2014.10.12.投稿
◆14
「まさかね。すごいわ、お嬢ちゃん」
勝ったと思った。
クゥとハクが。
敵を倒したんだと思った。
それなのに。
「審判がいれば、ここで勝負ありとするところでしょうね。けれどこれはバトルじゃない。互いの目的が消えない限り、そこに勝ちと負けでの終わりはないわ」
カビゴンは、バクオングは立ち上がる。
あれだけやっても。届かないのか。
クゥもハクも限界だった。すぐにでも休ませ、ボロボロの体を治療したい。これ以上戦ったら命が危ない。
命? 命が――?
ツバキの全身に寒気が走る。
ダメだ。これ以上二匹を戦わせたら。
それでも、クゥは立ち上がる。ハクはツバキの前に立つ。
やめさせなきゃ。
そう思った。
だけど。
やめてどうする?
逃げ帰るのか。
体を張って送り出してくれたユウトとネネに、進めなかったと報告するのか。
今もどうしているかわからないシロとクロを、置き去りにして別れるのか。
ネコじいさんの家族、エレンを救うためここまでやってきた全てのことを、無理だったんだと投げ出すのか。
負けられないんだ。
それが戦い。
負けたで終わりになんてできない。
じゃあ、どこで終わりにすればいい?
「もうやめなさい、お嬢ちゃん」
主婦トレーナーは静かに言った。
「戦う理由を諦めなさい。それで終わるわ」
終わる。
何が?
全部が。
シロと、クロと一緒の旅が。
「やだ」
言葉は、答えは自然と出ていた。
「いやだよ、そんなの」
クゥが、ハクが、拳を握る。
主婦トレーナーが目を細める。
「仕方ないわね」
カビゴンが、バクオングが足を踏み鳴らす。
終わらない。
戦いは、まだ続く――
「“ねこだまし”っ!」
ぱあんっ!
と、両者の間で音が弾けた。
臨戦態勢だった四匹の間の緊張が解ける。
そこにダメ押しをするように、元気な声が響き渡る。
「な、に、をーーーー、やっとるんだあんたたちはああーーーーッ!!」
その大声に、バクオングでさえ耳を塞いだ。
◇15
意識が途切れていたらしい。
体が妙に冷たくて重い。それでも色が戻った視界を瞬かせ、ユウトはゆっくりと体を起こす。
はじめ、自分の記憶を疑った。確か自分が戦っていたのは、刈り込み男とブーバーンのはず。あの時の動悸を、炎の熱を、綱渡りのような緊張感を覚えている。では、なぜ。
「よう、目が覚めたか」
なぜ、この青年がここにいるのか。
顔の半分を覆う暗い色の髪。季節外れのぼろコート。気怠そうな顔をしたドーブル。
間違いない。ずっと追っていた。ネコじいさんの家族を攫い、アイハの弟だと名乗り、シロとクロを連れ去った――
「おっと。急に動かない方がいい」
慌て立とうとして崩れたユウトに、青年はいたって普通に声をかけてくる。それがユウトを逆撫でする。
ユウトは無理矢理に足を踏ん張り、青年に組み付くように胸ぐらを掴んだ。息が上がって、まるで青年に支えられるような格好になる。それを無表情に見下ろす青年の顔を、ユウトは噛み付かんばかりに睨みつけた。
「なんで……、あなたがっ!」
青年は何も言わなかった。ただ無感動に、ユウトの顔を見下ろし続ける。このままユウトが殴っても、反撃しないんじゃないかと思った。望み通りにしてやればいい。この男が。こいつが全て奪っていった。こいつのせいで、全てがおかしくなったんだ。
ユウトは腕を振り上げて――そのまま力なく崩れ落ちた。
いったい何をやってるんだろう。
自分は何をしようとした。
荒く息をつきながら、ユウトは地につけた拳を握る。
青年はくるりと背を向けて、少し屈んで何かを拾った。それをユウトに投げてよこす。
「まずはそいつを出してやれ。おまえの仲間だろ」
ユウトははっとして、手元に転がるボールに触れた。一見普通のモンスターボール。しかし僅かに色がくすんでいる。先程あの刈り込み男が撃ったものだ。
こんなに小さなボールの中に。本当に収まってしまったなんて。
急激に不安がこみ上げた。ネネは。ネネは無事なのか。
ユウトはすぐにスイッチを探した。塗り分けられた赤と白の境目。そこに浮き出た丸いボタン。それに触れるとボールが開いて光が飛び出し、ユウトの腕の中で形を戻した。
