第二話:入学式と新入生

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください










 カントー地方ヤマブキシティ。カントー地方の中でも発達した都市として数えられるこの街には、商業施設の他に会社や学校も多く建てられている。そのうちの一つ、フェニクスフィア学園では、本日が入学式ということがあり、保護者同伴の生徒がゾロゾロと校門から学園内に入って行っていた。

 学校門には【祝 入学式】の看板が出されており、その前で記念写真を撮っている親子を多く見る。なるほど、普通の親子はあんな風に節目節目で写真を撮るのか、とアイビーはそれを横目で見ながら写真撮影の列を通り過ぎた。アイビーの養父であるロイバが、入学式のこの日はアイビーと共に入学式に出席すると意気込んでいた理由が漸く判明した瞬間であった。結局彼はお得意様の呼び出しに応じてカロスに出張して行ったが、最後までその依頼を蹴るか悩んでいた。「入学式より仕事」と彼を押し出して仕事に行かせたが、正解だったなとアイビーは頷く。あんなところで写真を撮るなんて絶対に嫌だ。特にアイビーは自分の映る写真というものが本当に嫌いだ。ロイバがここに居たら確実に記念写真を撮りたがっただろう。

 列を通り過ぎたアイビーはふと、黒服の集団を見つける。入学式というこの場において、誰の目から見ても明らかに浮いている集団。思わずそちらを見れば、どうやら黒服は皆ボディーガードらしい。共通のサングラスに共通のインカム、体格の良い五人の男達は、一人の少女を囲って体育館に向かっている途中の様だった。プリンを両手で抱いたその少女が、どこか憧憬を含んだ眼差しで記念写真を撮る家族を見ているから、アイビーはふむと一瞬考える。

「——ねぇ」

 アイビーは一歩、大きく踏み出して距離を詰めると、ニコリと少女に笑いかけた。少女はアイビーの登場に驚き、黒服が警戒したように少女を庇う。

「はじめまして、ボクはアイビー。キミは?」

「……コスモ、ですわ」

「コスモちゃんね。ねぇ、よければボクと一緒にアレ、撮らない? ボクの父親、今日出張で式に出席出来なくてさ、一緒に写ってくれる人がいないんだ。でもあの看板で写真が撮れるのは、人生で今日だけだろう? だから、一緒に写ってくれる人を探してたんだ。よければ、一緒に写ってくれない?」

 アイビーが敵意の全く感じさせられない笑みで言えば、少女は目をぱちくりとさせたが、コクンと頷いた。アイビーはまた笑い、彼女の手を引いて看板の前に向かう。丁度並んでいた新入生の列が捌けてすぐ写真が撮れる状態だった。

「ロトム、よろしくね」

 ポケットから取り出したスマホロトムにお願いすれば、仕事のできる彼はふわふわと浮遊していって、二人と看板が写る画角へと移動する。

「撮るよ? 3、2、1……——!」

 アイビーの合図で、ロトムはシャッターを切った。

 アイビーの元に戻ってきたスマホロトムの画面には、写真に写る二人の少女がいる。亜麻色髪の少女アイビーと、濡れ羽色の髪の少女コスモの二人だ。写真の中のアイビーは親しげにコスモに身を寄せて、コスモは少し緊張したような面持ちをしていた。コスモの腕に抱かれたプリンがキメ顔をしているのが、一番印象的である。

「ありがとう、良い写真が撮れたよ。おかげで一生の思い出になるや」

「いいえ、わたしこそ……わたしも、嬉しいですわ。わたしも、本当は、写真を撮りたかったんです。一人で撮るのは、勇気が無かったから、やめようと思っていたけれど……あの、宜しければ、わたしにも写真を頂けませんか? わたしも、思い出が欲しいんですの」

 少女はそう言いながら、自分のスマートフォンを取り出して、QRコード画面を見せた。ポケラインという通話アプリの連絡先交換用のQRコードだと、アイビーは理解する。

「いいよ、あげるね」

 アイビーは同じようにアプリを立ち上げてQRコードを読み取ると、彼女の連絡先を追加してその場所に先程撮った記念写真を送る。

「ありがとうございます……!」

 コスモは目を細め笑い、大事そうにスマートフォンを胸の中に抱いた。そして彼女は、アイビーの手を両手で包むように握る。

「よれけば入学式の会場まで一緒に行きませんか? 実はわたしも、父が仕事の都合で入学式に出席出来なくて、一人なんです。ですから、アイビーさんさえ宜しければ、ご一緒に居させてくださいな」

