第12話 「摩天楼の狙撃手」 (1)

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2014.5.17.投稿

◇1


「やっぱり、なんだか寂しいね」

 それは、ひたひたに雨を溜め込んだ雲から、零れ落ちた雫のようで。
 そんな雫が、ぽつんと落ちてきたように思えて。
 シロは立ち止まり、隣を歩くツバキを見上げた。

 ツバキの顔は曇っていた。明るく眩しい太陽は今、そこにはない。
 そのことがシロには悲しくて。胸がきゅっと縮まるような感覚に襲われる。

 前を歩くクゥも足を止め、少しだけこちらを振り返るのがわかった。
 少しだけ彼の顔を見る。いつもの苛立ちというよりも、もっと複雑で処理しきれない感情を抑えているような表情だった。

 ツバキにとっては、意識しないまま零してしまった呟きだったのだろう。シロたちに見られていることに気付くと、慌てた様子で一歩下がった。

「あ……。え、えっと、違うよ。大丈夫だから」

 それが強がりであることは、すぐにわかって。
 そんな無理をしたような笑顔は、全然ツバキらしくなくて。

「止まっちゃってごめん、さ、行こ。やっとマルーノシティだもん、がんばんなくっちゃ!」

 そうやって胸につっかえるものを振り払うように前を向いて。
 そんなことをして欲しいわけじゃないのに。
 けれどどうすることもできなくて、シロは顔を俯ける。

 アイハの家からマルーノシティへは、未舗装の林道が続いていた。開けた木々の隙間から、透き通るような朝の日差しが注いでいる。まだ少しひんやりと冷たく澄んだ空気が、体の芯まで染み入ってくる。けれど日差しを浴びるとぽかぽかとして、すぐに体を温めてくれる。
 シロの大好きな時間だった。
 けれど今は、それを楽しむ気持ちになれない。

 今ツバキに同行しているのはシロとクゥ、それとチェリンボのフタバだけだ。フタバは昨日出会ってからずっとツバキのことが気になるようで、こうしてついて来てくれた。今もツバキの腕の中で、彼女の顔を見上げている。
 シロにはそんなフタバの気持ちがよくわかった。

 ツバキは、シロにとって太陽だ。
 彼女の笑顔は陽射しのようにぽかぽかとして、彼女の元気は眩しいほどに力をくれる。だからシロはそんなツバキに、自然とひだまりを求めるように、惹き付けられずにいられない。
 けれど一方、ツバキの気持ちが沈んでいると、曇り空のようにそのぬくもりも陰ってしまう。
 昨日からずっと、ツバキはそんな状態だった。

 原因はわかる。
 昨日のユウトとの言い争い。あれ以来ふたりは、ほとんど口を利いていないのだ。

 こんなことが、今までなかったわけではない。
 島で暮らしていた頃は。あの人が一緒にいた頃は。
 ふたりのケンカは、とりわけ珍しいことではなかった。

 思えばむしろ、最近の方がシロにとっては違和感があった。
 それは気にしなければとても些細で、けれど気付いてしまえば見過ごせなかった。

 あの人がいなくなってしまってから。
 ツバキもユウトも、少しずつどこか変わってしまった。
 まるでそれぞれの「今まで」を、知らず知らずに押し込めてしまっているようで。行き場をなくした感情が、迷子になっているようで。
 そして、だからこそ。
 こうなった今のふたりのケンカは、大きな溝を生んでしまう。
 抑え込んでしまうから。それだけ亀裂は深くなる。

 ユウトが気持ちを溜め込んでしまいがちなのは知っていた。そのためにすごく辛そうな、寂しそうな顔をすることがあるのも。
 人間は、話せるから。
 話さないと、ダメなのだ。
 色々なことをいつも考えてしまうから。その度にちゃんと言葉にしないと、心が詰まってしまうのだ。
 シロにはそれが理解できる。理解できるのに。
 なのに、どうすることもできなかった。
 気付いてあげられたはずなのに。
 ふたりが思い詰めてしまうまで、何もしてあげることができなかった。

 ユウトが抱えてきた気持ち。ユウトが溢れさせたもの。
 その言葉には、シロも大きく揺さぶられていた。

 自分の気持ち。自分の考え。
 シロはずっと、それらを意識してこなかった。
 必要ないと思っていた。みんながいるからそれでよかった。
 みんなのことが大好きで。みんなが笑うのが嬉しくて。
 だから、それでいいんだと思っていた。

