Report.12 大いなる夢幻の彼方へ

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読了時間目安:18分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 PCの打鍵音しか聞こえてこない静まり返った一室に、やや場違いともいえる呑気なメロディが鳴った。
 このメロディ、多くの人間は耳にオクタンが出来るほど聞かされている。ここがポケモンセンターであれば、この後「お預かりしたポケモンはみんな元気になりましたよ!」とジョーイがお決まりの口上を述べる。
 作業に没頭していた中年の男性は、回復装置が鳴るまで来訪者に気付かなかった。防犯上の疑問は、こんな未開の場所で構えた研究所に立ち入る者の少なさを考えればおのずと消える。
 『クロスピーク』は、外界から隔絶し秘匿された里のように、静謐を保った瀑布一帯だ。
 まず、人が住む環境ではない。いるのは、この好奇心に負けた男――須藤数真、ただひとり。それと、無愛想な息子が、時折セーブポイントのように利用するだけだ。
 荷物をおろし、使い終わった道具を忙しなく処分していく様はなんとも声をかけ難い。
「おー、帰ってたのか。声ぐらいかけてくれよな」
 彼はポケモンも出さないから、気配すら漂わせない。
「すぐ出て行く」
 目も合わせず、淡々とナップザックを整理し、次の冒険に出る準備を進めていた。
 昔はもっと愛想の良い息子だったはずが、これが思春期というやつの弊害か。父と子は、会話と会話にある隙間の埋め方すら忘れてしまった。
「大会、優勝出来たみたいだな」
「雑魚しかいない」
 戒斗はカワラケ大会をたった七文字で総括したのちシャツを脱ぎ捨てると、洗濯機をひとりでに回し始めた。父が席を立ち、棚からレトルト食品を取り出す。
「何か食べてく? 疲れたろう」
「いい」
 シャワー室に向かい、そのままドアを強めに閉ざす。これ以上干渉するな、の合図だ。
 父はどうしようもなく、すごすごとPCの待つ席に戻っていく。
 もう随分長いこと、こんな感じである。数真は博士号を取得し、オリジナルZの第一人者として世に知られるようになった。でも息子のことはいくら研究しても答えが出てこない。
 気を利かせてテーブルに置いた数真セレクトのインスタントラーメンは、きっと蓋を開けることなく放置されるのだろう。だって、戒斗はラーメンが好きじゃないから。

「須藤、数真(スドウ カズマ)博士……」
 次の訪問者はインターホンを鳴らして自己紹介してきた。名刺を渡されるとこうした社交に慣れていないのか、男の子は緊張しながら受け取り、女の子の方は完璧な所作で受け取る。
「オリジナルZの研究をしてるんだけど、知ってる? ぼくのコト」
「確か、TVにも出演されてましたよね」
「そうそう。ま、こんな場所にわざわざ来てくれたんだから飲み物ぐらい出さないとねー……」
 ちょっと待ってて、とふらり博士は姿をくらました。
 【クロスピークのおいしいみず】とラベルが貼られたペットボトルからコップに注ぎ出す。
「どうぞ」
 ふたりとも絶妙に反応に困った。
「あ、ありがとうございます……」
 客人に水を出すとは、余程人が訪れないのだろう。
 だが、やはりこの人も権威者だと感じられたのは、クワガノンを見せてからの食いつきぶりにある。
「へえー、きみたち面白いね」
「面白いですか!?」
 架のZリングとクワガノンをそれぞれ見比べながら、博士は愉快に呟いた。
「今までいろんなトレーナーを見てきたけども……、きみとクワガノンの間には……つよい、つよぉぉぉーーい絆を感じるねえ」
 須藤博士は年々リーグにも呼ばれており、解説には定評がある。そんな博士が架とクワガノンを面白いと称するのには、そう感じさせる何かが備わっているのだろう。
 架は褒められて興奮を隠しきれていないが、当のクワガノンは全く意に介していない。このちぐはぐさもバディーズの味ではあるが。
「決めた」
「何を?」
「おれ、ここで修業する!」
 架はすっかりその気になっている。
「ワーオ!」
「楓もやるんだよ!」
「えーっ、ムリムリムリムリムリ……」
「まずは、その性根を叩き直さないとなっ!」
 架が両手を広げて飛び掛かるフリをすると、楓が心底わざとらしい悲鳴を上げる。
「いいかもしれないね」
 須藤博士の一言によってコントは中断された。
「カワラケを準優勝出来るぐらいなら、この辺りはうってつけの環境だと思うよ」
 先程の甲高い声のせいで眠っていたベイリーフが起きたのか、こちらに寄ってくる。楓は両手を広げて迎え入れると、馴れ馴れしくも頬ずりした。博士の手持ちポケモン、またの名を研究の助手だろう。そういえば、助手を雇っていないことは研究所を見渡せば分かる。
 架がもしかしたら対面するかもと思っていた人物は既に出払ったようだ。博士とポケモンをおいては、もぬけの殻だ。
「あの……戒斗くんはもう行ったんですか?」
「ああ、先を急ぐみたいだ。……ところで、一条くん」
 はいっ、と襟を正す。
「この辺りにはとても珍しいポケモンが生息していてね。滅多に現れないんだが、ごく稀に現れるんだ。それを見て――」
「みたいです!」
 人の語尾を勝手に奪い取り、挙句、話も聞かず飛び出していく。この少年、スクール時代も渚先生の話をろくに聞かず、翌日には提出物関係の不始末で怒られていた。
「あらー、行っちゃったよ……」
 おいしいみずだけは丁寧に飲み干してある。
「落ち着きのない奴ですから、ホント」
 仕方ないねえ、よしよし、と楓はベイリーフを相手する。架の言動は日常茶飯事な為、そんな彼を眺めては幼馴染ながらにお姉さんぶっていた。
「きみは行かないの?」
 だからこそ、須藤博士の問いかけが突き刺さる。
 楓は取り繕った苦笑を浮かべた。被害妄想かもしれないが、暗にきみは見ているだけかい? と言われている気がして、敏感に反応してしまう。
「いや、お話を伺ってからにしようかな~……って」
「そう」
 博士は肯定するでも否定するでもなく、ただ優しく微笑み、ポケモンの情報を彼女に伝えるのだった。


