#14 かがやきを奪うもの

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誰も声を上げられなかった、言葉を発することができなかった。勝利した清音と小夏も、敗北したスター団の面々も。確かに勝敗は着いた、だが勝者である清音にも小夏にも達成感は微塵もない。力なく倒れ込む優美、それを懸命に支えるオルティガ、ふたりを不安げな目で見守る団員たち。

「ようやく見つけましたよ。川村優美さん」

いつまでも続くと思われた静寂を打ち破ったのは、先の戦いの勝者でも敗者でもない、まったくの第三者だった。そこにいた者のほとんどが一斉に声の聞こえた方向に視線を向ける。傘を差して歩いてくるひとりの女性、傍らには紫色の不定形なポケモン・メタモンを従えている。いったい誰だ、ざわつく周囲の中にあって、名前を呼ばれた優美だけが身を固くして驚愕の表情を浮かべている。

震える彼女の口が微かに動いて、聞き取ることさえ困難な掠れた声でその名を呼ぶ。

「ロベリア……」

清音が優美と女――ロベリアを交互に見比べた。緊張している優美の様子はもちろん気がかりだが、それ以上にこの人があの「ロベリア」なのか、という気持ちの方が強かった。行方知れずになっていたというエーテル財団の職員、優美のメンターを務めているという女性。口ぶりからして優美が失踪してからずっと捜し続けていたようだ、その点では自分たちと目的は一致している。

「川村清音さんですね。ここまでご足労いただきありがとうございます」
「あなたが……エーテル財団の」
「ロベリアと申します。川村さんのメンターを担当していました」

エーテル財団職員・ロベリア。彼女もまた優美の行方を追っていたのは間違いない。ここで合流できたというのなら、本来であれば歓迎すべきシチュエーション、そのはずだった。

だが二人の様子は異様と言う他なかった。冷たい視線を優美に投げかけるロベリア、立ち上がることさえできずに震えが止まらない様子の優美。尋常ではなかった。方向性は違えど、優美とロベリアのどちらも信頼している人間に対して表す態度ではない。清音はそっとカバンへ手を伸ばした。

「川村優美さん。貴女がここで何をしていたかは分かりませんが、私がここへ来た理由は分かる筈です」
「それは……!」
「私のアカウントを使用して財団の機密情報を持ち出した。身に覚えがあるはずですよ」

小夏とポリアフが顔を見合わせる。小夏が小さな声で「ザオボーさんが言ってたこと?」と呟くと、ポリアフが「恐らくは」と同調した。ナッペ山に入る直前にザオボーから聞かされたクラッキングの話だ。何者かが財団のサーバに侵入した形跡があるとのことだったが、それを優美がやったと言っている。まさか優美がそんな悪事を働くはずがない、小夏はそう言いたかったが、ロベリアと優美の様子が明らかにおかしいことが引っかかり、声を上げることができなかった。

ロベリアは続ける。そのことが発覚して財団から逃亡していたと、ずっと行方を追ってここまで辿り着いたと。財団ではかつて非常に珍しいポケモンやそれにまつわるアイテムを収集し、研究データを集積していた。いずれも外部に漏らしてはならない機密情報のカタマリであり、優美はそれを無断で持ち出したのだという。もし事実だとすれば大変なことで、罪に問われても何らおかしなことではない。詰問するようなロベリアの姿勢も、その点を鑑みれば自然なことだろう。

「わたしは……わたしは……!」

だが、優美の極端に怯えた様子がその思考に待ったをかける。自分の犯した罪の大きさに震えている……という感じではない。そもそもなぜ優美が財団の機密データを持ち出す必要があったというのか、持ち出したところで何ができるというのか。清音は言葉を鵜吞みにせず、状況を冷静に見定めていた。何よりザオボーが言っていた「本部から隠ぺいされたサーバ」の話が気に掛かる。優美がデータを盗み出したというのはそこからだろうが、ではなぜパルデア支部でそのようなサーバが運用されていたのか? その疑問はまだ解けていない。

傘を差したロベリアが優美へ近づいていく。怯えた優美が顔を上げて動けずにいると、傍らに転がっていた三つのモンスターボールがかたかたと揺れて。

「……キィィィイッ!」
「ぢゃあぁんっ」
「ぢゅぅうううっ!」

キキーモラ・ティンク・ペレス。先ほどの戦闘で倒されたポケモンたちが自らボールを飛び出して、優美の前に立ちはだかった。キキーモラは被り物の首がぽっきりと折れているうえに全身がずたぼろ、ティンクもハンマーを杖にしてどうにか立っている有様で、ペレスに至っては全身煤だらけでアンテナのようなひげも折れ曲がっている。皆満身創痍で戦えるはずもないが、それでも近付いてくるロベリアを睨みつけて威嚇し、優美を護らんと懸命に立ちふさがっている。

ぐぉおっ。低い声で鳴いたハサミちゃんが身をよじって移動し、ペレスたちの戦列に加わった。優美を護りたいという気持ちはまったく同じだ。だがハサミちゃんも同じく立っているのがやっとという状態で、戦えるようには到底見えない。前に立つポケモンたちを見た優美が、無意識のうちに涙を流した。

「そこを退きなさい。私は優美さんに用事があるのです」

冷たい声でそう言い放つと、指をパチンとはじいて傍らにいたメタモンに指示を出す。メタモンは瞬く間にその姿を変えて、赤くシャープな肉体を持つハサミポケモン・ハッサムへと変貌を遂げた。すぐさま優美を護ろうとするポケモンたちへ飛び掛かっていくと、「バレットパンチ」の速攻を雨あられと浴びせてあっけなく四体とも薙ぎ倒してしまった。地面に倒れ伏すポケモンたちをハサミで乱暴に退けて、優美へとつながる道を作ってしまう。

「みんな! しっかりして!」

悲痛な声を上げて、優美がハッサムに変身したメタモンによって吹き飛ばされたポケモンたちへ這うようにして駆け寄る。それを高みから見下ろすロベリア。全員を抱き寄せて己の身で庇おうとする優美を、ロベリアは蔑むような目で見つめていて。

(な……なんなの、あのロベリアって女は)

