第6話 “傾国の妖精” (7)

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 オペレーターの仕事は時として激務である。上層部の意思を的確に把握し、その意図するところを正確に各エージェントに伝達する。言ってしまえば簡単な話だが、彼らには会話だけを通して状況を把握する能力も求められる上に、エージェントが逼迫した状況に置かれたとき、その真価が試されることになる。失敗の代償はお金ならまだ良いが、プロメテウスでは概ねエージェントの命で支払うために、オペレーターの責任は重い。

「もう、いったい何事?」

 とはいえ、中にはその責務を忘れがちな者もいた。少々乱れたスーツを整えもせず、慌てて縛った黒髪のポニーテールを揺らして不満げに愚痴をこぼしながら、円形ホールのように広いオペレーター通信指令室の持ち場の椅子に座るこの女性、ダーシーもその1人である。
 優秀なエージェントはオペレーターとのコンビネーションも優れたものだが、時々すべて1人でこなしてしまうエージェントもいる。レノードはその典型で、上との意思疎通も状況判断も全て独自のルートで処理していたのだ。当然、その担当であるオペレーターは暇を持て余す羽目になった。幸いにも理解ある職場は、それを許容してくれた。

 もっとも、そのこと自体が彼女の無能さを示す訳ではない。
 手元に浮かぶホログラムのキーボードを叩く手つきは慣れたもので、次々とガラス製のモニターに浮かぶ情報を目に通していく。ざっと2、3分かけて、彼女はレノードやミオ、ユキメノコの現状を完全に把握した。
 そしてスマートなデザインの白いヘッドセットを装着し、自信に溢れた笑みを浮かべた。

「ダーシーよりレノード、調子どう?」
『あぁ! こんな時でなければ上々だと言うところですがね』

 ヘッドセットから漏れる声の主は、待ってましたとばかりに返してきた。
 ダーシーは「相当お困りの様子ね」と普段からのお返しも込めた皮肉を送りながら、両手でキーボードを叩く。

「今しがたミオの端末から緊急シグナルを受信、場所はセキチクのサファリパークよ。それから今、こっちでセキチク警察のネットワークにアクセスしてる。状況はー……10分前に非常事態宣言を発令、場所はサファリパーク。軍隊みたいに統制されたポケモン達が管理センターを守るように囲んでる、どれもサファリパークのポケモン達みたい。今は警官隊と睨み合い状態だけど、応援が着き次第戦闘になりそう」
『ミオとユキメノコの様子は?』
「通信不能、故障でも妨害でもなく出ないだけ。生きてはいるけど、出られないってところかしら」

 場所は変わって、同刻、タマムシ上空を飛行するカイリューの背中。
 ダーシーの通話の相手であるレノードは「ふうむ」と困ったようにため息を吐いて、思案顔を浮かべる。その前に跨ってカイリューを操るシュランは「ざまあみろ、言わんこっちゃない」とも言いたげに、したり顔で振り返った。

「つまりこういう事か、ガキとポケモンはまんまと返り討ちに遭った挙句、フェロモンで操作されてる。女同士でも無気力の症状だけで収まらなかった訳だな」
『ねえ、今の声は誰?』

 と、ダーシーが見知らぬ男の声に口を挟んでも、答える者はいなかった。彼女がマイクの向こうで「まあいいか」と呟いた頃になって、レノードが続ける。

「ダーシー、セキチク警察はどんな対策を?」
『ニンフィアのチャーム能力対策として、突入部隊はポリゴン、メタグロス、その他性別を持たないポケモンで構成されてる』
「考えたな、性別が無い連中にはフェロモンも効かん」

 感心したように頷くシュランに続いて、レノードは苦々しく首を振る。

「いやぁ無謀ですよ。愛に生きるポケモン達に、たかだか人間に訓練されただけのポケモンが勝てるとは思えない。戦いの動機に大きな差がある」
「お前、意外とセンチだな」
「愛のために全てを投げ打ってでも戦えるポケモンが、何よりも恐ろしい相手だと知っているだけです」

