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「待って!」
 ぼくの声に、彼女の肩はもう跳ね上がることはなかった。静かに振り向いて、静かにぼくに尋ねた。
「どうしてここにいるの?」
 一言で説明できるほど、ぼくは物事を簡潔にまとめるのが上手ではなかった。順を追って、一つ一つ告げていく。
「船はまだできてないって受付のお姉さんが言ってた」
 最初にピースを一つ置いて、別のピースと繋ぐ。
「なのに、君は船に乗るって言ってたから、おかしいなって思って」
 手順が決まったパズルのように、一つ一つ隣り合うピースを嵌めていく。
「で、君と別れた時に、カイリキーがぼくの目の前を横切って、すぐ後には君はもうどこにもいなくて……」
 もうすぐ結論だというところで、言葉に詰まる。よくよく考えて、思い出して、次に告げるべき言葉を紡ぎ出す。
「乗船所の外に出たら、ちょうど黄昏時だったから――あの世とこの世が繋がる時間だったから」
「気づいちゃったか」
 彼女は観念したようにほっと溜息をついた。落胆のそれではなく、どこか安心したような、落ち着いた溜息だった。
「分かった。全部話すわ」
 彼女は目を伏せて言った。それから、昔話を始める語り部のようにゆっくりと話し始めた。
「14年前、大きな彗星がやってきたのを知っている?」
「うん。テレビで観たことがある。すごく綺麗だったのを覚えてる」
「あなたが生まれる前の話になってしまうけれどね。彗星が割れて、その欠片がこの星にいくつも降り注いだの。それがね。この地方にも落ちてきたの」
 今度は、ぼくが目を見開く番だった。あの映像を見た当時は流れ星の美しさに見惚れるばかりで、そのあとにどんなことを言っていたかなんて聞いていなかったからだった。
「幸いにも、彗星の欠片はそれほど大きな被害を及ぼすことはなくて、ほっとしたのを覚えてる。それとは別に、アローラ地方で同じようなことが起こった。こっちも地面が抉れたり、建物が一部破損したりするくらいで、私が知る限り、これが原因で死んだ人は一人しかいない」
 そこまで聞けば、何となく答えの想像はついた。それが、ぼくがここにいる理由に他ならないのだから。
「私が、その一人」
「君、やっぱり幽霊だったんだね」
「うん……黙っててごめんね」
 申し訳なさそうに言う彼女を咎める気にはならなかった。よくよく考えてみれば、おかしいと思えるところは何度もあった。彼女はぼくやぼくの周りのものに触れることを拒んでいたように思えた。彼女は幽霊だったから、形あるものに触れることができなかった。ただそれだけのことだった。にもかかわらず、ぼくがそのことに気付かなかったという事実は変わらない。
「でも、どうしてこの石は触れたの?」
 ぼくはカバンから、ハンカチに包んだままの彼女にもらった石を取り出した。ハンカチを解くと、彼女と自分の持ち物以外何も見えない暗闇の中で、その石はうすぼんやりと輝いているように見えた。彼女はその石を一度だけ持ち上げて離し、次に石を握っているぼくの腕に触れようとして、出来なかった。彼女の手は、ぼくの腕をすり抜けた。
「私にはね、役割があったの。その役割を果たすために、必要なものしか触れられないことになっていた、はずだったの。あなたからハンカチを受け取った時には忘れてたの。なぜかはわからないけれど、そのハンカチには触ることができた。それでも、いつ触れなくなって、私が人間じゃないってことがばれるかって思うと怖くて」
 言って、彼女は苦笑した。
「で、君の役割っていうのは?」
 ぼくが尋ねると、彼女は答えではなく質問を返した。
「千年彗星って知ってる?」
 ぼくはちょっと考えてから頷いた。さっき彼女に言われて答えた、テレビで観た彗星がそんな名前で呼ばれていた気がした。
「千年に一度この星の近くまでやってきて、七日間だけ姿を見せる彗星なんだけどね。その彗星が近付く夜に目覚めて、願いを叶えるポケモンがいるの」
「ジラーチだね」
 ぼくが言うと、彼女は静かに頷いた。
「あの日、星が割れた日、私、怖くなってあの星にお願いしたの。どうか私たちをお守りくださいって。そうしたら、ジラーチに願いが届くんじゃないかって」
 ジラーチに願いを掛けたことは、ぼくにもあった。ただ、千年彗星が流れた年にはまだ生まれていなかったから、年に一度の伝統行事の日にお願いするくらいでしかなかった。それも叶うか叶わないか分からないような、不確かなものでしかなかったのは覚えている。それでも、願わずにはいられないことは何度もあった。