血も涙もない、清音は思わずそんな感情を抱いた。いくら自らの行く手を阻んだとはいえ、居並んだポケモンは誰も彼もマトモに戦えるような状態ではない。そこへ容赦なく攻撃を浴びせて蹴散らし、一瞥もくれずに優美へ向かっていく。彼女は本当にポケモンの保護を主務とするエーテル財団の職員なのか、疑問を抱かずにはいられなかった。清音の心境を知ってか知らずか、ロベリアは優美へと悠々と歩み寄っていく。

だが、そこで事態が思わぬ方向へ動いた。

「あいつ……退学した連中に声を掛けてた女だ!」
「あたしも見た! いじめてたやつらの顔だったから覚えてる!」

異様な状況にぞろぞろと外へ出てきたスター団の団員たち。ロベリアを目にしたそのうちの一人が、驚きと共に声を上げる。すると周りの団員達もにわかにざわつき始め、ロベリアに向かって「退学した生徒に声を掛けていた」と口々に言い始めた。どういうことだ? ロベリアがアカデミーを退学した生徒に声を掛けていた? しかもそいつらはかつて団員たちに危害を加えていた? 状況が飲み込めない。

そこへ、さらに。

「俺見たんだ! あの人がそいつらを集めて、ポケモンを手当たり次第に捕まえさせてるのを!」
「モンスターボールばら撒いてハネッコとかフラベベとか捕まえさせてるの、うちも見たわ!」

清音が怪訝な表情を浮かべ、小夏もにわかに顔つきを険しくする。ポケモンを乱獲していたのはスター団ではなかったのか、これでは話が違う。スター団だと言っていたのは、まさか乱獲の嫌疑をスター団になすりつけるためだったとでも言うのか。それより何より、ポケモンを保護する立場にあるはずのエーテル財団、その職員であるロベリアが野生のポケモンを徒に傷付けて大量に捕獲していたというのは一体どういう了見だ、と。

ロベリアがぴたりとその足を止める。ゆっくりと振り返ると、騒然とする団員たちと清音たちを舐めまわすように見つめる。彼女の目つきは――豹変していた、そう言って差支えないほどに冷酷、そして残忍さを帯びていた。ゾッとするほどの冷たさだった。雨に濡れて冷えた体にあっても、それをなお上回るほどの怜悧さだ。とても他人に対して向ける目ではない、自分以外の存在を軽んじていなければ決してできない、恐ろしい表情をしていた。

ひょっとして。清音の脳裏に悪い予感が浮かぶ。今まで耳にしてきた話や集めてきた情報が結びついていく。悪事を働くスター団、ポケモンの乱獲事件、優美が正体を偽っていた理由。そのすべてが、ある一つの仮説が正しければ一本の線で繋がってしまう。「裏でロベリアが糸を引いていたのではないか?」、清音はその考えが急速に大きくなっていくのを感じた。まさか、そんな。否定しようとしても、眼前のロベリアの様子がそれをさらに上から否定してしまう。

「人聞きの悪いことを。ポケモンたちに新しい世界を見せてあげることに、何の問題があるというのですか」

顔つきに違わぬ冷たい声で、ロベリアが堂々と言い放った。ポケモンを大量に捕獲していること、それ自体を否定したわけではない。むしろ肯定したと言ってもいいだろう。だがその態度にしおらしさや反省の色といったものは皆目見受けられない。自分こそが絶対的に正しいという自信に満ちていると言ってもよかった。どこに根拠があるんだ? 清音にはまったくもって理解も共感もできなかったけれども。

「彼らにもパルデアにないものを見て回る権利があります。私はポケモンたちを外の世界へ解放しているのです」
「パルデアのポケモンたちをガラルへ、アローラへ、イッシュへ……まだ見ぬ世界へ旅立たせる。私はそうして彼らに未知の出会いをもたらしています」
「崇高だとは思いませんか?」
「ひとところに閉じこもっていたら知るはずのなかった仲間たちと出会う機会がある。その素晴らしさを貴方たちこそ理解すべきでしょうに」
「所詮は引きこもりの不登校児たち。想像力というものが欠如しているのは必然ですね」

ロベリアは言う。パルデアのポケモンたちを捕まえて他の地方へ送り出している、それはポケモンたちを思ってのことだと。パルデアしか知らないポケモンたちに未知の世界を見せているのだと。そうすることで、ポケモンたちは新しい世界を見ることができる、新しい仲間にも出会える、と。

「パルデアにない『宝物』を探す権利があるのです。ここにいる貴方たちと同じようにね」

独善的という言葉すら生ぬるい身勝手な言い分に、同調するものは誰一人としていなかった。ステッキを握りしめたオルティガが拳をわなわなと震わせ、優美の前に立ちふさがるようにして前に出た。

「おいオマエ、正気か? 何一から十まで意味不明なことほざいてるんだよ。言ってること無茶苦茶だぞ」
「パルデアのポケモンを他所へ放り出す? そんなことしたらどうなるかも分からないのかよ!」
「元からいたポケモンと外から来たポケモン、そいつらで住処の取り合いになるに決まってる!」
「ポケモンには『生態系』ってもんがあるだろ。オマエはそれをなんだと思ってるんだ?」
「なんとか財団ってのは、ポケモンの住む場所を滅茶苦茶にして回ってるのかよ!」
「それに……退学した連中にスター団を名乗らせてたのはどういうつもりだ? オレたちに罪をなすりつけようっていうのか!」

何らおかしなところのない、至極真っ当な指摘だった。清音も小夏もまったく同じ思いで、オルティガに全面的に同意せざるを得なかった。ロベリアの行為はポケモンの生態系をずたずたに破壊している以外の何者でもない。外来種が原生種と争ってしまう、或いは駆逐してしまう例は枚挙に暇がない。ある意味直接的な乱獲以上に非道と言ってもよい行為だった。スター団の名を騙っていた事など、普通に考えれば言い訳のしようもないはずだ。

