第3話 “敗北の日”

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 年季の入ったベテラン艦長グレゴリーは、戦艦のブリッジの艦長席に座り込み、剃り残しの顎鬚を不愉快そうに撫でていた。日課である朝の髭剃りの真っ最中に呼び出され、気になるそれに触れても、心に引っかかる不安から目を背けることはできなかった。
 国防の任務、その言葉の意味が今日ほど重くのしかかった日は久しく無かったであろう。

 それまで世界は平和だった。
 軍拡を続ける悪の組織に睨みを利かせるため、政府の軍も増強を続け、防衛費はかさむ一方。民衆からは無駄遣いだと非難もされていたが、おかげで悪の組織も世界征服等の野望を達成できず、せいぜい他の組織と小さな小競り合いをする程度だ。それに、ロケット団がプラズマ団やシャドーと衝突してくれたおかげで、民衆からの声は非難から要請に逆転した。
 その矢先の危機である。

 エイセツシティを取り囲んでから、もう3時間以上経つ。先に撃墜されたアドベンチャー号と同型の空中戦艦や、更に一回り大きな空中戦艦が、チャンピオンロードと呼ばれる岩山の真上に展開している。
 その中で最も大きな戦艦にて、外の景色をダイナミックに見渡せるガラスのスクリーン、そこに映る現在時刻は昼過ぎを告げていた。しかし昼時に賑わう筈の街は沈黙を続けている。空はやたらと分厚い雲に覆われ、しかし雨は降らず、風も特に強くない。
 嫌な天気だ、まるで衛星カメラから身を隠す為だけに現れたかのような。考え過ぎだろうか。下級士官の淹れた湯気が立つコーヒーをひと口、僅かに音を立ててすすりながら、グレゴリーは苦々しく思った。

 途端に、それまで物静かだったブリッジの中に異常を告げる電子音が響いた。
 グレゴリーは即座に姿勢を正し、コーヒーカップを艦長席の肘掛けに設置されたトレイの上に置くと、警告音を鳴らすコンソールの席を見やった。

「通信士、報告を」
「エイセツシティから通信が入りました、音声のみです」

 女性士官が答えて、ブリッジに緊迫した空気が広がった。
 まだ見ぬ敵か、はたまたエイセツ警察か。そんな疑問を胸に、各々は口を閉ざして仕事に臨んだ。それを確かめるのは艦長の役目だ。

「チャンネルを開け」

 ようやく沈黙を破ってきたか。まずは敵の声を拝んでやろう。
 命令と共にグレゴリーが頷くと、女性通信士官はこれに応じて画面上のキーボードを叩いた。

「こちら政府空軍の戦艦ゴッドバード号、艦長の……」
『ソノ艦ヲ明ケ渡セ、無駄ナ抵抗ハ止メロ』

 艦長の威勢の良い声が、通信越しに砂嵐のような雑音の混じった冷たい機械的音声に塗り潰された。それはひどく耳障りに聴こえ、同時に遅れて背筋を凍らせた。
 変声器で変えた声だろうか。しかしどこか違う気がする。まるで変声器自らが意思を持っているのではないかと錯覚するような、異質な声だった。
 しかしグレゴリーも負けじと声を張り上げる。

「中立地帯を設けて平和的な話し合いでの解決を提案する! 我々には諸君らの主張を聞く用意がある、ただちに……」
「艦長!」

 再び遮られた艦長の言葉。しかし今度は身内の男性士官からだった。

「エイセツシティから強力な念波を探知しました、ゴッドバード号を含む全艦に照射されています!」
「ブロックしろ!」
「理由は不明ですが艦のバリアーではブロックできません、念波が艦内に……」

 慌ただしく報告する男性士官の口が止まった。口だけでなくコンソールを叩く手、指先、全身がピタリと止まった。
 その様子を不審に思ったグレゴリーが「おい」と声をかけると、彼はくるりと振り返る。感情のすっかり抜け落ちた冷たい無表情。そこから到底信じられない声が聞こえてきた。

