10/20 本文書き直し
「はいっ!分かりました_______いえいえ、そんなつもりは全くないんです」
「………ありがとうございます」
「本当に申し訳ございませんでした。……二度とこのようなことが起こらないよう気をつけます」
______プツリ。
「………くそがッ‼︎」
通話が切れるのを確認すると、俺は助手席にスマホを目一杯叩きつけた。
スマホは2回バウンドすると、ドアと椅子の隙間に姿を消していった。
「なんで俺が謝らないといけないんだよッ‼︎」
今日は朝からお客の所に出向いて、ひたすら説教を受け、ひたすら謝罪を続けていた。本当に生きた心地がしなかった。
この地獄を3時間も耐え続けたというのに、帰り道車の運転中に今度は常務から電話がかかって来て、
「お前は罰として、今日から次回ボーナス無し3ヶ月給料50%カットな」
この男は一体何を言っているんだ?
普通に考えてそんなに給料を引かれたら、独り暮らしが生活していける訳がないだろ。
まあ、俺の場合はそれなりに元の給料が高いので辛うじて生きていけそうだが、遊べるお金は残らない。
裁判を起こせば普通に勝てそうな案件だが、摩耗しきった俺の精神には弁護士に相談する力は残っていなかった。
こんな不当なしてくる癖に、いざ会社を辞めようとすれば全力で止めてくる。
俺が居なくなって1番困るのは向こうのくせに、定期的にこんな嫌がらせをしてくるのは、ひとえに俺の
ことが気に食わないのだろう。
「くそッ‼︎」
こみ上げる怒りがどうにも抑えられなくて、本日2度目の咆哮を上げハンドルを殴りつけた。
少しだけクラクションが鳴ってしまったが、車通りの少ない山道の路肩に停車していたので、誰の気にまとまらなかった筈。
因みに言うと、お客を怒らせたのは俺ではない。
営業の俺が引き受けた仕事の処理担当、いわば俺のパートナーのような存在がいるのだが、全部そいつのせいだ。
何度も同じミスを何度も繰り返して、何度も優しく注意したが何度も繰り返す。
注意は本当に優しくしているつもりだ。
決して怒ったりしない、そこそこまともな上司を演じられている筈だ。
あいつももう入社して1年以上経つ。
厳しいように思われるかも知れないが、そろそろ新人の気持ちから少しずつ意識を上げてもらわないと俺の負担が増えるばかりだ。
実際お客には今回は許して貰えたが、次は無いぞと念を押されている。
営業マンにとって一番の財産は、長年コツコツと積み上げて来たお客との信頼関係だ。
もし次やらかせば、年間億単位の売り上げが一瞬で消え去ってしまう。
それが、こんな事で_____。
「………くそッ!」
3度目もクラクションをぶん殴った。
早く会社に戻らなくては、朝できなかった大量の仕事たちが事務所の中に待ってくれている。
サイドブレーキを下ろす。
車を発進させようとアクセルに足を乗せるが、残っている仕事の重みのせいか中々ペダルが踏み込めなかった。
山道を抜けると、開けた田んぼ道に出た。
窓から強い日差しが差し込んで、クーラーの効いた車の中でもじわじわと体力を奪い取られた。
時間は昼飯時だったが、何か食べようとする気が全く起こらなかった。
陽の光に照らされて、田んぼの稲穂が青々しく光っていた。
田んぼと田んぼの間に点在する、赤茶色の瓦屋根の家を見ているとふと実家を思い出した。
小学生の頃はよく山や川で遊んだな。
学校終わりに河川敷で野球やサッカーをするのが毎日楽しみだった。
皆んな、元気にしてるだろうか。
外の空気が吸いたくなり車の窓を全開にしてみたが、外の風の方がクーラーよりよっぽど涼しい。
ふとあの頃の自分と、これから事務所に帰って仕事をする自分の姿が、脳裏を交互によぎった。
「………サボるか」
ハンドルを大きく左に切り、田んぼと田んぼの間にある細い道に入った。
舗装されていない道だったので、何度か地面に埋まった大きな石の上でタイヤが滑り、ハンドルを少し奪われる。
その度に、会社の車を田んぼに転落させた時のことを考えて肝を冷やした。
この道は、正面に見える山の麓まで続いている。
山に近づくにつれ、道は少しずつ傾斜を増していく。
そして山の麓に差し掛かると、道はぱたりと途絶えた。
エンジンを切り、車を出た。
まずは助手席のドアを開けてさっき落としたスマホを拾い、次にトランクからゴルフバッグを取り出し背負った。
先に言っておくが、今からゴルフをする訳じゃない。
会社の人間たちには、お客からの急なゴルフの誘いに行けるようにバッグを積んであると言っているが、中身は釣具だ。
今度はスマホを地図を開く。
現在地は田舎の奥にある山なので、画面の殆どが緑だった。
この辺りに住んでいる人たちは、さぞ不便に違いない。
山の周辺を拡大していくと、表示範囲300mくらいの所でぽつんと青い点が現れた。
この青い点は、間違いなく池だ。
池は地図を見る限り、今いる山を少し登った先にあるようだった。
山奥にある池は、訪れる釣り人が少ないので魚が油断して餌に食いつきやすい。
この池に魚が魚が居ればの話だが。
スーツがなるべく汚れない道を探していると、深い茂みの中に大きな石が階段のように並べられている場所を見つけた。
茂みをかき分け中を覗くと、段差は一段ごとに高かったり狭かったりと、結構険しそうな道が山のずっと上まで続いていた。
左右に生い茂る草木をかき分けつつ、不揃いな段差を確認して登るのはかなり至難の技かも知れない。
だが、ここまで来て今更引き返す選択肢は俺には無かった。
更に池に魚がいなかった場合、本当に何をしに来たのかわからい。悪い事ばかりが頭をよぎり、自然と足取りも重くなる。
一歩、階段に足を踏み入れる。
草木をかき分け、しっかり足場を確認しながら階段を登っていく。
湿気のせいか段差がぬかるんで、何度か足を滑らせそうになり冷や汗をかいた。
しばらくして、ようやく茂みを抜け切ると眩い光が差し込んきて、思わず両目を手で覆った。
その後視界に映った景色を眺め呆気に取られた。
そこはとても美しい場所だった。
ガラスの様に透き通った池と、草一つ無い細かい砂の大地。
森の奥から流れる緩やかな滝が、池に小さな波を作り出し、それはまるで海辺の一角を切り取って来たかのような光景だった。
それはまるで小さな海のような光景だった。
仕事中であることも、腹の立つ事務員のことももう全部がどうでも良くなっていた。
この場所に全て救われた。
それくらい美しかったのだ。
さあ、そんなことより釣りだ釣り。
砂浜の上に座るのに丁度よさそうな大きな岩が転がっていた。
おそらく石灰岩だと思われるが、こんなに大きなものを見たのは初めてだ。
岩に座ろうとゆっくりと腰を下ろす。
「おい、神聖な御神体に何するつもりだッ!!」
「えっ!?」
突然背後から誰かの怒鳴り声がして、驚いた俺は地面にひっくり返ってしまった。
見上げるとまだ小学生くらいの幼い少女が、嫌味ったらしい顔つきでこちらを睨んでいた。
「ここは、お前のような不届き者が足を踏み入れて良い場所ではないぞ」
少女の髪は鮮やかな黄色で、陽の光を浴びて金色に輝いているように見えた。