第1話 ここはどこ!? ボクとキミと転生劇

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

1章 『悪童』
「…………、ゴボボッ!」

鼻の奥の痛みがボクの眠りを妨げた。
いくらもがいてもツンと突くような痛みは消えず、苦痛から逃れようと、ボクは背中を跳ね上げた。

バシャリ。
水面が弾け、飛び散るしずくが水上に更に波紋を増やす。

「ゲホッゲホッ」
咳をしたり、鼻をギュっと握ったり――思いつく限りの方法で鼻の異物感を取り除こうとする。

目を開ける。
ボクが眠っていた場所は、大きな泉の岸だった――見上げるような巨木に囲まれた、見渡す限りの大きな泉。

下半身はすっかり水の下だ。
どうやらボクは、文字通り泉の中で寝ていたらしい。
つまり、鼻の痛みの正体は、逆流してきた水。

鼻だけ運よく水から出ていたおかげで、これまでぐっすり眠れていたようだ。
よく溺れなかったものだ。

……どうして、こんなところで眠っていたんだろう?

そもそもここはどこだ?

思い出そうとしても思い出せなかった。

「あれ?」

それどころか、自分の名前すらも思い浮かばないことに気が付いた。

必死に頭をこねくり回す。
どれだけ考えても、自分に関する情報は何一つ見つけることができなかった。

結論――ボクは記憶喪失。

知りもしない場所にいるのは当たり前だった。
そもそも憶えていないのだから。

……少なくとも、言葉だけは残っているようだけど。

「……とりあえず」

ボクは泉から這い出た。

身体が一度、大きく身震いした。
長く水中にいたせいで、身体が凍えるように寒い。

陸に上がり、辺りを見回す。
見える範囲には木しかない。
木々に阻まれ、太陽の光は地面まで届かないようだ。

どこか、日に当たることができる場所を探すことにした。

それに、歩いているうちに身体が温まるかもしれない。

「あれ?」

数歩歩いて、泉を振り返る。
泉が、少しだけ水面が光った気がした。

目をこらし、泉を見つめる――何の変哲もないただの水たまり。

……気のせいかな。
今度こそ、泉を離れた。



森は予想以上に広大で、一向に出口が見えない。
日の照っている場所も見つからなかった。

歩き疲れて、ボクは近くの大木に背を預けた。

「……うぅ」

身体を両手で抱きしめる。
森の木が日光をさえぎっているせいで、濡れた身体がいっこうに乾かない。
歩いているうちに身体が温まる、なんてのは、思った以上に楽観的だったようだ。

