旅立ち

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作者:空風 灰戸
読了時間目安:25分
「おれ旅に出ることにしたから」

 僕と彼女は彼の宣言を突然聞かされた。

 卒業間近になった頃だった。僕らは進学する事も決まり、これまで通り一緒に――と思っていた矢先の宣言に唖然としてしまった。

「冗談だろ?」

 僕はそう言うのが精一杯だった。

「冗談じゃない。入学前に旅立つことになった」

 言葉が続かなかった。カンが旅立つということの驚きはそうだが、一番驚いたのは、彼が旅立ってしまうことだった。イッシュ地方では、十歳になった人は旅立つことが許される。だから、僕らの友達で旅だった人もいたけれど、僕らの中にはいなかった。それは、大なり小なり理由があったからで、僕もそうだった。

 いつかは旅立ち、この世界のいろんなところを見てみたい――。そう思うものの、旅立てなかった。

 そう思っている矢先、カンが旅立つという宣言を聞かされ、羨ましくも悔しくもあった。

 でも、僕の心の中には、そう思わない気持もなくはない。

「出発日はいつなの?」

 気づくと、僕の隣にいた彼女はそう尋ねていた。

「卒業式の次の日だよ」

 カンはそう答え、少しニヤッとした。

「しばらく会えなくなっちゃうな、ユウコにもハルキにも」

「そうね、カンくんがいなくなっちゃうと寂しくなるなあ」

 とユウコは微笑しながら言う。

「長い間会えなくなると思うけど、お前も寂しいだろう」

 僕は言ってやった。

「チョロも寂しくなるね」

 寂しそうな鳴き声が、ユウコの胸元から響く。

 チョロと呼ばれたのは、彼女が抱えているチョロネコのことだ。このチョロネコは、野生なものの、僕らがこうして遊ぶときによくやってくるポケモンで、次第に仲良くなったポケモンだ。

「お前のトレーナーみたいなのには絶対にならないようにしないとな」

 とカンは言った。

「そんなの言語道断だよ!」

 ユウコは力強く言い放ったものの、僕らは神妙に頷いた。

 二年ぐらい前のある日、カンが風邪を引いた為、僕達は見舞いに行った。その帰り道にあったゴミ捨て場で、僕達がチョロを発見した。チョロはひどく傷ついており、袋からこぼれ出ていた生ゴミの下敷きになって倒れていた。

 僕達はチョロを助け出し、ポケモンセンターに運んだのだが、その時に治療してくれた女医さんは、チョロにトレーナーがいたのではないかと言っていた。

 チョロは「ゆめくい」と呼ばれるわざを覚えており、このわざは通常覚えることができず、わざマシンと呼ばれる道具を使用して覚えることができるらしい。わざマシンは人間が使わないと、現実問題使えないらしく、チョロが誤って覚えたということもないという。

 その後、チョロのトレーナーを探したものの、結果として現れず、こうしてチョロは野生に返された。

 本当にトレーナーがいたかはわからない。けれど、トレーナーがいたのなら、ポケモンをゴミ捨て場に捨てるようなトレーナーになりたいくない、と僕らはずっと考えていた。



 桜はまだ八分咲きで、そろそろ満開になろうとしている。初心者のトレーナーが旅立つ状態としては最高だと思った。八分咲きならば、まだ成長する余地がある。

 僕らは、カンの旅立ちを見送るために、この場所で待ち合わせをしていた。

 町の外れにある一本だけ佇むこの桜の木は、道路から数段階段を登った山になっているところにある。決してこの町の名物という桜ではないが、僕らはこの木のある近くに住んでいることもあり、この場所を待ち合わせの場所として使っていた。

