Episode 99 -Reverberation-

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読了時間目安:23分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 えっこたちは、プサイの呼び出したレギオンを迎え撃つべく砂のプールに足を踏み入れる。しかし砂の地形は敵レギオンのホームグラウンドであり、幾重にも仕掛けられた罠がえっこたちを襲う。
 「しっかしマジでこんなとこ行くのかよ……。俺たちといえど、相手が相手だから本当に危険かも知れねぇぞ。何してくるか読めんからな……。」
「仕方ありませんとも。ここにレギオン使いの過去が眠っている以上、危険を承知で乗り込むしかありませんよ。まあ、島にいる現地民のポケモンたちはポケモンとは思わぬことです。きっとまともな思考回路は破綻しているでしょうから……。」

調査団本部の会議室で、調査団ガジェットの地図を覗き見るフローゼルとデンリュウ。2匹がこれから向かう地は、例に漏れず危険極まりないダンジョンということだが……。


「『黒珠島』だよな……。よく分からねぇがここではポケモンの行方不明事件が相次いで発生している。島の沿岸部で発見される者もいるが、完全に精神が破綻していて会話もままならない状態だとか何とか……。」
「ええ。ここに深入りするということは、我々も見てはならない何かを見てしまうかも知れない、不可侵の狂気に触れてしまうかもしれない。その覚悟はせねば……。少なくとも、このような場所を将来有望な若きダイバーや団員になど任せられません……。狂ってしまうならば、ワタシのような老いぼれのみで十分。」

「ケーッ、その爺さんの心中に俺を巻き込みやがる訳だ。まあいいけどな、しくじらなきゃいいいだけのお話だ。無事にレギオン使いの足跡を見つけ出して帰ってくる、簡単なことじゃねぇか。」

フローゼルは拳をポキポキと鳴らして立ち上がると、束縛から解放されたかのように伸びをしてみせた。


「んじゃまあ、2日後に出発といこうぜ。幸い島はここからそう遠くないから、ワイワイタウンを早朝に出りゃ、午後には向こうに到着できるはずだ。」
「ええ。頼みましたよ、フローゼル君。いくら老いぼれとて、もちろん本心では死ぬのも狂うのも嫌なものは嫌です。全力でダンジョンの調査に臨みましょう。」

2匹は会議室の明かりを落とすと、1階のベッドルームへとおもむろに歩みを進めていった。時刻は11時半、研究室に籠もっているクチートとイヴァンを除けば、ベッドルームでは既に多くのメンバーが夢の中にいることだろう。


一方えっことマーキュリーは、砂に潜ったまま一向に姿を見せないレギオン・バハムートの襲撃に備えて互いに背中合わせに固まっていた。

「あの野郎……一体何を考えてやがる? あれから数分はこんな調子だよな? 出てきた瞬間をぶっ叩きたくてウズウズしてんのによ……!!」
「こちらの集中力が途切れた瞬間を気長に狙うつもりなのかも知れません。……っておわぁっ!!!?」

突然地面が細かく振動し始める。まるで携帯のバイブレーションが部屋全体に発生しているかのように、ブルブルと身体の芯まで振動が伝わるように感じられた。突然の出来事にえっこやマーキュリーも、思わず面食らった様子を見せる。


「うわっ!? だがこんな地震程度じゃ気は逸らせねぇぞ、おととい来やがれ!!!!」
「そうかっ、マーキュリーさん、敵の狙いは気を逸らすことじゃない……!! ヘイダルさん、そこにいちゃ危険だ!!!!」

「まさか!? 仕方ない、飛び込むしかない!!!! うぉぁぁっ!!!!」

えっこが何かに気づいてヘイダルに呼びかけると、ヘイダルもその声を聞いてはっとした表情を見せ、何故か自身が乗っていた崖から飛び降り始める。


「おいヘイダル、何やってんだよ!! こっち来るんじゃねぇ、危ねえだろうが!!」
「ダメなんだマーキュリー君、あの足場は恐らく……!!」

その瞬間、足元がぐにゃりと滲み始め、あっという間にぬかるみのようになってしまった。崖だと思っていたものは砂に乗っている巨大な一枚岩だったらしく、砂地がぬかるみのようになったことでゆっくりと倒壊した。