……それにしても、ここはどこなのだろう。

それなりに歩いたはずだが、ここにくるまでに、人っ子1人、ポケモン1匹にだって出会わなかった。

木々を見上げる――逆立ちしたって届かないような頭上に木の実がなっている。

食べ物もあるにはあるし、近くには水場もあるし、ポケモンが住むには十分な環境のはず。
それなのに、森はしんと静まり返っている。

鳥ポケモンの鳴き声も、ポケモンが枝々を移動する音も聞こえない。

ボク以外に、生き物が一切いないような気がした。

だとしたら、ここでじっとしていても、誰かが助けてくれるようなことはない。

自力で森を抜けるしかない。

「よし」

ほほを叩いて、また歩き出した。



また歩が止まってしまった。
ついにその場に座り込んでしまう。

あてもなく歩き回るのは、思った以上に苦痛だ。
肉体的にも、精神的にも。

ここまで休まず歩き続けたというのに、眼前の景色は一向に変化しない――視界を埋めるのは巨木と巨木と巨木と巨木。

同じところをグルグル回っているのかと思うほどだ。

足を動かす元気も、底をつきかけてきた。
お腹がすいてきたのも理由の1つだけど、それにもまして、出口はないような錯覚を感じて、気力をそがれるからだ。

森の姿を借りた檻。
出入口は塞がれ、誰も入れず、誰も出れない。
馬鹿らしい空想だけど、今のボクには、この暗い森が天然の牢獄か何かのように感じていた。

……突然、

「キミ、大丈夫?」

頭上から小さな声が聞こえた。

驚いて、弾かれたように顔を上げる。
頭上にはいつも通りの景色――木々とその葉っぱ。

「……ついに幻聴が」

来るところまで来てしまったんだな、と思い、自虐的な笑いが漏れた。

「なんで笑ってるの? ピンチだよね、キミ?」

また声。
今度はさっきよりも大きく聞こえた。

……幻覚ではない。
声の主は木の上にいて、今は降りてきているようだ。

こんなにバカでかい木に登れるなんて、どんな野生児だろう。
その割には、声はかわいらしい女の子のそれだったけど。

枝と枝を器用にジャンプする影が見えた。
きっと、あの人がボクに話しかけているんだ。

「待っててね。アタシが助けてあげるから!」

なぜか、違和感を感じた。

彼女――声の感じからして女の子だろうから――は人間のはずなのに、身体のラインが奇妙だった。

長い耳に、大きな尻尾。
そのシルエットは、ヒトではなく、ポケモンに近いような気がした。

着ぐるみ……だとしたら、あんなにアクティブに運動できるわけがないし。

「よっと!」

そう言って、地面に着地する。
しゃべっていたのは人ではなかった。

赤いほっぺ、黄色の身体、ジグザグの尻尾。
首にボロボロの青いスカーフを巻いた、ピカチュウ。

しかも、ボクと同じくらいの大きさという常識外れのXLサイズだ。

「ババーン! アタシが来たからにはもう大丈夫!」

「ピカチュウがしゃべった!?」

ボクは絶叫して、来た道を全力で戻った。



全速力で駆け続けて、元いた泉まで戻ってきてしまった。
どこにそんな力が残っていたのか自分でも不思議だった。

「ハァ……ハァ……一体何だったんだ、今の」

ボクと目線が同じ高さという、とんでもなく大きなピカチュウ。
木が大きければ、住んでるポケモンも大きいという事?

