◇1
「コロちゃん、晩ごはんなに食べたい?」
『あぶらーげ! あまーいの!』
「あ、あたしも! あたしもそれがいい!」
夕焼け色のポケモン、ロコンのコロに同調して、ツバキがはいはいと手を挙げる。アイハはくすくすと楽しそうに笑った。
「はいはい、じゃあ晩ごはんはシラヒめしにしましょうか」
『「やったー!』」
コロとツバキの“声”がそろう。
シラヒめしとは、シラナミ地方の言い伝えに登場するポケモン、シラヒの毛皮を模したとされる郷土料理だ。甘く煮た油揚げに炊いた穀物を包んだもので、育ての親であるおばあちゃんもよく作ってくれたツバキの好物。
シラヒは種属名ではなく個体につけられた名で、輝く毛皮をもつ美しいキュウコンであったという。その存在は昔話や童話の中にも描かれているが、実在したかどうかは定かでない。
キッチンに向かうアイハに、目を輝かせてついていくツバキ。コロにせっつかれながらホノも続いた。
「なんか、順応しすぎじゃないですか」
部屋に残されたユウトが呟く。向かいに座る青年、リョウシが不思議そうな顔をしてから、「ああ」と納得したように頷いた。
「コロが喋ってることか」
「あれは喋ってることになるんですか」
「厳密にゃ違うな。コロの言おうとすることが、おれたちにも理解できる情報として入って来てる。音声言語とは違う何かで。そんなとこか」
「そんな曖昧な……不思議には思わないんですか」
ユウトの問いかけに、青年は少し黙ってから、思案顔で言う。
「まあ、あれだ。ああいうやつを他にも知ってるのさ。おれと姉さんは」
青年の微妙な返答にユウトは少し疑問をもったが、それ以上追求はしなかった。なんとなくだが、彼らにとって大切なことであるように思えた。
だとすれば。青年がホノとコロをここへ連れてきたのも、その事に関係しているのだろうか。
人を化かす、不思議な力をもつロコン。そんなのは絵本の話だと思っていたけれど。
ユウトは改めてキッチンではしゃぐ彼女らを見る。森で何があったのか、ずいぶんと打ち解けてしまったようだ。
ユウトは未だホノとコロを警戒していた。悪意の有無は関係ない。彼女らには何かの目的があるはずで、こうしている今も何らかの行動を起こさないという根拠は何もないのだから。
そんな自分たちが一緒に滞在するこの奇妙な状況を作ったのは、リョウシだ。彼もまた、何の思惑もないということはないだろう。
けれど。
「あんま張り詰めてっと、疲れるぜ」
疑いは見透かされているようだ。ユウトはばつが悪くなって目を逸らす。
「そう構えるなよ。おれがシラナミリーグの密偵だったことは説明したろ。もう敵ってわけでもないんだ」
「だからって味方とも限らないでしょう」
ユウトはリョウシに向き直る。体格差は大きく、座っていてもリョウシの方が目線が高い。
「必要だった。あなたはそう言いましたよね。必要ならなんだってする。それがあなたたちだっていうなら、シラナミリーグももう手放しで信用できない。あなたたちの都合次第で、また敵になることだってあるかもしれない」
リョウシは否定しなかった。ただ一言、「なるほど、もっともだ」と返す。
ユウトとリョウシの視線がぶつかる。ユウトの頭上で、ネネが僅かに身を縮める。
どれくらいそうしていただろう。やがてリョウシは頭を掻いてため息をつくと、おもむろに何かを取り出した。ごと、と音を立てて差し出されたそれは、握り手の付いた筒状の器物。
「これって、まさか」
ユウトは目を見開いて、リョウシへ疑惑の目を向ける。彼の意図がわからない。けれど聞き出す前にリョウシは説明してくれる。
「スナッチシューター。色々と仕掛けはあるらしいけど、簡単に言えばモンスターボールの射出装置だ。カネギ商会が使ってた道具で、雇われたときひとつ借りたんだが、持って帰ったらおれの協力者がおもしろがってさ。バラバラにして仕組みを調べて、アレンジしたものをぽんぽん作り出してくれた。おれが狙撃に使ったのもそのうちのひとつだ」
「そんなもの……どうしろと」
「ひとつ持っとけ。小型で射程はそれほどじゃないが、反動が小さくて扱いやすい。おれがまた敵になったと思ったら、それでおれのポケモンを撃てばいい。捕まえちまえば無力化できる」
そこまで聞いて、ユウトにも彼の意図が分かった。これは安心材料だ。対抗手段を持たせることでこちらの不安を除こうとしている。
ユウトは少し迷ってから、スナッチシューターを手に取り、グリップを握る。思っていたよりも、軽い。けれど。
これをポケモンに向けて、撃つ――
気味のいいイメージではなかった。
「まあ、使わないで済むに越したことはない。こんなものに出番がないよう、お互い努力しようぜ」
軽い調子で言われて、ユウトはまた顔を顰める。
とはいえ。
これがあればネネを必要以上に戦わせず済む。それにクロだって。
