Episode 54 -Somewhere-

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 陰街の探索が原因で病気にかかったローレル。仕事や学校で不在のえっことセレーネに代わって彼女を看病することになったルーチェは、ローレルにその生い立ちを尋ねられるのだった。
 その日、ローレルは学校を休んでいた。どうやらお嬢様育ちの彼女にとって、陰街の空気はどうしようもなく合わなかったらしく、熱を出して寝込んでしまったのだ。

えっこは依頼で地上に向かっており、セレーネも学校に行ってしまったため、ルーチェが付き添って看病していた。


「ううっ……。本当にすみません、お店が忙しい中、ご迷惑をおかけしてしまって……。」
「何言ってんだい、アンタはうちの店を手伝ってくれてた仲間だよ? それに青蛙君にも色々借りがあるからさ。遠慮なんてするもんじゃあない。店なら他の従業員に任せてるから大丈夫!!」

ルーチェの朗らかな笑顔は、病気でつい沈んでしまう心を自然と持ち上げてくれるようだった。
ローレルは少し頭をもたげてふとルーチェに問いかける。


「そういえば、ルーチェさんもこのアークに昔から住んでいるのですか?」
「アタイはセレーネちゃんと同じで、地上出身だよ。北部大陸の南端の方に、『トリニポリス』っていう港町がある。アタイはそこで生まれた。そんで、色々あってここに来てダイバーになった。」

「やはり、あのピザもその地方の家庭の味とか? あれは本当に病みつきになるのです。」
「ああ、マリナーラね。あれはトリニポリスに伝わる伝統的なピッツァさ。あれはシンプルながらも、ピッツァの全ての魅力を凝縮した一品になってる。アタイはあの味に思い入れがあってね。だから頑なにマリナーラ一筋で貫いてきてんのさ。」

ルーチェはローレルに横顔を見せ、頭に被っていた帽子を右手でくるくると回し始めた。その回転は、まるで時を彼女の幼少期へと巻き戻すかのように、一定のリズムで楕円軌道を描く。










 風光明媚な港町・トリニポリス。潮風の吹き抜ける港湾地区には迷路のように入り組んだ路地があり、その一つ一つに小運河が走り、ゴンドラが行き交う光景が特徴的だ。

小運河の水は集まって1つの大運河へと注ぎ込み、外に広がるエメラルドグリーンの大海へとその輝きを送り出していく。

そんな港湾地区を見下ろすように、山の斜面に沿って建っている旧市街地区。黄色や赤や青、色とりどりの煉瓦造りの建物が軒を連ねる街並みが、目抜き通りを境目に左右に立ち並ぶ様は、下から見上げると圧巻の一言だ。

しかし観光客を惹きつけてやまない美しい街並みのすぐ裏には、異臭を放つゴミと、打ち捨てられた注射器とが転がる裏路地があった。
そんな昼間でも薄暗くておどろおどろしい裏路地を、一匹のカリキリの女の子がとぼとぼと歩いていく。


「お腹空いたぁ……。今日は何も手に入らなかったし……。どうしよ……。」
この薄汚れたボロ切れをまとったカリキリが、幼き日のルーチェだ。彼女は半べそをかきながら通りをひたひたとゆっくり歩き、空腹と疲労から、やがてその場に座り込んでしまった。


「アタイは望まれて生まれてきた子供じゃなかった……。旧市街の裏路地の更に奥まで行くと、自分の春を売って生計を立ててる女がいるのさ……。そしてアタイは、避妊をミスって生まれてきちゃった子供……。」
「そんな、自分の……。」

「ローレルちゃんには想像つかないかもね。でも、この世の中にはそんな奴らもいるもんさ。アタイもそんな母親から生まれてきた。」

ルーチェは椅子にそっと腰掛けて、足を組みながらそう呟いた。トリニポリスは歴史地区の広がる観光地としても名を馳せる一方で、裏社会の欲望や憎悪の渦巻く混沌の街でもあるようだ。


生まれてしばらくしてから親に捨てられたルーチェは、幼い頃からストリートチルドレンとして育ち、ゴミを漁ったり、観光客からスリをしたりして何とか生き延びてきたらしい。

ただ、そんな生活が安定する訳もなく、何日もまともに食事が取れずに生死の境を彷徨ったり、スリを現行犯逮捕で押さえられて警察に暴力を振るわれたりと、幼いながらも非常に過酷な日々を送っていた。そう、あの日が来るまでは。


