思うのだ。
知らぬ音が満ちる闇の中。
親から引き離された子どもがいたとしたなら。
きっと怖いだろう。
きっと寂しいだろう。
きっと泣きたいだろう。
だから。
早くそこを見つけ出し、連れ出して。
「大丈夫だよ」と、言ってあげたいと、思うのだ。
* * *
パチパチパチ、と小枝が弾ける音が夜陰を震わせる。
合流したフィリアルと、ゼーナを名乗った二人は、いまだに森の中にいた。
「なーるほど。そういういきさつね」
腹の虫がおさまらないシェーリの代わり、フィリアルからかわるがわる説明を受け、ゼクスは納得の声を上げた。いささか浅慮が過ぎるが、そういう手がかりがあったのなら森狩り、という恐ろしく非効率的な手段に走るのも、まあ分からないことはない。
「ジェイド・ラインが出てるからまさかって思ったらなあ……。うちに重複しかける勇者がいたとは」
「まだどちらの重複か決まったわけじゃないだろう」
依頼の重複、と一口に言っても、その種類は二つある。
一つは複数の依頼人から複数、ないし単数のチームへの、純然たる偶然によって起こったとき。そしてもう一つは一人の依頼人から複数のチームへの、いわば悪意が伴う必然の時。
そして前者であればチーム同士功を取り合い、最悪の場合依頼を失敗するということがあり、後者は依頼人が何か情報を隠している、というケースが多く、依頼を受けたチームに危険が発生することがあり、その二つを見極めるためにこの時ばかりは守秘義務が適応されない。
「同盟神風、ということは、ハイフォンもこの件に絡んでいるの……ですか?」
「敬語はいらないよ。この依頼はハイフォンからうちに回ってきたものなんだ。ほんとはノワールの管轄なんだろうが、すぐには動けないらしくてな。かといって、うちも休止状態、急を要する依頼なのにバックアップがいないのは困る。ってことで変則的だけど、依頼を回したハイフォンからバックアップ要員を二人、借りているんだ」
同盟はチーム同士が合同で一つの依頼を果たすとき、組まれるものだ。それぞれのチームの象徴たる一字を取ってその名前とする。ゼーナは神、ハイフォンは風、ということで、同盟神風と言われればゼーナとハイフォンの同盟だとわかる、というわけだ。
ちなみにこれとは異なるチーム同士の共同体として「連合」というものもあるのだが、これはまた別の話である。
「で。肝心の依頼主についてなんだが――」
ゼクスはシェーリを見た。シェーリは答えた。
「忘れた」
一瞬、誰からも反応がなかった。
「……はああ?」
ゼクスは思いっきりうろんな表情でうろんな声を上げる。その前でウィルゼがため息をついた。
「シェーリはさ、とことん他人に興味がないわけ。だから十分もすれば顔なんか忘れてる。
ええっと、依頼人は身長は俺と同じくらい。小太り、三~四十歳、茶の髪で黒目。どう?」
一切動揺を見せなかったルーラーが、実に物騒な笑みを浮かべた。
「間違いないな、同じやつだ。ゼーナにけんかを売ったらどうなるか、存分に思い知らせてやろう」
* * *
夜に森を移動するのは無謀だということで野宿を決めて、数刻。
目が冴えたまま、眠ることを諦めたシェーリは、火に小枝を投げ込んだ。
水気のない枯れた枝はおもしろいほどによく燃える。シェーリはそれをじっと見ているように見えるが、実際に目に映っているのはその奥の闇だった。
いくつかの場面が闇の中に去来する。
――――ふーん。スガルがそんなことをな。
――――まああり得るな。“ゼーナ”の原義、知っているか?
(……これは、幸か)
それとも、不幸なのか。
「眠らねぇの?」
物思いを破られ、シェーリは視線を滑らせた。いつの間にか起きあがっていたシンがくわあと大きなあくびをし、寝ぼけ眼で頭をもたげたカンジュの額を撫でる。
「火の番なら代わるぜ。明日のために少しでも眠っとけよ」
気遣いに、シェーリは静かに首を振った。
「こういうときは、いやな夢を見る。……起きていた方が、いい」
「いやな夢? どんなものか、聞いてもいいか?」
シェーリは火に視線を戻す。揺れる灯りが緑色の瞳を暗く見せ。
「……昔、大怪我を負ったときの夢だ」
シェーリとウィルゼの因縁を知らないシンはその言葉を額面通りに受け取った。
「ああ、なるほど、そりゃいやだな。でもシェーリ、自覚しろ。お前疲れてるぞ」
断言され、問いかけの目を向ける。シンの雰囲気がふと楽しむものに変わり、ひょいとシェーリの向こうを指さす。
振り向いて、さっと顔色を変える。
寝ていたはずのウィルゼとティアルの姿が、きれいさっぱりなくなっていた。
「何ですぐに……!」
「しー、しー、しーっ! 行き先は分かってるよ」
気付けばトールとルカも身を起こしている。どれだけ注意が散漫していたんだ、と狼狽したシェーリに、軽く笑いかけて言う。
「どーせお前も同じこと考えてたんだろ?」
* * *
シェーリたちから少し離れ休んでいたルーラーはがさごそと移動する音に目を覚ました。目を閉じたまま、そばにいる相棒の気配を探る。――うん、起きている。
それを確認して、今度は近づいてくる相手を探る。鍛えられたエージェントではあり得ないほど音をたてているが、足取り自体に迷いはない。歩幅や音の間隔から特徴を割り出さずとも誰だかすぐに分かった。近くまで来て、今更迷うように止まった足跡の主に呼びかける。
