第4話:ノドカナノナカ、ノドカナノカナ

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 ある哲学者の言葉に、「全体は部分の総和以上である」というものがある。

 分かりやすく言い直せば全ての教育関係者が一生に一度は言うとされる「1+1は無限大」となるのだが、実はこれは運動会や文化祭以外においても通用するれっきとした思想論である。「3本の矢を1本ずつ折ることは容易いが、束ねられた3本を折ることは困難である」という例のブショーの教えはまさにその考え方に基づいたものだし、もっと簡単な話をすれば“4匹のダンバル”より“4匹のダンバルが集まって生まれたメタグロス”の方が格段に高度な思考力を持つ。複数の“個”が集まって作られた“全体”は、不思議なことに個々の持つ機能を足し合わせた以上の能力を発揮するのだ。
 ポケモンの“群れ”も同じで、1匹ごとの能力や知性は取るに足らないものだとしても、それらが1つの群れとして動き出すと途端に規則的かつ合理的な意思を持った集団として動き始める。ヨワシの魚群が顕著な例だろう。この小魚の脳は水タイプの中でも特に小さく、群れる際も「周囲の同族と付かず離れずの距離を保ち、多くの同族がしていることを自分もする」という本能に基づいて泳いでいるにすぎない。彼らはその小さな知恵を集結させるだけで、「身を寄せ合って全体の防御力を上げ、一斉に水鉄砲を放って高圧の水流を作り出す」という“丈夫で賢い魚達”になることができるのである。

 要は非力で賢くないポケモンも群れとなれば我々の想像を超える能力を獲得する可能性がある、ということである。ほぼあり得ないことだが、それでもひょっとすると人間の共同体にも劣らないほどの機能を持つことすらあるかもしれない。
 例えば、目の前にある“村”のように。

 カモネギの後に続き、ダンジョンから出てなお続く森の小道を真っ直ぐ歩いていった先に、ノドカナ村は存在していた。
 森の中をほんの少しだけ切り開きました、というような規模の平地に、自分の座高(面倒なので人間部分とペンドラーの垂直部分を足した長さをそう呼ぶことにした)より僅かに高い背丈の板塀がずらりと並んでいる。入り口と思しき両開きの扉はしっかりと閉ざされており、その閉まり具合からして恐らく内側から閂が掛けられているのだろうと推測できる。村の中を覗くことはできないが、「村の中を覗くことができない」という事実それ自体がこの村の文化水準を物語っていた。
 はじめにカモネギから「ノドカナ村に住んでいる」と聞いたときは無意識的に「人間が作った村で飼われている」ことをそう表現しているのだと思っていたため、あまり深く突っ込まずに流してしまっていた。しかしこの世界が“ポケモンが人間のような文明を築いている場所”だと予想される今、改めてポケモンが村を形成して暮らしている様を見せられると、まるで遅効性の毒のように腹の辺りからじわじわと衝撃が湧き上がってくる。この世界のポケモンは人間より優れた存在なのではないだろうか。人間と同等の知恵を備えた上で、自らの力で戦うための身体をも持ち合わせている。頭が人間で足がポケモンというわけでもないのに、だ。むしろ頭が人間で足がポケモンの生物は人間にすら劣る存在となっている。納得がいかない。理論上は自分が最も優秀な生物となるはずではないか。これが自然界の現実だと言うのか。

「……大丈夫? あの門から村に入るんだけど……」

 カモネギがそっと話しかけてきた。衝撃を通り越して憤りを感じ始めていた自分の様子を不審に思ったのかもしれない。軽く息を吸って吐き、大丈夫と返す。彼らに非はない。あるべき姿で生きているだけだ。勝手に自分があり得ない姿になっただけなのだ。

