弔いの鐘は鳴る

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作者:円山翔
読了時間目安:14分

この作品は小説ポケモン図鑑企画の投稿作品です。

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください








 彼が息を引き取ったのは十二月三十一日の早朝、家族を説得してやっと許可をもらい、彼の家で同棲を始めた矢先のことだった。たくさんの荷物を持って階段を登る途中で足を滑らせて落下し、打ち所が悪くて即死。運命の悪戯は、救急車を呼ぶ時間すら与えてはくれなかった。
あまりにも呆気ない最期だった。ポケモンならばまだ助かっていたかもしれない。が、悲しいかな。人間はあらゆる面についてあまりにも脆弱にできていた。
本当なら、私が持っていくはずの荷物もあった。それを、彼は無理をして一度に運ぼうとした。きっと私に苦労をかけたくなかったのだろう。無茶をした彼も悪いのかもしれないけれど、あの時私が強く止めていれば、彼は死なずに済んだかもしれない。そう思うと、やりきれない気持ちがとどまることを知らずに心の底から湧きあがってくる。が、今は何をどうやっても、彼はもう帰ってはこない。

 彼は一度、死の淵から這い上がったことがあった。原因不明の病に蝕まれ、医者に余命宣告を受けていたにも関わらず、彼は病気を克服して生き永らえたのである。彼の主治医はとても驚いていた。治る見込みがないと匙を投げていた彼の病気が、跡形もなく消え去っていたのだから。
そんな彼が。治療法の見つかっていないはずの病気にすら打ち勝った彼が。こんなにもあっさりと逝ってしまうというのだから。
運命は残酷だ。いつだって私の心を冷やすことしか考えていないのではないかとさえ思う。彼が助かったと知った時には飛び上がるほど嬉しかったけれど、そんな束の間の喜びすらも悲しみで塗りつぶしてしまうのだから。



 彼の両親はすでに他界しており、彼に親戚がいないということも聞いていた。
彼を弔う者は、誰もいなかった。……私以外には。



 死亡届を書いて役所に届け出ようとして、既に役所は閉まっていることに気付いた。書くだけ書いたのだから、大事にしまっておこう。年が明けて役所が開いたら、真っ先に提出しに行こう。そう思って箪笥を開けた私の目に、真っ白な封筒が映った。
ドクン、と心臓を打つ音が妙に大きく聞こえた。手に取って裏返すと、彼の字で私の名前が書いてあった。
丁寧に封筒を開いて、中に入っていたものを取り出した。手紙が一枚と、使い古された一枚の地図が出てきた。
手紙には丁寧な彼の字でこんなことが書かれていた。


拝啓

 君がこれを読んでいる頃には、おそらく俺はもうこの世にはいないのだろう。
 この際だから、今まで伝えられなかったことを伝えておきたい。
 まずは、ありがとう。俺が病気で苦しんでいた時に回復を祈ってくれていたのだと、主治医から聞いた。千羽鶴も、確かに受け取ったよ。君の願いが届いたからこそ、俺は生きて君の隣にいることができたのだと思う。
 あの時ーーーー医者に告げられた余命の最期の日。俺は不思議な夢を見たんだ。
 俺の命の蝋燭が燃え尽きようとしていたところに、誰かが来て別の蝋燭を置いていってくれたんだ。本来なら尽きるはずだった命を、その誰かが救ってくれたんだ。君がいつも連れている、紫の火を頭に灯した白い蝋燭君。俺に命の火を分け与えてくれたのは、おそらく彼だと思う。俺から言えなかった分のお礼を、どうか彼に伝えてやってくれないだろうか。
 救ってもらったお礼をした後でこんなことを伝えるのはひねくれているのかもしれないが、さっきも書いた通り、俺の命は本来ならあの時に失われるはずだった。それを伸ばした分のツケがいつか回ってくるのではないか。何故かは分からないが、いつもそんな気がしていたんだ。多分、俺はこの上なく呆気ない最期を遂げることだろう。その時はどうか笑ってやってほしい。君には悲しい顔よりも、笑った顔の方が似合うから。
 最後にもう一つ。かつて誰かが「願わくば花の下にて春死なんその望月の如月の頃」と詠んだように、俺にも思い入れがある場所がある。地図に記してある場所なんだが、俺をそこに連れて行ってはくれないだろうか。そこで、俺に命の火を分け与えてくれた蝋燭君の炎で、俺を送ってはくれないだろうか。
 最期まで我儘ですまないが、よろしく頼む。

