迷い子にリボンを

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作者:江田
読了時間目安:23分

この作品は小説ポケモン図鑑企画の投稿作品です。

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

※人がポケモンを殺す表現が含まれています(流血はなし)
 遠い昔、私の両親が亡くなった日。季節は夏の盛りでした。
 斎場で退屈を持て余して窓の外を見ると、フウセンカズラの実が風に吹かれて揺れていたのを覚えています。
 葬儀が終わると姉は私の手を引き、帰路につく者達に紛れて人混みから抜け出しました。
 私たちの姿を見た大人達は口々に同情の言葉を投げかけるものの、どこへ行くか尋ねたり引き留めようとする人は誰もいませんでした。
 恐らく、自分達の間近で起こった不幸に同情する余地はあっても、私たちの所在まで気にかけるような人はいなかったのでしょう。
 姉は周囲からの視線など全く気にもとめず、無言のまま歩みを進めていました。

「おねえちゃん、どこいくの?」

 行き先は、川を越えた先にある谷間の平原。
 まだ幼く死の意味が分からなかった私は沈みこんだ姉の様子にも気がつかず、棺に手向けられていた花の美しさについて無邪気に語りかけたり、まだ見ぬ町の外の景色にはしゃいだ声を上げていました。
 姉は道中背を向けたままで、背中についた黒いリボンの飾りが歩みに合わせて規則的に揺れ動いている様を、私はずっと眺めていました。

「ねえ、どこにいくの」
「お父さんとお母さんに会いにいくのよ」

 私が何度も同じ問いを繰り返すと、姉は宥めるようにそう答えました。
 しばらく姿の見えなかった両親を恋しく思っていた私は、その言葉に純粋に喜びを感じるのでした。



「おねえちゃん、ここどこ?」

 目的の場所に着く頃には既に日は傾き始めており、もともと人気のない平原がより一層寂しげに私たちを待ち受けていました。
 遮る物のないこの場所には強い風が吹きつけていて、私と姉の着ていた黒いワンピースの裾をはためかせ、平原中の草むらをザワザワと揺らす音が私を圧倒します。
 私が不安に駆られて姉の腕にしがみつくと、姉は優しく頭を撫でて空を指差しました。

「ほら、あれを見て」

 指し示す方に視線を向けると、そこには見たことのない不思議な景色が広がっていました。

 夕暮れの空の下。紫色の丸い風船が、まるで渡り鳥のように群れを成して飛んでいたのです。
 空に舞う無数の風船。それは一見子供の好奇心をくすぐる光景でしたが、同時にこの世のものではないような不気味さもありました。

「あれに掴まるの。そしたら、お父さんとお母さんのところに行けるよ」

 まるで何でもない事のように、平静な声で姉は言いました。
 その時の姉の顔が、微笑んでいたのか恐怖に引きつっていたのか。今ではもう思い出すことは出来ません。
 それが、私が見た最期の姉の顔でした。



 風船たちは風に乗り、私たちのいる地上へと降りてきました。
 一斉にこちらに向かってくる様子にたじろいだ私は姉の背中に隠れようとしますが、姉は私の腕をすり抜けて歩いていきました。

「おねえちゃん、まって!」

 私は引き留めようと声を上げましたが、それは耳をごうごうと鳴らす風の音にかき消されてしまい、姉に届くことはありませんでした。

『ぷわわー』

 代わりに返ってきたのは、甲高い鳴き声。
 幼い子供に似た可愛らしい声色ですが、恐ろしく無機質でそれが人間のものでないことは明らかでした。
 その声の正体があの風船たちから発せられていることに、私はすぐに気付かされました。

『ぷわわーん』『ぷわー』『ぷわわわっ』

 囁き合うように鳴き声を上げ、風船たちは姉と私を目指して飛来してきます。

「ひゃっ!」

 私は驚いてしゃがみ込みました。
 すると、沢山の風船たちは奇声を発しながら私の上空を通り過ぎていきます。
 童歌を歌いながら顔を伏せた子供の周りを取り囲んで回る遊び。それに似ていました。
 風船達の大群が通過するのには長い長い時間がかかり、まるで永遠に続くかのようでした。