だがロベリアはいささかも怯まず、一切悪びれる様子も見せず、さらに言葉を連ねた。

「ポケモンたちを解放することで生態系が崩れるというならば、それこそ我々エーテル財団の出番ではないですか」
「傷付いたポケモンたちを『保護』することこそがエーテル財団のミッション。お分かりですよね?」
「財団はより世界に欠かせない存在となり、財団はよりいっそうの力を持つ。それはポケモンたちの幸せにも繋がること」
「私の行いはポケモンたちを、そしてエーテル財団を思ってのこと。何が間違っているというのです?」
「貴方がたスター団とやらは――アカデミーの方々から厄介者扱いされていた、遵法意識のないならず者の集まりでしょうに」
「そのような存在に意味も価値もありません。財団がパルデアに勢力を築くための礎となれること、それを誇りに思いなさい」

ポケモンたちを「解放」することによって生じた生態系の歪みは、エーテル財団が「保護」することでカバーすればいい。そうして勢力を拡大することでエーテル財団に恩恵をもたらす、ロベリアの言い分はこのようなものだった。

常軌を逸したロベリアの身勝手さに、辺りにいた全員が驚愕した。彼女の企みはろくでもないマッチポンプ、もはや自作自演と言っていい。あまつさえポケモンたちの生態系を破壊し、それに乗じてエーテル財団の勢力を拡大しようと目論んでいる。スター団を隠れ蓑にしていたことに至っては開き直りもいいところだ。自分のしていることが到底受け入れられないと認識した上で彼らをスケープゴートにしていたのだから、これを悪辣と言わずしてなんと言えばいいのか。

「川村さんは私の理想を理解しなかった。聞く耳を持たなかった」
「あの時すべてを受け入れて協力していれば、ポケモンの解放に助力していれば、このようなみすぼらしい姿にならずに済んだものを」
「こうしてご家族の方に迷惑を掛けることも、身を危険に晒すこともなかったでしょうに」
「私は忠告したのです。ご家族に支えられて生きていることを自覚なさい、貴女の愚かな振る舞いはご家族にも『迷惑』が掛かりますよ、とね」
「財団に身を置いていながら、支援を受けていながら、財団の理念を理解しようとしない。身勝手な『子供』と言う他ない振る舞いですよ」
「私の元から出奔し、このようなならず者たちの集団に身を寄せた。財団の名に傷を付けたのですよ、貴女は」
「それだけでは済みません。ウルトラボールと財団が保有していたデータを奪い、外部に流出させようとした」
「貴女の罪は許されざることですよ、川村さん」

財団職員として自分の指示に従え、さもなくば家族に危害を加える。回りくどいロベリアの言い回しを要約するとこうなる。優美に突き付けられたのはあまりに理不尽で不条理な要求と言わざるを得ず、小夏たちは憤りを隠せない。

だが、それ以上に。

「ウェンディ……そんな事情があったなんて聞いてない、聞いてないぞ!」
「ボス……」
「どうして言ってくれなかったんだよ! こんな危ないやつに脅されて狙われてたって!」
「ご……ごめんなさい、危険なことに巻き込みたくなくて、みんなに迷惑を掛けたくなくて、でも……わたしのせいで、わたしのせいでこんなことに……!」
「違うよ! オレたちが迷惑だとか危ない目に遭うとか、そんなのどうだっていい! みんなでどうにかすればいいじゃん!」
「あっ――」
「最初に教えたじゃないか、悩み事は抱え込まずに誰かに相談する! スター団の掟・その壱だよ!」

それ以上に驚いていたのは、優美の間近で話を聞かされているオルティガだった。優美が想像が及ばないほど危険な状況に置かれていたことに狼狽して、「どうして言ってくれなかったんだ」と繰り返す。けれどそこに糾弾の色はない。自分たちが危険に晒されることに憤慨しているのともまったく違う。優美が独りで抱え込んでいたことにショックを受けて、ただ彼女から打ち明けて欲しかったと言っているのだ。

優美の手を取って目を見つめる。屈み込んだオルティガの目は悲しみと優しさに満ちていた。すがるような手つきでオルティガの手を取り、優美が繰り返ししゃくり上げた。

「貴女にはエーテル財団より、彼らと戯れている方がお似合いですよ。貴女はエーテル財団に相応しくない、排除されるべき存在なのです」
「ですが――」

近くに転がっていた優美のウルトラボールを拾い上げて、ロベリアが不吉な笑みを浮かべる。

「貴女が捕獲したあの『テツノブジン』は、財団で保護する意義がある」

機能停止している「ピーターパン」に向けてウルトラボールをかざして引っ込めると、彼が収まったボールを満足げに見つめる。

「大穴には未知のポケモンたちが生息している、あの噂は事実だったようです」
「彼らもまた解放を待っている。私が解放して……彼らを自由にしてやらなければ」

ロベリアがくるりと踵を返して清音たちの方へ向き直る。辺りを一通り見回してから、提げていたカバンの口を静かに開いた。

「さて」
「貴方がたは知りすぎてしまった。エーテル財団という組織の機密を知ってしまった以上、そのままお帰しするわけにはいきません」
「財団を護るため、ここで禍根を断っておきましょう。憂うことはありません。この世界とポケモンたちは、我々エーテル財団が保護しますから」

カバンの中から縮小された多数のモンスターボールを掴んで取り出すと、「ネバーランド」の敷地内に無造作にばら撒いた。着弾したモンスターボールが展開され、中に納まっていたポケモンたちが次々に外へと飛び出していく。

「ま……マルマイン!?」
「それも五体、いや六体も!?」

現れたのはボールポケモン・マルマインだった。それも一体や二体ではない。総勢六体が居並ぶ異様な光景だった。マルマインがどんな性質を持つポケモンなのかは非常によく知られている。体内に電気エネルギーをため込み、それを活用して高速で移動する。さらにそのエネルギーを一気に開放することで、同じサイズの爆薬に匹敵する恐るべき破壊力の「だいばくはつ」を引き起こすことができる。そんな危険極まりないポケモンが多数集まっていることの意味を、場にいる誰もが理解した。

あいつは「ネバーランド」ごと自分たちを吹き飛ばそうとしている。証拠を隠滅するためだろうが、いくらなんでも手段を選ばなさすぎると言わざるを得なかった。団員たちが恐慌状態に陥る、逃げようにもここは海と山に囲まれた隔絶の地、まともな逃げ場などどこにもない。ロベリアはパニックを起こす団員たちをあざ笑うかのように、メタモンをフーディンに変身させて傍らに置く。

