-10- 秋の気配

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 先日の蹂躙の跡のまるで無い古城が、内密な個別会談の当日を迎えた。
 整髪したハイフェンは白ずくめの正装に身を包んでいる。透明化したメロエッタが来訪者が安全かどうか、周りをふわふわと回っていた。鏡面のテレポートで招いたオルデン・レインウィングスは身ぎれいだが地味な、丸眼鏡の紳士である。ただの温厚そうな凡人のようでその実天才技術者であるのだから、人は見かけによらないというものだ。
 オルデンが独自に捕虜にしたロトム、すなわち、国際警察が保有する通信衛星システムにハイフェンが潜り込ませていた電脳スパイの処遇は、ハイフェンへ返還するでなく、オルデンの従者として手となり足となり、ネットワーク上の手伝いをさせるということで落着した。
 身内が国際警察官でありながら、国際警察に不信をいだき、暗部を嗅ぎまわっている者同士である。利害が一致するようであれば今後手を組んでもいい、とハイフェンは比較的柔軟な態度を示していた。

 オルデンが不正アクセスで得た情報によれば、コードネーム『オセアン』ことジョージ・ロングロードは、キズミ・パーム・レスカと金城湊の監督指導官という出向を隠れ蓑に、なんらかの極秘任務を与えられていたようである。ロングロードを襲ったのは何者か。その目的は。なぜ昏睡させられたのか。次女アイラが拉致されかけた理由とは。偶然にしてはよく出来たタイミングで現れた出自不明のブラッキーの身は、潔白であるのか。陰謀が方々で、複雑に、入り乱れているように思えてならない。
「彼の長女……メギナ・ロングロードの消息について、何かご存知ですか」

「いや。ところで」 
 ハイフェンはそう返した。解せない点があった。オルデンは、青年時代に誤認逮捕を受けている。そんな男が国際警察の、装備研究開発の特別顧問などという協力的な立場に、望んで就くだろうか。
「レインウィングス殿は、国際警察に弱みでも握られているのですかな」

「正当防衛を立証できないガーディの助命と引き換えに……という所です」
 はぐらかさずに答えたオルデンはつかの間、眼鏡越しに遠い目をした。裏で取り引きがあったことは、キズミに伝えていない。少年の心を傷つけたくなかった大人のエゴに、善も悪もない。キズミの養父であった親友が子煩悩だった。キズミへの接し方を無意識に踏襲しているのだと自分でも思う。
 気を抜くと、オルデンはふっと思い出し笑いが漏れそうになる。親友――レスカは色恋沙汰が苦手で、押しに弱いところがあった。行く当てのない赤ん坊連れの金髪の美少女から求婚されて、助けてくれと泣きついてきたのがつい昨日の事ようだ。出自を知ってしまった幼いキズミとの関係がこじれた時も、家族の目がない場所で情けないほど落ち込んでいた。周囲から過小評価されていたが、誠実で控えめな、芯がある好男子だった。冤罪で人生を狂わせられた時期もレスカだけは、無実を信じ抜いてくれた。
 そんな善人が。
 あのような悲惨な最期を遂げた。他人に優しい生きざまが本人の幸福な死にざまに還元されるとは限らないのだ。どうりでこの不平等な世の中から、犯罪がなくならない訳だった。
「ジョージ・ロングロード氏の仲介でした」

「あなたも、あの輩の被害者でしたか。これは面白い」
 腹の底はまったく面白くなさそうに、ハイフェンは作り笑いした。
 
 オルデンは中立的な愛想笑いを返しながら、用心を深めた。
 レストロイ卿はロングロード氏を敵視どころか、憎悪しているようだ。
「あのガーディには、なんらかの改造の痕跡が。彼は、個人的に関心を示していました。当時彼が追っていた秘密結社と関係があったのかは、今も謎ですが」
 その秘密結社は、『ポケモンを人間から解放する』という思想を謳い文句にしていた宗教まがいの犯罪組織の残党で構成されていた。結社の目的は改造生物兵器ゲノセクトの性能向上と、量産化。そして、闇の武器市場への参入。計画を水面下で進行できる立地、素体となる化石を復元する最先端技術に不可欠の『夢の煙』の安定補給、これらの条件を満たす最適の環境――
「“ハイリンクの森”について、貴方のほうがお詳しいのでは? レストロイ卿」 

「好奇心は猫をも殺しますぞ、レインウィングス殿」
 フ、とハイフェンが鼻で笑う。
 足を組むと、指を絡めた両手を膝に置いた。
「その様子では……亡き妻の調べも、すでについておるのでしょうな」