「……おねえちゃん」

 恐怖の最中で、私は姉の存在が気になり恐る恐る顔を上げます。
 そして、そこに見えた光景に私は悲鳴を上げました。

「おねえちゃん!」

 姉は風に身を任せるように佇んでいました。
 そしてその広げられた両腕には、何匹もの風船たちが絡みついていたのです。
 私は震えながらも立ち上がると、姉の元へと駆け寄りました。



 しかし、その時にはもう手遅れでした。

「やめて!」

 私の目の前で、両腕を掴まれた姉がマリオネットのように吊られて空へと舞い上がっていきました。
 必死に手を伸ばして縋りつこうとしますが、私の手は虚しく空を切るだけでした。

「まってよ!おねえちゃん!いかないで!」

 泣きながら闇雲に手を振り乱すと、姉のワンピースから伸びたリボンの先に指が触れ、私はそれを精一杯の力で握りしめました。

プツン。

 一瞬だけ体が引っ張られたものの、それは無情にも引きちぎれてしまい、私は反動で草むらに転げ落ちました。

「うぅ……おねえちゃん……」

 私は直ぐに立ち上がることが出来ませんでした。
 沢山の風船達によって姉が無抵抗に連れて行かれる様が、酷く恐ろしかったのです。



 しかし、姉の姿が遠くなるにつれ、私は一人取り残されたことへの不安に苛まれ、泣きながらその後を追いかけました。

「まって!おいてかないで!」

 私は走りながら泣き叫びました。
 優しくて、いつも私を守ってくれた姉。
 だけど、私が何度呼びかけてもこちらを振り返ることはありませんでした。

「わたしもつれてって!おねがい!」

 私は近くをふわふわと漂っていた風船を捕まえると、必死に募りました。
 自分も姉のところに連れて行って欲しいと。
 だけど、その風船は私の手を振り払って飛び去ってしまいました。

「ねえ!つれってって!わたしもおねえちゃんのとこにいきたいの!」

 風船たちに懇願するものの、それらはまるで私が見えていないかのように通り過ぎていくだけでした。



 やがて切り立った崖の前まで来ると、後を追えなくなった私は呆然としてその場にへたり込みました。
 強く吹きつけていた風はぴたりと止み、辺りは静寂に包まれます。
 黄昏の空に浮かぶ姉のシルエットが小さく消えていくのを見送ると、私は絶望に暮れて叫びました。

「おねえちゃああああああん……」

 一人地上に残された私の泣き声は、決して誰にも届くことはありませんでした。
 


――――――――



 身寄りを失くした私は、遠く離れた街の教会に引き取られました。
 そこは孤児院を兼ねており、私と同じような境遇の子供たちが数多く暮らす場所でした。

 まだ伝わって間もない異文化の宗教を偏見の目で見る者は少なくなく、私を送り出した村の人々もその存在を訝しんでいましたが、隣人を愛し弱き者を助けるその教えは孤独な子供だった私にとって居心地の良いものでした。

 私は教会の子供として、また神の従僕として、心優しい人々に囲まれて育ちました。
 


――――――――



「やあシスター、こんなところでサボってお花摘みかい?」

「私をそう呼ぶのはやめてといったでしょう」

「戒律を捨てたって?君はいつも僕の誘いを断る口実に使ってるじゃないか」

「……はあ」

「そんなに露骨な顔をされると傷付くよ」



「私は、神様が嫌いなの」

「神の教えでは、天に召されることは幸せなことだって言うのよ。神父様は私にいつもこう説くの。『悲しみは時と共に薄れていくでしょう』……でも、私には出来ない」

「お姉さんのことだね」

「忘れられる筈がない。あの時のことを思い出さなかった日は一日たりとも存在しないわ。姉の虚ろな後ろ姿も、夕暮れの空も、昨日の事のようにはっきりと覚えてる」

「……」

「私は未だに悔やんでいるの。あの時もし私が姉を止めることが出来たら……」

「君はまだ幼かったんだ。それは責めても仕方ないことだよ」

「でも!私は捨てられない。後悔も、悲しみも、恨みも。あの忌々しい生き物が姉を奪ったことを許すなんて私には出来ないわ!」



――――――――



 教会に移り住んでから私は初めて死の意味を知り、それから姉を連れ去った生き物がフワンテと呼ばれるポケモンであることを知りました。
 フワンテは、迷い子の魂を導くポケモン。
 連れていかれるのは生と死の狭間に彷徨う幼子だけであり、依り代を失った子供にとってそれは必ずしも不幸ではないとさえ言われています。