「……」

考えようとするが、頭が働かない。

大して残っていなかった体力を振り絞って走ったんだ。
そのせいで、頭はガンガン痛むし、足は力んでもうまく動かない。

口から乾いた咳が出た。
ずっと水を飲んでいなかったことに気が付いた。

まずは泉の水でも飲んで、気分を落ち着けることにした。
フラフラと、時々倒れそうになりながら泉の岸にたどり着く。

泉のふちにやっと到着する。
さっきまで何ともなかったような動作が、今はとんでもない重労働に思えた。

泉に手を付けようとした瞬間、その水面が妖しく輝きだした。

「うわ!?」

まぶしさに、思わず目をつむる。
光はほんの数秒で消えてしまった。

まぶたを開くと、さっきまでと同じ風景が目前に会った。

幻?
いや、そうじゃない。
強烈な光の跡がまぶたの裏に焼き付いていた。

考えるのはやめにした。
どうせ、今のボクではまともな考えは出てこないと考えたからだ。

水を手で救い上げ、口元に運ぶ。

幸い、水は透き通っていて、自分の姿が映るほどキレイだった。

……自分の姿が映るほど。

「プハァ…………?」

水を飲み、一息ついた。

水面に見える自分を凝視する。

突き出た鼻と口、顔の両端に生えた感覚器、手に生えた小さなトゲ、尻尾。

青と黒の体毛――リオル。

手を左右に振る――水鏡のリオルは、ボクと全く同じ動きをしてみせた。

「ボク、リオルになってる……」

さっきのしゃべるピカチュウといい、起きることが奇天烈すぎて理解が追い付かない。

「ボク、リオルになってる!?」

水面から急いで離れる。

身体を見る。
確かに、人間の体つきじゃない。

肉体がポケモンになるなんて荒唐無稽すぎて、今の今まで全く気が付かなかった。

「こ、これは、夢なのか?」

とりあえず、セオリー通りにほほをつねってみる――少し強くやりすぎた。
痛むほほを押さえていると、後ろから、

「キミ、思ったより元気だね」

と声をかけられた。

さっきのデカいピカチュウの声だった。
急いで声のした方から離れようとしたが、足がもつれて転んでしまう。

「何怖がってんの? 変なの」

無邪気に笑うピカチュウ。
ビクビクしているボクを見て面白がっているようだ。

少しでも異形のポケモンから距離を置こうとすると、手を掴まれた。

「ヒッ」

叫び声がボクの口から漏れる。

「心配しないで。怪しいポケモンじゃないから。アタシは……」

ピカチュウはそこまで言って、急に口をつぐんだ。

しばらく黙って、意を決したように、

「アタシはほら! ギルドのポケモンなんだ! だから安心して?」

そう言って、首に巻いたスカーフをボクに見せる――ところどころほつれた、年季の入ってそうなスカーフ。

そんなボロぎぬを見せつけられたところで、何もわかるはずがなかった。
ピカチュウの手を払い、その場から逃げようとする。

「ペギュッ!」

しかし、足を前に出そうとしても、身体がいう事を聞かず、顔から地面に激突してしまった。

ただでさえ残り少ない気力を振り絞った後だ。
体力の限界、というやつだった。

「だから、アタシは悪いヤツじゃないってば。……うんしょ」

這いつくばるボクを、ピカチュウが背負いあげた。

「ギルドまで連れて行ってあげる。疲れてるみたいだし、キミは寝てていいよ」

半ば引きずられながら、ピカチュウにどこかへ運ばれていく。

「この森は木の生え方が特徴的で、まっすぐ歩いてるように見えても、同じところをグルグル回ってることが多いの。泉にたどり着けないようにね。アタシは平気だけど」

ボクが歩いたのと同じか、それより短い時間で、ピカチュウは森を抜け出した。

日の光が顔に当たる。
とてもポカポカして暖かかった。

日光が気持ちよくて、そのまま、ボクは眠ってしまった。



目を開くと、眼前いっぱいを顔が埋め尽くしていた。

「起きたか!」

「うわぁ!?」

びっくりして飛び跳ねる。
鼻と鼻がくっつくほどボクに顔を近づけていたポケモンも、そのリアクションに驚いて、

「うぉお!?」

とバネブーみたいにバックジャンプした。

ボクからサッと離れたポケモンを見る。

紫の体毛、クリクリした目、指のように発達した尻尾――エイパム。

コイツも、あのピカチュウのようにボクと同じくらい大きかった。

……よく考えると、今のボクは身体がリオルだ。
リオルの身長はたしか0.7メートル。
周りの景色やポケモンが大きく見えるのは当然だった。

「よくも驚かしてくれたな! 看病してやった恩をあだで返すとはいい度胸だぞ!」

耳の痛くなる高音でまくしたてるエイパム。
もとはといえば、コイツがボクを驚かせたのが悪いのに。

自分の周りを確認する。

ドーム状の部屋だった。
他の部屋に続くらしい出入口が1つある。
何かのビンとそれを置く棚。
いくつかの草を敷いただけの簡易なベッド――その1つでボクは眠っていたらしい。

