2012.10.17. 投稿
◇ 1 ◆
「いやいや。ですから、どうにかうちのニドリーナを、取り返していただきたいのです!」
そう言って押し付けるように手渡された一枚の写真を、大男はまじまじと見る。薄い青い色をした体に、深紅の瞳。一見したところ、特に珍しくもない普通のニドリーナ。いくら見つめても大男にはその印象が覆ることはないが、見る人が見ればわかるのかもしれない。例えば目つきとか、体表の微妙な変化とかで。
「いやいや。この子は我々が大切に育てているポケモンたちの一匹なのです! 毎日決まった時間に決まった量の投薬をし、その経過を観察し解析する。多くのポケモンたちを救うことになる、画期的な新薬を開発するために! そのために実験に協力してくれている、大切なポケモンだというのに!」
白衣の人物は噛みつかんばかりの勢いで大男に詰め寄り、その手を力強く握る。縁の薄い眼鏡をかけた神経質そうな顔を興奮の熱で上気させ、その人物は大男の顔をまっすぐに見上げた。
大男の外観は、白い部屋の照明を受けてきらりと光るスキンヘッドに、縁のないサングラス、大きな金色の輪をぶら下げたピアスに、たっぷりと塗られた口紅、整えられた顎ヒゲ。
その風貌から普段周囲の人間には避けられることの方が多い大男は、その白衣の人物の行動に少々の新鮮さを感じる。しかし大男はそんなことは顔には出さず、写真をスーツの胸ポケットにそっとしまうと、握られていない方の手を白衣の人物の手にそっと重ね、サングラス越しに視線を合わせる。
「大丈夫よお。アタシたちに任せておけば、このニドリーナちゃんはすぐに帰ってくるわん。だから、ね。あなたは安心して、ここで待っていればいいのよん」
なだめるような穏やかな声音で大男が言うと、白衣の人物はようやく落ち着いたようにひとつ息をついて、大男の手を放す。
大男の後ろに控える金髪の女性は、この気色の悪い裏声混じりのハスキーボイスでどうして気持ちを落ち着けられるものかと内心で疑問に思う。金髪の女性にしてみれば、この大男の口調も声色も仕草も、全てがハマりすぎていて逆に見ていてイライラするというのに。
かくいう金髪の外観も、決して初めて会う他人を警戒させない類のものではない。先端にいくほど色素の薄い金髪は染めたものではないにしても、黄色い十字手裏剣をかたどったような飾りのついた髪留めをサイドポニーの根元に突き刺し、今にもオイコラ何見てんだよとでも言い出しそうな不機嫌な目つきを常に変えないその表情が周囲に与える印象は、完全に街の不良だ。しかも大男とそろってふたりとも、胸元までボタンを外したシャツの上に黒い細身のスーツという格好だというのだから、誰が見たってヤのつく人たちの下っ端である。
しかしそんなふたりを招き入れた白衣の人物はといえば、彼女らの纏う不穏さを全く気に留める様子もない。
白衣の人物は額ににじんだ汗を几帳面にハンカチで拭うと、「おい」と後ろの部下らしい人物に声をかける。その人物から薄い封筒を受け取ると、白衣の人物は仰々しくそれを大男に差し出す。
「いやいや。それでは、前払いの報酬です。お受け取りください」
「あら、ウチは後払いで結構よん?」
「いやいや! お受け取りください。ささ、どうぞ」
白衣の人物が引き下がりそうもないので、仕方なく大男は白い封筒を受け取る。手で触れた限りでは、中身は少々の厚みのある上質そうな紙きれが一枚。おそらくは小切手だろう。
「お預かりしておくわ。それじゃあ、アタシたちはこれで」
「いやいや。吉報をお待ちしております!」
そう言って頭を下げる白衣の人物に背を向け、大男と女性は応接室を出る。
そのまま白い廊下を歩いて行くふたりに、部屋の外で待っていた少女が続く。まるで自分たちが今出てくることがわかっていたかのように一切の戸惑いなくついてくる少女に、前を向いたまま大男は声をかける。
「今の話の中に、まちがいは?」
「……ありません」
