毒をもって毒を制す
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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください
「そうだ、こんなの悪い夢だ! 悪い夢なんだっ! 覚めろっ、覚めろっ、覚めろーっ!」
目覚めようと必死で頭を叩く。
でも覚めない。
夢から覚めない。
目を覚まさなきゃとわかっているのに、どうして――!?
「──!?」
それどころか、もっとひどい事が起きた。
辺り一面が、いきなり炎に呑まれた。
タクミが、いつの間にかウルガモスを出して、“ねっぷう”を繰り出していたからだ。
「アスカ! ────!」
ハルナおばさんが何か叫んでるけど、聞こえない。
炎に囲まれて、シールドの陰から出られない。
そのシールドも、どんどん熱を帯びていく感覚。
熱い。
息が苦しい。
これは、いつか、顔を焼かれた、あの日と、同じ──
「あ、ああ、ああああああああっ!」
もはや言葉にさえならない悲鳴を上げながら、顔を手で覆ってうずくまっていた。
あの時の恐怖がまた、あたしの脳裏を駆け巡る。
何なの、何なのこの夢は!?
ほら、ほら、早く覚めなきゃ!
覚めないと、あの時みたいに、また、顔を焼かれちゃう!
それだけは、それだけは、嫌!
なのに、なんで覚めないの!?
なんで夢から出られないの!?
ほら、早く覚めて!
早く覚めてよ──!
と、その時。
何かがどん、と頭上に落ちてきた。
頭の中を巡っていた何かが、目覚めたようにその一撃で吹き飛んだ。
あれ、今の、何?
落ちてきたものの正体は、すぐに足元に降りてきた。
「ブイ、ちゃん……?」
イーブイ・ブイちゃんだった。
ポケモンの中には、自分で勝手にボールの中から出てくるヤツがいる。そういうポケモンは管理が行き届いていない扱いになって注意されてしまう。
ブイちゃんを育て屋で鍛えてもらったのは、これを治すという目的もあった事を今更思い出した。
「な、何やってるのブイちゃん! 勝手に出てきたら──」
あたしが注意しようとしたのも束の間、ブイちゃんは勝手に炎の中へ飛び出してしまった。
まさか、今もウルガモスに焼かれているアーちゃんに加勢する気!?
「待って! 火の中で戦うなんて──!」
いくら何でも自殺行為なのは、あたしでもわかる。
案の定、ブイちゃんは飛び込んだ途端、体を焼かれて身動きが取れなくなる。
そんなブイちゃんに、ウルガモスは容赦なく“かえんほうしゃ”を浴びせてくる。
お前など相手にならん、と言わんばかりに。
ああ、言わんこっちゃない。
ブイちゃんは周りの炎とウルガモスの炎のダブルで焼かれて、もうおいしく料理されるしかない状態なのは、明らかだった。
「もうやめて! 戻ってきてブイちゃん! 今のあんたに勝てる相手じゃないよ!」
ボールに戻したいけど、熱いの炎の中にボールを突き出す勇気なんて、あたしにはなかった。
だから呼ぶしかなかった。
なのに、ブイちゃんは戻ってこない。
さっきからずっと、炎の中で踏み止まっている。
とうとう炎に押し負けて、ブイちゃんが吹き飛ばされた。
あたしの前に。
「きゃっ!?」
構えていたシールドごと吹き飛ばす勢いだった。
衝撃であたしも背中から倒れた。
初めてシールドを介さずに見る炎の中に、ウルガモスが見えた。
あたしを獲物として狙う、ウルガモスが。
「ひ──っ」
あたしを焼き殺す気だと、本能的に感じ取った。
容赦なくあたしに炎を放つウルガモス。
「いやああああああ!」
あたしは叫ぶ事しかできない。
あの日と同じように、体を焼かれるんだっていう恐怖で──
でも、炎は来なかった。
「──?」
理由は単純。
ブイちゃんが、盾になったからだ。
“すてみタックル”の勢いで、炎に飛び込んでいる。
そんな事して炎なんか相殺できる訳ないと、あたしは思った。
でも、実際は違った。
ブイちゃんを焼くはずの炎が、どんどん体にまとわりつく。
すると、ブイちゃんは弱るどころか、どんどん力強く進んでいく。
浴びた炎を逆に力に変えるように加速していき、遂にウルガモスに届く。
不意を突かれたウルガモスは、大きく吹き飛ばされた。
「……」
信じられなかった。
ブイちゃんに、あんな力が秘められていたなんて。
これが、周りの環境に影響されやすいイーブイの「てきおうりょく」ってヤツ……?