そこまで考えて、ふと気がついた。
キッチンは今日も賑やかだ。けれど。
いつもなら真っ先につまみ食いにいそしむはずの相棒の姿が、みえない。
◆2
「ちょっとヒナ、まだホノちゃんは見つからないの?」
マルーノシティ、南部商業地域のはずれに位置する倉庫街の一室。やたら小奇麗だった前アジトとの落差を感じるカビ臭さに辟易していた金髪を、さらに追い立てる一言が襲う。金髪は苛立ちを隠そうともせずぶつけ返した。
「位置情報が途切れてんだから仕方ねえだろ! あのグズ、ポケギアが壊れてんだかバッテリー切れか知らねえが、海底ではぐれてから反応がねえ。グリにも捜させてるが、この無駄に広え町のどのエリアにいるかもわからねえんだぞ。すぐ見つかるかよ」
「町の中とも限らないわよ」
「それは海に沈んだってことか?」
その切り返しに返答はなかった。少女とはぐれたのは崩れゆく潜水艇の中だったのだ。しかしそれは最悪の予想に口を噤むというよりは、何か別の可能性に心当たりがあるとでも言いたげな沈黙。けれどそれを指摘してみても、やはりはぐらかすような答えしか返ってこない。
金髪の神経を逆撫でするのは、口調とミスマッチな野太い裏声だけではなかった。この大男の態度がいつも気に食わないのは、何を言っても言い返してもまるで動じず慌てないところだ。
しかし今はそんな余裕が薄らいでいて、生々しい焦りすら覗かせている。滅多に見せないそんな姿は、いつも以上に腹が立つ。
「マカオ。てめえ、何を知ってんだ。あのグズにしてもここしばらくの仕事にしても、あたしは腑に落ちねえことだらけだ。それをてめえは涼しい顔でこなしてやがった。なにか企む顔もしてたな。役に立たねえサングラスで隠してるつもりだったかよ」
自分に知らされていないことがあるのはわかっていた。このチームでは大男がリーダーだし、それで仕事がまわるのであればそれでよかった。けれど今は明らかにイレギュラーな状況だ。そんなこともわからないと思われるのは心外だった。
「あんなグズでも無駄に多い尻尾振ってるだけのチビでも、仲……いや、チームのメンバーだろ。仕事に関係ないことまで詮索しねえし興味もねえよ。けどこんな状況じゃ情報は必要だ。ただでさえ自分のこと何も話そうとしなかったヤツを、なんの手がかりもなく捜せるはずねえだろうが。それでも話せないようなことが、あのグズどもにはあるってのかよ」
透視能力で周囲を警戒しているレントラーと、お茶を淹れていたルージュラが振り向く。そうだ、彼らにも知る権利はある。ポケモンでも、そう、チームの一員なのだから。
大男はため息をつき、サングラス越しでも目を伏せるのがわかった。たっぷりと紅をのせた唇が一度引き結ばれてから開く。
「ほんと、なんだかんだで仲間想いねえ」
「誰がンなこと言った殴るぞ」
「だからこそ黙ってた、なんて言い訳くさく聞こえるかしら? あの子のポケギア、多分電源切ってあるのよ。いえ、もしかしたらもう手放してるかも知れないわね」
金髪は一瞬息を飲んだ。考えなかったわけではなかった。けど、それを肯定されるのはひどく――癇に障った。
「あいつらは何をしようとしてんだ」
「わからないわよ。だから捜して」
大男の真剣な瞳が――もちろんサングラス越しではあったが――、何故だかとても、不快だった。
◇3
沈みかけの太陽が、空を赤々と焼いていた。
その輝きは木々の影を大きく伸ばし、それが折り重なるようにして森は闇に染まりつつあった。
だからコノハナは、今までにどれだけのポケモンが地に伏していたか、把握することができなかった。
またひとつ、どこかでポケモンの声が消えた。
悲鳴は上がらない。ひとつ、またひとつ、闇に溶けるように消えるのだ。
コノハナは逸る鼓動を必死に抑えて、木々を縫うように枝を跳んだ。
森で何かが起きている。
急いで、急いで知らせなければ。
森はコノハナにとって遊び場だ。この程度の闇で道を見失うことはない。
もう少し、もう少しで辿り着く。
コノハナは恐怖を振り切るように、ひときわ強く枝を蹴った。
――はずだった。
何が起きたのかわからなかった。
体が空中で静止した。
見えない力に、強引に押し留められたような。
この感覚には覚えがあった。
先日森をうろついていた人間とネイティをからかった時だ。
けれどこれは、あのときの力とは比べようもない。体がびくとも動かない。声も出せない。
そのときになってコノハナは悟った。
襲撃されたポケモンたちが、悲鳴を上げられなかった訳を。
眼球すら満足に動かない中で、コノハナは見た。
木の陰に覆われてなお深く暗い、真っ黒な夜そのものの姿を。
次の瞬間、黒い波動が全身を貫いた。
拘束が解け、重力のままにコノハナは地に墜ちる。
気を失う間際にコノハナは見た。
夜の化身の体に浮かぶ、輪紋の月が光るのを。