「無駄ナ抵抗ハ止メロ」

 通信越しに聞こえた声と全く同じだった。
 瞬間、グレゴリーは艦長としての最後の使命を果たすべく、咄嗟に叫んだ。

「コンピュータ、全コマンド機能を凍結! 艦長認証コード、オメガ173……」

 あと一文字、たったそれだけの言葉が間に合わなかった。
 遠のく意識の中でグレゴリーは己を恥じ、罪悪感に苛まれながら、暗闇の中へ堕ちていった。





 無駄な事に時間を費やさねばならない事に、人は苛立ちを覚えるかもしれない。
 ミュウツーは今、その苛立ちを体感していた。もちろん自分が特別枠を設けてロケット団に入団した身だからと言って、本来踏むべき手続きを省略できないのは承知している。
 とはいえ、人間とポケモンとの間で戦争が始まるかもしれない、なんて聞いた日の午後に、戦略論の講義を受ける羽目になるとは思いもしなかった。

「いくらそんな不機嫌な顔したって、講義の単位はやらないぞ?」

 おまけに講師である戦略士官の称号を持つ制服の男は、自分の都合で講義室でなく賑やかな食堂で講義を開く始末である。その理由というのも、男の傍らで床に置いた皿からこげ茶色の小さな塊のポケモンフーズをカリカリと啄んでいる勇猛ポケモン、ウォーグルのお昼ご飯だからと言うのだ。
 お陰でガラス張りの壁の向こうに広がる、反転世界の上下に海が広がるような景色を背景に、ミュウツーも適当に立方体の小さな色付きお菓子ポロックを摘まめるのだが、どこか納得がいかなかった。ビクティニはテーブルの上に座り込んで、ポロックを齧って満足しているようだが。

「早く話せ」

 ドスのきいた声で威嚇してみても、さすがにポロックをゴリゴリと齧りながらでは威厳の欠片も無い。
 男はニヤニヤと笑いながら、「分かったよ」と置いて続けた。

「陸海空、それに反転世界、戦場のパターンは大きく分けてこの4つだ。しかしハイテク化が進んだ今では、いずれも戦略パターンは同じと言っても良い」

 語りながら男はテーブルに置いたタブレット端末に触れ、表面からホログラム映像を浮かび上がらせる。
 小さなリベンジャー号か。ミュウツーの目がそこに留まっているのを確かめながら、男は続ける。

「まずは戦艦だな。破壊光線を応用した光学兵器を搭載し、広範囲にバリアーを張れる。人間は主にこの中から指示を出し、戦場を指揮する。そしてポケモン達を周囲に展開していく訳だ」

 男が再び画面に触れると、豆粒みたいな無数の光が、地球を覆う星空のようにホログラム・リベンジャーの周りに散らばった。
 ふと、ミュウツーが待ったをかける。

「バリアーの内側にいる奴もいるが、通過できるのか? それじゃ意味無いだろう」
「味方だけはね。展開するポケモンにはマイクロ・トランスポンダーっていう極小サイズのチップを与えてある。シールみたいに表皮に張り付ける奴さ。このトランスポンダーが放つ特定周波数の電波に反応して、バリアーが部分的に開閉する仕組みなんだ」
「それは味方の攻撃もか?」
「あぁ、通すよ。だからバリアーの内側から敵に向けて攻撃する事もできる」
「頼みの綱はバリアーって事か」
「そういう事」

 男はにこりと笑って、更に続ける。

「通常、戦艦同士が戦う場合、お互いのバリアーの削り合いになる。先にバリアーを破って本体を撃墜すれば勝ち」
「残ったポケモンはどうする?」
「バリアーっていう盾を失ったらもう出来る事は殆ど無い。それに、仲の良かったパートナーは撃墜された艦と一緒に死んでしまうからね……戦意を喪失して、あとは勝者からの保護を受ける事になる」
「危険じゃないのか」
「中には報復行動に出るポケモンもいるけど、戦場では稀だ。決着がつく頃には憔悴しきっているのが殆どだからね。それにポケモン自体に罪は無い、組織の傘下から離れた以上は敵じゃないよ」

 なるほどな、と、話半分でポロックに齧りつくのに夢中のビクティニの分まで、ミュウツーは納得して頷いた。少し甘い気がするが、人間の方針に口出しする事も無いだろうと考え、異論を引っ込めた。
 乾いた口をお冷で潤わせて、男は続ける。

「戦略の話に戻そう。今のが基本戦術な訳だけども、特殊な場合も色々ある。ステルス・モードって奴は特に手強い。こいつは艦をステルスオーラで覆い隠し、透明にして見えなくしてしまうんだ。ゴーストタイプの能力の応用版だから、エスパータイプの目の前を通過したって相手は気付きもしない」
「俺の前では違うだろう?」
「どうかなあ……でも欠点は確かにある。まず、ステルス中の艦は兵器とバリアーが使えない。艦から放出されるエネルギーがステルスオーラを不安定にさせてしまい、サージを起こして艦の機能が不能になってしまうからね」
「いまいち役に立つのか分からんな」
「最悪、敵の艦隊をすり抜けてしまう事もあるから、これはこれで手強いよ。以前にはロケット団艦隊とシャドー艦隊が衝突した時も、混乱に乗じてステルス艦が1隻トキワまで辿り着いてしまった」
「あぁあの時か……連中、どこからやってきたのかと思ったら」