 願わくばこの木の下にて冬逝かんその晦の宵闇の頃

敬具

 本当に我儘だ。今この場にいるならば、文句の一つや二つ投げてやりたいくらいだ。でも、そんなことはもう叶わない。だからこそ、彼はこんなことを書いたのかもしれない。
「笑え、だなんてそんな……」
 無理やり笑顔を作ろうという気にすらなれなかった。代わりに涙腺が緩んで、乾いた目を涙が潤していく。
「ありがとう、だってさ」
 私の肩に乗って一緒に手紙を眺めていた小さな君に小声で言った。君は照れ臭そうに顔を赤らめながらも、残念そうに俯いた。

 彼の亡骸を乗せて、私は封筒に入っていた地図に従って自動車を走らせる。小さな君はエンジンメーターの上に腰掛けて、私が道を間違えそうになるたびにそっちじゃないよ、こっちだよと小さな手で示してくれた。今のご時世には珍しくカーナビが付いていない上に、ただでさえ方向音痴が酷かった私は、君のガイドを頼りに何度も何度も道を間違えながらゆっくりと進んでいく。

 来たことのない道を走ること約一時間。自動車を停めたのは、どこかもわからない山の麓だった。季節が違えば、きっと色とりどりの草花を目にすることができたのだろう。それももう、今となっては夢のあとでしかない。本来の色を失って茶色くくすんだ色で倒れた草ばかりが、あたり一面を覆っていた。
 彼の命と同様に、既に過ぎ去った命。違うのは、植物たちはまだ生きているということ。地面深くまで伸ばした根っこは、次の季節への準備をしていることなのだろう。だが、彼はそうはいかない。人間は死んだらそれでおしまい。帰ってくるなんてことは、万に一つもありはしないのだから。
 自動車が通れそうな道などあるはずもなく、そこから先は歩いていくほかないようだった。
 地図が示す一点へと、私は彼を背負って歩く。死んだ人間は生きていた時よりも軽くなるというけれど、そんなことを微塵も感じさせないくらいに彼は重たかった。きっと死んだあとも彼の魂がこの体に宿っているのではないだろうかという淡い期待を抱きながら、普通ならば立場が逆だろうという愚痴を飲み込んで、道無き道を一歩一歩進んでいく。

 やっとの事でたどり着いたその場所には、背の高い木が一本立っていた。葉が一枚も残っていない、見るからに寒そうな木だった。不思議なことに、その木の周りには、その木のものと思われる落ち葉はおろか、他の植物すらも見当たらなかった。心なしか、木の周りがぼんやりと光り輝いているように見えた。疲れているのだろうか。そう思って目を瞬いてみても、その木は確かにうっすらとした光を纏っていた。
 その不思議な木から数歩離れた場所に、彼の亡骸を横たえた。死んで動かないはずの彼の顔には、満足げな微笑みが浮かんでいるような気がした。死んでいても、自らが望んだ場所に来たことが分かるのだろうか。やはり魂だけは、彼の体の中に残っているのだろうか。
 私はこの場所に何の思い出も未練もない。私の心はいつになく静かだった。ぼんやりと光る木を眺めているうちに、これから旅立つ彼を見送る心構えは整っていた。

「お願い」
 沈みかけた太陽を目の端に捉えながら、私は君に告げた。
「彼を、送ってあげて」
 任せて、とでも言うように君は私の肩から飛び降りて、彼の方へ歩いていく。彼の顔を覗き込む君の後ろ姿は、何だかいつもよりも小さく見える気がした。

 小さな火が、横たわる彼の服に灯された。青白い色の不思議な火だった。
 火は瞬く間に燃え上がり、彼の亡骸を包んで焼き尽くしていく。白い煙が、宵闇に染まりかけた空に吸い込まれるように昇っていく。その煙の中で、小さな黄緑色の蛍火がいくつも輝いていた。彼の魂が、煙と一緒に天に昇っていく。そんな気がした。
 開いたまま閉じられることのない私の口から、言葉が紡がれることはなかった。言葉にならないさよならを、私は心の中で告げた。
 小さなおくりびとの君はいつの間にか私の肩に戻ってきて、頬を流れ落ちる涙を小さな手でそっと掬ってくれた。頭の炎は私の肌を焦がすことなくゆらゆらと揺れる。とめどなく溢れる涙が炎を消してしまいはしないかと心配だったけれど、紫色の炎は私の涙を飲み込んでより大きく、美しく輝くばかりだった。
 彼を包んでいた青白い炎が燃え尽きてなくなった時、彼がそこにいたことを示すものは何一つ残らなかった。寂しくはあったけれど、それでいいのだと心のどこかで納得していた。いつまでも未練を引きずっているわけにはいかなかった。