『ボーっとしている場合か姉貴!』
と、突然エルちゃんのテレパスが、耳元で叫ばれるくらい大きく聞こえて驚いた。
『イーブイだって姉貴のために、炎の中で必死に戦っているんだぞ! そいつの親として恥ずかしくないのか!』
「……!」
一喝されて、はっと気付いた。
ポケモンに何もさせないままやられさせるのは、ポケモントレーナーにとって大きな屈辱だ。
ウルガモスに一撃を浴びせたとはいえ、ブイちゃんも炎の中で大分消耗している。もう長くはもちそうにない。
何とかしないと。
でも、こんな炎の中で、あたしにできる事なんて、何も──
「──そうだ」
いや、ある。
ひとつだけ、ジャケットのポケットの中に。
これでどうにかできるかは、あたしにもわからない。
でも、これくらいしか思いつかなかった。
骨抜きになっていた筋肉にありったけの力を注ぎ、ポケットからゆっくりと、それを取り出す。
毒をもって毒を制す。
炎には、炎の力だ──!
「ブイちゃーんっ!」
あたしは赤く輝くそれを、思いっきりブイちゃんに向けて投げた。
たったそれだけの事に、滅茶苦茶勇気を使った気がした。
直後、ウルガモスはブイちゃんに再び“かえんほうしゃ”。
でも、こっちの方が一瞬だけど早かった──!
ブイちゃんの頭上で、光となって炸裂する「ほのおのいし」。
それは、ウルガモスが放った炎もろともブイちゃんを包んだ。
いや、それだけで終わらない。
辺りを包んでいた炎が、一斉にブイちゃんに向かって吸い込まれ始めた。
室内が、元の温度を取り戻していく。
その様に、敵も味方も戦いを忘れて呆然と見入っていた。
代わりに、炎を吸い込んだブイちゃんの姿が、どんどん変わっていく。
より大きく。
よりたくましく。
吸い込んだ炎を力に変え、力強い雄叫びを上げたブイちゃんの体は、深紅の毛を纏っていた。
「あれが、ブースター……」
ほのおポケモン・ブースター。
イーブイが炎の力を得て進化した姿。
嫌なほのおタイプだから進化させるのは不安だったのに、不思議とその姿は頼もしく見えた。
その姿に、ギルガルドとハラ教授がうろたえたように見えた。
「ええい、何してるんだ! あいつを何とかしろ!」
ハラ教授が叫んだ直後、ウルガモスが三度“かえんほうしゃ”。
でも、炎の力を得たブイちゃんは、それをよけもせずにその身で平然と受け止める。
さっきまで苦しめられていたのが嘘みたいに、全く効いていない。
それどころか、その炎を逆に吸収し、体に纏う。
ブースターの特性は「もらいび」だ。炎を浴びれば浴びるほど強くなる。
纏った炎に自らの炎をプラスして、ブイちゃんは文字通り火の玉となってウルガモスに突撃。
炎が効かない事に動じたのか、ウルガモスは何もできないままそれを食らった。
一撃KOだった。
凄まじい威力。でもその反動で、ブイちゃん自身もかなり辛そうな顔をしている。
あれはもう“すてみタックル”じゃない。“フレアドライブ”だ。
炎をたっぷり吸収したせいか、威力が桁違いに上がっている。その分、ブイちゃん自身への反動もすさまじくなるから、多用はできなさそうだ。
『姉貴! イーブイ──いや、ブースターならあいつを助けられるぞ!』
また、エルちゃんが叫んできた。
「あいつって――」
エルちゃんがあいつ呼ばわりするヤツと言えば、タクミの事か。
『今あいつは、外部から操られている! 自分が何をしているかもわかってないレベルでな!』
「操られている……? それって、“さいみんじゅつ”とかで?」
『いや、それよりももっとタチの悪いものだ! あのギルガルドが発している霊力が、操り人形の糸のように操っているんだ!』
ギルガルドが、タクミを操っている?