 懐かしい思い出がミュウツーの頭に浮かぶ。とはいえ1年も経っていないのだが、遠い過去の記憶のような気がしてしまう。
 それだけ、シャドーとの戦いの後に起こった出来事が濃密だったかが改めて分かる。ミュウツーは気を紛らわせるために、水色のポロックを口に放り込んだ。渋めの味もなかなか良い。
 しかし感傷に浸っているのは、彼だけではなかった。ひとしきり語っていた男性士官が急に押し黙り、浮かない表情を見せる。それを2匹揃って怪訝そうに眺めていると、何か思いつめたように控えめに訊ねてきた。

「なあ、ミュウツー。それにビクティニも。お前ら、艦長の考えをどう思う?」

 急な質問に、2匹は互いに顔を見合わせる。

「ティーニ……」
「どうという事もない。聞いたところでは、人間を敵視しているポケモングループの仕業だと考えているらしいが」

 ビクティニは肩をすくめ、ミュウツーは素っ気なく答えた。
 2匹とも思ったほど関心を示さない事に内心驚きながら、男は不安な視線をポケモンフーズに夢中のウォーグルに送る。

「人間が、傲慢だと思うか?」

 ぽつりと零れるような台詞に、ミュウツーは「さあな」とあしらいながら。

「どの生き物もそうだ。人間が特別傲慢とは思わん、仮にポケモンのどれかが人間に代わって生態系の頂点に立てば、今の人間と同じことをするだろう」
「だがポケモンは、怒ってるみたいだ。ただの怒りじゃない……チャレンジャー号に起きた事を聞いただろ、溶けて殺された。皆殺しだ」

 ふと、ミュウツーは周りの幾つかの視線にも気がついた。
 目の前で弱気になっているこの戦略士官の男だけではない。人間達は皆、不安に陥っているのだ。誰もがミュウツーの言葉を聞きたがっているように思えた。人間に造られ、かつては人間に逆襲を仕掛けた種族の言葉を。
 まったく難儀な連中だ。半分呆れつつも、もう半分に安心感を抱え、ミュウツーは口を開いた。

「お前達が間違った事をしなければ、仮にポケモンと人間の戦争が始まろうとも、俺達が離れることはない。俺達は自由意思で此処に居る。何故なら俺達はお前達を……言わなきゃダメか?」

 語るうちに恥ずかしくなってきた。
 しかしビクティニはそんな彼に「ティニ!」と励ますように鳴いて、それまでご飯に夢中だった周りのポケモン達でさえ、視線を送りつけて無言で続きを待っている。
 盛大なため息と共に、ミュウツーは己を犠牲にする事にした。

「お前達を信じているからだ」

 なんて臭い台詞だ。憎たらしい仏頂面で頬杖を突いて、その不満を表現してみても、周りの歓声と拍手、遠吠えみたいな絶賛の鳴き声は食堂の中で吹き荒れた。その気持ちを察しているビクティニでさえ抱きついてくる始末である。

「そうだよな。ありがとう、ミュウツー」
「ふん」

 戦略士官の男の礼にも適当に返して、ミュウツーは僅かに赤らんでいる顔を見られまいとそっぽを向いた。
 それは緊張の日々における、束の間の安息であった。

『警戒警報、総員戦闘配置に就け! ミュウツーとビクティニはブリッジに出頭しろ』

 艦内放送で流れるエドウィンの威厳ある声に続いて、警報サイレンが鳴り響いた。
 慌ただしく席を立ち、ぞろぞろと持ち場に戻るべく早歩きで去っていく。「行かなきゃ」と告げてその流れに乗った戦略士官の男から遅れて、ミュウツーとビクティニも後に続いた。