 確かに、当時の姉は生きる希望を失くしても仕方のない状況でした。
 両親を亡くし、残されたのは幼く庇護しなければならない妹だけ。もし立場が逆だったら自分も姉と同じことをしていたかもしれません。
 それでも、私は姉の死を割り切ることが出来ませんでした。



――――――――



「骨を流せば肉をつけて還ってくるって昔話を聞いたことはあるでしょう。生き物は地上で生まれて地上で死ぬの。なのに、空に連れていかれちゃったらもう一生会えないじゃない。あいつらは姉の生きた痕跡さえも奪ったの。お墓を立てることも出来なかったのよ」

「それでも神の使徒たちは『神の御許に召されることは何よりの幸せ』だと説く。それが受け入れられないんだろう?」

「……神父様はとても良い人よ。見ず知らずの子供を引き取り、心から愛して育てて下さった。教会の皆も優しく私を受け入れてくれた。それが私の嫌う戒律のおかげなのもわかってる」

「なあ、それは」

「悪いけどこれ以上お喋りしている暇はないの。私、もう行かなければならないから」



「行くってどこへだい? ……そんな子供みたいな花冠してさ」



――――――――



 当時はまだモンスターボールが普及したばかりの時代で、ポケモントレーナーの数も多くはありませんでした。
 モンスターボールの値段が今のように安価ではなかったこともありますが、何よりもポケモンをボールによって管理することに対して抵抗感を覚える者が多かったのが要因でしょう。
 私自身も、同じような葛藤を抱いていました。

「出てきて、ムクバード」
『クォーッ!』

 私が呼びかけとともにボールを投げると、そのポケモンは元気に一鳴きして空へと舞い上がりました。
 嬉しそうに上空を旋回した後、やがて私の肩へ降りてきて命令を待つようにじっとこちらを見つめてきます。
 その無垢で愛らしい顔を見ていると、私は酷い罪悪感に苛まれるのでした。
 
「ごめんなさいね。最近あまり出してあげられなくて」

 そう言って頭を撫でると、ムクバードは目を細めて腕に擦り寄ってきました。
 私の邪な心も知らない、哀れな子。


 私がこの子を捕らえた理由は利己的なものです。
 トレーナーを目指す訳でもなく、ただ己の目的の為にポケモンを使役することがどんなに罪深いか。
 それを自覚しながらも、私は復讐の念を捨てることが出来なかったのです。

『クルル?』

 ムクバードが、私の頭の上に乗った花冠を不思議そうにつついて小首を傾げました。
 私はそれを制すと、目的の地へと再び歩き出しました。



――――――――



 寂しげな夕空。静まり返った渓谷。
 幼い頃に見た景色は何一つ変わっていませんでした。
 私は崖の前まで来ると、両手を広げて歌い出しました。

「♪ ♪ ♪」

 子供の頃村で歌われていた古い童歌。
 それは、夕暮れ時に歌ってはいけないと大人たちに言い聞かされていたものでした。
 村にはたくさんの迷信があり、それらは大抵が子供たちを危険から遠ざけるためのものなのです。



 暫くすると、風が吹いてきました。
 生ぬるく、値踏みするかのように肌を撫でる怪しい風。
 それは足先から頭のてっぺんまで私を包み込むと、頭に乗せていた花冠を奪い取りました。