という事は――
『ブースターなら、その霊力を断てる!』
「そう、だったんだ……」
我ながら、自分の勘違いがバカらしく感じた。
どうしてあいつが寝返ったみたいに思ってたんだろう。
なら、やる事はひとつ──!
「よし! アーちゃん、ゲンガーをお願い!」
まず、ウルガモスに代わってブイちゃんの前に立つゲンガーを何とかしないと。
そのために、ようやく起きたアーちゃんを差し向ける。
タフなアーちゃんは、さっきまでの炎地獄も耐えてくれた。まだ動ける。
「“とおせんぼう”!」
ブイちゃんに向かおうとするゲンガーの行く手を阻む。
これでゲンガーを止められる訳じゃないけど、一瞬だけ動きが止まればいい。
その隙に。
「ブイちゃん、“いやしのすず”!」
ブイちゃんが、鈴の音のようにきれいな鳴き声を上げた。
「し、しまった……!」
ハラ教授の声を遮るほど部屋中に響き渡る、癒しの音色。
それは、さっきからずっと無言で立っていたタクミにも、届いた。
よろり、と姿勢を崩したのを見て、あたしは迷わず駆け出した。
あいつは、訓練生時代からの同期。
訓練生として出会った頃から、なぜかあいつはあたしにばかりアプローチしてきた。他にいい女なんて、いくらでもいたはずなのに。
顔にある傷が、別な意味で引き寄せる事になってしまったらしい。
そりゃ、今でもキザな態度は腹立つ。
でも、悪い奴じゃなかった。
エルちゃんの強さを引き出せないあたしに、「めざめいし」をくれたのはあいつだった。
エルちゃんの今の強さは、あいつなしじゃ作れなかったものだ。
あいつは何か困った事があったら、あたしに手を貸してくれた。
だからだろうか。
あたしはいつの間にかあいつの隣にいる事に抵抗がなくなっていた。
なんだかんだ言って腹立つヤツだけど、困った時には頼りになる。それがタクミという男だ。
なのに――勝手にあたしを置いて飛んでって敵地に単身乗り込んだかと思ったら敵の罠に落ちたのか知らないけど勝手に敵に操られてあたしに襲いかかるなんてバカもいい所だそうするならどうしてあたしも一緒に連れて行かなかったの2人で行けばそんな事になるリスクは減らせたしあんなヤツぶっ飛ばせる自信あったし始末書沙汰になっても怖くない自信があったしとにかくこんな事にはならなかったはず――
倒れそうになったタクミを、あたしは素早く受け止める。
「……う、く」
タクミがあたしの両腕の中で、目を覚ます。
「あれ? なんでこんな所で――って、アスカちゃん? というか、イーブイもいつの間に進化してる?」
何気なくあたしに向いたその目は、もういつものものに戻っていた。
状況を全く理解していない所から見ると、本当にエルちゃんの言う通りだったようだ。
ゲンガーも正気に戻ったのか、アーちゃんの前で困惑した様子を見せている。
安心した途端、目元が熱くなってきた。気のせいかな……
「――この」
「どうしてここに? っていうか、なんで泣――」
「このバカッ! 勝手な行動して迷惑かけないでよっ!」
思わずタクミの言い分を遮って叫んでいた。
「迷惑って、俺何かやらかした!?」
「やらかしましたっ! そのせいで大変だったんだからね! ほら、すぐ起きるっ!」
「どういう事なんだ? 話が理解できない――って、あ!」
あたしに無理矢理立たされたタクミは、何かに気付いて、声を上げた。
何かを思って見てみると。
「くそ……っ、あのイーブイに催眠を解く力があったとは……!」
悔しそうにこっちを見ている、ハラ教授とギルガルドが。
おっと、忘れてた。
向こうもこっちに気付いたとなれば、黙ってはいられない。
「あいつ――!」
「ようやくあんたをぶっ倒せるようになったね。生憎だけど、今あたしすっごく怒ってるから、覚悟する事ね!」
あたしはタクミを遮る形で、ブイちゃんと一緒にギルガルドの前に飛び出した。
ギルガルドもすぐ身構える。
「気を付けてアスカ! あの盾は並大抵の攻撃じゃ突破できないわ!」
と。
急に、ハルナおばさんの声が耳に入ってきた。
見れば、おばさんの側にいるムーランド・エリス号は、牙が割れている。
まさか、盾に攻撃したから――?