「登録記録を抹消された元国際警察官、という意味でしたら」

「好色な青二才にあてがわれた美女。といえば、もうお分かりでしょう」

 国際警察の上層部は霊能にすぐれた東洋人の諜報員を送り込み、一族から逃げだした若きレストロイ当主を懐柔しようとした。だが関わるうちに、彼女はハイフェンが同じように家柄を疎んじて自由を渇望していると知り、駆け落ち同然に国際警察を去ったのだ。

「ロングロードは最後まで、上の決定した無粋な任務に反対していたようですな。恩義ある直属の上司への背信は、唯一の妻の心残りだったらしい。あの輩が助力を乞うて来たら顔を立てるよう、生前口酸っぱく言われておりました」

 蛇の道は蛇。
 妻を執拗に監視する国際警察に手を引かせることを見返りに、ハイフェンはロングロードの依頼を引き受けた。異能者の傭兵として、亜空間“ハイリンクの森”に築かれたアジトへの強行突入に同行させられた。ムンナ、ムシャーナの楽園はマッドサイエンティストの集団に侵し尽くされていた。悪あがきで投入された未調整のゲノセクトは暴走し、敵も味方もなく、大量殺戮を繰り広げた。

「悲嘆にくれる獣らの……夢を実体に変える力が、森の護り神を生んだ」

 “人間さえいなければ、平和なままだった”。
 悪夢をたばねし、超常なる邪神。人類を滅ぼさんとする敵――セレビィ。
 
「私も巻き添えを食いましてな。魂は、依り代に封印した。本体は……ここだ」
 ハイフェンが鎖骨から左脇腹にかけて、着衣をめくる。変装のマスクでも取るように胸の皮を剥ぐと、『変身』で肌の色と同化していた軟体が藤色の姿に戻り、這いのぼって愛玩動物のように肩へ乗る。

 左胸に、拳大の植物の種が植え付けられていた。

 細い根が弾痕のように生え広がり、皮膚の下へと浸食している。心臓に癒着していて切除はできない。事件後まもなく、衰弱しきっていたハイフェンはレストロイ家の追っ手に捕らえられた。最愛の妻を失うきっかけを作ったジョージ・ロングロードを、断じて許すことは叶わない。
 寿命を縮めるほどの霊力をつぎ込んで成長を遅らせているが、すでに手遅れだ。邪神の本体が『ヤドリギの種』に退化して、執念で消滅をまぬがれていることを、本体から引き離されている邪神の魂は嗅ぎつけていない。依り代のネイティの力と、強制的に脱魂した影響で、記憶の大部分が失われている。ネイティというかりそめの“器”の主導権を握っているセレビィの自我が、ハイフェンを肥やしにして充分に養われた本来の“器”に気づいたならば、嬉々として奪い返す策を練るだろう。
 あの子どもに父として興味はない。しかし、妻の忘れ形見だ。
 ならば情けをかけて、天寿をまっとうさせてやりたい。
 無知な小せがれの、邪神に一矢報いる“修行”の完成が先か。
 いくばくもない種の宿主の余命が尽き、災いを野放しにするのが、先か。

 
◆◇

 
 もう夜か、と日の入りを早く感じる事が増えてきた。

 食材由来の独特の臭みが、青紫陽花を色水にしたような空へ漂っている。 
 吹きさらしの路上に移動式屋台を構えているダゲキは、わずかに瞳を広げた。

 パイプ椅子に座った客の右頬を覆うように貼られた、外傷パッド。

 見られることを、当のキズミは気にしていない。パッドを剥がして派手な傷跡をさらけ出せば、この比ではなくなるだろう。元々目立ちしやすかった容姿に、コワモテな特徴が付け加わっただけのことだ。怪我が怖くて刑事は務まらない。一つ空けた、二つ隣の椅子の男のほぼ完食されたどんぶり鉢をちらっと覗き、同じものを頼んだ。あいつはグルメで外食好きだから、見た目が謎でも味にハズレがないという信頼がある。トマト系を除いて。

