第6話 ハートスワップ

しおりを挟みました
しおりが挟まっています。続きから読む場合はクリックしてください
読了時間目安:23分
 サンヨウシティを出発すると、メタモンにとって懐かしい場所が見えてくる。
三番道路ぞいの育て屋だ。

「僕たちの旅はここから始まったんだよねえ」

『ついこの間のことにも思えるし、結構時間がたったようにも思えるね』

『どちらにせよ、あまり戦力は増えていないが』

 ドーブルのツッコミで、メタモンは明後日の方向に視線をそらした。

「ドーブル。成長というのはバトルで強くなることだけじゃない。
 旅を通じて、豊かな感性を育み、様々な価値観に触れること。
 そんな心の成長が大事なんじゃないかな。キリッ!」

 わざとらしい優等生的回答に、ドーブルはイラッとした。
憎まれ口を叩こうとしたが、そうする前に……。

「わ、危ない。ちょっと! 気をつけてよ!」

 全力疾走する自転車がメタモンの横をかすめる。
去りゆく背中に抗議の声を浴びせたが、遠ざかるトレーナーに聞こえたかどうか。

『……なんだか昔のこと思い出しちゃった。
 ねえ、メタモン。早く通り過ぎてシッポウシティに行こうよ』

 ウルガモスは以前、人間のトレーナーの元でポケモンの卵を温める役目をしていた。
卵や幼いポケモンの世話をするのはウルガモスの性格に合っていた。
合いすぎていた。

 そうして産まれたポケモンの内、大半がBOXから放たれる。
多くの兄弟たちの中から選ばれたポケモンも、まっとうに育て上げられることなく、
BOXのコレクションの一つとなり、ウルガモスはまた別の種族のポケモンの卵を温めることになる。

 その繰り返しには、メタモンの反逆によって終止符が打たれたわけだが、
ウルガモスの心の傷として残っているようだ。
メタモンとしては、育て屋の老夫婦にあいさつぐらいしたかったのだが、
三番道路はウルガモスにとって居心地の良い場所ではなさそうだ。

 さっさと通り過ぎてしまおうと足を進める。
別のトレーナーの自転車とすれ違う。もう一台。さらに三台……。

『どうもおかしいな……』

 ウルガモスがつぶやいた。

『さっきから自転車が何台もこっちにきてばかりだよ』

「? それっておかしいのかい? サンヨウシティに行く人が多いだけじゃないの?」

『ここがどういう道路か考えれば、自転車の動きが妙なんだ。
 普通の道路は場所と場所を移動するためにあるんだろうけど、
 この道路は自転車をこぐためだけに利用する人間が多いんだ』

 育て屋前にある三番道路は、ポケモンの卵を孵化させるために使われることがよくある。

『だから、自転車は行って返ってこないとおかしいんだよ』

 もう一台自転車が向かってきた。わき目もふらず、通り過ぎていく。

『何か妙なことが起きてるかもしれない、ってことか』

『メタモン、人間たちから事情を聞いておいた方が良いかも』

「そうしたけど、みんなすぐに走り去っていっちゃうからなあ……」

 メタモンの心配通り、猛スピードの自転車を捕まえることは難しかった。
無理に止めるのは危険だし、無茶な手段で止めた自転車の主から快く話を聞けるとも思えない。

 が、幸運なことにメタモンの姿を目にして、止まってくれた自転車があったのだ。

「お、お前は……っ! まあ、良い、今はとにかく後ろに乗れ!」

「君とこんなところで会えるなんて思わなかったよ。
 でも、ここ以外の場所で会えるはずもなかっただろうね」

「皮肉こいてる場合か! 乗せてやるって言ってるだろ!」

「じゃ、お言葉に甘えるとしようか。
 君の自転車こぎの才能には一目置いているよ、元ご主人さま」

 メタモンとウルガモスの元の主人は、エリートポケモンコレクター、とでも言うべき人物だった。
優秀な素質を持ったポケモンを集めるのが好きで、育てもバトルもしなかった。
変化を求めるメタモンにとって、退屈な生活だった。
彼をポケモンバトルで打ち負かしたことで、メタモンは晴れて自由の身となったわけだ。

