67話:⑧~我は求める~

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 立派な応接室に案内され、「ここでお待ちください」といわれたのはもう一時間ほども前。
 連れてきたクウとルカは玄関前で待ってもらっている。

(さぞかし気をもんでいるだろうな……)

 悪いことをしたな、と反省する。後先考えずに飛び出て迷惑をかけてしまった。

 四人は並んで座れる皮ばりのソファーで軽く首をのけぞらせる。そのまま薄目を開け、天井の隅を見る。
 目立たないように配慮してあるが、監視カメラが実に二つ。

(――さて、どうしようか)

 ポケモン協会シダケ支部の中、シェーリは何度目になるかわからない自問をした。



  *   *   *



「…………遅い」
「遅いわね」

 珍しくも檻の中のリングマのごとく協会の玄関のわきを歩き回るのはクウ。それを眼球の動きだけで追っているのはルカ。彼らは、シェーリに「ここで待っていてくれ」といわれて一時間、律義にそれを守っていた。

「シェーリ、いったい何しに来たのかしら?」
「先日の報酬を得るためだと思っていたが?」

 過日、ホウエン地方のあちこちを襲ったアクア団に対し、協会は連絡のつくチームすべてに依頼をした。その時の報酬がまだだ。あの事件の後、シェーリは指定されなかった報酬の中身を決めてもいいかとチーム全員に承諾を得ている。だからてっきりその件だろうと思ったのだが。

「一時間だぞ? いったい何を言ったんだ?」
「さあ……。シェーリの考えはさっぱりだから」

 実は言うどころかまだ顔を合わせてもいないのだが、それをこの二人が知ったら怒るを通り越して脱力すること請け合いだ。中のシェーリと通信する手段がないことは、彼らにとって幸運といえた。



  *   *   *



 勝手にボールから出てきたクインがくわあっと伸びをし、前足で顔をこする。そのままシェーリの足元で丸くなった。全く、どこでも昼寝する相棒だ。
 一方で部屋の中をうろうろとしていたイヴが扉を見た。ぱちぱちと瞬きをし、さっとシェーリの横に飛び上がる。シェーリは閉じていた眼をうっすらと開けた。その時、扉をノックする音がした。
 返事をしないでいると、数秒後ガチャリとノブが回る。クインが目をパッチリと開けて頭をもたげた。シェーリは億劫そうにだが、立ち上がって相手を迎える。――かと思いきや、相手を見て真っ先に文句を言った。

「遅すぎる。ここでは尋ねてきた客を何も告げずに監視するのが礼儀か?」

 部屋に入ってきた老年にさしかかった男性と妙齢の女性は面食らったように瞬きをした。月の女神のような美貌で、出てくる言葉は辛辣(しんらつ)極まりない。かつて多くのものたちが戸惑ったギャップに彼らもつかの間苦しんだらしい。
 きちんとスーツを着込んだ男性の方が先に気を取り直し、一つせきをした。

「おほん。……そのことについては申し訳なく思っておる。しかし、約束もせずいきなり訪ねてこられたのはそちらだぞ」
「だから監視か? こちらにも非はあるが、それが監視していてもいい理由にはならないだろう」

 もっともである。
 旗色悪しと見たのか、ぐっと詰まった男性の横で女性がお辞儀をした。

「こんにちは、フィリアルの“月光”。私はエイナ、こちらはロウ。どうぞよろしくお願いします。それで、用事とは?」
「その前に一つ。ここでしゃべったことは、どういう方法にせよ、間違いなく協会理事会まで伝わるんだろうな」

 二人は目を見張った。
 一度も協会に足を踏み入れていないのにもかかわらず、迷いもせず自分たちを理事会ではないと断定したことに対する驚きが一つ。「どういう方法にせよ」と、盗聴に気づいているぞとくぎを刺されたことに対する驚きが一つ。そして何よりそれを言う彼女のあまりの無造作さに驚いた。まるで、そんなことは日常茶飯事だったと言わんばかりに。

 とりあえず席につく。対処に迷うロウの横で、好奇心いっぱいにエイナが身を乗り出した。

「どうして私たちが理事会でないと気づいたのです?」
「そんなことが気になるのか?」
「大いに。できれば今後の参考にしたいですね」

 シェーリは肩をすくめた。言ってもわからないとは思うが……。

「クインが起きた」

 案の定、二人は首をひねった。

「あなたたちは理事会などという口仕事をする人たちじゃない。もっと日常的にポケモンに触れ、その力を借りるトレーナーかエージェントだ。その気配を感じて警戒したクインは起きた。だからあなたたちは理事会のメンバーではないと思った。以上、証明終わり。本題に入ってもいいか」