 ブリッジに続くエレベーターを降りると、サイレンは止まっているが、代わりに別の放送がブリッジに流れていた。

「エドウィン、何事だ」
「ティニ……?」

 ビクティニを肩に乗せて登場したミュウツーを見つけると、中央の艦長席からエドウィンは「しっ」と人差し指を口元に当てて沈黙を促す。
 その間も放送は流れ続けていた。

『ハクダンシティが見えてきました。空軍各艦へ、こちら政府空軍戦艦アドバンス号、配置地点に到着。陸軍の展開に合わせて共同作戦を展開せよ』

 砂嵐混じりの男性の声。エドウィンに似て艦長らしい威厳を漂わせている。
 続く別の女性の声も、同じ雰囲気を持っていた。やはりこの地位になると声からして違うのだろうか。ふとミュウツーはそんな事を考えながら、黙って耳を傾けた。

『こちらジェネレーション号、エイセツシティ方面から接近してくる5隻の戦艦を確認。船籍が判明、エイセツシティで連絡を断ったゴッドバード号達よ……待って、その奥に何か浮いている。巨大な物体だわ……』
『艦長、あの物体をスキャンしました。何らかの有機化学物質が合金と融合した未知の物質でできています。センサーを通さない性質のようで、内部をスキャンできません』
『まるで巨大な……植物の球根みたいだ』

 男女様々な声が入り乱れて、ミュウツーは理解した。
 これは前線に赴いた艦隊のライブ通信回線だ。

『動きを探知しました、5隻の戦艦の発着ドアが開いています……ポケモン達が発進しました、臨戦態勢で接近! 遠距離攻撃、来ます!』
『反撃を、こちらもポケモン達を出動させろ!』

 音声に慌ただしい爆音が混じる。
 ようやくエドウィンがミュウツー達を手招きし、傍に寄ってきた彼らに状況を語り始めた。

「政府のライブ通信回線だ。彼らから援軍要請が来て、ロケット団司令部がゴーサインを出した。我々も今この地点に向かっている。到着は10分後だが、戦況を知っておきたい」
「俺達も戦うんだな」
「協力して欲しい、君たちの力が不可欠なんだ」

 勿論だ。
 そう返す前に、通信から聞こえる声に変化が生じた。

『第1から第3部隊、敵と交戦かい、し……えっ?』
『どうした?』
『わ、分かりません、各部隊とも何故か攻撃しません……そんな!? 艦長、ポケモン部隊がコースを反転、敵部隊と合流してこちらに向かってきます!』

 困惑から混乱に。乗組員だけでなく、その動揺は声を聴いているだけで、明らかに指揮官である艦長クラスにも伝わってしまっている事が把握できた。

『兵器を起動しろ! 敵ポケモンのみを狙って発射だ!』
『ダメです、味方のポケモンが前衛に構えて盾になっています。敵ポケモンだけを狙い撃ちするのは無理です!』
『味方ポケモン達が攻撃を仕掛けてきました、左舷エンジン停止!』
『補助パワーを回せ、別のポケモン部隊に出動命令を!』

 まずい。
 ミュウツーは直感した。同時に肩のビクティニを見やると、彼女も自分と同じ表情を浮かべていた。
 自分たちが現場に居ない事への、何も出来ない事へのもどかしさ。こんなにも苦しいものだとは……。

『第4から第10部隊、発進!』
『うわぁッ!?』

 爆発音と共に、悲鳴さえ混じるようになってきた。
 とても聞いていられない。ミュウツーはグッと拳を握り絞め、ブリッジの隅に逃げるように向かった。

『バリアー強度43%に低下、動力部を狙われています!』
『出動したポケモン達は!?』
『全員敵に寝返りました、敵と交戦しているポケモンはいません!』
『空母ビークイン号が船体破損、高度が低下しています!』

 今にも泣きだしそうな、震えた声色での報告が相次ぐ。
 そして……。

『全軍撤退だ! 繰り返す、全軍撤退だ!』

 ブリッジの人間ポケモン問わず、全員が暗い無念の面持ちを浮かべる中、その敗北宣言は流れてきた。
 間に合わなかった。何もできなかった。それだけではない、たとえ間に合ったとしても何かできたとは思えない。無力感と同時に、間に合わなかった事に安堵している自分を許せない気持ちがあった。
 以降、通信はブツンと切れ、沈黙がブリッジを覆った。少なくとも義務以外では、何の言葉も発する気には誰もなれなかったのだ。

「エドウィン艦長、政府から緊急通信でメッセージを受信……ハクダンシティには近付くなとの警告です」

 ただの報告。それが強烈にエドウィンの心に杭を打ち付けた。
 敗北だ。戦ってもいないのに、我々は敗北したんだ……。

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