「やはり……。地震で攻撃してくるにしては中途半端な揺れだと思った。目的はあそこにいたヘイダルさんを、足場の倒壊に巻き込んで始末すること……。」
「液状化現象だね。細かい砂地などに水分が含まれている場合、通常は砂粒の間に等間隔で水が詰まって安定した構造になる。でも、ああして細かな揺れを受けると水だけが分離して浮き上がるんだ……。」

敵のターゲットはヘイダルだった。最も戦闘能力の低い彼を液状化現象を利用して攻撃し、そこからえっこたちの陣形をなし崩しにしていく算段だったのだろうか? いずれにせよ、安全な足場はこれで消滅してしまい、ヘイダルも必然的に戦いの場に放り出されることとなった。

持っていた大型レンチからプロペラのようなものが飛び出し、高速回転を始めたことでヘイダルの落下が緩やかになり、ヘイダルは地面にゆっくりと着地してきた。










 「さて……問題はここからですね。ヘイダルさんには悪いけど、本当に自分の身は自分で何とかしてもらわねばならないところです。安全地帯を破壊された今、状況は完全にこちらが不利と言わざるを得ない……。」
「それなら心配しないで、君たちの足を引っ張るためにここにいるんじゃないんだ。こうなったら、僕も必死で食らいついて戦わなきゃ。」

「ああ、頼むぜヘイダル!! だがこんな風にグダグダやられちゃ、参っちまうってもんだよな? なら話は簡単だぜ、こっちから攻め込むだけだ!!」
「マーキュリーさん!? ちょっ、何してるんですか!? 敵の位置も分からないのに無闇に動いちゃ危険だ!!」

もう我慢ならないとばかりに、勢いよく駆け出したマーキュリー。えっこが思わず焦りの表情を覗かせるが、マーキュリーはどこか確信に満ちた様子を匂わせていた。


「……来るぜ、そこだぁっ!!!!」
「うわぁっ!? 出た!!」

突然飛び上がった敵の大きな口が、ヘイダルの真上に現れる。やはり戦闘に不慣れな者から真っ先に始末し、少しでも頭数を減らして優位に立とうというのが敵の作戦のようだ。
しかしマーキュリーは遠くに駆け出すように見えて、実は最初からヘイダルのいる位置に相手が現れると読み切っていたらしい。手にしていた丸太に炎を灯して思い切り投げつけた。


「ま、丸太が!! 助かったよマーキュリー君、さすがだ!!」
「おうよ、お前をダシに使って悪かったな。けど今の一撃はモロに命中したはず……これで敵は……!!」

「いや、回転した丸太がぶつかった瞬間、敵の身体がバラバラに散って地面に落ちるのが見えました。とどめを刺せたのなら、あの赤い体液が残るはず……。これは推測ですが、敵は砂と一体化したような不定形の身体を持つのではないでしょうか? 最初はサメのような姿をしていたけど、砂を操って色々な姿形に変身することができる……。それならここまでの敵の行動も説明がつく。」
「なるほどね、液状化現象を起こすための振動も、砂と一体化したレギオンなら難しいことじゃない……。それに敵は砂に潜って移動している訳でなく、砂そのものだから好きなときに好きな位置に出現できる。だとしたら、いきなり何の前兆もなしに至近距離に出てくるのも納得だ。」

砂と一体化し、砂で身体が構成されたレギオン。確かにそれならば、この地形を存分に活かして有利に戦えるというのも合点がいく。えっこやヘイダルが敵の正体を分析していたそのとき、えっこが突然慌てふためき出した。