 研究所を早々に後にした戒斗が向かう先は、滝の頂上だった。滝壺を歩く途中、滝から飛び降りる影を見た気がしたが、別段気にも留めず、先へと進む。
 今回のお目当ては、クロスピークにて稀少確率で目撃されるドラゴンポケモンだ。既にデータは研究所で得た。
 その道中で、戒斗は洞窟の青みがかった岩に擬態していたダンゴロを目撃する。その内、身体から光を発する個体を発見したから、ついでにボールを投げておいた。呆気なくそれは捕まる。
「色違いか」
 ダンゴロは今回の目的ではない。また、戦闘要員としては素早さが低く、扱いにくい。しかし色違いということであれば、トレーナーとポケモン交換する際にも差し出せるだろう。そう思い、キープに留めた。

 
「おいおいおいおい!! 何やってんだ!」
 その叫びはクロスピーク一帯に響き渡る。全身を投げ打つように滝から飛び降りるなど、正気の沙汰ではない。
 滝壺にぷかーと浮かび、人の心配など露知らずのドラゴンジュニアに、架が駆け寄っていく。
「はっ、生きてる……よかったあ」
 心の底から胸を撫で下ろし、息を吐いた。
「いつものことだよ」
「いつも……? おまえ、いつもこんなムチャやってんのか」
「タツベイは翼が欲しいだけだよ」
 須藤博士と楓が、後を追い掛けてきた。
 タツベイと呼ばれる竜の子は、覗き込む架の方ではなく、晴れ渡る蒼穹を水面から見上げている。

 楓がポケモン図鑑でタツベイをスキャンすると、以下のような説明文が読み上げられた。

【 タツベイ 分類:いしあたまポケモン/タイプ:ドラゴン/高さ:0.6m/重さ:42.1kg 
 大空を飛ぶことを夢見て、毎日飛ぶ練習の為に崖から飛び降りている。 】

 また、別の説明では、タツベイに刻まれた遺伝子情報がそのような願望を抱かせるのだと指摘されていた。完全に架の早とちりだ。
「そ、そっかぁ~……」
 アハハ、と笑っているうちに、タツベイはまた崖に登ろうと駆け出していく。
「一条くん、ポケモンを人間と同じ物差しで決めつけてはいけないよ」
 痛いところを突かれる架。クワガノンの目線が痛い。
 タツベイは空を飛びたがっている。
 架のクワガノンなら、タツベイを持ち上げつつその辺を飛行することも可能だろう。空を飛ぶ、という願い自体を叶えてはあげられる。しかし……。それでいいのだろうか。
「待てよ、おれにもやらせてくれ!」
 一緒に修行すべくタツベイの後を追いかけていった。須藤博士はその様を見て、うんうんと頷いている。
 楓はこの優男が、やはり侮れないと感じた。