「ここはパルデアの最北端、人の住まない不毛の地。消えたところで気にする者はいませんよ」
「社会に必要のない者たちが消えるのですから、何も悲しむことはありませんね」
「川村清音さん。知ってしまった以上、残念ですが貴女にも消えていただきます。これも財団の繁栄のためですから」

凶悪な笑みを浮かべ、ロベリアが優美へと歩み寄っていく。

「やめろ! ウェンディに手を出すな!」
「何を馬鹿なことを。私の前から消え失せなさい、愚かな子供よ」

オルティガが間に割り込んで優美へ近付けまいとするが、ロベリアは無慈悲に払い除けてしまう。突き飛ばされて転んだオルティガを見た優美が「ボス!」と悲痛な叫び声を上げる。そんな優美のことなどお構いなしに彼女の腕を乱暴に掴むと、ロベリアは底意地の悪い笑みを浮かべて見せた。

「では皆さん――さようなら。来世ではもう少し賢明になることを願っていますよ」

指をパチンと弾いてロベリアが指示を出す。マルマインたちが一斉に「だいばくはつ」の態勢に入った。全身から強い光が漏れ始める。こうなってしまってはもはや止めようなどない。

「くそっ、ウェンディ……! みんなバリケードの外へ逃げてくれ! できるだけ離れるんだ! 急げ!」

起き上がったオルティガが団員たちに指示し、少しでも遠くへ逃げる様に促す。小夏も負傷して動けないポリアフに手を貸してなんとか立ち上がらせ、「ネバーランド」から少しでも離れようとする。だがひとり、清音だけは一歩たりとも動かない。陰に隠れて表情は見て取れないが、足がすくんで動けないというわけではなくハッキリと自分の意思でその場に立ち続けていた。清音さん! 小夏が声を掛けてもなお動こうとしない。

その清音の横からスッと姿を現したのは――相棒のハイドロだった。全身傷だらけだが、気付かないうちに清音の手で回復されていたらしい。のしのしと確かな足取りで前へ歩み出ていく。小夏とポリアフは呆然とした面持ちでハイドロを、そして清音を交互に見つめる。

「ぐぉおおおおぉおっ!!」

声の限りに咆哮すると、雨脚がひときわ強くなった。辺りの湿度が上がったのを場にいる全員が肌で感じ取る。一体何をしているのか、ロベリアが怪訝な表情でハイドロを見やる。だがその直後、繰り出していたマルマインたちの様子に思わずハッとする。彼らから「だいばくはつ」の予兆である光が完全に消え失せて、普段通りの姿に戻ってしまっていたのだ。これは一体どういうことだ、自分は確かに「だいばくはつ」の指示を出したはず。

「ど、どういうことです! 私の指示が聞けないのですか!」

再度指示を出すが、マルマインたちは揃って困り顔を浮かべるばかり。彼らは命令に従わないわけではない。踏ん張ってみてもダメ、構えてみてもダメ、どうやってもいつも通りに「だいばくはつ」することができないのだ。ロベリアの額に冷たい汗が浮かんだ。一体誰が何をしたのか、どうしてこんなことになっているのか。想定外の事態に先ほどまでの余裕はあっという間に消え失せて、ただ思考を空回りさせるばかりだった。

ざり、ざり、と誰かが歩く音が聞こえる。

「――『しめりけ』。兄貴のハイドロは、その特性を持ってるのよ。かなり珍しいって聞いたわ」
「爆弾が湿気て爆発しなくなる、って言えば分かるかしら」

清音だった。相変わらず表情は読み取れないが、声色は普段の彼女とは似ても似つかないほど冷たくドスの効いたものだった。清音に歩調を合わせてハイドロも歩を進めて、一歩また一歩とロベリアとの距離を詰めていく。何が起きたのか、何が起きているのか理解したロベリアは思わず後ずさりして、傍に置いていたフーディンに化けたメタモンにすがろうとする。「テレポート」でこの場から離脱するつもりだ、小夏はすぐにその考えを読んだ。このままでは逃げられる、声を上げようとした瞬間。

「『はがねのつばさ』」

化けていたメタモンが大きく吹き飛び、地面に叩きつけられてダウンしてしまった。突然のことに思わず優美の腕を離してしまい、近くにいたオルティガに彼女を確保されてしまう。これまたいつの間にかアーマーガアのティアットも応急処置を受けており、傷だらけながらも戦えるだけの気力を取り戻していたのだ。気づかれないように背後へ回り込み、ロベリアの隣にいたメタモンを一閃してなぎ倒してしまった。動揺するロベリアを見ているのか見ていないのか、清音がさらに指示を重ねた。

「『じしん』」

両腕を振り上げたハイドロが大地を力任せに殴りつけ、「ネバーランド」全域にわたる大きな地震を引き起こした。立っているテントやバリケードがガタガタと揺れて、あちこちで団員たちがバランスを崩して転びそうになっている。だがそれより顕著なのは、震源地の近くに取り残されていたマルマインたちだ。隆起した大地に打ち上げられるもの、地割れに飲み込まれるもの、転んで地面に叩き付けられるもの――激しい攻撃を受けてその悉くが打ち倒されてしまった。ロベリアも足を取られ、その場へ尻餅をついて転んでしまう。

すべての脅威を排除したところで清音が再び歩を進める。一歩一歩、確かな足取りでロベリアへにじり寄る。固く硬く堅く握り締められた拳は、遠目から見ても痛ましいほどにわなわなと震えていた。ギリッ、と歯が擦れ合う音が聞こえる。内からあふれ出る怒りは目に見えそうなほどであり、噴火を間近に控えた活火山のような恐るべき熱を帯びていた。

「おい」
「なっ……!」
「優美に……優美になんて言った? 言え」
「わっ、私は」
「ハッキリ言え!!」
「私はただ、指示に従って欲しいと……」
「優美に――ポケモンを甚振って捕まえろって? アンタのために? アンタの『理想』とやらのために?」