一拍遅れて、少女のささやくような返答が聞こえる。この少女は、人間ウソ発見器だ。あの白衣の人物がまともな感情を持つ人間であれば、これで先に与えられた情報はすべて正しいと考えて間違いない。少女の腕の中で、夕焼け色のポケモンがくぅんと鳴く。きっといつものように、少女を気遣っているのだろう。
少女は、モンスターボールというものを所持していない。いつでも常に、それこそ肌身離さずという表現がしっくりくるほど、この夕焼け色のポケモンがそばにいる。
種類はロコン。種の平均的な体長よりも小柄で、少し跳ねた毛が可愛らしい。腕の中であったり頭の上であったり足元を歩いていたりとその位置こそ色々だが、このロコンが少女の傍を離れるところをほとんど大男は見たことがなかった。
少女は大男や金髪と同様の黒いスーツ姿で、下は二人と違いパンツではなく数か所プリーツの入ったスカートに黒いストッキング。髪はこの地方では珍しい混ざりっ気のない黒で、頼りなさ気に伏せられた瞳も髪と同色。しかし金髪の女性とは対照的に常に自信のなさそうな気弱な表情をしているためか、そうした少々特殊な外見にもかかわらず影が薄い。
「それにしてもよ」
金髪の女性が少しだけ歩調を速め、大男の隣に並ぶ。
「どうしてあたしらが、こんなとこまで来なきゃならなかったんだ? こういう取引とか金のやり取りとかは、二課の連中の仕事じゃねえのかよ」
「仕方ないでしょお? ウチはいつでも人手不足。組織としての形式ばかり整ってはいても、その分担通りにすべてを進められるほど充足してはいないんだから」
悪態をつく金髪を、大男は保護者のような口調でなだめる。金髪の女性はちっと舌打ちをしてそっぽを向く。
「苦手なんだよ、こういう堅っ苦しいのはよ」
「だから取引の話は全部アタシがしたじゃないのお」
「ハッ。どうせこんなトコじゃあたしは役に立たねえよ。そこのグズと違ってさ」
金髪の女性はそう言ってちらと後ろを振り返り、少女がびくっと小さく肩を震わせる。少女の腕のロコンが再びくぅんと鳴いて少女を見上げ、それからむっとして金髪の方を睨む。「ハッ」と金髪が挑発的にロコンを睨み返し、大男はため息をつく。
「んもう。やめなさいよヒナ。お姉ちゃんでしょお?」
「ガキ扱いすんじゃねえ! そんでこいつの姉でもねえし!」
「はいはい。すぐムキにならないの」
「んぐッ……!」
これ以上の反論は余計子ども扱いされるだけと悟った女性は、忌々しそうに口をつぐんで唸る。
それから研究所の敷地を出るまで三人とも押し黙ったままだったが、しばらく歩いたところで、珍しく少女が口を開いた。
「……あ、あの、マカオさん」
「あら? なにかしら、ホノちゃん」
大男が優しそうに振り返り、少女はそんな大男と目を合わせたり逸らしたりしながら、先の言葉を言いよどむ。そんな調子で少しの間続いた沈黙を破ったのは、金髪の女性。
「んだよ焦れってえな! なんかあんならさっさと言えよ!」
「んもう、ヒナ?」
大男にたしなめられ、再び金髪はチッと舌打ちをして黙る。少女は恐る恐るという様子で金髪と大男を交互に見てから、悲しそうに俯く。大男は再び小さくため息をついて、少女の隣に並ぶ。
「意外だったんでしょう。今回の仕事が」
思っていたことを当てられて、少女が少し驚いたように大男の顔を見る。大男は得意気に小さく笑って、少女の頭を軽くなでる。
「ホノちゃんみたいな不思議なことはできないけれどね、アタシ勘はいいのよん。ま、これまでがこれまでだったから意外ではあるんでしょうけど、別にそう珍しいことでもないのよお? バラックカンパニーはなにも、悪の組織ってわけじゃあないんだもの」
少女は一度腕の中のポケモンと目を合わせ、それから大男の方を向き直り、小さく首をかしげる。身長を含めて少女の外見は十代半ばだが、こうした仕草をみていると、やはりそれより少し幼くみえてしまう。だから自然とこの少女には、大男の話し方も小さな子どもにするかのような優しいものになる。