「用があるならおいで、麗石。ないのなら戻って、寝かしてくれ」
なおも間を置き、きまり悪そうにティアルが現れた。
「あ、の、お尋ねしたいことがあって……」
「うん。とりあえず座りな。ゼクス、火」
ゼクスが枕にしていたウインディが小さな火を吐く。燃えさしに上手に移してちゃんとしたたき火にし、ついでにルーラーは自分の毛布をティアルに掛けてやった。
「来ると思ってた。白文の遺言か?」
「……いいえ。父は何も……言い残しませんでした」
少し驚いたように顔を見合わせる。なら、どうして。
ルーラーはふと視線をずらした。ティアルの後ろ、無言で無音の戦いが繰り広げられている闇に目をやって、戻す。
「麗石。君が誰だか、君の仲間は知っているのか?」
「知っています」
短く肯定だけする。余計なことを教える必要はない。
「……ふん。じゃあ麗石。白文からでないのなら、君は一体誰から手がかりを得たんだ? それとも“ゼーナ”を冠するなら知っていると踏んだのか」
「いいえ、北斗のスガルさんから聞かされました」
「ああ、スガルか、なるほど」
「そうか、レオは四強を担ったことがあるからあいつは知っているんだ」
そういう彼らは、四強を担ったことがないのに知っているようである。
ルーラーはほどいていた髪をいじった。ゼクスを見ると、説明事はそっちといわんばかりに肩をすくめられる。期待に目を揺らすティアルを見下ろし、いやな役回りにため息をついた。
「期待させて悪いが、私たちはここで君に全てを教えるわけにはいかないんだ」
「なぜです? 愛人に伝わるべき口伝が途絶えているのなら、それを伝えるのが誰でも問題はありませんよね?」
ついつい高くなる声に苦笑し、少し落ち着くようにジェスチャーする。
「それは、然り。一つの事実は百の真実の中でも変わりようがない。だけど、君の存在は今現在、私たちの計画の中にないんだ」
「計画……?」
うなずく。ティアルを見つめるその目は、怖いほど真剣だった。事実を教えられぬ、その代わりに、彼らはティアルを一人の調停者として扱おうとしていた。
「そう。十年以上前からゼーナは――いや、私たちの仲間は、ある計画を進めている。つなわたりのような部分もあり、命をかけているものもいる計画だ。そこに、調停者愛人という、海のものとも山のものともつかない不確定要素を増やしたくないんだ」
その存在が、一体どこに転ぶのか。
分からない以上、舞台に上げるわけにはいかない。
ティアルはうつむき、目を閉じた。ルーラーはそっとささやく。
「すでに賽(さい)は投げられている。中断も再考の余地もない。……こちらの勝手な都合だ、怒ってもかまわない。しかし君がどんなに怒ろうが、私たちは君に、手がかりの一部しか示せない」
火が不安定な影を森に投げかける。しばらく木が弾ける音だけ続き。
「それでいいです。……教えてください」
二人は明らかにほっとして息をついた。「よし」と語りを任せていたゼクスが尋ねる。
「スガルから情報をもらったんだったな。他に言っていたか?」
「えと、ジルコニウムと協会の禁架書庫にもしかしたら、と」
「あー、ジルコンはだめだめ。あっこも今は俺達と同じ反応だよ。禁架書庫なら……まあ、ある程度は調べられる、か?」
「表のことならな。裏のことを知りたいのなら……」
顔を見合わせ、はかったように同時に。
『秘密の部屋』
「……何です、それ?」
「や、ただの噂なんだけど」
曰く、禁架書庫の中にさらに隠された部屋があるとか。
「ヴェルの言っていたことだから多少の信憑性はあるだろ。見つけられたらの話だけどな。見つけられなくてもある意図がありゃあ、表の本でもいろいろ分かるだろ」
「さ、これで全部だ。もうお帰り。明日のこともあるし……仲間たちもきっと心配している」
言いながら意味ありげに目を走らせる。気配はすでになく、ルーラーは分からない程度に苦笑を閃かせた。
ティアルが去ったあと、ルーラーはやれやれと横になった。とんだお客さんだった。
眠ろうと閉じた目の裏にふっとよぎる面影は、尊敬し信頼する先達。それが今日見たばかりの少女の顔に重なり、ルーラーは瞠目して身を起こした。
銀髪。碧眼。マグマ団に囚われていた、月光の落とし子――。
「……ま、さか」
震える声音は、決して寒さによるものではない。
「まさか……!?」
「落ち着け、ルーラー。あの子たちが不審に思う」
冷静な声が黒瞳にさざ波を立てた。
「“月光”は違う。〈月光〉じゃ、ない。年齢が違うし……あの子の左目は、緑だ」
「ああ……ああ、そうだな。すまない、混乱した」
「いや。俺も疑った。……似ている」
会ったころの、あいつらに。
ゼクスはふっと息をはいた。昔、昔、まだ何も知らぬ、何もわからぬ時の忌まわしい記憶。そのおぞましさを切り裂いたのは、大地を照らす太陽と、光を導く曙(あけぼの)の瞳。
――――……もう大丈夫よ。私たちが来たからね……
泣くことも出来ずにただ震えていた彼を抱き上げた手はどこまでも優しく、温かく。
その言葉より何よりも、「もう大丈夫」だと教えてくれたのだ。
友人に「あらすじ、下手だね……」と言われました。
……うるさーい、自覚してるわそのくらい! えーいこれでどうだ! という勢いで書き直し。多少はあらすじっぽくなったでしょうか。