第五節 剣客、柳

しおりを挟みました
しおりが挟まっています。続きから読む場合はクリックしてください
読了時間目安:13分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 柳一刀斎忠常、カントーの古語を用いた通り名を好んで使う、稀代の人斬り。
 かつてのヤクザ衆レイゼン――否、冷泉一家が鉄砲玉の一番槍。血濡れの柳と呼ばれた男が、今フキの目の前に立っている老人である。

「鉄砲玉が頭領死んでもおめおめと生き延びて、終いにゃ育ったガキの前によくもまあツラ出せたもんだなアァおい?」
「そう凄まんでくだせえフキのお嬢。オイラみたいなジジイにそんな大声出されちまったら、こっちも思わず小便漏れちまいますよ。歳食ってから尿切れ悪くなっちまって敵わんですし」
「はっ、思ってもねえことを」

 彼女の記憶の中にある彼の姿と比べて頭は明らかに白く染まっており、口角に刻まれた皺も以前より深い。
 それでも瞳だけは昔と同じように飄々と笑っており、フキのよく知っている笑顔を宿している。
 十年越しの再会ではあるが、一度言葉が途切れてしまえばそれ以上続くことはなく、遠くからぼやぼやと聞こえる繁華街の声だけが路地裏に木霊した。
 ややあって柳は藍色に変わりつつある空を見上げると、口元をそっと綻ばせた。

「……ここはいい街じゃねえですか、お嬢」
「何が言いてぇ」
「人が営み街は栄えて金もある。街で治安の差はあろうが毎日切った張ったの乱痴気騒ぎなわけじゃねえ。仇も取らずに随分安穏としたいい暮らしじゃねえですか」
「随分な口叩いてくれてんじゃねえか、昔はもっと柔らかかったぜ柳のジイさん」
「そういうあんたはおしめ変えてやってた頃からお転婆が変わらねえな、フキのお嬢。見たところ泣き虫は卒業しちまったんですかい?」

 その直後、まるで春に吹く突風のように。次の瞬間には互いに刀を抜き放っていた。
 一拍遅れて辺りに鳴り響く金属音。散った火花は直ぐに、鍔迫り合う鈍い刀の光に掻き消された。

「牙は抜けてねぇようですね、フキのお嬢ぉ!」
「バカ言え、最初に斬りかかってきたのはお前じゃねえか人斬りがぁ!」

 旧き知己との邂逅は、刹那の内に殺し合いへと塗り変わる。刃越しにも関わらず、額がぶつかりそうな距離でお互いに唾を吐き合った。
 先程まで仮面の奥に隠していた獣性も、次第に剥き出しとなっていく。

「昔と違って随分筋力が落ちたな柳ぃ」
「お嬢こそオイラの知ってた頃からだいぶ大きくなったじゃねえですか。こいつぁびっくりだぜ」

 ただの力の押し合いなら勿論フキの方に軍配があがる。だが相対するは血濡れの柳。一瞬刀にかける力を抜くとフキの体制を崩し、彼女の攻撃を横に逸らした。
 そして生まれたわずかな隙を見逃さず、最小限の動きでフキの首筋へと彼の刀が吸い込まれる。

「っヒヒダルマ! カバー頼む!」
「だらっ!」

 咄嗟に彼女は己が相棒の名を叫ぶ。青き狒々は飛び出しざま、主人へ振るわれた刀の横っ腹を拳で叩く。
 それでも柳は眉一つ動かさず弾かれた刀を引くと、そっと乾いた唇からその名前を呟いた。

「切り裂け、神剣カミツルギ

 路地の奥からわずかに光る鈍色の切先。
 フキはほぼ本能で咄嗟に体を下げると、伸ばされた刃がさっきまで彼女の頭があった所を鋭く貫いた。それでも避けきったと思ったフキの前髪が、はらりと少し切り落とされる。
 しかし彼女は怯まず。顎が地面につきそうな程に姿勢を下げて駆けると、突き上げるように太刀の切先を喉笛へ穿つ。
 それも、甲高い音と共に弾かれた。
 柳の周囲を警戒するようにグルグル動き回るのは、ともすれば祭事の道具のよう。しかし、道具というにはあまりに有機的な動きであり、祭祀というにはあまりにも不気味にらいでいた。

「っ! 外道に落ちたかっ、柳!」
「感情にすぐ揺さぶれるのは良くない癖だって教えましたぜぇ」

 ウルトラビースト、余人が持つことあたわぬ異形の存在。そして何より、それを持って彼女の前に現れたということは。

「亞人器官っつうところは随分心地がいいんですぜ。オイラのようなどうしようもねえ奴でも、毎日人を斬ってりゃ酒が飲める。まさに天職ってヤツですわ」
「そうかよ、実質無職の呑んだくれ野郎がよ」