優美がどんな思いでエーテル財団を見ていたか知らない清音ではない。優美がエーテル財団という組織にいかなる感情を抱いていたか分からない清音ではない。優美にとって財団はポケモンを救う憧れの存在であり、自分の留学を支えてくれる慈愛に満ちた組織のはずだった。その財団に属する職員から、「ポケモンの生態系を破壊しろ」「捕まえて他所の地方へやってしまえ」「逆らえば家族の安全は保証しない」などと言われればどうなるだろうか。清音は優美の心境を思い、いたたまれないという言葉すら生ぬるいほどの壮絶な怒りを覚えていた。

憤怒の表情を露わにした清音が大股でロベリアの元へ近付いていく。彼女の形相は「鬼」そのものであり、まともに目にしたロベリアは思わず震え上がった。

「ド畜生が! 優美が学校から出てったのはてめえのせいか! てめえのせいで優美はこんなに怯えてたのかよ!」
「財団を信じてた優美にクソくだらないゴミカスみたいな願望を押しつけやがって! タダじゃ済まさねえぞ! おい!!」
「なあ、優美に言ったんだろ? 言う通りにしねえとウチや義姉さんバラすぞって。ならやってみろよ、今ここでやってみろっつってんだよ!」
「この手でもう二度とお天道様の下を歩けねえ顔にしてやるよ……後でそのきったねえツラ、医者行って針金で繋いで貰えや」

ボキボキとしきりに関節を鳴らして、激情に駆られた清音は今にもロベリアに殴りかからんとしていた。一度触れてしまえば、清音の言葉通りの凄惨な光景が繰り広げられることは必至だ。ロベリアは疑う余地のない卑劣で俗悪な人間だったが、今の清音はロベリアを殴り殺してしまってもおかしくないほどの激烈な怒りに満ち充ちていた。だが今の清音を止められる者はいない、小夏やポリアフの言葉とて届くことはないだろう。それはひとえに優美を思うゆえのこと、優美の感情に寄り添っているがゆえのこと。

だから。

「清音さん……もうやめて!」

清音を止められるのは、優美を置いて他にいなかったのだ。震える身体に鞭打って起き上がると、ロベリアの前に両腕を広げて立ち塞がった。歩みを止めた清音は憤怒の形相のまま、立ちはだかる優美へ問いかける。

「優美、そこを退いて。こいつをしばき倒さなきゃ、二度と世間に顔向けできないようにしなきゃ、優美は戻ってこられないの」
「待って、清音さん! ダメだよ、そんなことしちゃダメ! もう大丈夫から、わたしは大丈夫だから!」
「どうして!? こんな酷い目に遭わされたのに、なんでこいつを庇おうとするの! 退いてよ優美!」
「だって! だってそんなことしたら、清音さんが、清音さんが……!」

顔をくしゃくしゃにして、ふたつの瞳からぼろぼろと止めどなく涙を溢れさせながら、優美が必死に清音へ訴えた。

「清音さんが捕まっちゃう、悪いことをした人になっちゃう! だから……そんなことしないで! お願いだから!!」

優美が声を張り上げて絶叫する。暴力を振るえば清音が罪に問われる、と。いかなる理由があろうと、重傷を負わせた事実が残ってしまう、と。

「優美……」

清音が愕然とする。行き場のない感情に戸惑って、その場に立ちすくむ。

「姉ちゃん。ウェンディの……」
「……いや、ユミの言う通りだ」
「コイツがどうしようもないバカなのはみんな分かってる。オレだってボコボコにぶん殴ってやりたいよ」
「だけど――それはそれ、これはこれ、なんだ」
「ここでコイツを死ぬまでぶん殴ったら、姉ちゃんだってタダじゃ済まない。警察とかに捕まって、下手したら外に出て来られなくなるかも知れないだろ」
「……それが、社会の『掟』だから」
「もしそうなったら、ユミは喜ぶと思うか? 嬉しく思うか? 違うだろ。喜ぶわけない、嬉しいわけなんかない」
「それくらい姉ちゃんだって分かってるはずだ。ユミのことここまで捜しに来てくれたんだろ、それくらい大切にしてるんだろ」
「だから、頼む。ユミの言うことを……聞いてやってくれないか」

諭す様な静かな口調で、隣に立つオルティガが清音に語りかけた。感情に任せて暴力を振るってしまえば、今度は清音が罪に問われてしまうことになる。それは決して優美の望むことではない、優美を悲しませてしまうことだ。オルティガの言葉は優美の想いそのもので、それが清音の胸に響かないわけもなくて。

固く握りしめられていた拳がゆっくり解けて、清音の顔から怒りの色が失せていく。震えながら自分の前に立つ優美を呆然と見つめて、色のない表情を浮かべている。今やすっかり力の抜けた両腕をそっと伸ばすと、優美は。

「清音さん……!」
「……優美」

前へ倒れ込むようにして、清音にひっしと抱きついた。清音は華奢で今にも折れてしまいそうな優美のカラダを抱き留めて、まだどこか魂の抜けたような表情をしながら、その背中を彷徨う様な手つきでなで続けた。隣のオルティガは二人の様子をじっと見ている、これで良かったのだと、清音が間違いを犯さずに済んだのだと。

全員の目線が自分から外れた。そのことを目聡く察したロベリアが、取り落としたカバンへ手を突っ込む。しばらく手探りして、中に入れていた万が一の時のための武器――「拳銃」の感触を確かめる。今なら放心状態の清音を撃ち倒せる、隙を見つけて安全な場所に逃げてしまえばいい。果たしてそのような賢しい考えを起こしたのだろうか、口元に敵意を滾らせ、カバンから――。

 

「そこまでばい!」

 

取り出そうとした刹那、ロベリアは自分の身体がふわりと浮き上がる感覚を覚えた。何事か、と気付いた時には既に遅く、無抵抗のまま成す術もなく地面へ叩き付けられる。ぐえっ、と喉の奥から絞り出すような声が漏れたかと思うと、激痛のあまり身じろぎひとつできなくなってしまう。それでもなんとか辺りを見回してみると、眼前に見覚えのない人間――かろうじて分かることを上げるなら、見知らぬ財団職員が立っている、それだけは確かだった。