 クロスピークを無理矢理にでも駆け上がっていくのは、相当堪えた。
 タツベイの修行ルートを追跡する架は、普段どれだけ過酷な修行を己に課しているのか追体験させられた。滝壺の洞窟でダンゴロの群れに出くわすと、お得意の頭突きを繰り出し、襲い掛かる岩塊を真正面から愚直に受けて立つ。落石を残らず撃ち落とすように粉砕し、道を切り拓いていた。
 しかし道中、暗がりから襲い掛かろうとするオンバットたちの存在に、架の方が先に気付く。クワガノンがフラッシュを焚いていたからだ。余計なお世話と分かりつつ、反射的に声を発していた。
「タツベイ! 後ろだ」
 頭突きだけでなく、後方に向かって凄まじい息吹を吐き出し、見事暗闇の狙撃者を討ち果たす。
「今の、ビリッと来たぜ」
 架はサムズアップを贈るが、タツベイは無言でまた頂上目指して駆け出していった。
 クワガノンと目配せし、不思議な同調を得た気分になる。

 その頃、戒斗は滝口に辿り着き、目的のポケモンと念願の遭遇を果たしていた。
 湖の主・ハクリュー。
 通常ではお目にかかれないレアポケモンの一種だ。
 かつ、この個体は『不思議な鱗』という特性を有し、それ自体は副産物的なものだが、最終進化に向けた布石となる。目視でも確認出来る輝きを帯びたウロコは、ドラゴンポケモンの神秘性と相俟って、最強の皮膚『マルチスケイル』へと変化するのだ。戒斗はそれを見越した上で、戦力に加えようとしていた。
 ジュラルドンを繰り出し、電磁波を浴びせ、動きを止めようとする。
 そう簡単には捕まらず、水飛沫をあげながらしなる竜の尾。潜り込んだ際に、浮上のタイミングを伺う。
「湖に竜の波動を浴びせろ」
 段差のある岩場で不安定にも前傾姿勢を取り、砲口をセッティングする。湖を真っ二つに割るかのように波が立ち、たまらずハクリューは上空へと飛翔した。
 戒斗はハクリューの背に乗っているものを凝視する。
「は……!?」
「し、死ぬかと思った……」
 これまた珍しい、タツベイだ。
 そして、何故か。
 一条架がおまけでついてきた。
 マンタインにくっついてくるテッポウオのような感じ。戒斗は呆気にとられ、開いた口が塞がらない。
「貴様、そこを降りろ! というか何故そこにいる!?」
「知らねーよ! ってか殺す気か! タツベイを追っかけてたらいつの間にってうわああああああ~~~~!」
 チッ、と舌を鳴らし、攻撃をやめさせる戒斗。さすがに非情のポケモントレーナーにも、人間がいると分かっていれば技を繰り出さない良識ぐらいは備えているようだ。
 タツベイは途中から泳ぎ始めたので、架も同じようにして着いて行った。だけの話なのだが、偶然戒斗とハクリューの対峙に巻き込まれ、水中からハクリューに掴まったらいつの間にかこんなことに。
 タツベイの内なる欲求を掬い上げるかのように、ハクリューはそのまま大空へと飛び立っていく。

 架とタツベイは空中を遊泳する。ゲッチョウもその高度についていく。それは、有り体に言ってしまえば夢のような時間だった。
 ハクリューは彼らを振り落とそうとせず、背を許したまま、自由に大空を飛び回る。
 穏やかに飛行するからこそ、風は吹きつけるのではなく、気持ちよく髪を撫でる。
 眼下には、十字の滝。あれほど壮大な道程が、今やジオラマに見える。そして、オウヨウ島全域も巨大な輪郭となって見渡せた。
 それどころか、離れた箇所にある三つの島をも目視できる。
 真っ赤に染まる、命の脈動響く島。
 雄大な自然に育まれた黒土の島。
 近未来都市が位置する北限の島。
「すげえ。シキソラ地方ってこんな広いんだ。見えるか、ゲッチョウ?」
 まだ見ぬ島。まだ見ぬポケモンやトレーナーが、架たちを待っている。
 タツベイもまた、この景色を今度は自身の身体で観に行きたい、と瞳に将来への希望を含ませていた。
 架は、ひとつの島を指さす。
 ポケモンリーグのある……ラクヨウ島。
「おれたち、あそこまで行くぜ」
 瞳に、夢を焼き付けた。

