第1話 “シロガネ山テスト”

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 夕暮れ時のシロガネ山。
 白銀に染まった雪山が地平線に沈む西日に照らされ、炎のように燃え盛る色合いで人々を魅了する。だがひと度その領域に足を踏み入れれば、炎よりも恐ろしいポケモン達にたちまち引き裂かれてしまうだろう。
 世界で最も険しい自然は、最も激しい熾烈な競争環境の賜物であった。

 ゆえに、そこは進入禁止区域に指定されている。自由に入れるのはチャンピオン級の実力を持つポケモントレーナーだけ。それから、特殊訓練を受けた軍人が最終試験に訪れるのみである。
 軍隊における最難関試験で受ける者さえ殆どいないこのテストに、本日、無謀にも挑戦しようとする者が2匹もいた。

「方位136、距離およそ300」
「クティ!」

 粉雪が散らつく岩山の山道。加えて濃い霧のおかげで白く濁った視界の中、景色にも溶けこめる白い人型ポケモン、ミュウツーは、はっきりと遠くの一点のみを見据えて、傍らに浮いている相棒に伝える。
 ビクティニは彼の言葉、視線から察すると、V字の耳の間に溜め込んだ火球を、その真正面目掛けて弾き飛ばした。
 霧をオレンジ色に染め上げる炎もやがて見えなくなる。5秒、10秒と間が空いて、ようやく遠くから爆発音が聞こえてきた。それに混じって、ポケモンの「ギャン!」という悲鳴のような鳴き声も。

「クリティカルヒット、なかなかやるな」
「ティーニ」

 目視こそできないものの、超能力による探知で敵影が離れていくのを察し、ミュウツーは頷いた。ビクティニも「どんなもんだい」と言わんばかりに、得意げな笑みをもって応える。そして無言の軽いハイタッチを交わして、再び前に進み始めた。

 それから暫く歩いて、太陽もすっかり地平線の彼方に沈んだ頃、霧は晴れたものの空の雲は晴れず、星や月の光さえ望めない暗闇が道を閉ざす。
 代わりにビクティニがオーラのように薄い炎を纏って周囲を照らしたが、当然それを目印にして襲いかかってくるポケモンもいる。特に超能力センサーをすり抜けて、鋭い爪で斬りかかってきたニューラには驚いたものの、ビクティニが咄嗟に《火炎弾》をぶちかましてくれたおかげで事なきを得た。
 黒焦げになったまま「キュウ」と倒れるニューラを見下ろしながら、さすがにここまでか、とミュウツーは呟いて。

「C-12地点クリア……この辺りの輩はこいつで最後だろう。今夜はここを拠点とする」

 と言って、ミュウツーは軽く手を振るい、辺りに青いエネルギーバリアの膜を張り巡らせていく。それはミュウツー自身とビクティニを覆い、三角錐のテントのような形で固定された。
 途端にビクティニは大きなため息と共に地面に座り込む。

「ク〜」
「何だ、もうへばったのか」
「ティニ!」

 なにをこの程度、とも言わんばかりに、ビクティニは威勢を張って見せた。
 とはいえ、肩で息をしているのが見え見えだった。気遣ってやろうとも思ったが、ふとミュウツーはこの試験の趣旨を思い出す。ロケット団に自分の無茶な雇用契約を突きつけた以上、その有能さを示さなければならない。当然、ビクティニもそうだ。
 であれば、この程度のサバイバル試験など、優に突破せねばなるまい。ミュウツーはごろんと岩肌の上に寝転がりながら、背中越しに言った。

「じゃあ火を付けてくれ。寒くて敵わん」

 合点承知!
 そんな勢いで、ビクティニは適当な岩に強烈な《火炎弾》を晒してジリジリと焼いた。




 夜空の雲が少しずつ晴れて、星や月の穏やかな光がシロガネ山をうっすらと照らし始めた。その月光に呼応して、ミュウツーが張ったバリアーのテントも控えめな輝きを放つ。
 外の気温は氷点下。しかしビクティニが熱した岩がじわじわとバリアーテントの中を暖めてくれるおかげで、春先のぽかぽか陽気にも似た寝心地の良さを演出している。
 にも関わらず、背中合わせにミュウツーと寝転がっているビクティニは未だ眠れずにいた。

