第8話 “Take up Arms”
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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください
陽も落ちかかってくる頃、薄暗い水の庭園に殴打する嫌な音が響き渡る。
それは一方的な暴力であった。ミュウツーはゲノセクトを視認した途端に、反射的に飛びかかり、その顔面に強烈な《サイコショック》の衝撃を添えた拳をお見舞いした。ゲノセクトが地面に叩き伏せられても手は休めず、馬乗りになって、その紫色で堅そうな顔を何度も何度も殴りつけた。
「だ、旦那……」
傍らで見ていた情報屋も思わず声をかけたが、ミュウツーは止まらなかった。見開いた目を瞬きもせず、無抵抗の相手を痛めつけ、その壊れる様を目に焼き付けるために殴り続けた。
こいつが殺した。こいつが俺の父と呼べる家族を殺した。
ミュウツーの思考は止まり、ただその言葉だけが繰り返し頭の中で流れていた。
ふと、すっかり辺りが暗くなった頃にミュウツーはようやく気付いた。自らの拳から、ぬちゃり、と粘液が垂れる嫌な音を立てながら、ようやくその手が止まる。
親の仇を殴った後だというのに、爽快感は無い。むしろ自分は何をやっているんだ、と問いかけたいぐらい、空虚な感覚だった。
「気は……済んだか……」
無抵抗で殴られ続けたゲノセクトは、暗闇でよく見えないものの、その顔を血に染めてミュウツーを見上げていた。
問われ、ミュウツーは自分でも驚くほどに冷静に考えた。
気分はまるで晴れないし、そもそも咄嗟に怒りに我を忘れるほどの憎悪を抱えていたかといえば、疑問符がつく。昔ほどの憎しみを、感じていないのか。それとも……。
ミュウツーは暫く自分の黒ずんだ両手を見つめ、暫く経ってからようやく立ち退いた。
「何故ここに、何故俺の前に姿を現した。俺には貴様を殺す動機が山のようにあるんだぞ」
「だが殺す前に手を止めた。吉兆だ」
ゲノセクトは体を起こし、その場に座ったまま続ける。
「先のセキタイタウンの戦いの時、ミュウツー、お前の念波と繋がって俺に記憶の混同が起こった。そして知った。俺が殺めてしまった人間が、いかにお前にとって大事な存在だったか……俺が奪ってしまった、その償いをしなければならない」
「殊勝な心がけだが、そんなつもりは毛頭無いんだろう? 政府とロケット団に戦争を仕掛ける輩が、博士1人殺した程度で頭を下げたりするものか」
殺せ、今この場で殺してしまえ。
ミュウツーの直感が意識に訴えかける。この先に続く言葉は分かっている、嘘か真実かは別として必ず厄介な事を言い出す。俺を混乱させ、同情させ、言いくるめる気だ。あわよくば俺を排除しようともするだろう。
そうなる前に今すぐ殺すんだ。その直感の声を無視した事を、ミュウツーは後悔する事となる。
「モチヅキ博士を殺めてしまったのは、自分を守るためだ」
は?
瞬間、ミュウツーの全ての動作や思考が一歩遅れてしまった。
「モチヅキ博士は俺を利用するつもりでいたが、俺に気付かれ、銃を向けてきた。だからやむなく俺も咄嗟に撃ち返して、彼を殺してしまったんだ」
「嘘だ……」
「信じられないかもしれないが、モチヅキ博士は……」
「嘘だ!!」
傍らのラティアスや情報屋が制止する間もなく、ミュウツーは再びゲノセクトに飛びかかった。
デタラメを言う口を閉じてやる、よりにもよって悪いのは博士だと!?