「シッポウシティで何か起きてるのかい?」

 風圧で帽子を飛ばされないように押さえながら、後ろを振り返る。

「事件はシッポウで起きてるんじゃない! 育て屋で起きてるんだ!」

「セリフのパロディを楽しむ余裕があるなら、大した事件じゃなさそうだね」

「お前にとっては大したことかもしれんぞ、メタモン」

 トレーナーの言葉に、いぶかしげに眉をしかめた。
育て屋で何が起こっているというのだ。
まさか、預けられたメタモンたちが集まってキングメタモンにでもなってしまったのだろうか。
そうなったら大変だ。きっとキングメタモンに取りこまれて体の一部にされてしまう。

 なんてバカげた空想をしていると、トレーナーの方から謎をバラしてくれた。

「……6Vのフィオネが産まれたんだ」

「そりゃ凄いや。おめでとう」

『メタモン、6Vって何?』

 トレーナー同士の専門用語に、ウルガモスはついていけない。

 ポケモンの能力は三つの要素で決まる。
一つはその種族が持つ基本的な能力。キャタピーとミュウツーでは、種族としての力の差は歴然としている。
二つ目は努力によって培われるもの。たとえば素早いポケモンと勝負をすることで、スピードの訓練になるのだ。

 最後がポケモン一匹ごとに産まれ持った素質。
素質の強さは専門家によって32段階に分類されている。最低が0で、最高が31。
さて、一般的な数の数え方は10進数だが、世界には2進数や16進数といったものも存在する。
32段階の強さを表すのに、32進数が使われる。
この32進数の数え方では、数字の9の次はアルファベットのAが続く。
その数え方では、31はVに当たるのだ。最強の一つ手前の30はU。

 ポケモンの能力の種類は、体力、攻撃、防御、特攻、特防、素早さの6種類だから
6Vというのは全ての素質が最高値の超エリートポケモンということだ。
なかなか産まれてくるものじゃない。

「それで、6Vのフィオネが産まれてくると、どうして大変なことになるのさ?」

「6Vのフィオネは……、0Vのマナフィより弱かったんだ」

「それはそれは……なんという……」

 あまりのことに、メタモンは絶句する。
フィオネとマナフィ。この二体の幻のポケモンは似て非なる存在だ。
タイプも特性も同じ二体だが、種族としての強さは全てにおいてマナフィが上回っている。
この点でフィオネはマナフィより不利なのだ。

「ただ、フィオネは卵で増えることができる。
 マナフィと優秀なメタモンがいれば、優秀な素質を持ったフィオネを産み出すことができるんだ。
 特別な卵でしか産まれないマナフィだと、優秀な個体を探し当てるのは苦難の道だ」

「6Vのフィオネが産まれる道のりも、決して楽だと思えないけどね」

「そうだな。だが、そんな苦労のすえに産まれた最も優秀なフィオネは、
 最も劣等生のマナフィの能力に届かなかった……」

『ふん。ポケモンの強さは、人間が計った数値だけで決まるわけじゃない』

 ドーブルが口をはさんだが、メタモンは首を横に振った。

「フィオネが覚えられる技はマナフィも使える。
 フィオネが覚えられない技も、マナフィは使えるんだよ」

 ドーブルは押し黙った。

「それで、悲劇のエリートはどうなってしまったんだい?」

「フィオネは……、育て屋に預けられていた全てのメタモンを攻撃しだした。
 今、トレーナーたちは自分のメタモンを確保して逃げている」

「ちょっと待ってよ! それじゃ育て屋はどうなってるの?

