最終話 “伝説の世界へ” (2)

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Prometheus、前回までのお話は……。

シルフカンパニーで開発中の電脳空間体験ゲーム(ポケットモンスター赤緑)に、開発チーム4人が閉じ込められてしまった。
レノードとミオはゲームの世界に飛び込み、チーフは現実世界からそれぞれ事件解決の糸口を探すことになったが……。
 事件発覚から9時間と42分が経過する。
 ヤマブキシティで最も巨大な高層ビル、シルフカンパニーの中でまさに今、人が電脳空間に囚われているというまったく未知の事件が進行している。そのことを、ヤマブキシティをせわしなく行き交う人々は誰も知らない。同じビルで働いているシルフカンパニーの社員でさえ、そのほとんどが、何かしら事件が起きたという話以外は詳しく知らされていなかった。
 ここまで厳しい報道規制を敷いた理由の一端を担うスーツの女性が、ハイヒールの足音を鳴らしながら、ビルの前で黒塗りの高級車から降りた。ややふわりと浮いた水色の髪をなびかせて、細く険しい目つきで銀色に輝くビルを見上げる。
 冷たい一陣の風が、びゅうと音を立てて吹き付けた。

「シルフ・カンパニーの委員会より派遣されました、監査委員のフユカです。外部派遣の責任者は今すぐ名乗り出なさい」

 機材の散らかる雑然とした作業部屋こと事件現場に、整い過ぎた冷たい声が飛ぶ。そのひと声で、全員の手が止まった。
 シルフカンパニーの社員は声を聞くまでもなく、その姿が目に飛び込んだ途端に凍り付いていた。一方で事情も知らないプロメテウスのエンジニアたちは、揃ってぽかんと口を開けている。その中の1人であったチーフは、首を振って我に返ると、作業道具を置いてにこやかに立ち上がった。

「プロメテウスのエンジニア、ヴァージルです。どうぞチーフと、そう呼んでください」
「早速ですが状況の説明を」

 握手を求める手を素通りして、フユカはコンソールの前に立った。
 チーフは思わぬ行動に顔を顰めたが、それよりも彼女の手慣れた手つきに目が留まる。まるでピアノを弾くような滑らかな動きで、コンソールの上に指を走らせている。
 やがて視線に気づいたフユカが、神妙そうな顔つきで振り返る。

「何か?」
「いえ、役員の方が現場に精通しているのが驚きで」と、チーフは苦笑いを浮かべた。
「上に立つ以上、これぐらいのことは当然では? ですが、ポケモンGメンの方々が今しがた何をしていたかは知りません」
「というと?」
「これは我が社内部の問題です。事が事だけに貴方がたへ通報した社員を責めるつもりはありませんが、これは内部で片を付けるべき問題でしょう?」

 ぴしゃりと言われて、チーフは眉間にしわを寄せる。
 何なんだこの女は、いきなり現れて俺たちを邪見扱い。大企業の幹部っていうのはこういう連中が多いってよく聞くけど、こいつがまさにその象徴だな。
 そんなことを思いながら、チーフはやや棘のある口調で返した。

「話が見えないんですが……円滑な協力のためにここへ来られたのでは? 一体なにしに来たんですか?」
「貴方がたが余計な真似をしないように見張りに来たのです。私はITシステム専門の監査委員、我が社の対策チームも優秀。貴方がたの協力がなくても、自分たちで問題を解決できますので」

 答えに唖然として、少しのあいだ開いた口が塞がらなかった。
 なんて高慢な女なんだ、こっちが下手に出てるからっていい気になりやがって。心の内で不満を垂れ流すも、チーフはひとまず口を結んで引き下がった。
 だがフユカは、チーフが引き下がったと見るやいなや小さくほくそ笑み、さらに追い打ちをかける。

「失礼、そちらに弄られたシステムを元に戻さなければ。こんな緊急事態に、余計な仕事を増やしてくれますね……それからこのネズミを片付けて」
「プラッ!?」

 小さな電気トーチを咥えて、皆が止まっている間もせわしなく駆けまわっていたリッキーも、とうとう巻き込まれてしまった。背中を摘ままれ、チーフに手渡されてからも、しばらく彼女はぬいぐるみのように呆然としていた。
 仕事しなくていいのか、とチーフを見上げるも、彼も苦々しく首を横に振っている。そしてようやくリッキーも問題が呑み込めてきたらしく、低く唸ってフユカにかわいらしい威嚇を放った。

