寝たきりの少女の手に触れた瞬間、身体に電気が走る感覚がした。
自分がまるで自分ではない感覚を抱く。私の魂がまるで身体を抜けていったような錯覚さえある。
「……アローラ」
何度目かの交換を経て到達した南国アローラの旅が脳裏に蘇ってきた。
カプの名を冠する精霊を探す旅。ポケモンリーグ誕生に立ち会えた瞬間。かがやきさま。エーテル財団。様々な場面が頭に浮かんでは消えていく――。
誰かの叫ぶ声が聞こえ、現実に引き戻される。
ミュウツーにダンデが挑んでいる。黒のリザードンは連打されるサイコショックにより地に落ちた。ピクリとも動かないリザードンに寄り添い、動かぬリザードンの隣でダンデが吠えた。
そのダンデも超能力の一撃を受け、地に落ちた。それでもなお起き上がろうとする姿を見ながら、私の意識はまた遠のいていく。
「……ホウエン」
浮かんできたのは何度目かのホウエンだ。ホウエンのマスターは以前よく着ていた服は一新し、新たな衣装を着ていた。
知っているようで知らなかった場所もあった。捨てられ船は無くなり、ニューキンセツという廃墟が拡がっていた。カイオーガとグラードンはゲンシカイキする。
知っているようで知らないホウエン地方の海と大地の闘いを終結させ、ホウエンのマスターは何度目かの世界を救う――。
記憶の中に引き込まれそうになり、周りの叫び声が聞こえ、改めて現実に帰る。
GOロケット団の三人に至ってはスタンドを繰り出す前にサイコキネシスで宙に浮かされ壁に叩きつけられていた。アルロが血を吐き、地面で僅かに痙攣したきり動かなくなる。
起死回生を狙い、ダンデは残りの手持ちポケモンを繰り出す。
「カロス……」
記憶が遡っていく。
私の知らなかったメガシンカ。大都会ミアレ。カロスからの私の戦術は大きく変わった。カロスのマスターはゼルネアスを倒し、破壊兵器を破壊した。私も世界を救う一端を担ったのだった――。
現実に引き戻される。
ダンデの手持ちは全て倒され、ダンデ自身も地に倒れたまま動いていない。キーストーンの力で強化されたミュウツーはあまりにも強かった。
「……イッシュ」
イッシュの冒険には二人のマスターが居た。一度目のイッシュの旅を終えた後、私は別のマスターに交換に出された。
単なる交換ではなく、たどり着いた先は二年後のイッシュで、当初は凄く混乱した。場所だけではなく、時も超えることができるのだ。私たちポケモンは――。
時は戻り、残酷な現実が展開される。
キャンデラ、スパーク、ブランシェはそれぞれ、伝説の三鳥をもってミュウツーに反撃していた。ファイヤーの炎もサンダーの電撃もフリーザーの氷撃も。どれひとつとしてミュウツーには敵わない。傷がついたとて、すぐに自己再生する。
結果は歴然としていた。三人と三鳥は瀕死の状態で横たわる。
「……シンオウ、ジョウト、カントー」
ジャパンと呼ばれる島のいくつかの地方が脳裏を過ぎる。色々な冒険があった。その度、違うマスターが私の隣にいた。
その誰もが同じ愛情で私に接してくれて、私もそれに応えた。懐かしいあの冒険の日々――。
視界の外れで、ポプラが善戦していた。しかし、サカキだったミュウツーは規格外の強さでもって、ありとあらゆる超能力を駆使した
ポプラの保有するフェアリーは全滅し、しかし、それでもなおポプラは闘う姿勢を崩そうとしない。己が肉体のみでミュウツーに立ち向かおうとする。
既にダンデとの闘いや、この世界に来る道中で消耗していた部分はあるのだろう。身一つでも強いはずのポプラも、ミュウツーと互角というわけにはいかないようだった。それでも老婆は挑む。
「……ホウエン」
そこで優しく受け入れて貰えた。初めての旅路の果て、初めての交換、初めてマスターが変わった場所。私は――。
ポプラが吹き飛ぶ。
満身創痍の老婆は立つ気力すらないようだった。最強のエスパーには常識はおろか常識外れの強さも、適わなかった。
最大の戦力が失われ、無の力を存分に振るうべくミュウツーは高らかに笑う。
「待てよ!」
それを遮り、立ちはだかったのは。私の知る元の世界のサオリとは異なるサオリだ。