「ナツ、さん……」
「優美ちゃん、大丈夫と? 清音しゃんも」

ナツ。清音と共にパルデア入りした豊縁の財団職員だ。彼女も優美を捜しており、どうやらすんでのところで「間に合った」ようだ。ロベリアが不審な動きを見せたのを察知して駆けつけ、その場で得意技の「山嵐」を掛けて阻止した形だ。上がった息を整えながら、ナツが現状把握に努める。辺りを取り巻くスター団団員たちの不安そうな様子と、ボロボロになって清音にしがみつく優美、そして優美を半ば放心状態で抱いている清音を目の当たりにして、大筋で何があったかを理解したようだ。

つい先ほどまでの清音に負けず劣らずの怒りに満ちた表情で、地面に倒れ伏すロベリアを見下ろす。左隣に連れていたレントラーのヘキリに合図をすると、ロベリアが持っていたカバンから拳銃を放り出す。さらに右隣にいたガラルヤドランのククナへ合図を送ると、ククナは強力なサイコキネシスを拳銃に浴びせて原形を留めないほどに破壊してしまった。ボロボロの残骸をヘキリが忌々しげに踏みつぶすと、普段なら絶対に見せないような極めて残忍な目でロベリアを詰るように見つめた。

「遅参だぞ、ナツよ。待ち草臥れたわ」
「でも、もう少しで危ないところでした。伊吹さんのおかげです」
「ポリアフ、それに小夏しゃん。ちかっぱ派手にやられたみたいなあ」
「然り。尤も、戦ったのは此の下賤な女では無かったがな」
「この最低な人に比べたら、スター団の人たちの方がよっぽど強かったです」

小夏の肩を借りながらポリアフがナツへ歩み寄る。彼女らもロベリアに対する憤りを隠さず、「下賤な女」「最低な人」と吐き捨てるように言った。それほどまでにロベリアは皆の怒りを買ったのだ。ポケモンたちを傷付け、優美を心無い言葉で脅し、スター団の名を貶め……犯した罪は両手でくだらない。ナツが指示を出すと、ヘキリが前脚でロベリアの身体を取り押さえる態勢をとった。もう逃がすわけにはいかない、その意思が伝わってくる。

ククナがサイコキネシスを使い、清音のポケモンたちに倒されたマルマインとメタモンを一所に集めて捕縛しているその後ろから、さらに別の人影が姿を現した。聞こえてくる足音に全員が一斉に視線を向けると、そこには。

「……なんとか事態を収拾できたようですね。伊吹さん」
「ザオボー支部長」

ザオボー。ナツの上司にあたる、エーテル財団豊縁支部の支部長だ。雨に濡れるのも構わず歩いてくると、自分に向けられる視線を重く受け止めた面持ちで深く一礼する。優美を抱いたまま惚けている清音へ一歩近づくと、顔を上げてしっかりと目を合わせた。

「川村さん。しばらくぶりです」
「ザオボーさん……」
「この度は――いえ、それは後にしましょう。今は先にもっと話すべきことがある」

一転して冷たい目を仰向けに倒れるロベリアへ向ける。ロベリアはザオボーのことは知っているようで、この場に現れたことに明らかに驚愕・狼狽していた。なぜここにザオボーが、声は出せないようだったが表情が明らかに物語っていた。どうやらパルデアにザオボーがやってきているという情報は掴んでいなかったようだ。一方でザオボーの方はロベリアのことは一向に構わず、淡々とした口調で話し始めた。

「ロベリアが何をしてきたか、それについてですが」
「先ほど本人がすべて話したようですね。私のポケモンたちがテレパスで教えてくれましたよ。さながら実況映像を見るようにね」
「ポケモンへの暴力行為と乱獲、他国への密輸出、素行不良者の勧誘、無実のスター団に対する冤罪行為、そして……川村さんと彼女のご家族への脅迫」
「本人が進んで明かした以上、否定する余地はありますまい。ですが状況証拠だけでは心許ないですね、物的証拠が必要でしょう」
「ギフト。空間に映像を投影してください」

現れたのはさながら魔術師か呪術師かといった風貌の《ガラルのすがた》のヤドキングだった。ザオボーの指示に頷いてスッと右腕を上げると、何もない空間にプロジェクターを投影したかのように映像が映し出された。ヤドキングは強力なサイコキネシスを使いこなすと言われているが、《ガラルのすがた》のヤドキングもその点については何ら変わるところはなかったようだ。ぼやけていた映像の焦点が定まっていき、徐々に鮮明になっていく。

映像に現れたのはグレープアカデミーからほど近い平原に立っているロベリア、そして数名の生徒らしき人物だった。

「捕獲対象はハネッコ、メリープ、デルビルです。近隣に多く生息しているでしょう」
「より多く捕まえた者に報奨金を与えますよ。励みなさい」
「ポケモンの状態は問いません。傷付いていようと問題ありませんよ」

生徒に見える者たちが散り散りに走っていく。スター団団員から「あいつらだ」「友達を恐喝してたやつだ」と声が上がる。どうやら先ほど彼らの言っていた、退学したという元生徒たちらしい。ロベリアは彼らを探し出してコンタクトを取り、ポケモン乱獲の手先として使っていたのだ。ロベリアの目が大きく見開かれて、額に冷たい汗がびっしり浮かんでいるのが見て取れる。図星、といったところだろうか。

ギフトがさながらテレビのリモコンでチャンネルを変えるようにして、映し出されている映像を切り替える。今度は室内、内装からしてエーテルハウスのようだ。辺りに誰もいないことを確認したのち、ロベリアがスマートフォンを取り出してどこかへ連絡している。

「間もなく三十体の『鍛冶師』を準備できます。ガラル行きの船は手配できましたか?」
「現地のトレーダーへの引き渡しまで完了したら、エビデンスと共に私まで連絡を入れるように」
「……結構。では予定通りに進めましょう。代金は指定したウォレットへXETで送金を」
「洗浄は事前に定めたスキームで行いますよ。貴方の情報が履歴に残ることはありません。ご心配なく」