「ネネ……!」
ネイティ――ネネはぱちぱちと瞬きし、ぶるりと体を震わせてから、そっとユウトの顔を見上げた。表情は一見いつも通りだ。けど、その体がわずかに震えている。ユウトはネネを抱きしめた。
自分が油断していたせいで。自分が戦いに連れ出したせいで。
「ごめん、ネネ……ごめん……!」
ネネの羽毛は温かくて。その熱がとても温かくて。そのあまりに儚げな命を潰してしまわないよう気を付けながら、ユウトは強く抱きしめていた。
◇
「あの男は、どこへ?」
ユウトは頭の包帯に触れながら青年に尋ねた。気を失っていた間に青年が巻いてくれたらしい。そのことにすら気が回っていなかった自分に、ユウトは恥ずかしさを感じる。
「分が悪いとみてトンズラしたよ。今頃外へ逃げてるんじゃないのか」
ユウトから見て、あの刈り込み男は相当な実力者のように思えた。ろくに戦いの経験もない自分の物差しなどあてにならないが、この青年にはそれ以上の力があるということなのか。そんなユウトの考えを察したように、青年は首を振って否定する。
「戦ってたらどっちが勝つかはわからなかったさ。ただ、この場所がもうダメだと察したんだろう。隠れ家は隠れ家でなくなった時点でさっさと放棄が賢明だ。先にワープパネルを押さえられたら、ここに逃げ場はないからな」
確かにここは窓ひとつない通路だが、この施設自体完全にワープ以外の出入り口がないということだろうか。それを考えてユウトはぞっとする。ならば容易に制圧される恐れがあるのは、こちらも同じということではないか。
だが、そんなことは後でいい。それよりもまず、気にしなければならないのは。
「シロとクロはどこですか」
「ほれ」
いともあっさり、青年は二つのボールを取り出した。ネネが捕まっていたのと同じ、くすんだ色のモンスターボール。ユウトは一時当惑し、手を差し出すのをためらった。
「別に何もしちゃいないさ。ただ出してやるのはちょっと待っとけ。大所帯になると動きにくくなる」
そう言ってボールを差し出す青年は、確かに何も企むような顔をしていない。ユウトはそれでも緊張しながら、そっとボールを受けとった。本当にこの中に、シロとクロが。
「どうしてですか」
「おれの目的はそいつらじゃない。この場所を知るために必要だった。それだけさ」
「それだけって――!」
食って掛かろうとするユウトを、青年が片手で押しとどめる。
「悪いが今は問答してる時間がない。手に入れるものだけ手に入れて、さっさとここを出なきゃならない」
そう言って青年は踵を返す。
「おまえはすぐにここを出ろ。長居しても為にならない」
「ツバキを追わなきゃ。この先で見かけませんでしたか」
「いいや。くそ、面倒だな」
青年は少し考えていたが、すぐに小さく舌打ちをする。
「わかった。捜して連れ帰ってやる。だからおまえは先に出ろ」
「そんな! 任せられるわけがない!」
「いいから言う通りにしろ。時間がないって言って――」
そこで青年は言葉を切った。ユウトもすぐに異変に気付く。
足元が固定され、視界が歪む。この感覚は。
「隠しワープパネルだと! くそ、まだこんなもの――」
聞きとれたのはそこまでだった。自分の意志とは無関係に体がぐるりと回る感覚。不快感を感じる間もなく、捻じれた視界から色が消えた。
◆16
「しんっじらんない! あんたらマジで何やってるわけ? 遊びに来てんの? バカだろアホかあ!」
マルーノシティの少女カナミは、大声でふたりに詰め寄っていた。正座したツバキと主婦トレーナーだ。
「あたし仕事してたんですけど! ちゃんと役目優先してさあ、バトりたいの我慢してたのに、あんたらはなんなの? 楽しそうだろあたしも混ぜろお!」
そんな彼女を親友たるプクリンは楽しそうに見ているだけで、おすましポケモンは興味もなさそうに上品な仕草で欠伸をする。
「まあまあカナミ、そんなに怒るとシワができるわよ若いのに」
「うっさいくそばばあ! 誰のせいだあ!」
「あらやだ反抗期?」