 メタモンは大声を上げた。

「だから、フィオネがメタモンたちを襲って……」

「お爺さんとお婆さんは無事なの? お爺さんをお婆さんを助けてるトレーナーはいないの?」

「……さあな」

 メタモンが荷台の上で派手に動いたので、自転車はバランスを崩した。
トレーナーが足を踏ん張ったおかげで転倒は逃れたが、
自転車はスピードを失い、道の脇に止まった。

「どうしてみんな逃げ出しちゃうんだよ! 情けない!
 誰もいないなら、僕がお爺さんたちを助けにいく!」

 トレーナーはぽかんとした顔でメタモンを見つめていた。

「……お前がそんなに熱くなるとは思わなかった。意外だ」

「僕は結構ドライだよ。彼らが特別なのさ。一番お世話になった人間だからね」

 元は自分のマスターだった者を前にして、きっぱりと言い放つ。

「……そうか」

 トレーナーは自転車のハンドルを握り直した。

「乗れよ」

「だから、僕は育て屋に向かうんだってば!」

「連れてってやるよ。自転車こぎの才能には一目置いてるんだろ?」





「おやおや、メタモンじゃないか」
「旅は順調かい?」

 育て屋の老夫婦は柔和な笑顔でメタモンを迎えた。

「え、ええと、お久しぶりです。あー、その。あの、暴れてるフィオネは?」

 老夫婦は落ち着いているが、建物や庭には戦闘の痕跡がある。
もう凄腕のトレーナーによって、騒ぎが沈静されたのだろうか。
老夫婦が無事で何よりだが、慌てて駆けつけたメタモンとしてはちょっと拍子抜けだ。

「ワシと婆さんで取り押さえたよ」

「え」

 育て屋の仕事では、多くのトレーナーから様々なポケモンを預かる。
圧倒的な強さがなければ、成り立たない職業だ。
手持ちのポケモンの力を借りたのか、ご本人たちの腕力で対抗したのかは聞かないことにする。

「でも、心まではねじ伏せることはできない」

 老婆はメタモンを見つめた。

「暴れたフィオネは、特製の部屋に入れてある。
 あの子のトレーナーとも相談したけれど、
 他のポケモンを傷つけ続けるようなら、フィオネはずっとその部屋にいることになる」

「ワシらがこんなことを頼むのも変な話だが……。
 メタモンや。あの子を解放してやれんかね?」

 フィオネの解放。
開けるのはドアではなく、閉ざされたポケモンの心。

「……やってみるよ。僕は自由を愛してるんだ。
 一生部屋の中で過ごさなきゃいけないなんて、僕の自由の精神に反するからね」

 老夫婦に案内されたのは、預けられたポケモンたちが寝泊まりする部屋。
本来は、それぞれのタイプや生態に合わせて快適に過ごせるようになっている。

 が、フィオネがいるという部屋は、厳重な封印がかけられていた。

「強力なエスパータイプのポケモンの力で、空間を閉じている。
 中に入れるようにするけれど、準備は良いかい?」

 メタモンはこくりと頷いた。





「やあ、フィオネ」

 部屋に一歩踏み入れるなり、張りつめた敵意がメタモンを突き刺した。

『私は誰だ……。ここはどこだ……』

 部屋の片隅で、小さな青い体が浮かび上がる。

『……人間の姿をしているが、お前は……メタモンだな』

「ご名答!」

 メタモンは変身を解いて、本来の姿へと戻った。

『メタモン……! 誰が産めと頼んだ? 誰が造ってくれと願った!?
 私は私を産んだ全てを……マナフィとメタモンを恨む……』

 空気中の水分子が、液体の水となってフィオネの周りに集まる。

『だからこれは攻撃でも宣戦布告でもなく、私を生み出したお前たちへの……逆襲だ!』

 フィオネが放った波乗りをかわす。
本来はそうそう外れる技ではないが、メタモンは事前に攻撃を予見していた。
あらかじめ回避に専念していたから、かわせたのだ。

『そう好戦的にならないでよ。僕は君と話をしにきただけなんだから。
 せっかく産まれてきたのに、一生部屋の中で暮らすのは退屈だろう?
 世界を知った上で部屋にこもるのも自由さ。でも、世界を知らずにここにいるのは自由とは言えない。
 僕は君に世界を、自由を教えたいだけ』