「隙あり!」
その隙を突かれた。
ギルガルドは体から外した盾を構え、ブイちゃんに向かってきた。
エルちゃんの身長をも超える長さの刃。そんなもの、ブイちゃんだって食らいたくないだろう。
すぐに応戦しなきゃ、と思った矢先。
どこからか、銀色の弾丸がギルガルドの行く手を遮るように飛んで来た。
「っ!?」
側面からの一撃。
あまり効果はないようだったけど、その一撃でブイちゃんへの攻撃は失敗した。
「今のは!?」
よく見ると、それはヒトツキ――じゃない。
布の色はニダンギルのもの。でもニダンギルは二本のはず。
つまりは、ニダンギルの片割れという事か。
その片割れが戻っていく先にいたのは――
「いつの間に――!」
ハラ教授がまたしても目を白黒させた。
ニダンギルの片割れをキャッチしたのは、囚われの身だったはずのツバキ。
手を縛っていた鎖はいつの間にか切られていて、ニダンギルを手に自分自身の足でしっかりと立っている。その顔色は相変わらず悪い。
「ありがとう、ギル。また助けられちゃったね」
でも、恐怖は浮かび上がっていない。
手元に戻ってきたニダンギルに感謝するように、ツバキはその刃に軽く口付けた。
「貴様、どうやって!? その体からは離れられないはずだ!?」
「ギルは、2本で1つの剣……お互いの意識が繋がっているから、片方だけならわたしから離れても大丈夫なの」
ハラ教授の疑問に、ツバキが自ら答えた。
そして、自ら歩き出す。
草履の乾いた音が響く。
どこかぎこちない、でもどこか力強さを感じさせる歩み。
それに得体の知れない力を感じているのか、ギルガルドは少し動揺している様子だった。
「ふ、ふん、だが、いくら毒が治ったからといって──」
そうか、顔色が悪かったのは、“どくどく”を打たれていたからだったのか。
いくら死体とはいえ、実体のないゴーストにすら効く毒だから、力を奪われて当然だ。
それが、ブイちゃんの“いやしのすず”で回復したんだ。
「そんな体で勝てるとでも思っているのかっ! 貴様など一撃だけで十分だっ!」
ハラ教授の叫びに呼応するかのように、ギルガルドが切っ先を向けた。
切っ先に、エネルギーが集まっていく。
進化前と進化系。
しかもツバキは毒でかなり消耗した状態。
これだと、ハラ教授の言う通り、一撃にすら耐えられないかもしれない――
「ギル、一緒に戦おう。大好きなギルが一緒なら、わたし――」
目を閉じて、そっとつぶやくツバキ。
無防備なその体に、ギルガルドが集めたエネルギーを光線として放った。
“てっていこうせん”だ。
ツバキは、2本の刃を駆使してそれを受け止める。
でも、その力の差は歴然としている。
徐々に、押し込まれていく。
いくら効果が今ひとつとはいえ、これでは耐えられない──!
「何も怖くない!」
ツバキが叫んだ途端、爆発がツバキを飲み込んだ。