 寡黙な店主のダゲキが、ことっ、と湯気の立つ鉢を目の前に置いてくれた。

 豚骨ラーメンだ。
 太るという理由でウルスラが難色を示すので、食べ慣れていないが、美味しそうだった。今夜はウルスラもいないので、誰にも文句を言われない。しかし、割り箸に手を付けなかった。話しかけるなのオーラが出ている男のそばで、心ゆくまで味わいたいとは思わない。レストロイの一件以降、ムードメーカーだった親友は笑顔も、口数も、めっきり減っている。頻繁に寝泊まりしていたキズミの自宅にも、よそよそしく寄り付こうとしない。
 仕事外ではっきりと話しかけるのは、四日ぶりになる。 
「ミナト」

 ミナトはじろっと、拗ねた横目で見た。
「なんだよ。お前のトランツェンはとっくに返したろうが」 
「イチルのことは……すまなかった」
「なんで、謝るんだよ。喧嘩売ってんのか?」
 食台の上で握り拳を作ったミナトに、キズミは引かなかった。
「俺が無計画に乗り込んで、お前を助けようとしたから。引き金は、俺だ」

「引き金が最後どうなるかなんて、分かってたら誰も苦労しねえ」 
 ミナトは片頬杖をつき、ぷいと顔をそむけた。親父に完敗して、頼んでもいないのにキズミに助けられて、イチルが殺された。最悪がいっぺんに降りかかった厄日以前の自分が、どういう奴だったのか、まるで前世の記憶みたいに霞で白んでいる。好きでバカをやっていたはずが、今の自分は本物の馬鹿だ。何やってんだろ。カッコ悪いな。と、黒髪の首をのけぞらせた。心だけ重力が利かなくなって、日の暮れた薄明るい彼方に向かって遠のいていくようだった。
 都会の空は狭く、低く感じる。
 それでも雲の柄は、広大な地域を股に掛ける四季とひと繋がりだ。

「あれで、よかったんだ。あいつにとっても、オレにとっても」

 自分を慰めるための、言い訳ではない。
 イチルは、消滅を怖がっていなかった。笑っていた。

「本心か?」と尋ねたキズミに、ミナトは黙ってうなずいた。
 窓明かりが歯抜けになっている集合住宅。冴えないテナントビル。とぼとぼ家路につく人々。電車の走行音。このあたりの地区の情報量は、見知らぬ他人の生活感の一部になりきるのに塩梅がよかった。酔っ払いの胃袋を惹きつけてやまない、食欲をそそる脂っこい獣臭のようなラーメンの匂い。屋台の赤提灯に照らされていると、秘密基地にでもいるように時間を過ごせた。キズミを無視して無言でいれば、この居心地が守られるだろう。
 ああ、でも、いいや、こうじゃねえ。あーそっか、オレってヤツは案外いろいろ重なって、ハートが傷ついてたんだな。と、ミナトは、大気のゆらぎでちらちら瞬いている一番星に見入って、乾燥した目をこすった。あからさまに捜しに来て、励ましに来た、金髪のお節介野郎への煩わしさが、何処かへ溶けていく。前の自分の調子を思い出してえなと思いながら、喋りかけた声にちゃんと、プライベートにずかずか押し入って邪見にされて、そんなコントみたいなコミュニケーションが日常だったキズミという兄弟みたいな相棒への接し方の片鱗が、戻ってきていた。
「謝るくらいなら怒れよ。その傷、オレにも責任ある。ぜってえ女子のファン減るだろ、それ」
 
「どうでもいい。それに、この顔のほうが俺っぽい……気がする」
 生き写しの“親”には悪いとは思うが。
 キズミがなぜ少し肩の荷が下りたような表情をしたのか、ミナトのさっきうなずいた真意をキズミが理解しきれなかったのと同じように、ミナトもはっきりと理屈は分からなかった。
「なんだそりゃ。つーか麺、伸びるぜ」
 と、ミナトは顎をしゃくった。

 あ、と忘れていたキズミの声が出た。
 
 啜って音を立てていいんだぞ、と頼んでもいないのに、キズミはレクチャーされた。知ってはいる。カルチャーショックが抜けきらなくて、やらないだけで。ふとした暮らしの端々で、国際警察官になるために吸収した教養が役に立つ、と感じる瞬間がある。おのれの出自を考えれば、井の中の蛙に育つほうが身の丈に合っていたとは思う。人生とは何が起き、どう転ぶか。一寸先は闇だ。
 音を立てずに麺を食べながら、やっぱりな、とキズミは納得した。黒髪の腐れ縁野郎の元気が出たらしい。早くいつもの明るい笑顔が復活すればいい。親友のような双子のような、騒がしいほうが似合うこいつのそばで食うメシは、いないで食うより、美味い。
第七章 了

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