シオン - 2

しおりを挟みました
しおりが挟まっています。続きから読む場合はクリックしてください
読了時間目安:10分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

※シオンの両親の名前を追加明記、訂正済み
2017/12/10
シオンはタオルと部屋着を取りに、一度自室に戻った。
日没間際の薄暗い部屋の中、明かりも付けずにタンスへと歩み寄る。そして、タンスの上に立てかけてあったフォトフレームを手に取った。

「――ただいま。父さん、母さん」

そこに写っていたのはひと組の男女。薄紫色の花園をバックに、長い黒髪に白い肌をしたワンピースドレスの女性と、彼女をだき寄せている眼鏡にカジュアルスーツ姿の男性が、幸せそうに微笑んでいた。色の褪せ具合から、かなり前に、二人が若い時に撮ったものであろうことが伺える。

父がタクヤで、母がシノ。同じマサラタウン出身で、トレーナーにして学者。シオンを産んで間もなく事故で亡くなった。
シオンはそれだけ聞かされていた。
事故の内容はおろか、どんな研究をしていたのか、好きな食べ物は何で、苦手なものは何か、子どもの頃はどんなだったか、自分たちと似ているか、そんな他愛ないことさえも、彼女は知らない。
幼い頃こそ、両親がいない寂しさに幾度となく泣きじゃくっては二人の兄を困らせたものだったが、もはや涙は枯れ果て寂寥感が麻痺してすらいるようだ。
最後に泣いたのはいつだっただろうかーー

タンスを漁る傍ら遥か彼方に置いてきた記憶に思いを巡らせつつ、しかし何の気なしにシオンは部屋を後にした。


* * *


風呂から上がり簡素なTシャツとスウェットに着替えたシオンと、料理を並べ終えエプロンを外したタクミ、そしてダイキが食卓につく。彼らの前には、今しがた出来たばかりの料理が並んでいた。

この日のメインは、シオンの予想通りカレーライスだ。スパイスの香りが鼻腔をくすぐり食欲をそそる。
大きめに切られた野菜と肉、付け合せに盛られているチーズが、この家のカレーの基本形だ。そしてトマトの冷製スープと豆を沢山使ったビーンズサラダが並ぶ。
料理を担当しているのは主に長男のタクミだが、彼の料理はいつも本格的だ。
カレーのルウは市販の固形のものではなく数種のスパイスとカレー粉を使って作っているし、肉はあらかじめヨーグルトで揉み込んでいるのでとても風味がよく柔らかい。もっと言うと材料になっている野菜は大半が自家製で、更には燻製スモークも自家製というこだわりぶりなのだ。
そんな彼の作った料理が美味しくないわけがなく、

「……」

シオンは無言で豪快に、しかし下品にならない程度の速度でそれらを頬張る。
一見分かりづらいが、シオンの表情はやや紅潮しているように見受けられた。
おいしいときのシオンはこういう顔をする。それを分かっているから、ダイキは苦笑しタクミは満足げに微笑んだ。

長男のタクミ、彼はポケモンの学者を目指し大学に通っており、時にこの町の研究所で助手をしていることもある。
テーマはポケモンにおける考古学であり、人間の歴史や文化とポケモンを結び付けた研究をしている。
両親がいないこの家において家事全般を担っており、それが転じてガーデニングと料理が趣味だ。もともと探究心が強いため、試行錯誤を重ねたレシピや野菜の栽培は完璧に近い。
まさに彼はシオンの母親代わりであり、この家の家計を支える人物なのだった。

そんな彼の目に、カレー皿を片手に立ち上がりキッチンへと歩を進めるシオンの姿が映る。

(思えばシオンは変わったなぁ…手がかからなくなったと言うか、甘えなくなった)

彼の思考は数年前へと飛ぶ。
幼年学校へ通っていた頃のシオンは現在とは正反対に、お転婆でよく笑いよく泣く、どこにでもいるような普通の子どもだった。ただ一つ違うのは、子ども同士で喧嘩をすることはあってもいじめられるようなことはなかったということ。
ポケモンと話せる、というのは他の子どもと比べて得意であったには違いない。しかし元々人見知りせずむしろ社交的で、例え年上だろうが苛めっ子を打倒して回っていたため慕われることさえあれ自身が苛められるようなことはなかったのだ。
とはいえどんなお転婆娘でも女の子だ。年頃になればそれまでのようにじゃじゃ馬娘でいるわけにもいかない。必然的に振る舞いや異性の目を意識するようになるものである。シオンも例に漏れず、言動や立ち振る舞いが変わってきた。
髪の毛を伸ばしたりコーディネートを気にしたり、一緒に買い物に行った時に化粧水と乳液のボトルを気恥ずかしそうに強請られた時は正直に驚きもした。
だいぶ感覚が老け込んでいるようではあるが、歳の離れた妹を10年近く親の代わりに面倒を見てきたタクミにとって、こういった変化は純粋に楽しく、また喜ばしかった。
しかし、変化は必ずしも良いものばかりとは限らなかったようだ。

