第四話:亜麻色髪の観察対象

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください








 青年は息を飲み、目の前の光景を凝視していた。

  カントー地方の8番道路。ヤマブキシティとシオンタウンを繋ぐこの道路には整備されたコンクリートの道が存在しているが、そんな道から逸れ、森の奥深くまで行ったところで、少女は歌を歌っていた。

 公園のトイレの屋根に飛び乗って、そこから8番道路へと飛び降りた彼女の行動を見た時は目玉が飛び出るかと思う程驚いた。彼女は一瞬にして木々の間に隠れ姿を見失い、危うく任務失敗かと焦ったが、相棒であるルガルガンの嗅覚によって彼女の匂いを辿り、なんとか尾行を続けることが成功したのである。

 先程まで、少女は川の中に潜っていた。号泣したメッソンの涙をモロに喰らい、対処策として冷水に浸かっていたらしい。その潜水時間は通常の人間ではありえない程長く、一瞬溺死してしまったのではないかという不安が青年の胸を過った。しかし少女はそんな青年の心配を他所に普通に川から起き上がってきて、姿無きメッソンに話し掛け、そして激励するように歌を歌い始めたのだ。

「怖くて苦しくて、独りぼっちの時♪

 俯いて、泣いている、そんなのはつまらない!♪

 怯えて立ち止まるのは、勿体無いさ♪

 一歩を踏み出そう、ボクと一緒に♪」

 彼女は歌を歌いながら、ステップを踏む。その度に彼女の髪を濡らしていた水滴が舞い、そして水滴は空中に浮遊し続け木漏れ日をキラキラと反射した。水滴は音符の形となり、パッと弾けてはまた形を作る。

 ポケモン達は、彼女の歌声を聴きわらわらと集まってきた。森に入り込む人間を排他するユンゲラーすらも、彼女の歌声に耳を傾けて彼女が操る水滴に魅入っていた。

 そう、彼女は水滴を操っていた・・・・・。まるでそれが当然であるかのように、毛先が水色に染まった亜麻色の髪を揺らし、水色の瞳を優しく細めて、楽しそうに水を意のままに操るのだ。その姿は非現実的で、彼女の人形のような容姿も相俟って人間ではないナニカのように彼女を演出する。

Hilinai信じて♪ 陰気を勇気でチェンジ♪

 Hoaloha友達さ♪ 涙も乾くよ、明日も晴れさ!♪」

 川の水が、噴水のように噴き出した。そしてその水が木漏れ日に照らされ虹を作る。目を輝かせたメッソンが、周りに擬態するのことも忘れそれを見た。姿を現したメッソンに、アイビーは笑いかけ歌を続ける。

“mālama ʻia mākou e ke akua”“マラマ・イア・マコウ・エ・ケ・アクア”

 “noho hauʻoli me nā hoaaloha”“ノホ・ハウ・オリ・メ・ナ・ホアアロハ”

 一緒に唱えよう、魔法の言葉♪

 小さな声も、大きな声に♪

 幸せの形、これがHoaloha友さ♪」

 タカタンという軽快な太鼓の音で、歌は終わった。肩を揺らし笑う少女は、メッソンの前にしゃがみその小さな身体を抱き上げる。

「ほら、もう怖くないだろう? この世界は愉悦で満ちているよ。それを見つけることが出来たならPerfect最高さ! ボクと一緒に、それを探しに行こうよ」

 少女の誘いに、メッソンはコクンと頷いた。少女はそれに大変満足そうに笑い、それからまたメッソンを地面に下ろすと、集まったポケモン達にも笑いかける。

 少女——“アイビー”と云う人間に対しての情報は少ない。戦争孤児としてタイラ・ロイバに引き取られるまでの、8歳以前の記録はどこにも残っていないのだ。どこで生まれたのかも、誰から生まれたのかも、公式の記録としては残っていない。戦争孤児に普通の子供と同じような生活をという活動によって戸籍を手に入れた彼女は、その二年後にトレーナー登録も済ませて、今では彼女の空白の8年間を疑う人間など居ない。今日入学式を済ませ、その辺にいる“平凡な子供”に擬態した彼女は、これからも目立たぬ様にと暮らしていくのだろう。