 炯々と自分たちを見つめるクインの目に二人は大いに納得する。ポケモンの勘は人のそれよりはるかに鋭い。この少女はそれを知って頼りにしているわけだ。

「かまいませんよ。察するに、先日の協会依頼の報酬を指定しに来たのでしょう?」
「ああ」
「なんだね? 言ってみなさい」

 シェーリは少し間を置いた。
 ゆっくりと二人の顔を見る。そして、どこかから自分たちを見、話を聞いている人を意識して、ことさらにはっきりと言う。

「フィリアルが望むのは……」

 この体を流れる血の源。すべてを狂わせ、道を作る原因となったこの力。
 求めるものはただ一つ。

「フィリアルが望むのは、知識。――協会が誇る知識の宮、禁架書庫への立ち入り許可だ」







「……いいでしょう」

 どれほどの時間がたってか、不意にエイナが言った。つややかに微笑み、すらすらと続ける。どうやら二人のうち、女性の方が地位的に高いらしい。

「現フィリアルメンバー七人に協会禁架書庫への立ち入りを許可します。この権利は永久的なものとし、協会が定める掟に手ひどく反しない限り、剥奪されることはありません。――これでいいのですか?」
「十分すぎる。礼を言う、……」

 相手の名を呼ぼうとして詰まった。彼女の所属を知らない。
 察したエイナはくすりと笑った。視線をさまよわせるところなどは年相応で微笑ましい。

「アソックです。協会直属エージェント、戦闘部門副部長」
「――礼を言う、アソックのエイナ。ついでに尋ねるが、〈秘密の部屋〉とうわさされる場所について知っているか?」

 意外そうに目を見張る。ロウと顔を見合わせたエイナは困ったように笑った。

「さあ、どうしましょう。知りません、とは言えないし、知っています、とも言えない。一つ言えるとすれば、その部屋は開くべき時に開き、受け入れるべきものを受け入れる。“原初”の意思を継ぐ者を」

 資格があるのだとすれば、これだけ聞けば分かるはず――。そう言われ、シェーリは全く顔色を変えずに頭を下げた。用事は終わったとばかりに部屋から出ていく。二人を背にした顔には深慮が浮かんでいた。

(“原初”……始祖。調停者、か。やはり、そこか……)

 早足で最も近い出口に向かう。その間にポケギアを取り出した。部屋の中は圏外だったが、廊下では使える。

「クウか?」
[シェーリ? いったい何をしていたんだ?]
「少し交渉を。大丈夫、無事に終わった。悪いんだが、行くところができた。数日戻らないと思う。一日一回は連絡を入れるから、みんなによろしく言っておいてくれ」

 こんな青天の霹靂(へきれき)ともいうべきことを一方的に言われようが、さすがにクウは冷静だった。数秒かけて問題点を洗い出し、それに見合った質問を考える。

[…………ちょっと待てシェーリ。とりあえず事情を聞かせろ。どこに行くんだ?]
「ミナモシティポケモン協会ホウエン本部地下の禁架書庫。出入りの許可が下りたんだ」

 それを聞いて諒解する。彼女は確かめに行こうとしているのだ。自分たちの源流を。

[……。わかった。今回は行かない。だけど一日一回、連絡は絶対に忘れるなよ。忘れたら飛んでいくからな]
「ああ。――ありがとう」

 頼もしい仲間の声に顔がほころぶ。シェーリはトトに飛び乗った。



  



「行っちゃったの?」
「ああ。戻るか」

 ポケギアをポケットにしまって歩き出す。とんだ待ちぼうけを食らったわけだが、今の説明で納得できた。

 ため息とともに口に出す。

「私たちは保険だったのね……」

 万が一、“月光のディアナ”の名でも禁架書庫の立ち入りを許可されなかった時の保険。

 クウの負う“双碧”、ルカの負う“紅蓮”は、協会が最上位と定める十色の中の二つだ。ほかには“黒”、“銀”、“金色”、“白”、“翠嵐”、“紫紺”、“玄冥”、“灰燼”。開祖のエージェント、調停者にちなんだ通り名であり、現在は“玄冥”、“灰燼”を除く八つがエージェントとして登録されている。彼らの名を使えば、表の意味でも裏の意味でも禁架書庫の立ち入りを許可されるだろう。

「あーあ、でも役に立たなかったわねえ」
「今回の件でも、な。なんだか不完全燃焼気味だ」
「クウはいいわよ、力使ってないもの。私は疲れたわー。力を使う依頼はなくていいわ」
「依頼の前に、ほんっといい加減ピカチュウたちを送り届けないと。あのまま居着いちまうぞ」
「あ、忘れてた。そうね、それがあったわ」