「むしろ村の方が大丈夫なのか気になる」
「村が? なんで?」
「この見た目の生物が入り込んだら未知の外敵と思われる可能性がある」
「え……そ、それはないよぉ。だって……えっとそのぉ、皆優しいし、僕よりのんびりしてるポケモンいっぱいいるし……」
「遭遇しただけで動転したり喋っただけで叫んだりしないポケモンがいっぱいいる?」
「いやその……えぇとぉ…………ぼ、僕が説明するから! 僕が最初に慌てちゃったのは先に目で見ちゃったからだもん、先にお話をしてそんなに怖くないってことを分かってもらえば僕みたいにはならないよ!」

 本当にそうだろうか。事情を話した上でなおわけが分からないのがこの身体ではなかったか。しかしカモネギに話を通してもらう以上の案が思いつくわけでもない。現状においては彼を信じて話を通してもらうのが最善なのだろう。

「とりあえず村の中に声かけるね。ちょっと待ってて」
「……自分は扉から離れておくべき?」
「あー……うん。一応真ん前は避けてほしいカモ」

 そう言ってカモネギは門の前に立った。自分はその横で待つことにする。
 彼はそこそこに通る声で門に向かって呼びかけた。

「ただいまぁ!」

 数秒ほど経ってから、閂を外す音と共に住民らしき声が返ってくる。

「はいおかえり。今日はちょっと遅かったな。もう少しで日が沈んじまうよ」
「うん、帰る途中にちょっと…………あっ待って待って待って開けないで!」

 カモネギは開きかけた扉を両羽で引き止めながら叫んだ。

「どうした、近くに暴れん坊でもいるのか」
「そういうのはいないそういうのはいないから外は見ないで! まずここで話を聞いて!」
「えっ怖、何、なんなんだ」

 自分の存在すら明かされていない時点で既に怖いのならこの後の恐怖には到底耐えられないのではないかと思うが、それでもカモネギを信じて黙って見守るしかない。

「あ、あのね、今日帰る途中にモノカイム森林で迷ってる…………迷ってるその…………迷ってるアレ…………を見つけて、すごく困ってるみたいだったから連れてきたんだ」
「迷ってるアレってなんだ、なんでそんなとこで詰まるんだ」
「いやあの、なんていうかそのぉ…………言い切ると正確じゃなくて……」
「なんだ言い切ると正確じゃない迷ってるアレって。一体何連れてきたんだ」
「…………半分ポケモンで、半分ニンゲン……」
「ん?」
「その……えっとね……上の方は本で見たニンゲンの特徴にそっくりなんだけど、下の方はポケモンっていう……」
「ん?」
「あの…………ポケモンっていうのはペンドラーで…………ペンドラーの体の上に、頭の代わりにニンゲンが生えてるっていう……」
「ん?」
「だからそのぉ……上の方がニンゲンで下の方がペンドラーっていう……」
「ん?」

 微塵も話が進まなくなった。映像ではなく文字でこの身体の情報を受け取れば確かに衝撃は和らぐが、逆に意味がさっぱり分からなくなって恐怖以前の話で止まる、ということなのかもしれない。理解とはかくも難しいものである。

「うぅーん……! とりあえずこう、そういうわけ分かんない見た目なんだけど、それ以外は大体まともだから、落ち着いて門を開けてほしいなって話で……」
「何かとんでもないものを伏せてるとしか思えない言い方でかなり怖いんだが本当に大丈夫なのか? 村に入れちまって大丈夫な奴なのか?」
「だ、大丈夫ではあるんだよ! えぇーっとほら、ちょっと挨拶してみて!」

 突如カモネギがこちらに顔を向けた。一拍遅れて今の発言が自分に向けられたものだと気付き、慌てて板塀の向こうへ声を投げかける。

「はじめまして。自分は上半分が人間で下半分がペンドラーの生物だ」
「ね、まともでしょ」
「どの辺が?」

 迅速な否定が返ってきた。それはそうだろうなと思った。慌てたせいで端的すぎる挨拶をしてしまった。

「……申し訳ない。雑な挨拶だった。自分はこの通り会話が可能だし、この場における“まとも”が何たるかも理解してる。ただカモネギの言う通り見た目だけがどうしようもなくまともじゃない。上の方が人間で下の方がペンドラーと説明する他ない見た目をしてる。但しその身体を使って破壊や襲撃をすることはない。通常の余所者と同じ対応をしてほしい」
「狂った話を軸にまともな喋り方をしないでくれ、正気で言ってると思うとますます怖くなってくる」