「ま、ポケモンリーグあたりは、ほとんど悪の組織みたいな目でアタシたちをみているみたいだけれど。もともとはただ、普通の人には頼めないようなことを引き受ける、ただそれだけの組織よん。本格的に商売じみてきて、少し様子は変わってしまったけれど」
「だからって今回の仕事が正義の味方かっつったら、そうでもねえだろ」
少しの置いてけぼりをくらったような気がしていた金髪が、ここぞとばかりに口を開く。
「上辺だけなら盗まれたポケモンを取り返す仕事。けどじゃあそのポケモンはといえば、薬の実験台ときた。大方さっきの必死さも、よそのヤツに研究を横取りされたくないってだけじゃねえのかよ。しかも相手は自称ポケモン保護団体ってんだろ? だったらあたしらはフツーに今回も悪党だろうが」
「ま、否定はしないわ。だけどその保護団体さんたちも、アナタの言うように実は研究を横取りしようとしてるだけなのかも知れない。それぞれの胸の内なんてアタシたちにはわからないし、わかる必要もないわ。バラックカンパニーは、頼まれたことをやる会社。なんでも屋さんに善悪だなんて、はじめからありはしないのよん」
そう言って大男は会話を切り上げ、歩を進める。彼女らの「仕事場」へ向かって。
◆ 2 ◇
彼女らの所属する「営業部」のデータベースからターゲットである自称保護団体の事務所の場所はすぐに割れ、彼女らは間もなく仕事に戻った。即ち、本来の「営業部第一課」の仕事に。
作戦の立案と潜入は、“いつも通り”のやり方だ。金髪が潜入先の人間をひとりふん縛り、少女の“技”で情報を引き出して、それをもとに大男が作戦を立てる。すでに数回の「仕事」を共にこなして、彼女らの間に自然と生まれた分担、チームワークだった。
夜、バラックカンパニー社員が制服代わりに着用する細身の黒いスーツに身を包んだ三人は、大通りからは少し外れた通りに位置するターゲットの事務所までやって来ていた。自称保護団体が根城にしているのは、オフィスビルの二階。なにかの店舗としても使われているのか一階はガラス張りで、こちらはまた別のテナントが入っているようだ。全体的に、ボロいと表現するほどではないとしても新しいとは言えない外観だった。夜の闇が殺風景なシャッター通りを余計に近づきがたいものに変えている。
作り付けの階段には錠のついた柵が通せんぼうしているが、乗り越えたからといって警報に引っ掛かるというわけでもなさそうだ。人通りなどほとんどないが、一応人目には配慮しながら、金髪、少女の順番で乗り越える。少女は今はスカートではなくパンツスーツだったが、服装に関わらず運動能力は高くないようで、大男に押し上げてもらいつつやっとのことで柵を越える。
ちなみにバラックカンパニーで支給されるスーツは、見た目こそ一般的なビジネスマンが着ているものと変わりないが、伸縮性に富んだ特殊な繊維でできていて、本来であればジャージ並に動きやすいはずの代物だ。
呆れて見ていた金髪を少しむっとした顔で睨んでから、大男の頭上で滑らないようしがみついて待機していたロコンが、ひとっ跳びで柵を越えて少女の腕の中に納まる。飛び移る際に少し足を滑らせたのか、不自然な姿勢で少女にキャッチされたロコンを見て金髪が「ハッ」と笑い、ロコンはますます膨れ面になる。
「じゃあ、手筈通りにねん。気を付けて行ってらっしゃい」
今回大男は見張り役だ。普段ならまだ現場慣れしていない少女がその任に就くのだが、今日は少女にも潜入してからの役目がある。大男は小声でいくつかの注意事項を再確認した後、まるで遠足に行く子どもたちを送り出す母親のように小さく手を振りながら、階段を上っていくふたりと一匹を見送った。
階段を上って二つ目の踊り場に鉄製のドアがあった。フラップ式のペットドアもついており、ここから小さなポケモンを潜入させてカギを開けるのが一番簡単な方法だが、他所のポケモンが勝手に入ってきたりするのを防止するためにこちらにはセンサーが付いているとのことを事前に「確認」している。