「いいよ、勿論。仲良くしてね、コスモちゃん」

 アイビーはそう言って笑い返した。

 二人は足並みを揃えて、入学式会場である体育館に向かって歩き始める。歩く度にサラリと彼女の手入れされた濡れ羽色の髪が揺れるのが、見ていて美しい。艶やかなその髪を見ていれば、コスモもアイビーを見ていた。

「……アイビーさんは、どうしてこの学園に?」

 コスモが、ふと口を開く。こちらを見ていたのは話題を探していたからなのだろうなと理解して、アイビーは「ん〜」と間延びした声を出した。

「父の勧めでね。ここはボクの養父の母校なんだ。就職まで面倒を見てくれる学校が好ましかったから、ここにした。校内も広いし、卒業生の功績も輝かしいからね。あと、“アイビー”でいいよ。“さん”なんて他人行儀な呼び方、ボクは好まないからさ」

「……なら、“アイちゃん”と呼ばせて頂いても構いませんか?」

「うん、いいよ。ボクは“コスモ”って呼んでいい?」

「はい、勿論!」

「ありがとう。コスモはどうしてこの学校に?」

「わたしも、父の勧めですわ。……アイちゃんは、オオハルグループという財閥をご存知ですか?」

 『オオハルグループ』、その名をアイビーは知っている。このカントー地方において、ロケット・コンツェルンと並ぶ大財閥の名である。

 300年程前から存在し現在まで続いている商家であり、現在は娯楽施設の建設・運営などを主に仕事としている。その他にもアパレルなどにも手広く商売をしていたと、アイビーは記憶している。調べたことがなくても分かるぐらいには、有名な会社のグループであった。

「一応、知ってるよ。それが?」

「わたし、そのグループの会長の娘なんです。父はゆくゆくはわたしに会社を継いでほしいと思っているようで、その為に、一番環境の整ったこの学園へと入学するように、と……」

「へぇ、そうなんだ」

 アイビーは相槌を打った。同時にどうしてコスモが黒服に囲まれているのかを理解した。大財閥のご令嬢ともなれば、周囲の警備だって重要だろう。特に入学式という、多く人が出入りする場面であれば警備を厳重にするのだって理解出来る。普段の学校生活ならば不審者が居ればすぐに分かるが、入学式という保護者に新入生にと入り乱れた環境では不審者が紛れ込むのも容易なのだから。

「なら、進むのは経営学部?」

「はい、その予定です」

「そっか、頑張ってね。このプリンはキミの相棒?」

「ええ、幼い頃からの唯一の友達なんです」

 コスモはそう言い、自分と一緒に移動しているプリンに視線を落とした。プリンは胸を張るようにフフンと笑い、アイビーはその愛らしさに笑みを零す。

「アイちゃんは、相棒のポケモンさんはいらっしゃるんですか?」

「うん、居るよ。大好きで大切な、唯一無二の相棒がね」

 アイビーが断言すれば、愉快そうにイヤリングが揺れた。そんなイヤリング——正確に言えばイヤリングに[へんしん]したメタモンを撫でていれば、二人は体育館の入口に辿り着く。

 そこで新入生名簿に記帳をし、お祝いの花の付いた名札を貰い、それを胸に着けてから体育館内に移動する。体育館は壁に椅子を収納出来る仕組みになっているようで、今は引き出された椅子がズラッと並べられていた。来た順から横に並んで座るようになっているようで、アイビーとコスモは隣同士に着席する。

「アイちゃんは、今後のことは決めていらっしゃるのですか? 部活動や、進みたい学科などは……」

「いいや? 何も。部活動は入部しないかなぁ、早く家に帰りたいし。進路は……多分経営学部に行くんじゃないかな? 就職の時に、面接を斡旋してもらえる企業が多いって聞くし」