「おいコラ! 何か言えこのヤロー! ムキー!」

尻尾の先にくくり付けた青のスカーフをひらひらさせながら、じだんだを踏むエイパム。
寝起きの頭にガンガン響いた。

「止めなさい、エイパム? その子困ってるわよ」

出入口からポケモンが入ってきた。

触覚をリボンのように身体に巻いたピンクの四足歩行――ニンフィア。

ニンフィアも、首元にピカチュウやエイパムと同種の青いスカーフを巻いている。

「お? 困ってたのか? そいつはゴメンだな!」

そう言ってゲラゲラと笑い始めるエイパム。

どう反応すればいいのかわからず、黙り込んでしまった。
それにエイパムは気を悪くしたようで、

「ノリの悪いヤツだな! 『ひかりのもり』で頭でも打ったのか?」

「……ボクのいた場所、『ひかりのもり』って言うんだ?」

おそるおそるニンフィアに聞いてみる。
エイパムに聞くのは、なんとなく嫌だった。

「ええ。ここ、『リザードンのギルド』の北にある神聖な森よ」

エイパムとは違う、鼓膜に染み入るような柔らかい声で、

「おたずねものの根城だとか、そういうわけじゃないの。でも、一度入ると中々抜け出せなくなるから、ギルドが危険区域に指定しているの」

ニンフィアが説明してくれている間に、エイパムは部屋を出て行った。

いつまでも聞いていたいような美しい声だったけど、言っていること自体はあんまり理解できなかった。

『ギルド』だとか、『おたずねもの』だとか――何かの用語だろうか。

ボクの心境を察知したらしいニンフィアが、補足してくれた。

「『ギルド』っていうのは、住むポケモン達の生活の拠点になる『ギルド村』と、そのポケモン達を守る『探検隊』で構成されている組織よ」

「『おたずねもの』は、ギルドやその周りで悪さを働くヤツのことだぞ!」

エイパムが木の実を持って戻ってきた。

「お腹すいてるだろ! これ食って元気出せ!」

両手と尻尾を使って起用に木の実を扱う――ボクの隣に木の実の山ができた。

「……ありがとう」

ノリにイマイチついていけないポケモンだけど、少なくとも、悪いヤツではなさそうだ。

木の実の山から1つ手に取り、口をつける。
甘い果汁が口いっぱいに広がって、喉が潤った。

「木の実を食べながら、自己紹介をしていきましょうか」

そう言って、触覚を器用に使い、木の実をほおばりながら、

「アタシはニンフィア。このギルドのリーダー補佐……だけど、ギルドの運営に関する仕事はほとんどアタシがしてるから、実質的なリーダーね」

クスクスと笑うニンフィア。

でも、ボクもエイパムも笑わなかった――ボクはそれが冗談かどうか分からなかったし、エイパムは木の実の山とボクとを見つめている。

「……冗談、冗談よ? ホントにそんなこと思ったりしてないからね? ほ、ほら! 次、エイパム」

ニンフィアの触覚がエイパムの頭をポンポン叩く。
エイパムは一瞬ビクッと体を震わせたが、すぐに気を取り直して、

「オレはエイパム! このギルドの医療、炊事担当『見習い』だな!」

大げさなジェスチャーを交えつつ、

「オマエが今美味そうにほおばってる木の実も、オレが今朝採ってきたとれたてだぞ! 感謝するんだな!」

「しゃべり方は独特だけど、慣れると気にならなくなるわ。次はアナタの番!」

「ボクは……」

エイパムの名前はエイパム。
ニンフィアの名前はニンフィア。

どうやら、種族の名前がそのまま個体の名前になっているようだ。
だったら……

「ボクは、リオル」

名前を思い出すまでの仮名だ。

「よろしくね、リオル」

ニンフィアはニッコリと笑って、触覚を差し出してきた。
握手だろうと判断して、その触覚を握った。

ニンフィアは満足そうにうなずいて、

「この辺りのポケモンは大体把握してるけど、アナタのことは知らないわ。もしかして、かなり遠くから来たの?」

ボクは2つ目の木の実を食べながら、

「実は、よく憶えてないんだ」

「ソーシツキオクってやつか!」

「記憶喪失ね。家がどのあたりにあるか、というのも憶えてない?」

ボクはうなずく。

「……どうやって『ひかりのもり』にまでたどり着いたのかも憶えてないの?」

3つ目の木の実を手探りしながら、無言でうなずく。

「困ったわ。家の心当たりもなさそうだし、範囲はかなり広くなりそう。久しぶりの大仕事ね……って、リオル! それは!」

木の実をかじった瞬間、口の中が燃えるように痛くなった。

……火を噴きそうなほど辛い!