面倒だが、ここは素直に外からカギを開けることにして、金髪の女性はキーホルダーのついたピッキング用の針金を取り出す。ものの十数秒で、がちゃり、という音がしてカギが開き、金髪は大きな音を立てないよう慎重にドアを開け、先に少女を中に入れてから自分も入り、やはり慎重にドアを閉める。
中はいかにも簡素な事務所という造りだった。いくつかの事務机にはパソコンや書類の束が並び、部屋の隅にはコピー機もある。そして奥のもう一部屋に続くドアからは、うっすらと明かりが漏れていた。情報通りだ。
「いいな、ホノ。寝ていればそれでよし。もし起きてやがったら、おまえが眠らせろ」
頭にロコンを載せた少女が、少しためらったような顔をしてから、こくんと頷く。
少女に断ることはできない。これこそが少女が潜入に同行した理由であり、少女がここにいられる理由だ。
極めて簡単な仕事だった。
ターゲットはさほど大きくもないポケモン一匹。居場所は単なるオフィスビル。夜になれば人もはけ、監視カメラ他セキュリティの類もない。
ただ一つだけ問題になるのが、深夜他に誰もいなくなったビルに一人だけ居残っているという人物の存在だ。
ここが不遇なポケモンたちの保護を生業にしている集団の事務所であることはどうやら間違いではなかったらしく、二つある部屋の片方はそういった「かわいそうなポケモンたち」やその里親になってくれる人物たちの情報をとりまとめる事務室、もう片方が実際に保護したポケモンたちを一時的に世話するスペースにあてられているとのことだった。そして、昼間情報を「引き出した」人物によると、この集団の熱心な構成員がひとり、ほとんど毎日泊まり込んではポケモンたちの世話に熱を出しているということらしい。
この人物さえどうにかすれば、あとはニドリーナ一匹連れ出すのはどうということもない仕事というわけだ。
ふたりと一匹は、できるだけ足音を立てないように奥のドアまで近づく。
「どうだ、ホノ。奥のヤツは」
「……。起きて、ます。他の、ポケモンたちも。こちらに……気づいているみたいです」
「チッ。ホノ、わかってるな」
「…………」
少女は、返事をしない。ドアの隙間から漏れる奥の部屋のもの以外に明かりはないのではっきりと表情は見えないが、金髪には少女が泣き出しそうな思いつめた表情をしているであろうことが容易にわかった。この少女は、いつもこうだ。金髪は苛立ちながら、しかしここで怒鳴りつけるわけにもいかず、小さく舌打ちをしてドアノブに手をかける。
「いいな、ホノ。いくぞ」
◇ 3 ◆
「――っ!!」
がちゃ、と音を立ててドアが開き、奥の部屋の様子が明らかになる。そこには叫び声を上げようとして声も出せないでいる女性がひとりと、大小数匹のポケモンたち。その心だけを感じ取っていた人物たちの姿を、少女は急に明るくなってちかちかする視界の中に収める。昼間に「視た」通りの姿の、女性とポケモンたちだった。
「あっ! あ、あなたたちっ、いったい誰!? ここに何の用なの!?」
震える声で、ようやくそれだけを言う女性。ドアの開く音や足音でこちらに気付いて身構えていたのだろう、こちらのことを強盗か何かだと思っているようで、すっかり怯えきっていた。
「ホノ、なにボサっとしてやがる。さっさとやれ」
となりで、金髪が冷たい声でそう言った。その高圧的で冷ややかな視線は目の前で怯える女性に向けられたままで、金髪の言葉の意味を理解できない女性は一層怯えたようにこちらを見ていた。少女はしかし、そんな女性や彼女を守ろうとしてずいと前に出るポケモンたちに対して、どうしても“技”を使う気になれない。
女性はなにも悪くない。ただ、ひどい目に遭ってきたポケモンたちを、少しでも早く普通の生活に戻せるようにと世話しているだけだ。
ポケモンたちは、なにも悪くない。人間不信になりつつあった自分たちを懸命に世話してくれる女性に少しずつ心を開きかけていて、そんな女性を怯えさせ、危害を加えようとする何かから女性と自分たちを守ろうとしているだけだ。
そんな女性とポケモンたちに。
どうして、自分なんかのおぞましい「能力」をふるうことができる?