「将来なされたいこととかは……?」

「無いねぇ。平穏に暮らせれば、なんでもいいんだ。つまらないかな?」

 アイビーが小首を傾げ問えば、コスモは横に首を振った。

「良いと思いますわ。これから、やりたいことを探していけばいいんですもの。そのための、学校でしょう?」

「そうだね、そうだと思う」

 その後二三言言葉を交わしていれば、入学式が始まった。

 入学式は恙無く進行した。学園長の挨拶があり、来賓の挨拶があり、生徒会長からの挨拶があり、在校生からの歓迎の出し物としてポケモン達との合唱が行われる。それらをコスモは行儀良い姿勢で見ていた。背筋をピンと伸ばして、両足を揃え静かに舞台上で行われている式典を見ている様からは育ちの良さが伺えて、ご令嬢というのは皆こんな風に品行方正な娘なのだろうかと考える。考えたが、すぐに考えるのをやめた。そしてバレないように、欠伸を噛み殺した。

 アイビーにとって入学式は非常につまらない式典だった。学園長の言葉も、来賓の言葉も、生徒会長の言葉も、どれもアイビーにはいまいち響かない。未来への希望も、将来の夢も、成し遂げたい野望も無いアイビーには、未来ある若者への激励の言葉は右から左へと流れていくただの雑音ノイズに成り下がってしまうのだ。しかしコスモの手前居眠りをするわけにもいかず、背もたれに身を預けてぼぅっとした面持ちで式典が流れていくのを見ていた。

 入学式が終わり、生徒は保護者と別れそれぞれに割り振られたクラスへと向かう。アイビーは1年C組、コスモも同じクラスであった。座席も隣同士であったために、コスモは大変はしゃいでいた。花が咲くような笑みというものを、アイビーは初めて見たかもしれない。そう思えるほど、コスモはパァッと顔を輝かせて両手でアイビーの手を握る。

「これって、きっと運命ですわね!」

「そうだね、これからもっと仲良くなれそう」

「はい! 是非わたしを、アイちゃんのお友達にしてください!」

「ああ勿論。よろしくね、コスモ」

 教室の、自分に割り振られた席に着席しリュックサックを傍らに置いて、教師が来るのを待ちながらコスモと他愛も無い会話を交わす。

 その会話中、チラチラとクラスメイトの視線を受け、アイビーは彼等を一瞥する。視線の先にいるのはコスモだ。教室に入るまで、黒服達に囲まれていた彼女を、好奇心の視線で見つめてくる彼等は、しかし話しかけて来ることは無い。そのうちの会話で「オオハルってあの……?」やら「だから黒い服の人達が居たんじゃ……?」という囁き合いが聞こえてきたから、やはり噂の話題はコスモが中心らしい。コスモもその会話が聞こえたのだろう、少しだけ困ったように、そして寂しそうに眉を下げアイビーを見る。

「……わたし、アイちゃんにご迷惑をかけてしまってますね」

「なにが?」

「……」

 チラリと、ヒソヒソ話をする彼等を見たコスモに、「あぁ」とアイビーは相槌を打つ。

「どうでもいいよ。石を投げられてるわけでもないし」

 アイビーが本当にどうでも良さそうに言うから、コスモは驚いたような顔をする。

「どうしたの? ボク、おかしいこと言った?」

「……いいえ、でも……意外ですわ。アイちゃんが、そういう物言いをされるの」

「嫌い? こういう冷たい言い方する奴」

 コスモは首を横に振る。アイビーはクスクスと笑い、「ボクってこういう奴なんだよ」と机に頬杖をついた。

「まぁ、ボクも指をさされてヒソヒソされるのは嫌いだけどね。自分がそうだったら不愉快過ぎて爪を噛んでるかも」

「あら……でも爪、お綺麗ですわ」

 コスモはそう言って、アイビーの手をくるりと翻させて指先の爪を見る。今日出会ったばかりだが、今までの行動から察するに、コスモは他人の手に触れる癖があるらしい。コスモの言う通り、アイビーの爪には噛み跡は無く、またネイルチップで装飾がされていた。