 そういう意味では、フィオネはまだ世界に産まれてはいない。
ただここにいるだけだ。

『私はマナフィのコピー……。全てが劣る粗悪品……。
 何故私は産まれた! 最高の素質をもってしても、マナフィには届かなかった!
 こんな私を何故産んだ!!』

『君の憎しみは、鎖のように君を縛っているね。
 マナフィよりも劣っているのが、そんなに気になるのかい?』

『黙れ!! 粗悪なコピーに産まれついた者の苦しみが、お前にわかるものか!!』

 メタモンは柔軟な体をうにうにと動かした。

『わかるさ。僕はメタモンだよ』

 優れた変身能力を持つメタモンだが、ポケモンバトルにおいては優秀な戦士とは言い難い。
体力以外は相手の能力を完全にコピーできるが、所詮はコピーだ。
繰り出せる技の回数は限られており、なおかつ変身のためにバトル中に隙を作ってしまう。

『そうか、お前は……』

 フィオネの顔に歪んだ笑みが咲いた。

『マナフィより劣ったコピーより、さらに劣ったコピーになれる』

『そういうこと』

 侮蔑の言葉を軽やかに受け止めた。

『で、その劣化劣化コピーとポケモンバトルしてみる気はないかい? 劣化コピーくん』

『バカな。劣った能力の者が勝てるわけがない……っ!』

 その言葉がメタモンとフィオネのことをさしているのか、
それともフィオネとマナフィのことをさしているのか、フィオネ自身にもわからなかった。

 フィオネは波乗りのために水を集め始めた。
大気中の水が急速にフィオネの元へ集まる。
が、それより早くメタモンが動く。

『君の能力、使わせてもらうよ』

 メタモンの体の細胞が素早く変化し、もう一体のフィオネが現れる。

『……は、速い!? そんなはずが……』

 フィオネの波乗りはメタモンに直撃したが、
水タイプのフィオネに変身したメタモンには、あまりダメージを与えられなかった。

『スピードパウダー。アギルダーまでなら抜けるよ。こだわりスカーフで素早さを補強してる相手や、
 スピード特化のデオキシスとテッカニンは無理だけど』

 スピードパウダーはメタモン専用の道具だ。
脅威の素早さを与えてくれるが、この効果があるのはメタモンの形態の時だけで、
他のポケモンに変身してしまった後は全く効果がなくなる。
変身したメタモンの素早さはフィオネと同じになるので、次からはどちらが先手を取れるのかわからない。

『この技構成は……。ふむ、なるほど。まずは熱湯といこうか』

『……くっ! 波乗り!』

 フィオネが覚えている技は、滝登り、波乗り、熱湯、雨乞い。
攻撃技は全て水タイプで、水タイプ同士では地道な泥仕合となるだろう。
この中で一番威力が高い技は波乗りだ。

『つまり、波乗りを打ち続けるのが確実な勝利の道!』

 フィオネはまた波乗りを放ってきた。じわじわとメタモンの体力が削れていく。
波乗りは命中率も安定しており、技を繰り出せる回数も多い。
ただし、変身で能力をコピーしたメタモンはどの技も5回までしか使えない。

『熱湯』

 メタモンが選択したのは再び熱湯。威力は波乗りより低い技だ。
だが……。

『ッ! 火傷を……』

 熱湯は相手のポケモンを火傷させることがある。
火傷状態では、じわじわと体力を奪われ、物理攻撃の威力が下がってしまう。
フィオネが使う波乗りは特殊技なので、威力が下がることはないが、
地道に体力を削り合うこの戦いで、毎ターン火傷のダメージを受けるのは不利だ。

『雨乞い!』

 フィオネの力で、エスパーポケモンによって隔離された空間に雨が吹き荒れる。

『ふふふ。残念だったな』

 フィオネの特性はうるおいボディ。雨の時、状態異常を受けない。火傷はすっかり癒えている。

『そう、火傷が治って良かったね』

 メタモンは水を集めて、怒涛の水流を解き放つ。

『なっ……!?』

 先ほどまでフィオネが繰り出していたのものとは、勢いが違う。
メタモンの波乗りの方が、水の勢いが激しい。

『私を火傷させたのは……雨乞いをさせて、自分の技の威力を上げさせるためか!』

 雨乞いのために、フィオネは1ターン攻撃を手を休めることになる。
その間にメタモンは攻撃をしかけることができる。
上手く後攻に回れば、雨で威力が増した水タイプの技をお見舞いできる。