「おい、ホノ。早くしろ!」
金髪が表情を険しくしながら、低く怒鳴る。女性ながらドスの利いたその声とそこに込められた怒りの感情に、少女はびくっと身震いする。怖い。早くやらないと、自分もどんな目に遭うかわからない。
けれど。
それでも。
何の罪もない、ただ優しいだけの女性とポケモンたちに、他者の心を否応なく抉ってしまう自分の“技”は、使いたくない。
少女は自分の「能力」を嫌っていた。自分の“技”を呪っていた。
こんなこと、できなければいいのに。こうしている今でさえ、いや、こうしている今だからこそそう思う。
けれど。これができるから、自分はここにいられる。
少女にできることは、他に、なにもない。
なにも、ないのに。
――グルアオオウッ!!
と、女性をかばうように前に出てきたポケモンたちの一匹、細身な黒い体に骸骨を思わせる紋様を持つポケモン、ヘルガーが、しびれを切らしたように唸り声を上げた。それに呼応するかのように、女性の周りのサイホーン、ピジョン、ウツドン、チャーレムなどが、次々と声を上げて前に出る。
――このヒトをいじめるな。
――悪いニンゲンたちめ。
――今度はあたしたちをどうする気なの。
――これ以上好きにさせてたまるか。
少女には、ポケモンたちの怒りが、悲しみが、怯えが、激情が、突き刺さるように聞こえてしまう。
違う。
違う。わたしは、そんなことしない。あなたたちには、何もしたくない。
そう、言いたかった。
けれど、できない。言えない。
それでは、裏切ることになる。こんな自分を受け入れてくれたヒトたちを。失うことになる。やっと手に入れた居場所を。
でも、それなら、どうすればいい。どうすればいい。
ねじ伏せるしかないのか。
いつものように。
すでに多くの傷を負った心を、抉るように。
焼き尽くすことしか、できないのか。
「だ、め……っ。わたしは、わたしは……っ!」
「チッ。ドングリ!」
金髪が険しい顔で、モンスターボースを投げる。中から現れたのは、少女のロコン以上に小さな体に、ふさふさした大きなしっぽを持つ白いポケモン。でんきりすポケモン、パチリス。
「ドングリ、“ほうでん”!」
金髪の指示で、パチリスは顔に似合わない凶悪な笑みを浮かべると、こちらに敵意を向けるポケモンたちの真ん中に飛び込み、青白い火花を散らせて耳をつんざくような音と共に広範囲に及ぶ電撃を打ち出した。女性と、ポケモンたちの悲鳴が電撃の轟音に交じって聞こえる。強烈な閃光と共に、いくつかの意識が奪われていく。
その“ほうでん”が終わる寸前、金髪が部屋の中心へと駆けこんだ。電撃を受けて倒れ込むポケモンたちの後ろに守られて無事だった女性の懐まで一瞬にして間合いを詰めると、その腹に一発、拳を突き入れる。女性は一瞬驚いた表情を浮かべ、ぐったりと金髪の方に倒れ込んだ。
金髪はそっと女性を床に降ろし、そしてまだ意識を残し敵意を向けているポケモンたちを無表情に見回すと、一言、
「片付けろ」
とだけ指示する。パチリスは再び凶暴に笑い、まるで金髪の動きを真似るかのように、一瞬で相手の懐に潜り込んでは一発電撃を放つという攻撃を数匹に繰り返し、瞬く間の内に「敵」全員を無力化した。
少女は、その光景を最後まで見ていることができなかった。見ていなくても感じられた。一匹、また一匹と、意識が奪い去られていくのを。
最後まで怒っていた者。
驚愕していた者。
怯えていた者。
戦意を保てなくなり、逃げ出そうとしていた者。
みんな、倒された。
反撃の間すら与えられない、圧倒的な暴力によって。
誰のせいで?