「よう」

 ショルダーバッグを身につけ、帽子をかぶっている標準的な旅の装いをしたカンがやってきた。普段と違う身なりに少々笑いが溢れる。

「なんだよ」

 カンはむっとしたようだ。

「ごめんごめん、あまり見ない格好だからさ」

 カンは帽子を脱ぎ、手に持った。

「ユウコはまだか?」

「そろそろ来るんじゃないかな」

 僕は時計を見ながら言う。

「ユウコはいつも約束の時間ぴったりに来るからな」

「そうだな、なら、早いうちにお前に言っておきたことがある」

「な、なんだよ」

 僕は一瞬戸惑い言う。

「おれはもうしばらくこの町に戻ることはないだろう。だから、おれがこの町に残したものはお前が守ってくれ」

「どういうこと?」

 僕はよく意味がわからなかった。

「だから――」

 と、そのとき、声が聞こえた。僕はカンを避けるように道路側に顔を向けると、走ってくるユウコの姿があった。ユウコは一瞬姿を消し、すぐに僕とカンのところへやってきた。

「ちょっと遅くなっちゃった?」

 息を切らせながら彼女は言った。

「時間ぴったし」

 と僕は時計を見て手をかざし言う。

「問題なし」

「何も走ってこなくてよかったのに。おれが時間通りに出るわけじゃないんだから」

「そうだけど、やっぱり時間通りに出発して欲しいじゃん! はい、これ」――とユウコは手に持っていたラッピングされた化粧箱サイズのものをカンの前に差し出す――「よかったら、これ使って」

 ありがとうと返しながら、カンは包みを受け取った。包みを開けると、黒いリストバンドが入っていた。

「おお、リストバンドか」

 カンはそう言いながら、腕にはめる。

「ありがとう、ユウコ。これで力が出るよ」

「旅、楽しんできてね!」

「いろいろ大変なことがあるかもしれないけど、頑張れよ」

 と僕は言った。

「ありがとうな、二人とも。それじゃ、おれは行くわ。元気でな」

 彼は僕達に背を向け、歩き出した。

「あ、そうだ、ハルキ」

 と、カンは振り向き、手振りで僕を呼ぶ。僕は彼のもとへ行くと、急にヘッドロックをされた。

「いてえよ!」

「ユウコをよろしくな」

 カンは僕の耳元でそう言うと、僕を地面に落とし、旅路についた。左手を上げながら。





「まだこないか」

 僕は時計を見ながらつぶやく。ちょうど約束の時間だった。

 卒業してからドタバタしてしまい、ユウコと会う機会がなかった。それに伴い、チョロのところへ行く機会も減ってしまったので、久しぶりに会ってチョロのところへ行こうという約束をして、この桜の木の下でユウコを待っていた。

 ひらひらと花びらが落ちてきて、僕の時計の上に乗った。見上げると、太陽の光で輝く桜は満開だった。

 ――カンは順調に旅を続けてるだろうか。

 ふっと、カンのことを思いだす。カンが旅だった日もこんな太陽の輝く日だった――。



「ハ……く……、ハルくん!」

 僕を呼ぶ声がした。ゆっくり目を開くと、映ったのはユウコの心配そうな顔だったが、すぐに嬉しそうな顔に変わった。

「あ、気づいた。大丈夫、ハルくん?」

「うん」

 ユウコが僕の上からどくと、太陽が眩しい。僕は起き上がる。どうやら眠ってしまっていたらしい。

 時計を見て手をかざした。約束の時間から三十分を過ぎていた。

「遅かったね」

 と僕は言った。

「何かしてたの?」

「ごめん!」――彼女は両手を合わせて謝る――「いろいろバタバタしてて……」

「お互いに最近バタバタしてるもんな」

 と僕はフォローする。

「うん……ハルくんも疲れてるんでしょ? 来てみたら寝てたからびっくりしちゃったよ」

 彼女は少し微笑み、えくぼが見えた。

 僕達はチョロがよくいる場所へ歩き出した。僕はこの会えなかった期間にあった、卒業後の打ち上げのことや親戚への進路報告などのお決まりの行事から、その際にあった珍事件などを話した。ユウコは楽しそうにその話を聞いてくれて、僕は嬉しかった。

 その話をしながら、僕達はチョロを探す。チョロがよく昼寝をしている木やよく友達のポケモンと遊んでいる路地等、チョロがいそうな場所をを歩きまわったのだけど見つからなかった。