私のよく知るサオリは――、コードネーム“スネーク”を有する元はオーレ地方のグリーンベレーの所属で。同国の国防総省陸軍において設立されたFOXHOUNDへ移籍後は、同国の母国の危機を影で救ってきた。『伝説の傭兵』あるいは『伝説の英雄』、『不可能を可能にする女』、『霊長類最強』などと呼ばれる最強の女。FOXHOUND解散後は、自身の闘いの傷を癒やすべく、来日し、カントー地方に住んでいたが、紆余曲折の結果アイドルグループに所属することとなった。
しかし、この世界のサオリは違う。口は悪いがか弱いアイドルに過ぎない。そのサオリが震える身をそれでも盾にしようと、ミュウツーの前に立ちはだかる。
「待てよ、待ちな、待って――いや、ちがう」
サオリは何やら頭を振る。懇願ではなく鼓舞。自らを奮い立たせるための、魔法の一言を考える。
「待て、待ってろ……」
か弱いアイドルのサオリは、瓦礫のせいでほつれた服の裾を破り、バンダナのようにして手に持つ。それは勇気の印、戦士の証、ムゲンバンダナだ。
今ではないいつか、ここではない世界で、私にそうしてくれたように、サオリはバンダナを自らの額に巻いた。そして、開口。
「――待たせたな」
両手を拡げて立ち向かった。サオリの背後から、スタンド――カイリキーが四本の腕で、ミュウツーに攻撃を仕掛ける。
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ――!」
目にも止まらない速さのパンチが次々と繰り出される。並のカイリキーがこれだけのパンチを繰り出せるとは。
私の知るポケモンバトルのルールの中では決して到達できない連撃が、ミュウツーに襲いかかる。
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ、オッレ!?」
しかし、ミュウツーはデコピンひとつで、カイリキーごとサオリを吹き飛ばした。壁に強く叩きつけられ、サオリとカイリキーは気を失い動かなくなる。
「オーレ……」
サオリがデコピンをされた反動で舌を噛んだ最後の一言で、オーレ地方の記憶が蘇る。
ラルトスだった頃。悪の組織シャドーに捕獲され、洗脳を施され、高い能力値に目をつけられた。やがてサーナイトに進化した私は“サイコメトラーSANA”と呼ばれる悪の操り人形と化した。ただ操られるがままの私には自我というものが存在せず、まるで暗闇の底に閉じ込められているようだった。
そんな私を最初のマスターは解放してくれたのだ。世の中がこんなに優しさであふれているものたとは。
この人を守る騎士になる。この人も私を見捨てず従えてくれる。私は初めて世界の明るさを知ることができた気がした。
「マスター……」
現実に。私の目の前に居るのは、厳密には私の知らない誰かだ。けれど、魂の輝きは、確かに私の知るマスターだ。目を閉じたままのその頬にそっと手を触れる。
――だれかの、いつかの記憶の奔流。
「ユウナの花……」
綺麗に咲く花を髪飾りに、私は走っていた。目線が低い。まだ幼い子どもなのだろう。
後ろから、「待って」と声を掛けられて振り返る。幼い女の子が居る。幼子に特有のふっくらした頬っぺか可愛らしい。その顔には面影がある。ガラルのマスターだ。
姉の私は彼女の手を握り、二人で走る。お揃いのユウナの花飾りをつけて。
ひどく暑い南国の、ひどく楽しい日々だった。
「ああああああああぁぁぁ――!」
ばちん、と何かが脳にはじける感覚。思わず声が漏れ出て、止まらない。同時に逆に再生されていく記憶。混沌。カオス。混乱する。
緑のサーナイトが青くなり、人間がサーナイトに変わり、サーナイトが人間に変わる。変な世界だ。歪んでいる。夢なのか現実なのか。この記憶は誰のものなのか。
倒れたままだった緑のサーナイトが起き上がる。私と目が合う。そして、私の魂は外に出て、そのサーナイトの魂も外に出る。魂が交錯する。生命の輝き。心が爆ぜる。