 「(もうダメ……。何も見えないし動けないや……。あたし、死んじゃうのかな…………。死んだらどこ行くんだろ、帰るとこなんてないよ……。)」

ルーチェの視界は霞んで歪みゆき、その軽い身体はふわりと地面に倒れ込んだ。日陰と秋風に冷まされた石畳のひんやりとした感覚が、辛うじて彼女が生きている事実を繋ぎ止めてくれる。
しかし、そんな感触も徐々に薄れていき、やがてルーチェの意識は暗い闇に途絶えていった。


「アタイはもう目を覚ますことなんてないと思ってたよ……。けどね、助けてくれたポケモンがいた。そしてその重い目を、再びこじ開けることができた。」

幼きルーチェは、ふと目を照らす明るさに気が付いて目を覚ます。そこは病院のベッドなのだろうか? 触れたこともないような、白く清潔なシーツと枕がルーチェの身体を包み込んでいる。
両腕にはチューブのようなものが刺されており、透明の液体が自分の腕に流れ込んでいた。その様子にルーチェは少しぎょっとした表情を見せる。


「ああ、目を覚ましたのね!! 『サヴェリオ』さん、早く、早く来てくださいっ!!!!」
ベッドの横でルーチェの看病をしていた看護師のラッキーが、慌てた様子でそう叫んだ。
すると一匹の大きなポケモンが現れ、のそのそと緩慢かつ貫禄のある動きでルーチェに近づいてきた。思わず息を呑んでしまうルーチェ。


「……調子はどうだ? 少しは動けそうか?」
「……あっ……。あのっ……。」

「もう、そんな強面するから怖がっちゃってますよ!! お嬢ちゃん、この方は『サヴェリオ』さんっていうの。怖いポケモンじゃないわ、心配しないで。」
「あなたがあたしを助けてくれたの……?」

その無愛想な顔に違わず、低く迫力のある声色を見せるワルビアル。どうやら彼が、行き倒れていたルーチェを助けてくれたらしい。


「……意識を取り戻したようで何よりだ。ここのシマを受け持ってる以上、そこで死なれちゃあメンツ丸潰れなんでな。」
「ご、ごめんなさい……。」

「謝るこたぁねぇだろ、お前さんはただ必死に生きようとしてた。その身なりを見るに、親に捨てられちまった子供だろう。全く、近頃の娼婦どもはエグいことしやがる……。」

すると、突然ルーチェの腹の虫が鳴り響いた。その音を聞き、サヴェリオは紙包みを懐から取り出す。


「その点滴だけじゃ、栄養は補給できても腹は膨れんだろ……。こんなもんしか持ってねぇが、食えるか? 元々わしが昼に食おうと買った奴でな、年寄りにチーズたっぷりのマルガリータは重いんだ……。お前さんみたいな若い舌に合うかは分からんが。」

ルーチェはサヴェリオから渡された食べ物を覗き見る。それはパリッと焼き上がったピザ生地に、トマトとオレガノのソースと、アクセントのオリーブオイルとが乗せられたシンプルの極みとも言えるピザだった。

数日間飲まず食わずだった彼女は、思わず脇目も振らず、そのピザにかぶりつく。こんがりと焼けた小麦の香りに、トマトの酸味と塩気、そして鼻を抜けるオレガノの香りが相まって食欲をそそる味。その味は、ルーチェの脳に一瞬で刻まれ、強烈な記憶となった。











 「うぁっ……。あぁぁぁっ……!!!!」
「どうした? 何かマズイことでもしちまったのか?」

「何で、あたしを……。あたしなんかを助けてくれたんですかぁ……!! あたしは生まれてきちゃダメだったのにぃ……お母さんに、お前は要らない子だからって……。なのに、なのにサヴェリオさんは……!!!!」
「…………。帰る場所がねぇんだな、若い頃のわしと同じか。」

突然、堰を切ったように泣き出したルーチェ。思えば彼女は、ただの一度もその存在を許可されたことがない命だった。
母親からは生まれてこなければよかったとあしらわれ、地域からは犯罪を犯す子供としてマークされ、暴力を振るわれた。そんなルーチェを助けてくれたサヴェリオは、初めて彼女の存在を許し、認めてくれた者だったのだ。