 結局見た目がまともじゃないことしか分からないし……などと独り言を呟いた後、門の向こうの住民はこう言った。

「なんつうかな……態度がまともかどうかに関係なく、ニンゲン様を自称するのはやばい、しかも部分的にニンゲン様を自称するのはさらに意味が分からなくてやばい」
「自称するっていうか、僕が『上の方だけニンゲンにそっくりだな』って思ったんだけど……」
「実際に他モンから見て『上の方だけニンゲン様にそっくりだな』ってなる見た目だとしたらそれはそれで未だ嘗てなくやばいんだよ。単独で来てるなら門前払いするとこなんだが、住民が連れてきてるからな……こりゃ一村民の判断で通す通さないを決めちゃいけないやつだ。村長呼んでくる。……あ、お前は入っとくか?」
「うーん……いいや。外で待ってる」

 閂が掛け直され、飛べば入れるはずのカモネギは律儀に締め出された。扉の前からこちらに少し近付いてきた彼に、いくらか声量を落として話しかける。

「聞きたいことがある」
「聞きたいこと?」
「今会話してたのは門番?」
「こんなちっちゃい村に門番なんていないよぉ。門の外から挨拶されたらそのとき一番門の近くにいた住民が対応することになってるんだ。どっちかっていうと『門の前で挨拶する』ってルールを知ってるポケモンだけを入れるための決まりなんだけど…………あっ、君は住民の僕が連れてきたお客さんってことになるから大丈夫だよ」

 なるほど、と思った。この村は敵の侵入を防ぐ手段として門番の代わりに『村と関係のある者しか知らないルール』を置いているのだ。飛べば入れるはずのカモネギが“門を通る”前提で村に入るか否かを聞かれていたのはそのルールに則ったが故だったのだろう。ルールを知り得ない者をはじめから拒むような仕組みを採用しているあたり、この村はなかなかに閉鎖的な共同体であるようだ。しかしそういった仕組みで村を守っているということは武力によって排除される可能性が低いということでもある。少なくとも下半分がポケモンになるより酷い仕打ちを受けることはないだろう、と思った。

「もう1つ聞きたいことがある」
「もう1つ?」
「君は人間のことを『ニンゲン』と呼ぶけど、あの村民は『ニンゲン様』と言ってた。人間に敬称を付けるのは一般的なこと?」
「あぁー……一般的かは分かんないけど、ノドカナのポケモンはほとんど様付けで呼んでるねぇ」
「様を付ける理由は?」
「理由……? 理由って何、普通に天使様だからじゃないの……?」
「天使様?」
「嘘ぉ、天使様も分かんないの? ダンジョンで知識全部忘れちゃったのか元々なんも知らなかったのか分かんないけど、なんていうか、君ってほんとに下半分以外は本のニンゲンそっくりだね……」
「人間そっくりっていうか人間だけど」
「あ……ごめん、そうだね、一応ニンゲンなんだよね」
「一応人間っていうか人間だけど」
「ご……ごめんね、半分くらいはちゃんと信じてるんだよ」

 ここに来てカモネギがこちらの話を半分信じていないらしいことが発覚したが、自分はそれよりもこの場所における人間の立ち位置に驚いた。本に特徴が記される程度の存在感を持つだけでなく、どういうわけか一定の敬意を払われているようである。彼の言う「天使」とは何だろうか。もし“てんしのキッス”と同じ天使を指しているのであれば、この地のポケモンは“天から遣わされた使者”という概念を理解していることになる。つまり彼らは天を信仰する宗教文化を持っている可能性があるのだ。
 こうなると最早ポケモン達の人間らしさに驚いている場合ではなくなる。自分は一刻も早くここでの人間らしさを学ぶべきだろう。ポケモンより人間らしくない生物なりに。

