手のひらサイズの装置を握り、レノードは暗闇の中ユキメノコとサマヨールを連れて歩く。ひんやりとした冷気が覆う、ミラージュ王国の地下水脈に張った氷の上を、サマヨールの《フラッシュ》を頼りに進んでいた。
時折立ち止まっては、レノードは握った装置の小さな画面を確かめる。そこには周囲の地形図と自分たちの現在地が示されていた。
そして顔を上げ、辺りを見回してみる。彼の視線に合わせて、サマヨールも手と手の間に抱える《フラッシュ》の光の向きを変え、その先を照らし出した。
「生命反応が近い。おそらく城で働く者達が捕らえられた牢獄でしょう、あるいは敵の兵士の大群かも」
「出た先が敵のど真ん中、なんて展開は嫌だぜ」
と、ユキメノコは苦々しく返す。
レノードは「ふうむ」と顎に手を添えて考え込んだ。
「チーフ達によると、ミラージュ王国の外観に損傷は見られないそうです。もしも敵が大挙して押し寄せて来たのなら、もっと荒れてても良い筈だ」
「じゃあどうやって乗り込んで来たんだよ、おかしいだろ? ミラージュ王国の防備もそれなりだろうに、まさか1匹のスーパーポケモンに制圧されたとでも?」
「そもそも戦闘が起こらず、あっという間に占拠されたのかも……ミュウツークラスのエスパータイプなら、一度に城の全員を《金縛り》にかける事ができる」
「それが本当なら、俺達に勝ち目はねーな」
確かに、とレノードは頷いた。
「しかし負けるからって、勝てないとも限りませんよ」
暫しの沈黙の間が空いた。
ユキメノコは彼を「何言ってんだ?」と言いたげに、怪訝そうに見つめていたが、やがて意図が分かったらしく「あぁ」と頷いて。
「《道連れ》の事?」
「その通りです」
腹立つ笑顔を浮かべやがって。
どーせ倒れるのは私で、痛い目を見るのも私なのによ。と、ユキメノコは頭の中だけに愚痴をとどめておく。その代わりにため息を吐いた。
「あの狸オヤジ、だから私とレノードを組ませやがったな」
「ケインズ長官にそう悪口を叩けるのも貴方ぐらいのものだ。それに貴方の本来の役目は、論理的思考。そうでしょう? とすると、貴方の論理に従えば、正しい選択肢とは一体どれですか?」
正論だからむしろ腹立つ。苛立つ視線を彼に投げつけながらも、ユキメノコは「わーったよ」と降参したように言った。
「それじゃあこっから天井に穴開けて乗り込み、人質救出、敵を見つけ出して私が《道連れ》。それで良いんだな?」
「良いですよ、それで」
そう彼が言った瞬間。
苦い表情のユキメノコと、楽観的な笑顔のレノード、2人の顔が同時に真顔に戻った。2人とも慌てたように無言で辺りを見回し、耳を澄ませ、何かを探る。
急に様子が変わった2人に、サマヨールは疑問符を浮かべて頭を傾げた。そしてつられて同じ動作をして辺りを確認してみるが、《フラッシュ》の光が届く範囲には何も見当たらない。
暫くして、2人の動きは止まった。そして互いに視線を交わすと。
「……貴方も?」
「お前もか、ということは」
2人は何かを確かめ合うと、レノードは握っていたスキャン装置のボタンに触れ、通信機能を呼び起こす。
どうやら彼らは説明する気が無いらしい。もちろん指示には従うつもりだ、とはいえサマヨールの頭に浮かぶ疑問符の数は更に増えていった。
生まれは、リザフィックバレー。
岩場の隅っこで卵の殻を破り、外の世界を初めて見上げたあの日の天気は、少々曇り気味だったのをよく覚えている。
俺はしきりに泣いていた。産声をあげて親を呼ぶが、答える者はいない。俺の誕生の瞬間、周りに誰もいなかった訳ではなかったが、見る者の視線は祝福や歓喜ではなく、奇異なものを見る好奇心の目だった。
俺の親は、俺が生まれるとうの昔に死んでいたらしい。リザフィックバレーでの両親の立場は高く、よく挑戦を受けては返り討ちにしていたらしい。とはいえ、卵を温めていた母は無防備だ。普段なら父が守ってくれていたようだが、敵対する一族総出の奇襲攻撃で首を噛みちぎられ、残された母は卵の俺をかばうように覆いかぶさり、日夜浴びせられる《火炎放射》のお陰で、とうとう3日目に息を引き取った。
リザードンが炎で焼け死ぬとは、情けない話だ。
リザフィックバレーの管理人である人間が母の焼死体の下から俺の卵を見つけたとき、それを拾い上げなかった。理由は、卵の表面が高熱にさらされ、赤く輝いていたからだ。
おかげでもう卵の中の赤ちゃんは死んだと考えたのだろう。自然に任せる事を選び、そのまま去っていった。
だが俺は生まれた。並のヒトカゲより遥かに高い高熱を抱えて。そして進化した。
飛べば熱風が吹き、立てば大地が焼け焦げ、誰もが俺を恐れた。リザフィックバレーの民達には「死の象徴」と恐れられ、人間たちからは奇跡のリザードンへの畏敬を込めて「炎の翼」と呼ばれた。
地位も得た、恐れも敬いも。なのに心は満たされない。
俺は最初から「それは強さと引き換えに失ったものだ」と諦めたつもりだったが、どうやら諦めきれないらしい。「それ」を求めてリザフィックバレーを去ったが、その決断はむしろ周りを震え上がらせてしまった。次々と強豪トレーナー達が俺に襲いかかって、しまいにはさすがの俺も捕まった。
上には昇りつめた。下の底にも落ちた。
それでも、まだ飢えるんだ。それを欲してならないんだ。だから俺は必ず手に入れる。地の底で腐っている暇など、無い……!
