-4- トレーニング

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 裏でこそこそとキズミ達がすり合わせてきた内緒の特訓スケジュールは、エルレイドへの進化を契機に、晴れてアイラの黙認から公認となった。これからは堂々と打ち込める。エルレイド=クラウは早速、新しい目標を立てた。
 キズミも、アイラに嫌われていい、という自棄にひとまず整理がついた。別に、アイラとクラウの関係をひっかき回す無神経なやり方を、好き好んでいたのではない。気兼ねせずコーチを務められるようになったということは、コーチとしての責任が重くなったということでもあった。

 今日もトレーニングのために早起きして、出勤前に近くの緑地公園に立ち寄った。枯れ葉がちらほらと落ちている園路沿いの、黄みがかった芝生広場。クラウのきょうだい弟子分であるガーディ=銀朱ぎんしゅのやる気にも、変化が起きていた。
 これまで銀朱は、厳しくてすぐに怒る老ハーデリア=オハンのことが苦手だった。尊敬できる国際警察犬の大先輩というより、頑固で怖い親戚のおじいちゃん犬が急に出来たみたいだった。しかしオハンがしばらく退院できないと知らされて、銀朱はオハンのことが可哀想になり、悲しくもなった。
 今度会えるまでに強くなって、オハンを驚かせてあげたい。今日こそは、大の苦手な水技から逃げない。ぶるぶる震えながら身構えているところへ、要望通り、ヌオー=留紺とめこんがぴゅーっと水鉄砲を浴びせた。鼻面にストライク。キャンキャン鳴いて跳びまわり、落ち着かせようとしたキズミにぶつかって急停止。「頑張ったな、大進歩だぞ」と頭を撫でられて、嬉しくて尻尾を振り回す。ぺろぺろと顔じゅうに親愛を伝えようとして、耳をぴくっと立てて踏みとどまった。

 右頬の、大きな目立つ傷跡。

 代わりに顔の左側を、キズミは沢山舐められた。甘えん坊で臆病で、食い意地張り。警察犬に不向きだと酷評されがちだ。こんなに素直で優しい性格が銀朱の短所な訳がない、とキズミは心からそう思っている。

「筆談のほうはどうだ、クラウ」

 銀朱と別れて、テレパシーの練習相手になりに戻ってきたキズミから、エルレイドはペンとメモ帳を受け取った。元キルリアの頃から特訓の一環で、指遣いの器用さを鍛えてきた。テレパシーと、人間の言葉を文字にするのとでは、要領がまったく異なる。一応は、出来にこだわらなければ書けなくもない。
 ――『はい! がんばってます!』
 

 ――『う゛1 1いお べとす1』
 と、返されたメモ帳に書かれてある。
 キズミは微妙な表情を浮かべた。
「タチ山さん、読み書き教室の講師だったよな。相談してみるか?」
「オレ、登場! お前らー、今日も遅刻ギリギリになるぜー」
 シャーッとスケートボードのウィール音を立てながら。
 時報のごとく、笑顔のミナトが颯爽と遊歩道を滑ってきた。



 アシスタントのテレパシー能力はほとんどが後天的である。訓練をやり直せば、テレパシーの勘を取り戻せることがある。会話が一方通行になってしまったアイラの、時々よぎる寂しそうな表情を、クラウはこのまま何もせず見過ごしたくなかった。
 あくまでも筆談は、テレパシーが使えないあいだの臨時手段。試行錯誤中のクラウの気持ちを、キズミは人一倍気にかけていた。収集した知識を役立てられるフィジカルのトレーニングに比べ、特性『シンクロ』に依らないテレパシー開発はメソッドが確立されていない。エスパータイプは先天的に素質が高いが個体差が大きすぎるので専門外だ、と育て屋のランドも言っていた。

 他に有力そうな指南役といえば。

 サーナイト=パラディンをおいて他にない。

 因縁のある相手に借りをつくるのを躊躇っていては、キルリア時代から特訓を請け負っていたコーチの肩書きがすたる。キズミは朝からぶっ通しだったデスクワークの途中休憩がてら、警察庁舎屋上にエルレイドを連れて行く。
 秋めいてすがすがしい晴れ空の下。普段なら、何もいない空中に呼びかけると、透明化していた姿を視えるようにするか、『テレポート』で現れるかが、かのサーナイトのやり方だ。今日はそのどちらにも当てはまらなかった。人の心の奥底まで見透かしそうな、優美で理知的な赤い瞳。聖なる騎士の称号者は来訪を読み、白い超能力使いはすでに顕在していた。

「俺はあんたが嫌い……です。でもこの間は、お世話になりました」
 メロエッタの案内を仲介してもらえたから、ミナトを救いに古城へ辿り着けた。
 社交辞令的に感謝する仏頂面のキズミに、サーナイトが微笑みかけた。
(私は、あなたを嫌ったことなどありませんよ。ただの一度も)

 威嚇的な気配を濃くするキズミ。
 
 はらはらして見守るエルレイド。なぜあのサーナイトを毛嫌いしているのか。他者の気持ちや考えをキャッチする力は進化後も健在だ。それを濫用するつもりはないし、仮にそうしたとしても、感情の根幹にあるキズミの重要な記憶までは覗けないだろう。精鋭養成クラスに在籍していた国際警察官は、みだりに心を読ませない訓練を受けている。

「テレパシーの勘を戻すトレーニングの相手になって頂きたいのですが」
(私でお役に立てるかどうか。ともあれ、『ドルミール』の許可を得ませんと)
 紅色の紳士的な視線が、金髪の少年刑事の隣にいる緑の剣士へ、向けられた。 
(私から主に口添えします。良い返事を期待して下さい。クラウ君)
 国際警察官のアシスタントのあいだで知らない者はいない、カリスマ的存在。
 性別を超えた麗しい微笑に、エルレイドはミーハー丸出しでぺこぺこした。



 キズミがオフィスに戻ってきた。ミナトの足元に伏せていたガーディが顔を上げ、おかえりなさい、と尻尾を振る。地元警察官ポワロ・フィッシャーは居眠りしていた。待ち構えていたミナトがにやにやして、幼児が乗る車の玩具のようにデスクチェアを足で漕いで、自席に着いたキズミのそばへ寄ってきた。
「律儀だなあ、要領悪いぜ。アイラに頼みに行ってもらえよ、そこは」
「それは……おい、なんで上司を呼び捨てにした」
 キズミの言い方が右肩上がりに不機嫌になった。
 会話の聞こえたアイラが「日頃の行いよ」と書類に目を通しながら澄ます。
「ミナト君は、変な格好なんて言わないもの。でも仕事中はよして」 
「ごめんって。な訳でキズミ、アイラの彼氏候補はオレが一歩リードな」

「はあ!?」
 と、キズミとアイラが声をそろえた。
 ミナトは気安くけらけらと笑った。

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