「半分信じてなくともいいから、ここのポケモンにとって人間がどういう存在なのか、何も知らない人間に教えるつもりで説明してほしい」
「え、えぇ? 難しいこと言うなぁ、ニンゲンなんて喋るどころか見たこともないのに……あっあっ今のはほんとにそんなつもりなくて、ちゃんと君をニンゲンにカウントするつもりはあって」

 などとカモネギがあたふたしていると、門の向こうから先程カモネギと話していた住民の声が飛んできた。

「おーい、いるかー? 村長連れてきたぞー」
「……落ち着いたらでいい?」
「分かった」

 カモネギはそこそこの声で「いるよぉ」と返した。暫し門の向こう側で控えめな声量の会話が漏れ聞こえ、それから最初の住民とはまた別の声がこちらへ話しかけてくる。

「え~……はじめまして。はじめましてっちゅうても見えませんわな。今門挟んで立っとるんだけども、オラは村長のビコー、マシェード、ラランテスっちゅうモンです」

 つまり誰だ、と思った。
 ビコー、マシェード、ラランテス。村長は自身の名を名乗ってくれたのだろう。これだけの村を作れるなら“名前”という文化があってもおかしくはない。それは分かる。問題は3つ名乗られたことだ。さらに言えば後ろの2つがポケモンの種族名であることだ。片方は草とフェアリーのタイプを持つキノコ型のポケモン、マシェード。もう片方は虫のような姿でありながら実際は草タイプのみを持っているラランテス。ここのポケモンは不思議なことにペンドラーを人間と同じく「ペンドラー」と呼んでいるので、恐らくマシェードとラランテスもそれぞれ「マシェード」と「ラランテス」と呼んでいるはずである(よく考えるとポケットに入っていないモンスターが自分達を「ポケモン」と呼んでいること自体が奇妙なのだが、今はそこに引っかかるときではない)。ビコーは知らない。単に自分の知らない種族かもしれないし、特に種族とは関係のない正真正銘の“名前”かもしれない。だがどちらにせよ1匹で複数の種族を名乗る意味が分からない。今ある知識から考えられるのはこれくらいだ。

「要するに……村長は、ビコーという名前で、上半分がマシェードで、下半分がラランテスの生物?」
「ちょいと言っとる意味が分からんけども」
「何をどうしたらそんな発想ができあがるんだ」
「上下別々の生き物と同じ村で暮らしてたら君を見たときにあんな驚くわけないでしょ」

 村長、最初にカモネギと話していた村民、カモネギの順で厳しく否定された。一応言ってはみたが、しっかり否定されて安心した。

「ごめん、今のは忘れていい。……ただ自分はこの通り名前の法則を知らない。ビコー、マシェード、ラランテスというのは全て村長の名前?」
「ありゃりゃ~、名前の法則が分からんとな。ま~オラを例に説明させてもらいますとな、ビコーが個の名前、マシェードが母の一族の名前、ラランテスが父の一族の名前っちゅう具合になっとります」

 自身がビコーで、母の一族がマシェードで、父の一族がラランテス。3つの名前があるというよりは、個体名もといファーストネームがビコー、両親の種族もとい名字がそれぞれマシェードとラランテス、という構成なのだろうと思った。人間風の表記をすればビコー・マシェード=ラランテスだ。パルデア辺りでは父母の名字を両方とも継ぐのが一般的だと言うし、やはりここでも人間の文化との相似が見られる。ますますこの地における人間とポケモンの関係が気になってきた。落ち着いて話を聞ける時間はいつ訪れるだろうか。