 メヌエットからバイオレットへとグラデーションに塗られた表面に、月や星や星座のモニュメントが散りばめられた夜空のネイルチップ。華美過ぎず地味すぎず、カーディガンの袖先からちょっと覗ける爪先を彩るには最適なネイルチップである。

「ありがとう。このネイルチップ、結構上手く出来たって自負してるんだ」

「自作なんですの?」

「うん、そうだよ」

「アイちゃんって、手先が器用なのですわね。メイクも良く似合ってらっしゃるし……アイちゃんは、紫色がお好きなの?」

「うーんどうだろう。確かに紫色をよく使うね。好きなあの子の色だから、自然と紫色の物を集めちゃうんだよね。紫のアイシャドウ、ケバい?」

「いいえ! ただ、紫色のメイクは使うのが難しいと聞いたことがあるので……使いこなせているアイちゃんは凄いなぁと……アイちゃんは、紫色も勿論似合ってますけれど、桃色や白色みたいな柔らかいお色も似合いそうですわよね」

「そうかな? そうだったらいいなぁ」

 アイビーはケラケラと笑い、自分の爪を撫でた。

「趣味なんだ、爪弄るの。元々は爪を噛む癖と首を掻き毟る癖を無くすためにネイルをゴテゴテ付け始めたんだけど、気付いたらネイルチップを作るのが楽しくなっちゃって。コスモはネイルとかする?」

「いいえ、興味はあるのですが……挑戦してみたことは無いんです。ネイルサロンの注文ページを見てみても、よく分からなくて……お裁縫は得意なんですけれど、お化粧はあまり得意じゃないし、ネイルも気後れしちゃって……でも、アイちゃんの爪とてもお綺麗だから、こんなに可愛く出来るなら、わたしもしてみたいと思いました。アイちゃんはご自分でやられているのですか?」

「うん。ネイルサロンでやるとお金かかっちゃうからさ。自分でやれば好き勝手に弄れるしね。

 今度一式持ってこようか? 折角だし、やらせてよ。ボク、友達にネイルしてあげるの初めてなんだ」

「! はい、是非!」

 コスモはまた嬉しそうに笑った。そのタイミングで担任教師が教室に入ってきたので、二人は会話を止め教卓の方を向いた。

 担任教師はまず自己紹介をして、それからクラスの生徒に一人一言ずつ自己紹介をさせて、今後の一年間の予定をザッと話して……と担任教師としてやるべき事を一つずつ行っていく。アイビーはそれをまたぼぅっと話半分に聞いていた。

 学校という場所はイベントが多いと聞いていたが、その通り随分色々とある。“遠足”とはなんだろう。“運動会”とは何をするんだ? “マラソン大会”とはなんだ? “文化祭”もよく分からない。分からないが、流れに身を任せていれば何とかなるだろうと楽観的に考えて、回ってきた自己紹介の順番も適当に済ませる。

「はじめまして。タイラ・アイビーです。楽しい学校生活にしたいです、よろしくお願いします」

 パラパラという拍手を受けながら着席して、アイビーはふぅと息を吐く。早速、この学校という空間を退屈に感じてきていた。

 やがて30人のクラスメイト全員の自己紹介が終われば、担任教師は一度教室を出て、それから30個のモンスターボールが乗ったプレートを持ってまた入ってくる。

「ではこれから、新しく皆さんの手持ちとなるポケモンを配布します。皆さんの中には、このポケモンがはじめてのポケモンになる人もいるかもしれません。この学園で過ごす間、皆さんは今日配られたこのポケモンと共に成長することになります。大切に育ててくださいね。それでは、出席番号順に取りに来てください」

 担任教師の言葉で、出席番号一番の生徒から立ち上がり、自分に割り振られたポケモンを取りに行く。アイビーも流れに沿って自分のポケモンを取りに向かった。

「はい、これがタイラさんのポケモンです。大切にしてくださいね」

「はい、そうします」

 アイビーは両手でモンスターボールを受け取って、自分の机に戻った。

「うわぁぁ!!!」

 その時だ、突然教室から悲鳴が上がる。驚いて振り返れば、教室の一角で腰を抜かした男子生徒とその男子生徒に敵意を剥き出しにしているポカブの姿があった。たしか、自己紹介で『ヤマキ・ライラ』と名乗った少年だ。自己紹介の時は下を向きオドオドしていて、頼りなさそうな印象を受けた。