「気付くのが遅すぎた……!! まずい、砂が水分を含んでいるなら……これを警戒しておくべきだった……!!」
「おい、一体どうしたんだよえっこ!?」

「どんどん沈んでいく……!! 脚がはまって抜け出せないんです!! 一体どうすれば……!!!!」

そう、えっこの脚は流砂に沈み込んでいたのだ。きめ細やかで水分を一定以上含む砂地であれば、そこに潜む脅威は液状化現象だけではない。敵の攻撃に気を取られている間、えっこの周囲の地面は再びただの砂地に戻っていたのだ。これは即ち水を含んだスポンジの如く、水分が砂粒の間に満ちているような状態に当たる。

そんな砂の上で、足裏のような狭い面積に大きな重さが加われば、強い圧力で砂粒の間から水が押し出されて圧縮され、その分脚が沈み込んでしまう。


「僕はさっきの攻撃で尻もちを付き、広い面積で砂に座っていたから大丈夫だった……。それにマーキュリー君は走り回っているから、脚が沈み込むことがなかった……。でもえっこ君は……!!」
「さっきから動いていないのは俺だけ……それが仇になってしまった……!! このレギオン、砂ももちろんですが、砂に含まれる水分もある程度凝縮や拡散ができるのかも知れません。動かずじっとしている俺のところに水分を集めることで、流砂に沈めて身動きを封じにかかったか……!!」

えっこは必死で身体を捩って抜け出そうと試みるが、無情にもどんどんと脚が砂に飲み込まれ、遂に完全に膝が見えなくなる程にまでなった。


「えっこ君、ダメだ!! 暴れちゃ逆効果だ!! 君の身体の比重は恐らく水より軽いはず……。とりわけその背中のムースがある分、君は水よりも平均密度は低いはずなんだ!!」
「じゃあどうすれば!?」

「一か八か……。背中から倒れ込んで、脚はゆらゆらと緩やかに揺らすんだ。そのまま水面で背泳ぎするみたく、砂の上に仰向けで浮かぶんだ。とにかく、慌てないことだよ。」
「分かりました、やってみます……!!」

えっこは深呼吸すると、ヘイダルの支持通りに後ろ側にゆっくり倒れ込んだ。しばらく足を動かすと、まるで水面にぷかりと浮き上がるかのように、えっこの身体が少しずつ穴から抜け出てきた。


「よしっ、これなら抜け出せる……!! ありがとうヘイダルさん、お陰で命拾いしました!!」
「無事でよかったよ。倒れて接地面積を増やすことで地面にかかる圧力を軽減し、同時に足を揺らして水や砂が流れ込む隙間を作ることで、脚を取り囲んで固めている地盤を柔らかくする……これしかないと思った。予想通りだ。」

「やべぇっ!! 来やがったぞ、るぉりゃっ!!!!」

えっこはゆっくりと流砂から抜け出て体勢を立て直そうとするが、そうはさせまいと敵も巨大なトゲのような砂の塊でえっこを刺し貫こうとする。マーキュリーがすかさず割って入り、トゲを強烈な回し蹴りで真横から破壊しようとするが、やはりその感触は暖簾に腕押しといった具合だった。


「やっぱ砂を固めて作ったトゲかよ……。攻撃してもその場に崩れ落ちるだけか……!!」
「……ん? 何だろうこの感覚……何だか引っ張られるみたいな……!?」

直後、再びえっこの元にサメ型に変形した敵が迫るが、その際にヘイダルの持つ大型レンチに何者かの力が加わるのを感じた。それはまるで見えない存在にレンチを引っ張られるような感触であり、決して強くはないものの、確かに不自然な動力が発生していた。










 「相手が砂ならこれでどうだ!! ……あぐっ!!!!」

えっこはみずのはどうで敵の突進を迎え撃とうとするが、一瞬だけ敵がその場に停止した後、突然もの凄いスピードで前に突っ込んできた。幸いにも敵の歯が腕を掠めただけで済んだが、少し触れただけでえっこの身体が強烈に吹き飛ばされたのを見るに、敵は相当なスピードで飛びかかってきたのだと思われる。