 シロがユウトを止めたのは、きっとツバキのためではなかった。
 本当はただ、怖かったのだ。
 自分の気持ちが顔を出すのが。
 自分の考えに気が付くことが。

 怖かった。
 本当はすごく怖かった。
 戦うのなんか嫌だった。みんなで仲良くしていたかった。
 傷つくのは嫌だ。傷つけるのだって嫌だ。
 そして、なにより。
 みんなと離れ離れになるかもしれない。
 そう思うのが、怖くて怖くてたまらなかった。

 自分とクロが狙われている。
 ツバキやユウトのもとから離され、どこかへ連れていかれようとしている。
 そんなことが起こり得るんだとわかったとき、全然実感が湧かなかった。
 だけど、あのエネコロロ、エレンが連れ去られてしまうのを見て。
 そうされるのを少しも阻止できなかったことで。
 急に、すごく、怖くなった。

 今度は自分の番かもしれない。
 自分もああなるのかもしれない。
 なんの抵抗もできないまま。
 大好きなみんなのいるところから、引き離されてしまうかもしれない。

 嫌だ。
 怖い。
 そんなの、考えたくもない。
 だったら、そんなことになるくらいなら。

 この旅を否定するつもりはない。今が嫌いな訳でもない。
 自分にないものをたくさん持っているクゥのことは本当にかっこいいと思うし、ネネやハクは新しい妹や弟みたいで可愛い。親切な人にたくさん出会えた。家族と呼んでくれる人もいた。ツバキやユウトに人間の友達だってできた。

 だけど、それでも。
 もう怖い目になんて遭いたくない。
 危険なこともして欲しくない。
 戦うのなんてやめて欲しい。
 誰も、誰も遠くへ行かないで。

 みんなで、あの頃に帰ろうよ。

 気付いてしまった。
 それがどうしようもない、シロの本当の気持ちだった。

 だけど、同時にわかってしまう。
 そんな願いが、叶うことなんてないのだと。

 時間は決して戻らない。
 みんなは前に進み続ける。
 危険も、戦いも、きっと次々やってくる。
 シロにはどうすることもできない。

 わかっている。わかっているから。
 だから自分も、進まなくっちゃいけないんだ。

 そして、こうしている今も。
 新しい町が、近づいている。



◆2


「わ、すごい……!」

 気づいたらそんな言葉が自然と出ていた。ツバキはしばし、呆けたように目の前の光景に心奪われる。

 マルーノシティは、シラナミ地方最大の規模を誇る町だ。
 基本的にはあらゆる事柄で他の地方より遅れをとるのがシラナミ地方の町々だが、このマルーノシティだけは他地方における標準と並ぶ。
 他地方での標準とは即シラナミ地方では頂点だ。人口、流通、普及する技術。あらゆる面でマルーノシティは他の町々と一線を画す。

 そしてその一端は、ここ町の北部でも見ることができた。
 町外れであるここに居てなおツバキの度肝を抜いたのは。

「な、なにあれ! でっかい、なんか四角いのが動いてる!」

 それは、山吹色に全体を塗られた、高さ四メートルほどもある鉄の箱。シラナミ地方ではほとんど目にすることのない、地上を進む「乗り物」だった。
 人間どころか大抵のポケモンのサイズを優に越える巨大物が、ゴトゴト音を立てて悠然と走る。そんな姿は、どんなポケモンに出くわすよりもツバキの常識を飛び越えた。
 そして当然そんなツバキが、その「乗り物」を導く存在を知るはずもなく。そのレールがまさに今、自身の足元にあるなどということには思いもよらず。

「あ、あれ? なんかあれ、こっちに向かってきてるっぽい?」

 そう気付いてもなお、逃げるという選択肢が頭に浮かぶ余裕はなかった。
 危機を察したクゥがとっさにツバキとシロの前に立つ。そして、来るなら来いとばかりに迎撃の構えをとったその時。

 ――ギイイイギギギイイイッ!!