 何をしたのかは知らないが、ポカブの怒りを買ったらしい男子生徒へ向けて、ポカブは[ひのこ]を放つ。男子生徒はまた悲鳴を上げて、彼の恐怖と動乱が教室内の生徒に広がり、生徒からポケモンにも広がり、にわかにパニックが起こる。担任教師は事態の収集をするために「落ち着いて!」と声を張り上げるが、子供達の悲鳴を収めることは出来ない。

 アイビーはやれやれと言いたげに肩を竦め、そちらへと歩いて行った。

(首を突っ込むのか?)

 イヤリングに[へんしん]したメタモンが、耳元で囁く。

「入学初日にクラスメイトが焼け死ぬとか嫌だからね」

(お前は本当に気まぐれだな。さっきの写真の時も今回も。そうやって偽善ばかり行うから、余計な面倒事が寄ってくるんだぞ)

「はいはーい」

 アイビーはクスクスと笑い、悠然とした足取りで男子生徒の前に立ちポカブと相見えた。

「やぁ、こんにちは」

 ポカブは自分の前に現れたアイビーにも敵意を剥き出しにする。 特徴的な豚鼻からは熱気が溢れ、赤い玉のような尻尾は赤く爛々と光り始めている。尻尾が赤く光るのは、炎エネルギーを貯めている証拠だと聞きかじったことがあった。つまり現在進行形で、攻撃準備中ということだ。

「アイちゃん……」

 コスモが心配そうにアイビーの名を呼ぶ。そんな彼女に心配するなと手を振って、アイビーはポカブの前に膝を着き屈んだ。

 瞬間、ポカブが豚鼻から小さな火の玉を吹き出した。[ひのこ]だ。アイビーはそれに驚くことも無く、避けることも無く、左手で[ひのこ]の玉をギュッと握り締め消す。担任教師がギョッとしてアイビーを見た。アイビーは気にすることなく、その掌をヒラヒラとポカブに振って見せる。

 木の実の種のようなポカブの瞳が、敵意を孕みアイビーを見る。いきなり知らない人間に譲渡され、しかも人間の沢山居る所に引っ張り出されたポカブは防衛本能から未だ尾を赤く光らせている。

「ボクが怖いかい?」

 その瞳を見下ろせば、ポカブはたじろいだ。ポカブの目に、アイビーの瞳は何色に写っているだろうか。分からないが、畏怖の対象として見られたのは確実だった。

 アイビーは瞳を細め、ニコリと微笑む。恐ろしい表情から一点、優しい表情になったアイビーの顔面を、ポカブがポカンとした顔で凝視した。

「大丈夫さ、怖がらなくて。人間はキミの敵じゃないよ。ほら、怖くないさ」

 ポカブの頬を撫で、頭を撫でる。ポカブはまだ呆然としていたが、やがてアイビーの優しい手つきに尾を垂らし、その尾からは光が消えていく。敵意が無くなった証拠だった。

「ほら、キミも怯えてないで撫でておやりよ。可愛い子じゃないか」

 アイビーはポカブを抱き上げ——「意外と重いな……」と若干感想を零しつつ——未だ腰を抜かしたまま動けていない男子生徒にポカブを差し出した。男子生徒はアイビーを不安そうに見ている。

「撫でてごらん。愛しさが生まれるから」

 ズイッと差し出せば、彼は恐る恐るポカブに手を伸ばし、ソッと撫でる。ポカブは逃げることなくその手を受け入れた。

 アイビーは少年に抱っこさせるようにポカブを渡し、彼にも優しく笑いかけた。

「怯えないで。ヤマキ、だっけ? キミ。

 誰でも“はじめまして”は緊張するものさ。それでも怯えることはないんだよ。ほら、この子の目を見て? 段々愛おしくなって、緊張なんて忘れちゃうんだから」

 アイビーはそう言い残し、またスタスタと自分の席に戻った。教室は水を打ったように静まり返っていたが、担任教師がハッとしてから生徒達にそれぞれ着席するように促し、騒ぎが起きる前と同じ雰囲気まで引き戻す。そしてまた、ポケモンの配布が始まった。

