身は気絶していて後から聞いた話なのだが、翔と亮太が鬼兄弟とマルチバトルをしたとき。亮太は悪タイプを使っていた。そしてダークナイトも優れた悪タイプ使いと聞く。予兆はすでにあったのだ。無論、悪タイプ使いがダークナイトだけと限られたわけではないが、もう一つ不可思議な点がある。
 鬼兄弟戦で翔がコモンソウルのカードを使い、全員の手札を一枚ずつ交換したとき、翔は亮太からAfを引き当てた。当時の翔は鬼兄弟のカードを引いた亮太がそのAfを引いており、翔がそれを手元に引き寄せたものだと思っていた。しかし当の鬼兄弟は、そんなAfを知らないと言い張る。風見はアテにならないなと一蹴していたが、アレは元々亮太の持っているAfだとすれば辻褄が合う。更に翔が気になることを言っていたが一つ。コモンソウルで鬼兄弟の感情は分かるのに、なぜか亮太の感情だけ伝わってこない、と。おそらく亮太も能力かオーバーズか、何かしらで翔の能力を拒絶したのだ。
 対峙する亮太は、恭介が知る亮太ではない。今にも暗闇に溶けてしまいそうな亮太の双眸は、本気の勝負師のそれだ。死線を抜けた数もきっと俺より桁違いだろう。だがそれでも、これは負けられない戦いだ。
 恭介の最初のポケモンはバトル場にデデンネ70/70、ベンチにコイル60/60。亮太のバトル場にはヤミラミ80/80のみ。引いたカードと場を眺め、記憶の引き出しを開く。
『ダークナイトの特徴は、なんといっても圧倒的なスピードよ。Afを絡めてハンドアドバンテージ(手札の優位数)とボードアドバンテージ(場の優位数)を荒稼ぎして、大型EXポケモンの強力なワザによるワンショットキルが多いわ。スピードと威力もだけど、悪タイプならではの特徴も相まって、相手を妨害するのはほぼ不可能よ。序盤に出てくる小型ポケモンは囮かコスト用で、意識するのは最初に場に出てくるEXポケモン。なんとか相手の大技を受けきる必要があるかな』
 ダークナイトのログを探った希さんが、先日残してくれた言葉。それを信じるなら、ヤミラミは単なる前座。亮太がEXポケモンを出す前にある程度仕掛けなくちゃならない。しかし、その意気に反して先攻後攻のコイントスで恭介は後攻を突き付けられる。
「いくよ、僕の番からだ。手札からグッズ『Afハイレートドロー』を発動。手札のEXポケモンを捨ててカードを三枚引く。僕はバンギラスEXを捨てる。更にグッズ『Af覆水蘇生』。トラッシュのEXポケモンをベンチに出し、山札の基本エネルギーをつける。僕はバンギラスEX(180/180)をベンチに出し、悪エネルギーをつける」
 早い。あっという間に大型ポケモンの登場だ。本当にワンショットで決める気か。しかもバンギラス、であればさらにメガシンカの可能性も残されている。
「手札から悪エネルギーをバンギラスEXをつけ、僕の番は終了だ」
「今度はこっちからだ。手札の雷エネルギーをデデンネにつける」
 序盤からトントンと駒を進める亮太に対して恭介の手はあまりにも悪い。進化後ポケモンとエネルギーが多くを占めて、身動きが取れない。この番出来ることはもうワザを使うことのみだ。
「デデンネのワザを使う。仲間を呼ぶ! デッキからたねポケモンを二匹出す。呼ぶのはサンダースEX(130/130)とデンリュウEX(170/170)だ」
 EXポケモンも扱いとしては「たねポケモン」であるから、バトル場に呼び出すことも問題ない。ベンチにポケモンがこれだけ散れば、次の番で即決着となることは避けられるはず。
「僕の番だ。グッズ『ポケモン入れ替え』でヤミラミとバンギラスEXをつける。手札のバッドエネルギーをバンギラスEXにつけ、バトル。ぶちかます」
 バンギラスEXの巨体がデデンネに迫り、振りかぶった右腕がゴムボールを押しつぶす用に振り下ろされる。デデンネ10/70が吹き飛ばされ、それとともに衝撃による強風が恭介を襲う。咄嗟に腕を交差させ、舞い上がる人工芝を振り払う。
 かろうじて10だけHPが残ったが、マジに潰す気満々だという亮太からの気概を感じる。
「舐めんなよ! 俺は雷エネルギーをトラッシュして、デデンネをベンチに逃がし、サンダースEXをバトル場に出す。サンダースEXにダブル無色エネルギーをつけ、手札のグッズ『不思議なアメ』を使う。それによってコイルをジバコイルに進化させる」
 コイルが光に包まれて、レアコイルを飛ばしジバコイル140/140へと進化する。この番の初めに引けた不思議なアメのお陰で、ようやく手札が機能する。
「ジバコイルの特性、マグネサーキットは手札の雷エネルギーを自分のポケモンにつけることができる。その効果で俺あサンダースEXに雷エネルギーを一枚つける。また、サポート『AZ』を使って自分のポケモンを手札に戻す俺はデデンネを手札に戻す」