 愛憎劇みたいなものか、と首を傾げるシュランだが、その質問はひとまず胸にしまっておく事にする。

「それで、急行するのか。音速を超えても良いなら1分足らずで着くが」
「行っても無駄ですよ、それに正直1分も生身で音速飛行は遠慮願いたいものですね。ところでシュラン……貴方のカイリューの射撃精度は、どの程度ですか?」

 唐突なレノードの問いは、一瞬の沈黙を生んだ。
 彼の素の顔が殺気に満ち満ちていくまで、およそ3秒。ひとたび開いた口から自分とカイリューの英雄譚が滝のように流れ出始めてからは、それが途切れるまでかなりの時間を要したという。




 夜を迎えたセキチクは、街とはいえ普段なら夜の星空さえ拝むことができる程度には都心から離れたところだ。しかし今やタマムシの歓楽街のように、真昼の如く人工の光が町中を覆っている。町中はパトカーのサイレンが引っ切り無しに行ったり来たり、その殆どは町外れのサファリパークへと走っていた。
 武装警官隊が、同じく身軽なレザーの黒い防具に身を包むポケモンを連れて続々と集まっているそこは、サファリパークで普段はのんびりと暮らすポケモン達が石像のように不気味な無表情で、木造の管理センターをぐるっと囲み、立ちはだかるように並んでいた。

「ねえ、やめよう……?」

 閉じたカーテンの隙間から漏れる、パトカーの赤い光や眩しいサーチライトをちらちらと気にしながらも、管理センターの中でミオは囁くような小声で伺うように言った。
 しゃがむ彼女の傍らで大量の木片の中に倒れている管理センターの主人の頭から流れる血が、床に染み渡る。ミオがチラリとそれを見下ろすと、指先が時折ピクピクと動くのが見えた。死んではいない、しかし早く医者に診せなければ。募る焦りが、元から交渉で説得しようと考えていた少女をより饒舌にさせた。

「こんなことしたって何にもならないよ。それよりミオと一緒に行こう、レノードがね、ミオ達を守ってくれるから大丈夫」
「触るな!」

 ミオがそっと手を差し伸べた途端、ニンフィアは反射的に姿勢を低く警戒の姿勢を取り、全身の柔らかい毛並みを鋭く逆立てて「シャー!」と威嚇の鳴き声を漏らした。

 瞬間、ミオのくりくりした大きな目が、一層丸く大きく見開いた。
 思わず威嚇されたから?
 この見ず知らずのニンフィアが自分の名前を言ったから?
 いいや違う。もっと驚くべきことを、今このニンフィアがやってのけた。

 今、確かに、このニンフィアは喋ったのだ。テレパシーなどでもなく、自らの口から、喉を振動させて意味を持った音波を発し、空気の震えがミオの耳に届いて、脳が認識した。
 紛うことなき、それはポケモンにあるまじき言語による会話である。

「……へ?」

 まるで言葉が出てこない。わたわたと慌てて顔を取り繕いながら、真っ白になった思考を、ミオは慌てて整理し始めた。
 そうだ、そうだよ、ユキちゃんだって喋るし、ミラージュ達だって喋るもの。他にも喋るポケモンがいたって変じゃないよ。
 と、受け入れるのにそう時間がかからなかったのは、彼女の置かれた環境が幸いしたのだろう。ユキメノコに視線をやって、ミオはひとつ呼吸を置いて気持ちを鎮めた。もっとも、当のユキメノコはニンフィアの言いつけを律儀に守って、正面の入り口に立ちはだかっているのだが。

