Episode 56 -Dawn-

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 トレとルーチェ、2匹には自分の弱さに負け、自分を見失っていた過去という共通点があるようだ。そんな2匹を救い、再起のきっかけを与えてくれたのは、他でもないカイネなのだという。
 「『T-13』、それがトレのいた組織。そして彼はそこのリーダーだった。」
「T-13……それって一体……?」

「北部大陸を中心に、その西側にある霧の大陸にまで勢力を持っていた、地上世界最大規模の暴走族だよ。トレはそこのヘッドとして、数千匹もの構成員を束ねて暴虐の限りを尽くしてたんだ。」

ユーグはえっこに向けてそう告げた。かねてからどこかチョイ悪な雰囲気を見せていたトレだが、まさかそれ程までの悪行に手を染めていたとは、えっこにとっても予想だにできなかったことだ。


「人間世界にも暴走族ってのはいたか? 奴らはバカデカい車両を自作してあちこちを暴走して荒らしたり、強盗や危ねぇ薬物の販売をしたり、何でも好き勝手やりたい放題だった。他の組織と違うことを挙げるとするなら、トレんとこは大陸全体に広がるくらいの、とんでもなく巨大なネットワークを持ってたってとこだな。」
「ええ……やっていたことも似ていると思います。典型的な反社会的勢力であり、市民の生活を脅かす存在だった。」

「そう、直接手を下した訳ではないのだけれど、彼のせいで被害に遭ったポケモンは数知れず。各地の警察から指名手配される程にまでなってたらしい。」
「トレさんがそんなことを……。」

えっこはショックのあまり口ごもって俯いてしまった。頼れる上司であり、仲間であるトレにそのような経歴があるなどと、信じたくない気持ちが生じるのは無理もないことだろう。


「もう聞くのやめとくか? これ以上、アイツへのイメージが変わっちまうのに耐えきれねぇならやめとけ。悪いことは言わねぇ。」
「……いえ、聞かせてください。すみませんでした、俺の方から申し出たのに、こんな態度取って。」

「分かった。トレも元々は悪い奴なんかじゃなかった。郊外の町に生まれた彼は、父親が地域の大きな総合病院の局長、母親が教育委員会の職員というエリート家庭の一匹息子だった。」
「アイツは昔から何をやらせても器用で完璧だったらしい。だけど親が一番の問題だった。決してトレの頑張りを認めることもせず、常に高いレベルを求め続けた。アイツがそれによってどれだけのプレッシャーとストレスを受けてたかなんて、俺には想像すらできねぇよ……。」

エリートである両親の注目を一身に浴びる一人息子だったため、トレは常に脅迫されるように勉学やスポーツに励み、親の期待と要望を満たすためだけに生きなければなかったのだという。
地域の進学校に進んだ中学生時代のトレは、品行方正かつ成績は常にトップで、その脚の速さから陸上部の短距離のエースも務めていたという。しかし14歳のある日、トレの生き方を変える事件が起こる。


「うぅっ……ぐっ…………。」
「どうしたんだ、トレ? 何だか顔色がよくないが、大丈夫か?」

「すみません、少しお手洗いに行ってきます。すぐに戻りますので……。」

心配の様相を見せる上級生たちを尻目に、トレは青い顔のまま、校舎の中に消えて行った。


「うっ……げぇぇっ…………げほっ!!!!」
トレの嗚咽がトイレに響き渡る。彼は全身を伝う悪寒と戦いながら、口から絞り出すように反吐を吐いていた。その色は不気味に赤黒く、トレの身体に異常が出ていることは、誰が見ても明白だ。


「何やってんだろ俺……。父さんと母さんの期待に応えるためだけに、こんな……。走るのだって、昔は好きだったけど……。いつしかダメになっちゃった。1位じゃないと叱責されるんだもん……。」
やがてトレの目から自然と涙がこぼれ落ちる。両親から受け続けたプレッシャーにより、彼の心は破綻寸前の状態にあったのだ。それ故に身体が危険信号を発し、このような状態を招いたらしい。


「その日からアイツは変わっちまった。それまでまるで召使いみたく親にヘコヘコ従ってたトレは、反動で一気に反抗期に入っちまったんだ。好きだったはずの部活も辞めて、悪い奴らとつるんで、好き放題やり始めた。」
「その悪い仲間から誘われて、暴走族に入ったらしいね。そして元々頭の回転もよく、何でも器用にこなす上に身体も強かったトレは、その中でめきめきと頭角を現していった。」

「それがトレさんの過去……。でも、今はそんなことに手を染めてなんかいないんですよね? もう、二度と戻らないって約束したって。」
「ああ。きっかけは俺のお袋だった。お袋と出会ったことで、アイツの進む道は大きく変わったんだ。」