口に含んだ木の実を慌てて吐き出し、他の木の実で辛さを洗い流そうとするけど、なかなか辛みは消えなかった。

「あひゃひゃひゃひゃひゃ!! 引っかかったぞ!」

笑い転げるエイパム。

「寝起き早々オイラを驚かしてくれたお返しだぞ! あひゃひゃひゃひゃ!!」

大分焼けるような辛みは引いたが、まだ舌がヒリヒリ痛んだ。

「こ、の……」

お返しに、あの辛い木の実をエイパムの顔に投げつけてやった。

木の実は顔面にクリーンヒットし、エイパムはギャーと叫ぶ。

「イデデデデデ! 顔がヒリヒリするぞ~!」

先生助けてー、と大声をあげながら、部屋を飛び出す。
エイパムは、部屋の前にいた大きなポケモンに激突した。

「リ、リーダー」

ばつが悪そうに言うエイパム。

赤い身体、大きな翼、尻尾の先に灯る炎――リザードン。

首には青のスカーフと、炎を模したバッジ。

「客人に対して、随分なもてなしじゃないか」

ニンフィアと対称的な、一切の感情を隠したような平坦な口調。

「サ、サプライズだぞ? な?」

エイパムが半笑いでボクに助けを求める。
ボクはわざと苦しそうに喉を押さえる――ただの演技だけど。

「相手がそう思えなければ、サプライズとは言えない」

リザードンはそう言いながら、エイパムの首をひっつかんだ。

「看病が済んだのならついてこい。ツタージャのけいこの相手を探していたんだ」

クリクリの大きな目が飛び出しそうなほど開かれる。

「いやだ~~~! アイツ手加減してくれないぞ! ニンフィア、リオル、助けて~~!!」

悲痛な声を残して、エイパムの姿がリザードンと共に消えた。

ニンフィアが、木の実を食べながら、

「さっきはあの子が酷いことをしたけど、許してあげて? ああ見えても根は誰より優しいの」

そうとは思えなかったけど、一応うなずいた。
ボクの心を見透かしたように、ニンフィアは笑みを浮かべる。

「アナタの身体、とってもキレイでしょ? エイパムが拭いてくれたのよ。 アナタが起きるまで、あの子がつきっきりで看病したの」

確かに、森の中を歩き回ったのに、そうとは感じさせないほど身体は清潔だった。
エイパムは、ボクが起きないように慎重に、ていねいに、身体をキレイにしてくれたらしい。
……少しだけ、あのエイパムの見方が変わった気がした。