「何か似てたんだよ、だからついつい助けちまった。そしてその直感は間違いじゃなかったみたいだな。」
「あたしとサヴェリオさんが……?」

「わしは若い頃、故郷の教会に火を放った容疑で捕まった。ちゃんとした証拠もねぇのにだ。無論、天に誓ってわしはそんなことはしてない。だが誰も信じてくれず、長年冤罪で牢屋にぶち込まれちまった。シャバに出た後も、故郷にわしが帰っていい場所なんてなくなっちまってた。」

サヴェリオは悲哀を感じさせる目つきで床を睨む。まるで、二度と戻らない何かをその先に見据えているように。


「そして、逃げるようにこの都会に転がり込んだ。行くあてもない中、似たような連中集めてよ、バカやってきたんだわ。けど、ここの奴らはそんなわしらでも必要としてくれた。それまでここを支配してたギャングの一派がひでぇ奴らでな……。ここの住民は虐げられてたもんさ。」
「あなたもギャングなの……?」

「……ああ。わしらは小規模なギャングを立ち上げ、奴らのせいで行くあてを失った奴らを集めて組織を拡大した。そして立ち向かった。たくさんの血が流れたが、あの横暴な奴らから、この地を取り戻すことができた。」
「サヴェリオさんの『コリーナファミリー』は、ずっとこの場所を守ってるのよ。ギャングだから表立っては存在を認められてないし、ちゃんとこの辺りのお店とかからショバ代とかを回収したりもしてる。でもその代わり、この一帯の本当に危ない犯罪者を見張って、追い出してくれてるの。」

看護師のラッキーがそう説明すると、サヴェリオは少し照れ隠しするように横を向いたが、やがて何かを決心したようにルーチェの方を向いた。


「お前さん、わしらのとこに来るか? 帰る場所がねぇんだろ?」
「えっ? あなたのところに……!?」

「……ああ。柄のよくねぇバカばかりでやかましいところだが、悪いようにはしないさ。お前さんが望むなら、今日からわしらのファミリーがお前さんの帰るべき家だ。」
「それからアタイは、サヴェリオさんのとこで厄介になることになったのさ。ギャングらしい、とても頑固で厳しい爺さんだった。でもアタイのことを本当の娘みたく可愛がってくれたし、アタイも初めて生きてていいんだって、存在してていいんだって感じることができた。」

ルーチェはそうローレルに告げると、深く溜め息をついてみせた。既に昼過ぎを迎えたアークの空には雲がかかり、朝にニュースでやっていた予報通りの雨を迎えそうな様相だ。








 「……はい、えっこの研究室ですが。」
一方、アーク魔法アカデミーの研究室の机に座っているハリマロンのえっこ。
机の上に置かれた薄汚れたビンテージ物の電話がけたたましく鳴り、受話器を取った彼はそう応答した。


「……おや、あなたは……。大変ご無沙汰しておりました。……ええ、お陰様で私もカイネも子供たちもニアも、全員元気でやっております。そちらこそお変わりないようで。」

ハリマロンえっこに珍しく、やけに改まった態度でそんな言葉が呟かれる。その後もえっこは受話器越しに誰かと話を続けていたが、突如顔色を変えて立ち上がった。


「なっ……!? それは本当なのですか? …………なるほど、私がしばらく見ない内にそんなことが……。……ええ、そうですね……。私もそれに関しては同意です。その手筈を整えるとしましょう。それでは、またこちらからご連絡差し上げます。……いえいえ、あなたのお手を煩わせるのも気が引けますから。それでは。」

そう会話して受話器を置いたえっこ。机に置いた紅茶を一気に飲み干すと、ハンガーに掛けてあったいつもの黒コートを羽織って肩をすぼめた。


「厄介なことになってくれたものだ……。まさかあの場所を狙い始めたとはな。まあ、あそこへ向かうのはしばらく振りだ。それも兼ねて訪問するしかあるまい。そして必然的に彼らもな……。」

ハリマロンえっこはそう独り言をすると、何かに急かされるかのように研究室を飛び出した。ぽつぽつと降り出した黒く冷たい夏の雨。
ルーチェの過去、えっこの知る、これから向かうことになるどこか……。それらを遮るように広がる雲は目に見えて分厚く、いつしか空には一点の晴れ間すらも見当たらなくなっていた。


(To be continued...)

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