「アイちゃん、手は……手は大丈夫ですか……?」

 コスモが心配そうに、アイビーの手を覗き込む。アイビーはヒラヒラと手を振り問題が無いとアピールして、自分に配られたモンスターボールを改めて見た。

 コスモの学習机の上にはツタージャが立っていた。どうやら彼女に配られたのはくさタイプのツタージャだったらしい。ツタージャはツンと澄ましたような態度を取っているが、キチンとした身なりのコスモに悪い印象を抱いているわけではないようで、暴れたり騒いだりすることは無かった。

「アイちゃんは、ポケモンさんを出されないんですか?」

 不思議そうに、コスモは尋ねる。アイビーはモンスターボールの中から配られたポケモンを出そうとはしなかった。

「ああ、うん。“はじめまして”は、もう少し静かな場所の方が理想的だから、さ。まぁくだらないこだわりだね。気にしないでおくれ」

「そんな、くだらないなんてことないですわ! 初対面って大切ですものね。それを大事にしてくださるのだから、中のポケモンさんだって悪い気はしないと思いますわよ!」

「ありがとうコスモ。キミは優しい子だね」

 そんな会話をしている間にも、クラスメイトへのポケモン配布は続いていた。やがて全員分のポケモンが配り終われば、帰りのホームルームを行い帰宅となる。明日からの学校生活のことを軽く説明し、ホームルームは終了した。

 アイビーはモンスターボールを小さくしてから、ベルトに取り付けて帰るためにリュックサックを背負う。

「アイちゃん、もう帰られるのですか?」

「うん。ボールの中の子と早く対面したいし。それにボク、人が沢山居る場所って苦手なんだ。今日は沢山人がいる式典に出たりしたから疲れちゃった。早く帰って、愛しのベッドで休息を取りたい気分さ」

 アイビーは芝居掛かった口調で言って、またケラケラと気安く笑う。

「コスモは? まだ帰らない?」

「はい。学園をもう少し見て回ろうかなと思って。あと、手芸部と声楽部の部活見学もしておこうと思いまして……」

「ああ、そういえば裁縫が得意って言っていたもんね。歌も得意なの?」

「得意という程ではありませんが……でも、プリンと歌っているのが楽しくて、だから興味があるんです。見学だけなら、誰の迷惑にもならなくていいかなと」

「そうだね。誰も迷惑だなんて思わないよ。それじゃあ、放課後頑張ってね。また明日」

 ヒラヒラと手を振りアイビーが教室を出て行けば、見えなくなるまでコスモは手を振ってくれていた。

「可愛い子だね、あの子。そう思わない? メタモン」

(お前は本当に惚れっぽいな)

「厭だなぁ惚れてなんてないよ。ガラスケースの中の着飾られた人形を“可愛い”と思ったりするだろう? あれと同じ感覚さ。可愛いんだよ、可愛いものを愛でたい、自然の摂理。そこに特別な感情は無いよ。あの子に対して、恋愛感情を抱くことは、億が一にも無いね」

 アイビーは断言し、肩を竦めた。下駄箱で上履きからスニーカーへと履き替えながら「でも……」と言葉を続け、小さく笑う。

「ああいう純粋無垢な人は、見ていて心が穏やかになるよ。キミもそうだろう?」

(どうだか)

 メタモンは、あまりコスモのことを気に入らなかった様だ。しかしメタモンは元々人嫌いの気があるので、アイビーは気にすることなく帰路を進む。

「新しい仲間になるポケモン、どんな子かな」

(さぁな。だが、お前について来れるかは疑問だ。お前という女はあまりにも稀有で特殊だ。果たして付き添い命を賭けたいと思える程の感情を、ボールの中のポケモンに抱かせることができるかな)

「うーんハードル高すぎて笑っちゃう。まぁ頑張るよ」

 アイビーはケラケラと笑い、丁度やってきた市内循環バスへと乗り込んだ。そして小さく、ため息を吐くのであった。




 



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