 きっと、その時の彼女も同じだったのだろう。
「でも、あれは違った。私の勘違いだったの。千年彗星じゃなくて、もっと別の存在――メテノっていうポケモンだったの」
 聞いたことのないポケモンだった。名前を聞く限り、隕石みたいなポケモンなんだろう、という想像がついた。
「そのポケモンはね。普段は堅い殻に包まれているの。でも、殻が剥がれてしまうと、そのままでは長く生きられないの。……あの時もそう。そのポケモンは、安全な場所を探して落ちてきた。それで、落ちてきた先でたまたま見つけたのが私だったってわけ。モンスターボールに入れば生き永らえることができるみたいだけど、私はたまたまモンスターボールを持ってなくて。で、その時そこには私以外に誰もいなくって」
その先は、何となく想像がついた。その時にもし、その場に自分がいたならば。彼女の代わりが、果たしてできただろうか。
「結果的に、流れ星の真ん中の光が私の胸に飛び込んで、そのポケモンの命は救われた。代わりに、人間としての私の命は失われた。でも、こうして私はこの姿でこの世界に残った。この世界で、ある役割を果たすっていう条件付きでね」
 お待たせしました、とでもいうように彼女は最後の部分を強調して言った。
 ぼくも待ってました、とは言わなかった。随分と回りくどい気はしたけれど、自分が話下手であることを考えると、そんなことを言える雰囲気ではなかった。
「あなたがここに引っ越してきてから決まった日数が過ぎた日に船に乗ると言って、あなたが見送りに来てくれたらお礼にその“すいせいのかけら”を渡す。来てくれなかったら、人知れずいなくなる。ただ、それだけ。そして、私はもうこの世界での役割を終えた」
 本当は、メテノは“すいせいのかけら”を持っていないんだけれどね。彼女はそう付け加えた。
 あまりにも残酷だと思った。もしもぼくが乗船所に足を運ばなかったら、彼女は何の意味もなく消えてしまうだけだったというのか。そうでなくとも、“すいせいのかけら”をぼくに渡したら消えてしまうというのか。それが、意図せず命を投げ出して別の命を救った者に与えられた運命だというのか。
「最初にあなたが私に告白した時、私泣いちゃったでしょ?あんなことを言ってくれるなんて思ってなかったから、嬉しくてね」
 唖然とするぼくに、彼女はそれに、と続ける。
「あなたはちゃんと来てくれた。だから、もう一つお礼に教えてあげる」
 人差し指をぴんと立てて、彼女は言った。
「あなたにはもう一つ、大切な役割がある」
「ぼくの……役割……?」
 そんなことがあっただろうかと考えてみる。役割らしき役割を頼まれた覚えはない。自分で足を運べるはずの場所には、全て足を運んだはずだ。じゃあ、何気ない会話の中で、それを仄めかすようなことはあっただろうか。
 ――あった。たった一つだけ、まだこなしていない役割と思しきことがあった。ポケモンセンターに立ち寄った時に、ククイ博士が言っていた“変なこと”。
「分かった?」
「うん」
「じゃあ……」
 彼女はそこで言葉を止めて、大きく息を吸い込んだ。そして、これまでに聞いた彼女のどんな声よりも大きな声で叫んだ。
「いきなさい!」
 全身がびりりと震えた。実際にそうされたわけではないのに、頬をぶたれたような感覚だった。そして次の瞬間には、ぼくは踵を返して走り出していた。彼女と初めて出会った時のように、この真っ暗な世界に迷い込んだばかりの時と同じように、道順も歩数も関係なしに全速力で走った。

全身が火照っていたあの時とは違って、熱いのは胸の奥だけだった。
「行け」という彼女の叱咤と、「生きろ」という彼女の激励を受け止めた、小さな胸の奥だけだった。

 どれくらい走っただろうか。いつまで立っても闇だらけだった視界の向こうに、ぽつりと小さな光が見えた。一歩前へ進むたびに、その光は徐々に大きくなっていく。それは縦長の長方形で、出入り口のように見えた。
 真っ白に輝く光の扉に、ぼくは躊躇(ためら)うことなく飛び込んだ。



 どこかでカチリ、と音がして――



 ぼくの目の前が真っ白に染まった。



「私の中で生きていた子が、“せいひんばん”で旅立つ子と一緒に待ってるから」



意識を失う直前に、彼女のそんな声が聞こえた気がした。



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