サメ型の身体はそのまま壁に当たって粉砕し、砂となってポロポロと地面に崩れ落ちていった。


「えっこ!? お前大丈夫かよ!?」
「ええ……掠り傷です。でも何なんだあれは……? あまりに不自然過ぎる、勢いを増して飛びかかるのならまだしも、突然急停止した後に急加速した……!? 意味が分かりませんね……。」

「いや、たった1つだけ可能性があるとすれば……。きっとそうだ、このユニットを使えば倒せるかも知れない!!」

ヘイダルはそのように叫ぶと、何やらレンチのボタンを操作し始めた。ブゥンというような低い音が一瞬鳴った後、ヘイダルはレンチを両手で握りしめ、自分の目の前に構え始めた。

少し間を置いて、敵の攻撃が再開される。今度はマーキュリーを狙っているらしく、サメ型の敵は徐々に速度を上げながらマーキュリーに接近していく。


「出やがったな……!! さっきみてぇに妙な動きしても、俺は簡単には倒せねぇぞ……!!」
「違う、その位置じゃない……!! そこだぁっ!!!!!!」

ヘイダルが飛び上がってレンチを振り上げる。その瞬間、マーキュリーに向かっていたサメ型の敵が突如として消滅し、ただの砂に戻ってしまった。思わず驚いた様子を見せるマーキュリー。すると、ジャンプの頂点に到達して落下し始める寸前のヘイダルが、突然凄まじい勢いでマーキュリーの真上辺りへと引き寄せられていった。


「何だ!? 何で突然引き付けられるみてぇに加速してんだアイツ!?」
「そうか、磁力か!! あのレンチが強力な磁力に引き寄せられてるんです!! でもこれって一体!?」

急加速して空中に昇っていくヘイダルは、レンチを突き出すような構えに変え、両手でがっしりと固定して保持している。やがてヘイダルは空中で何かにぶつかり、突き刺さるように動きを止めた。


「後はこのエコー機能で……!! マーキュリー君、えっこ君、地面に伏せて耳を閉じててね!!」

ヘイダルはそう言い終わると、自らも耳を塞いでレンチから手を離し、足元の砂場へと落下していった。その後、時間にして1秒半程度キンキンと高い音が鳴り響くのが感じられた。

耳をふさいでいるのにも関わらず、鼓膜を逆撫でするような不快な音に誰もが顔をしかめるが、突然空中に刺さったレンチが落下し始め、その後を追うようにレギオンの赤い体液が降り注いだ。


「これで大丈夫……。敵を倒せたみたいだね。」
「なるほど、敵の本体はあのサメやトゲなんかじゃなかった……。自身は姿をくらまして、磁力を巧みに操ることで砂で形を作って攻撃してくる戦法を取っていた。どうりであの砂の塊を攻撃しても無意味な訳か。」

今回のレギオンは、周囲の環境に合わせて光学迷彩のように姿を隠しつつ、磁力を使って攻撃を行う個体だったらしい。そのため、鉄の塊であるヘイダルのレンチが吸い込まれるように引き付けられたのだ。


「えっこ君の一言がきっかけだよ、確かに言ってたよね? 『敵が一瞬止まった後に急加速した』って。それで思いついたんだ、実は途中までは君に向かっていったけど、途中からは逆に何かから離れていったのではないかと。」
「そうか、極が引き寄せられる力と反発する力……!! つまり、最初は俺の方に向かって砂がゆっくりと引き寄せられた。磁石の違う極同士なら引き寄せ合う力が発生するから!!」

「けどそれを途中でやめた。引き寄せる力で速度を上げて君に襲いかかるには、磁石である敵本体が君に相当近づかねばならない。せっかく隠し通してきた自分の正体がバレてしまうリスクが出てくる。だからあのサメの後ろに素早く回り込み、反発する力でサメを素早く弾き飛ばした。きっと砂自体にどちらかの極の磁力を与えといて、その極と同じ磁力を近づけたんだと思う。」