 二人は互いにゆっくりと足を摺るように距離を取ると、相手の出方を伺うように刀を握る。
 汗がつつ、と額をつたい、頬を撫でては地面に落ちる。張り詰めた空気の中、ただ路地裏に回る室外機のファンの音が響き続けた。
 吹けば飛ぶような静けさの中、機械に結露した水滴がぽたりと落ちる。それが契機だった。

「『つららおとし』っ!」「迎えうて、『リーフブレード』」

 二人が同時に身を屈めて走り出すと、刹那彼らの頭上でポケモンの技と技がぶつかり合う。
 ヒヒダルマの氷刃とカミツルギの腕刃、二つの剣がぶつかっては透明の氷柱を削り、辺りに氷霧を撒き散らした。
 冷たい風が頬を撫でる中二人の剣士は刀を握る拳に力を込め、互いに相手を斬り殺さんと技巧を繰り出す。
 最初に動いたのはやはり体力に恵まれているフキ。刀を大上段に振りかぶるとそのまま全力で袈裟斬り。
 しかし、柳は笑みを崩さない。ゆらり刃を合わせると、彼女の大太刀を受け止めることなく横へ逸らす。思わず彼女は瞠目した。
 ――柳返し。剣客柳が見出した柔剣の極致。
 わずか一瞬の神技。当たれば人など断ち切るフキの剣戟を流して防ぎ、生まれた隙へ細かい斬撃を幾筋も放つ。彼女も青い髪を振り乱しながら体を逸らすが頬に、胸に、脇腹にと赤い線が走った。

「お嬢、そんな馬鹿でかい太刀で路地まで追ってくるのは悪手ですぜ。剣の軌道が読み易すぎる。それにお嬢の十八番も使えねぇ」
「そりゃあどうも昔の先生気分かよ!」

 それでもフキは動きを止めることなく、大太刀を逸された勢いで壁に突き刺し、ポールダンスのように体の支えとして足を伸ばす。勢いをつけた鋭い蹴りだが、柳は一瞥すると後ろに跳び距離を取った。
 その僅かな休戦の時間にフキは己が相棒に視線を向ける。氷に対して細い圧点で迫ってくるカミツルギとの鍔迫り合いは不利か。
 素早く判断を下して狒々への指示を変更。

「『アイアンヘッド』で距離を取れ! ひとまず仕切り直しだ!」
「だるぁっ!」

 額の雪塊を凍結させると固め、強くカミツルギに打ち据える。幾らウルトラビーストといえどその重さの差は100gと120kg。そのフィジカルの差は、いとも簡単に水引を巻いたような生物を突き飛ばした。
 されども老兵柳は止まらず。弾き飛ばされたカミツルギを空中捕えると、身体を回しながら手裏剣のように投げ返す。
 ヒヒダルマの攻撃の速度をさらに上乗せさせた投擲を、フキは咄嗟に刀を引き抜き弾こうとするが、それでも完全とはいかず脇腹を裂いた。路地には一閃、噴き出た血潮の筋ができる。

「お嬢は目が良い分、相手の駆け引きを考えずとも対処出来ちまっていた。だがそればっかりに頼るのも良くないですぜ? 今みたいに」

 投げたカミツルギがひとりでにカーブを掛けて手元に戻るのをキャッチしつつ、まるで教えるかのように言葉を紡ぐ。
 その様子にフキは悪態を吐くでもなく、唇をぐいと引き締め自身の腿を強く叩いた。
 これが自身の剣術指南役、これこそが自身の剣の師匠。突然降って湧いた格上、それも明確に肌で感じられるほどの。
 ポケモンリーグでのバトルではない、成長した自身だろうと明確に格上であろう相手との殺し合い。今までにない初めての経験に、じわりと脂汗を滲ませた。
 額からたらりと落ちた雫が瞼を伝い眼球へ入ろうとしたその刹那、フキは全身の筋肉を引き絞って再び突撃。思考を振り払うかの如き瞬発力で脚を動かし、顎が地面に擦れて血が出るほどの前傾姿勢。まさに大地を疾駆する獣の如く、ただ真っ直ぐに。

「これがお嬢の戦い方ですかい? 言うならそうさなぁ……『野伏り』といったところか」

 柳は一見呑気そうに顎鬚を撫でながら刀を構える。再び相手の攻撃を受け流さんとする柳だが、それはフキだって百も承知。だからこそ次の作戦を練っていた。

「ヒヒダルマ、刃を投げろ!」
「させると思いますかい? 神剣カミツルギ、砕きなさいな」

 ヒヒダルマが柳目掛けて投げつけた氷刃はカミツルギの攻撃によって一刀両断。それを確認したフキは突然刀を地面に突き刺すと、棒高跳びの要領で突然の跳躍。上空に舞い上がった氷刃に足裏をつけて再度の直滑降。
 柳の刃の射程外――彼の背後へ回り込むように飛び込むと姿勢を下げて足を刈る。そのまま柳との上下を反転させると、腕を押さえて顎を殴り砕かんと拳を握った。