マーキュリーは腕を組んでそう呟く。トレが変わったきっかけもまた、カイネたちが関与しているのだという。









 「T-13ってアンタ……!! 冗談はよしなよ、あんな札付きのゴロツキ共の集まりを束ねてたのがアンタだなんて、信じられる訳が……!!」
「だろうな、だが彼の言うことは本当なんだ。ここ数年あの組織が勢力を弱めているのは知っているだろう? あれはトレ君が組織のリーダーを辞め、自ら組織を解体・縮小化させたからだ。」

「俺は優秀な親から常にプレッシャーを受け続けてグレちまった……。そして、気が付けば悪行三昧の日々を送っていた。一体どれだけのポケモンに迷惑をかけて、傷付けてきたんだかな。だが、ある日俺の前にカイネさんが現れた。」

そう語ったトレはルーチェの前で、拳をぐっと握りしめて過去に思いを向ける。まるで、決して振り返りたくない汚点に、意を決して向き合うが如く。


「なるほど、アンタがこの周りの俺の配下を潰しまくったって訳か。ナメた真似をしてくれんじゃねぇか。」
「君が親玉のようだね、私はこの大陸の警察の依頼でここにやって来た。言うまでもなく、この組織を倒すためにね!!」

「てめぇ、女の癖に寝言言ってんじゃねぇぞ!!!!」

カイネの左右から、数匹の屈強なバクオングが挟み撃ちにして殴りかかるが、カイネは枝の杖を取り出すと、それらを一瞬の内に叩きのめして気絶させてしまった。


「性別は関係ないでしょ? 君たちじゃ私の相手にもならないよ。」
「いいだろう、だがそこのつまらねぇ奴らと俺とは違うぜ? お望み通りタイマンでケリを付けてやるよ、てめぇにはもう、万が一にも生き残る道はねぇけどな。」

「へへっ、そう来なくちゃね!! さぁ、かかっておい……。」

カイネがそう言いかけた瞬間、既にトレの姿がカイネの背後へと移っていた。そのままスピードに乗った一撃がカイネを捉え、その身体は大きく吹っ飛ばされてしまう。


「起きやがれ、こんなもんで済むと思うなよな。今の一撃がまともに当たっちゃいないことなんて、殴った俺が一番よく分かってんだぜ?」
「正直ちょっと甘く見てたね、暴走族のヘッドがこんなスピードとパワー持ってるなんて……咄嗟に回避するには、自分の身体を念力でわざと弾き飛ばすしかなかった。」

「あんなもんで済まないって言ったろ? どうせ最後だから教えてやるが、あのスピードでもまだ本気じゃねぇんだよっ!!!!」

刹那、トレの姿が一瞬にして消える。その直後に、何か肉眼では捉えられないものがカイネの身体を掠め、切り裂いた。
身体から一筋の血を流すカイネに、なおもその攻撃は執拗に迫っていく。


「へぇ、これが本気ってことなのね……。なら教えてあげる、私もまだまだ本気なんて出しちゃいないよ。」
カイネはそう呟くと、突然枝を軽く横に突き出した。すると、何かをピンポイントで貫いたような感覚と音がし、トレが土煙を上げながら地面を転がり始めた。


「ゴホッ……マジ……かよ…………? 何で一発で……?」
「完璧見えてたよ、君のスピードなんてね。そしてサイコショックを仕込ませたこの枝で急所を一突きにした。もう動かない方がいいよ、しばらく呼吸もろくにできないだろうし。」

すると、トレは自嘲するかのように苦笑いをこぼし、体勢を仰向けにした。


「早く一思いにやりな……サツに突き出されたり……女に手も足も出ずに負けた恥晒ししたりするくらいなら……。いっそこの場で…………。」
「…………。」

カイネはトレの言葉を聞き、ゆっくりと彼の元へと歩み寄った。トレは全てを覚悟したような穏やかな顔で天を仰ぎ見る。

しかし次の瞬間自らに触れたのは、冷酷なとどめの一撃などではなく、温かな抱擁の感覚だった。それはトレが今まで親からしてもらったことのないような、優しく包み込むような肌触りだ。


「君、怖かったんだね……。私はずっと、何か引っかかるものを感じながら戦ってた。そして気が付いた、君は何かに怯えている。何かから必死に逃げた姿が今の君……。」
「俺が……怯えて……!? 何言って…………!?」