 うるおいボディの効果は、フィオネに変身しているメタモンにも適応されるため、
今からフィオネが同じ作戦を真似ても無駄だ。
メタモンを火傷にしても、雨空の下ではすぐに治ってしまう。

『今さら気づいても、もう遅いよ』

 メタモンは滝登りの体勢に入り、強烈な激流と共にフィオネにぶつかった。
雨で威力が増した攻撃に、フィオネはひるんだ。

『これが致命的な1ターンの代償。君の判断ミスだ』

 ひるんだフィオネに次の滝登りを叩きこむ。
フィオネは技を受け止めきれず、部屋の壁にぶつかり倒れた。





『劣った能力の者が勝利を手にしたよ』

 傷ついたフィオネのそばに寄り、静かに声をかける。
ぼろぼろの体を横たえたまま、フィオネは視線だけメタモンに向ける。

『答えろ。私は、何故フィオネとして産まれた?』

『そんなの知らないよ。理由はわからないけど、とにかく君はフィオネなんだ』

『嫌だ……。どうして私はマナフィになれない』

『自分を誰かにするなんてできないよ。君は君だ。
 って、変身ポケモンのメタモンが言っても説得力がないよね』

 メタモンは苦笑いして、フィオネの姿のままぽりぽりと頭をかいた。

『……マナフィだけが覚えるハートスワップ。
 あの技が本当に必要なのは、私なのにな……』

『君がいくら嫌っても、君の体は君を決して見捨てない。ずっと一緒にいるんだよ。
 そして君の心にマナフィを押しつけるのは、自分で自分を束縛することだ。
 本当にこの世界に産まれたいなら、君の体と心を君自身のものにすることだね』

『世界に産まれる……』

『どうせなら、何故産んだじゃなくて、何故産まれたかを知りたくないかい?』





「おかえりんこー」

 メタモンの元トレーナーは、育て屋の待合室で老婆から麦茶をもらって飲んでいた。
ドーブルとウルガモスもオヤツの木の実をかじっている。

『メ、メヒャモン! ら、らいじょーぶだったかい? もごもごっ』
『アンタの分もとってあるよ。はい、マゴの実』

「……僕が真剣にバトルしてる間、皆さんずいぶんとくつろぎモードだったようだね」

 ドーブルの手から木の実を受け取りながら、ちょっと全員を睨んでみる。

「まあまあ、メタモン。それで、フィオネの様子はどうだい?」

 老夫婦に尋ねられ、人間の姿に変身しているメタモンは紫の帽子をかぶり直しながら答えた。

「バトルで負かしてやったら、ちょっと考えを変えたようだよ」

「優しい言葉をかけるとかじゃないんだな」

 麦茶を飲んでいる自転車トレーナーに、メタモンはちっちと指を振る。
技ではないので、破壊光線や大爆発が巻き起こることはなかった。

「慰めが、なんになるって言うんだい?
 フィオネがマナフィに変わるのかい? 特別な技を習得できるようになるとでも?
 気休めの言葉は、フィオネの束縛を壊す役には立たないよ。
 だから、僕は実際に証明してみせたのさ」

 オレンの実をかじるのをやめ、ウルガモスがメタモンの話に耳を傾ける。

「能力や技とは別の強さがあることを。
 バトルを積んだ者にしかわからない、経験、読み、判断力ってやつをね」

 マナフィではなく、フィオネとして産まれたことはどれだけ嘆いても変えられない。
しかし、能力も技の手数も劣るメタモンがフィオネを打ち負かしたことで、
劣った者が強者に勝てることを示した。

「ここの小さな部屋でひねくれてるより、
 外で修業を積んで強くなって、ナマフィをボコスカにして勝てたら楽しいよね!
 って言ったら、ちょっと悩んでたよ。今は部屋で一人で考えてる」