「往生せいやぁ!」
「本当にオイラがなんの策もなく背後を取らせると思いましたか、お嬢?」

 直後、フキの背中に衝撃。無防備に受けた一撃には防御などあるはずもなく、地面を何度もバウンド。なんとか腕を跳ね上げて姿勢を戻すがその直後にカミツルギともう一つの影が襲い掛かる。
 かろうじてヒヒダルマが襲ってきた影を止めるがカミツルギを通してしまい、フキが咄嗟に出した手のひらを刺し貫いて、首筋の筋を一枚裂いてようやく止まる。
 咄嗟にカミツルギを振り払うと柳とはっきり距離を取り、ヒヒダルマが止めていた存在を初めて見やる。

「にゃあお」

 にんまりとイタズラな笑顔を浮かべたのは、マジシャンポケモン・マスカーニャ。マントの裏から花を取り出し、まさしく奇術さながら細剣をぬらりと取り出した。

「いってーな畜生っ、お前の相棒のポケモンはリーフィアじゃなかったかオイ!?」
「……アイツならとうの昔に死んじまいましたよ。一一年前のあん時に」

 さっきまでのニヤついた雰囲気はどこへやら、初めて見せた暗い陰を帯びる柳の微笑みにフキは思わず言葉に詰まる。彼らにとって誰にも思いだしたくない事件を、不意に思いだしてしまったのだ。
 互いに気まずい沈黙。この僅かな間に体制を整えんと刀を握る僅かな金属音が木霊した時、フキは不意にこの場に僅かに漂ってきた甘い香りに気が付く。
 それが一体なんなのか、即座に理解した彼女は軋む腹部の痛みを無理を捩じ伏せて、ビルの壁を駆け上がった。
 最初はフキの行動に防御の構えを取った柳だが、異常に退いていく彼女の姿に違和感を覚え、一拍遅れてすぐに自分の口元を覆った。
 今まで戦っていた二人が同時に視線をビルの屋上へ向けると、そこに佇むのは網タイツと黒いボンテージを身に纏った大男。傍に立つエンニュートはチロチロと舌をのぞかせ、蠱惑的に笑っている。
 彼らは陽が落ち暗くなった空の下で、都市の光に照らされ爛々と怪しく輝いていた。

「もしかして、お邪魔だったかしら?」
「いや助かったぜ、正直のところ」

 どろどろと血の止まらない腹を同じく傷の塞がらない手で押さえながら、ビルの上に立っていたリーグ一位――アストラに声をかける。

「この匂い……笑気ガスですかい? お嬢も手駒を忍ばせてたなんて人が悪いですぜ」
「さぁ、もしかしたらただの甘いだけのガスかもしれないワ」
「お嬢と違って面倒くせぇ相手そうですし多勢に無勢……ここはお暇をいただきますか。草猫さんや」
「にゃってん」

 マスカーニャはいつの間にやら自身の刃を花爆弾に戻すと地面に叩きつけ、花粉を周囲に撒き散らす。さながら帷を下ろしたように赤と黄色のカーテンが路地を覆い、瞬く間に彼らの姿が見えなくなった。

「クソッ! 待やがれ柳ぃ!」
「ダメじゃないフキちゃん、アナタ。側から見てもかなり重症よ?」
「別にこのくらい直ぐに治……」

 そこではたと自分の手をまじまじと見やる。血が止まらず、心臓の拍動と共に僅かに漏れては地面に赤い水溜りを作っていた。死王と目に見ても明らかに重症である。
 だがそこで彼女ははたと気付いた。自身の傷が未だ治っていないのだ。
 柳に切られた傷も、マスカーニャが飛び込んできたことで出来た打撲痕も、時間が経つとともにすでに回復しつつある。だと言うのにカミツルギから受けた傷だけはそのままだった。

「どうなってんだクソが……戻るしかねえか」
「意外だわネ、こんな時に人の話をすんなり受け入れるなんて」
「深傷を負った状態で勝てる相手じゃねえってだけだよ」
「随分とあのオジサマを買ってるのネ……それとも、もしかして彼のこと知っているのかしら?」
「はっ……知らねえよ」

 フキは自らフキの裾を千切って腕に巻き付けると、強く固く結びつける。
 久しく感じていなかった劣等感は、胸の奥をじくじくと苛んだ。

読了報告

 この作品を読了した記録ができるとともに、作者に読了したことを匿名で伝えます。

 ログインすると読了報告できます。

感想フォーム

 ログインすると感想を書くことができます。

感想