 一方、僅かな間ではあるが動揺したミオには構わず、ニンフィアは毛並みを落ち着かせて、しかし獲物を狙うようにゆっくりとミオの周りを円を描いて歩く。

「私は純粋な存在なの。いわば純白の白百合……清く可憐で美しく、触れれば散ってしまいそうな儚さを秘めている。人やポケモンが私に触れた途端、たちまち花は穢れてしまうわ」

 高飛車に語るニンフィアを目で追いながら、ミオは焦っていた。
 この子、一体何を言ってるのか分かんない。

「……お、お花さんならこんな事しちゃダメだよ、みんなをおかしくさせるなんて。ほら、ね、元に戻してあげて?」
「花は時として周りの者を狂わせるの。その麗しい魅惑の存在こそ、まさに芸術そのもの。真実の美は見る者の目に永遠に刻まれ、決して消えることはない」
「えっと……そうなの?」

 どうしてこう、人間の言葉を喋れるポケモンってよく意味の分からないことを言うのだろう。ユキメノコ然り、ミラージュ然り。
 しかし呆然と聞き流している訳にはいかない。分かる単語だけを拾ってなんとか文脈の意味を頭の中で組み立て、ミオも懸命に食らいつく。

「そうだ、アイドル! アイドルになろうよ、ミオも時々テレビで見るんだよ、ポケモンコンテスト。すっごい可愛いポケモンとか、かっこいいポケモンとか、それがステージで凄く……と、とにかく凄いの! もう、パーって感じで! ニンフィアちゃん、きっと一番になれると思う!」
「コンテスト?」

 やった!
 言葉足らずではあるが、ニンフィアの気を引けたと見るや否や、ミオは心の中でガッツポーズをした。
 しかし一瞬の希望も露となって消える。ニンフィアは僅かな間、足を止めて考え込んだものの、すぐにフイッと顔をそらした。

「今は興味ないわ。でも帝国が復活した暁には、私が全国民を魅了するためにコンテストを開くのも良いかもしれない。私という存在の美を知らしめる絶好の機会だわ、うん、良いアイディアよ」

 やっぱりダメなのね。と、肩を落とすミオだが、ふと顔を上げる。

「……帝国?」

 彼女の頭に疑問符が浮いた途端、ニンフィアは円を描く軌道から外れて、ミオの鼻先から木の実ひとつ分の近さまで詰め寄った。

「どうも貴方、変だわ。私の魅了も効いてないし、それに身体から僅かににじみ出ているサイコパワー……ただの人間じゃない。でも帝国のことを知らない。確か貴方の相方は政府の者だと言っていた。かといって警察じゃない……貴方、一体何者?」
「あっ……」

 まずい。迫るニンフィアの眼には、明らかな疑念と殺意が籠もっている。
 それに気付いた途端、ミオのDNAの奥底に僅かに介在しているポケモンの遺伝子が、彼女の本能に強く働きかけた。恐怖心という形で、今すぐこのニンフィアから離れろと語りかけた。
 警告はまさに正解であったが、幼い少女にとってそれはトラウマを呼び起こすものでもあった。フラッシュバックとして頭の中に蘇る血染めの部屋、鼻の奥を突く咽せ返るような強烈な死臭と、無残に四肢を散らした幼い骸。

「ひ、ひいいい!」

 超能力さえ使うことを忘れた少女は、目尻に涙を浮かべて床を這いずり、壁際にこれでもかと背中を押し付ける。
 我を忘れて逃げ惑う少女に、早々に殺した方が良いと決めたニンフィアは容赦しない。顎をクイッと上げてガルーラに指示を出し、従うガルーラは肩慣らしに腕を回しながらミオに近付いていく。

「あぁ、あぁぁ、この瞬間も堪らなく好き。本当なら咲いた花が散るところが好きなんだけど、今日はこの蕾ちゃんで我慢するしか……」

 ガルーラの逞しい頑丈な腕がミオの首に伸びていくところを、ニンフィアは恍惚とした表情を浮かべながら、まるで芸術鑑賞の如く眼を凝らして眺めていた。

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