しかしゲノセクトの言葉は止まらない。地面に再び押し倒されても。
「彼は俺に能力を与えたが、それが自分の思い通りにならないと知るや否や、俺ごと能力を葬り去ろうとしたんだ!」
「何故博士が見ず知らずの貴様なんぞにそんな事をする必要がある!?」
「全てはお前を止める為だ、ミュウツー!!」
ミュウツーの振り下ろした拳が、ゲノセクトの顔面寸前で止まる。
目を背けていた点と点が、線で結ばれた瞬間だった。
脳裏に浮かぶは、モチヅキ博士を見た最後の光景。サザナミタウンにある家で、俺はモチヅキ博士に背を向け、エドウィンやビクティニと共にシャドーとロケット団の戦いに赴いた。ダークポケモンと戦い、その強さの秘訣を知るために。
モチヅキ博士は知っていた。ミュウツーがダークポケモンの力に魅了され、手に入れようとしている事を。その力でもう1匹のミュウツーに復讐しようとしている事を。
「お前がモチヅキ博士の家を離れた直後、そこの情報屋を殺す為に俺はその家に侵入したが、情報屋は居ないばかりか、モチヅキ博士に見つかってしまった。彼は俺の種族の事を知っていた、当然だ、俺はミュウツーに対抗するためにプラズマ団によって造られたのだから」
すっかり脱力してしまったミュウツーに、ゲノセクトは畳み掛ける。
「やがてお前が復讐の果てに暴走し、人類に危機を及ぼす事を恐れた彼は、俺に協力を頼んできた。能力を与える代わりに、ミュウツーの抵抗勢力になって欲しいとな……だから俺は受け入れた」
「それを……お前は、裏切ったのか?」
幼子のように覇気のない声だった。
モチヅキ博士に裏切られたと怒れる自信が無かった。むしろ博士の推測は、もしもビクティニが止める事に成功していなければ正しかったのかもしれないとさえ思える。
俺は、驚異だった。モチヅキ博士に恐れられ、対抗策を講じられてもしょうがない。俺でも同じ事をしただろう。
「俺は博士の願いを叶えるつもりだった。俺の目的の過程でな」
「目的?」
「戦争だ、ポケモンという俺の家族を救う為の……人間からの、解放戦争だ」
それを聞いた途端、消えかかっていたミュウツーの気力が僅かに戻った。
博士は俺を信じてはいなかった。亡くなる瞬間まで、驚異だと思われてしまっていた。そんな失意の中でも、ミュウツーは理解していた。博士はこいつの語る戦争を止めようとして戦ったのだ、ならば代わりに俺が止めなければならない。
といったところだろう。嗚呼、なんと分かりやすい思考パターンか。
ゲノセクトは再び、ギシリと笑った。
セキエイ高原、ポケモンリーグ。その最高栄誉を讃える部屋に、鮮血が舞った。
ウィング提督が最初の犠牲者となってから、数秒の間で新たに警備員の人間が3人死んだ。ジュゴンの《冷凍ビーム》で全身凍りつき、続く《突進》で肉体を粉々に砕かれた者。パルシェンの硬い外郭から放つ《刺キャノン》で脳天を貫かれた者。
1人の警備員が、咄嗟に抱えていた散弾銃を構え、グレイシアを狙い撃つ。しかし軽快なステップでかわされるばかりか、逆に自身の冷気で空気中の水分を凍らせた《氷の礫》を撃ち返され、貫通するほどの威力はなかったものの、直撃面の皮膚をことごとくズタズタに裂かれてしまった。それが瞬時に絶命するほどの苦痛だったらどれほど幸運だっただろう、しかし即死には至らず、治療の術もなく、男は悶え苦しみながら断末魔をあげ続けた。
「銃は!?」
叫び声や氷の砕ける音が行き交う中、エドウィンは床に伏せて叫び、訊ねる。
しかし。
「持ってる訳ないだろう、わしらは会議に来たんだぞ!」
同じく床に伏せているエイハブの返しに、それもそうかと納得してしまった。しかし外の警備員を待っていては、その前に皆殺しにされてしまう。
何か武器はないか、ちょうど辺りを見回した、その時。
「ギャンッ!?」
グレイシアの甲高い短めの悲鳴が飛んできた。続くパルシェン、ジュゴンも同様に鳴いて、辺りが一気に静まり返る。
何が起こった……?
