……なんとかうまくいきそうです。ご協力、というか見逃していただいてありがとうございました。
「ったく! あいつら、俺達の陽動なんかなくったって平気なんじゃねーのか?」
それからしばらくのち。マグマ団基地の外の森の中。
砂埃にやや白っぽくなってしまったウィルゼは、低めた声ながらも文句を言っていた。その隣にはもちろんシェーリがいて、もちろん彼女は返事をしなかった。
「ユワン」と別れたのち、彼ら二人はとりあえず外に向かって逃げようとした。しかし、いったいどういうことになっているのやら、彼らのいた四階建ての建物が突如崩落し始めたのだ。
シェーリたちは大いにあわて、同じように慌てふためくマグマ団を無視して脱出しようとしたのだが、彼らがたどりつく前に階段は崩落し、通ってきた道は天井が崩れて、にっちもさっちもいかなくなったところでシェーリは思い切りのいい行動に出た。
すなわち、四階の高さから飛び降りたのである。
世間一般ではこれを無謀という。しかしながら、抜群の身体能力を持った二人は何とか足をくじくこともなく着地に成功し、間一髪、建物の崩落につき合わされずに森の中に逃げ込めたのだった。
二人がいる木立に鈍い音がひっきりなしに響く。地面は絶え間なく揺れ、まるで話に聞く火山の噴火のようだ。そう思ったとき、ひときわ大きな音が響いた。
はっと顔を上げて、彼らは崩壊を見た。
巨大で無機質な建物が、与えられた力に耐えきれず砂埃をあげて崩れおちる。あまりにあっけない。これが、私たちが倒そうとしていたものなのか……。
「……シェーリ。これから……どうする?」
軽い口調を裏切る視線の強さに、シェーリはそっとうなずき、返した。
「そうだな。とりあえず、こいつらを片付けてから考えようかっ!」
どかっ。
木立に隠れていたマグマ団員の腹をシェーリの蹴りが襲った。
彼女は冗談抜きに強い。その華奢きゃしゃな体に秘められた恐るべき身体能力を見くびったものは、必ず、文字通り痛い目を見る。一発でのびた男を飛び越えて距離を詰め、二人目を掌底で沈める。そこまでしてシェーリはようやく、その後ろにいる人の多さに気付いてぎょっとした。
「何で、こんなに!?」
「ユワン」たちに奇襲をかけられたのではなかったのか――?
慌てて距離をとって、シェーリは囲まれていることに気づいた。
ウィルゼがさっと寄ってきて背中合わせになる。一体何人いるのだろうか。……少なくとも両手では足りるまい。
次々にポケモンを出し、にやにやと鳥肌が立ちそうな笑いを浮かべる輪は次第に狭まってくる。シェーリは無意識に腰に手を伸ばし、「それ」に触れた。
これを使えばおそらく時間は稼げる。「ユワン」が本当のことを言っていたのなら、保つはずだ。――彼が嘘をついていたなら? 捕らえられるおまけに、マツブサに今まで細心の注意を払って隠してきた自分の「力」を知られる最悪の結果になる。
「それ」をつかむかどうか。シェーリが考えあぐねていると、不意に真正面の人垣が割れた。その奥から出てきたマツブサを、凍るような視線で睨にらむ。
「やあ、こんなところで会うとは思わなかったよ。どうやって外と連絡を取ったのか知らないが、……あの侵入者を待っているなら無駄だ。ここに来ることはできない。……行け!」
言葉と同時にシェーリは確かな羽ばたきの音を聴いた。
はっと空を仰ぐと――見えた! 飛行タイプのポケモンが三匹、こっちに向かってきている。
「シェーリ! あれ……!」
ウィルゼも気づいたようだ。彼らはちゃんと脱出していて、しかも約束を果たそうとしている。思わずシェーリは言った。
「えらく義理堅いやつだな、あいつ」
助けようとしている相手に向かって、ずいぶんな言いようである。
と、空中の影にむかって矢のように鳥ポケモンたちがむかっていった。その背中にはいずれも赤い影。――マグマ団だ。