「……ありがとう。大体分かった」
「そりゃええかったですわ。そいでもって……名前の法則が分からんちゅうと、そちらさんの名前自体はどうだかね」
「自分の名前も覚えてない。ついでに言うと名前に限らずほとんど何もかも覚えてない」
「は~はれぇ~大変だ、なんもかんも分からんとな。ダンジョンで迷子だったそうでな、単純にパーになってしもうたのかもしらんけども、それにしちゃ受け答えがしっかりしとる……こりゃひょっとすると本当に新しいニンゲン様が来なすったっちゅうことも……」
「いやいや信じすぎるな村長、確かにニンゲン様はなんでか大体トンチンカンだって聞くが、こいつは絶対ニンゲン様以上にトンチンカンだ。呼ぶときに説明しただろ、『上半分がニンゲンで下半分がペンドラーの生物』を名乗るやばい奴が来てるって」
「ん? そりゃ呼ぶときでなくさっきここで聞いたんでないか」
「さっきはあんたが『上半分がマシェードで下半分がラランテスの生物』を名乗るやばい奴にされかけたんだ、しっかりしてくれ」

 は~そうだそうだ、も~カサが縮こまって物覚えがいかんわ、などと呟いた後、村長は改めてこちらへ声をかける。

「ちゅうわけでな、下半分がペンドラーのニンゲン様なんてのはちょいと聞いたことがないもんで、オラが実際にそちらさんの顔を見て色々判断しようっちゅう話なんですわ。セオもそれでええだろ」

 うんと返したのはカモネギである。どうやら彼は「セオ」というらしい。同時に今の今まで彼に名乗られていなかった事実に気付いたが、それはここに至るまでずっと自身の名前より重要な事柄を説明させられ続けてきたせいだろう。得体の知れない生物に名を教えたくなかったわけではない。はずだ。

「えぇとね、村長は昔ニンゲンと会ったことがあるんだって。いや、僕のお父さんとかも会ったことあるらしいんだけど、とにかく村長が村の代表として君の姿を見て大丈夫って判断できればいいんだと思う。……そうだよね?」

 そう、そう、と村長達が言う。とうとう自分以外の人間の存在が発覚したが、そこを詳しく聞くためにもまずは村に入れてもらう必要がある。自分は呼吸を整え、門の前まで進んだ。

「自分の見た目を確認するなら今から門を開けてもらって構わない。但しいきなり全身を見ると恐怖を感じる可能性がある。細かい指示で申し訳ないけど、最初は少しだけ開けて、ひとまず人間の部分だけを確認してほしい」
「なんでこいつずっと同じ調子でこんなこと言い続けられるんだ。……そんで、どうだ、どうする村長」
「ま~あちらさんがそうした方がいいっちゅうんならばそうするのがええ。ちょいとだけ開けとくれ」
「開けるのか……。開けなくちゃいけないか…………。……寿命縮まっても責任取れないからな」

 閂を外す音がした。そして10センチほど扉が開かれる。
 自分は扉の間から一歩左にずれた場所に立ち、一度カモネギと無言で頷き合ってから、右手のみを隙間に伸ばした。

「少し高い位置で失礼するけど、まずこれが手」
「ん~お~ほ~ほえ~あ~ありゃ~ありゃりゃりゃりゃ~」
「え……ど、どうしたの村長ぉ」
「ど~したもんだろかこりゃ参った、間違いなくニンゲン様の手だ!」

 カモネギが驚きの声を上げている間に、首を伸ばして隙間を覗いてみる。そこから下を向けば、ぽかんと口を開けたキノコ型のポケモン、マシェードと、それと似たような表情をした胴長短足のポケモン、オオタチが、並んでこちらを見上げていた。

「……どうも。これが顔だけど」
「はりゃりゃりゃりゃりゃ~顔だ」

 ちゃんと上下ともマシェードだった村長が細長い3本指をぶわりと広げる。意外と愛くるしい種族だった最初の村民は長い胴体を振り回して村長とこちらを交互に見ている。

「いや顔なのは俺でも分かるが、でも、なんだ、この顔もニンゲン様なのか」
「んや~ど~見てもニンゲン様の顔だ! 目の上にだけ毛が生えとる! オラの会ったニンゲン様とは色が違うし背もうんと高いようだけどもな、毛の位置は全くおんなじだ!」
「ニンゲンって目の上にだけ毛が生えてるかどうかで判断できるんだ……」