「力を貸して、リザードン」
昼間にも関わらず、静寂が包む王の間。メラメラと尻尾の炎が燃える音も耳に届くほどに。
そう言って歩み寄ってくる白髪の少女を前にして、リザードンはそれまで気にも留めていなかった。プロメテウスで超能力を駆使して抵抗してきた少女。脱走に手を貸してくれたルーンと何か関係があるらしい少女。ただそれだけの筈だった。
なのに、少女が言って一歩近付いた途端、リザードンは無意識のうちに同じ歩幅で一歩下がった。
……下がった?
この俺が?
ひ弱な人間の少女相手に?
「……グルルァァアアア!!」
ハイパーボイスにも近い、衝撃波のような怒号が王の間を突き抜けた。
ビリビリと衝撃を肌で感じながらも、ミオは一歩も退く気配は無い。本当は怖い。心臓はバクバクと早鐘のように脈打ち、全身から嫌な汗が流れている。
引き下がるもんか。
少女は心の中で呟き、己を奮い立たせる。
今まで何度だって怖い目に遭ってきた。目を背けたことだってある。でも今回は違う。
まっすぐに見るんだ。
「力を貸して!!」
「ガァァアアア!!」
リザードンの怒りのボルテージが上がっていくにつれて、彼の発する熱量は更に増えていく。王の間は閉ざされた空間でもなく、バルコニーや通路に通じる門が開いているにも関わらず、まるでサウナのような熱気に覆われた。赤色のカーペットはジリジリと焼け焦げるばかりで、今にも燃え出す勢いであちこちから煙が上がっていた。
生身の人間ならばそれ以上近寄れば、熱にやられて意識を失うであろう。
ふと、ミオの頭に初めて遭遇した事件が蘇る。
高熱を発するブーバーを抱き留めた時、あの時は何をした?
その答えを得たとき、ミオは臆さずに熱源へと踏み出し、飛び込んだ。
「……お願い」
途端に、王の間を覆う熱気は晴れた。
リザードン自身でさえ何が起きたのかまったく把握できない。呆然と間抜けみたいに口を開きっぱなしにしたまま、見下ろせば自分の腹に抱きつく少女が1人。
一体どこから驚いたら良いのだろう。
熱気が晴れた事か、少女が臆さず触れてきた事か、それとも自分の目からとめどなく涙が溢れている事か。
今はいい、考えることはよそう。それよりもただ、生まれた時からずっと求めていたこの感覚を大事にしたい。
リザードンは目を閉じ、翼と腕で少女を包むように、優しく抱きしめた。
「……つまりあのリザードンは、生まれてから誰かに触れた事がなかったのよ」
バルコニーの椅子から終始眺めていた黒髪の少女、ルーンは満足げに語る。
冷めた視線ではあるが、マリスも腕を組んで、ルーンの傍からそれを眺めていた。
「触れるという感覚をルーンが与えていたら、あのリザードン、チョロいからこっちの味方のままだったんじゃない?」
「分かってないわねぇ、マリス」
やれやれと言った風に肩を竦めて、ルーンは続ける。
「ミオはポケモンが求めているものを瞬時に見抜いた。それが意識的か、無意識か、いずれにせよそれをやってのけた……やはり私と同じで、ポケモンと分かり合える遺伝子を持っているのよ」
あっそうか。
と、マリスは口を開けた。
「ミオは……私のように、ポケランティス帝国に来るべき人間よ」
抱き合うミオとリザードンを遠巻きにして眺めながら、ルーンはにやりと笑みを添えて呟いた。