「ところで、さっきのデカくて赤いのがリザードン。ここのリーダー。無愛想に見えるけど、本当は炎タイプらしく熱血よ。……ちょっと色々こじらせてるだけなの」

ニンフィアがもう1つ木の実をかじる。

「この他にもメンバーはいるけど、また後で説明するわ。ギルド村も近いうちに案内するわ。アナタの家を見つけるまで、少し長くなりそうだし」

「……あの」

「何?」

一番聞きたかったことを声に出す。

「……人間は、どこにいるの?」

「? なぞなぞか何か? おとぎ話の中じゃない……って、あれ」

触覚を地面に這わせるニンフィア――山盛りになっていた木の実がいつの間にかなくなっていた。

「ゴ、ゴメンね? ちょっと食べすぎちゃったみたい。またエイパムに運ばせるわ……今度はイタズラしないようにキツく言っておくから」

部屋から出ようとするニンフィア。
立ち止まって、ボクの方を振り向いて、

「見たところ元気そうだけど、まだ安静にしとかないとダメよ」

「待って! もう1つ」

ニンフィアは静かに先を促してくれる。

「ボクを助けてくれたピカチュウはどこ? あの子も探検隊?」

ここのポケモンは皆青色のスカーフを身に着けていた。
だから、首に青のスカーフを巻いていたあのピカチュウも、ギルドの一員だと思った。

珍しく、ニンフィアが暗い顔をした。

「あの子はメンバーじゃないわ。ここに暮らしてるってだけ。皆に探検隊だって言いふらしてるのよ、困った子ね」

部屋を出る――ため息を吐きながら。



エイパムが身体中にキズをつけて戻ってきた。

「なにかあったの」

「貧乏くじ引いた結果だぞ!」

エイパムはまた木の実を持ってきてくれた。
あの辛い木の実がないか、1つ1つ確認しておく。

「……そういえばさ」

木の実を食べながら、エイパムにお礼を言わなくちゃいけないことを思い出した。

「何だ?」

「熱心に看病してくれたり、木の実を届けてくれたり、色々とありがとう」

「お?」

「最初は、何だコイツ、とか思ったけど、今思うとキミは凄くいいやつだよ」

ペコリと頭を下げた。
しゃべり方は少し変だし、逆恨みでひどい目にあわされたりしたけど、それも合わせて、このエイパムの良いところなのかもしれない。

エイパムが急に顔を真っ赤にした。

「おおお!? べべ、別に感謝する必要はないぞ!? 困ったときはお互いさまってニンフィアも言ってたしな!!」

顔を押さえながら、外に飛び出す。

一度、壁からにゅっと顔を出して、

「ホントに気にする必要ないからな!」

そう言って、どこかへ行ってしまった。

思わずクスリと笑ってしまう。
アイツのおかげで、ポケモンになってしまったショックからある程度立ち直れた気がした。

……事態の解決にはつながらないわけだけど。

ニンフィアに自分が人間であることを打ち明けようかとも思ったけど、無駄だと思った。

ニンフィアの言葉を思い出す――『? なぞなぞか何か? おとぎ話の中じゃない』。
人間がどこにいるかと聞いた時の答えだ。

ここは、ボクの知っている世界ではないのかもしれない。
どんな所に住んでいたかは覚えてないけど。

ボクはどこから来たのか。
そのヒントがあるとすれば、ボクが眠っていたあの森だ。

「……よし」

思い切って、部屋を出ようと思った。

でも、無策であの森に入るのは良くない。
一度入ると延々と惑わされる……自分の身で体験済みだ。

ピカチュウは、あの森の歩き方を心得ているはずだ。
あのポケモンの助けが必要だった。

森に行く前に、ピカチュウを見つけることにした。

ボクが眠っていた場所は、小山をくり抜いたような洞窟だった。
壁にいくつか松明が設置されていて、壁をくり抜いて作られた窓もあるから、そんなに暗くは感じない。

大小いくつかの部屋があって、真ん中に全ての部屋へ繋がる大部屋がある。
その大部屋に、ニンフィアがいた。

「もう。動いちゃダメって言ったでしょう?」

「大丈夫だよ。皆のおかげで十分元気になった」

それよりも、と、ボクは言葉をつづける。

「ピカチュウに会いたいんだけど、どこにいるか分かる?」

「ピカチュウなら、ギルドハウス……ってのはここの事なんだけど、ここの玄関口にいるわよ。お仕置きを受けてるけど」

「お仕置き?」

「アナタを助けたとはいえ、あの子は聖域である『ひかりのもり』に勝手に入った。だから、アナタの件を考慮に入れて、ちょっと軽めのお仕置きを受けてるの」

リオルのせいってわけじゃないのよ、と、ニンフィアは付け加える。

玄関がどっちの方向にあるかも教えてくれた。
ニンフィアに礼を言って、玄関を探す。
すぐに見つけて、ボクは外に出た。

晴れの昼下がり――太陽の光がまぶしかった。
日向ぼっこをしたら、きっと気持ちいいだろう。

「うぅぅ……もう、ゃ……め、て……」

ピカチュウの声が聞こえた。
声に、コポコポという変な音が混じっている。

「ダーメ! ボクの気が済むまでやっていいってリーダーに言われたからね」

鼻歌交じりの声。

どちらの声も、玄関近くの広場から聞こえた。
少し近づいてみると、大きなポケモンがピカチュウを抱きかかえ、もみくちゃにしていた。

ツインテールのような角、滴る粘液、でんと構えた二足歩行。
ヌメルゴン。

「ゴ、ゴメン……プクプク……謝る、謝るからぁ!」

ヌルヌルの粘液にからめとられるピカチュウ。
口に粘液が入ってしまっているようで、かなり苦しそうだ。

「謝ったってダメだよー。下手したらピカまで迷子になってたかもしれないんだよ?」