 無意味にデデンネのHPを10だけ残すことはしないはずだ。おそらく亮太にはベンチにデデンネが下がっていても、デデンネを倒す手段があったはず。普段ならニヤリとしたい場面だが、強いて言えばヒヤリとした気分だ。危機は免れたが、有利になったわけではない。二ターン目にして既に恭介は後手後手。亮太の一挙手一投足に全神経を注ぎ、それに対処するだけで精一杯だ。
「良い読みだね。それがなければ君は次の僕の番で終わっていたよ」
「ダテに一緒に遊んでたわけじゃないからな。本気でポケモンカードはしたことなくても、本気で遊んでるお前は見てきた。勝負の場でのお前を知らないが、お前も勝負の場での俺を知らない」
 返事は無い。決して揺らがない亮太のその心の奥で、あいつは何を考えているのか。
 俺は決して翔ではない。翔のように、能力で感情を読み取ることは出来ない。
 俺は決して風見ではない。風見のように、力で捻じ伏せたり態度で示すことも出来ない。
 俺に出来ることは問いかけることだ。言葉を交わすことで、心を交わすことだ。
 俺が知っている亮太は、優しい人間だ。人を気遣うことも出来て、率先して感謝や謝罪の言葉が言える。そんな亮太が、Af所持者を無差別に襲うダークナイトをしているなんて、事情があるのか、快楽趣味なのか。いずれにせよ、俺は亮太の核心を知らない。そして知りたい。
 緊張で冷えた右手を胸に当て、わずかながらに温める。そして握りこぶしを作り、真正面に突き出す。
 流石の亮太も速攻のペースを崩されて、極僅かでも心に隙が出来ているはずだ。チャンスは訪れた。今問うんだ。
「聞かせろよ、なんでお前がこんなことをやってんだよ」
 我ながら強がった一言だ。言い切るまでは声音は保ったが、内心穏やかではない。どんな言葉が紡がれるのか、純粋に怖い。今まで恭介が出会った人たちは、決して見知らぬ他人には言えない事でも親しい仲となるといろいろと話してくれた。しかし亮太は恭介のことを友達、と言った上でこの事実を明らかにはしてくれなかった。
 経験則に無いイレギュラーな事例。単純に何が起こるか分からない。もしかしたら亮太の事を友人だと思っていたのは、一方的な俺の押しつけだったのかもしれない。そんな不安も湧き出るくらいだ。
「……いいよ。まだ君とはどれだけ早くても数ターンは戦わなくちゃいけないだろう。こうなれば言うのが早いか遅いか、ってだけだね」
 問いかける恭介もだが、それに応じる亮太も内心戸惑っていた。この話をするべきなのか。この話をする意味があるのか。正直話すべきではないと思っている。話したところで何も変わらない。
 だが、亮太の心もひどく疲れていたのだ。連日ダークナイトとして戦いに明け暮れる。Afの力で、亮太は人を傷つけていく。だがそれでも淡々と目標のために戦う。決して人は殺してはいないが、亮太が歩けば歩くほど、その足跡は罪悪感を増していく。
 まるでただただ暗闇の荒野を歩くのみ。その心は疲れ切っていた。本当に終わりがあるのか。足跡が足枷となって常に心は淀んでいた。楽しくて始めたポケモンカードが、今は亮太の心を荒らす。戦えば戦うほど、その心は煉獄に焼かれていた。この暗闇の荒野に、光が。夜明けが来るのか。
 やはり話したところで状況は変わらない。でも、ほんのわずかでも光を望みたいのだ。
 ダークナイトとしての活動でくたびれる亮太にとって、恭介と遊ぶのはこれ以上ない癒しだった。彼にとって、恭介という存在が光だったのだ。
「この話をするのは君が初めてだ。それは僕にとって君がかけがいのない友達だと思っているからだ」
 亮太は常に首にぶら下げているロケットペンダントに手をかけ、蓋を開く。そこには小学校低学年の頃の亮太と二つ上の姉の写真。その写真を少し眺めることで、亮太は話す勇気を得る。
「僕は行方不明の姉さんと再会するために、ダークナイトとしてAfを集めている」



亮太「ダークナイトとしてAfを集めれば、僕は姉さんと出会える。
   姉さんには僕が必要なんだ。そのためならなんだってやると僕は決めた!」
恭介「ハッキリ言うぜ! お前のやっていることは間違っている。違うやり方があるはずだ!」
亮太「次回、『光なき世界で』。姉さんのことを知らない君に何が分かる!」

●TIPS
生元亮太の父親(新開幸雄)の能力
スマイルスポット 精神干渉
半径約4mにいる人間に安心感を与える。
制御が効くが、本人に能力の自覚がない。
射程距離D 成長性E 影響力B 持続性A

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