 しかし、普通の娘でないことは彼女自身が証明してしまっている。一般家庭に生まれた普通の娘であったなら、青年の尾行に気付きそれを撒くために壁を蹴り登って森に飛び込むなんてことはしない。自分を尾行する人間に怯えることも無いのも不自然だ。そしてなにより。

 パンッと彼女が手を打ち鳴らす。それと同時に水が花火のように舞い散る。それを見てポケモン達がはしゃぐ。

 あれは、人間業ではない。ポケモンの言語を理解し、ポケモンと同じように技を操る。人間にそんなことは出来ない。彼女は、人間ではないのだ。

 報告書で初めて彼女の情報を見た時の感想は“怪物”だった。正直者である青年は思わず『化け物じゃねぇか』と口に出してしまい、仕事上の相方である幼馴染に肘で小突かれた。その感想を目の前で聞いていた、青年達の上司である男は青年の感想にため息を零し、『怪物でも化け物でも、継承者であることに変わりは無い』と青年を睨んだ。青年は心の中で中指を立て、また報告書に目を落としたのだ。報告書にクリップで留められていた写真の中のアイビーと今のアイビーの姿は別人のようであるが、色の変わる毛先と瞳が、目の前の少女こそ観察対象で間違いないと青年に教えている。

 “怪物”だ、と思った。人間では無いのだと、思ったのだ。並べられた経過報告も彼女が生まれた過程も全て“普通の人間”とは異なっていた。だが、今、青年は彼女を見つめて動けない。恐怖ではない。興奮、歓喜、そして恋慕。

 亜麻色の髪が揺れ、濡れたスカートを翻しながら踊り、桃色の唇で歌う、そんな少女の姿に、見惚れてどうしようも無いのだ。言葉を交わしたわけでもなければ、肌に触れたわけでもない。ただ遠くから眺めているだけなのに、どうしてか胸がドキドキと高鳴った。

 声を、掛けてしまいたい。その瞳に自分が写ったらと考えずにはいられない。あの優しい声で名を呼ばれたら、それだけで幸せになれそうだと思う。ドキドキと胸を高鳴らせていれば、ふと、水色の瞳がこちらを見る。反射的に隠れたが、より強く胸が脈打った。ルガルガンも、既に姿を隠している。

 あの娘に透視能力の報告は無いので、見つかることはない。青年と少女はまだ会う予定ではないのだ。神経質の上司は、初対面の方法を随分模索している。自分達が敵だと思われないようにと思案し、相方である幼馴染もそれに賛同して色々と策を練っているようである。だから、今見つかるわけにはいかない。

 ロロロロロという着信音が、響いてきた。少女のスマホロトムのようだ。視線がスマートフォンに向き、青年の隠れる方角から外れる。

 青年は息を殺し、また少女を見る。少女はこちらに背を向けて、スマートフォンで誰かと会話をしていた。彼女は会話を続けながら、左の髪の毛を掻き上げるようにして左耳の後ろから何かを取り出し、腰のベルトに提げた円形のポーチにしまっている。毛先から水色が抜けていき、また脱色した白に戻った。それから彼女は帰ってきたサーナイトの姿を目視してからメッソンをボールに戻すと、ポケモン達へさよならの挨拶をすることも無く[テレポート]でその場から消え去る。霞のように消えてしまった彼女に思わず舌打ちしたが、相方が[テレポート]に使うサイコパワーの残留粒子を追って少女が何処に消えたのかは分かる。だから焦ることは無いと青年は自分に言い聞かせ、それから[テレポート]で対象が移動したことを相方に伝えた。青年が亜麻色の髪の乙女に名を呼ばれるのは、まだ暫くかかりそうである。







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