「だったら、どうして無闇やたらに攻撃してきたのかな? 君のあのスピードなら、私の首筋だろうと、足首だろうと、死に直結するような急所を狙いに行けたはずだよ? でも違った、君の動きはまるでお化けか何かを自分に近付けまいと、必死に棒っきれを振り回す子供みたいだった。……君が怖い相手、親だね?」

カイネがそのように諭すと、トレは驚きのあまり目を見開いて固まった。カイネはトレが何も語らずとも全て見抜いていた。トレが無意識の内に、かつての母親の年齢に近かったカイネを、自分を精神的に追い詰めた両親の姿に重ねていることを。


「カイネさんには敵わねぇ、そう直感した。そしてこんなにも強く、こんなにも優しく、こんなにも尊敬したいと思える大人が自分の目の前に初めて現れたんだ。気が付いたらカイネさんの腕の中で、子供みたくわんわん泣き喚いちまってた、大の男がな……。」
「アンタ……。」

「それから、俺はカイネさんと同じダイバーになると決意した。幸い、警察にはダイバーによる貢献活動で懲役に代えるよう、えっこさんが交渉してくださった。そして俺は組織の奴らをぶちのめして族を解体し、俺自身が今まで犯した罪をきちんと清算しようと動き始めた。親のプレッシャーに負けて悪事に走った自分の弱さ……正直一生かけても償い切るなんて無理だ。だが、それでも俺はカイネさんの後を追い、ダイバーの端くれとしてやれる限りのことはやるつもりだ。」

トレは首元に付けたバッジを誇らしげに見せながら、ルーチェにそう語った。そのバッジには小さなエメラルドの輝きが灯り、トレのヴァートランクのダイバーとしての存在価値を映し出している。


「アタイにも、同じように飛び立てるんだろうか……。アンタがやったみたく、自分を殺して誰かのマリオネットとなって生きてきた、そんな十字架を背負う真似が……。」
「実際どう転ぶかは分からねぇ。だが俺は持ってるチップを全部賭けてもいい、ネモフィラのような強い意志を持つ君の瞳には、花言葉の通り栄光の勝利が映っていると。」

「アタイは、トレにそう勇気付けられて、カイネ姐さんたちの差し伸べた手に掴まって、自分の信念の灯火を再び燃やすこととしたんだ。カイネ姐さん、えっこさん、トレ、ニアさん、メイメイ、マーク君、そしてアタイ……。そのメンバーで反逆ののろしを上げたアタイたちは、見事に腐敗した組織を打ち倒すことに成功した。」

ローレルはルーチェの過去に聞き入るあまり、その大きなグレーの瞳を瞬くこともなく見開いている。その手に持った紅茶のカップは既にぬるくなっており、ほとんど湯気を出すことなく静かにローレルの顔を映していた。


「アタイは思い切ってファミリーを解体した。サヴェリオさんを失い、穏健派のかつての家族たちも散り散りになったこの場所に、もうアタイの帰る場所はなかったから……。街のことは、地上にある探検隊や救助隊や調査団が有志を募って作った自警団に任せ、アタイは街を去って行った。」
「そして今ではここがルーチェさんの帰るべき場所……。ツォンさんやメイさん、ローゼンさんが待っている、そしてあのピッツェリアの皆さんも……。」

「そうさ。組織壊滅の後、アタイが迷い込むようにやって来たこのアークこそが、今じゃすっかり帰るべきアタイの家だ。サヴェリオさんがくれたあの日の思い出のマリナーラの味も、この場所で再現して広めた。そしてここに住んでるからにはダイバーとして活躍して、ちょっとは天国のサヴェリオさんに顔向けできるようにならなきゃ。」

ルーチェがそう微笑むと同時に、アパートの部屋の呼び鈴が鳴った。ドアを開けると学校帰りのセレーネが転がり込み、ローレルの顔を心配そうに覗き込んだ。


「ローレルお姉ちゃん、大丈夫なのです? ボクもずっと心配してたのです。」
「ありがとうセレーネ、ルーチェさんのお陰で徐々に調子もよくなってきました。もう明日には回復できそうです。」

「ほら、おチビちゃんは早く手を洗って服を着替えな、外から持ってきた菌がローレルお姉ちゃんに移っちまうだろ? ちゃんと綺麗になったら、アンタの好きなサガナキをおやつに焼いてやるからね。」
「やったぁ、ありがとうなのです、ルーチェお姉ちゃん!! では手を洗ってくるのです!!!!」

セレーネは好物の話を聞いて嬉々としながら、洗面所の方へと駆け出して行った。
多くのポケモンを乗せたこの天の島・アークの大地は、今日もまた黄金の西日を受け、空の青に負けじと鮮やかな色彩を見せるのだった。


(To be continued...)

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