はっと息をのんだシェーリたちだったが、すぐに分かった。優勢なのは「ユワン」たちだ。自分たちの五倍はいようかという集団に対して一つも後れをとらず、逆に次々落下させている。呆れた実力である。
ふと視線を落とすと、マツブサは憤怒ふんぬの表情で上空をにらみつけていた。それを見て、シェーリは心を決めた。
「ユワン」たちはマグマ団より強い。そして彼らは自分たちも助けようとしている。
ならば話は簡単だ。助けに来る前にとらえられたなら自分を恨めと言った彼の言葉がよみがえる。――その通りだ。
もう少しだけ、もたせられれば。
そうすれば、ウィルゼだけでも。
「----えっ?」
「ええい! ……お前たち! そこの二人をとらえるのだ!」
自分の思考に戸惑ったシェーリが声を漏らしたと同時、余裕のないマツブサの声に従って、包囲網はまた縮小をはじめる。す、と身をかがめて反撃の体勢をとったウィルゼにささやいた。
「こいつらは私が何とかする。ポケモンを使えなくするから、お前は走れ。私も、すぐ行く」
言いながらシェーリはそうできないことをひしひし感じていた。本気で「力」を使えばすぐに強烈な眠気に襲われる。彼の後は――追えない。
やれやれ、一体全体どうしてこんなに甘くなってしまったのだろう。誰も信じないと決めていたはずなのに、自分を犠牲にしてウィルゼを逃がそうとしている。悲劇のヒーロー、いやヒロインを気取るつもりは毛頭ないのだが。
もれそうになったため息を押し殺し。流れるようなしぐさでシェーリはホルダーから取り出した横笛に口を付けた。
その瞬間、確かに――確かに、横笛が熱くなって彼女に応えた。
* * *
「ヨウ、マジカルリーフ!」
フードをかぶって顔を隠したまま、草の羽が生えた小型のブラキオサウルスのようなポケモン、トロピウスに乗っていた少年は、風に流れてきた戦いの場にそぐわない音に眉をひそめた。
――笛の音?
「アッシュ! 下だ、見て――いや、聴いてみろ!」
興奮して叫ぶ仲間の声に返す気力は、その音を耳にしたとたん根こそぎ奪われた。
* * *
天に昇る旋律。
風の中を駆けめぐる音。
心の奥深くまで侵入し、魂の底にある記憶に手をかける。
人が一番大切に思う記憶を暴くその音は、しかし決して押しつけがましいものではなかった。
生き物という生き物に語る。その存在がどれだけ愛されているのか。
この世界がどれだけの奇跡に満ち溢れているのか。
――少年は、その音に聞き覚えのある自分に驚いた。
けれど、それはなぜか当然だという気がした。
シェーリの奏でる横笛の音は、自分の味方に対してはこの上もなく優しく、慈愛に溢れて聴こえたのだが、敵に対しては魂を暴くその本性をむき出しにした。
「――アアアアア――ッ!」
耐えられない。
この音は――魔性そのものだ。
ウィルゼは逃げるどころではなく、半口を開けて相棒を見た。
毎朝必ず行く岬で時々聴く曲――けれども、全く違う輝きを秘めた曲。いや、音。
生ある者の魂を揺さぶり、覚醒を促すような――そんな、音。
感嘆。驚愕。いいや、この感情はそれらをはるかに追い越した――畏怖。
ただ呆然として見つめる。その旋律を紡ぐ少女の姿を。
「嘘だろう、おい……あれは……あの、力は……」
「ユワン」はちらりと地上に視線を走らせ、マグマ団の大部分がすでに逃げていることを知り、残った者の中にマツブサがいないことを確認し、そして残った者のポケモンが、一匹残らず混乱していることを知った。
「間違いない。あの横笛はオークの村の物だ」
実物を見たことがある仲間が断言する。
「ならば彼女が――」
「……奏人。だな」
沈黙の中には驚愕と、にわかには信じられない心持ちがにじんでいた。
伝説のはずの、「奏人」。それが現れたのだ。
いや、そういってしまうと、彼らは自分たちの存在をも否定することになる。しかし、奏人の話は……いっそ、作り話めいていて、全然信じていなかったのだ。
「どうする?」
「……とりあえず、様子を見よう」
仲間二人に見つめられ、「ユワン」は何とか声を震わせずに答えた。