――フウセンカズラを持って遊びに行ってはいけないよ。

――帰り道にこの歌を歌ってはだめ。

――あの谷間には行ってはならない。

――恐ろしい怪物に連れていかれてしまうから。


 そんな言い伝えが、昔私の住んでいた村にありました。
 この時の私は幼い子供ではなく十代の少女でしたが、それでもフワンテ達は私を選んだようです。



『ぷわわー』
  
 遠くの空から、フワンテの群れが飛来してきました。
 燃える夕陽と無数の黒いシルエット。あの日と同じ空模様に眠っていた恐怖が呼び起こされ、震えた喉から歌声が途絶えます。
 その光景に警戒して威嚇をし出したムクバードに、私は淡々と指示を出しました。

「ムクバード、エアスラッシュであいつらを叩き落とすのよ。よく引き付けて、ここの地面に落とすの」

 すっと指で目標を示すと、ムクバードは甲高い鳴き声を上げて飛び立ちました。


 私がこのポケモンを捕まえ育てたのは、全てこの仇討ちを果たすためです。
 トレーナーてしてはあまりに身勝手な、愚かしい行為でした。

『キーッ!』

 ムクバードは叫喚と共に高速で上空を駆け、翼から生じた空気の刃をフワンテ達に見舞っていきました。
 私は再び童歌を歌い出し、フワンテ達を陸地へと誘導します。
 強い風が四方から滅茶苦茶に吹き乱れ、これが自然のものではなくフワンテ達が起こしていたのだと、この時初めて気が付きました。

『ぷ……わ……』

 風の渦から一つ、また一つと薄紫色の身体が降りてきました。
 上空を見上げると、ムクバードは縦横無尽に空を舞い、敵を完全に翻弄していました。
 曲がりなりにもトレーナーとしてムックルの頃から訓練を施してきた成果が発揮されたのかもしれません。
 思っていたよりも反撃は手薄く、フワンテ達は次々と成すがままに撃ち落とされていきました。
 
 何十匹倒したのか、最早把握することなど出来ませんでした。
 空に浮かんでいたフワンテの影が見えなくなった頃、ようやく私は歌うのをやめて合図を出しました。

「ムクバード、よくやったわ。戻って」

 疲労でふらついたムクバードを労うこともろくにせず、私はモンスターボールを掲げて手持ちに戻しました。
 人間のエゴによって生み出された、ポケモンから自由を奪う身勝手な道具。
 それでも私がボールを使ってムクバードを手持ちにしたのには、この利点があったからでした。

「後は、私自身が決着をつけるから」

 無益な殺生をさせないため。そしてその光景を見せないために、私は復讐のためのポケモンを捕獲することにしたのです。
 私は懐から銀製のナイフを取り出すと、近くに倒れていたフワンテに勢いよく刃を突き立てました。

 ぱん。

 本物の風船のように、その身体はいとも簡単に破裂します。
 そして同時に、私の耳を強い『声』が揺さぶりました。


――キャアアアアアアア!!


 私は驚いて周囲を見渡しますが、身を隠す場所のない平野に人の影はどこにもありませんでした。
 頭を振り、私は次のフワンテに狙いを定めました。

 ぱちん。


――お父さん!お母さああああん!


 破裂音と共に、今度ははっきりとした子供の叫び声が響き渡りました。
 私は恐怖と驚きで暫く呆然と立ち竦んでいましたが、このポケモンは子供の魂を奪い、それを自分のものにしたのだろうと考え、再び刃を握りしめました。

 ぱん。ぱぱぱん。

 折り重なって倒れていたフワンテに刃を振り下ろすと、小気味良い破裂音がし、そしてやはり子供の悲鳴が沸き起こりました。


――嫌あああああああああああああ!

――ママ!助けて!ママアアアアア!