 そのうち、ユウコの提案で僕らがよく遊んでいた空き地で待つことにした。ここにはチョロも時々顔を見せていたから、もしかしたら来るかもしれない。

「にしてもいい天気だなあ、暑いぐらいだ」

 僕は言った。

「そうね。そう言えば、カンくんが旅に出た日もこんな晴れの日だったね」

「……そうだったな」

 トーンが落ちる。

「私ずっとハルくんに言えなかったんだけど……旅に出ようと思うの」

「え?」

 僕は驚いてユウコを見た。彼女は僕を見ていたが、視線が合うと目線を落とした。

「冗談だろ?」

 僕の声は震えていた。

 しかし、ユウコは黙って首を横に振った。

 ――どうして。

 ――どうして、僕にそのことを言ってくれなかったんだ。

「それでね、ハルくんにお願いがあるんだ」

 僕はユウコを見た。ユウコは僕を見て目が合った。

「私と一緒に旅に行ってほしいの」

 僕は言葉が出なかった。ユウコの言葉の意味を理解できなかった。何度もその言葉を反芻し、やっと意味を理解してもなお言葉が出なかった。

 僕は言葉を継ごうとするが、口がパクパクするだけで言葉にならない。

「ダメ……かな」

 とユウコは言った。

 ユウコと一緒に旅に出る――。こんな嬉しいことはあるだろうか。

 僕が旅に出たくても、出れなかった理由。それはユウコがいたからだった。

 ユウコはこれまで旅に出ることを許されていなかった。それは家庭の問題があったし、様々な理由があったからだ。だから、旅に出たいと思うユウコの気持ちを実現することはできず、僕も旅に出たいと思ったが、ユウコのそばから離れると考えたら、旅に出たいと思う気持ちも薄らいだ。

 でも、やっぱり旅に出る気持ちを捨てきる事はできなかった。けれど今、ユウコは僕と一緒に旅に出る。ユウコのそばにいながら、旅に出ることができる。こんな嬉しいことはない。

「一緒に行こう」



 結局この日はチョロに会うことができなかった。

「また明日、チョロに会いに行こう」

 僕は言った。

「明日も同じ時間にここで」

「……うん。それじゃ、また明日」

「ユウコ」――背を向けたユウコを僕は呼び止める――「送って行くよ」

「ううん、大丈夫。それより、ほら、ハルくんも早く帰らないとおばさんに叱られちゃうよ」

 ユウコはそう言い、再び背を向けて帰路についた。その姿を僕はずっと見ていた。

 そして、気づいた時には既にユウコの姿はなかった。




 翌日は雨だった。雨の日はチョロが自分の住処から出てこないのと、やれることが限られてしまうため、行かないのが通例だった。しかし、昨日約束をしただけに、もしかしたら、例の桜の木に行くかもしれないので、ユウコのライブキャスターに連絡を入れた。しかし、コールすらせず、どうやら、電源が入っていないらしかった。

 仕方ない、例の桜の木のところへ行くしかないな、と思った。いないと思ったものの、もしいたら風邪を引かせてしまうかもしれない。ユウコの家に行くのも、約束の桜の木に行くのも時間も距離もほとんど変わらないから苦でもないし、何よりユウコに少しでも会えるならそれはそれでよいじゃないか。

 傘をさして雨の中を歩く。そういえば、雨が降ってるということは桜も散ってるだろうな、と思う。入学式まで間もないのだから、そこまで持ってあげてほしいとも思う。

 いかんせん、桜はしとしと降る雨と一緒に散っていた。散るのも花吹雪のようでないのが残念だ。ユウコもいないようだ。

 ――来てないのか。となると家かな。

 ユウコの家に行くのも気が引ける。幼馴染とは言え、女の子の家を訪問するのはこの歳になると勇気がいる。同じ理由で、家に直接電話するのも気が引けてしなかった。

 ふと、桜の木の下に視線を移した。と、白い何かが倒れており、その何かにのしかかるように浮いているムンナが目に入った。

 何かが脳裏によぎる。刹那、それが何かを認識する。

「ムーちゃん!?」

 僕がそう叫ぶと、ムンナは僕に視線を向けた。その目は今にも泣きそうで、困惑しているようだった。僕はムンナのいるところへと走った。

 倒れているのはヒトモシだった。このヒトモシも僕の知っているヒトモシで、どうやら、ムンナは雨からヒトモシを守るためにのしかかるようにいたらしい。

「おい、ヒーちゃん、大丈夫か!?」

 僕はヒトモシを抱きかかえるが、反応がない。ヒトモシの火も小さく弱っているようだ。

 ――ポケモンセンターに連れて行かなきゃ。

 僕は傘を放り出してポケモンセンターに走りだした。



 ヒトモシはポケモンセンターの集中治療室へと運び込まれた。詳しい容体はわからないが、かなり弱っているのは確からしい。僕とムンナは外で待つよう言い渡された。

 閉まった扉の上に光る治療中の文字。近くにベンチがあるものの、ずぶ濡れでは座る気も引けてしまい、扉の前に立った。

 ――ヒトモシは大丈夫だろうか。

 いや。

 ――そもそも、なぜあそこにヒトモシがいたのだろう?