 それから次々と指示を出していく彼女を前にして、チーフはしばらく静かに突っ立っていた。しかし部屋の真ん中に立っていても邪魔なだけだと察して、仕方なくコードを踏まないように足を上げながら部屋の隅へと移動する。
 同じく仕事を失くして追いやられたプロメテウスのエンジニアたちが、不満げにフユカへ抗議の視線を飛ばしている。途端に彼らが情けなく思えてきて、同時にフユカへの怒りも増していった。

「何だあいつ?」

 チーフが独りごとのように呟くと、ちょうど傍で作業をしていたシルフカンパニーの男性エンジニアが申し訳なさそうに顔を上げる。
 見たところエンジニアの中でも地位が高いようには見えないが、人当たりの良さそうな穏やかな風体が彼の境遇を物語っていた。人が良いから、損をするタイプだ。

「すみません、うちの役員がご迷惑を……よその有名企業から引き抜かれた現場上がりの気が強い方で、いわゆる男勝りって奴です」
「見てりゃ分かるよ」チーフはため息を吐いた。「ありゃ野心の塊だ。でも悔しいことに、ちゃんと技術が伴ってるな。うちから持ってきた装置の仕組みを理解して、もう外し始めてる」

 眺めていることしかすることのなくなったチーフをしばらく見つめて、男性エンジニアは困り顔を浮かべた。
 せっかく来てくれたのに、このまま帰すのも酷だと思ったのだろう。

「あまり大きなことは言えませんけど、私からお願いしてみましょうか?」
「そりゃまずいだろ」チーフもさすがに自分が同情を買うほど情けなく見えたのが悔しかったのだろう、おかげで決心がついた。「お堅い女上司を裏切った日にゃあ首が飛ぶよ。まあ見てろ、俺だって負けないさ」

 笑顔で言って、チーフは足を前に出す。肩に乗せたリッキーも凛々しい顔つきをしていた。
 コードを踏もうが関係ない、俺たちは絶対に引き下がってやらないぞ。そんな気迫に溢れる彼らを、同僚のエンジニアたちは静かに応援しながら見送っていた。

 次に放つ第一声が大事だ。ボクシングで言えば出だしのパンチ。第一ラウンドは向こうのノックアウト勝ちだったが、今度はそうは行くものか。
 チーフは彼女の肩を叩いて、第二ラウンドを仕掛けた。

「おいアンタ」
「まだ何か?」

 ため息と共に振り返った彼女に、チーフは物怖じせずに睨みつける。できれば声にも凄みを込めて。

「ゲームの中にはうちのエージェントもいるんだ、できれば共同して事に当たりたい。司令部に連絡して強引にこの場を差し押さえることもできるが、それは俺もしたくないんだ。いいか、分かったらそのコンソールからどいて、俺に譲り、黙って説明を聞け」
「法律なら私も知っています」フユカは腕を組んで一歩も引かない。「権力を振りかざすならこちらも相応の申し立てを行使するわよ」
「その間にどんどん時間が過ぎていく。長時間電脳空間にさらされた人間の身体がどうなるか、お前知ってるか? 3日で変調をきたし始め、5日目には身体の構造パターンが崩壊し始める。外での法廷紛争が決着する頃には、全員の身体が裏返しになってるだろうよ。シルフカンパニーでそんな事件が起きたと知られればどうなる? 今は報道規制で何とかなってるかもしれないが、この先はそうはいかないぞ」

 会社のために動いてきた彼女を倒すには、会社を人質にするしかない。
 チーフの読みは当たっていた。フユカは口をへの字に曲げて、必死に言葉を探すも出てこない辺り見当たらないのだろう、とうとう身を引いてしまった。

「分かったら、そこを、どいてくれ」

 ここは少し穏やかに告げた。
 追い打ちをかけたのではこいつと同レベルになってしまうからな。と、誰に説明するでもなくチーフは思った。
 ただ若干手を緩めたことで、ひょっとしたらもうひと悶着あるかも……とも思った矢先、意外にもフユカはすんなりとコンソールを明け渡した。いかにも悔しそうに、今にも手が出るんじゃないかという勢いで睨んできていたが、彼女はそのまま脇にどいて「どうぞ」とだけ返した。