 その悲痛な断末魔を聞いていると心が張り裂けそうでした。
 それでも私は、このポケモンを突き殺すことで囚われた魂が解放されると信じ込み、一心不乱にナイフを振り続けました。
  

――助けて……痛い、痛いよぅ……

――嫌……お家に帰りたい…

――ママ、どこにいったの……


 閉じ込められた声は悲鳴ばかりではなく、時折か細い嘆きの声が出てくることもありました。
 前者は次第に耳に慣れていっても、後者はいつまでも私の心を締めつけました。





 ぱち。

 最後の一匹が割れると、母を呼ぶ幼い男の子の泣き声が響き、そして峡谷の彼方へと消えていきました。
 私はその場に崩れ落ちるように腰を下ろし、未だに標的を探し求めようと疼いている右手からナイフを放り投げました。


 結局、何も断ち切ることはできなかったのです。
 あとどのくらいのフワンテの命を奪えば心が満たされるのか……恐らく、生態系から消し去ってしまったとしても私の心が安らぐことはないでしょう。
私の心を苦しめているのは復讐心ではありませんでした。

「……おねえちゃん」

 もう一度姉に会えるかもしれない。
 心の奥底で私はそんな希望を抱いていたのです。
 満たされるどころか寂寥感はより一層深まり、私は所在を無くしてただそこに座り込んでしまいました。





――――!!


 不意に、誰かの声がした気がして私は振り向きました。

『ぷわーん』 

 目の前に、一匹のフワンテが佇んでいました。
 その紐状の腕には、私が先程捨てたナイフが握り締められています。
 私は、覚悟を決めて目を閉じました。
 同族を殺された恨みで襲いかかってくるのだと思い、その報いを受ける覚悟は最初から出来ていたのです。


「………………」

 だけど、いくら待っても私に首筋に冷たい刃が触れることはありませんでした。





 ぱん。

 何かが、弾ける音がしました。


――。

 私の名を呼ぶ穏やかな少女の声が聞こえ、それによって遠い昔の懐かしい記憶が一気に脳内に蘇りました。

「お……ねえちゃん?」

 私が目を開けると、そこには一振りのナイフとフワンテの死体だけが地面に落ちていました。
 それでも気配は確かにそこにあり、私が呼びかけると再びその声は私に語りかけてきました。


――ごめんなさい、あなたを苦しめてしまって。私は怖かったの。お父さんとお母さんを亡くして、生きていくことが……


「おねえちゃん!私……私、ずっと会いたかった。会って謝りたかったの。本当は、ずっと一緒に居たかったのに、でも怖くておねえちゃんを追いかけることが出来なかった。引き留めることも、後を追うことも出来なくて、おねえちゃんをずっと独りぼっちにしちゃったの。だから、だから……」


――あなたは生きて。


 私が泣きながらすがろうとすると、姉は優しく、でもきっぱりとした口調でそう告げました。


――私は独りぼっちじゃなかった。ずっとこの子が手を繋いでくれていたから。


 姉の声とともに、地に伏していた哀れなフワンテの死骸が音もなく消えてゆきました。
 魂の道しるべ、という古い言い伝えが記憶から呼び起こされ、私は心の中の重荷が落ちていくのを感じました。


――あなたにもいるはずよ。あなたを愛してくれる沢山の人が、この地上に。だから、あなたは生き続けるの。それが、私のただ一つの願い……


 姉の声は突然吹いてきた風の音に飲まれ、次第に薄れて消えてゆきました。
 風に何かが舞った気がして手を伸ばすと、遠い昔のあの日に無くしてしまった姉の遺品が私の手に絡みつきます。

 黒いリボン。
 姉を連れていかれたショックでいつのまにか存在すら忘れてしまっていたものでした。
 それを握りしめていると、姉の存在がすぐ傍らに感じられるような気がして、私は深い安息感に包まれるのでした。
  


――――――――



「やあ、気は晴れたかい」

「……来ていたの?」
「君が身投げでもするんじゃないかと思ってね。あんなに思い詰めた顔してたら心配にもなるさ」

「そう……ごめんなさい。余計な手間をかけさせてしまって」

「あのさ、前から思ってたけど。君は毎日のように説法を聴いているくせに、一番簡単な事すらわかってないみたいだね」

「何が言いたいの?」

「神父様も、教会の皆も、戒律があるから君を愛したわけじゃないんだ。ただ、自分が愛されたいから他人を愛するだけなんだよ」

「それは、見返りを求めているということ?」

「ああ、そうさ。偉そうに無償の愛を説いてる神の従僕たちだって皆そうなんだよ。実のところ僕だって神様なんか信じちゃいない。所詮人間は見返りを求めて施しをするんだ。でも、それの何が悪い? 優しくされたいから優しくする、それでいいじゃないか」