――瞬間、視点が切り替わった。先程見ていた方向と異なる方向を見ている。目線の高さ、身体の軽さ。元に戻ったのだ。私はいつもの、“青い”両手を構える。
『――いやしのはどう!』
救える命をひとつ残らず救うため、私は最優先事項を形にした。持てる力を注ぎ込み、周囲にエネルギーを向ける。倒れていたトレーナー、ポケモン――この世界でいうスタンド使いとスタンドたちがみるみる回復していく手応えがあった。
「さっきまでのサナ……なのか?」
意識を取り戻し、サオリはアローラのマスターではなく、私の目を見てそう問いかけた。理由は説明できない。世界が一巡したような奇妙な感覚があった。
「サナで間違いないんだな」
無言のままのサーナイトの私を見て、サオリは頷いた。
『あ、えっと……待たせたな』
「なんだよそれ」
決め台詞をパクってみせると、サオリは吹き出した。
「ありがとう、サナ。それから、ごめん。私は弱くて、何も出来なかった……」
『いいえ』
そして、照れ隠しに私は背を向ける。
肩を落とすサオリにかけてあげる言葉が見当たらなくて。記憶の中にある経験、見た事のある映画や漫画、アニメの名シーン。あらゆるシチュエーションからシミュレーションし、ズルいけど私は形に頼ることにした。
地に膝をつけ、うなだれるサオリ。
そのサオリの頭に、私はそっと、ベレー帽を載せる。ガラルのマスターが預けてくれたベレー帽を。
『この帽子を貴方に預けます』
「え」
『私の大切な帽子。いつかきっと返しに来てください――そのときは、立派な戦士になって』
記憶のどこかにあったアニメのワンシーンを見事パクってみせた。確か赤い髪の海賊が幼い少年に道を示してみせた名シーンだった。
サオリに言うべき台詞は全て告げ、私は背を向けた。彼女の表情は見えないが、きっとあのアニメの少年と同じ、輝かしい顔をしていると信じたい。
ガラルのマスターに貰ったベレー帽だったが、きっとこれで良いのだと思う。
『サカキ、貴方を倒します』
サオリを背に、ミュウツーに向き合う。次の一手は決まっていた。
『サナ……元の身体を取り戻したのか。ということは、アイツもか。しかしどうでも良い、私は――』
言いかけて、サカキだったミュウツーは、既にペンダントを無くしていることに気づく。私は念力でそれを自身の手元に手繰り寄せた。そして、首からそれをさげる。
『どろぼう。なにも貴方たちロケット団だけの得意技では無いです』
私たちサーナイトの覚えられる技のひとつ。あまり行儀の良いものでは無いが、大切なものを取り返すには仕方がなかった。目には目をというやつである。
「――ひさしぶりだね」
そのときだった。
懐かしい声が脳裏に響き渡る。振り向くと、アローラのマスターが居た。思わず足元を見やると、そこにも同じ顔の少女が静かに目を閉じて横たわっている。
「あまり刺激して起こさないでよ。たまに連動して、ややこしい事が起きるんだから」
アローラのマスターが軽い口調で言う。
状況は分からない。しかし、考えている場合ではなかった。
『貴様ららごとき、この私にさからららららららららららららららららら』
サカキだったミュウツーの呂律がおかしくなり、ミュウツーの輪郭がぼやけ始める。キーストーンの力を得て、保っていたエネルギーの均衡が崩れ、その肉体に負荷をかけているようだった。
ミュウツーの身体が崩れ始め、ただただ溶けていく。以前、未来の世界からやって来たT-800の手持ちポケモンだったフリーザーもどきが溶けていったときの様子とよく似ている。
「消せばいいの。こいつは世界のバグだから。いち早く取り除かないと、世界はバランスを崩し、宇宙の法則が乱れる……ってね。ムーンフォース!」
私はマスターに命じられるままにムーンフォースの構えを取ろうとし、違和感に気づく。違う。私への指示ではない。
マスターは自身の両手を天にあげた。ミュウツーの攻撃で天井は無くなっており、空が広がっていた。
青空にうっすら、白い月が見えてくる。徐々にそれは近づいて来て、ミュウツーに迫る。
「月に代わってお仕置きよ――なんてね」