 カモネギが零す。彼が読んだ本には書かれていなかった特徴なのだろう。確か「腕は2つで指は5つ、毛皮の代わりに布を巻き、2つの足は獣を跨ぐ」だったか。目の上にだけ毛が生えている事実は作者にとって重要でなかったのかもしれない。または書いても格好よくないから外したか。

「言い伝えだとオスは口の周りにも生えとるっちゅうけどもな。つまりこの方もメスっちゅうことかね。いや生えとらんオスもいるとも聞いたんで分からんな。顔以外だと頭の上と後ろにも生えとるけども、こっちはもっとニンゲン様によって違うっちゅうんで分からん」
「どっちにしろニンゲン様ではあるってことでいいのか? 本当にこいつ……いやこの方は新しいニンゲン様なのか?」

 オオタチが結論を急かすように聞く。それに村長が答える前に、右の手の平を扉の隙間に差し込んで待ったをかけた。

「『人間である』と判断を下すのは構わないし、むしろそう判断してほしいと思ってる。でも今は人間部分を選んで見せてるだけに過ぎない。むしろこれから見せるペンドラー部分がこの村にとっての本題だと思う」
「こいつこれ言ってくるから今までの態度を謝罪して改めるべきかどうか分からないんだよな」
「は~、こんなにニンゲン様だのに何とも謙虚な方だ。オラはもう信じとりますけども、扉開けてしもうてええですか」

 カモネギの方を振り返ると、彼は両羽の先を丸めて胸の前で揃えた。人間のファイティングポーズに近いものだろう。頑張れと言いたいのは伝わった。下半分を見せる行為は別に頑張らずとも可能なのだが、前向きに行為を推してくれる存在がいるのはありがたい。

「そっちのタイミングで開けていい」
「さいですか。本当なら村の皆総出で歓迎の道を作りたいところですけども、一応確認っちゅう体だもんで、ま~すいっと開けさせてもらいますわ」

 村長が3本指を扉の隙間に差し込む。そして、自身のいる方向へ引くような形で門を開けた。
 ノドカナ村の中がよく見えるようになる。小ぢんまりとした敷地。土壁に木の屋根を乗せた家々。日没が近いからかほとんど見当たらない村民の姿。おりょりょりょりょりょりょという音。最後は何だ。村長の声か。
 下を向けば、真っ黒い空洞のようなマシェードの瞳と目が合う。その瞳のせいで何を考えているか今ひとつ分かりづらい種族であるが、口の形まで目と完全に同一となっているこの個体がどんな気持ちでいるかは大体分かる。
 隣のオオタチは無表情のまま路上のポールの如く完全に静止していた。小さな前足だけが中途半端に上がっている。恐らく無意識的に身体が威嚇体勢をとっているのだろう。

「…………えぇとぉ……あのぉ…………大丈夫?」

 カモネギが控えめに沈黙を破る。2匹は同時にはっとした表情を浮かべ、村長の方はもう一度おりょつき始め、オオタチの方は結局前足を上げきった。

「改めて宣言しておくと、自分は自分を人間だと思ってる」

 可能な限り静かに喋りかけると、ほんの少しだけ2匹から混乱の色が薄まる。会話の通じる生物だということは思い出してもらえたらしい。その代わりに困惑の色は濃くなった。

「……なぁ、この、こいつ、いやこれ……これは、これでも、やっぱりこれ、新しいニン……ニンゲン様なのか、これ……?」

 オオタチが全く囁やけていない囁き声で村長の意見を伺う。
 村長はおりょり散らかしていた口をすっと閉じ、やがてそっと開き直した。

「…………ニンゲン様自体が新しくなったでな」

 一応ニンゲンでいいんだ。いよいよ角度の鋭くなった夕日と共に、カモネギの独り言が自分達の間を通り抜けていった。

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