その説明を聞き、マーキュリーが首を傾げながら砂を手に取って眺め始めた。


「でもよ、お前のレンチが磁石にくっつくのは分かるんだが、何で砂が磁石に引っ張られたんだ? 鉄とかなら分かるけど、砂は磁石には反応しねぇじゃねぇか。」
「それは砂鉄のせいだと思います。恐らく、この砂の中には細かな鉄の粉末が多く含まれている……。それを磁力で操ることで、砂で何かを形作ったり、水分を自在に移動させたり、広範囲に振動を起こしたりしたのだと思います。」

砂や土の中に、岩石や鉱物から分離した粉末状の鉄が混じっていることがある。その鉄粉は砂鉄と呼ばれ、通常の鉄と同じく磁力に反応する性質を示す。敵はこの砂鉄を介して砂や水分を操作し、様々な戦略に用いていたらしい。









 午後2時を回った頃、えっこはそろりと音を立てまいとしながらホテルの部屋に戻ってきた。ベッドまで辿り着こうとしたそのとき、背後から何かに口を塞がれた。


「んーっ!?」
「えっこー、こんな時間までどこをほっつき歩いてたのかな? 分かるよね、君のやったことがどんなことか。たーっぷりとお仕置きしてあげるからねー?」

「ま、お前とマークは反省文を原稿用紙10枚分、手書きで書いてもらうとしてだ……。お前らの行動を隠し通そうとしたんだが、社長殿はお早いお目覚めでな。事の次第は筒抜けなんだわ。後よろしく頼むぜ。」

リボン状の触手でえっこを絡め取りながら、不気味な笑みを見せるユーグ。そんなユーグに顔をしかめつつ、トレはえっこたちにそのように告げながら目線を泳がせた。その先にある応接ソファーには、完全に怒り心頭状態と思われるイマードが腰掛けていた。


「ひぇっ……あの、そのですね…………。」
「座りたまえ、3匹ともな。」

「すまねぇな……コイツらを見逃しただけじゃなく、同行して手を貸したのは他でもねぇこの俺だ。だから処分なら俺だけにしてくれ。焼こうが煮ようが好きにしてくれて構わねぇからよ。だからえっことヘイダルには手を出さねぇでくれ、頼む!!」
「依頼主の同意を得ずに任務を遂行、しかも契約した内容とは違うやり方とメンバーで臨んだと来た。その上私は君たちの仲間に身体的危害を加えられたのだぞ。仮に君1匹が全責任を背負うなら、クビの1つ2つ軽々飛ぶと思うが?」

「男に二言はねぇよ。俺はこんなバカだけど、ダイバーとして絶対に心掛けてることがある。任務に当たるときは、例えその任務で自分が死ぬことになっても、ダイバーを続けられなくなってしまっても、絶対に後悔だけは残さねぇようにと、自分が正しいと思ったことをやり抜いてる。今回だって同じだ……アンタにとって、他のみんなにとって、俺のやったことは間違ったことかも知れねぇ。でもそれは俺にとっては紛れもなく正しい行いだし、例えそのことでクビになろうが文句はねぇさ。」

マーキュリーはイマードを前にしても全く臆する様子を見せず、そのように告げた。マーキュリーにとって毎回の任務や依頼主との出会いはまさに一期一会であり、常にベストを尽くし、自分が信じる道を歩み続けたいのだと、彼はそんな心持ちで仕事をこなしていたようだ。