 その場で目を閉じて目を合わせ、彼に黙祷を捧げた。彼との思い出が、瞼の裏に幾つも幾つも浮かんでくる。
 いつまでもそうして目を閉じていたかった。過ぎ去った出来事を惜しんでも仕方がないと分かってはいても、次々と浮かんでは消える幻想は私を引きとめようと手を伸ばす。
 不意に誰かが私のズボンの裾を引いた。思わず目を開いた時には、美しい思い出は頭の奥へすごすごと引き上げて行った後だった。
 足元に目を落とすと、君が早く早くと私を急かしていた。
 君を肩に乗せると、私は甘い幻想を振り切るように、彼のいた場所にーーーー不思議な木に背を向けて走り出した。君は来る時に彼を背負っていたせいか、心に背負っていた枷が一つ外れたからなのか、体が嫌になるくらい軽く感じた。

 慣れない道を再び自動車で辿って、家に帰る頃にはすっかり暗くなっていた。
 彼の部屋について、戸棚から鍋を取り出す。夕飯の年越し蕎麦の準備だ。
 本来なら彼と一緒に食べるはずだった蕎麦。その彼は、もう私の傍にはいない。いるのは今までずっと私を支えてくれた、小さなおくりびとの君だけ。
 今までのお礼にと、君にはいつもよりも上等なフーズをあげた。君は少しだけ申し訳なさそうな顔でフーズを受け取った。何故そんな顔をしているのかは分からなかったけれど、彼を送った時にはあれほど美しく輝いていた紫の炎は、いつもよりも弱々しく揺れているようだった。

 蕎麦をすする音とフーズを齧るカリカリという音だけが、一人と一匹だけになってしまった部屋に虚しく響く。一人で食べる蕎麦は、随分と味気なく感じた。年末恒例の特別番組で埋まっているテレビをつけようという気にはとてもなれなかった。
 夕食を終えて、食器を片付けて、風呂に入って、髪を乾かして、疲れた体を布団に横たえる。何もかもいつも通りの生活のはずなのに、彼がいないだけで何もかもが虚しく感じてしまう。そこから何かをしようという気にはなれなかった。
もう眠ってしまおう。頭ではそう思っても、体が言うことを聞かなかった。彼のいない寂しさを抱えたままでは、眠ろうにも眠れなかった。暖かい布団の中で震えながら、眠気が襲ってくるのをじっと待ち続けた。














 どれくらい経っただろう。


 ごーん、ごーんと、遠くから除夜の鐘の音が聞こえてくる。
 鐘の音は百八。百八は煩悩の数。その煩悩を洗い流すために鳴り響く鐘の音。
 眼、耳、鼻、舌、身、意の六根それぞれに、好、悪、平の三感情。
 そこにまた、浄、染があって一世三十六煩悩。
 前世、今世、来世の三世で百八煩悩。
 その全てを、ほんの一時の鐘の音だけで洗い流すことのできる人間が、果たしてこの世界にはどれくらいいるのだろうか。
 小難しいことを考えようとして、馬鹿らしくなってやめた。
 今の私にとって、この鐘の音は彼に対する弔いの鐘。この鐘の音で彼への未練を完全に捨てきることができるとは、到底思えなかった。自分の手で送ることができないのは残念だったけれど、この鐘の音が天国の彼の元に届いていればいいなと思った。















 最期の鐘が、彼が生きた年の終わりを告げ、
 最後の鐘が、彼のいない新しい年の始まりを告げる。
 弔いの鐘は、誰がために鳴るーーーー














 あとがき
 朝に読まれる方はおはようございます。
 昼に読まれる方はこんにちは。
 夜に読まれる方はこんばんは。
 そして、初めての方ははじめまして。円山翔です。

 今年最後の作品にして、私の短編小説三十本目の作品になりました。
 Twitterで「ポケモンとお題」のリクエストでいただいた「ヒトモシ、焼却」について書いた140字ショートストーリーを元に、日本郵船氷川丸で聞いた鐘の音から連想した「〇〇の鐘は鳴る」という言葉、除夜の鐘の意味などたくさんの要素が絡み合ってできた物語です。年末に投稿・公開するには重い内容の物語になってしまいましたが、後悔はしていません。
 お気付きの方もおられると思いますが、この作品は以前投稿したある作品と繋がっています。よろしければどの作品か思い出してみてください。

 ここまで多くの作品を書くことができたのも、たくさんの方々の支えがあってこそだと思っています。本年は大変お世話になりました。また来年もよろしくお願い致します。
 それでは皆様、良いお年を!

 2015年12月31日
 円山翔





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