今から2年前の夏。この日もタクミは夕食の支度をしながらシオンとダイキ、二人の帰りを待っていた。
日がだいぶ傾いた夕方、帰りに寄り道をしているシオンがそろそろ帰ってくるだろうかと思っていた時だ。
どんぴしゃりのタイミングで玄関の扉を開ける音が聞こえてきた。

「シオン、おかーー」

そこまで言ったタクミは、違和感を覚えた。
理由は明白だった。
いつもなら元気に「ただいま」を言い、ランドセルのままダイニングに入ってくる。シオンが今日のご飯は何かと目を輝かせ、タクミが先に着替えて手を洗ってくるようにとたしなめる、それが常の流れだった。
しかし今日はそれがない。どころか足音は既に2階へと向かいつつある。

「シオン…?」

胸騒ぎを覚えた彼が慌ててダイニングから出ると、

「…っ?!」

そこには足取り重く部屋へと消えるシオンの姿。その背中はいつもより小さく、黒い陰を落としていた。
その日シオンは部屋から出てくることはなく、何を聞いても返事は帰って来なかった。
翌日いつもの通り学校へは行ったものの、それからだった。
シオンが度々泣き腫らした顔で、時に痣や擦り傷を作って帰ってくるようになったのだ。それが以前のような両親がいないことへの寂しさや子どもの喧嘩の類でないことは見るも明らかであった。

なぜ突然苛められるようになったのか。理由は分からず、担任の教師と幾度となく相談するも解決には至らない。
そしていつしかシオンは泣いて帰ってくることはなくなった。というよりかは、感情というものをどこかに置いてきてしまったかの如く、良く言えば大人びた、悪く言えば無愛想な少女となり果ててしまったのだった。
幸い彼女にはポケモンという存在がいたため、世間で問題視されているような自傷行為や引き篭り、鬱病といった事態には陥らなかったものの、かつての面影はどこにもない。


(あの時は、僕もどうしていいかまるで分からなかった。ひょっとしたら、シオンもそれを感じ取っていたのかもしれないな)


元来正義感と責任感の強いシオンのことだ。これ以上兄を困らせたくない、強くならなくてはいけないと、子どもながらに思ってしまったのかもしれない。
だからこそ言ってやりたかった。
もっと甘えてもいいのだと、辛かったら泣き喚けばいいのだと、決して我慢する必要はないのだと。
だが結局自分に出来たのは、ただただ美味しいご飯を作って待っていることくらいだ。家にいる時くらい安心させてあげたい。そう思い続けて気が付いたら、シオンの好きなレシピをまとめたノートは自室の机にうず高く積もれていた。


「ーーおま、いくらなんでも食い過ぎだろ!いい加減デブるぞ?」


ダイキの声にふと我に返ると、おかわりを盛り付けたシオンが再び席についたところだった。
しかし目の前に置かれた皿には、先ほどの倍はあるだろう量が盛り付けられている。
シオンはさも当然といったふうにひと口ひと口を大きく頬張り、

「だっておいしいから」

と返す。

「あのなぁ…」

おいしいから。その一言に、ダイキは何も言えなくなる。
実際タクミの料理はどれも美味であり、そしてそれは他でもないこの見かけよりかなり大食いな少女のためにあれこれ努力した結果であることを誰よりも知っているからだ。


「…ったく。腹壊さない程度にしとけよ?」

「うん、平気。まだ八分目」


カレーの山を半分以上崩して尚そんなことを言ってのける妹に、ダイキは呆れと苦笑が入り混じったような顔をした。
シオンはほんの少し悪戯っぽい笑みを浮かべまたカレーライスに取り掛かる。
タクミはそんな二人のやり取りを愛おしげに見守る。
そう。変わったものがある中で、変わらないものもあるのだ。
シオンは今も昔も、自分の作った料理をおいしいと言ってたくさん食べてくれる。
ダイキは皮肉めいた物言いながらも、誰よりもシオンのことを想っている。シオンもそれを分かっているから、二人のやり取りにはとても温かみがある。それもずった変わらなかったものだ。


(焦る必要はないし、必要以上に悲観することもない、か。でも…)


そしてタクミは、ゆっくりと口を開く。

「ねぇ、シオン」

「むん?」

呼ばれたシオンは顔を上げる。
たった今口に入れたじゃが芋と人参を急いで咀嚼し呑み込むと、

「どうしたの?タク兄」

と尋ねた。
タクミはにっこり笑って、

「よかったら洗い物、手伝ってくれるかい?」

当然シオンは断る理由もないので、

「もちろん」

快く了承する。

「そうか、ありがとう」

やはり根本的にはこの子は変わっていない。家族に対する優しさも昔のままだ。
安堵と嬉しさを感じ、タクミも自分の皿からカレーを掬って口に運ぶ。

「たまには、僕もおかわりしようかな」

言いながら、タクミは思う。
今は良いのだ。
自分がいつも通りに笑っていることでシオンが安心するのなら。
そして、

(何だってしてやるさ。シオンのためにできることならね)

読了報告

 この作品を読了した記録ができるとともに、作者に読了したことを匿名で伝えます。

 ログインすると読了報告できます。

感想フォーム

 ログインすると感想を書くことができます。

感想