 歯が根っこから抜け落ちるような悪寒を催す轟音と震動が全身をつんざき、ツバキは咄嗟に固く目を閉じてうずくまる。自分が悲鳴をあげたのかどうかもわからなかった。
 音が止み、恐る恐る目を開く。触れられるほどの目と鼻の先に、巨大な鉄壁が迫っていた。さすがのクゥもたまげたようで、地に腰をつけて目を見開いている。シロはツバキにぴったりとくっついてがくがくと震え、フタバに至ってはぐるぐるの目をして失神していた。

「ばっきゃろおお! 嬢ちゃんどこに目えつけてんだ!」

 巨大な箱の側面が開き、濃紺の服を着た髭の男が怒鳴り散らしながら降りてくる。中に人が入ってたなんて。未だ状況を認識しきれない頭で、ツバキはそんなことを考えていた。

「足元の線路が見えねえのか! 危うく轢いちまうとこだろうが!」
「え、あ……せん、ろ?」

 ツバキはぼうっと、言われたように足元を見る。そこには道路に溝ができていて、中を鉄の芯が通っていた。
 呆けたようなツバキの仕草に、男は心配になったらしい。眉を潜めてツバキの顔を覗き込む。

「おい、嬢ちゃん。大丈夫だよな? ぶつかってねえよな? おい、ちゃんと生きてるか?」
「え、っと、う、うん。生きてるよ。元気だよ」

 優しい声音で話しかけられ、ツバキもどうにか返事を返す。気持ちも少し落ち着いてきた。
 その様子を見て、男も安心したらしい。長い顎髭を撫でながらほうっと息をひとつつくと、ぽん、とツバキの頭に手を置いた。

「とにかく、危ねえからそこ退いてくれ。ほら、立てるか?」

 ツバキは男の手をとって立たせてもらい、促されるままに道路の端へ歩いていく。シロとクゥもついてきたが、腕の中のフタバだけは未だ目を回していた。
 男が中に戻ってしばらくすると、巨大な箱が再びゆっくりと動き出す。側面から見ると箱にはたくさんの窓があり、中の人間がみんなこちらを見つめていた。その時になってようやくツバキは、どうやら多くの人に迷惑をかけたらしいということを察する。

「ごめんね! もうしないように気を付けるから!」

 声を張り上げて謝ってみたが、誰もそれに答えてはくれなかった。そうしているうちに、箱は道の向こうへ消えていく。
 まるで夢でも見ていたみたいだ。
 ツバキはきゅっとほっぺたを抓るが、まだ気持ちがふわふわしているせいなのか、大して痛くも感じなかった。

「なんだったんだろ、あれ」
「なにって、ライチュウ電車でしょうが」

 独り言のつもりが唐突に隣から返答があり、ツバキの心臓が飛び跳ねた。咄嗟に足がもつれて転んでしまう。フタバを抱いていたので手をつくこともできず、思い切りお尻を打ってしまった。アスファルトに舗装された道路は硬くて痛い。ちょっと涙目になりながら尻餅をついたまま見上げると、ツバキより少し年上らしい少女が澄ました顔で立っていた。

「なにやってんだか。そんなに転ぶの好きなわけ?」
「好きじゃないよ。びっくりしたよ」
「そりゃ、おどかすつもりだったし」
「おどかすつもりだったんじゃん!」

 転んだ拍子にフタバも目を覚ましたらしい。きょろきょろしているフタバの葉っぱを軽く撫でてやり、ツバキはすっくと立ち上がる。
 並んでみると、少女は背もツバキより高い。はっきりとした目付きをしていて、緩くカールした髪をポニーテールに結わいている。首元から裾までゆったりしたデザインのタートルネックと、対照的なホットパンツと細身のブーツをぴしっと履きこなし、音符をかたどったようなアクセサリーがアクセントを加える。「と、都会の人だ」とツバキは密かに息を飲む。
 少女はその身長差から少し見下ろすようにツバキを見て、よく通る声ではっきりと一言。

「チビねえ、あんた」
「んへっ!?」

 ちょうど身長差のことを考えていただけに、ツバキは咄嗟に変な声を出してしまう。
 島には比べる相手がユウトくらいしかいなかったのでわからなかったが、旅に出てから同世代らしい人間も多く見かけるようになり、自分が小柄な方らしいということはなんとなく気がついていた。けれどそれをあからさまに言われるのはちょっと悔しくて、ツバキは少し強がってみる。

「ち、チビくないよ! そっちがでかいだけじゃんか!」
「あたしはフツー。フツーに並みでニュートラルなのがあたしのウリなの」
「なにそれ、意味わかんないよ!」
「あんた、旅してる子でしょ。この町に来んの初めてなんだ」

 突然話題が変わったのとあっさり事実を言い当てられて、ツバキは目をぱちくりさせる。

「なんでわかるの?」
「電車を知らない田舎者だから。あとなんか色々田舎クサい」
「クサい? どこどこ、クサくないよ!」
「なるほど、チビなうえにものを知らない。なんでこんなのにバッジとられちゃったかなあ」