ザオボーは変わらず冷たい目をしていたが、握った拳は今にも暴れださんばかりにガタガタと震えている。だがあえて平静を装った口調で、ロベリアを容赦なく詰めていく。

「これはサイコメトリー、場所や物体に残された残留思念を読み取る能力です。ギフトとククナのおかげでとても鮮明に再生できた」
「エーテルハウスの一角でロベリアがどこかに連絡を取っていたという証言を得ましてね、過去の映像をここ半年分すべて再生して見つけたものです」
「『鍛冶師』とは――十中八九カヌチャン、あるいはその進化系でしょう。川村さんがお連れになっているデカヌチャンはその最終進化系です」
「ご存じかも知れませんが、デカヌチャンはアーマーガアの天敵です。パルデアでアーマーガアの飛行が禁止されているのは、ひとえに彼女らの存在によるものですから」
「デカヌチャンにはアーマーガアを狩猟・討伐し、その黒鉄の羽を剥ぎ取って武器であるハンマーの強化に用いる狩人のような習性があります」
「それ自体はポケモンたちの個性や生態として尊重されるべきですが、ロベリアはこれをガラルへ密輸出しようとしていた」
「アーマーガアによるタクシー網が全国に張り巡らされたガラルへ、です。これが何を意味しているか分かりますか?」
「ポケモンの生態系を破壊することにとどまらない、人的・物的な被害が齎される。そういうことです」

さらに映像を切り替えて、今度はロベリアがエーテルハウスに優美を呼び出している様子が流れ始めた。緊張した面持ちで対峙する優美に、ロベリアが冷然と話を進めている。

「――川村さん。これは財団のためです。貴女を支援している財団の要請、それに応じられないと?」
「で、でも! ポケモンをそんなにたくさん捕まえたりしたら、今の環境がおかしくなります! そんなこと、わたしはできません!」
「バランスが崩れる、と? 貴女は分かっていません。そうなってからが財団が本領を発揮するタイミングではないですか」
「そんな……!」
「いいですか、川村さん。財団は今パルデアで勢力を拡大せねばならないフェーズにあるのです。理解する必要がありますよ」
「自分たちで環境を荒らして、それでポケモンを保護するんだって……おかしいじゃないですか! 自分勝手ですよ!」
「分かっていませんね。組織というのは、こうして動くものなのですよ。理想で大きくなることはできない。分からないのですか?」
「わたしは……絶対にそんなことしません! ポケモンをいたずらに傷付けて捕まえるなんて、わたし……!」
「我儘を言うのはお止めなさい。ご家族に『迷惑』が掛かりますよ」
「えっ……!?」
「私は豊縁の職員とも通じています。彼に依頼すれば、ご家族にコンタクトを取ることなど造作もない。お分かりですよね」
「お母さん、お兄ちゃんが……清音さんも……」
「貴女はお三方にお世話になっているではありませんか。彼らを慮るなら、或いは――父君のようになって欲しくないのなら、貴女の選ぶ道は一つです」
「わたしのお父さん、みたいに……っ」
「川村さん、『大人』になりなさい。理想のために清濁併せ吞める、虚実を分け隔てなく口にできる『大人』になりなさい。大切なものを護りたければね」

耐えられなくなった優美が部屋を飛び出していく。残されたロベリアはこのような優美の反応を予期していたのか慌てる様子もなく、悠々とした態度を崩さない。

「所詮は世間知らずの子供。私の崇高な理想は理解できなかったようですね」
「構うことはありません。幼い子供ひとりにできることなど限られている。泳がせておいて……いずれ始末するとしましょう」
「メタモン」

傍らにいたメタモンに声を掛けると、メタモンはロベリアの意図を察してすぐさまその形を変貌させた。間を置かず姿を現したのは、先ほど出ていったばかりの優美と瓜二つの少女。ただしその「目」だけはメタモン本来のもののままで、言葉にし難い不気味さを放つ異形の存在だった。

「川村がこのまま戻らないようであれば、貴方が彼女を代行なさい」
「なに、ただアカデミーを歩き回るだけのことです。ただ『川村優美を目撃した』生徒がいれば十分でしょう」
「妙な動きを見せたら……豊縁の母と兄、それと叔母ですか。捨て駒を送って海にでも沈めさせましょう」
「聞けば父親も豪雨で生じた波に吞まれたとか。愚かなことです。なら、同じカタチで葬って差し上げるのが人情というものですね」

優美に変身したメタモンが少々おぼつかない足取りで辺りを歩き回る。その目のままでは不審がられるでしょう、ロベリアがサングラスを取り出してメタモンへ放り投げる。目を隠すようにサングラスをかけると、傍目には完全に優美にしか見えなくなった。優美が失踪した後の偽装工作を行っていた、これもまた明るみに出た格好だ。

「これが……今から三か月半ほど前のこと」
「川村さんは変装してスター団へ加入し、ロベリアの目を掻い潜り続けていたのです。スター団に掛けられた嫌疑を晴らしたいという気持ちもあったと思料します」
「ご家族を人質に取られ、自分の身も危険に晒されていました。そこへさらに団員の皆さんを巻き込んでしまわぬよう、ずっと独りで抱え込んでいた」
「ロベリアは川村さんを長期にわたってアカデミーに戻ることもできない境遇へ追いやり、剰え財団への抜きがたい不信感を植え付けたのです」
「これだけでも許し難い行いですが、組織としてはさらに重大な罪を犯していた。分かりますよね? ロベリア」

ソラマメ状の奇抜なメガネ、その奥に見えるザオボーの目は、ギラギラした怒りに燃え上がっていた。非道の限りを尽くすロベリアの映像を途中で打ち切ると、さらに別の場面を空中のスクリーンに向けて投影し始めた。