「……――っ!」
少女は、声も上げられずに座り込む。
結局、傷つける結果になった。
心だけでなく、体までも。
もし、もしも指示された通りに少女が動いていれば、まだ心だけの傷で済んだかもしれないというのに。
少女は、自分の「能力」を嫌った。
少女は、自分の使う“技”を呪った。
なにより少女は、自分のどうしようもない無力を悲嘆した。
「うっ、ぐっ、あぁ……」
まだわずかに意識が残っていたらしい。金髪に沈められた女性が、呻くように声を上げる。
「あなた、たち……。お願い、お願い、だから……、この子たちには、もう、なにもしないで……。この子、たちはっ……、もう、これ以上、つらい目に、遭わせないで……ッ!」
そんな女性を、冷ややかな目で金髪が見下ろす。そして。
「ホノ」
指示が、下る。
「――――っ!!」
少女には、どうすることもできない。
こんなこと、できなければいいのに。
どんなにそう思っても、どこへ行っても、どこまで行っても。
この「能力」は、少女にどこまでも付きまとう。
なぜなら、これは少女の一部だから。
このおぞましい「能力」もまた、少女の一面なのだから。
少女にできることは、他に、なにもないのだから。
「――――っ」
少女は、心に力を込める。集中する。イメージする。
そして。それに呼応するように、少女の頭上のロコンの目がふわりと輝きを放ち。
青白い“おにび”が、少女たちの周りを回って――――
深夜の、深い闇の中。
唯一明かりに照らされた狭い部屋の中には、少女と、金髪と、パチリスだけが立っていた。
女性はもう、完全に意識を失っている。そして、次に目を覚ます頃には、全てを忘却していることだろう。今日この場で起こった全てと、それから、
「いたぞ」
この、ニドリーナと過ごした、全ての時間を。
部屋の隅で震え、様子を窺っていたらしいそのポケモンは、疑念と困惑に満ちた表情を浮かべながら、恐る恐るこちらを見上げていた。
「予定より時間がかかり過ぎてる。こいつを連れて、さっさとずらかるぞ」
金髪がそう言って、少女を促す。けれど少女は、動かない。
「なにをグズグズしてやがるこのグズ。さっさと“説得”して、できなきゃ眠らせろ」
金髪の言う“説得”もまた、少女がこの場に連れてこられた理由の一つだ。体重二十キロもあるニドリーナを抱えて運ぶのは面倒だし目立つので、できれば自分で歩いてもらった方が都合がいい。研究所でこのニドリーナを入れていたモンスターボールは特殊なものらしく預からせてもらえなかったので、このまま連れて行くしかないのだ。
わかっている。わかっているけれど――
「早くしろ。遅くなってマカオのヤツにグダグダ言われんのはあたしなんだ。あたしはあいつにエラそうにされんのが一番キライなんだよ。早くしねえと、こいつも力づくで気絶させて、おまえに背負わせるぞ」
金髪はイライラが募るほど饒舌になる。わかっている。わかっているのに。
少女は俯いたまま、ぽつりと、口を開いてしまう。
わかっている。
こんなことを言ったって、甘えにしかならない。
甘えたところで、許されはしない。
少女の居場所は、ここしかない。
少女にできることは、他に、なにもない。
わかっている。わかっていても。
「…………もう、むり、です」
少女は、きゅっと口を引き結ぶ。
言ってしまった。
口にしてしまった。
怖かった。
唇が、手が、全身が、ぶるぶると震えた。
拳を握っていないと、緊張でどうにかなってしまいそうだ。
頭の上のロコンが、そんな少女の心を感じ取り、「くぅん」と気遣って鳴く。
この温かさがなければ、少女はとっくに泣き叫んで逃げ出していただろう。
「この、グズが」
金髪が、肩を怒らせて呟く。
そして、
「甘ったれんじゃねえ!!」
少女の胸ぐらを乱暴につかみ、無理矢理に引き寄せる。少女が硬直し、反射的に怯えた目で金髪の目を見つめ返す。
金髪の目は、真剣だった。真剣な怒りに包まれていた。
金髪は、その胸に抱えた感情を吐き出すように、一気に少女に言葉を浴びせかける。