マスターはひどく残酷な笑みを浮かべていた。月の重みに潰され、ミュウツーが苦しげに呻く。両手で月を受け止めたミュウツーは、それを抱き締め、粉砕した。
「なかなかしぶといね……ああ、そういえば。この世界のレギュレーションって面白いね。ここでは攻撃を連打できるんだよ」
アローラのマスターは楽しそうに言うと、「トリプルアクセル!」と大きく声をあげる。これもまた、私への指示ではない。
マスターが回転し始める。まるでスケート選手のように。人間であるはずのマスターの放つ氷タイプの微力なトリプルアクセルは、回数を重ねるごとに威力があがっていく。私の知る常識の中では3回だが、それを遥かに上回る回数の攻撃を叩き込む。
「アリアリアリアリ――」
マスターは何やら歌うように回転し、攻撃を加え続ける。その度、ミュウツーとなったサカキの口から悲鳴が漏れた。
身体を回転させながら何度も打撃を叩き込む。この世界では、攻撃回数に制限はない。威力はひたすら増していく。
「アリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリ」
最初は余裕そうな顔をしていたミュウツーも今や絶望と苦悶の入り交じった悲痛な顔をしている。
「アリアリアリアリアリアリアリアリ、アリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリ!」
ミュウツーの身体が消し飛び、無に帰っていく。当人の望んでいたものに。
「……アリーヴェデルチ!(さよならだ)」
マスターは愉快そうに言い放つと、まるでスケートの選手のように華麗なジャンプを決め、決めポーズをとる。
最強のはずのミュウツーが塵になり、やがて考えるのをやめた。欠片も残っていない。
あれだけの人数が束になって挑んで、手も足も出なかったのに、彼女は一瞬で成し遂げた。規格外なんてものじゃない。人間のできるレベルを遥かに超えていた。
そもそも、なぜポケモンの技を扱えるのかという疑問もある。
「どうやら、そろそろお目覚めだね」
マスターはニヒルに笑い、私の足元のサナっちに視線を送る。かすかに身体がぴくんと震えた。
「有名な都市伝説あるでしょ、ドッペルゲンガー。自分と同じ顔の人間に会うと死ぬ。この場合、どっちになるのかな。あなたと私」
さっきまで私はマスターの顔をしていた。そういった事情もすべて含めて言っているのだろう。
「さすがに起きそうだね。うん、じゃあ、私はテレポするね」
マスターが右手を指先まで伸ばし、手刀の形にした状態で、空間を切りつけるような仕草を行う。切る瞬間、「だいせつだーん」と間の抜けた掛け声をあげていたが、原理としては空間の神と呼ばれるパルキアの固有技、亜空切断と同じであるようだ。
「この世界の住人じゃないのは……これとこれか」
空いた空間の穴に、マスターは念力か何かでポプラとダンデを放り込んでいく。
ブランシェ、スパーク、キャンデラ。そしてアルロたち幹部とロケット団のしたっぱはその場に放置だ。
「あとは、貴方だね。愛しい人」
そう言うと念力で私の身体を浮かせた。
その瞬間、足元に倒れていたサナっちがうっすらと目を開いたのに気づいた。植物人間の状態から目を覚ましたのだ。
視線が合い、瞬間すべての記憶を持っていかれるような錯覚に襲われる。
「見ちゃだめ、いくよ!」
マスターはそう言うと強引に私を空間の裂け目にねじ込んだ。
それによりサナっちから目線が外れる。アローラのマスターは対面が危険なものだと認識しているようだった。亜空間に吸い込まれ、今度は別の意味で意識を、記憶を持っていかれるような感覚に陥る。
空間移動は世界の理から外れた行為であり、意識を保つにも限界がある。私たちポケモンのテレポート程度の距離であれば問題ないが、今回はその範疇を超えていそうだ。
「次は会わないでおこうね、このままのふたりがいいから」
アローラのマスターは私に一声かけ、別の方向に空間の穴を作り、吸い込まれるようにして消えていった。
私は亜空間の流れに身を委ねながら、やがて意識を完全に手放した。