 治療中のヒトモシと、僕の隣にいるムンナは、確実にユウコの家に住んでいるポケモンたちだった。時々だが、僕らは彼らと一緒に遊んでいたから、間違いはない。ただ、二匹ともユウコのポケモンではなく、ユウコの家のポケモンだ。

 だから、あの場にこのヒトモシとムンナだけでいたことが不思議だった。ユウコの付き添いか、彼女の親が一緒でなければいないはずなのに。そもそも、どちらかが一緒にいたとしても、ヒトモシを雨の日に連れ出すなんておかしい。

 ――とにかく、このことをユウコに連絡しよう。

 僕は電話をするため、ポケモンセンターのロビーに向かう。しかし、朝と同じで電源が切られているらしく繋がらない。

 参ったな、と思いつつ電話帳からユウコの家の連絡先を表示する。しかし、その先が押せない。

 もしかしたら桜の木の下にいるかもしれない、とふと思った。一度、桜のところへ戻ろう。そこで、ユウコがいなければ彼女の家に行けばいい。彼女の家のポケモンを保護しましたよ、と言うだけなのだから問題もないだろう。

 入り口を見ると先ほどより雨は強くなっていた。傘は放り出してきたから、あの中を走り抜けなければならない。

 行こう、と決意した瞬間「ハルキ」と僕を呼ぶ声がした。

 振り返るそこには、見慣れた――ただ、見慣れない新しい面影のある男、カンの姿があった。

「カン……」

「よう、久しぶり」

 彼はニッと笑う。

「誰かと思ったぜ。なんでそんなにずぶ濡れなんだ?」

「雨の中走ってきたからさ。それより、悪いちょっとおれ急いでるから」

「傘も持たず、この雨の中を行くのか?」

 懐疑そうな目でカンは言った。

「しょうがないだろう、ユウコの家のヒトモシが雨の中ぶっ倒れてたんだから、傘なんか持ってられるかよ」

「ユウコ? ユウコの家のヒトモシが雨の中を倒れてたのか? 親御さんはいたのか?」

「いなかったよ、ユウコの母親も父親も。いいか、おれは急いでるんだ――」

「じゃあ、なぜ、そこにヒトモシがいたんだ?」

「そりゃあ、ユウコがいたからだろう!」

 僕はイライラを爆発させて言った。

「だから、ユウコにこの事を知らせてやらないと行けないんだ! おれはもう行くぞ――」

 僕はカンに背を向け、ポケモンセンターの入り口へ走りだす。しかし、カンは「待て!」と叫び、僕の後を追ってくる。

 僕は全力疾走した。しかし、ポケモンセンターを出たところで、カンに腕を掴まれた。

「いい加減にしろ、カン!」

 僕は叫んだ。

「離せ!」

 必死にカンの手を離そうともがくが、カンの手は緩まない。

「待て、事情を話せ! ユウコがいったいどうしたっていうんだ!?」

「離せ!」

 カンが手を離れた。刹那、僕の顔に右フックが入り、僕はその場に倒れてしまった。

「人の話を聞け!」

 倒れた僕にカンは叫ぶ。

「ユウコがどうしたって言うんだ! ユウコは亡くなったんじゃないのか!?」

 ――え?

「ユウコが……亡くなった……?」

「そうだ、だからおれは帰ってきたんだ! なのに、お前は何をくだらない事を――」

「嘘だ」

 カンの声はもはや僕に届いていなかった。雨音さえも聞こえなかった。

 雨も容赦なく僕を叩きつけた。





 ユウコは、一週間前に亡くなっていた。交通事故だった。

 僕はそのことを親から聞かされていた。そのことを聞かされた僕は放心してしまったようで、部屋に閉じこもってしまったらしい。母や父が声をかけても、僕は何も返事をしなかったというが、僕にはその記憶が全くなかった。

 あのユウコと会った日は、もともとユウコと会う約束をしていた。その日、閉じこもっていた部屋から出てきて普段通りの生活をし始めたから、母は驚いたと言う。そのときの記憶はあるので、ユウコが亡くなったという事実を受け入れるのを拒否したことで、もとに戻れたのかもしれない。