「ティニー……?」

 起こさぬように、しかし気付かれるように、妖精は小さな声で相棒を呼ぶ。
 どうせ届きやしない。言っただけで満足したビクティニは、すっと目を閉じて眠る姿勢に移った。

「寝てるように見えるか?」

 不貞たような低い声。
 慌てて寝返りを打ってみれば、背中合わせだった相手がいつの間にかこちらを向いて、機嫌の悪そうな目つきでこちらを見つめているではないか。ビクティニは慌てて取り繕うような笑みを浮かべる。

「ティニ?」
「別に平気だ。俺は4日連続でも活動できる、だがお前こそ寝ておけ。このシロガネ山テストでD地点を越えられた者はいないらしい、明日はそこを攻略するつもりだ。激戦になるかもしれんぞ」
「クー……?」
「ふん、まあな。所詮は人間が組んだ試験だ、俺達には簡単過ぎる」
「クーウ」

 笑顔で言っても、内容までは覆い隠せない。
 ミュウツーの眉間に更にシワが寄った。

「当て付けに聞こえる? 馬鹿な、考え過ぎだ」
「クティクー」
「……分からんな、ロケット団に入る事がそんなに不満か? なら他にどこへ行く、あのミュウツーみたく文明から隠れて生きていくのか?」

 あのミュウツーと聞いて、ビクティニも表情が曇った。
 それは完成版ミュウツーの事だ。人間と関わる事を嫌い、大自然の奥の奥に隠れ潜んでいる彼。先の事件で一時的に手を組んだものの、ビクティニはその生き方は自分には到底できないな、と感じていた。
 数百年もの間、隔離された世界だけで暮らしてきたビクティニには、そのような生活は寂し過ぎた。

「ティ……」

 ごめん。

 そう呟いた台詞に、もし漫画のように吹き出しが浮かんでいるならば、きっとその瞬間に引き裂かれた事だろう。寝床とはいえ常に超能力センサーを働かせて辺りを警戒していたミュウツーの意識をすり抜けて、それは突如襲いかかってきたのだ。

「マニュウーラッ!!」

 気合のこもった叫び声と共に、ひと筋の斬撃が飛んだ。それはバリアーを優に切り裂き、切れた上部が裂け目に沿ってズルリと崩れ落ちていく。残ったバリアーの残骸も、幻のように揺らいで消え去った。
 すっかり2匹の世界だったところへやってきた奇襲攻撃に、ミュウツーもビクティニも出遅れてしまった。

「なに!?」
「ティニッ!?」

 反射的に飛び起きて、ミュウツーは距離を取るべく飛び退こうと足に力を込める。が、別の気配に気付いて踏み止まった。
 そうとは気付かず距離を取ろうと浮かぶビクティニの小さな手を握って引っ張り戻しながら、ミュウツーは辺りを囲む敵を1匹ずつ視認していく。

「こいつら一体どこから……くッ!」

 またも意識外の死角からの攻撃。羽音さえ立てずに闇夜を突っ切って、ゴルバットが毒液滴る牙で襲いかかってきた。
 幸いにも今度はビクティニが先に気付いた。額に炎をかき集め、派手な《火炎弾》をぶっ放す。直撃さえしなかったものの、暗闇に紛れるその姿を一瞬だが赤々と照らし出し、追い払うことに成功した。
 ミュウツーとビクティニは互いに背を預け合い、自分たちを囲んでいるポケモン達を睨む。

「連中、ただの野生じゃないな。俺達の能力を計算した上での陣形だぞ」

 それらはただ円形に囲んでいる訳ではなかった。ミュウツーの正面には悪タイプのマニューラ達が睨みを利かせ、ビクティニの正面には岩タイプのゴローン達が構える。更にそれらの奥には、シロガネ山に生息する数々のポケモン達が待ち構えていた。

 これをどうやって突破したものかと、ミュウツーは様々なパターンをシミュレートした。
 単純に力技の突破は厳しい。悪タイプが最前線に立っている以上、これをビクティニに任せたいところ、生憎と彼女には相性が悪い岩タイプも一緒だ。仮に俺が岩タイプを一掃し、彼女に悪タイプを任せたとして、彼女が悪タイプに襲いかかった瞬間、奥で控える無数のポケモン達が一斉に動きだす。
 もちろん悪タイプ以外を一斉に《サイコキネシス》で押さえつける手もある。が、それは同時に俺自身が無防備になる事を意味する。いくらビクティニと言えども、俺を守って複数の悪タイプを同時に相手にすることは難しい。