 ここまで言われてツバキはようやく、どうやらバカにされているのだと気付く。むっとするタイミングも逃してしまって、どんな顔をしたものか困る。普段からユウトやクゥにそういう扱いをされる事はあるが、この少女は彼らより余程手厳しい気がした。澄ました表情を全く変えることもなく、相変わらずツバキを見下ろしている。

「ていうか、今バッジって言った?」
「ツッコミが遅い。なーんか聞いてたよりトロいなあ。まあいいや。ついておいでよ、ちょっと案内したげるからさ」

 そう言うと少女は返事も待たずに歩き出す。
 聞いていたとは何のことだろう。それにどうしてバッジのことを。ツバキはミタキジムでもらったバッジを自分のバッグにつけていたので、それを見ればバッジ所有者であることは一目瞭然ではあるのだが、どうもそれだけでもないように思えた。
 そんなことを考えている間に、少女は振り返りもせずすたすたと歩いて行ってしまう。こちらのペースなどお構いなしだが、少女に気になる点が多いのは確かだ。何よりついて来いと言われて、黙って無視するのは気が引ける。
 ツバキはシロ、クゥ、フタバと順に顔を見合わせてから、急いで少女のあとに続いた。

 少し歩くと、道の真ん中に道路を切り取って持ち上げたような長い台があり、そこに隣接するように先程の巨大な箱が停まっていた。台には細い柱と屋根があり、備え付けられた鳥ポケモンを模したスピーカーから聞き覚えのある陽気なメロディが鳴り響く。途端に少女は「ヤバっ」と言って駆け出した。

「えっ、ちょっと待ってよ、どこ行くの?」
「黙って走る! 乗り遅れるよ!」

 ツバキは訳がわからないまま、言われるままに少女に続く。そして間も無く、ガタンと大きな音を立てて箱がするりと動き出す。コータスのようにゆっくりだったその動きは、徐々に離れながらスピードを増す。

「あーりゃりゃ、しょーがないなあ!」

 走りながら少女は、腰のポーチからモンスターボールを取り出した。上半分が青く塗られて、二本のラインが入っている。ホクトやアズミ、リュウコが使っていたモンスターボールも、確か同じデザインだった。その意味を考える暇はなかった。

「ププ、おもっきし膨れて!」

 そんな掛け声と共に高く投げられたボールから飛び出す、薄桃色の大きなポケモン。いや、大きいのはどうやら元々ではないらしい。ぷくっと息を吸い込んで、みるみるうちに膨らんでいく。そしてふわりと手頃な高さに降りてくる。

「乗って!」
「え、乗るって、でも」
「つべこべ言わない! 置いてくよ!」

 そう言うと少女は桃色の風船に勢いよく飛び乗る。どうやら少々乱暴に扱っても大丈夫らしい。ツバキは少し安心すると、乗ると言うよりしがみつくようにフタバを抱いたまま飛び付いた。シロもするんと飛び移り、最後にクゥが風船の足らしき部分を掴む。それらを少女は横目で確認、すぐに前を向いて指示を飛ばす。

「ププ、発進!」

 その後のことを、ツバキははっきり覚えていない。突然凄まじい圧力を感じて、体が宙へ投げ出されていた。ただただ必死でしがみついていた柔らかくてきめ細かい風船の握り心地だけを、妙にはっきりと認識していた。

「わ あ あ あ あ あ あ ー !!」
「うるさい! 舌噛み切るよ!」

 そんな言葉で混乱した感情が一気に恐怖に塗り替えられて、けれど叫びを押さえることはできなかった。そして、そんな声も枯れかけ喉がカラカラになった頃。

「はい、とーちゃっく!」

 弾むような衝撃に風船を手放して落ちた先は、つるつると固い床の上だった。床だと認識できたのは、周囲に座る人々の姿がぼんやりとでも見えたからだ。そうでなければ脳みそごと視界がぐるぐるしていて、上も下もわからなかった。
 どうやら床は動いているらしく、一定のリズムでガタンゴトンと振動している。

「ドア開けてくれてありがとー、運ちゃん!」
「バカ言え! その乗り方やめろっていつも言ってんだろーがカナミぃ!!」
「待っててくんない運ちゃんが悪い! っと、あんただいじょぶ?」

 ようやく定まり始めた視界に、少女の顔が覗き込んでくる。その澄ましたままの顔が今では、天使か悪魔の王にも見えた。

「らいりょーぶりゃ、らいよお……」

 とんでもない人物について来てしまったらしいと、ようやく認識できたツバキだった。


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