 でも、僕はユウコが亡くなったのが事実だと知ったものの、それを受け入れることはできなかった。

 あの日、ユウコと会い、いつものようにユウコと話をしたのは確かだった。両親が言うように夢だとは、到底思えなかった。

「もしかしたら、それはヒーちゃんとムーちゃんのおかげだったんじゃないか」

 そう答えを返してきたのはカンだった。

 あの雨の日に倒れていたヒトモシとムンナは、やはりユウコの家のポケモンだった。ユウコが亡くなってから、姿を消してしまっていたのだという。

 カンは戻ってきてから、ずっと僕と行動を共にしていた。僕が憔悴していてあまり行動したがらないのを支えてくれながら、ユウコの遺影がある仏壇に手を合わせた。

「どういう意味だ?」

「ムーちゃん――ムンナが夢を食べるポケモンだというのは知っているな?」――僕は頷いた――「ムンナはだから他人の夢を見ることをできるんじゃないだろうか。そして、ヒーちゃんもといヒトモシは、人の生命力を食べるポケモンと言われている」

 ――僕は背筋に悪寒が走った。

「それ以外にもヒトモシは霊界に誘う力もあるらしい」

「霊界って、霊の世界か?」

「そうだ。わかりやすく言うなら、ユウコがいまいる世界。

 それが本当なのか知らない。ただ、この三年間の旅で知った知識として、ヒトモシのそう言う噂や情報を聞いてきた。それらを統合して考えれば、ハルキが体験したそのユウコとの会話は確かなものなのかもしれない。ただし、夢の世界でな」

「でも、あれは夢だとは思えないって言っただろう」

「夢だったのさ。ただし、その夢に登場したユウコは、ヒトモシが霊界から誘ったユウコの霊なんだろうが」

 ユウコの霊。

 それを聞いて、嬉しいようで悲しかった。

 ユウコは僕が放心状態になっていたことを霊界から見ていたのだろうか。もし、それを見ていて僕が立ち直れるように霊になってでも会ってくれたのだろうか。もしそうだとしたら、それは逆に彼女が亡くなったという証明になってしまう。信じたくなかった。

「そんなことありえるのか?」

「分からない」

 カンはきっぱり答えた。

「でも、そう考えることもできるんじゃないないか。――もっとも、おれはあまり信じられないが」

 信じたくない。

 けれど、もしそうだとするなら。

 ――もう一度、ユウコに会いたい。



 桜は、あの鮮やかな色を失っていた。

 アナログの腕時計を見る。あのユウコと会った日と同じ時間。そして、約束の木の下。傍らには、ムンナと回復したヒトモシ、そしてカンがいた。

「やってくれ、ムーちゃん」

 僕はムーちゃんにそう言った。ムンナは頷き、僕は次第に眠りについた――。



「ハ……く……、ハルくん」

 僕はその声でゆっくりと目を開けた。

 そこにはユウコの顔があった。悲しそうな心配をした目で。

「ユウコ」

 僕は起き上がると、そこは例の桜の木の下だった。

「大丈夫、ハルくん?」

 ユウコは尋ねてきた。

「大丈夫だよ」

 僕は答える。

 そこにいるのは、紛れもなくユウコだった。ちらっと腕にしている時計を見る。デジタル時計に変わっていた。

 ――やっぱり、ここは夢の世界なのか。

 ――信じるしかないのか……?