「ありがとな、楽しかった」
「架! 無事だったの!?」
「おう楓、ハクリューが乗せてくれたんだぜ!」
「はあ~、また結構なことで……」
 架とタツベイは元の場所まで送り届けられた。相変わらずの調子で手を振る架に、楓は安心するや呆れるや。一方、待ち伏せていた戒斗はゲットを未だ諦めていない。
 ハクリューに手を振り、バイバイと別れを告げようとする。
「おい。このまま見逃す気か」
「うん。そうだよ」
「何だと!?」
「だっておれ、最初からゲットする気なんてないもん」
 架を信じられないもののように見つめる。
「おれはゲッチョウと一緒に最強になるって決めてるからさ」
 声にならない声で、腹の底から唸りをあげるように、戒斗は頭をもたげた。
「どけ!」
「何すんだよ!」
 するとハクリューは警戒心も露わに豹変し、首元の水晶を瞬かせる。滝の流れる水量に勝るとも劣らない雨が途端に降り出し、一同は姿を見失った。
 楓が須藤博士から伝え聞いた通り、ハクリューには天候を左右する力があったようだ。
「……いなくなっちゃったみたいね」
 一時的な豪雨が止むと、湖にはタツベイを除き、ポケモンの気配はなくなっていた。
 これ以上無い機を逃したことに怒るほどの元気は残っていない。それより気にかかることがあり、すっかり濡れてしまった上着を絞りながら、質問した。
「……何故クワガノンにこだわる。他にもポケモンはいるだろう。Zワザが使えるからか?」
 明らかに、架への問いかけだ。
「前にも言ったけど、おれはこいつと最強になりたいんだ」
「理由になっていない」
 随分と追及してくるな。
 楓もまた一触即発の雰囲気になるのでは……と心配そうに見つめているが、もう少し詳しく事情を説明しない限り、彼は引き下がらないだろう。
「それが親父との約束……レジェンドチャンピオンになるって夢を、叶えることに繋がるからだ」
 レジェンドチャンピオンに。シキソラで最強のトレーナーになりたいと願ったのは、最初、父・傑の方だった。
 でも、親が叶えられなかった夢は、息子が受け継ぐようになっていく。父の姿を見てトレーナーに憧れ、強くなりたいと思ったから、自然な推移と言えた。
 しかし、戒斗からすればその解答は最も唾棄すべきもので。
「貴様は……父親との約束を守る為に、ポケモンリーグを目指すというのか!?」
「そうだよ、悪いかよ」
 不機嫌そうに、文句を言われる筋合いなど無いと強く突っぱねる。
 戒斗は瞳孔まで開くのではないかというほど眼を見開き、肩を震わせ笑い始めた。
「フ……そういうことか……」

「貴様がクワガノンを手に入れたことは不幸だったな」

「なんだって?」
 聞き捨てならない発言。架だけではなく、クワガノンもまたぴくりと反応した。
「おまえこの前『そいつでいいのか』って言ったよな。言ってることめちゃくちゃじゃんか!」
「架っ」
 楓はそろそろヒートアップしてきたふたりを止めようと、まず架側に退けと諭す。
 戒斗が上から目線でモノを言うのは、架の突発的な行動と同じぐらい、いつも通りだ。しかし、今回ばかりは自分の主張に何ら間違いが無いと確信するほど強い態度だった。
「いずれおまえにも分かるさ」
 意味深に言い残して。
「あいつ、なんなんだ……?」
 

 研究所に戻ってきた架たちは、須藤博士に迎えられる。シャワーを借りたのち、架と楓はスープを振る舞ってもらった。ベイリーフから採れるスパイスが入っており、冷え切った身体も再び芯から温まってくる。
「タツベイもゲットしなかったの!?」
「ああ、あのまま別れたよ。今頃また飛べるように特訓してるんじゃないかな」
 架とタツベイはwin-winの関係を築けていたように見えていただけ、惜しいと思ってしまう。他のトレーナーなら一緒に行こう、などと声をかけそうなものだ。
 戒斗が怒った理由も少し分かる楓だった。
「ホントにゲッチョウ一筋なんだね」
「おれはこいつをシキソラ最強のポケモンにしてみせる」
 な、と目を見て呼びかける架に対し、クワガノンは見つめ返す。そう、ポケモンは人間と同じ言語を話せない。

「父親なんて、期待を裏切るだけの存在だ」
 戒斗はそうひとりごち、父のいるクロスピークを速足に離れていく。ハクリューは結局、捕獲出来なかった。もうここにいる意味も無い。
 本命を逃がした代わりに得た大穴は、見慣れてくれば、同じだけの価値を感じられるのではないかと思い、しばらく連れ歩いてみた。まるで、架のクワガノンの真似事みたく。
 足元をついてくる色違いのダンゴロが、急激に矮小な生命体のように思えてきて、かえって劣等感を抱くだけだった。

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