「……」

「僕が君を心配して追ってきたのだって、自分も同じように君に想って貰いたいからだ。下心だけじゃない。辛いときには心配して欲しい、寂しいときには寄り添って欲しい、そう君に願うからこそ僕は手を差し伸べ続けてるんだ」

「……『だけじゃない』ってことは含まれてはいるのね、下心」

「え?あ、それは……しまった」

「まあ、お似合いよね私たち。神様が嫌いで、礼拝をサボってこんなところまで来て、おまけに色恋にうつつを抜かしているような人間なんですもの」
 


――――――――



「ごめんくださーい!あの、道を聞きたいんですけどー」

 溌剌とした少女の声が階下から聞こえ、そう言えば今日は家族が出払っていると思い出した私は、重い腰を上げて階段を降りていきました。

「あ、こんにちは……すみません、いきなり押しかけちゃって」

 すっかり足腰の弱った私が危なっかしく階段を降りてくるのを見て申し訳なく思ったのか、少女は気まずそうな様子で謝りました。
 年の頃は10歳かそこそこで、恐らくトレーナーとして旅立ってばかりなのでしょう。
 まだ幼い顔立ちと重たそうに背負った鞄がなんとも初々しく、自分の孫娘の姿を重ねて微笑ましくなった私は優しく返事を返しました。

「気にしなくていいのよ。ここはヨスガシティ。子供に優しい街……いえ、大人にも子供にも、ポケモンにも優しい街なの」

 現在モンスターボールは子供でも買える値段になり、もはや誰でもポケモンを所有する時代です。
 10代になるとポケモントレーナーを目指す旅に出るのが一般的になっていて、私の家を訪れた彼女のようにこの街に訪れる新米トレーナーも随分と増えました。

「それで、どこへ行きたいの?」

 この街にはポケモン施設が多く集まっており、それは異文化より伝わった慈愛の教えの影響とそれによって招き入れられた身寄りを亡くした人やポケモン達が寄り添いあって暮らしてきた歴史によって築かれたものです。
 トレーナーとしての実力を試すジムだけでなく、パフォーマンスの腕を競うコンテストホールや、愛好会やポケモンのお菓子を作る施設なども揃っています。

 そしてもう一つ、この街にしかない施設がありました。
  


「おばあちゃん、ありがとう」

 少女は私にぺこりとお辞儀をすると、元気に駆け出して行きました。
 ここはふれあい広場。トレーナーとポケモンが遺跡の麓を自由に探索できる場所です。
 くたびれた私は近くにあるベンチに腰掛け、遠くから少女の姿を眺めながら休むことにしました。

 少女は係員と話した後、腰に掛けたボールを一つ取り出してとあるポケモンを呼び出しました。

「フワンテ!一緒にお散歩しよう!」
『ぷわー♪』

 現れたのは、あの薄紫色のポケモンでした。
 


『ぷわわー!』
「あはっ!もう、そんなに引っ張らないでよー!」

 フワンテは紐状の腕を少女の腕に絡めると、あちらこちらへと引っ張り、少女はされるがままになって嬉しそうに笑い声を上げました。
 草原で、池のほとりで、桟橋の上で、手を結び合ったふたりは目まぐるしく駆け回ります。
 彼女たちの無邪気な様子を見ていると、あの恐ろしい過去の出来事が嘘だったのかと錯覚しそうでした。



 迷い子の手を取り、魂を導くポケモン。
 それは弱いものを狙う習性などではなく、行く宛を失った悲しみから生まれたが故に、同じ寂しさを抱えている子供に寄り添おうとしているだけなのでしょう。

 私は戯れる少女とフワンテの姿を、いつまでも眺め続けました。

フワンテ

ふうせんポケモン

みちばたで さまよう たましいたちが かたまって うまれる。
あてもなく うかぶ ようすから 
まよえる たましいの みちしるべ と つたえる むかしばなしも ある。

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