「ロベリア。貴方が高セキュア環境の中央サーバから無断で複写したデータの一覧です。身に覚えがないとは言わせませんよ。基盤部門が復元したデータですから」
「ウルトラビーストの生態レポート、タイプ・ヌル開発設計書、『いでんしのくさび』を始めとする符号化済みのレベル5オブジェクト群、故トキノミヤ博士の研究所から押収した人型ロボット『トライポッド』に纏わる全成果物、他にも無数の機密データが出てきて肝を潰しましたよ」
「なぜ貴女がこのような危険極まりないデータを抱え込んでいたのです? 説明できるのですか?」
「ええ、ええ。私は説明できますとも。貴女はこれを売り飛ばすつもりだった。我々と協力関係にある案件管理局、そこの定める要注意団体複数にね」
「それだけではない。貴女は几帳面な性質をお持ちだったようだ。外部の輩と取引した際の履歴、それもすべて残っていました」
「泳がせていた筈の川村さんを最近になって血眼で追い始めたのは、これを自らの与り知らぬ間にコピーされたからでしょう。外部メモリーへコピーしたトランザクションも復元できましたから」
「タイミングは恐らく、エーテルハウスでウルトラボールの盗難が起きた時。ロベリアが席を外した隙に川村さんがデータをコピーしたのです」
「取引履歴を元に川村さんに外部へ告発されてはまずい、故に一度サーバのデータをすべて消去し、自らの手でパルデア中を捜しまわっていた。それ以外に考えられませんね」
「川村さんはただ逃げていただけではない。独りで貴女と戦おうとしていたのです。財団を貶める愚劣な悪行を積み重ねる、卑劣極まりない貴女とね」

口ぶりからにじみ出る怒りがロベリアを震え上がらせ、いかなる言い訳も弁解も受け入れないという断固とした姿勢を見せ付けていた。ザオボーが暴露したのはこれまで明らかになっていた悪行をさらに上回るもので、私欲にまみれた最悪の所業と言えよう。ナツとザオボーのポケモンたちに取り囲まれてロベリアはもはや抵抗することも敵わず、青ざめた顔をして縋るような目つきをするばかりだった。

そしてその様子を、清音と優美が生気のない顔で見つめている。不安げな顔でぎゅっとしがみつく優美を、清音は震える手で強く抱きしめている。

「率直な心情を申し上げるならば、私は貴女に私的な制裁を下したい。私だけでなく誰も彼も、貴女を今すぐ再起不能にしてもおかしくないほどの怒りを滾らせていることでしょう」
「ですが、我々は『大人』です。そのようなことはいたしますまい。粛々と組織のルールに則って対処するのみです」
「エーテル財団という……理想に向かって愚直にまい進する組織の定める『掟』に従って、貴女を処遇することにいたしましょう」

エーテル財団の名前が出た直後、ロベリアが血の気の失せた表情で叫ぶ。

「ま……待ってください! このようなことは、このようなことは二度といたしません! どうか、どうかお慈悲を……!」
「ええ、ええ。我々は非人道的な方針は採っておりません。ゆえに、貴女にひとつチャンスを与えることにします」
「チャ、チャンス……?」
「これは願ってもない機会ですよ。何せ、代表が直々に貴女のプレゼンテーションに耳を傾けてくれるのですからねぇ」

ザオボーがポケットからスマートフォンを取り出して操作すると、ディスプレイに代表であるグラジオの顔が大きく映し出された。隣には副代表である妹のリーリエ、そしてエーテルパラダイス支部長であるビッケの姿もあった。エーテル財団の首脳陣が勢揃いしている恰好だ。

ロベリアが絶句する。グラジオの顔つきは強張り敵意に満ちていて、並大抵の者では目を合わせることすらできない獰猛さを色濃く帯びていた。一連の話を全て耳にしていたのだろう、絶対零度の如き冷たい瞳でロベリアを射抜く。グラジオは他ならぬエーテル財団の代表、最高権力者である。その彼がこのような表情を見せているということの意味――ロベリアはなまじ頭が切れる故に、それを完全に理解してしまったのだった。

「貴女の行いと振る舞いは、私とカンパニュラから代表へ包み隠さず伝達させていただきました。何も心配することはありません、貴女による説明は不要です」
「なんという、ことを……!」
「さらにもう一つお伝えいたします。本日付で代表から人事異動の通達が出されました。ロベリア、本日から貴女は本部――エーテルパラダイスで勤務していただきます」
「エーテルパラダイスで……!?」
「追って代表から説明があります。地下フロアでの勤務は初めてでしょうが、まあ直に慣れます。それに勤務と言っても何ら難しいことではありません。所定の収容セル……失礼、個人用オフィスで待機していただくだけの簡単なお仕事ですよ。職責が増しますから、これまでより自由な時間は大きく減ることでしょう」
「いっ、いったいどういうことです! そのような、そのようなことが許されるはずが!」
「代表の決定です。私はそれを貴女に伝える権限しか持ち合わせていないゆえ」
「何を……何を馬鹿なことを! 一思いに、一思いに解職すれば済むことではないですか! なぜ、なぜ!?」
「貴女は機密情報にアクセスできる立場にあった。退職は一個人の判断でできることではありません。これは規定でも明示していることですよ」
「そ、そんな……! 私は、私はエーテル財団の発展のために……!」
「説明はこれから代表に向けて行ってください。私は財団の運営方針についての決定権を持っておりませんゆえ」
「ザ……ザオボー! 貴方も同じだったではないですか! アローラのならず者たちと手を結んで、その罰を受けて左遷されたのが今でしょうに!」
「あの件は貴女にとってそのように見えていましたか。結構なことです。であれば、すべて私の目論見通りですよ……何もかもね」
「それは……それはどういう……」
「貴女に答える必要はありません。さあ、間もなく代表との『面談』が始まります。ギフト、彼女を送り届けてやってください。丁重にね」

傍らに待機していたガラルヤドキングのギフトが呪文を唱え始めた。これから起きることを予感して、ロベリアが歯をカタカタと鳴らして怯える。つい先ほどまで自分がしようとしていたこと――テレポートが自分に対して行われようとしていることを察知する。送り先は……言うまでもない。

「待ってください! どうか、それだけはどうか! お助けを!」
「……川村さんが貴女の行為を止めるよう進言したとき、貴女はどのような態度を取りましたか? 川村さんの制止を、貴女は受け入れましたか?」
「あっ、ああ……!」
「よく理解されていますね。結構、それが答えです。では、ごきげんよう」

ギフトは淀みなく呪文を詠唱し終え、最後まで抵抗するロベリアをテレポートさせた。その場からロベリアが消失し、静寂が辺りを包み込む。ザオボーが強く握り締めていた拳をようやく解いて、大きく大きく、とても大きく息をついた。

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