「ヒーちゃんから聞いてる」

 とユウコは俯き加減で言った。

「私が死んじゃったこと知ったんだよね」

 僕はハッとする。

「じゃあ、やっぱり……」

「うん、私、死んじゃったんだ」

 もう、信じるしかない。言葉が出なかった。

「でも、ハルくんが元気でよかった。私のお葬式の日、ハルくんがいなかったからずっと心配してたんだよ」

 ユウコは続ける。

「でも驚いちゃったよ、気づくとハルくんが倒れているんだから。ハルくんまで死んじゃったのかなんて……。でも、本当に生きていてよかった」

「嘘じゃ……ないんだよな」

「びっくりするでしょう? 死んじゃった私が、生きているハルくんと話せるなんて、考えられないもんね。こうやって話せるのはヒーちゃんとムーちゃんのおかげなの」

「一人で寂しくないか?」

「寂しいよ」

 その声は震えていた。

「天国って言うけど、全然天国なんかじゃないよ。私は、不安で居ても立ってもいられなくなる。そばに誰かいてほしいと思ったりもする。けど、誰もいないの」

「おれが、いるじゃないか。こうやって、いつでも逢えるじゃないか」

 ユウコは首を振った。

「こうやって話すのは今日で最後にして」

「え?」――僕はどもった――「どうして、こうやって話すことができるのに……」

「こうやって話すには、ヒーちゃんの負荷が大きいみたい。あまり長く話すと倒れてしまうの」

 それじゃあ、こないだヒトモシが倒れていたのは――ユウコと前日に話したことで、力を使い果たしてしまったというのか。

 このまま、話をしているとヒトモシがまたあんなつらそうな状態になってしまうのか。

「わかってるよ、辛いこと」――彼女の声も震えている――「けど、ハルくんならわかってくれると信じてる」

「ユウコのいない世界なんて……おれにだって辛すぎるよ。だって、おれは……!」

 ユウコは僕を見た。そして、笑みを浮かべた。

「ありがとう。私もハルくんのことが好きだよ」

 そう言った刹那、ユウコは僕にキスをした。震えていて、冷たい感触――。

 僕の頬を涙が伝わった。

「私なら大丈夫。だから、心配しないで」

 僕は彼女を抱きしめた。そして、泣きわめいた。

 彼女は僕の背中を優しく叩いていた。

「ありがとう」

 ユウコはそうつぶやいていた。何度も何度も――。

「そろそろ時間みたい」

 彼女は僕を離した。

 互いに見つめ合った。僕の頬にはまだ涙が流れ続け、それは止まらない。

「最後にお願いしていい?」

「うん」

 僕の声はぐしょぐしょだった。

「チョロちゃんを連れて旅に出て。ハルくん、本当は旅に出たかったでしょう? 私知ってるよ、ハルくんが私のために旅に出ないで、いつもそばにいてくれたことを。それが本当に嬉しかった。

 だから、今度は私がいつもハルくんのそばにいて支えてあげる。直接はできないけれど、一緒に見つけて育ててきたチョロとならできるよ、絶対に」

「わかった……だから、ユウコも……!」

「ハルくんといた時間本当に楽しかった。十五年間本当に……本当にありがとう」

「ユウコ! おれはユウコのことをずっと忘れない。だから、ユウコも……!」

「ありがとう」

 再び唇が触れ合う。と、同時に意識が遠のいて行く――。




 ――そうして、僕は約束の桜の木の下に立ち、傍らにはチョロがいる。

 進学が決まっていたのを捨て、僕は旅立つことにした。ユウコの最後の願いを叶えるために。

 桜は緑を芽吹かせていた。

 これから春が始まる。枯れていた木々は芽吹き始める。

 僕も新しい一歩を踏み出した。



★あとがき★

 ここまでお読みいただきありがとうございます。

 ポケモン小説スクエアの覆面作家企画2で、新緑をテーマにして投稿した作品です。

 私としてはとても珍しい恋愛をメインに据えた物語という事で、かなり苦労しました。恋愛ベースではありませんが、似た作品で、五本の尻尾という作品を昔書きましたが、これはあくまで主人公の葛藤をテーマにした作品でした。ちょこちょこラストに恋愛を仕込んだことはありますが、本作みたいな作品は本当に初めてです。

 私はこんな恋をしたことはありませんが、こんなに自分のことを好きでいてくれる女の子がいるとすごいキュンキュンしちゃいます。しかも、友人とは言え異性と話していると嫉妬してしまうハルキくんは純粋で、なかなか書いていて面白かったですね。純粋で純情な恋愛に青春となると、最高のシチュエーションで、知らぬうちに私の好みが漏れてしまった気がします。

 作者が誰かわからないように作品を書く企画だったので、テーマからすれば私だとバレなかったのではないか、と思うのですが、いかんせんラストに仕込んでいるのでもしかしたら気づいた方もいるのかもしれません。時計のくだりとかわかったかたいるのでしょうか。

 でも、ただの恋愛小説ではファンタジーとして片付けられるこの作品のオチも、ポケモンを登場させることで合理的解決をさせることができるというのは、なかなかおもしろい収穫でした。こういった作品の書き方もあるんだな、といろいろ個人的にとても勉強になる作品でした。

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