「いいか、あたしたちはな、悪党なんだ。どんなお題目並べようが、どこの誰のためだろうが、あたしたちのやってることは悪なんだよ! ガキの頃はさ、そりゃあ誰だって、正義の味方に憧れる。だけど実際でかくなってみりゃあ、自分はすっかり悪党さ。だけどな! だからこそあたしたちは、堂々としてなきゃならねえんだ! 奪うときは颯爽と奪え。傷つける相手に容赦はするな。間違っても同情引くような顔なんてすんじゃねえ。おまえ、言えんのかよ。奪う相手に、『ホントはこんなことしたくない。仕方なくやってるんだ』なんて言えんのかよ!? ふざけんじゃねえ。だったら、返してやれんのか。奪ったものと同等以上の何かを与えてやることができんのか。できねえだろうが! あたしたちにできるのは、奪うことだけなんだよ! だったら、ンなみっともねえツラするんじゃねえ! 許してもらおうなんて、思うんじゃねえよ! おまえは自分のしてることが、許してもらえることだなんて、本気で思ってんのかよ!?」
金髪は、少女を睨みつける。少女の瞳を、まっすぐに覗き込む。少女は、目を逸らさなかった。逸らせなかった。ただ、あふれ出るような感情を抑えながら、ぎゅっと金髪の目を見つめ返すことしかできなかった。
そんな少女をしばらく睨みつけ、やがて金髪は、乱暴に少女を突き飛ばす。少女はかくんと膝を折って崩れ落ち、それでも金髪の方を見つめ続ける。金髪はチッと舌打ちをすると、顎でニドリーナの方を指し、短く言う。
「さっさとしろ。朝までここにいてえのか」
少女は、ニドリーナの方を見る。未だニドリーナは、困惑したような表情でこちらを見ている。
ニドリーナと、少女の目が合う。
その感情が、伝わってくる。
しばらくの間、少女はそのままの姿勢で固まっていた。その間一度も、ニドリーナから視線を外さなかった。
そして。
少女は、ゆっくりと立ち上がった。
「……もう、大丈夫です」
少女は、聞き取れるかどうかぎりぎりの小さな声で、そう言った。
「行きましょう」
◆ 4 ◇
「いやいやいや~! ありがとうございます! ニドリーナにケガもないようで、本当によかった。おかげで研究がつづけられます。本当にありがとうございました!」
白衣の人物は両手で大男の手を握り、ぶんぶんと上下に振りながら繰り返し感謝の意を述べ続けた。基本的に他人に避けられることの方が多い大男が白衣の人物に若干引いているその姿は、なかなか見られるものではない。これで妙なテンションを振りまく人間のうっとうしさというものを大男が学んで、少しでもおとなしくなってもらえたら金髪としては言うことがない。
どうにか気の済んだらしい白衣の人物とのやり取りを切り上げ、「それじゃあねん」と言って大男は背を向ける。金髪もその後に続こうとして、ちら、と一度だけニドリーナの方を振り返る。全く抵抗することなくここまでついて来たニドリーナは、今も妙にすっきりとした顔でこちらを見送っていた。
応接室を出て、白い廊下を歩く。外で待機していた少女が、その後に続く。ニドリーナとは対照的に未だ浮かない顔をしている少女をちらと横目で見て、金髪は顔をしかめる。この少女が笑っているところなどそういえば見たことがないが、それでもいつも以上に元気がないのは金髪の目にも明らかだ。大男も確実に少女の様子には気付いているはずなのに特に何も言ってこないのが、金髪にとってはかえって気味が悪い。
だからといって、あれだけ怒鳴り散らしておいて今さら少女を気遣うような態度をとることは、金髪には到底できないのだが。
そんな自分のことまでもふんふんと面白そうに大男が見ていることなど知らない金髪は、ひとり悶々と葛藤を続ける。
少女は、考えていた。
自分が、自分たちが、ここでこうしていることはなんなのか。
――アンタ、研究所のヒトたちの遣いで来てるワケ?
昨日の晩の、ニドリーナから伝わった心が、少女の中でぐるぐるとまわっている。
――アタイを連れ戻しに来たんでしょう。よかった。これで、あそこに帰れるのネ。
ニドリーナは、そうほっとしたような“声”で囁いた。
――ここのニンゲンも悪くはないケドね。アタイは、あそこでヒトの役に立つのが幸せなのヨ。このままどこの誰ともわからないニンゲンのトコロに送られるくらいなら、あそこでヒトやポケモンのためにクスリを作りたいの。さ、早く連れ帰って頂戴。
どうして。
どうしてそんなことを言うのか、わからなかった。
あの白衣の人物は、薬の研究を続けたがっていて。
あの女性は、ポケモンたちを守りたがっていて。
あのニドリーナは、研究所に戻りたがっていて。
結局、自分たちは、誰のために、何をしたのか。
誰を傷つけて、何を壊したのか。
いくら考えても、少女にはまだ、わからなかった。
「ふうん」
大男は、ひとり微笑む。サングラスの下の目を細めて。面白そうに。
「ふたりとも、いい顔してるじゃないの」
ふたりの「部下」を振り返りながら、大男は呟く。
楽しそうに、微笑みを浮かべながら。