 さてどうしたものか……。
 彼の頭で結論が出ないままに、事は動き出した。

「クー!」

 ビクティニが叫んで合図してきた。先ほどのゴルバットが仲間を連れ、3匹の編隊を組んで先制攻撃を仕掛けてきたのだ。
 飛びかかってくる《毒々の牙》を、拳の形をした不可視の衝撃《サイコショック》で叩き落としながら、ミュウツーは違和感に襲われる。

 さっきもそうだが、俺の探知能力の隙間を縫ってくるこいつらは何だ。まるで俺の探知能力を可視化して見切っているみたいに、華麗に死角を突いてきた。
 何か居る。俺の超能力を知り尽くしている奴が、あるいは……俺の超能力を、探知している奴が。

 しかしそれを探している余裕は無かった。ゴルバットに次いで前衛であるマニューラとゴローン達が、それぞれミュウツーとビクティニに襲いかかったのだ。
 2匹は肩越しに互いの視線を交わし、そして頷く。考えるのもここまでだ、思い切り暴れてやろう。お互いにそんな笑みを浮かべて、そして自らに襲いかかる敵に同時に背を向けた。

「くらえッ!」
「クティー!」

 ミュウツーの無敵の支配攻撃《サイコキネシス》がゴローン達を宙に浮かせ、そしてビクティニの放つ業火《火炎弾》がマニューラ達を、その足元の岩場を爆破して蹴散らした。
 直撃が取れた訳ではないため、マニューラ達はすぐに立ち上がった。しかし目の前に迫る支配されたゴローン達に激突し、あっけなく両者の意識は飛んでしまった。

 が、それは終わりを意味する結果ではなかった。
 奥で待ち構えていたポケモン達が、おそらく数十匹はいるだろう、一斉に雄叫びをあげて襲いかかってきたのだ……。





 ジョウト地方、ワカバタウンの小さな港。
 穏やかな田舎町には決して似つかわしいとは言い難いものが、海上に停泊していた。黒い合金に覆われ、その合間から漏れる赤い光が不気味さを演出する。それが夜の中で輝くものだから、家からそれを見た子供たちは恐怖に慄き、お化けが出たと言って泣いていた。
 そんな事情を知る由もなく、艦長室のデスクに浮かぶホログラムのモニターに映る人物に、エドウィンはシワの目立つ眉間に更にシワを際立たせて、訝しげな視線を傾けていた。

「ウィング提督、私は正直……却下されるものとばかり思っていました」
『何故?』

 エドウィンよりもやや年配だろうか、ウィングと呼ばれた男は特に焦りや不満もなく、問いの先を伺った。

「ミュウツーの提示した契約案は制約ばかりで、向こうが気を変えれば自由に行動されてしまう。重大な任務にそんな兵士は出せないでしょう」
『面白い事を言うね、我々がミュウツーをそのまま重要任務に出すとでも?』

 内容とは裏腹に楽観的な声色で返された返事。
 エドウィンは、まるで寸劇を演じているような気分になった。

「彼を外交取引の材料に使うつもりですか? 確かにミュウツーを持っているだけで他の組織は震え上がるでしょうが、私は納得できません」
『君は何か勘違いをしているようだ。彼には大いに働いてもらうことになる。もはや脅威はすぐそこまで迫っているのだ』

 これには思わずため息が漏れる。
 もちろんロケット団のためともあらばどことでも戦おう。だがそれにしても、ロケット団は既に短期間で軍事的衝突を重ねすぎている。艦隊の再編計画の責任者でもあるエドウィンには、次なる敵と戦うことは憂鬱な出来事でしかなかった。

「プラズマ団、シャドー、今度はどこです?」
『それは、どこにでもいる』

 含みのある言い方だった。
 エドウィンがその真意を探っている中、ウィングは自分の映るモニターの横に次々とデータを開いていく。

『先日、カロス地方の自然保護指定区域、通称『ポケモン村』に設置していた政府の聴音哨が破壊された。それは本来ならとある厄介なポケモンを見張るためのものだったが、最後に送られた信号を政府が解析したところ、うちの諜報部《セクター0》が長年追っているポケモンがそこに居たことが分かった』
「ま、待ってください。政府がポケモンを見張るために聴音哨を設置していた? 相手は誰です?」
『君もよく知る種族、ミュウツーだ』