「そ、それは……大丈夫。『ひかりのもり』の道は……全部、憶えてるから」

「ふーん。ということは、何度も入ったことがあるってこと?」

「あっ!? しまった!」

「これはお仕置き延長だねー」

ホラホラホーラ、と、自分の粘液をピカチュウにこすり付けるヌメルゴン。
ピカチュウにもう、ドロドロになってないところはなかった。

「うわぁ……」

思わず声が漏れた。

それにヌメルゴンが気付き、ボクの方を見た。

「あ!」

ピカチュウをその場に落とし、ボクの方に駆け寄ってくる。

どんな目に遭わされるのかと思い、身体が硬直する。

目の前まで来たヌメルゴン――見上げるほど大きな体だ。

「キミ、ピカチュウが連れてきた患者さんだよね?」

「う、うん……リオルっていいます」

意識せず敬語調になった。

「ボクはヌメルゴン。見ての通り探検隊のメンバーだよ」

右腕をこちらに差し出す。
粘液にまみれて見にくかったけど、ニンフィア達と同じ青のスカーフが巻かれていた。

「この探検隊の炊事、医療担当なんだけど……色々あって、エイパムに任せちゃった、ゴメンね?」

『色々あって』――ヌメルゴンの後ろでぐったりしているピカチュウ。
きっと、あの子のお仕置きのことだろう。

ヌメルゴンがボクの身体を色んな方向から見つめる。
……見られている間、内心穏やかじゃなかった。

「うんうん。元気そうだね。安心した!」

「そ、そう?」

「どこかお出かけにでも行くの?」

ピカチュウについては言わないことにした――なんとなく、嫌な予感がしたから。

「うん。日向ぼっこでもしようと思って」

「そっかそっか! すっかり疲れはとれたみたいだね」

すっかり気分を良くした様子で、ピカチュウを振り返り、

「お仕置きはおしまいにしてあげる! 次『ひかりのもり』に入ったら、こんなものじゃ済まないからね!」

こんなものじゃ済まない……どんな目に遭うのか予想もしたくない。

「今日はリオルのために腕を振るってご飯を作るからね。期待しててねー」

それと、と、指を1本立てて、

「『ひだまりのもり』とか『はこにわのもり』の方には近づいちゃダメだよ? あそこはギルドの管轄外だからね」

「うん」

「とくに『じょうやのもり』はどんなことがあっても近づかないこと。おたずねものの根城だ」

「……うん」

「他には、えーと、『だいすいげん』も危ないと言えば危ないかな? ギルド内ではあるけど、暗いうわさが絶えないからね」

「……」

「『あさひのおか』は全然オーケー! あそこは旧ギルドハウスがあった場所で、日向ぼっこにおススメだよ! ボクはしたことないけど」

「……」

「? 聞いてる?」

「えっ? ……うん」

うなずいたボクを見てニッコリ笑ったヌメルゴンは、ギルドハウスに入っていった。

正直、固有名詞が多すぎて話が頭に入らなかった。
とにかく、近くに危ないところがいくつかあるということだけ覚えておけばいいだろう。

ボクはぐったりしたピカチュウに近づく。

「……大丈夫?」

「……見てた?」

「……うん」

起き上がろうともがくピカチュウだが、粘液のせいでうまく立てないようだ。

「むむむぅ……ヌメルゴン、やりすぎだよぉ! うわわ」

ピカチュウがツルッと滑り、頭を地面に強く打った。

頭を押さえて、ゴロゴロ地面を転がりまわる。

「……なんか、ゴメンね」

「? 何が?」

「ボクを助けたばっかりに、こんな酷い目に遭ってるんだろう? 悪いことしたな、と思って」

「それは違うよ」

必死にバランスを取り、上半身だけ起き上がるピカチュウ。

「確かに、キミを運んできた時に、どうしても『ひかりのもり』に入ったことをばらさなきゃいけなくなったけど、困ってるポケモンを助けるのは当たり前だよ」

「……」

「リザードンも、それが分かってるから優しいヌメルゴンにお仕置きを任せたんだし」

あんな光景を見せられて、ヌメルゴンを優しいポケモンと思えなかった。

もう一度起き上がろうとするピカチュウ――ツルッとその場で一回転する。

「うう……アタシだけじゃ起き上がれそうもないなぁ……ねえ」

ピカチュウはボクの顔を見て、

「この近くに川があるから、そこまで押して行ってくれないかな? ここから動けそうになくて……」

「え」

ピカチュウに触るということは、あのヌルヌルに触るということだ。
……正直、気が引けた。

ピカチュウが両手をぱちんと合わせて、

「お願い! 川まで連れて行ってくれるだけでいいから」

生理的に嫌だったけど、恩人の助けをはねつけるわけにはいけなかった。

「……いいよ。どっちに川はあるの?」

「あっち!」

と広場から伸びる獣道を指さして、

「『ひだまりのもり』の方!」

「そっか。じゃあ、押してくね」

思い切ってグッとピカチュウのお尻を押す。
粘液のおかげで、地面の上なのにツルツルと滑って行った。

「うわー! すごいすごーい!!」

お腹を下にして、トドグラーみたいに移動していく。

もっと押して、と、ピカチュウがボクをせかした。

「はいはい……、あれ」

「? どしたの?」

「『ひだまりのもり』って、どこかで聞いたような……」

「何かと勘違いしてるんじゃない? ここらへんは森1つ1つに名前あるから」

「そうかな……」

もやもやとした気分を抱きながら、ピカチュウを押していく。

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