なぜだか一緒に正座したハクが、カナミの大声に首を竦める。カビゴンもバクオングも興を削がれたような顔をしており、クゥは彼らに同調したくなる。フタバはツバキにくっついたまま震えていて、ツバキはただただ当惑していた。そのツバキにカナミが詰め寄る。
「だいたいあんたさあ、あたし相手にはあんな情けないバトルしたくせにこの差はなんなの? 代理ジムリーダーじゃ本気出せなかった? ん?」
どうしてここにいるのかとか、他に聞くことはいくらでもあるだろうに。ツバキはそんなことを考えて、この問答から逃れたくなる。というより何よりもまず、確認せねばならないことは。
「あの、カナミ……。この人、だれなの?」
「はあ? この流れでわっかんないかな! フツーに考えてあたしのママでしょ、マルーノジムの本職リーダー!」
「えっ……えええっ!?」
ということは、つまりどういうことだろう。混乱する頭でツバキは必死に考える。ジムリーダーということは悪人ではあるまい。要するに、お互いにお互いをポケモンハンターの一員と勘違いして戦っていたということか。
「驚くなニブチン! あーもうぜんっぜん話進まない! もういい! ほれ!」
そう言ってカナミは、後ろですましているポケモンを指す。ほっそりとした上品なシルエット。黒い宝石のように大きな瞳。耳と首元の赤い飾り毛。先ほど“ねこだまし”で戦いを止めたポケモンだった。
「その子が、どうしたの……?」
「はあ? あんたが捜してるポケモンでしょうが。ついでに助けてやったんだから、感謝してよね」
「え……。あっ、じゃあまさかその子が」
ツバキは目を見開いてそのポケモンを見る。ケットシティで会ったあの人懐っこいエネコたちとはあまりに雰囲気が違っている。けれど確かに、耳の飾り毛などに面影はあるように思えなくもない。そして次の主婦トレーナーの言葉で、完全に確信することになる。
「あら珍しい。色違いのエネコロロねえ」
「……っ! じゃあ、やっぱり! あなたが、あなたがエレンなんだ!」
ぴくん、と。初めてそのポケモンの表情が変わった。
懐かしい名前。その響き。
「エレン! よかった! ホントによかった! おじいさんが心配してるよ! やっと帰れるよエレン!」
少女が繰り返し読んでくれるその名前は、大好きなあの人がつけてくれたもの。優しい声で、そう呼ばれるのが大好きだった。なのにいつの間にか、そんな気持ちを表に出すのが恥ずかしくなって。他の子たちより特別な自分が、甘えてるのがみっともないような気がしてしまって。けど本当は。本当はずっと。
「エレン! エレン、ホントによかった! よかったね、エレン!」
ばかみたいに繰り返す少女が、抱きしめてくれるそのぬくもりに。懐かしいおじいさんが思い出されて。
ずっとこうしてほしかった。ずっと、いつも、甘えたかった――。
「ホント、つくづくしんっじらんない。自分が会ったこともないポケモンを、こんなとこまで探しに来るか。ばかにも程があるっしょあんた」
そう呆れながらも、カナミの表情は優しかった。涙を浮かべて抱きしめ続ける少女の周りに、ぼろぼろになったカイリューが、クチートが、チェリンボが集まる。それに囲まれたエネコロロは、すました態度が嘘だったように表情を崩して。心の底から溢れるような、涙と泣き声を響かせていた。
まるでそれを嗤うかのように。
全員の視界がぐるんと回った。
◇17
「ガッハッハア。やーっぱりてこずっとるようだなあ」
マルーノシティ南部、サウスポート。そのシラナミ地方最大の港からさらに少し沖へ出た海上に、一人の男が浮いていた。
男の足元には、焼き固めた土のような黒い体に多数の赤い目を持つ奇妙な物体が、その頭部をぐるんぐるんと回している。どぐうポケモン、ネンドールだ。
「ガッハッハア。さあーて、そろそろワシが一肌脱いでやらんとなあ」
男の声に応えるように、ネンドールがふわりと高度を上げる。その目が映すは、海面の奥。ぐるんぐるんと回る頭部の全ての瞳に、暗く揺らめく海が映り込む。
「ガッハッハア。固まった盤面は、土台ごと揺すってやるに限る。壊そうって時にゃあ加減は無用だ。始めるぞジロベエ」
男は笑って、どかっとネンドールの頭部に座る。暮れかけた海が、沈み始めた。