「なるほど、それは長生きできなさそうな考え方だね……。それにしても、ヘイダルが君たちに唆されたというのも少し驚きだ……。この子はいい子でね、基本的に私の言うことにはいつも従ってきた。多少駄々をこねることはあろうとも、最後には私の意向に従う。それが一番いい選択だと分かっているからだ。それ故、エンジニアになるだのダイバーの手を貸すだの、そんなことはこの機会に終わりにしてくれると期待していたのだが……。」
「それなら……。それなら、あなたはその期待は大外れだと知るべきです。僕はもう、あなたの思い通りそのままに動く従順な子羊なんかじゃありません……。不躾ですけど、僕も自分の信じた道を進みたい……。だからお許しください、父さん……。」

「そんな口がよく叩けたな? 誰のお陰で今までわ不自由なく暮らせた? そうやって機械工学とやらを学べた? やはりお前はアークへの留学になど出すべきではなかったのかも知れんな……。いい機会だ、アークへは帰らずここに戻ってくる手筈を……。」

勇気を持って絞り出したであろうヘイダルのささやかな反抗心は、イマードの一言によってかき消されそうになっていた。すると、トレが机の近くにゆっくりと歩み寄ってくる。


「イマードさん……お言葉を返すようで恐縮ですがね、あなたのやろうとしていることは危険極まりない行為だ。今すぐに改めた方がいい。」
「何だね、君は我々の家族の問題に首を突っ込もうというのか? 呆れて物も言えん、立場を弁えたらどうなのかね?」

「俺の両親と同じなんです。俺の両親は、俺を自分たちの後釜にするために色んな英才教育を押し付けた。それが子供のためになるから、そんな風に言い聞かせながらね。結果、どうなっちまったと思います? 見事にグレちまいましてね、俺は相当な悪事に手を染めるまでに落ちぶれた。うちの親にとって、子供であるこの俺は差し詰め白いキャンバスのようなものだった。そこに無闇やたらに自分の好みの色を塗りつければ、それらが重なってどす黒い色が生まれる。思い通りに行く訳がない、それだけのことですわ。」

すると、トレの言葉に合わせるようにしてえっこもその口を開いた。


「自分のお子さんが心配なのって分かります……。思い通りにならない歯痒さも身に沁みます……。俺にも大切な想い人がいる。過去に俺のせいで危険な目に遭わせてしまったことがある……。だからもう二度と傷付かせまいとして、何もかも厳重に遮り、結果として彼女の自由への翼をもぎ取ってしまったことがあるんです。でもそれって間違ってると思います。相手を束縛することで、自分の強い思いが伝わったりはしない。」
「父さん……本当にごめんなさい。あなたのことはとても偉大だと思うし、あなたのようになれたらとも思う。でも僕は僕、もう1匹のイマードではなく、ヘイダルという存在なんです。そして僕が今輝けるのは、ダイバーのみんなと過ごす時間の中であり、ラボで砂行船について研究してるときであり、そして船を操縦して風を感じるその瞬間なんです。」

すると、イマードは立ち上がって外の景色を見るようにしながらこちらに話しかけた。


「減らず口ばかりするようになったのだな。それにダイバーの皆様方もだ。もうお引き取り願おうか。」
「……ええ、うちのバカ共が大変な迷惑をおかけしました。本当に申し訳ございません。おい、えっこ、ユーグ、マーク、行くぞ。」

「……忘れ物をしてるんじゃないかな? ヘイダルも連れて行きなさい。機械弄りくらいしか能がないし、コミュニケーション下手なのも悩みどころだが……色々と役に立っているそうだからね。」
「父さん……。ありがとうございますっ、頑張ってきます!!」

イマードはそのまま一歩も動かず、眼下の街並みと砂漠に目を移した。米粒よりも小さな車とポケモンたちが行き交う中、えっこやヘイダルたちもその雑踏を潜り抜けて、彼らの住むアークへと戻っていくのだろうか?

常に壁であり、支配者であった自分に対して立ち向かおうとしたヘイダルの心の成長、そして彼が本心で語った拙くも熱い思いを込めた言葉を胸に閉じ込め、イマードの目からは温かい涙が溢れるようだった。


(To be continued...)

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