「どうも。それじゃあ何から始めようか?」







白黒の景色が広がるゲームの世界。
玉虫色の街とは名ばかりの、ここは大都会タマムシシティ。たまにしか動かない通行人の間を縫って、2人は都会の道を歩いていた。

ミオ「えへへ……」

少女は小さなバッジを空に掲げながらにやにやと笑う。

レノード「そんなにバッジばかり眺めて楽しいですか?」
ミオ「うん! なんかね、強敵に勝てたーって気がしてくるの。シルヴィやワイルドジャンパーと一緒に来たかったなぁ」

早くも置いてきたポケモンたちを寂しげに想う彼女に、レノードはふと笑みをこぼす。

レノード「気持ちは分かりますよ。僕も初めてのバッジはゲームで手に入れたものだ、あれはまだポケモンを実際に貰う前のことでした」
ミオ「現実のバッジは? ゲットできた?」
レノード「仕事に必要な分だけならね。なにせジムバッジは自分たちの実力を客観的に証明する、最も単純な手段ですから。就職活動にはとても役立ちましたよ」
ミオ「しゅうしょく?」

頭に疑問符を浮かべながら訊ねられて、レノードの笑みは苦笑いに変わる。

レノード「正しくは潜入ですが、まあ似たようなものです」

しばらく歩いていると、南の街へと続く検問所が見えてきた。
2人は入口の前で立ち止まる。

レノード「ジュース、持ってます?」
ミオ「言われた通りちゃんと買ってきたけど、喉乾いたの?」
レノード「電脳空間における僕たちの肉体は本物じゃありませんから、喉は乾きませんよ。彼に渡せば分かります」

 彼らがゲーム世界のヤマブキシティに足を踏み入れようとしている頃、ゲームの外でも状況は次のステージに移ろうとしていた。
 それを知らせる報告が、フユカの耳に飛び込んできた。いくら主導権を奪われたとはいえ、仕事に対する姿勢までは崩していない。今のところ、チーフたちとぎこちないながらも協力していた。

「被害者4人のデータの反応がここに?」

 訊ねると、報告をしたチーフが頷いた。

「ヤマブキシティのどこかにいるはずです。でもマップデータには高レベルのセキュリティがかけられていて、おそらく製作者か、あるいはそれより上位のアクセスコードがあれば開けるかと」
 フユカは怪訝そうな顔を浮かべて返した。「役員用のアクセスコードがあるけど、会社の機密に関わる情報よ。人の目に晒せないわ」
「じゃあ俺が他所で作業している間に、貴方が確認してください」

 チーフも企業秘密に無理やり介入してまで続ける気はなかった。フユカにコンソールを譲り渡して、他のエンジニアたちを監督するべく歩み寄る。
 やってきた彼を、同僚の男性エンジニアが遠目にフユカを見つめながら出迎えた。

「よく見ると顔立ちは良いんですけどね」
「いいから働け」チーフはやれやれと首を振りながら訊ねる。「解析に何か進展は?」
「複雑ですが、なかなか面白いゲームですね。たとえば難易度設定なんですが、電脳空間に入り込む際、システムが脳をスキャンして最適な難易度を計算するんです」
「プレイヤーレベルに応じて敵も強くなる。俺も実際に見て驚いたよ、攻略には時間がかかりそうだな」

 ということは、進展があるのはまだ先の話か。ゲームに潜った2人から特に異常を知らせるような連絡もなく、チーフが暇そうに欠伸をしようと口を開きかけた、その時である。
 他所で配線作業をしていたリッキーが、ある事に気がついた。彼女が電気タイプのポケモンであるが故に気づけた事であろう、握っていた配線を置いてチーフのもとに駆け寄り、ズボンの裾をしきりに引っ張った。