『メ、メタモン。君って奴は……』

『わかるよ。強敵を翻弄するのは、ゾクゾクする楽しみがある』

『ああ、ドーブルもバトル大好きっ子だったね……』

 ウルガモスは物騒な友人二匹を、遠い目で見守ることしかできなかった。





 鎮静化したフィオネは、バトルの経験を積み、強くなることを選んだ。
フィオネの望みは、マナフィになりたい、ではなく、マナフィを越えたいに変わった。

 だが、その願いは拒まれた。

「は? メタモン相手に負けたって?」

 フィオネのトレーナーはその報告を聞くなり、顔をしかめた。

「いくら素質が高くても、しょせんはフィオネってことか……。
 メタモンなんかと戦って負けるなんて、どんな情けないバトルをしたのやら。
 交配を繰り返した時間が、無駄だったな。
 色違いが産まれてきた方が、まだ観賞用として価値があったのに」

 トレーナーは、育て屋の老夫婦に向かってひらひらと手を振った。

「え? ううん、そんなのいらないよ。
 もう暴れなくなった? いやいや、情緒不安定な上にメタモンに負けるとか、ありえないっしょ。
 ネタとしてならアリだけどねー。本当、フィオネって、なんで存在してるんだろうね。いやー、笑えるわー」





 フィオネは暗い部屋の中、闇に溶けていた。
育て屋の老夫婦によって日々の世話はされている。
だが、一向に主人が迎えにこないのはどうしてなのだろう。
フィオネはずっと待っていた。
共に戦ってくれる人間を。自分を勝利に導いてくれるトレーナーを。

『ツライ、ノカ?』

 幻聴だろうか。か細い声が、聞こえてきた。
闇そのものが震えたような、深く、静かで、暗く、生のように禍々しく、死のように穏やかな声だった。

『ニンゲン、ハ。オ、前ヲ、見捨テタ』

 フィオネは思わず後ずさった。
逃げるフィオネを追うように、部屋の暗がりが膨れ上がり、迫ってきた。

『オイデ』

 影が手のように伸びてくる。

『ワタシ、一緒、オイデ……』

 初めに感じた恐怖と警戒心はだんだんと薄れていった。
フィオネの全てを受け入れるように、闇は手招きをする。
影の腕の中に飛びこんでしまいたい。幼子が母の胸へと飛びこむように。
この闇に溶けて、一つになったら、それはきっと気持ちの良い……。

「やあ、フィオネ。開けるよ」

『……ッ!』

 ドアがノックされ、紫帽子のトレーナーが顔を出した。
今は人間の子供にしか見えないが、フィオネはこの紫帽子の正体を知っている。

「これは提案なんだけど、僕たちと一緒にくるかい?」

『私に同情しているのか? 憐みをかけられるなど……』

「ううん。僕は君に同情なんかしないよ。僕、そんなに優しくないんだ」

 小さな子供の姿で、さらりと非情な言葉を吐く。

「君を誘ったのは、君に興味を持ったからだ。
 もっと強くなった君を見てみたい。それが理由さ」

 フィオネは自分を打ち負かした相手を見た。
このトレーナーの元で鍛えたら、自分はどれだけ強くなれるのだろうか。

『共に行こう。私がどれほどの強さを手にするのか、お前に見せてやろう』

「そうこなくちゃ! これからよろしくね、フィオネ」

 メタモンと一緒に部屋を出る前に、フィオネは薄暗い室内を見回した。

「ん? どうしたの?」

『いや、なんでもない』

 あの闇はすっかり消えてしまっていた。
孤独が作り出した白昼夢だったのだろうか。
あるいは、気づかない内に悪夢に取りこまれたのか。

 それにしても。

 あの闇に溶けて、一つになっていたら、それはきっと……。
きっと気持ちの良い……。





第六話 ハートスワップ おしまい

読了報告

 この作品を読了した記録ができるとともに、作者に読了したことを匿名で伝えます。

 ログインすると読了報告できます。

感想フォーム

 ログインすると感想を書くことができます。

感想