 その瞬間、それまでエドウィンの頭の中を霧のように覆っていた憂鬱が吹き飛んだ。その目の鋭さ、輝きを見て、ウィングもそれを察して続ける。

『ニューアイランドを吹き飛ばして今はハナダの洞窟に隠れている奴、今お前のところで預かっている奴、そのいずれとも違う。事実上確認が取れている3匹目の個体になる』

 ハナダの洞窟に隠れているミュウツー……あぁ、彼の元復讐相手か。
 エドウィンはその姿を軽く思い浮かべる。2ヶ月前、ニューアイランドで瀕死状態に近かった彼とその仲間であるコピーポケモン達を乗せ、治療するとすぐにどこかへ飛び去って行った。
 そうか、彼らの住処はハナダだったのか。

『記録上では、その3匹目が発見されたのは十数年前、ポケモンヒルズでプラズマ団のゲノセクト達と街中で激闘を繰り広げた時だ。事件が片付いた後、そいつはカロス地方にあるポケモン村と呼ばれる森の隠れ里に住み着いた。以来、政府はそいつが脅威とならないよう見張っていたのだが……』
「見張られるのが嫌で聴音哨を吹き飛ばしたのでは?」
『我々も情報提供を受けたとき、最初はそう思った。だがポケモン村と政府は不可侵条約を結んでいて、聴音哨を置く代わりにポケモン村の自治権を認めているのだから、向こうから破棄するとは思えん。それにセクター0の考えは少し違う、これを見てみろ』

 言うが早いか、ホログラムのモニターに1枚の荒い画像データが浮かび上がった。
 ほとんど真っ黒で識別が難しいが、目を凝らして見てみると、赤く光る目らしいものの周りに、うっすらと輪郭のような線が見える。その姿はまったく見覚えがないものだった。

「これは……ポケモンですか? 人間に近い骨格でも、体型が違う。形からして岩タイプか、鋼タイプのようだ」
『こいつが例の3匹目のミュウツーと戦った、ゲノセクトと呼ばれるポケモンだ。ポケモンヒルズ近辺の自然保護指定区域に5匹だけ生息が確認されているポケモンだが、問題はそこだ』
「問題?」
『彼らは古代の化石からプラズマ団が復活させたポケモンで、現存する総数は色違いを含めてその5匹しかいない筈だった。だがポケモンヒルズの自然保護区管理センターに問い合わせたところ、ゲノセクトの数は欠けていない』
「6匹目のゲノセクト……」

 気のせいだろうか、エドウィンは嫌な予感がした。
 復讐者ミュウツーも公式記録のカウントから漏れた1匹だ。彼は密かに何度も大事件に関わり、あるいはニューアイランドではその張本人となった。
 何かは分からないが、絶対に良くない事が起こる。それは確信にも近い推測だった。

『彼が何の目的でポケモン村のミュウツーに接近したかは不明だが、セクター0はこれを新たな脅威と見なしている。理由は明かさなかったが、近々彼らと戦う時が来ると、そう言っていた』
「まるでロケット団の中の独立組織じゃないですか、そんな連中を信用できるんですか?」
『鵜呑みにする訳ではない。だが彼らの言う事は不思議と今まで外れたことがない。万一このミュウツーやゲノセクトと戦うことになれば、今のロケット団艦隊は再編中、政府の軍隊だけでは力不足は必然だ。たとえどんなに不利な条件だろうと、必ずそっちのミュウツーとビクティニを丸め込んでおけ。動かせるなら契約内容など何でも良い』

 言われた途端、エドウィンは既視感に襲われた。
 確か前にもこうやってミュウツーの協力を得ておけと言われて、最終的にはロケット団本部の建物が吹き飛んだ。確かにミュウツーとビクティニのカードは、いわゆるジョーカーに匹敵するクラスだろう。その扱いの難しさもジョーカー並みであるが……。
 エドウィンの心に、再びもくもくと憂鬱の雲が覆い始めた。

「努力します」

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