「プララッ」
「どうした、リッキー?」と、チーフは小さな相棒を見下ろす。
「プラー……」

 彼女が指差した先は、比較的部屋の隅に置かれたひとつのコンソールであった。
 それ自体おかしな点は何もない。チーフ自身、それが単に外部との通信用コンソールであることを確かめている。だが、リッキーはそれを不安そうに鳴きながら指し示していた。
 何かあるのだろうか。チーフがコンソールに手を置いて、タッチパネルに触れる。様々なデータを開いても、それが通信用コンソールにはあって然るべきものばかりであった。リッキーの勘違いであろうか。いや、彼女が何かおかしいと言ったら何かあるはずだ。
 軽く済ませるのではなく、相棒を信じて入念に調べなければ分からないであろう小さな事実が、チーフの目に留まった。

「変だな、このファイルだけ名前もないし他のプログラムとの連携もない。ダミーか?」

 誰かと相談すべく、チーフは先ほど同情してくれたエンジニアを手招きした。
 彼もファイルを見て、やはり同様に首を傾げている。

「これ、中身はなんです?」
「開けないんだ」チーフは曇った顔で答えた。「見た目の容量はあまり大きくなさそうなんだが、どうも引っかかってな。通信を隠した痕跡とか、偽装工作の類でもなし。一体何なんだ?」
「プララ!」

 リッキーが強く鳴いて、チーフを呼びつける。
 見れば、頬にバチバチと電気を迸らせながら1本の配線を握っている。しばらく彼女の抗議を見つめて、チーフもようやくその中身が分かった。

「過剰な電力供給か、そうなんだな?」
「プラ!」

 リッキーが嬉しそうに鳴いた。
 すぐさまチーフは腰に差していたハンドスキャナーを手に取り、通信用コンソールに近付ける。おかげでコンソールに表示されるデータとはまったく違う数値が見えてくる。

「これだけの電力を消費していて、内部の熱量がやや高いが許容圏内で済んでる。さすがシルフカンパニーの冷却装置だな、でもどうして今まで見逃してたんだ……? たかが通信用コンソールに、何を隠してる?」
「ひょっとして、ゲームの隠れた機能か何かでしょうか?」と、男性エンジニアが首を傾げながら言った。
「いや、そんなものじゃないぞ……おそらくこれは……」

 推測を並べるよりも先に、それは起こり始めていた。
 その前触れであろう、突如部屋中に短く甲高い悲鳴が響き渡った。フユカが叫んだのだ。

「なんだ!?」

 チーフが慌てて駆け寄ると、フユカはすっかり動揺して慌てふためきながらコンソールを操作している。
 一旦落ち着かせなければ。チーフは彼女の両肩を掴んで振り返らせ、「落ち着くんだ! 落ち着いて、深呼吸を……」と徐々に声をトーンダウンさせていった。やがてフユカも落ち着いてきたのだろう、しかし怯えた目でコンソールを見やって言った。

「分からない、分からないの。私のアクセスコードを入力したら突然……し、システムが勝手に……ヤマブキシティを消去したの。わ、私じゃないわ、そうでしょう!?」

 4人を殺害してしまった。その罪悪感は、フユカの仮面を一瞬にしてはぎ取っていった。しかし、チーフには彼女の精神分析をしている暇などなかった。
 消去された。それを聞いた途端、目を見開いてコンソールのボタンを勢いよく押した。

「レノード! ミオ! ヤマブキシティには近づくな、罠だ!!」

遅かった。
と言うのは、決して2人が消去されることを意味していない。

コンソールの表示に反して、ヤマブキシティはそこにあった。実際、ミオとレノードはそこにいる。
だが、その光景は2人が想像していたものから遥かにかけ離れてしまっていた。

ミオ「……これが、ヤマブキシティ?」
レノード「いやあどうでしょうね……僕にはそうは見えません。まるでこれは、軍事国家か何かだ」

彼の例えは正しかった。
白黒の世界、その中にあるただの大都市に、長身の銃を抱えた黒服の兵隊が闊歩し、鎧を身にまとったポケモンたちが兵隊の後ろを従順に歩いている。逆らう町民をその場で射殺し、死体をポケモンたちが喰らう様は、過去のゲームとは思えない残虐さを表している。

レノード「あれを……!」

あまりの惨状に口を覆っているミオに、レノードは空を見上げるよう促した。
彼が指差す先にそびえ立つ高いビル、シルフカンパニー。その天辺には、黒字に白くRと記された旗が掲げられていた。

ここはヤマブキシティ……改め、ロケット団帝国、帝都ヤマブキ。

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