おそるおそるエドウィン達が頭を上げると、いくつもの無残な死骸や血染めの氷に混じって立つ3匹の石像。そして、丸みを帯びたような形の自動小銃を握る正装の男が1人。彼も同じく会議の参加者、ポケモンハンターシンジケートの代表者であった。
「ポケモンハンターたるもの、いついかなる時でもポケモンを捕らえる準備を怠りません」
未だ伏せている人々を助け起こしながら語る彼は、とても勇敢に見えた。
とはいえ、問題が解決した訳ではない。エドウィンはすぐに自分のポケットを探り、先ほど外したRのバッジを握り締めると、口元に添えて。
「こちらエドウィンだ。リベンジャー号、応答を」
通信機バッジからの返事は無く、虚しい砂嵐の音が響く。そればかりか、遠くからは小さな悲鳴や爆音が聞こえてきた。
攻撃はまだ続いている。エドウィンはもちろん、その場の殆どがそう確信した。
「亡くなったのは誰だ?」
と、ロナルド提督が訊ねた。今この場にいる戦力を数えるためだろう。
とはいえ、すぐには誰も把握できなかった。ひとまず今立っている面々がそれぞれ互いを見回して、誰がいないかを確かめる。
ロナルドはすぐに悟った。
「警備員以外ではロケット団のウィング提督、ギンガ団のヒューゴ大使、フレア団のレックス元帥、それにマグマ団のグレゴリーか……残念だ」
「その警備員ですが……」
黒いヘルメットでライフルを抱える男が、報告のために添える。
「死亡した警備員5名のうち、2人は四天王のコールとダイソンでした」
「なに? ……あの氷タイプの3匹はコールのポケモンだった筈だ。じゃあ彼らは、自分達のトレーナーを殺したというのか?」
ロナルドは驚きを隠せない様子で首を振り、ため息を漏らした。
敵と直面していなければ大丈夫だろう。皆そう思っていたのが崩れた瞬間だった。もはやポケモンにいつ寝首をかかれるかも分からない状況だ。たとえここを生き延びたとしても、軍隊からポケモンを外せば兵力は一気に下がるだろう。
先への絶望感が広がり始める中、プラズマ団のテスラはまだ前向きだった。
「ひとまずここを脱出するのが先決では?」
「警備の銃は6丁だけだった。先の攻撃でダメになったのを差し引けば、ポケモンハンターの捕獲銃も含めてもたった3丁。それだけで我々に何ができる? 外の艦隊が異変に気付いて、助けに来るのを待つしか無い」
ロナルドの返事に、テスラは怪訝そうな顔を浮かべて。
「ふうむ、政府の軍をまとめる方の言葉とは思えませんな。我ら戦場の英傑が集って、たかだかポケモンの群れを突破するなど、造作もない事では?」
そう言う彼の視線が、ちらりとエドウィンに向いた。
瞬間、エドウィンは気付いた。そうだ、これは絶好の機会だ。力を合わせて危機を脱すれば互いに信頼が生まれ、同盟関係に発展するだろう。確かにポケモンの協力は得られないものの、すべての組織の技術と知恵を結集させれば、まだ勝つ見込みはある筈だ。
ではますます生き残らなければならないな。エドウィンも賛同の意味を込めて、頷き、一歩前に出た。
「まずは状況の整理を。今使える物はありますか?」
訊ねると、ほとんどの視線がポケモンハンターの男に集った。
分かりやすくて助かる反面、エドウィンは肩を落とした。誰も大したものを持ってきていなかったのだ。
「捕獲銃以外には何もない、入り口で没収されたから……」
申し訳なさそうな声に謝り返したくもなるが、「いや、構いません」とだけ返してエドウィンは部屋を見回した。
「……あれは?」
そう言って彼が指差した先には、石の台座に6つの窪み、そして1台のコンピュータ。殿堂入り記録装置が、円卓テーブルの奥に鎮座していた。
確かめるべく生き残った1人の警備員が赴いて、キーボードを叩く。
「使えそうです! セキュリティ・システムにアクセスしました、ここからなら建物内の防護シャッターを……あっ」
一瞬の出来事であった。
遠目だがエドウィンにも、パソコン画面に映るポリゴンの姿が見えた。
どうして気付かなかった。敵がポケモンである以上、電脳空間も既に掌握されているであろう事ぐらい容易に気付けた筈なのに。
後悔先に立たず、バチリと電気が迸る音が聞こえた直後、パソコンの爆発で警備員が吹っ飛び、床に倒れてしまった。脈を取らずとも分かる。裂けた防護服の中から露出している赤黒く焼けただれた皮膚、砕けたヘルメットの破片が刺さった顔は、目を見開いて驚愕したまま動かなくなっていた。
「さて……これで使える物が体以外に無くなった訳だが、どうするつもりだ?」
エドウィンに問うエイハブの言葉は、先のように高慢な態度でも、脅すような姿勢も見られない。伺うような訊ね方に、エドウィンは確かな同盟の兆しを見た。
もっとも、それを生きて外まで持って出られなければ意味が無いのは分かっていた。
エイハブは言った。自分の体以外に使えるものは無いと。ならば使って出ていくまでだ。
もはやポケモンだからといって容赦はしない。決意を固めた表情で、エドウィンは爆発で命を落とした警備員のライフルを拾い上げ、それを腕に構えた。
「戦って血路を開くまでだ」