 などと実に平和な会話を交わしつつ、二人は家へと帰って行った。



  *   *   *



 ペックを見せて首尾よく禁架書庫の中へと入ったシェーリは、その規模に唖然とした。
 天井は約十メートル、そこに至るまでぎっしりと詰め込まれた本の壁。三十メートル四方ほどの部屋がでん、でん、でんと続いている。しかもこれと同じような階があと三階はあるという。――認めよう。侮っていた。

(これは、まじめに数週間かかるかもしれない……)

 それは避けたい。

 気を取り直したシェーリはとりあえず歩き出した。〈秘密の部屋〉というからには、どこかに仕掛けがあるのだろう。体で空間を覚えれば、おのずとおかしな部分は知れる。
 人気のない通路をうろうろと往復する。部屋の中にも入り、興味深げに本の背を眺める。時々壁にさわったり、リノリウムの床にさわったりする。

 しかし初日は全く成果は得られなかった。

 次の日は、頭の中の地図に従って歩く。どこかに余剰な空間はないか。部屋に配置におかしなところがないか。
 しかし、この日も何の収穫もなく終わった。いや、収穫はあるにはあった。どこにもおかしな空間はないという収穫だ。シェーリは首をひねった。

 三日目、てくてくと歩いていたシェーリは行き止まりで立ち止まる。――その時、ふと、違和感に気づいた。
 くるりと振り向く。左右を見、柳眉を寄せて一つ横の通路に入る。一番奥まで行き、同じように振り向く。

 シェーリは確信した。

(隣の通路の奥、あそこだけ完璧な死角になっている)

 禁架書庫には貴重な本が多い。どうにかしてその本を持ち出そうとする不届きものも多い。
 だから本を保護するため、通路にはアリの這い出る隙もないほどの徹底した監視網が敷かれている。――けれど、シェーリが偶然入り込んだ通路の奥はごくごく一部、全くカメラの目が行き届いていない死角になっている。

 やっと見つけたかもしれない手がかりだ。シェーリは急いで道を戻った。

 カメラの視界を注意深く確かめながら進む。一番奥の棚にはまとまりのない本が雑然と並べられていた。それらにざっと目を通す。

(角度からして……死角になっているのは、下の二段)

 本を取り出してみようとしたところで手が止まった。
 しかし待てよ? もしもここに何かしらの仕掛けがあるのだとしたら、それを探す人間の怪しい行動の方は監視カメラから丸見えだ。通路が開いたとしてもはっきりととらえられることになる。そんなお粗末なことがあるだろうか。

(通路じゃ……ない?)

 ヒントか。
 考えられるのは通路に振り分けられた記号。シェーリは迷わずアルファベットと数字で始まる題名を確かめた。七個の記号を暗記して立ち上がる。――あとはしらみつぶしだ。

「合っていてくれよ……」

 記号を頭の中で並べ替えながら、シェーリはその場所に向け歩き出した。







 シェーリの考えは当たっていた。六か所目に確かめた場所は、監視カメラの死角になっていた。しかも人間からもほぼ完璧に隠れられる位置だ。ここに何かあるはずだとシェーリは視線をめぐらせる。
 目が、吸い寄せられるように一冊の本に留まった。
 暗い赤の装丁(そうてい)に金の装飾文字。別段珍しくもない背表紙だ。しかしシェーリの視線は動かなかった。

 「ゼーナ」だった。

 あまりのわかりやすさに苦笑する。なるほど、知る者が見れば一発でわかる目印だ。

 開くと、ページの間に紙が挟まっていた。まだ新しい。二十年もたってないだろう。自分たちにまつわる知識を求めるものがこんな最近にもいたのかと意外に思う。口伝はいったい何度途絶えたのだろう。

 書かれた文字に注目する。古代文字、しかも最も解読が難しいとされる飾り文字の暗号だったが、シェーリの敵ではない。読み取った指示に首をかしげるが、おとなしく本を棚に戻し、床に手をつく。

(これで何も起こらなかったらお笑いだな……)

 突拍子もない指示にそう思いつつ、彼女はざっと字を追い、ささやいた。

「……〈我、初代奏人の血を引くもの。彼女の遺志に従うべくここに失われし歴史を求める。我に託された祈り、我に具現する力、そして我を守る虹の翼のもとにこの願いを正当なものとする〉」

 それを唱えきった瞬間だった。

 手をついた床が突然輝きを放つ。目を見張る、その間に光は幾何(きか)学的な模様を描き出す。飛びのこうとしたときにはすでに真円が完成し、シェーリを閉じ込めていた。

(これは、いったい――!)

 考える間もなく、光がシェーリを包み込んだ。

 瞬きの間に光は通路から消え去った。
 そしてその時には、すでに、シェーリの姿は協会本部の建物のどこにもなかった。



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